2008.06.29.Sun
♥高次元の言葉使い♥
精神世界の至高本『ヒマラヤ聖者の生活探究』を読んでいて、ヤッズ★が1つ気づいたことがあります。それは、語尾に「〜ではないでしょうか?」という言い回しを非常に多用していることです。
例えば、エミール大師が語った言葉には、このようなものがあります。
「すべての人が一様に真理を正しく掴んでおれば、彼等はその根源を同じくすることになりはしないでしょうか。わたしたちは普遍心(Universal Mind)、即ち神において一つではないでしょうか。わたしたちはすべて一つの大いなる家族ではないでしょうか。すべての子等は、この地上に生まれ出たすべての子等は、その種族や信条はどうあろうと、この大家族の一員ではないでしょうか。」
(第1巻5章「若さを保つ秘訣」より抜粋)
「パンの代わりに僅かなホコリ乃至灰が残っているだけだから。しかし、実は本来の普遍的質量に還元されたのではないでしょうか。それは今、未発の形の中に潜在して後日の再発現を俟(ま)っているのではないでしょうか。燃焼、朽廃、その他種々の過程を経てわたしたちの視界から消えていく有形物は、皆そうしたものではないでしょうか。それらはすべて出発点の普遍原質(即ち神)に返るのではないでしょうか。これが『天より降りたる者は天に昇らざるべからず』ということの意味ではないでしょうか。」
(第1巻7章 「無限供給」より抜粋)
「このような営利主義や制限作用がわたしどもにのしかかってくるということは、わたしどもがそれらの上に出ること、即ち克服しなければならないことを悟らしめつつあるのではないでしょうか。わたしどもも神の完全なみ業をなすべきであること、わたしどもの意識をキリスト意識にまで高めるべきであることを悟るだけで、それが出来るのではないでしょうか。 このことこそイエスが地上でわたしどもに教えられたことではないでしょうか。イエスの生涯は身を以てこのことを示すことであったのではないでしょうか。愛する同胞たちよ、初めに言葉があり、言葉は神と共にありました。皆さんはこのことが本当にお分かりでしょうか。」
(第1巻7章 「無限供給」より抜粋)
う〜む、確かに多い(爆)。
まるで、波状攻撃ですw
この言い回しの多用は、実は真我覚醒者といわれている上江洲師の講話(光話)でも同じです。
以下は、上江洲師が光話(講話)で高次の波動に同調した状態で話された内容ですが、高次の自己、つまり神我になった視点から語られた言葉の為、言い方に最初少し違和感を覚えるかもしれませんが、ご紹介します。
「皆さんが神の愛の言葉を語り生きている時が一番嬉しいと言います。何故ならば私は皆さんの中に無限の愛として実在しているからではないでしょうか。皆さんが決して分離・差別で生きる事のない全一体として、我は全体であり、全体は我なり、我全てであり、全ては我なりという、それが本質そのものではないでしょうか。
この世に一人とて私から分離して生きた者がいるでしょうか。私から分離して生かされている者がいるでしょうか。私という無限の愛の中に創造され、無限の愛を与え生かされたあなた方が、そのままにして無限の愛である事を知ってもらいたい。今から成ろうではありません、難行苦行悟りにあらず、滝行断食今から成す必要がありましょうか。」
■『全体性(ワンネス) 上江州義秀先生光話集より』
http://homepage2.nifty.com/jyotish-gem/eiennohannryo.htm
どちらも同様に問いかけ言葉「〜ではないしょうか?」を多用していますね。
まるで、同一人物が話しているかのようです(爆)。
上江洲師もヒマラヤにテレポテーションして、大師たちから教えを請うたと話されていますので、この言葉使いの源流は同じだといえそうです(笑)。
ヤッズ★も実際に光話に参加したことがあるのですが、その際、「〜でしょうか?」という言い回しがとても多いなぁと非常に気になった経緯があります。
「〜ではないですか?」は、くだけた言い方では「〜じゃあ〜りませんか?」になります。
うっ! こ、これはチャーリー(浜)のギャグじゃあ〜りませんか!

