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菱の系譜2

前記事「菱の系譜」を書いていてハタと気づいたことがある。

三菱財閥の岩崎家は甲斐武田家の当主武田信光の五男岩崎信隆(武田七郎)が甲斐国山梨東郡(東八代郡)岩崎(現・山梨県甲州市勝沼町)を本拠に岩崎氏を称したことからはじまるというが、実際は、四国の土豪である「山祇族」(やまつみぞく)の流れを汲む久米ないし三好と乾の同流だったとする説もある。

一代で三井・住友に並ぶ三大財閥を作り上げた秘密は、実は甲斐武田にあるかもしれない。

タケダ、タケダ、タケダ~♪
タケダ、ター ケー ダァーーッ


甲斐武田氏とは直接関係ないが、何故かタケダアワーのメロディが脳裏に浮ぶwww

110512_takeda.jpg
ピラミッド・アイ【プロビデンスの目】あるいは三角菱のマークを持つ売上高1位の武田薬品工業。実は創業1781年の老舗。薬種の傍ら大名貸しをして大きくなった。創業家当主は代々「武田長兵衛」を名乗り、神戸市住吉町に居を構える。精華家の徳大寺家とも姻戚関係あり。現社長はクリストフ・ウェバー【年収10億4800万円】)

甲斐武田氏は新羅三郎義光末裔である甲斐源氏の雄であり、嫡流を逸見氏と争った。信濃源氏の平賀氏、常陸源氏の佐竹氏とは同族。加賀美氏流の小笠原氏とは同祖。また加賀美氏が東北に出向き南部氏-大浦氏-津軽氏へとなっていく。津軽氏から更に大本、大作センセ以前の創価学会...等の大江山霊媒衆、さらには右翼のドンの笹川良一、残置諜者・ 金策(畑中理)が作った残置国家・北朝鮮のデブリンコ将軍様までが繋がる。ここが日本の【北朝派】の地下水脈を形成しているとオイラは睨む。

また背後にはイエズス会がいて、これがザビエル・サマナとも呼ばれる勢力ではないかと睨んでいるのだが、、、、果たして、、、、

北朝派系図

実は武田宗家は一時期、広島の安芸武田家だったという話がある。

安芸武田家は鎌倉幕府より安芸守護(1221年)に任じられたことから始まる庶流で甲斐武田氏の分家筋にあたるが、官職が甲斐より安芸の方が早いことから、一時期、こちらの方が本家嫡流がいたという話もある。その後、室町幕府の足利尊氏により甲斐守護を命じられた為、本家は甲斐に移動。その後、守護職を解任され(1368年)、以降安芸守護職は今川氏や細川氏等の足利一門が担ったが、安芸武田氏自体は銀山城を中心とした分郡守護として存続したが、毛利元就に攻められて安芸武田氏の勢力は滅亡(1541年)。

この安芸武田氏がバックにいて保護を受けていたのが安芸門徒という浄土真宗本願寺派の仏教徒。同じ浄土真宗本願寺派でも加賀国で一向一揆を指導して加賀国主・富樫氏追い出して加賀を100年支配した勢力とは一線を隔てている。しかし後年、足利義昭の呼びかけを受けて信長に宣戦布告。ここから織田信長と一向衆との長きに渡る戦いの始まりになりますが、石山本願寺-毛利元輝-安芸門徒という繋がりで安芸門徒も石山本願寺側として参戦している。

長篠の戦い以来、武田と織田は対立関係ですなぁ、、、、

一向衆=石山本願寺と長年に渡りガチバトルを展開した織田信長が最も恐れたライバルが「風林火山」で有名な天才軍師・武田信玄。当初は姻戚関係を結び良好な関係だったが信玄の家康攻め(三方ヶ原の戦い)や延暦寺焼き討ちから一転して義絶。仏教守護者の信玄と第六天魔王の信長では水と油の関係ですね。しかし信玄亡き後、長篠の戦いでの敗戦を契機に坂を転げるようにして武田家は滅亡。

