2008.01.29.Tue
♥愛だろ、愛♥
【100日ブログ 第3日目】 自己変容まであと97日
スピではよく「愛」と言う言葉を使います。
この言葉を使うことは、かなり恥ずかしいという感じをもっていました。
日本ではどちらかというと男女間の恋愛に使われることが多い言葉だからでしょう、ヤッズ★の頭のなかには、かなりのバイアスが掛かっていたのもしれません。
ここで少し「愛」について調べてみました。
(↑愛は調べるものではなく、感じるものであることは充分承知していますが・爆)
日常用語的には感情の一種であり、<何かの対象を肯定する気持ち>、<対象に存在意義や価値を見出したり「快」を感じたりする気持ち>であるといわれています。
キリスト教ではギリシャ哲学を援用して「愛」を4つに分類していますが、これが意外と分かりやすいので少し説明しますと、
【エロス】(恋愛、夫婦愛)
肉体的な愛。主に男女関係の愛
初恋から始まり、本格的な恋愛を経て結婚し夫婦愛至るもの。肉体的には性愛
対象の価値を求める、自分本位の愛。見返りを求める愛
【ストルゲー】(情愛、肉親愛)
これは親子、兄弟姉妹などの血縁の極めて近い者に対する愛
従う愛。尊敬を含む愛。親子関係や師弟関係にある愛
【フィーリア】 (友愛、朋友愛)
自分の好みに合い、自分と共通な場を持つ者に対する愛
自分を与える事で他人を生かす愛
【アガペー】 (聖愛、神的愛)
無条件の愛。万人に平等な愛。神が私達に与える愛。見返りを求めない愛
キリスト教でいうところの一般的な「愛」

(ティツィアーノ『マグダラのマリア』1530年 エロスとアガペーを同時に表現)
上記3つの【エロス】【ストルゲー】【フィーリア】は、「人間的な愛」と言われます。
※このかなから【エロス】だけを代表させて、【エロス】(人間愛)と【アガペー】(神的愛)として対比する場合も多い。
真の愛である【アガペー】とは根本的に異なります。「人間的な愛」はある特定の人や対象物しか愛せない偏った愛であり、つまるところ、それは「排他的な愛」なのです。
まぁ、主体客体が分離された人間であるゆえ、どうしても客体となる対象物が必要となってしまう為、全的な【アガペー】は持ち得ないのでしょうね。
この真の愛【アガペー】の模倣、部分的なもの、あるいは劣化したものが【エロス】【ストルゲー】【フィーリア】であると言い換えることができるかもしれません。【愛】を向ける対象の違いだけなのかもしれません。
では、スピでいうところの「愛」とは何でしょうか?
「この世は「愛」の波動でできている」というような表現を多用することから、多分、真の愛【アガペー】を指していると思います。排他的・差別的な「人間的愛」では有り難味が薄れますからね。ただ、対象物を持たない「アガペー的愛」は人間には馴染まないと思います。この波動を送る際は、きっと、自己を滅却した主体客体が統合した状態でないと発動しないでしょうね。
英語のLOVEには、日本語のように【恋】【愛】という区分を付けていませんが、これはどういった違いがあるのでしょうか?一般的には、下記のように言われています。
【恋】・・・一方的な思慕の情
【愛】・・・常に相手の立場を慮る心遣い
もう少し分かりやすい言葉でいうと、SMAPの中居がTVで発していた言葉なのですが、
下に心(下心)があるのが、【恋】といい、
真ん中に心があるのが、【愛】である。
中居もなかなかいいこと言うなぁ。。。。
つまり、本義的には【恋】=【エロス】というわけです。
日本の場合、【愛】の上に言葉を付けないと自動的に【エロス】を指してしまいますので、ここでボタンの掛け違いが起きてしまっているのですね。【愛】という言葉が日常で汎用的に使い難い理由の1つです。
【エロス】とはギリシャ神話に出てくる男性神ですが、このような逸話があります。プシュケーという魂を表す女神がいるのですが、彼女のもとに夫であるエロスが夜な夜な現れるにも関わらず、決して明かりをつけず、正体を明かさないのに疑念を抱き、とうとう明かりをつけてエロスを見てしまう。神にとって姿を見られるのは忌むべき事とされていて、姿を見られたエロス(受難の愛)はプシュケーの前から姿を消してしまう。しかしエロスに会いたい一心のプシュケーはアフロディテ(金星)の難題を克服し、ようやくエロスと結ばれる事になる。ちなみに、エロスとプシュケーの間にはウォルプタス(喜び)という子供が生まれた。
この物語には、人の「魂」には秘匿された状態で「性愛」が必要であり、そこには「喜び」というものが生まれるということを示唆しています。
なななか意味深な内容です。
では、【萌え】はどうでしょうか?(爆)
「快」を感じる気持ちという定義から、【萌え】も十分【愛】に分類されます。ただ、【萌え】はリアルな男女間にではなく、抽象化された異性的表現を有する2次元アニメやそれに類するもの(フィギュア)に【エロス】を感じる感情ですが、見返りを求めない点からは【アガペー】的要素も持つ<非常に崇高な感情>といえましょうか(爆)。
また、グループチャットの場合は、当然、【フィーリア】でしょう。
ここに【エロス】や【ストルゲー】を持ち込んだら、凄いものになりそうな予感。
まさに、【愛】のゴッタ煮状態。
「快」感じる対象が全方向的になるがゆえ、より【アガペー】に近いものになる?(爆)。
スピではよく「愛」と言う言葉を使います。
この言葉を使うことは、かなり恥ずかしいという感じをもっていました。
日本ではどちらかというと男女間の恋愛に使われることが多い言葉だからでしょう、ヤッズ★の頭のなかには、かなりのバイアスが掛かっていたのもしれません。
ここで少し「愛」について調べてみました。
(↑愛は調べるものではなく、感じるものであることは充分承知していますが・爆)
日常用語的には感情の一種であり、<何かの対象を肯定する気持ち>、<対象に存在意義や価値を見出したり「快」を感じたりする気持ち>であるといわれています。
キリスト教ではギリシャ哲学を援用して「愛」を4つに分類していますが、これが意外と分かりやすいので少し説明しますと、
【エロス】(恋愛、夫婦愛)
肉体的な愛。主に男女関係の愛
初恋から始まり、本格的な恋愛を経て結婚し夫婦愛至るもの。肉体的には性愛
対象の価値を求める、自分本位の愛。見返りを求める愛
【ストルゲー】(情愛、肉親愛)
これは親子、兄弟姉妹などの血縁の極めて近い者に対する愛
従う愛。尊敬を含む愛。親子関係や師弟関係にある愛
【フィーリア】 (友愛、朋友愛)
自分の好みに合い、自分と共通な場を持つ者に対する愛
自分を与える事で他人を生かす愛
【アガペー】 (聖愛、神的愛)
無条件の愛。万人に平等な愛。神が私達に与える愛。見返りを求めない愛
キリスト教でいうところの一般的な「愛」