(難波の聖人・チャーリー浜)
そういえば、この『煩悩くんフルスロットル』のブログ名も、元々は『チャーリーズ・エンジェル・フルスロットル』をもじって付けています。また、「転送装置」という記事を書いた時にもチャーリーが登場してきていますね。
この登場頻度は尋常じゃありません。
このシンクロというか、この展開は決して見過ごすことが出来ないものです(爆)。
ヤッズ★とチャーリーは、ツインソウル!!!
(↑男同士のツインソウルは、確か無かったと思いますが、、、、)
あるいは、ヤッズ★のガイドは「チャーリー」という名なのかもしれません(爆)。
まぁ、冗談はさておき、「問い」は「答え」の別な面であるといいます。
「問い」を発する際には、実は既に「答え」は用意されていると言われています。実際、2極化世界では、「問い」というものを生み出した際には、その対(つい)である「答え」が既に分離され存在しており、その「答え」を受け取るまでの時間が長いか短いかで、自己の覚醒度が計れるともいう話もあるほどです。
心底敬愛している師から「〜ではないですか?」という言葉使いを聞いた場合、疑うことなくその言葉をスムースに吸収してしまいます。そして、聞いた本人も自分に向けて自然と問い掛けをすることになります。ここがポイントです。その後、相手に自分なりの「答え」を自然想起させることができるわけです。自分を安易に妄信させない為の師の心使いではないでしょうか。ですから、この方法は人の魂を導く際、とても優れたメソッドとなるのではないでしょうか。
逆に、断定口調には発信者に対する「肯定」「追従」を要求されます。極端な場合には、思考停止状態となり、語られる内容そのままを何の批判も無しに受入れてしまい「盲従」してしまうことになりかねません。
これでは、人の心魂は成長しないと思いませんか?
だからこそ、ヒマラヤ大師や上江洲師のような高次元意識の方は、「〜だ」というような断定口調を避け、「〜ではないですか?」や「〜じゃあ〜りませんか?」という言い回しを敢て多用しているんじゃあ〜りませんか?(ニタリ)
こんな高次元の言葉使いを常日頃から
言ってみたいと思いませんかぁ?
ウッフッフ〜♪ (←井上陽水風)
(追記)
この記事アップした途端、Jr.が「久しぶ〜りに見たい〜♪」と言いながら、『チャーリーとチョコレート工場』のDVDを見始めました。こ、このシンクロはい、いったい。。。。。
例えば、エミール大師が語った言葉には、このようなものがあります。
「すべての人が一様に真理を正しく掴んでおれば、彼等はその根源を同じくすることになりはしないでしょうか。わたしたちは普遍心(Universal Mind)、即ち神において一つではないでしょうか。わたしたちはすべて一つの大いなる家族ではないでしょうか。すべての子等は、この地上に生まれ出たすべての子等は、その種族や信条はどうあろうと、この大家族の一員ではないでしょうか。」
(第1巻5章「若さを保つ秘訣」より抜粋)
「パンの代わりに僅かなホコリ乃至灰が残っているだけだから。しかし、実は本来の普遍的質量に還元されたのではないでしょうか。それは今、未発の形の中に潜在して後日の再発現を俟(ま)っているのではないでしょうか。燃焼、朽廃、その他種々の過程を経てわたしたちの視界から消えていく有形物は、皆そうしたものではないでしょうか。それらはすべて出発点の普遍原質(即ち神)に返るのではないでしょうか。これが『天より降りたる者は天に昇らざるべからず』ということの意味ではないでしょうか。」
(第1巻7章 「無限供給」より抜粋)
「このような営利主義や制限作用がわたしどもにのしかかってくるということは、わたしどもがそれらの上に出ること、即ち克服しなければならないことを悟らしめつつあるのではないでしょうか。わたしどもも神の完全なみ業をなすべきであること、わたしどもの意識をキリスト意識にまで高めるべきであることを悟るだけで、それが出来るのではないでしょうか。 このことこそイエスが地上でわたしどもに教えられたことではないでしょうか。イエスの生涯は身を以てこのことを示すことであったのではないでしょうか。愛する同胞たちよ、初めに言葉があり、言葉は神と共にありました。皆さんはこのことが本当にお分かりでしょうか。」
(第1巻7章 「無限供給」より抜粋)
う〜む、確かに多い(爆)。
まるで、波状攻撃ですw
