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曜変天目と愉快な仲間たちwww

お宝鑑定団で本物の曜変天目茶碗が見つかり、‎中島誠之助が「本物だす~」と太鼓判を押している。

橋本天目
(4つ目の曜変天目)

オイラのような茶器について疎い人間すら耳にしたニュースなので、これはブームが来るかもしれない、、、曜変天目を擁する美術館が便乗して特別公開展を開くかも(笑)。

曜変天目は中国の福建省の建窯(建陽県水吉鎮付近)で作られた日用使いに用いられる黒*であり、一度に10万個以上も焼いたであろうとされる窯跡が存在する。釉薬の焼結加減により虹色の虹彩を放ち、漆黒の茶碗内に宇宙が広がっているように見える一品で、天目茶碗のうち、最上級のものを指す言葉。

元は「窯変」と書かれていたが、模様が星のようであることから星を指す「曜」の字を用いて「曜変」と書き表されるようになった。南宋時代の作とされるが作者は不詳。青紫色の光彩は釉上の薄膜によって生じた光の干渉による色ですが、この技術の復元を目指し研究されているが、未だに再現できない代物でもある

この曜変天目は日本にしかなく、現在3点のみが存在し、いづれも国宝であるという。番組では2500万円の値が付いたが、譲渡無課税を考慮しての値付けであり、間違いなく「億」はいく代物。

■静嘉堂文庫蔵
徳川将軍家→春日局→淀藩主稲葉家→岩崎小弥太(三菱財閥総帥) 【国宝】
通称「稲葉天目」
明治当時の金額で16万円(現在なら16億円)で取引された現存の中で最高の物

稲葉01


■藤田美術館蔵
水戸徳川家→藤田平太郎(藤田財閥総帥) 【国宝】
斑紋が外側にも現れている

藤田


■大徳寺龍光院蔵
津田宗及(堺の豪商)→大徳寺塔頭龍光院(筑前黒田家菩提寺) 【国宝】
幽玄な美しさを持ち高評価

大徳寺


ちなみに、加賀藩主前田家→大佛次郎に渡ったMIHO MUSEUM蔵の曜変天目という【重要文化財】もあるが、「油滴天目」ではないかという議論もあり、ここでは省いて書いている。

今なら、これら3点が一同に会した展覧会を開くとかなりの人出が期待できそうですね(ふふふふ)。きっと、どこかが既に動いているでしょう。

今回発見された「橋本天目」を加え、これで国内には4点の曜変天目が存在することになったわけが、かつて国内には10点の曜変天目があったと云われる。実は最も素晴らしい曜変天目は「稲葉天目」ではなく、足利義政から織田信長へ譲渡され、時の最高権力者に所有された天下第一の名椀。足利義政の宝物台帳「君台観左右帳記」によれば、「地は大変黒く、濃い瑠璃色や淡い瑠璃色の星型の斑点が一面にあって、黄色や白、ごく淡い瑠璃色などが種々混じって、絹のように華やかな釉もある」と記されている。信長はこれを常に愛用し、持ち歩いていたと云われる。惜しむらくは本能寺の変で焼け落ちた際、焼失してしまった。

しかし、火災時に茶器や掛け軸をタンマリと抱えて逃げた茶人がいたという話もあり、今回の橋本天目のように、もしかしたら信長の首同様どこかに、、、というロマンを掻き立てられる。

武家への茶器文化の隆盛は茶器1つが一国に相当するという話がありますが、論功行賞で与える国が無くなったことから、信長が茶器に目を付け褒びにしたともいわれる。南宋のある時期、建窯で数えるほどわずかな曜変天目茶碗が焼かれ、それから二度と焼かれることは無く、なぜ日本にだけ現存して窯元の中国に残っていないのかが大きな謎。

しかも福建省といえば客家の地ですね。曜変天目の所有者が松平姓を与えられた客家に関連するキリシタン大名の黒田家・前田家が絡んでいる点も非常に面妖なのです。

赤松氏に起因する大徳寺は大友宗麟...等、多くのキリシタン大名が寄進建造していますが、台座の部分がなく竿石がラテン十字型で地中にそのまま埋まった「キリシタン灯篭」、縦4個と横3個の石の流れが十字架になるように組んだクルスの石組み...等のキリシタン的遺物がそこかしこに存在する。.一休宗純を輩出し、また千利休・小堀遠州をはじめ多くの茶人が大徳寺と関係をもっている。

キリシタン灯篭

前記事の明石氏はイエズス会のフロントという話が出ましたが、備前明石氏(美作明石氏)も赤松氏の末裔(ふふふふ)