(ティツィアーノ『マグダラのマリア』1530年 エロスとアガペーを同時に表現)
上記3つの【エロス】【ストルゲー】【フィーリア】は、「人間的な愛」と言われます。
※このかなから【エロス】だけを代表させて、【エロス】(人間愛)と【アガペー】(神的愛)として対比する場合も多い。
真の愛である【アガペー】とは根本的に異なります。「人間的な愛」はある特定の人や対象物しか愛せない偏った愛であり、つまるところ、それは「排他的な愛」なのです。
まぁ、主体客体が分離された人間であるゆえ、どうしても客体となる対象物が必要となってしまう為、全的な【アガペー】は持ち得ないのでしょうね。
この真の愛【アガペー】の模倣、部分的なもの、あるいは劣化したものが【エロス】【ストルゲー】【フィーリア】であると言い換えることができるかもしれません。【愛】を向ける対象の違いだけなのかもしれません。
では、スピでいうところの「愛」とは何でしょうか?
「この世は「愛」の波動でできている」というような表現を多用することから、多分、真の愛【アガペー】を指していると思います。排他的・差別的な「人間的愛」では有り難味が薄れますからね。ただ、対象物を持たない「アガペー的愛」は人間には馴染まないと思います。この波動を送る際は、きっと、自己を滅却した主体客体が統合した状態でないと発動しないでしょうね。
英語のLOVEには、日本語のように【恋】【愛】という区分を付けていませんが、これはどういった違いがあるのでしょうか?一般的には、下記のように言われています。
【恋】・・・一方的な思慕の情
【愛】・・・常に相手の立場を慮る心遣い
もう少し分かりやすい言葉でいうと、SMAPの中居がTVで発していた言葉なのですが、
下に心(下心)があるのが、【恋】といい、
真ん中に心があるのが、【愛】である。
中居もなかなかいいこと言うなぁ。。。。
つまり、本義的には【恋】=【エロス】というわけです。
日本の場合、【愛】の上に言葉を付けないと自動的に【エロス】を指してしまいますので、ここでボタンの掛け違いが起きてしまっているのですね。【愛】という言葉が日常で汎用的に使い難い理由の1つです。
【エロス】とはギリシャ神話に出てくる男性神ですが、このような逸話があります。プシュケーという魂を表す女神がいるのですが、彼女のもとに夫であるエロスが夜な夜な現れるにも関わらず、決して明かりをつけず、正体を明かさないのに疑念を抱き、とうとう明かりをつけてエロスを見てしまう。神にとって姿を見られるのは忌むべき事とされていて、姿を見られたエロス(受難の愛)はプシュケーの前から姿を消してしまう。しかしエロスに会いたい一心のプシュケーはアフロディテ(金星)の難題を克服し、ようやくエロスと結ばれる事になる。ちなみに、エロスとプシュケーの間にはウォルプタス(喜び)という子供が生まれた。
この物語には、人の「魂」には秘匿された状態で「性愛」が必要であり、そこには「喜び」というものが生まれるということを示唆しています。
なななか意味深な内容です。
では、【萌え】はどうでしょうか?(爆)
「快」を感じる気持ちという定義から、【萌え】も十分【愛】に分類されます。ただ、【萌え】はリアルな男女間にではなく、抽象化された異性的表現を有する2次元アニメやそれに類するもの(フィギュア)に【エロス】を感じる感情ですが、見返りを求めない点からは【アガペー】的要素も持つ<非常に崇高な感情>といえましょうか(爆)。
また、グループチャットの場合は、当然、【フィーリア】でしょう。
ここに【エロス】や【ストルゲー】を持ち込んだら、凄いものになりそうな予感。
まさに、【愛】のゴッタ煮状態。
「快」感じる対象が全方向的になるがゆえ、より【アガペー】に近いものになる?(爆)。

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