京都狐憑きツアー(その1)

最近、ダキニ天のことばかり書いていますが、伏見稲荷に関しても洞察をしなければならない場面もしばしば出てきた。しかし、行ったこともない場所なので漠然としたアヤフヤなイメージしかない。昨今、外国人が選ぶ観光地2年連続で1位になったこともあり、ベビーメタル同様、きつね様のパワー全開感のある伏見稲荷に行って来ました。

ただ、伏見稲荷拝観だけではなく、同時に松尾大社(酒造の神)・広隆寺(キリスト教仏閣)・大酒神社(ダビデ神社)・木嶋神社(三柱鳥居)...等の秦氏関連神社仏閣、嵐山の竹林の道・天龍寺・野宮、嵯峨野の龍安寺、仁和寺、宇治平等院を気温39度の猛暑の中、回ってきた。

思えば、ブログ執筆開始以来、語り部説に感化されて藤ノ木古墳(倭聖・倭明親子を埋葬)、法隆寺(夢殿は倭聖大王怨霊封じ)、大神神社(三輪の御嶽地、石巻山が奥宮)、石上神宮(物部兵器庫、御神体:布都御魂剣)、石舞台(ホントは天智天皇稜)、蘇我入鹿の首塚(ホントは入鹿殺害現場)、談山神社(中大兄皇子と鎌足密談場所)、吉野蔵王堂(秘仏・蔵王権現御開帳)...等の飛鳥吉野を巡った第1回目のツアー。

その数年後、NHK大河ドラマ「平清盛」を見て感化され、北野天満宮、六波羅密、崇徳天皇墓、下鴨神社、京都御所を巡った第2回目(通称・京都怨霊ツアー)。

そして、今回が「第3次壁外調査」です(爆)。

まぁ、オイラにとって巨人とは藤原氏のことになりますが、「藤原氏が生まれたわけは?」「藤原氏の弱点とは?」「藤原氏はどこに行こう(最終目標)としているのか?」を知りたい。で、藤原氏の洞察には原始キリスト教(エルサレム教団)で漢波羅を持ち込んだ秦氏との関係性を含めた洞察が必要不可欠。その為の知見を得る京都ツアーでもある。

元々、一度は伏見稲荷に行かないといけないなぁ....と常々思っていたが、「盆休み中は暑い」「正月休みは寒い」と京都行きを極度に渋るカミサンとの戦いでもあった。

「今、行かないでいつ行くのだ?」

と吼え、今夏激暑の中、京都行きを渋るカミサンの重いケツを叩きながら出向いた次第。まぁ、非常に暑かったのですが、やはり行ってよかったと思います。


さてさて、旅行で気づいた点...等、忘れないうちに記しておこう。

■宇治上神社
ツアーの最初の訪問地は宇治平等院でしたが、拝観時間前に到着したので、近くにある世界文化遺産の宇治上神社を観てきた。こじんまりとした神社ですが、ここの特徴は本殿・拝殿が「寝殿作り」になっており、現存最古(平安後期建立)であることから世界文化遺産に登録された。

オイラが見たところ、確かに寝殿造りの本殿・拝殿は珍しいのですが、「ふ~ん」という程度の感想。京都だけで19箇所の世界遺産登録があるといいますが、ユネスコの世界文化遺産に選定されることは長年に渡る観光ブランドの安泰化を意味し、これは京都寺社勢力=ベルファシ勢力を援護し利するものと感じ、選定過程に我田引水的に関与しているのでは?と睨む(爆)。

宇治上神社


■宇治平等院鳳凰堂
30年も前に見たことがあるが、当時は周囲が土だらけの中に色褪せた本堂がポツンと立っていただけ。当時とは雲泥の差である。朱色も塗りな直しされており「ここまで洪水が来た」とガイドが示した洪水跡は見えなくなっていた。国宝の雲に乗った仏を展示する展示館が地下に設営され、観光地としての気合の入り方にビックリでした。これは国の所有物ではなく天台宗系「最勝院」と浄土宗系「浄土院」という浄土天台両宗によって共同管理(宗教法人・平等院)され、所有されている。

平等院鳳凰堂

この新しく蘇り、金色に輝く鳳凰を戴く平等院を見たカミサンの第一声は、、、、

「アーク(聖櫃)だ!!!」

確かに、そう見えなくもありません(滝汗)。

鳳凰堂アーク

鳳凰堂では、この中央部から阿弥陀仏如来がヌーっと顔を出す仕様になっています。

10円には鳳凰堂が刻印され、一万円札裏側には平等院の鳳凰が見られますが、お金はメーソンシンボルが散りばめられており、これはメーソン傀儡の九条閥=南朝=藤原式家=平家のアンダーコントロールにあるということを言外に示しているのだろう。

