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内なる空間

ニューアース、未だに読んでます。
毎日の半身浴で浴室にこの本を持ち込んで読んでいるのですが、なかなか前に進みません(汗)。
(※註 ほとんどのぼせていて、ウダーッとしてますw)

前半はこれでもかといろいろな事例を豊富な例を挙げ、説明しています。
でも、なかなか佳境に至りません、、、、、、、

苦痛っすね(爆)

これはペインボディをわざと作って、それに気づくように仕向けているのかもしれない(笑)。

ニュー・アース -意識が変わる 世界が変わる-ニュー・アース -意識が変わる 世界が変わる-
(2008/10/17)
エックハルト・トール

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ヤッズ★がこの本を買った理由は、内なる空間について知りたかったからです。
で、ペインボディ篇をすっ飛ばして、今、読み進めているところです。

さてさて、内なる空間とは、、、、いったい何???

形への全面的な同一化から離れると、
意識-本来のあなた-が形という牢獄から解放される。
この空間が内なる空間の誕生だ。(p.245)



ここでいう「形という牢獄」のとはいったい何を指しているのでしょうか?
形、、、、、外観、見た目のことだけを指しているのでしょうか?

このニューア-スによると、「形」とはこの世界に顕れる一時的な状態のことで、いづれ変化して過ぎ去っていってしまうものだと説明しています。確かに全てのものは「うつろうもの」であり、仏教ではこれを「無常」と呼んでいますが、これが天から地へと遍く存在するこの世の真理なのですね。

まさしく、天地真理です(笑)。


(形は変わるもの、、、、もう自転車を漕いで、あの径からは行きたくない)

上の文章だけからは判然としないのですが、「同一化から離れる」ということは、「あれは私のもの」「これは私の肉体」「これは私の思考・感情」というように、あらゆる物事への「自己同一化」を手放すことを意味するのでしょうか?

これならば、日本の場合、クレンジングという優れた手法があって、感情想念層が持つ執着やこだわりを無力化することが可能です。

確かに、自己同一化を手放すことで、自分と事物の間の繋がりを遮断し、客観的に眺めることが出来るようになります。こうなると、あらゆることが自分と無関係になるので、自己の感情に波風が立たなくなりますね。

ここにこそ、神の賜物である「永遠の平安」があるといいます。


あっしとは何の関わりもねぇことでござんす。

悪いなぁ。。。他を当たってくれよ。



グラサンかけた木枯らし紋次郎が脳裏に浮かびますw
この壁というか、虚ろな距離感のことを、エックハルトは「内なる空間」とよんでいるんですね。

う~む、コレって秘教用語でいうところの「霊我(マナス)」のことじゃん(爆)

「霊我(マナス)」は感情が純化されて生成されるといいますが、この純化された領域に自己が入り込んだ状態が次の人類の形態だとシュタイナーはいいます。そして、最後にはいらなくなった肉体を脱ぎ捨てるのだと、、、、、、つまり

肉体 - エーテル体(生気体) - アストラル体(想念感情体) - 自我

という人類の構成から、

エーテル体(生気体) - アストラス体(想念感情体) - 自我 - 霊我

という構成になるというわけです。

これこそ正に、肉体が希薄化し透明化するという「アセンション(次元上昇)」であり、ヒトラーのいうところの人間でない者「神人」であり、ウンモ星人がいうところの「OEMMIIWOA(神=人)」なのです。

オコツトはこのような存在を「天使」といっています(笑)。

実は、シュタイナーも天使はかつての人間だったと語っています。そして、次に「人間」になるのは、今の動物たちで、その際には、今の植物たちが感情を持ち、「動物」へと進化(進級?)するというのです。その時には、今の人類の集合的無意識の中に構築された恐れ、歓び、傾向、、、といった諸々のことが、次の人類の世界を構築する配合比率となって、物質世界となって表現されるとオコツトは語っています。

実際には時間というもの存在しないので、この異なる世界は、既に今、異次元的に存在している?