また茶道は聖書の「狭き門より入れ」を表現する「躙口」(にじりぐち)、ミサでの聖体拝領のワインの回し飲みが茶碗の回し飲み、非常に厳かな雰囲気の中で作法が進んでいく...等、茶道自体がキリスト教の影響を大きく受けているが、そのキリスト教の聖体拝領の儀式はバアルに捧げる食人儀式から来ており、ミサが非常に厳かな雰囲気になるのも頷けれる話。

つまり、茶会とは、、、和風食人儀式(爆)

実際、利休の妻や娘はキリシタンであり、弟子の高山右近、細川忠興、蒲生氏郷もキリシタン。利休自らは公にはキリシタンだとは明かしていないが、ミサが「わび茶」へ影響を与えたことは確かなのである。逆にキリスト教から茶道へのアプローチもある。茶道は布教に効果があり、初期のキリスト教集会所には茶室が設けられていた程。

利休の甲冑からの推定では身長は180cmほどもあり、生粋の日本人ではない疑惑が浮ぶ。

また、利休七哲の1人、高山右近もキリシタンであり信仰を捨てず日本追放となりマニラに出国した。この右近は来年2017年2 月に福者列聖されるという。

高山右近
(バルセロナ郊外の聖イグナシオ洞窟聖堂のモザイク画)

秀吉のバテレン追放令(1587年発令)で、棄教しなかった為に高山右近が国外追放になった頃、京都・大阪・播磨のキリシタン71名は津軽へ移動させられたが、この勢力の末裔がナニヤドラド 、キリストの墓、自称イエス末裔の沢田家....等、青森にキリスト教の名残が多くある理由。この末裔をサンカアヤタチの上田音松と出口ナオらが取り込んで青森で大本が旗揚げされたのだろう。その後、上田音松の子息・鬼三郎が出口家に婿入りするわけだが、その前に景教色の濃い高野山で修行し、出雲大社で「鎮魂帰神法」を伝授して貰っている。出雲大社社家と云えば「千家」家ですが、茶道にも千家、裏千家、武者小路千家の三千家があり、キリスト教を介して何か繋がりがありそうです。

福建省-客家-茶道-キリシタン-大本

という怪しげなラインが浮上する。まぁ、元々、フランシスコ・ザビエルは客家が先導して日本に連れてきていますしね。関係ないわけはない(爆)。

現代では中国製品はパチモノという印象ですが、平安期から中国渡来の極上品は唐物と呼ばれ尊ばれた。競うように唐物収集が行われ、中国産品は江戸期においても流入は絶えなかった。唐風文化の導入を隆盛させ日本国内に高額の中国産品を輸入して儲ける。この交易が客家の出番であり、それを狙って様々な異国文化を列島にもたらしたのだろう。茶の湯もそうだし、イエズス会もwww

まんまと客家(ペリシテ人)の策略に嵌ったwww

客家とは電通のようなもの。

その馴れの果てが茶碗で御飯を食べている。
あれは本来は茶を飲む物なのだす~(爆)

利休が見たら卒倒するかもだす~

さてさて、実はこの曜変天目より凄い茶椀が存在したらしい。

それが、、、「毫変盞」(ごうへんさん)

これは1990年の中国建窯遺跡調査団による発掘調査の結果、福建省博物館の林忠幹によってその存在が証明され発表された。

希少価値が低い順に「灰被天目」、「禾目天目」、「油滴天目」、「曜変天目」と来て、その上に位置するのが「毫変盞」。曜変天目が最上品と称されるが、毫変盞は「その価は甚だ高く且つ得ることが難しい」とされ「幻の器」と称される。ただ古文献には記されるのみで現存していない為、どのような茶碗であるか想像も付かない。

「毫変盞」の「毫」は筆の穂先、きわめて細い毛を意味する字であり、「盞」は小さな杯を意味する字。ここから想像するに杯で茶碗ではないかもしれないが、真っ黒な黒陶で、青く虹色に光る尾のような流れ文様が底から放射状に流れ出ているような代物ではないかと睨んでいる。

中国では曜変天目は不吉の前兆として忌み嫌われ、すぐに破棄された為、中国には現存せず、破壊の手を逃れた僅かなものだけが密かに日本に伝来したとする説が唱えられているが、世界中で日本にだけ曜変天目が完全な形で現存していることから、この幻の毫変盞も密かに日本に伝来しているのだろう。

毫変盞02
(毫変盞のイメージ)

その禍々しさは客家が畏れる九尾妖狐に匹敵するだろうことから、、、、

オイラはこれを「荼枳尼天目」と勝手に名付けておく(爆)。
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