1万円札を2つに折り、鏡反転させると、、、、

鳳凰

中央の透かし部からは1つ目が出てくる。

一目人
(右:『山海経』に登場する一目国の一目人)

一目人、、、、いえ、いえ、プロビデンスの目です。

アーク(聖櫃)は、2体のケルビムの翼で囲まれ形成される三角形の内側には、「栄光」(グローリー)が眩く輝き、その中に目が存在するとされている。

つまり、平等院鳳凰堂とは、、、

藤原氏のサウロンの塔!!!
※2012年~2014年にかけて大修理を行い平等院は在りし日の姿で既に復活してしまっている。<既に時遅しとなってしまったのか?

さてさて、西方極楽浄土を表現した平等院鳳凰堂は、源融→宇多天皇→源重信→藤原道長と次々と所有者が移り、宇治殿として道長別荘として使われていたが、道長死去に伴い別荘から寺院へ変更して現在に移る。

宇治の地は摂関家領であり、「宇治の経蔵(宝蔵)」という藤原氏代々の重宝が納められた蔵があるらしいが、この蔵の正確な位置は一般には明かされていない。蔵の重宝の中には「酒天童子の首」があるともいうが、この蔵の中に藤氏長者の証である「殿下渡領」や行方不明の「朱器盤座」も存在するだろうとオイラは睨んでいる(ふふふふ)。

藤氏長者には「殿下渡領」とは別に「氏院寺領」(勧学院領34箇所・法成寺領18箇所及び19末寺・東北院領34箇所・平等院領18箇所11末寺の寺領)」が継承譲渡されますが、現在は公式的に氏長者は無くなっている。しかし、実際には存続し、現在の藤氏長者は九条家とのこと。平等院領18箇所11末寺の寺領を持つ藤氏長者が宇治平等院の真のオーナーでもある。

その他の摂関家領は九条・近衛で分離され、それぞれ家伝されているが、九条閥と近衛閥の勢力範囲の線引きは現在でもこの家伝家領に基づいて行われている筈でしょう。

この「殿下渡領」「氏院寺領」が表沙汰に出来ない日本の仕組みの表れであり、「日本の真のオーナー」が九条当主である真の理由であると睨んでいるのだが、、、、果たして、、、、
※荘園制度は重複寄進により重層的な所有権を形成するものでした。摂関家荘園も整理令対象とされた後三条天皇の「延久の荘園整理令」(1068年)では、後冷泉天皇崩御直前に駆け込みで得た平等院領の「不輸の権・不入の権」を認める太政官符によって平等院領(12か国に18か所)は公認荘園となり整理を免れている。この外部権力の排除を謳う「不輸の権・不入の権」を持つ荘園制度が未だに有効となる場合、日本とは切り離されることになり、太閤検地やGHQの農地解放でも対象外となった?

また宇治といえば、日本最大の朝鮮人部落であるウトロ地区(自衛隊大久保駐屯地の北隣 平等院からも近い)がありますが、元々は航空機工場建設の飯場であり、徴用で来たものばかりではなく、またGHQの帰国事業から漏れていた...等、そのまま残留している。土地所有者は日産車体工機(現・日産車体)ですが不法占拠故に水道施設を許可しないと知られる場所です。
※既に土地は許昌九が一括買取し住民へ分譲販売という「土地ころがし」失敗が露呈。在日の内輪揉めを日産車体に対し責めていたという。

オイラが感心を示す点は、日産=九条閥であること。つまり、ここに先の「氏院寺領」との関係の片鱗が臭ってくるわけですが、未だ有効(?)な「氏院寺領」の荘園という観点から考えれば、藤原摂関家(その後の五摂家)にとって、日本国民とはウトロ地区の残留朝鮮人同様、「不法占拠」している者のように映っているのかもしれない(爆)。

長くなりましたので、記事はその2に続く。
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Comments

松尾神社来ましたね。笑
ありがとうございます。
明治以降でしょうが白山神社と一緒に扱われていたりします。

ご利益がほとんど同一なのです。

両方塩、酒利権握ってる別系統神社を合併させたような感じです。

松尾白山神社

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