なにやら、天使-人間-動物-植物-鉱物は、精神の入れ子構造になっているようですね(笑)

matryoshkas-dolls.jpg
(ロシア土産はマトリョーシカ人形で決まり)

スピの伝統では、世の中の物事と自分との一体化、つまりワンネス体験が今後の人間の在るべき究極の意識状態であり、こうなっていくべきだという論調があります。しかし、こと「霊我」育成に関しては、全く逆の方向性ということになりますね。一方は一体化を推し進め、もう一方は一体化を拒否する。。。。。果たして、どちらが正しい道なのでしょうか?

変換人を志向する立場からは、「外に見える世界」は実は自己の内面の投影に過ぎず、その世界に埋没するのは避けるべきで、客観的に眺めるべきものであるという結論になります。

これは「一体化を排除」する道でしょうか?

でも、そうではありません。外界は自己であり、自己と同一(ワンネス)であることを認めつつも、それらを客観的に眺められる方向性こそが、天使への進化(進級?)の道ということになりそうです。

外界とは自分であるが、自分ではない。。。。。

矛盾する内容です(笑)。
両極端の内容ですが、ヤジロベイの支点のように絶妙な位置に自己を置かないと成り立たないです(笑)。

でも、これは実は「紙」の裏表のようなもので、1つ上の次元から見れば、「紙」として1つのものの異なる面であるだけのことだと認識でき、何の矛盾もなく受け入れることが出来ます。それと同じで、意識が1つ上の段階に至ると、すんなりと受け入れることが出来ることだと思っています。

このことは、この世的な言葉で説明しにくいのですが、というより、今のところこういう二律背反的表現が可能な言語体系を人類が持っていないというのが一番の理由なのですが、、、、一番わかり易い例を上げるとすれば、電子が「粒子」と「波動」の2つの異なる性質を持つ点と似ています。

つまり、粒子であるが、粒子ではない。。。。。

物理学では、このことを「確率的に存在する」という言い方をしていますが、ヤッズ★は「重畳的に存在する」という言い方の方が好きです。意識をフォーカスした場合、そのフォーカスした内容通りに現実が立ち現れてくるという感じかな。

アインモンロー
(アインシュタインとマリリンモンローが重畳していますw)

外の世界を「自分であるが、自分ではない」とした生き方はどうなるでしょうか?

ヤッズ★が一番近いと思うのは、自分は八百万(やおおろず)の神々と共にある(=世界と一体化)としながも、それを客観的に眺め粛々と日々を謙虚に生きていき、支配もせず強制も受けず、自発的に調和的な行動をしているが、結果、それが全体としての有効な役割を担う、個を超え自然と調和した意識である

「椎神(かんながら)の道」じゃないかな~♪
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コメント

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二律背反的表現

っていわゆるパラドックスってこと?

初めて知りましたこの言葉(恥)

ヤッズ★さんてホント頭いいね!
それだけじゃなくて洞察力といいその表現力といい。
一介のリーマンにしておくのはもったいないね~

今日はお休みの日なのでじっくりコタツでヤッズ★ワールドに浸ってるよ。

最後の「椎神(かんながら)の道」の文章はまさに私もまったく同感、共感だよ!

ありがとう★なんかとっても勇気が湧いてうれしくなったよ★

ミュルアさ~ん♪

コメントとありがとうございます!

>それだけじゃなくて洞察力といいその表現力といい。
>一介のリーマンにしておくのはもったいないね~

そんなに褒められたら、恥ずかしいっすよw
まぁ、このご時世、そのうちリーマンでは無くなって、百姓やってるかもw

>最後の「椎神(かんながら)の道」の文章はまさに私もまったく同感、共感だよ!

ただ、自然が豊富な日本なので、自然界に神の臨在を認める「椎神(かんながら)の道」は成り立つけど、中東のような砂意外何もないようなところは、神との独占契約という考え方の優勢となり、到底、世界中には受け入れられないとは思っています。