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今も信長は生きている

移植手術した眼「永遠の万華鏡写輪眼」も随分見え始めてきましたが、まだまだ彼岸(絶対世界)からこの此岸(相対世界)を透徹して見る機能までは備えていない。この眼を使った瞳術の真価発動は彼岸という「激流」を渡り切った時になるだろうが、で、ここは眼のリハビリを兼ねて「本能寺の変」を再び洞察してみようと思う。
(ブロク休止宣言では御心配お掛けしました。m○m)

信長というのは日本では傑出した天才であり異端児
このカリスマ性に惹かれる人が多い。

日本の二大英雄の一人に数えられるが、もう一方の雄・坂本龍馬がサッスーン財閥の代理人クラバーのパシリの武器商人(死の商人)過ぎないのと比べ、そのスケールの大きさは比べるべくもなし。これ以上書くと武田鉄也が怒り心頭で襲いかかってくるかもしれないので、この辺で止めておくが、、、(笑)
※明智光秀の謀反で最終的に家康に転がり込んだ徳川幕府は明智光秀の末裔・坂本龍馬によって大政奉還し幕を閉じた。明智に始まり明智に終わったのが徳川幕府という点も興味深い。

信長のいい面は既成概念に囚われない革新性に尽きる。

■戦国時代のファッションリーダー
信長の行った京都馬揃えは。1~2万人を動員した趣向を凝らしたもので、今でいう「東京ガールズコレクション」と「ディズニーパレード」を足したようなもの。


信長02信長01

今、アニマル柄が大人気ですが、アニマル柄は関西のオバチャンのアイデンティティ。そのDNAは京都馬揃えのファッションショーを主催した信長によってもたらされたものだとオイラは睨んでいますが(笑)、信長のファッションセンスは450年先を先見していたのです。

アニマル柄

関西おばちゃん
(現代のカブキ者、、、信長の憑依体)

■革新的な兵器や戦術
長篠の戦いで見せた火縄銃の「3段逆スライド方式」。史上初の鋼鉄船の建造。兵農分離を最初に実現し常備軍として機動力を高めた。

■楽市楽座
既得権益だった「市」や「座」という自由取引市場を創設。近江国の六角定頼が始めたことだが、信長もこれに倣い導入。信長の楽市楽座は一見上は規制緩和を掲げながら、実態は領主による新たな商業統制策であって江戸時代の幕藩体制時の商業統制の先駆け。このように経済の活性化を図り、同時に領国の経済基盤を商工業からも得られるようにしたのです。

■涙を誘う「山中の猿」エピソード
浅井・朝倉の漆を塗ったドクロ杯、一向一揆弾圧や延暦寺焼き討ち...等で冷血なイメージの信長ですが、妻や子へ愛情深く、秀吉の妻ねねに対しての慰め手紙など、その人間性も不思議なものを持っている。『信長公記』に記されるエピソードですが、美濃・近江の国境の山中というところにいたカタワの乞食に対する信長の行動は非常に慈悲深い。上京・下京の際に目にしていた山中の乞食のところに信長は急に出向き、木綿20反をこじきの猿に与え、この反物で乞食の小屋と食べ物を与えるように村人たちにお願いした。

■傑出した構造と外観を持つ安土城
左右反転させた清涼殿と同じ建屋(本丸御殿)を持ち、天主内部中央部に設えた宝塔には仏舎利を収めた壺が安置された吹き抜け構造。また城内には堂塔伽藍を備えた寺院摠見寺が建てられている。天主という高層建築物に住居とした日本人は信長が初。


azuti.jpg
(安土城の外観)
安土城01
(安土城の構造)

ルイス・フロストが絶賛した岐阜金華山下の信長居館は4階建ての南蛮風劇場型の館であったことが分かっていますが、これを更に大きく上回るのが安土城。

この信長の分身でもある安土城は信長の理想を具現化したエゴの塊のようなもの。城の構造を見ればわかりますが、清涼殿に似た本丸御殿に天皇を住まわせ、自分はその上の天主に住むという構想。信長の野望とは天皇から治世権を与えられるのはなく、その上に君臨し、さらには中国大陸に攻め入って東アジアの神となる構想。これをイエズス会は危険視していた。築たった3年で、本能寺の変と同時に焼け落ちてしまい現存しないのが非常に残念ではある。

