覚醒メカニズムと福音伝道

ここのところブログ内容が大きく舵切りしているのが分かるかと思いますが、今後はこの覚醒視点をメインに据える方向性でいこうと考えている。で、オイラは師匠たちの福音(ゴスペル)を述べ伝える最初の福音伝道者(エヴァゲリオン)になろう。

つまり、エヴァンゲリオン初号機とはオイラのことなのだ~す(爆)。

で、その初号機の覚醒(悟り)はいつか?
それはサードインパクトが起きる時とだけ言っておこう(ふふふふ)。
今はビーストモードを発動させないよう抑えておかねば、、、

覚醒03
(天使の輪とは頭頂チャクラが開いて、そこに自己が居る状態を示している)

覚醒(悟り)といっても、禅的な悟りと釈尊の原始的な悟りとは違うと言われる。前者が「自我の発動を抑えて【楽】に生きていく境地」なのに対し、後者は「自我消滅で【楽】と感じる自分さえいない境地」。どちらがより高度な覚醒状態なのかはハッキリしていますね。この後者の状態に至ったのがEO師だと云われていますが、EO師の覚醒直前状況は「自殺」一歩手前という追い詰められた状態になっており、誰しもが到れる道筋ではない。

ラピ。師匠系でも覚醒の前には「激流」を渡らなければなりませんが、激流中は満足に体を動かせない程だといい、それはEO師の辿った道のように過酷なのかもしれない。第1の実践でワクワクを使い「善玉エゴ」を強化するのですが、これが不完全なものである為、必ず行き詰まりが発生し自然と目の前に「第2の扉」が現れてくるという。

その「バラルの扉」(神の世界への門)を開け、第2の実践という「激流」を渡り切ると絶対世界(彼岸)。

ここに至ると最初は満足に体を動かせないという。というのも、自我が体と一体化して動かしていたのが、この作用元が無くなってしまったから動かせなくなる。覚醒するのも意外と大変なことではある(滝汗)。ここが当面の最終目標地点になるのですが、ここに達したいと強く思えば思うほど到達出来ないというジレンマが存在する。そう強く思う自我がある限り自我が決して消滅しないからです(あはは)。

天国の門01
(フィレンチェ・ドゥオーモ前にあるサン・ジョヴァンニ洗礼堂の「天国の門」)

で、鍵コメで覚醒の件を心配して下さりました。
(ありがとうございます。m○m)

>何だかグルジェフ関連を語っている人いるけど... 
>7年は笑えなくなると思うからヤッズさんの(笑)が見れなくなってしまう(笑)


オイラも覚醒に関しては、以前から調べてますので虚無に陥ってしまったという人の話も聞いたこともあります。7年笑えないとはこの虚無に陥った状態なのでしょう。また想念が奔流のように流れ込んで来た体験もしていますので、あのような自体になることは二度と勘弁という気持ちもあります。師匠に付かない独学実践の場合、こういう危険性がありますね。

で、この笑えなくなる件をラピ。師匠に聞いてみたところ、、、

>泣くことも笑うこともあるよ
>だけど泣く人笑う人はいない
>泣く、笑う、そのもの


つまり自我が消滅し「自分」という存在がないから「笑う人」「泣く人」という認識がないだけで、喜怒哀楽はあるようです。まるで感情が体だといわんばかりの表現です。実際に覚醒したとされる状態で感情表出ができなくなった人もいますが、それは内面が「空っぽの状態=虚無」の状態であるからそう感じられるだけであり、逆に言えば「空っぽ」と感じる「自我」がまだ存在するということ。この状態では本当の覚醒(彼岸に至った=自我の消滅)に至ったとはならないようです。少し安心しました。

では、グルジェフワークだとそういう風になるのかな、、、そういやぁ、以前にグルジェフワークについて記事書いたことありました。

■グルジェフ(2009-06-16 煩フル記事)
http://aioi.blog6.fc2.com/blog-entry-1059.html

う~む、いいこと書いているなぁ、、、
オイラは完全に忘却の彼方でした。随分、オイラは劣化している(あはは)。

超長いのでポイントだけを記すと、、、

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■覚醒のメカニズム
覚醒に必要なこととは何でしょうか?