実は、この両者の対立関係はもっと古くから存在しているとオイラは睨む。

ここで簡単な相関図を見てみよう。

・織田剣神社-織田家-織田信長-津島神社-津島衆-吉野

と南朝側に行き着く。織田剣神社の祭神は「スサノオ・ 気比大神・忍熊王」であり、津島神社の祭神は「スサノオ・牛頭天王」。どちらもアマテラスではなくスサノオを祀っていて、深いところで何らかの繋がりがあるのだろう。

忍熊王とは、三韓征伐で知られる仲哀天皇の后・中大姫の子であり、もう1人の后・神功皇后からは応神天皇が生まれているが、この忍熊王と応神天皇は次の天皇の地位を争い敵対関係となる。そして勝って王権を取ったのが応神天皇。

源氏01

つまり、忍熊王の対立関係以来ずっと、後裔も対立関係にあったということ。

一方、武田は新羅三郎から源氏傍流としてずっと北朝側に位置する。

・清和源氏-新羅三郎義光-甲斐源氏-甲斐武田家-武田信玄-安芸武田氏-安芸門徒-浄土真宗-石山本願寺


キリスト教化された仏教は北朝の洗脳支配の道具であり、和製キリスト教の真教、またバイブル(本)の成就を願うという意味から命名されたと睨んでいる「本願寺」派と結び付くのは自然の流れであるし、大陸北方騎馬民族や女真族が出自と思われる源氏勢力(地祇系)はこの根底にキリスト教(景教)がある。何故なら女真族の宗教がキリスト教であるからだ。

このキリスト教ネットワークを通じて古くからイエズス会がアクセスしていたのであろう。

源氏長者の地位は嫡流の八幡太郎義家の家系が代々就任していましたが、嫡流が滅亡した為、その後、源氏長者は傍流の足利家と村上源氏久我家と交替でなっていた。しかし、江戸幕府が出来ると徳川将軍家がが新田氏系の得川氏後裔(世良田氏)と称して源氏長者を握った。

源氏故にイエズス会と繋がりが深かったのですが、源氏長者の地位にあった徳川将軍家がポルトガル(カソリック)を切り、オランダ(プロテスタント)に乗り換えた時点でこの繋がりは消え、その後も残った繋がりの1つが新羅三郎義光の家系ではないだろうか?
※その他にも島津家、細川家、黒田家、前田家の松平姓を名乗れる大名家もあった?

以上、甲斐武田氏、安芸武田氏の新羅三郎良光まで眺めてみたが、この根底にはキリスト教が通じている。だからこそ、甲斐源氏に繋がる津軽氏は家紋に十字架に似た「卍」を採用し、藩校「稽古館」跡地もキリスト教系(プロテスタント・メソジスト)の高校「東奥義塾」になっており、ずっとキリスト教を護持してきたというわけ。
※メソジスト・・・18世紀、英国でジョン・ウェスレーによって興されたキリスト教の信仰覚醒運動の中核をなす主張であるメソジズム (Methodism) に生きた人々、および、その運動から発展したプロテスタント教会・教派に属する人々を指す。日本では「美以教会」とも言われていた。特徴としては、日課を区切った規則正しい生活方法(メソッド)を推奨した。メソジストという名称は「メソッド」を重んじることから「几帳面屋」(メソジスト)とあだ名されたことに始まった。教会自体に軍隊組織を採用した救世軍や「聖潔」(きよめ)を強調するホーリネス運動、聖霊の働きを強調するペンテコステ派などもこのウェスレアン・メソジスト運動の流れである。

■メソジスト@津軽
http://tokumei10.blogspot.jp/2016/07/blog-post_50.html

特に、メソジストはイングランド国教会の切り崩しの為のカソリック傀儡勢力が正体でしょうな。そして、長崎はイエズス会<だったのは有名ですが、鹿児島はクロ教、青森はメソジスト、、、日本列島の端々には手を変え品を変え、イエズス会がしっかり侵食・寄生していたということ。

