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李氏日本

前記事で迂闊にも「秦氏=北レビ族、賀茂氏=南レビ族」なんて書いてしまいましたが、実はまだまだオイラの中ではよく分かっていないのです。

オイラが未だ悩んでいるのがレビ族のこと。
南北に分かれて渡来した筈で、これらがどの氏族になるか全く分からない。

少なくともレビ族は中国ではという姓だったらしい。明代(1368年-1644年)には、ユダヤ人は皇帝から 艾、石、高、金、李、張、趙 の7つの姓を授けられ、これらは今日でも見識することが出来、これらの姓は本来のユダヤ人の氏族の姓 Ezra, Shimon, Cohen, Gilbert, Levy, Joshua, Jonathan をそれぞれ中国風にしたものである。

つまり、李姓がLevy族(レビ)に与えられた姓だった。
で、今のところ、オイラが絞った候補は以下の4つの氏族。

■藤原氏
■忌部氏
■秦氏
■賀茂氏


洞察するには、過去の日本列島への渡来状況が必要ですね。高度自給自足ブログ様が書かれた名無し先生が教えた内容をベースに語り部説で不足部分を補うと、、、、

(名無し先生)
・天皇家は大化の改新で藤原家に乗っ取られた
・大化の改新までは縄文人、紀元前にシナイ半島を追われ中国北部を通り渡来したイスラエル族
・安土桃山時代までがユダ族と韓国経由で渡来したエフライム族
・もう一方のエフライムは百済から来て山口県を仕切っていた大内氏

(語り部)
【上宮】 初期大王家(扶余系ガド族)・・・扶余王族(ヘブル人、ガド族。主にスキタイ騎馬民族と混血。金文化継承)はシルクロードを通り中国、朝鮮の順に到達。扶余依慮は宇垣(烏桓)に領地を譲り東の鮮卑の領地を求めて進撃するが壊滅的打撃を受け投身自殺。その子扶余依羅は馬韓の辰王の協力の元に加羅国を建国。更に新天地を求め、倭人と夷人で三王朝を組む邇波国の邇波氏を頼り遣いを送って新三王朝を交渉。交渉成立させると邇波氏は外洋航海船(徐福技術)からなる水軍を率いて金海に到着。依羅(金首露王)は長男・居登に五男(五瀬モデル)・玄に扶余国を任せ、妃の許黄玉(インド・アユダ国王女)と四男と六男~十男迄率いて日本列島へ傀儡王として招聘され、馬も搬送しイヘヤ湾(伊勢湾)へ向かう。邪馬台国を討ち取り倭を継承して大倭と改め「倭旨」と名乗る。道教を奉じ、人民恭順化用に波斯キリスト教を表面上信仰。

【下宮】 後期大王家(百済烏桓系エフライム族)・・・百済人の祖は北イスラエル国の亡国後、南回りで雲南経由しチベットへそのまま南下しインドを経由し、ここで小乗仏教信仰開始。更にタイを経由し中国南部から中国入りし烏桓騎馬民族として勢力を伸ばすが、国は滅ぼされ漢民族と同化。扶余依慮は宇垣(烏桓)、後世の百済王族に領土を明け渡し百済国勃興。その百済王家王子の百済昆支(倭武)が初期大王家に婿入り。百済王族は小乗仏教信仰故に「嘘も方便」であり口達者で残虐性大きかった。


以前、オイラはこの百済渡来の後期大王家を「百済」をキーにして、単純に「天孫系」としてしまったが、天孫系=南ユダ国=ユダ族&ベニヤミン族であり、ガド族もエフライム族も北イスラエル族だった(滝汗)。

つまり、初期大王家も後期大王家も同じ地祇系

乙巳の変(実際には大化の改新は壬申の乱の後)でエフライム族【後期大王家】がクーデターを起こし蘇我入鹿(鞍作毛人)を暗殺し政権を握ったが、壬申の乱で再びガド族【初期対王家】が政権を手にし戻し、藤原四兄弟に嵌められて長屋王の自刃でガド族直系王族は滅亡。

その後、天武天皇と藤原の娘(宮子:実際には天武と賀茂氏の三川時代の御落胤を養女)の血を引く聖武天皇が立ったが、聖武后である不比等と県犬養三千代(橘三千代)の間の子・藤原光明子(実は美努王と橘三千代の子)の計らいで母・宮子と30年ぶりに再会。この時、母・宮子から出自のことを聞くに及び藤原憎しの「反藤原」となり天武色が強くなってしまったという思惑が外れたこともあった。その後、宇佐神宮から中継ぎの巫女である孝謙/称徳天皇(高野新笠)を経て白壁王(光仁天皇)が偽証即位して皇位を継承。その子が桓武天皇。ここに百済エフライム王族=天皇家の外戚として君臨し始めたレビ族大祭司=藤原家の天下が始まった。

このエフライム族の天皇位を継承し藤原氏が后を輩出するという構造が室町末期まで続く。

その後、九鬼とか伊達とかの細川とかの七曜・九曜紋の客家系の出自不明の豪族がのし上がって来て信長・秀吉の30年の南朝政権が出来る。これが「安土桃山時代までがユダ族と韓国経由で渡来したエフライム族」という内容ですね。

ここからは藤原氏はユダ族となりそうな感じです。

ちょっと図式化してみた。
この状態では名無し先生の話と語り部説は何の矛盾もなくピッタリ当て嵌まる。

渡来人歴史03

語り部の方が少し詳細かな。

初期大王家(ガド族)は長屋王で滅亡したが、この時から天皇の色が「戦う王」から「神祇する王」に変化し、地下水路をめぐらしたペルシャ色の強い宮殿建築物から唐風を経て純和風に代わっていった。。これもガド族からエフライム族に政権が移ったからだろう。というのも、ガド族は家畜を多く所有し、イスラエル国境周辺部を与えられた為、戦いには常に先鋒を務めていた。一方、エフライム族は王を輩出していた為、戦いよりも祭祀に重きを置いていたという感じか。

大内氏の祖は百済26代の聖王の第3王子・琳聖太子と称しているが、この王子は架空人物であり、大内氏はエフライム族で間違いはないが、王家の者かどうかははなはだ怪しい。ただ、渡来後スグに多々良姓と大内県を与えられたことから、百済エフライム王族の可能性は高い。

