2006.07.01.Sat
♥視覚化のコツ♥
願望実現には、視覚化が非常に重要であるとよく言われますが、ヤッズ★には、いまいち「視覚化」とはどういうことなのか、よく分かりませんでした。
頭に思い浮かべる夢のようなイメージなのか、目蓋の裏に見える像なのか、それとも第3の目に思い描く像なのか、はたまた水晶球の表面に投影する像なのか、いったいどれを指しているのでしょうか?
そこで、W.E.バトラー著「魔法修行」に載っている「視覚化」について、まとめてみることにしました。
視覚化の基本的な流れは、「イメージ形成」→「イメージ想起」です。
■「イメージ形成」
これは、心の中に心像を打ち建てることを意味します。
普通、「視覚化」とは文字通りに受け取り、視覚から生じた像を形成することだと思ってしまいますが、本当の視覚化とは、五感すべてにわたって感じ取ったさまざまな印象から成る複合的な心像を形成することなのです。
また、この時できる像は、単に平面的なイメージではなく、三次元的な「身のまわり」を取り囲むような像とならないとなりません。
たとえば、ナイアガラの滝の心像を作る場合、この滝のありさまを視覚的に思い浮かべるだけでなく、その音、その水の音、その匂い、体にかかる水しぶきの感じを、ありありと自分の身の周りに思い浮かべなくてならないのです。

この複合的心像を打ち立てること自体が、実は瞑想に役立つのです。
この複合的心像を作るときのコツは、ある心像に対して次々と強調点を変えながら、心の観点を移していくことです。心像の一点に集中すると一種の自己催眠状態に移行してしまいますが、これをすることで避けることが可能となるのです。
例えば、ある絵画を見る場合のように、顔、瞳、口、手、指、服、周りの景色...等のように注目する位置を次々と変えていきます。
■「イメージ想起」
これは、打ち建てたイメージを浮かび上がらせることを意味します。
意識を「心の中に、ある空間を空けておく」ことに集中する。この空間に深層に隠れていたさまざまなイメージをその中に浮かび上がらせます。
ヤッズ★が前の記事で書いた「視覚化(心像の投影)」と原理は同じですね。あの時は残像を利用しましたが。
では、この空間を確保するためには、雑念でとり散らかった心の中に「作業場」を準備する必要があります。
それは、瞑想中、心の中で自分の周りに銀色をした光の壁を思い描き、外の世界から遮断されているさまを感じるようにします。そして、その壁が自分を中心にぐるりと時計方向に回っている状態にします。
行法の間は、いかなる外的な条件も絶対にこの壁の内部には入れないという「意向」をはっきりと心に保ちます。
その間には、いろいろなイメージが意識の中に湧き起こってきますが、それに感情を動かされてはいけません。湧き起こるまま、ただひたすら観察します。その後、自分がその雑念を光の防護壁の外へ押し出しているさまを思い描くのです。
雑念は何度も湧き上がってきますが、こうして対処すれば、もう悩まされることはなくなります。
こうして雑念が入ってこないクリアな「作業場」が完成し、イメージの観察に専念することができるのです。
この銀色の光の防護壁の内側こそ、先の空間であり、打ち建てた思念像をこの空間内に浮かび上がらせるのです。
■心像の明瞭化
さて、心像を描く場合に、それが明瞭であればいうことはないのですが、おぼろげで、曖昧で、クッキリしないのが普通です。
明瞭なイメージを上手に形成する唯一の方法は、「観察力」を鍛える以外にないのです。
では、この観察力を身につけるには、どうしたらいいのでしょうか?
最上の方法は、その日の出来事を子細に観察することです。例えば、通勤途上の電車のなかで、注意力を自分の周りに起こっていることに向けます。そして、意識的に周りの人が何を行っているかをさりげなく観察し続けるのです。