この視点はとっても重要だす~。

さてさて話は変わりますが、この津軽氏つながりの上田音松の子・出口王仁三郎のいた大本、、、、WW2を誘った雛形予言、、、、その予言を継承する「日月神示」には「富士と鳴門の仕組」「 諏訪(スワ)マアカタの仕組」「ハルナの御用」と並んで「キの御用」「カイの御用」という謎の言葉があります。

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カイの御用はキの御用であるぞ。臣民はミの御用つとめて呉れよ。キとミの御用であるぞ。ミの御用とは体(からだ)の御用であるぞ。身 養ふ正しき道開いて伝へて呉れよ。今迄の神示読めばわかる様にしてあるぞ。キの御用に使ふものもあるぞ。キミの御用さす者もあるぞ、お守りの石どしどしさげてよいぞ。水の巻これで終りぞ。六月二十三日、三(みず)の一二 。
水の巻 第17帖 (291)

食い物大切に、家の中キチンとしておくのがカイの御用ざぞ。
『雨の巻』第十二帖
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「キチンとしておく」とは、まるでメソジストのようだすな。。。。。

「ミ」は「身」であることから「キ」は「気」と考えられるのだが、、、オイラはこの当初から「キの御用」「カイの御用」をさっぱり読み解けなかった。しかし、武田氏から大本までの流れを考えるならば、これは多分、カイは「甲斐」、キは「安芸」のことなのかもしれん。(超爆)

「カイの御用はキの御用であるぞ。」

う~む、確かに、「甲斐武田=安芸武田」ではある。

この言葉は、これら勢力がプロトコルXで「御用=お縄」となるという自爆予言なのかもしれん(爆)

御用
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コメント

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財閥の

財閥の派閥争いを描いたアニメ。
キリングバイツ、おすすめです。

No title

天皇家の家紋の菊は,鎌倉の始めの天皇が菊が好きだったためで、平安時代はひし形の家紋でした。天皇家 菊 は明治政府が、決めたのです。

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お久しぶりぶりです。
武田は宗家は若狭では無いですかね?
これ原発のメッカですね。
歴史的な経緯では正しくは足利幕府の頃に有力な源氏の家は一点に集中させないで分散さすたのですよね。
畠山は能登と紀伊に置いて、今川を駿河と九州、土岐は美濃と四国、京極は浅井と六角と尼子に分裂みたいな感じで。それぞれが通行が断絶して分裂したのが戦国時代。
武田は若狭(原発)、安芸(広島)、土佐の香宗我部(三菱?)軍需臭いがぷんぷんすること押さえている気がします。若しくは三菱は三好系?
ヤクザというのも元々は海運系の労働者からなり、刺青の起源も海賊ですから、武田の安芸、若狭が押さえていたのは海なんですよね。もちろん三好も海洋勢力です。甲斐は内陸ですがね。足利幕府が機能している時期は海を支配したほうが宗家だったのはわかります。

戦国時代といえば本能寺の黒幕は北畠信雄が怪しいのですが、信長の初期の領地は美濃と尾張で信長の官職が低い時代に美濃や尾張の織田の別家『信長より官職が高い別家』支配するために、『俺は係長だけど元部長のお前は部下ね』には無理があるので『信長より信雄のほうが官職が高い』状態にするために北畠のっとり信雄の部下にさせた。って経緯がありますね。

織田の別家の家臣丹羽氏勝や、水野の家臣でも佐久間でも北畠信雄を御輿にしたら旧領地回復しそうな人らが徳川→北畠間にごろごろ居ただろうし徳川と北畠+元武田家臣ならその後の歴史がすべて必然。
信長が生きていたら武田は木曽がついでいたかも知れないから
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