藤原一族で幕末には武家伝奏、明治以降は伯爵家であった廣橋家の興光氏が伝来口伝の日本史を友人に語ったという内容がある。興光父君はもと内務省のエリート官僚で、東條内閣の秘書官、その後、千葉県最後の官選知事を勤めた廣橋眞光氏、母方の祖父は中川宮の孫、もと梨本宮守正殿下であり、母君は李方子さんの妹に当る。

廣橋、梨本宮、李、、、日韓合同朝廷の長男を輩出した日本のベルファシ勢力ど真ん中なところから出た暴露話ですが、真摯に傾聴するに値する内容です。

1)天皇家は北支から満州、朝鮮を経て日本にやって来た。
2)藤原氏は中国系と朝鮮系に分かれていて中国系の方が威張っていた。
3)南朝とか北朝とかいっても我々の祖先はどちらにもいたから、いま明治天皇が南朝でもまごついたりしない。
4)戦争によって日本のおかれた惨状は家康の鎖国がもたらしたものである。
5)孝明天皇は伊藤と岩倉が殺した(興光氏父君の眞光氏の言)
6)鳥羽伏見の戦い以後の明治天皇は睦仁ではない。すり替えた天皇
7)伊藤の爵位ばらまきは天皇すり代えの口止め料という性格
8)シンガポール陥落のときルーズベルトが特使を以て講和を申入れた。東條はそれを受けようとしたがヒロヒトは2.26事件の体験から、軍の叛乱を恐れて継戦を命じた。この時天皇に継戦を迫った親独派の将校グループがあった。


下線部の2)3)4)6)は初耳です。
それ以外は知っていて、正しい内容と思われることから、その他も正しい可能性は高い。
順不同に洞察してみます。

4)戦争によって日本のおかれた惨状は家康の鎖国がもたらしたものである。
家康の鎖国はイエズス会からメーソンのオランダへの乗り換えから起きている。



6)鳥羽伏見の戦い以後の明治天皇は睦仁ではない。すり替えた天皇
すり替え説はネットでは良く知られた内容ですが、その多くは長州・田布施の大室寅之祐であるという話。ただ、その他にも田安(徳川)慶頼の子だとか、様々なものがある。本当のことを隠す為に撹乱情報での情報操作もあって、何かが本当なのかは一般人には容易には判らない状況。

まぁ、全てが本当の話のようにも聞こえるのだが、、、(滝汗)。

■明治天皇(1852年11月3日 - 1912年7月30日) 享年60歳
■鳥羽伏見の戦い・・・明治元年(1868年) 明治天皇16歳


享年60歳は少し若すぎのような気がする。

云われてみれば、確かに明治天皇のは変わってしまっている。

明治天皇
(左と中央(16歳)は同一人物【大室寅之祐】だが、右には特徴的な眉と口元が無い)

更に、左と中央の大室は明治4年の横須賀行幸時にフランス人が撮影した明治天皇と全く似ていない。頭の形がまるで異なる。入れ替わりがあったのか?

明治天皇01

明治天皇03
(浅黒く巨漢の男が白粉と口紅をして異様だったという)

いったい明治天皇とは何者なのだろうか?

そういえば、『日本製原爆完成全文』の榎本東州氏が以下のことをチラリと書いていました。ただ、氏の場合はもっと過激な内容です。「原田祖岳はやがて、久邇宮◎子女王(明治天皇即ち西郷隆盛の子供で、久邇宮家で養育された。その事が後に宮中某重大事件の原因となるが、関東大震災後に◎仁天皇の后となる。)と肉体関係を結び、◎子皇后は原田祖岳の子“◎仁親王”を生んだ。実質的には玉座に就き。昭和の弓削道鏡として、国民を召集し、不敬罪・国家総動員法・国民精神総動員法・統制法を振り回し、日本国民を世界大戦の泥沼へと導き、最後は広島・長崎で人類史上第1号と成る、日本製原子爆弾の製造を完成させ使用した。」とあるが(滝汗)、何処まで信用出来るかは不明だ。
※東州氏が述べる明仁・美智子・堤義明の三人は「原田祖岳」の子供というのは、宇多田光がビル・クリントンと藤圭子との間の隠し子というレベルのガセ情報だろう。

オイラは以前の記事では「西郷隆盛=明治天皇」に関しては否定側に立ったが、、、実は有り得る話なのかもしれない。

明治天皇も西郷隆盛(西郷南州)も180㎝を超える巨漢だったと云われ、一般的な西郷隆盛のイメージは下図のようなギロリとしな眼と太い眉毛が特徴の人物だが、これはキヨッソーネが西郷の親族から合成して描いた肖像画だったというのは良く知られた話。

身長に関しては歴史的人物に関して現存する鎧や衣服などの遺物、当時の記録、遺骨などから推定されたものがある。

■織田信長    170cm   痩せていて筋肉質。また、青年のころは女のような美男子だった。
■徳川家康    158cm   60kg 小太りだが、6人で扱うような重さの鉄砲を1人で使いこなすほど腕力があったという。狸に似ている。
■豊臣秀吉    154cm   痩せていて眼光は鋭い。                             
■前田利家    180cm   引き締まった体格の美男子。
■前田慶次    163cm   190cmを超える大男とも言われていたが、現存する鎧から推定するとこのぐらいである。
■加藤清正    159cm   鎧から推定。意外と小さい。
■真田幸村    160cm   豪傑だった父親とは違い平凡な顔で、「頼りなさそう」と言われており、本人も気にしていたという。
■上杉謙信    156cm  小柄だったが、面会した僧侶は「鬼か天狗のようで身の毛もよだつほど恐ろしい」と記録しており、 かなり威圧感のある風貌だったらしい。
■小島弥太郎   194cm  上杉軍随一の怪力を誇り、「鬼小島」と恐れられた。力士のような体格だったという。 武田信玄がけしかけた狂犬の口を掴んで地面に叩きつけて殺した話は有名。
■藤堂高虎    188cm   体重113㎏ 生まれた頃には他の赤ちゃんの2倍の大きさだったという。
■伊達政宗    159cm   遺骨が現存しており、正確な数値がわかっている。 また、腕や足の筋肉付着部分の骨がかなり発達しており、鍛えられたたくましい体格であったことがわかる。
■斉藤義龍    197cm   馬に乗ると足が地面に着く。「六尺五寸殿」と呼ばれていた。
■石田三成    156cm   出っ歯で色白。軟弱だった。
■豊臣秀頼    197cm  161㎏ 秀吉の息子とは思えない。ろくに動くこともできないほどの肥満体であったとされる。
■長宗我部元親 185cm   色白でおとなしく、女のようだったという。
■山県昌景    130cm  「武田の小男」と恐れられた怪人。胴体が異様に短く、上唇が縦に裂けていたというから、 さぞ恐ろしかっただろう。 奇襲攻撃により徳川家康を脱糞させた。
■浅井長政    181cm
■徳川吉宗    183cm
■石川五右衛門 207cm
■大塩平八郎   217cm
■生月鯨太左エ門 227cm
■西郷隆盛    182cm
■大久保利通   183cm
■福沢諭吉    173cm
■武市半平太   183cm
■山岡鉄舟    188cm
■近衛文麿    180cm