「今、おじさんがアクビした。」
「胸に赤い羽根を付けている。」
「靴を脱いでるな。」
「靴の色は茶色か。」
「横に青いバックを置いてるな。」
このようにして観察力を高めていくのです。
先天的に心像が明瞭化できる人は、紙を見るだけで、その紙に心像を投影が出来、詳細な影絵を切り抜くことが出来ます。
著名な彫刻家が「大理石から像を作るのではなく、大理石に埋まっている像を掘り出すのだ」と言ったという話を聞いたことがあるかもしれません。
これは全く同じことを言っているのです。
頭に思い浮かべる夢のようなイメージなのか、目蓋の裏に見える像なのか、それとも第3の目に思い描く像なのか、はたまた水晶球の表面に投影する像なのか、いったいどれを指しているのでしょうか?
そこで、W.E.バトラー著「魔法修行」に載っている「視覚化」について、まとめてみることにしました。
視覚化の基本的な流れは、「イメージ形成」→「イメージ想起」です。
■「イメージ形成」
これは、心の中に心像を打ち建てることを意味します。
普通、「視覚化」とは文字通りに受け取り、視覚から生じた像を形成することだと思ってしまいますが、本当の視覚化とは、五感すべてにわたって感じ取ったさまざまな印象から成る複合的な心像を形成することなのです。
また、この時できる像は、単に平面的なイメージではなく、三次元的な「身のまわり」を取り囲むような像とならないとなりません。
たとえば、ナイアガラの滝の心像を作る場合、この滝のありさまを視覚的に思い浮かべるだけでなく、その音、その水の音、その匂い、体にかかる水しぶきの感じを、ありありと自分の身の周りに思い浮かべなくてならないのです。

この複合的心像を打ち立てること自体が、実は瞑想に役立つのです。
この複合的心像を作るときのコツは、ある心像に対して次々と強調点を変えながら、心の観点を移していくことです。心像の一点に集中すると一種の自己催眠状態に移行してしまいますが、これをすることで避けることが可能となるのです。
例えば、ある絵画を見る場合のように、顔、瞳、口、手、指、服、周りの景色...等のように注目する位置を次々と変えていきます。
■「イメージ想起」
これは、打ち建てたイメージを浮かび上がらせることを意味します。
意識を「心の中に、ある空間を空けておく」ことに集中する。この空間に深層に隠れていたさまざまなイメージをその中に浮かび上がらせます。
ヤッズ★が前の記事で書いた「視覚化(心像の投影)」と原理は同じですね。あの時は残像を利用しましたが。
では、この空間を確保するためには、雑念でとり散らかった心の中に「作業場」を準備する必要があります。
それは、瞑想中、心の中で自分の周りに銀色をした光の壁を思い描き、外の世界から遮断されているさまを感じるようにします。そして、その壁が自分を中心にぐるりと時計方向に回っている状態にします。
行法の間は、いかなる外的な条件も絶対にこの壁の内部には入れないという「意向」をはっきりと心に保ちます。
その間には、いろいろなイメージが意識の中に湧き起こってきますが、それに感情を動かされてはいけません。湧き起こるまま、ただひたすら観察します。その後、自分がその雑念を光の防護壁の外へ押し出しているさまを思い描くのです。
雑念は何度も湧き上がってきますが、こうして対処すれば、もう悩まされることはなくなります。
こうして雑念が入ってこないクリアな「作業場」が完成し、イメージの観察に専念することができるのです。
この銀色の光の防護壁の内側こそ、先の空間であり、打ち建てた思念像をこの空間内に浮かび上がらせるのです。
■心像の明瞭化
さて、心像を描く場合に、それが明瞭であればいうことはないのですが、おぼろげで、曖昧で、クッキリしないのが普通です。
明瞭なイメージを上手に形成する唯一の方法は、「観察力」を鍛える以外にないのです。
では、この観察力を身につけるには、どうしたらいいのでしょうか?
最上の方法は、その日の出来事を子細に観察することです。例えば、通勤途上の電車のなかで、注意力を自分の周りに起こっていることに向けます。そして、意識的に周りの人が何を行っているかをさりげなく観察し続けるのです。

「今、おじさんがアクビした。」
「胸に赤い羽根を付けている。」
「靴を脱いでるな。」
「靴の色は茶色か。」
「横に青いバックを置いてるな。」
このようにして観察力を高めていくのです。
先天的に心像が明瞭化できる人は、紙を見るだけで、その紙に心像を投影が出来、詳細な影絵を切り抜くことが出来ます。
著名な彫刻家が「大理石から像を作るのではなく、大理石に埋まっている像を掘り出すのだ」と言ったという話を聞いたことがあるかもしれません。
これは全く同じことを言っているのです。
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