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天神系について

lコメントありがとうございます。

長くなりそうなので記事化しました。

> α:南朝側のカラスさん達や、β:北朝側のサンカさん達、γ:このどちらでもない最も古くからの歴史を持つと言う方々を合わせて、俸公衆と考えて下さい。この方達も上層部では、世界大戦の様な大きなインフラ破壊は望んでいないのです。

> しかし、長きに渡りαとβは光と闇の役割を二元論に基づき演じる洗脳を受けて来て居て、下部組織になると、そのストーリーを生涯の使命どころか、一族末裔までの使命と信じ、行き過ぎの行動を取るようになってしまっているのです。

> γが最終的に、それらを調整していると考えて下さい。そして現在この行き過ぎ行動を起こしそうなのが、βの下部組織なのです。私に上海での動きを知らせてくれたのも、βの古株の方で「困ったものだ・・・」とこぼしておりました。αの行いも様々な悪を含みますが、大きな流れの中では封建制度から民衆を解放した立役者として光を浴びる側の役回りなのです。大雑把に言えば、αがメーソンに対応し、βがイエズス会に対応すると考えると分かり易いでしょう。


上記は名無し先生の言葉ですが、αβγはそれぞれ、、、、

α:天孫系・・・南朝(カラス) ←メーソン関与
β:地祇系・・・北朝(サンカ) ←イエズス会関与
γ:天神系・・・最も古くからの歴史を持つと言う方(客家=ペリシテ人=海の民)

という図式になります。

ちなみに、βの下部組織というのが、江戸から明治・大正・昭和と北朝の下働きを散々したが決して利権(宗教団体への寄付)に有りつけなかった大本。水面下で北朝鮮に影響力を行使し、瀋陽地区を中国から切り離し朝鮮族と満州族からなる「ネオ満州国」樹立を図っていたとされます。それが先の上海の話ですね。

さてさて話は戻って、、、、

東北で十三湊を拠点に大陸と交易し、仙台に都していたのが日本原住民(国津神)になるわけですが、これはどう考えても蝦夷、アイヌ...等からなる地祇系でしょう。ただ「最も古くからの歴史」=日本に最も古くからという意味ではなく、最も古いが故に大陸の東端に日本列島があることを知っていた海の民(天神系)という意味だと思います。彼ら自体は交易が主で大陸側に住み、最初は日本列島には居住していなかったのでしょう。居住を始めたのが白村江の戦いに負けた後であり、それが藤原氏としてあるのではないでしょうか!?

藤原不比等から始まる藤原氏はレビ族=天神系ですが、レビ族が南北に分かれて宗教支配していた「かの地」のように、ここ日本でも同様に南北二派に分かれて統治していたのだと思います。それが西国・天孫系・南朝・・・九条閥、東国・地祇系・北朝・・・近衛閥という対立構造。そしてこの二派閥を影からコントロールしていたのが天神系公家(コウケ)とも呼べる閑院流藤原氏。

摂関家より一段低い家格の久我・三条西園寺徳大寺・花山院・大炊御門・今出川・広幡・醍醐の9家からなる「清華家」ですが、その多くは閑院流藤原氏(太字)が占めています。

確か、高度自給自足ブログでも【現代日本人が本当に勉強しなければならない摂家に次ぐ清華家という家格】という記事で、閑院流=カイン、西園寺=ザイオン(シオン) という風に取上げられていましたね。

■【現代日本人が本当に勉強しなければならない摂家に次ぐ清華家という家格】
http://jfcoach.blog49.fc2.com/blog-entry-321.html

オイラはこの天神系公家(コウケ)に繋がるのが○○○宮だと睨んでいますが、ただ、どちらが上が下かは判然としませんが、、、、(笑)。

この○○○宮がBrexit(英国EU離脱)、トランプ政権樹立...等のグローバリスム=世界統一政府=NWO(炭素税が財源)に対抗して民族主義的な戻しを進めているバックとだという話でしたね。

ちなみに、聖書でいう北イスラエル国というのは本当には実在せず、ペリシテ人の治める地(に離散して住んでいた程度のもの。南ユダ国のソロモン神殿にしてもソロモン時代の第一神殿の頃の住居跡が見つからず、実は第二神殿の頃に建造されたのが本当ではないかとも現在では言われています。