グルジェフは、それは「自己観察」だといいます。

感情想念層にはエネルギーが渦巻いて満ち溢れていますが、その放たれたエネルギーのボルテージをもっと高め、それを眠っていて活性化されていない高次の感情想念層にまで到達させ、そことリンクさせることで、人はより高い意識状態へ遷移していき、やがて「覚醒」に至るのだといいます。その導き手が「自己観察」です。

私たちの意識は通常外界に向けられており、それに対する反応が脳内で始終湧き上がっている状態ですが、こういうことにエネルギーを消費してしまっているから、折角、発生したエネルギーが高次の感情想念層に届かず活性化しないのです。「自己観察」はこの発生したエネルギーをより高次の感情想念層に導いていきます。

つまり、この脳内おしゃべりが、感情想念層で発生させている初源的なエネルギーを弱めてしまう心理的な「緩衝器」(クンダバッファー)の働きをしているというわけです。人は誰しもこの「緩衝器」を持っており、例えば、仕事上での失敗も「あいつが悪い」と自己正当化することでショックを和らげています。これが「緩衝器」といわれる所以です。失敗した時ほどアレやコレやと脳内おしゃべりが多いのは、こういう理由からなのです(笑)。

スピ系は別名「癒しのワーク」といいますが、実は、今、行われているワークのほとんどはこの理論からかけ離れた所作となり、覚醒から離れていくことになりそうです(笑)。

この「緩衝器」は自動車でいうところの振動を軽減するダンパーやショック・アブソーバーに相当するといえるでしょうか。この「緩衝器」が無ければ、大八車のように地面の凸凹が乗員にモロに直撃し、とても耐えられるものではありません。

しかし、この心理的な「緩衝器」を取り去って、湧き上がる感情をそのままダイレクトに受け取り、観察し続け、意識エネルギーをより高次の感情想念層に流し込みはじめと、ついには覚醒に至るといいます。

R・シュタイナーによると、この苦痛が大きければ大きい程、多ければ多い程、自己の感情想念層はもがき苦しみ、その苦痛に耐えるように自己浄化でバランスを取ろうとします。この耐性が増した感情想念層はやがてネガティブをも感じなくなりますが、このように純化した感情想念層を「霊我(マナス)」といい、この領域に自己が入りその周囲に霊的感覚器官を構築していき、機が熟すると肉体という殻を脱ぎ捨て感情想念層を最下部のボディとする新しい生が始まるといいます。

ちなみに、この「霊我」に自己が入って自己観察している状態が「覚醒」です。

霊的感覚器官がもたらす情報は、冒頭の例で示した「自己実現」「意識拡大」「宇宙的真理」「絶対幸福」という物質世界から得られる情報とは著しく異質のものです。この情報を認知するには霊的感覚器官の育成が必要です。グルジェフのいう「緩衝器」を取り去って感情が発する様々な情報をダイレクトに敏感に受取ることは、即ち、霊的感覚器官の育成に他ならなかったのです。

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この「霊我」(マナス)を構成する「純化浄化され耐性が増した感情想念層」が、カバラでいうところの自我を覆い尽くし、その「受取の意思」の働きを無効化させる意識の膜「マサップ」と同じことなのでなないか。この中に入ると自我の「受取の意思」である「ああしたい」「こうしたい」「あれ嫌だ」「これ好き」という思考が全く響かなってしまい、意思自体が無効となって機能停止となり「自我消滅した」と認識されるのだろうと睨む。

肉体レベルで自分を指すのが「自我(エゴ)」であり、精神レベルで自分を指すの「霊我」と呼ばれる。R/シュタイナーによると、やがてヒトは「肉体-エーテル体-アストラル体-自我」という構成から、肉体の殻を脱ぎ捨て「エーレル体-アストラル体-自我-霊我」という構成になるという。そして、更に生命霊、霊人と、、、ヒトの意識進化はまだまだ続く。
■物質体・・・所謂、肉体
■エーテル体(生命体)・・・生命力・記憶力を持った部分
■アストラル体(感覚する魂体)・・・感覚・衝動・本能・情欲を持った部分
■メンタル体(悟性魂)・・・高次な思考力を持った部分、自我によってエーテル体が変化したもの
■マナス体(霊我)・・・自我が、衝動・欲望・情欲を支配した度合いに応じて、霊我がアストラル体の中に現れる「私」という形成されるもの、自我によってアストラル体が変化し純化されたもの
■ブッディ体(生命霊)・・・直感の体、自我によって生命体が変化し純化されたもの
■アートマ体(霊人)自我によって肉体の一部が変化し純化されたもの、霊体の皮膚みたいなもの