(比較用)
■川合俊一    195㎝
■ダルビッシュ  193㎝
■ジャイアント馬場  209㎝
■細川護煕    175cm


当時の平均身長158cmの時代で180cm超の前田利家、前田慶次、藤堂高虎、斉藤義龍(マムシの道三の子)、近衛文麿の高身長ぶりが渡来系である根拠ともなる話です。

この高身長というスタイルの良さが武将にとってはリーチが長くなる為に実戦では優位性を生み出し、下克上の戦国時代は渡来系が成り上がるにはベスティな環境であった。その成り上がりの筆頭格が180cmでイケメンだった前田利家だすな。


(KPOP界で頭1つ飛びぬけたスタイルの良さを誇るBESTie。スタイルの良さが優位性を生み出す、、、これはアイドル戦国時代でも同じか!)

明治天皇は生前、写真を撮られるのも身長や体重を計るのも嫌いで、誰にも測らせなかったというが、これは西郷隆盛にも共通する話である。明治帝崩御の際、藤波言忠は亡骸に寄り添い身長を測ったというが、五尺五寸四分(約167センチ)だったと藤波は記録している。しかし、陛下の近くで仕えていた高倉篤麿の身長が168cmで陛下の鼻のあたりであり、多摩丘陵のウサギ狩りに陛下がお立ち寄りになられた富沢家の鴨居の高さが174cmでその下を通られた時ちょっと屈められたという逸話もありますので170cm後半以上あったのは間違いないと思われ、藤波言忠の不可解な行動は最後の隠蔽仕上げだと睨んでいる。

また、西郷隆盛の「隆盛」も本当の名ではなく、実は父親の名であり、本当は「隆永」だという。明治維新前は「吉之助」という名前を使っていたので誰も本当の名前をしらなかった。朝廷が西郷に官位を与える事になった際、西郷が不在で友人に聞いたところ、誤って「隆盛」と答えられ、その名のまま朝廷の公式文書で西郷隆盛として官位を賜った。尊王派である為、朝廷の誤りをそのまま自分が西郷隆盛に改名することで辻褄を合わせたらしい。

西郷隆盛03
(キヨッソーネの西郷どん)

大宅壮一の『実録・天皇記』(大和書房)には次のような記述があるという。

明治の新政府が出来て間もなく、十六歳の少年天皇が、わがままをして〝元勲〟たちのいうことをきかないと、西郷隆盛は「そんなことではまた昔の身分にかえしますぞ」といって叱りつけた。すると天皇はたちまちおとなしくなったという話が伝えられている。

この言説があることから、西郷は明治天皇はすり替えられたことを知っていたと云われる。そして、それが長州が用意した大室寅之祐であったことを、、、、まぁ、当然、薩長同盟側なので知ってて当たり前ですね。

そして、これは天皇が伏見の戦いと同じ16歳の時の話。多分、叱った後に反抗され「役に立たん奴ばい、、、」と自分と入れ替わったのかもしれない。16歳は反抗期ですから(笑)。

西郷隆盛は木戸孝允、大久保利通と共に「維新の三傑」といわれ、あれ程有名なのに写真の1つも存在していない。通説では西郷隆盛は明治10年の西南戦争で鹿児島の城山で自決したとされ、首は隠された状態のまま検死されたという。怪しいこと「メガ盛り、一般人」なのです。城山で自決したのは西郷の影武者・だという噂があるが、明治天皇は西郷の死を聞いた際にも「西郷を殺せとは言わなかった」と洩らしたとされるほど西郷のことを気に入っていたというが、自らの影武者ならば、そう思うだろう。ここは西郷-明治天皇入替り説を充分洞察する必要はありそうだすな。

三ケツ神02
(平成の三ケツ・爆)

1828年生まれの西郷は明治天皇の24歳年上ですが、明治天皇享年が60歳なら+24で84歳。この歳なら順当な往生かもしれない。

や、、やはり西郷どんが明治天皇だったのか!?

そして、ここに1枚の写真がある。
前列右端の男が本当の西郷隆盛だと云われる。

西郷隆盛01
(右端の男が西郷隆盛)

一般的なイメージの西郷隆盛と全然似ていない(滝汗)。

しかし、幕末時の手配書の顔とそっくりです。

saigou1.jpg

更にもう1つ、コレも本当の西郷隆盛の画像だという。
上と同じ人物ですね。

西郷隆盛02
(西郷隆盛)

一般的イメージは眼の細さを逆にして作られたものだ。

う~む、先の横須賀行幸時の明治天皇と似ている。。。

以上から、オイラの見立てでは明治天皇は 睦仁誕生→生後、中山慶子姉の子(父・田安慶頼)と入替→大室虎之祐と入替→鳥羽伏見の戦いで西郷隆盛と入替 という経緯を辿ったのではないかと睨んでいる。

まぁ、入替し過ぎの感はあるが、、、、果たして、、、


3)南朝とか北朝とかいっても我々の祖先はどちらにもいたから、いま明治天皇が南朝でもまごついたりしない。
これは明治政府は南朝であることを認めている発言であるが、実際に南朝には藤原式家、北朝には藤原北家が憑いていた。しかし、実はもっと深い意味があると思う。つまり、もっと昔まで遡って云っているのではないのか? つまり南北イスラエルまで視野を入れているようにも思える。「南朝=百済系=南ユダ族」「北朝=新羅系=北イスラエル族」であることから、この2つに分かれた部族はレビ族しかいない。やはり藤原氏はレビ族だった。