核物理学の用語に「対消滅」というのがありますが、これはプラス電荷を持つ「陽子」とマイナス電荷を持つ「反陽子」が衝突した際に100%の変換率でエネルギーを発生して物質が消滅してしまう現象。通常の核分裂でのエネルギー変換率は数%しかないのですが、それでもあれほどの莫大なエネルギーが放出される。このことから「対消滅」のエネルギーを使った「反物質爆弾」は究極の核兵器でもあるのです。シューメーカーレヴィ彗星の木星連続衝突は「反物質爆弾」の実験だったという。ソース元はウンモ星人だす~(爆)。

「本能寺の変」とは「対消滅」だった。

「本能寺の変」で信長は死に、光秀は「三日天下」と称されるように13日後に山崎の戦いで敗走中に農民の竹槍で死んだとされ、ほぼ同時期に2人とも亡くななって「対消滅」して消え去ってしまったのですが、そのエネルギーは再び集結して天海大僧正として結実したとオイラは見る。つまり、明智光秀はアセンション(次元上昇=意識変容)して天海大僧正となったと洞察している。光秀は「激流」を渡ったのです。確かに数日前に雨が振り、亀岡から京都に入るのに「激流」と化した桂川を必至で渡り切った。その思いは「信長は国の為成らず」という「正義」の意思力だったのだろう。
※実際の天海肉体は明智光秀だっただろう。語り部(影武者)は、明智光秀は土岐氏一族の妻木氏傍系の出自の可能性が極めて高く、明智も自称かも知れないと述べている。

天海とは、信長と光秀の変質合体だったのだす~ぅ。

実際に、天海はそう考えていたのかもしれません。
※天海はイエズス会と結託している京都勢力から江戸を守る為に、将門の怨霊を巧みに使って結界を張り巡らし、京都への地のエネルギーを流さぬようにした。また家康は崇伝に命じ「禁中並公家諸法度」を制定し法律面からも京都勢力の跋扈を抑えたが、これも京都勢力に裏切られた光秀=天海のアドバイスに従ったからだろう。

秀光は国体崩壊という事態を防いた「皇統奉公衆」の1人ではあったが、今まで信長公に絶対恭順化してついてきた秀光に主君殺しという所業は、一体、どのくらいの心の葛藤があったのだろうか。この十字架を背負っても尚、主君殺しに邁進した秀光はきっと彼岸の者に至ったに違いない。単に「謀反乱心」という言葉では片付けられないものがあったと睨む。

謀反に至る先駆的な出来事は、やはり信長の力を借りた足利義昭の将軍就任実現とその後の傀儡化。ここで光秀は自分の理想と食い違いが発生している。この二の舞が天皇に対しても行われると光秀は見ていただろう。

また、信長が天下統一後に邪魔となる家康を早々に排除する為に信長は家康暗殺を計画。その実行として光秀を安土城での家康接待役に任じて暗殺を企てたが、用心深い家康を暗殺出来なかった(腐った魚を出して信長に足蹴にされた件。多分、魚に毒を仕込んだのだろう)。信長の場合、1度失敗した者にも挽回のチャンスを与えるが2度目の失敗は許さない。今度は堺見物と終えた家康一行を本能寺に立ち寄らせ、ここで光秀軍1万3000が撃つという手筈だった。しかし光秀はこの謀略を堺にいる家康一行に伝え、家康は伊賀越を決行して三河にトンボ返り。光秀は時間をズラして本能寺を急襲したというのが歴史の真相だろう。

だが、この背後には銀本位制を継続したい蜷川・角倉・吉田神道の金融マフィア一族、そのパトロン藤原摂関家、中国利権を奪われかねないイエズス会、美女・童を囲い堕落していた延暦寺を焼き討ちされた仏教勢力...こうした者たちの利害が「信長排除」で一致していて、背後から光秀の行動をコントロールし誘導していたとオイラは睨む。

清須会議を経て、後を継いだ織田家臣団の雄・羽柴秀吉もバテレン追放令を発令し、ルソンのスペイン総督府(イエズス会の拠点でもある)に対して臣下になるよう再三要請したことから、秀吉も巧妙に半島侵攻に誘導され体力を削がれ消滅させられた。秀吉はこの誘いに乗る形でしたが、彼の真の構想は「帝には北京を中心に四カ国、公家の連中にも向こうで一国ずつ進上し、日本は秀吉の国となす」というものであり、要は大陸から来た支配者層の追い出しだった。彼ら影の支配者勢力(本当の国体)が次に選んだのが徳川家康。家康は彼らの利権を限定的に温存する形で長崎出島だけを貿易の窓口限定したが、金銀サヤ取りは止まらず、戦国期からの金の流入、銀の流出、国内問題から銀貨の含有量の変更で、今度は金の流出・銀の流入という風に戦国時代から徳川幕府末期までずっと国富が海外流出していた。信長が「金本位制」にして海外と同じ交換レートにすることに拘った理由がここにある。