明治維新で侯爵から公爵(デューク)に家格が上昇した家は三条、西園寺・徳大寺の御三家www。まぁ、和宮降嫁の可否を握って公武合体の鍵を握っていた羽林家の岩倉家や中山家も明治維新で公爵になっていますが、この勢力のフロント係として活動したので飛び級出世したというわけです。

この南北二派と閑院流の対立構造は、平清盛の時代、九尾妖狐こと玉藻前のモデルとされた鳥羽上皇寵愛の美福門院(藤原得子)の時には藤原氏は上皇派と天皇派に分かれて勢力争いをしていますが、閑院流は信西(藤原通憲)がいた上皇派。つまり院政を行う治天の君(上皇)に従属・密着した存在である「院近臣」のことですが、国司の受領系や実務官僚からなる実務派の中流貴族が主体で、権威筋の摂関家や有力寺社とは対立。

閑院流は摂家御堂流分裂以前以後も門閥にも属していないことから独自の利権を持っていたのでしょう。特に左三巴の西園寺が最も力を持っていたといいます。というのも、宇治川~淀川~瀬戸内海~北九州~五島列島までが西園寺家所領であることから、この間の河川海上交通を掌握しています。更に宋に唐船を独自派遣して貿易を行っていたことから中国側とも非常に懇意な間柄。江戸時代の鎖国でも一部の大名家にだけ許されていた唐との独占的な貿易もこの天神系が背後で絡んでいたと睨んでいます。また東国の窓口でもある「関東申次」の役職を代々世襲していることから、西と東、、、つまり天孫系と地祇系を自在にコントロール出来る位置。大陸貿易を守る為に江戸幕府開幕時にはイエズス会勢力のホルトガル貿易を廃してメーソンのオランダ勢力と組んで貿易窓口を長崎だけに限定する「鎖国」に舵を切らせたわけですが、幕末時になって幕府が欧米と通商条約を結ぶと一番困る公家でもあった。

そこで、天神系賀茂出自である三つ葉葵の徳川家と組んで大政奉還を演出して南朝を立て、南朝政権が樹立すると今までの大陸貿易から欧米貿易に鞍替えしていった。

ここで妄想を逞しくすれば、、、、

この天皇・上皇に分かれた対立構造が来年早々に再現されるかもしれませんねぇ~。

上皇派となるのが、キムチ・パンチョッパリ・ネオ満州・日本会議...等のイエズス会勢力(レッドチーム)になるでしょうか!!

九尾妖狐は貴狐ととも称されますが、この名と呼び方が同じ人もいます(爆)。ナマズ宮を「皇太弟」とせず「皇太子待遇」としているのも「女帝でGO!」の布石となってのかもしれませんが、「皇太弟」に関しては、玉藻前(藤原得子)の頃、崇徳天皇の譲位の際、近衛天皇を「皇太子」ではなく「皇太弟」と称されて怨霊化した崇徳天皇の一件を彷彿とさせます。

う~む、、歴史は繰り返すのか?
確か、あの時は摂関家が完全凋落してしまったのだが、、、、

まとまりのない文章になってしまいました。。。。(滝汗)
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コメント

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早速のご解答、更なるご考察、記事にまでして頂きありがとうございます。
ようやくこれで、大まかな流れ、グループ分けが理解、整理出来て来ました。
かれこれ5年ぐらいもやもや考えていたので、本当にありがたい。

一三湊辺りは南部石川ですが蘇我の子孫も石川ですよね。蘇我『継体』の血脈に南部が養子を入れたのでしょうかね?
この辺りは南部、安東、浅利『武田』入り乱れた場所。松前が武田氏を名乗ったのも徳川政権に従うためには武田の血が入っているといったほうが有利だったのだろうけど、普通に考えたら若狭武田の子孫てより、浅利の子孫てほうが松前氏は自然ですけどね。

消えた吉備氏というのがあってこれが出雲が国津系なら吉備が天神だと思いますが、吉備は伽耶あたりに移住しています。
それが百済、新羅両方の王族と混血してまた日本に戻っている印象があります。

豊臣政権で重要視された宇喜多、浮田が吉備です。宇喜多は豊臣であり、藤原氏であるということです。で朝鮮を攻めたのもスポンサの意向でしょうから。

木下氏は農民出身て説から最近は今川義元と後継者争いで破れた方の家臣が帰農した説が有力で『織田なら農民出身でも出世できたかもしれかいけど、今川スタートなら全くの農民からのスタートは無理だろう』ということで後継者争いで破れた今川家臣という説を指示しています。木下姓は九州探題になった今川についてきたという説もあります。織田にせよ、豊臣にせよ九州を重要視しているためにこれも信じています。