2)藤原氏は中国系と朝鮮系に分かれていて中国系の方が威張っていた。
ここが今回の記事の謎を解く最大のポイントです。どうも藤原氏には2系統存在するらしい。確かにレビ族は中国では李氏と名乗っていて、その李は東アジアを席巻して経済支配状態にある。日本の場合、李氏(レビ族)が藤原氏と名乗っているだけ。

この藤原の名は「藤」を「トウ」と読むから「唐」からだという話もあるが、そんなオヤジギャクのような話ではないと思う。藤原の「藤」の由来は賀茂神社の大祭「葵祭」のオリジナルが籠神社の「藤祭」であり、この「藤祭」の「藤」は「不死」から来ている。

つまり、藤原とは「不死原」なのですね。

かぐや姫が月に帰る際、老夫婦に託したのが「不老不死の妙薬」であり、老夫婦が要らないと蓬莱山に捨てたといわれる。このことから蓬莱山は不老不死の山、、、不死山、不二山と記されるようになったわけだが、この蓬莱山を仰ぎ望む地という意味から作られた「天帝天皇」と同じいわば道教用語であり、壬申の乱で手柄のあった中臣大嶋に対し天武天皇が額田王女と共に賜った「天武の育った地」から作られた姓でもある。持統上皇の謎の三河行幸=天武帝御落胤大虐殺から御落胤・宮子を匿った藤原不比等に「藤原」姓を譲ったという経緯があるだけで、別に藤原氏は「李」と名乗ってもよかったのかもしれない。その方が分かりやすかった(笑)。

実際、藤原氏は列島を1300年支配して不死状態なのだが、、、(滝汗)

藤原妹紅01
(不老不死の藤原妹紅、、、、藤原不死人の娘という設定)

そうなると、、、、

東アジア各地にいる李氏は藤原氏と同じレビ族の大司祭階級であり、ペリシテ人(客家)の後ろ盾を背景に南朝・北朝の天皇に仕えているフリをしている。そしてその南朝(天孫)・北朝(地祇系)の天皇は天神系天皇からレビ族を通じて統治委託されているという構造なのかもしれない。つまり、東アジアはレビ族を通じて天神系天皇に全てが集約される、、、、

その天神系天皇の正体はレビ族(エドム人)

つまり、レビ族(エドム人)はヘブル人の顔をした「海の民」であるペリシテ人(客家)でもあり、宗教を通じて天皇や臣民を宗教支配していた天神系天皇だったのかもしれない。

「祝」という字が「兄」になっているのは、祭壇の前にいて祝福を与えるのがヘブル人の兄部族であるエサウを祖とするエドム人であったからだろう。

不思議なことに、藤原氏の隆盛に伴い何故か秦氏は歴史から消えていっている。つまり、秦氏が藤原氏に名を変えていったのが本当のところのようだ。これが中国系の藤原氏なのか? 天武天皇が壬申の乱を始める前に吉野で唐勢力と密議していたとも言われるが、白村江の戦いで百済遺臣・大倭連合軍は唐・新羅連合軍に負けており、唐使者が敗戦処理で日本列島に来ていたことは間違いない。これが中国系藤原氏だとオイラは睨んでいる。

その秦氏も1つの氏族ではなく、稲荷・八幡信仰した者が名乗ったことから、ここにマレー半島から伊平島経由できたユダ族もいたかもしれない。その後、ユダ族に付き従って来た南レビ族は南北レビ族が糾合されて藤原氏と名乗った。その1つがユダ族出自から藤原宇合を名乗り、藤原式家の祖となったのだろう。またユダ族は桓武天皇から「平」の姓を賜って平氏となっていったと睨む。

実際、浅草の非人頭の弾左衛門は浅草寺の隣に旗本並みの居を構えていたが、太田道灌が浅草寺に通じる細い一本道の首根っこに「穢多」(長吏)を置いて街道警備をさせたのが始まりで、その周辺には処刑場と牢屋があったという。この弾左衛門も「弾→藤原→弾」と姓を変えている。もっと遡ると秦氏と称していたらしいが、北イスラエル族のダン族に起因するのではないかとも云われる。

つまり、藤原氏とは秦氏と同じく合成家系だった!?
(マヨさんと同じ結論に至った、、、)

さてさて脱線はしたが、これで基本的な年表は完成。問題はユダ族がどの氏族かという点です。

名無し先生の内容からは「天孫族は紀元1世紀にローマを出た南イスラエル海洋族でダビデの父エッサイからの流れ。稲作と天孫降臨伝説を日本列島にもたらした。」という。この内容からはローマの先進文明を携えて来ている思われる。しかも1世紀当時のローマはキリスト教が席巻していた時であり彼らはキリスト教を信仰していたのかもしれない。またローマの漢字は「太秦」と書く。『日本書紀』にも応神14年(283年)、天皇に仕えた弓月君を祖とし、百済より百二十県の人を率いて帰化したと記されているが、この「弓月」は「ユダ」を連想させる。

ここまで一致すると秦氏=ユダ族で確定なのか?

ただ、秦氏創建の太秦・広隆寺の建築様式や瓦は明らかに新羅式。百済から来たという日本書紀の内容も実に怪しくなってくる。

一方、語り部は秦氏の祖・秦河勝(邇波広高 590~650年頃)は出雲族傍系出自で波斯キリスト教徒としている。河勝4代前の縣君塩古の時代に三川徐福国技術(養蚕・機織・酒造...等)を得て殖産興業を旨としていたが、大王から命じられて人民に従う恭順さを植え付ける為に全国各地に景教を広め景教信仰と引き換えに生計を立てる技術を提供する政策を行った。大国主族、弥生人、土蜘蛛、夷人...等の信仰した人たちが秦氏を賜って名乗るようになった。この政策は大成功した為、邇波広高は「秦姓」を下賜されたという。

そして、その後、660年百済滅亡して大量の百済遺民が日本列島に亡命してきた。語り部説に従い、オイラは「百済=烏垣騎馬民族=南周りヘブル人=エフライム族」の国だと認識している。この時、百済にはユダ族も居たのだろうか? そうではないと思う。だが「南朝=百済派=南ユダ国派となる点がまだスッキリしない。これはユダ族の日本列島渡来状況が未だよく分からないからであり、天孫族が日向に降り立った伝承と稲作の始まりから、もっと昔に遡るのが妥当だと思える。

それは、弥生人(倭人)として長江から九州へ来て山岳伝いに移動して奈良に都を構えた邪馬台国を建国した苗族だったのだろうか? まだまだ分からないことだらけです。

ヘブル人渡来
(かなり大雑多に記した渡来経路)