この言い回しの多用は、実は真我覚醒者といわれている上江洲師の講話(光話)でも同じです。
以下は、上江洲師が光話(講話)で高次の波動に同調した状態で話された内容ですが、高次の自己、つまり神我になった視点から語られた言葉の為、言い方に最初少し違和感を覚えるかもしれませんが、ご紹介します。
「皆さんが神の愛の言葉を語り生きている時が一番嬉しいと言います。何故ならば私は皆さんの中に無限の愛として実在しているからではないでしょうか。皆さんが決して分離・差別で生きる事のない全一体として、我は全体であり、全体は我なり、我全てであり、全ては我なりという、それが本質そのものではないでしょうか。
この世に一人とて私から分離して生きた者がいるでしょうか。私から分離して生かされている者がいるでしょうか。私という無限の愛の中に創造され、無限の愛を与え生かされたあなた方が、そのままにして無限の愛である事を知ってもらいたい。今から成ろうではありません、難行苦行悟りにあらず、滝行断食今から成す必要がありましょうか。」
■『全体性(ワンネス) 上江州義秀先生光話集より』
http://homepage2.nifty.com/jyotish-gem/eiennohannryo.htm
どちらも同様に問いかけ言葉「〜ではないしょうか?」を多用していますね。
まるで、同一人物が話しているかのようです(爆)。
上江洲師もヒマラヤにテレポテーションして、大師たちから教えを請うたと話されていますので、この言葉使いの源流は同じだといえそうです(笑)。
ヤッズ★も実際に光話に参加したことがあるのですが、その際、「〜でしょうか?」という言い回しがとても多いなぁと非常に気になった経緯があります。
「〜ではないですか?」は、くだけた言い方では「〜じゃあ〜りませんか?」になります。
うっ! こ、これはチャーリー(浜)のギャグじゃあ〜りませんか!

(難波の聖人・チャーリー浜)
そういえば、この『煩悩くんフルスロットル』のブログ名も、元々は『チャーリーズ・エンジェル・フルスロットル』をもじって付けています。また、「転送装置」という記事を書いた時にもチャーリーが登場してきていますね。
この登場頻度は尋常じゃありません。
このシンクロというか、この展開は決して見過ごすことが出来ないものです(爆)。
ヤッズ★とチャーリーは、ツインソウル!!!
(↑男同士のツインソウルは、確か無かったと思いますが、、、、)
あるいは、ヤッズ★のガイドは「チャーリー」という名なのかもしれません(爆)。
まぁ、冗談はさておき、「問い」は「答え」の別な面であるといいます。
「問い」を発する際には、実は既に「答え」は用意されていると言われています。実際、2極化世界では、「問い」というものを生み出した際には、その対(つい)である「答え」が既に分離され存在しており、その「答え」を受け取るまでの時間が長いか短いかで、自己の覚醒度が計れるともいう話もあるほどです。
心底敬愛している師から「〜ではないですか?」という言葉使いを聞いた場合、疑うことなくその言葉をスムースに吸収してしまいます。そして、聞いた本人も自分に向けて自然と問い掛けをすることになります。ここがポイントです。その後、相手に自分なりの「答え」を自然想起させることができるわけです。自分を安易に妄信させない為の師の心使いではないでしょうか。ですから、この方法は人の魂を導く際、とても優れたメソッドとなるのではないでしょうか。
逆に、断定口調には発信者に対する「肯定」「追従」を要求されます。極端な場合には、思考停止状態となり、語られる内容そのままを何の批判も無しに受入れてしまい「盲従」してしまうことになりかねません。
これでは、人の心魂は成長しないと思いませんか?
だからこそ、ヒマラヤ大師や上江洲師のような高次元意識の方は、「〜だ」というような断定口調を避け、「〜ではないですか?」や「〜じゃあ〜りませんか?」という言い回しを敢て多用しているんじゃあ〜りませんか?(ニタリ)
こんな高次元の言葉使いを常日頃から
言ってみたいと思いませんかぁ?
ウッフッフ〜♪ (←井上陽水風)
(追記)
この記事アップした途端、Jr.が「久しぶ〜りに見たい〜♪」と言いながら、『チャーリーとチョコレート工場』のDVDを見始めました。こ、このシンクロはい、いったい。。。。。


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