グルジェフは不断なく自己の限界を突き進むことを「超努力」と言っていますが、これはラピ。師匠がいう「とことん」と同じですね。やはり「修行層」並にならねばならぬのか、、、、この「超努力」で脳の中枢(センター)と連結した小さなエネルギー蓄積器から、もっと大きな蓄積器に繋ぎ替えが可能となるとグルジェフはいいます。このようにグルジェフワークとTK祖師&ラピ。師匠の方法は要素要素の説明は代用出来ますが、プロセスというか進め方は幾分異なるという感じがします。

その最たるものが「下から」(自分を最も低い者とする)とエゴを激流の筏にするでしょうか。

とどのつまり、「激流」とは、この「純化&高耐性化した感情想念層(マナス、マサップ)」に自己を入れ込む際に起きる劇的な現象に他ならないと睨んでいる。今までは肉体レベルの低い感情想念層(アストラル界)に自我(エゴ)と共にいた自己(観察精神)が、より純化され異質な状態の高次の感情想念層に移っていことが次元上昇であり、それには強い意思力がいるというわけです。
※外界に行くほど低次であり、内側に行くほど高次。つまり高次は低次に取り囲まれた球状の状態になっている?

そして、「バラルの扉」を開けた後、内部の迷路を抜け出す道が「下から」であり、流されないようにエゴを筏にして到達するというわけです。そして、渡り切った後はエゴは消滅となるのですが、オイラは筏に使ったエゴは無くならず器だけが残り、マナス内においては本来の機能が発動しない状態になったのだと見ている。自我の中には相変わらず自己が入ったままであり、これが「自己-霊我(マナス)-自我-アストラル体」という構成を持つ新しいヒトだと睨んでいるわけです。

肉体レベルの場合は、肉体上に形成された感覚器官を通じて取り込んだ情報をエーテル体で反射させ、その反射を自己が認識しているのですが、新しいヒトの場合は、アストラル層の感覚器官を通じて自我に反射させて自己が認識するように変わっていく。まぁ、その時には肉体の殻を脱ぎ捨て、アストラル体を最下層のボディとしてしまう時なのだが、、、これが「生命の木」の実を食べた状態であり、「人類補完計画」が完成した時でもある。
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Comments

No title

変換人型ゲシュタルト思考を得るためには、人間型ゲシュタルト思考をマスターしてからではならない。煩悩から奈落へその先にあるのだろう。点が円を内包しているという認識は何となく分かってきた。私が認識している領域は私が定義している。共通認識からの脱却のためには煩悩を学ばなければなるまいw

I'LL BE THERE

「日の出の巻」第四帖
旧十月八日、十八日、五月五日、三月三日は幾らでもあるぞと申してあろが、
此の日は臣民には恐い日であれど神には結構な日ざぞと申してあろが、
神心になれば神とまつはれば神とあななへば臣民にも結構な日となるのぞ。
其の時は五六七の世となるのざぞ。

グルジェフ先生やシュタイナー先生は、私達となんら変わりませんがブレンド具合がチトちが違うのは確かですね。

其れこそ、イエスやブッダに至っても、稀有であるという点を除けばなんら私達と変わらないと思います、
此の世の出演者としては…

グルジェフの云うところの人格は恐らくは、此の世を舞台として各々が演じる配役であり、もちろん固定された物ではなく、千変万化です。

そして其の人格の生まれる場所、由来は此の世を構成する出演者以外のエネルギーです。

本質とて定まったモノではありません。次元と云うモノが在るとすれば、一つ隣りの歯車(次元)を為す私達の姿であり是等も同様に千変万化です。

ただし、此れは出演者由来のエネルギーです。
もちろん、出演者は私達人類に限りません。

この人格と其れを客観視する立ち位置にある本質の占める割合が個人個人、種々で異なる訳です。

そして、そのブレンド具合がまた別に第3の要素として存在するのです。
此れが外在する神と呼ばれる存在です。

人格ー本質ー第3の要素によるトリニティーが此の世を構成しているのです。

そして此れが…です。

敢えて言葉にすれば、こんな風かと思いますが、言語化不能です。

ですから、ヤッズさん…
勿論二ビルも現れるで☻

No title

「虚無感」ですか。。。。
「空・仮・中」というのをご存知ですか。

ところでもしも本気なら、やはり一時的にもブログはやめないとね。散々楽しませて頂いておいてなんですが。
あらゆる意味で雑音を断たないとね。



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