このように景教を推進した秦氏ですが、ある時、秦氏末裔が賀茂氏と婚姻を通じて一体化。そして秦氏祭祀を賀茂氏に譲渡して自らは殖産興業に専念化。賀茂氏は相次いで稲荷社・八幡社を建立し布教していった。

多分、秦氏祭祀は景教そのままズバリだったのだろう。賀茂氏との提携は、人民恭順化の為に初期大王家が導入した波斯キリスト教信仰を景教と天神系祭祀と合併して景教色を抑えた和風なものに変えて作り出した神社神道でもって景教信仰から稲荷(INRI)や八幡(ヤハウェ)信仰へと置き換えさせる為だった。そして、もう一方の後期大王家が導入した小乗仏教も空海や最澄を唐に留学させ、景教の教えを練りこんだ平安仏教を作り出させ小乗仏教に変わるものとして広めた。どちらもベースには景教がある。

何故、和風化してまでキリスト教(景教)を隠さねばならなかったのか? それは唐の則天武后(690~705年在位)のキリスト教大弾圧開始にあると思う。唐が日本を敵対国視するのを避けたのだろう。

さぁ、ここまで分かったら後は渡来時期に合わせ各氏族を当て嵌めていくだけです。
で、出来たのはこんな感じです。

■藤原氏・・・北南王国のレビ族大司祭の合成家系
■忌部氏・・・北レビ族→物部系忌部→秦系忌部
■秦氏・・・宗家・・・出雲族傍流
       信仰改名家・・・南ユダ族・その他渡来系→藤原氏(イズハル-サムエルの流れの大司祭階級)、平氏、源氏に改名
■賀茂氏・・・賀茂県主(天神系)・・・出雲神族傍流(後に秦宗家と婚姻同族化)
         高鴨氏(地祇系)・・・出雲族(出雲神族と地祇系スサノオとの混血種)
■天皇家・・・北エフライム族
        南ユダ族(ダビデの父・エッサイの流れ)


籠神社極秘伝では「彦火明命は山城の賀茂別雷神と異名同神であり、その御祖の大神(下鴨)も併せ祀られているとも伝えられる」といい、彦火明命は亦の名を天火明命・天照御魂神・天照国照彦火明命・饒速日命とされる。賀茂別雷神という名称も出雲の賀茂神社祭神とは異なる、、、つまり、分家・傍流という意味合いなのだろう。

だから、賀茂県主は天神系となる。
但し、秦氏(天孫系)との婚姻によって、乗っ取られた形にはなってしまっているが、、、、

この同族化した秦氏・賀茂氏によって天皇への神権授与が行われ晴れて王や天皇となることが出来るわけだが、この儀式を行って貰えないと王や天皇にはなれない。儀式をするものが王となる者を支配する淵源がここにある。

秦氏・賀茂氏の同族化が意味することは、エフライム族王家(地神祇)とユダ族王家(天孫系)が裏表になって政治的に統治するという形でもあり、その為にレビ族は自ら糾合して統一した。その際に作られた姓が「藤原」であったり、「賀茂」であったという訳です。これが古代の天皇家の紋章や京都御所の天皇御在所の前や京都上下賀茂神社の本殿にエフライム族の一角獣とユダ族の獅子の像(狛犬)が置かれたり、描かれている理由でしょう。

賀茂本殿
(賀茂神社本殿)

そして、その一体運営の約束の証が太秦「蚕の社」の三柱鳥居という風に理解が進む。この三柱鳥居は各派の天皇(王族)間の約束ではなく、「王を選ぶ」側=レビ族側の盟約だったわけ。

三鳥居02
(エフライム族、ユダ族、レビ族の盟約)

藤原氏は祭祀をしないのでレビ族ではないのでは?という疑問が出てきますが、エフライム族の天皇に対し北レビ族の藤原氏(北家)が「油を注ぐ」ことで王の神権を与えることになるが、実際、藤原氏は天皇即位にあたり家伝の印や真言を新天皇に授ける役を担っている。これが「油を注ぐ」ことであり、大祭司家だけが有する特権なのだろう。

実際、朝廷とは人を神にした神殿でもある。

そして、勅令という神託を伝える神殿(朝廷)詰めの大祭司家、、、これが藤原氏。いわば政治を司る「レビ族の表の顔」である。日本には神殿(朝廷)があるから、李氏(レビ族)=藤原氏が前面に立っておらず、他の国ではレビ族が表に立っているだけの話なのだろう。
※政治=藤原氏、祭祀=賀茂氏、経済=三井氏という役割分担。

ただ、明治期だけは西郷どんが天皇を務めていた。しかし、それも藤原-賀茂族(斎院)が誰を天皇にするかを決めた上での結果であることは間違いない筈で、それも緊急避難的な一代限りとされた感じ。実際、明治帝の子息は次々と早世させられている。種無しだった大正天皇を除いては、、、、その後、西◎寺の血を入れ昭和天皇誕生という流れにしているのだろうか? ならば非常に巧妙に入れ替え(元の鞘戻し)が行われている。
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コメント

明治天皇が西郷隆盛なら、坂本龍馬はヤタガラスなんじゃねぇか。坂本龍馬を襲った十津川達がやたがらすをトーテムしてたらしいから、坂本龍馬を表向きは死なしといてヤタガラスに入っていたのじゃないか。 テレビでは凄い人英雄扱いされてるけど、本当は裏で暗躍し今のカラスみたいなことしていたのかもね。ただの私の推測だけど。

坂本龍馬は武器運用を任されてるカラスの一員だったのかも。だからこそ死の武器商人だったのだろう。武器を売りさばいて金を儲け戦争もさせる。クラバーがイルミナティ、イエスズ会、ヘッセン=ナッサウ家関係の高貴な人なのなら一般の侍ではあえないがヤタガラスなら会える。池田屋も寺田屋事件も皆黒幕は坂本龍馬。明智光秀は天海となってヤタガラスに入ったのなら明智光秀の末裔の坂本龍馬もヤタガラスということになる。明智光秀と坂本龍馬の家紋がたしか一緒だった。

明治天皇ですけど、歴代天皇が千年以上詣っていない伊勢神宮に詣った理由を考えた方がいいのでは・・・ 私の思い付きですけど、里帰り、墓参り、女、子供あたりが理由ではないですか。 薩摩、長州の人間が刷り代わりか゛バレるリスクを侵してまで伊勢神宮に行く理由とは?