今川が九州探題の頃に少弐と争っています。少弐→龍造寺系の家臣に木下という家があります。これが織田政権の中で秀吉が出世できた理由だと思います。

天神といえば大宰府天満宮で九州。
菅原道真の子孫を自称した武士が前田氏
これが秀吉となかがよく
対馬、北九州から瀬戸内海『四国』を基盤として支配した勢力というのも吉備を中心とした古代勢力と考えたらしっくり来ます。秀吉に関しては政治的なタブーが昔からあるでしょうから特に朝鮮併合したら加藤清正と秀吉

伽耶は現在の地名では釜山といいます。
ここは吉備と関わりが深い地域。そして原発がありますね。
菅原道真は天神様と言われ菅原氏の元の氏族は土師氏といい、やまと政権と吉備地域の古墳作りをになった一族です。
吉備の氏族からやまと直属化した氏族と考えています。出雲『蝦夷、蘇我、継体、越、国津神』より歴史が古く後からきた出雲に日本海側をとられた内海の海の民です。

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四国(瀬戸内海側)は元々物部(吉備)の土地だったけど、瀬戸内海から遠い土地に蘇我の部民が置かれた(未開宅地に新規参入した)場所が宗我部。
蘇我は全盛期は河内、摂津、淡路島くらいまで所有。
秦氏はおそらく元々蘇我勢力の一部。
蘇我本体が弱くなり独立した勢力
宗我部に秦氏と武田姓の源氏がやってきて両方、宗我部を名乗り区別するために秦氏は長宗我部、武田は香宗我部を名乗る。
物部氏の痕跡は犬神。
犬神は犬というより、狐、イタチ、犬という広範囲の動物を意味して古代は県犬飼氏で現在の痕跡は闘犬。
そして闘犬はギャンブル利権でもある。
桃太郎の猿、犬、鳥は吉備勢力の氏を意味して鳥飼部のギャンブル利権にはシャモがある。猿は神社

吉備勢力→天神系と仮定して、吉備の繁栄の元は古くからあった神社での催し物。シャモや闘犬によるギャンブルから始まる。
現在でもギャンブル利権の元締めだろうか?神社にまつわる見世物、能や芸能職民は天神ではないかと思います。おそらく明治くらいまで差別されてるでしょうけどね

畿内から四国にかけての蘇我(出雲)の領域は物部(吉備、天神)から奪ったものだと思います。元々越を中心にした日本側出身。蘇我、物部というと仏教導入争いが有名ですがこの本質は、国造(地方自治権)のもと民衆が私有財産であって戸籍がない状態から課税と徴兵のため中央が人口把握するために(先祖が神になる戸籍=家系図)とは別に(先祖が神にならない戸籍)を導入した。これにより納税が増えての押収(土地と人の移動)みたいな事があったかもしれない。国境が無くなるような効果があった筈ですから民衆の自主的な移動かもしれない。この時期のトップは出雲勢力だから、日本側、太平洋側に出雲を置き、吉備を内海に閉じ込めて南朝鮮の吉備と分断したのかもしれない。鳥飼部=鳥取というのは吉備の名残ですが出雲勢力圏になってしまう。

宇喜田が吉備と言いましたが宇喜田の元上司の浦上氏が紀氏で蘇我と神が同祖にあたる出雲です。つまりしばらくは出雲勢力の下位に吉備が置かれていた地域が岡山てす。宇喜田がいきなり領域を拡大できたのは同じように出雲の下に吉備が使えていた地域だからでしょう。つまり戦国時代の宇喜田の最大領域はほぼ吉備が残存している地域。宇喜田が四国に責めるのも単純兵力だけではなく寝返りさせやすい吉備の血を四国に連れていったと思ってます。
豊臣が優遇したのは三好(三つ菱、小笠原)の血と宇喜田の血です
秦氏は元々吉備の下にいて出雲に寝返った勢力ではないかと思います。
長宗我部が組み込んだのは、(武田、四菱と吉良源氏、土岐)対立したのは(三好、小笠原の三つ菱)で、武田の四菱が吉備を押さえる(若狭、安芸、土佐)ように配置されているように思います。そして家康の支配領域は秦氏の領域。
秦氏、武田、吉良の長宗我部と徳川が組むのは必然ですね。

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