こちらに・・・

ヤッズさん
こんにちは

玉蔵さんのブログに
明治天皇と西郷さんが
一緒に写っているものがありました ↓

http://golden-tamatama.com/blog-entry-1403.html

鮮明です~☆

Re: こちらに・・・

コメントありがとうございます!

> 明治天皇と西郷さんが
> 一緒に写っているものがありました ↓
> 鮮明です~☆

フルベッキ写真 ×贋物
フルボッキ写真 ○本物(爆)

西郷と大室の年齢差は24歳ですが、フルベッキの西郷と言われる人物は若過ぎですな。 あと、以前の記事で明治大室とフルベッキ大室写真の比較検討しましたが、 鼻下と耳のラインが一致しないので、同一人物ではないという結論に至っています。

役立つか・・・な?

「縄文八咫烏直系! 吉備太秦(きびのうずまさ)と世界のロイヤルファミリーはこう動く」板垣英憲著って本になかなか面白い話が出ています。
例えば、「吉備太秦は阿部山で修行した陰陽師」とか、「夏王朝と関係がある」とか、「葉山で開かれた御前会議に洪門会の長老3人が参加」とか・・・
ご存知だったらごめんなさい。

No title

西郷隆盛らしい人物像をいくつか挙げる
・角刈り頭
・目が大きい(うるんでる)

以下代表例
・後藤新平(現在の西郷一族の子孫と似てる)
・尾崎行雄(西郷の孫菊次郎と似てる)
・寺崎英成
・植草一秀(目がウルルンとしてる)

自分は西郷隆盛が島津家に対して陸海軍総督(新令外官)をやめるように進言したことからも天皇の隠し子ではないだろうか
そうでなければ島津に物が言えるとは思えない
下級藩士と大名では差がありすぎる
下級藩士が物を言える段階で隠し子
明治維新の志士は皆そう
あと○○の政変で中身が入れ替わったとかはありそう
孝明天皇については「暗殺されてない」という説がある

孝明天皇と睦仁親王は殺されたのではなかった
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-3b42.html

No title

追加
二二六事件について
主犯格は尾張徳川家だと思ってる
事件後萎縮した昭和天皇は侍従に尾張徳川家の分家の人物德川義寛を配置してる
その人物は1996年に死亡してるがJAL123便御巣鷹山『事変』直後1985年10月に侍従長に就任してる
名古屋経済界(グレーターナゴヤイニシアチブ)に力を持ち新日本の黒い霧でもJAL123便の主犯格扱いです
彼の所有する会社が
・トヨタグループ(戦時体制で肥大化する)
・ソニーグループ(終戦後の資金難で投資ソニーのサイトでも紹介されtる)
・KDDI
・防衛省(尾張徳川藩上屋敷跡)
つまり陸軍閥(幕府閥)の長
近衛家と尾張徳川家は大正時代にも貴族院でタッグを組んでる
明治維新の際もともと西国対策用に配置されていた尾張德川家はあっさり新政府軍に道を譲る
1940年体制(野口由紀夫談)の犯人でもあり戦時体制下で肥える
旧社会大衆党→日本社会党→民主社会党(トヨタグループはこの政党支持)
◆徳川同族隠し子一覧(推測)
・久原房之介(久原財閥創業者、国家総動員体制推進、旧立憲政友会総裁、日ソ友好協会会長、日中友好協会会長)※第十六代目徳川家徳川家達(田安徳川家)の隠し子
・松下幸之助(松下財閥創業者)
・小野田寛郎(陸軍大尉、陸軍中野学校出身)
・美濃部亮吉(東京都革新知事、甲賀忍者二十一家出身)※尾張徳川家の隠し子
・村木厚子(厚生労働省高級官僚)
・妹島和代(現代建築家)
・橋本龍太郎(元首相)
・徳川恒孝(徳川家現当主)※旧皇族竹田宮『恒』『徳』王の隠し子
=(関東軍『通称号【徳】』)
皇太子『徳』仁親王も付け加えておきます

昭和初期に国家民族主義に走った名門がいます皆幕府系です
・蜷川新(旧江戸幕府旗本、物部氏)※天皇誰が日本民族の主人公かの著者
・清水幾多郎(旧江戸幕府旗本、哲学者)
・鈴木茂三郎(旧江戸幕府旗本、日本社会党委員長)

日本製原爆完成全文
http://nipponseigenbaku.com/?p=49

裕仁天皇は料理人「谷部金次郎」に毒殺された件も同一犯である。それが、小渕恵三、森喜朗、小泉純一郎、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎政権と繋がっている。その仕掛け人が、小沢一郎である。

(新) 日本の黒い霧
http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/6934eb2acb1b27be98f4ab6370af8eb9

☆戦後、米国の後ろ支えを得て、旧軍部と決別した(B)の昭和天皇ですが、
日本の経済成長と共に(A)が勢力を回復しはじめ、
中曽根内閣誕生頃から、本来宮中行事のサポート役であるべき(A)の裏天皇との対立が深刻化。結果、毒殺されるに至ります。

No title

2014-11-07 18:58:46◆2月26日
1226年教皇派と皇帝派の戦い: ベネヴェントの戦い
1936年二二六事件
1940年徳川家第18代目当主徳川恒孝氏生誕
1971年日本赤軍創設
1990年ソロモンブラザーズの大量の現物売り
     日経平均4891円から33322円へと1日で4.5%暴落
1993年WTC爆破事件
1995年英国女王の金融機関ベアトリクス銀行倒産

妄想 龍馬暗殺

坂本龍馬の暗殺原因は大統領制を唱えたからでは? 大統領制=天皇制廃止=貴族制廃止。 暗殺場所は京都。 対するカ●スは皇統護持組織。本拠地は京都。龍馬暗殺の黒幕は一体?

ついでに西郷

想像ですが、西郷ー小松帯刀ー龍馬あたりは、思想が一致していたんではないでしょうか? そして廃藩置県を断行した薩摩の武力が邪魔になり西南戦争を仕掛けて貴族制廃止派閥を無力化したんではないかと妄想します。西郷が生前、戦争し足りないと言っていたそうですが、何と戦うつもりだったのでしょうか?黒幕は龍馬暗殺と同じ鴨?

No title

お邪魔いたします。
写真を見て、あれっ?と思いました。
大西瀧治郎(特攻隊の生みの親)の写真ではないかと。
ご参照下さい。
ttp://tenhouin.net/?p=81

日本の真のオーナーはアヌンナキでしょう。
当然真の天皇の所には王権をエンリルが告知し、ヤコブと相撲を取ったラファエルらが関与しています。
蘇我氏、天武・聖武天皇系です。
人間はヤタガラスを含め誰も認めないので、再び大洪水かも知れません。

藤原ではなく、本来の中臣氏と熱田=織田=忌部が怪しいと思います。忌部は四国にも居ます。

中臣が藤原になっていますが、本来の中臣と中臣鎌足は違うと思うんですね。藤原は中臣の血筋を乗っ取ったと思います。中臣になれたからこそ繁栄したと思うし、だから系譜ではレビかもしれませんが血はつながっていないような気がします。

No title

◆2月26日
1226年教皇派と皇帝派の戦い: ベネヴェントの戦い
1936年二二六事件
1940年徳川家第18代目当主徳川恒孝氏生誕
1971年日本赤軍創設
1990年ソロモンブラザーズの大量の現物売り
日経平均4891円から33322円へと1日で4.5%暴落
1993年WTC爆破事件
1995年英国女王の金融機関ベアトリクス銀行倒産
◆3月11日
紀元前586年(神武天皇76年)3月11日初代神武天皇崩御※旧暦
1860年(万延元年)神武天皇祭創設※旧暦
1863年(文久3年)孝明天皇、加茂両社に行幸、攘夷を祈らせ給う
2011年(平成23年)東日本大震災
◆1月8日
1932年(昭和7年)桜田門事件(昭和天皇暗殺未遂)が起こる
1989年(昭和64年)昭和天皇崩御

No title

◆8月112日
紀元前30年 - 古代エジプト・プトレマイオス朝の実質的な最後のファラオ・クレオパトラが自殺
1335年(建武2年7月23日) - 中先代の乱: 鎌倉に幽閉中の護良親王が足利直義の命により暗殺される
1893年 文部省訓令「小学校儀式唱歌用歌詞並楽譜」を布告。「君が代」など8曲を祝日・大祭日の唱歌と定める。
1945年第二次世界大戦: 日本政府の国体護持を条件とするポツダム宣言を受諾
1953年ソビエト連邦が、初の水爆実験(RDS-6)を実施。
1970年 - モスクワでソビエト・西ドイツ武力不行使条約締結。
1977年 - 中国共産党第11回全国代表者大会が開幕。文化大革命の終結宣言と、四つの近代化の新党規約を発表
1985年 - 日本航空123便墜落事故。日本航空の羽田発伊丹行きのボーイング747型機が、群馬県の高天原山の山腹に墜落。乗客乗員520名が死亡。4人が生存。

西郷どんの顔

ヤッズさん、こんばんは!
いつも楽しくてかつなるほどと思わせる記事をありがとうございます。
煩フルと高度自給自足時代は、毎回更新されるのがとっても楽しみです。

さて、西郷どんの顔についてですが、私は、『闇の日本史』(KKベストセラーズ)に載ってた謎解きが、今のところ一番すっきりしてます。

象皮病療養中の西郷さんに気に入られて、何枚も絵を描いたという地元の絵師(服部英龍)の絵を見ると、明らかに↑の明治天皇の写真とは違います。大西瀧治郎さんとも違います。なんか志村けんの「変なおじさん」みたいなんですよ(笑)

西郷さんの特徴は耳で、耳たぶの下側が「し」の字型を描かず、そのまま稜線が頬の線につながる密着型という珍しいタイプだったそうです。
実はそうした珍しい耳を持った人物こそ、まさにフルベッキ写真のど真ん中にいる眼光のするどいおっさんです。
つまり、この写真の中で西郷どんだけは本物ということです。

上記の本には、秋田の旧家で見つかったという明治の元勲とおぼしき大礼服を来た謎の人物の写真が掲載されてて、これがフルベッキ写真のおっさんと同一人物である可能性が極めて高いという、警視庁科学研究所のお墨付きまででてるそうです。
ご興味があれば、この本をお読みくださいませ。

それにしても、本題の明治天皇の正体は、、、よくわかりませんね(^_^;)

No title

お隠れになった天子様(聖徳太子(蘇我入鹿)‐天武・聖武天皇系直系嫡流ユダ王家+藤原氏からエフライム王家血流)を見つけ出して早く天皇の座に戻さないと、
今の天智天皇系は所詮、百済の王氏という中国の属国である韓国の王を、
同じく百済の王子達である藤原氏らが百済を救う白村江の戦いを起こす為に、
聖徳太子(蘇我入鹿)‐天武・聖武天皇系をクーデターテロですり替えた偽天皇なので、
神の国の真の天皇(外宇宙から来た天地創造の神から分化した意識体達=シリウス王家→プレアデス王家→アヌンナキ大王家魔王ルシファー→ダビデ王、キリスト・聖徳太子(蘇我入鹿)‐天武・聖武天皇系)は、
神の加護を受けるものの、白村江の戦いや第二次大戦のように神の加護も日本人は受けられず、
所詮は中国の属国という理屈になり、何れ中国に同化されて日本は消滅し民族浄化で日本人は消滅する事になります。

百済王はかつて悪魔崇拝に陥って神に離散させられたエフライム王朝なので、
悪魔崇拝ロックフェラーらとも親しく血縁関係を築いており、
中丸薫やヤタガラス上層らはそれです。

「少女スナッフビデオ 警察 青ざめたリスト」とか「ドルフ 統一協会系 高山椿己」「園遊会 風使い 高山椿己」「天皇の金塊 下鴨神社 フリーメーソン33位」「日航ジャンボ機 クロカモ」「田布施システム 佐宗」を全て検索してみると、
今の韓国人偽天皇が藤原氏やヤタガラスの操り人形となり、日本と日本人を売り渡す為に反(表の)米国でロシアとイヱ口ーケー≠や秘密地下軍事基地を築いている事が日航関連から分かりこれは米露対立構図というよりは米国内も含め全ての国の地下に秘密軍事基地を築いて転覆を図っている超国家連携であること、
また、元ミスユニバース日本代表で露見したように実は日本人女性少女らが欲しいままに偽天皇や在日朝鮮人達のドルイド悪魔崇拝の犠牲になっている実態やらが見えて来ます。
昭和天皇は苦悩しこの勢力と戦って毒殺されたそうです。

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No title

共産圏の総本山も京都でしょう
共産圏の紋章が麦紋=日本の稲紋
稲紋=物部朝臣→穂積朝臣(鈴木氏)の家紋
古代からの軍事氏族が戦時体制の犯人
・藤原五摂家・徳川同族・
・物部閥(物部朝臣→石上朝臣→穂積朝臣:鈴木氏→賀茂朝臣)
あとは仏教天台宗

No title

以前に私も注目していた語り部さんのお話に
次のような記述があったのですが、

扶余王族の佐富は、扶余王族の倭聖の子、建(天武)と百済王族の倭舒の子である友(天智)と百済翹岐の子、藤原不比等を歴史の動乱を招いた子等を儲けた・・・・・

キリスト教旧約聖書は、祭神を巡って幾度も書き換えられたという話があり、いわゆる唯一神教「宗教改革勢力」により「神」の内容(祭祀対象)が異なっています。マカバイ時代以前に、祭祀階級そのものに、メソポタミア時代?から続く確執があるような気がします。自分なりの答えを書けるほどまだ整理できていないのが残念ですが。

No title

西郷隆盛さんの写真とされました上の写真は、

特攻作戦の責任者として自害させられた大西瀧治郎中将の写真です。

・・・残念でなりません。

Re: No title

コメントありがとうございます!

> 扶余王族の佐富は、扶余王族の倭聖の子、建(天武)と百済王族の倭舒の子である友(天智)と百済翹岐の子、藤原不比等を歴史の動乱を招いた子等を儲けた・・・・・

倭聖、倭友、不比等は異父同母3兄弟ということであり、しかも不比等の父は倭友!
これが不比等は「人にあらず」といわれる由縁かなと考えております。

> キリスト教旧約聖書は、祭神を巡って幾度も書き換えられたという話があり、いわゆる唯一神教「宗教改革勢力」により「神」の内容(祭祀対象)が異なっています。マカバイ時代以前に、祭祀階級そのものに、メソポタミア時代?から続く確執があるような気がします。自分なりの答えを書けるほどまだ整理できていないのが残念ですが。

この確執は多神教のアモン神信仰と唯一神のアテン神信仰の確執ですね。ここから多神教の北イスラエル国と一神教の南ユダ国に行き着き、更には日本で仏神混淆の多神教の北朝と唯一神的現人神信仰の国家神道の南朝にまで及んでいると考えています。

No title

2014/11/26
に投稿させていただいた者です。大変遅くなりましたが、お答えをいただきまして恐縮に感じております。^^  管理人さまにはいつも有益な記事や情報をいただき、感謝います。^^ 終わり三行にお書きになった内容にもまったく同感しています。足取りをつかむのが難しくて難儀ですが、おそらく山海経の世界(扶桑)あたりからインド、インダス以西の可能性・・・。人類アフリカ発祥説がそのまま信じられない自分がいます。

長年に渡り十二(十三)支族の勉強を、それなりにさせていただきました、最近至った認識では、アブラハム一神教以前の、永遠の祭司で在り続けている、な、メルキゼデクの平和的霊統を守り続けている霊統(権力という邪道とは無縁である)にこそ、この世の真の救い主であり、王となれる資格?があるのではないかという秘かな認識に至ることになりました。これは明らかに世の王とは別であるのです。古代の神が、人皇に堕落してから人類・地球の堕落は始まったといわれる由縁です。これが偽物の神を奉じてきた(自称してきた)勢力です。

アブラハム以前の、ノア(ウトナピシュテム、禹)直系を含める、その周辺の系統です。アブラハム以降の一神教的勢力が紡ぎだした系統は、過去に囚われた囚人のごとくで、因習や古い秩序に執着甚だしく(別の言葉でいえば、脱し切れていない)邪なエネルギーに霊体を満たされてしまった哀れな魂たちであるように思われて仕方がないのです。

人類の歴史は、狭い「聖書」世界の以前、以外にあったことはすでに中国を衷心とした世界の考古学が挑戦中であり、この方向性を覆すことは困難でしょう。

統制宗教とはナチ宗教の別名であり。中国周代にも萌芽が見られたという、古代封建制の中にもあったとわれる古代的共産共栄の権力・人々の社会の運営の在り方を、十分参考にし、学び、精神を受け継ぎ未来の姿に反映させていくべきだと考えています。世界が共に和し協力、融和してやっていく時代が、眼前に来ていると思っております。

エジプト宗教を衣換えしただけのようなバチカン宗教も、仮面を剝げば元は同じところから出てきているということを、以前調べて知りました。人間の欲望が或る血統樹に遡ることができ、裏に隠れた形での(カルト一神教崇拝)宗教という、権力という魔物を創り出してきたということなのですね。

まとまりがなくて、申し訳ないですが、地上の存在すべてが祝福される日が一日も早く訪れますことを、真底念じて。長ったらしい文ですが、遅くなりましたが、お時間をいただけましたら嬉しいです。

管理人さま、今日も読ませていただきどうもありがとうございました。よい一年になるとよいですね。

No title

追加です。

イスラエル建国の後、一神教勢力が一神に変えてしまった3000年ほど前のエル・サレム(神の平安)の山(丘)では元々、永遠の祭司・メルキゼデクが祭祀していたのは、二柱のエル・エルヨ(ン)という夫婦の二神であったらしいのです。そういえば、一昔前の日本女性の名前に「代、世、ヨ」がつくのも珍しくはないことでした。私の周りにも三人ほど。

昔のヘブライ語聖書による神の名は「ハハ」であったことは、銘記することがあるとおもうのです。これは「アラハバキ」につながると思えて仕方がないのですが。中国の神話伝説にある女祖についても、調べる必要があるとおもっています。媽祖、女媧(「じょか」と発音するのは後に流入した漢音によるものでしょう。女媧は現代中国語ではnuwaと発音される。古代日本の上古語でも、現在はわずかに「にょうぼう・女房」ということばで残っていますが、「にょうば」とは、「女・女性」のことであったのです。語源はnuwa・女媧)

小さなことかもしれませんが、ことば(音)は何かしらの過去を、伝えてくれていることを想わざるを得ないです・・・

上の投稿で、誤字と脱字の誤りをおかしました。どうぞ、お許し下さい。
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