天海大僧正が建築を指揮し初代住職になった日光東照宮の陽明門、また東照宮の雛形である秩父神社拝殿には2体の像がありますが、この像の袴が明智の「桔梗紋」ではないかと云われています。しかし、よくよく見るとこれは織田の「五つ木瓜紋」の方が遥かに似ている。さらに注意深く見ると紋は「明智桔梗」と「織田木瓜」の合体になっていることが分かる。これが織田信長と明智光秀が「対消滅」して、ゼロポイント的に誕生したのが天海であるというオイラの証左(爆)。
※平将門を討ち取ったのは藤原秀衡ですが、秀衡に内通し弱点と本人の特徴(影武者が7人いた)を教えた将門の愛人・桔梗姫。これ故に江戸では桔梗を嫌う。将門を祀る神田明神では桔梗を家紋にする者は参拝出来なかったと言われる。このように桔梗は将門の怨霊封じの側面がある故にあちこちに使用されたという見方もある。このことからも東照宮の紋は将門の怨霊を及ばせぬ為に木瓜ではなく桔梗である必要があったと思うが、京都勢力の呪縛を抑える為にも「朝敵」信長を表す「織田木瓜」を使ったと考えられる。これが天海とは織田信長の憑依体であると考える理由の1つ。

日光02
(日光東照宮陽明門の随身像)

織田木瓜紋
(織田木瓜紋)

桔梗紋
(明智桔梗紋)

事実、「女信長」を演じていたのは天海祐希!!!
※宝塚入団1年目で新人組主役抜擢、7年目でトップスター、その2年後に退団(通常5年はトップで在籍)とす生成のように現れ彗星のように去っていった、、、最終講演で翼を付けないとか、ファンクラブで説教するとか、ファン全員にグラスを贈呈とかの逸話があり、信長的な部分を感じさせる。

女信長
(視聴率1桁とは悪夢だっただすな。オイラも観てませんが、、、)

ここでも「近しさの法則」炸裂。
やはり、信長+光秀=天海だったのだす(爆)。

上杉謙信が女だったという説は根強いが、実は信長も女だったと主張する説もある。優秀な子孫が存続に不要な天皇家は貴種を尊ぶ「男系」であり、優秀な男子を婿に迎えて家の安泰存続を図る武家は「女系」が主流だったという話があり、ここから「信長は女だった」という説もあるのだす。女ならではのファッションセンスがあのような衣装を身に付けさせていたという洞察。

■真実の日本の歴史
http://www.link-21.com/history/src/004.html

信長女説、、、オイラは信じないだすがのう。

Oda_Nobunaga-Portrait_by_Giovanni_NIcolao.jpg
(本当の信長はこのような顔をしていた。このオッサンが豹柄の羽織を着ていたのか、、、)
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コメント

No title

以前、藤原直哉さんと雑談していて聞いた話では
「国常立尊が日本のこの1000年の歴史上 直接介入したことが2度だけある」
という話を聞きました。最初は元寇のカミカゼ。次が本能寺の変 だそうです。
どこからそういう話が出たのか聞きそびれましたが・・・今度、遠山の霜月祭りで会いますから、聞いてみますね。

う~ん。

信長さんの方が、本当に日本のことを考えていた国際派だったということですかね?
日本統一して平和が続きましたけど、実際のところ、信長さんは暗殺されるのが、良かったのかどうなのか、謎ですね。日本の裏事情なんでしょうかね??お金で手を引いてもらうようなやり方をし続けるしかやっぱり平和は維持できないのしょうかね。信長さんなら、戦いそうですからね。武士ですから。本当に、平和にはお金がかかるということでしょう。
私は、卑しくケチな人間として、平和に暮らす場合大変だなっと思います。

No title

徳川埋蔵金は、もうなさそうですね。なんか流失してそうですね。
夢なんですけどね。出てくると嬉しいし。

No title

信仰よりも、お金!!っていう貿易的な、そういう海外から来るものに対して、上陸許すけど、お金に厳しい信長タイプと
上陸は、一部で、お金で譲歩の徳川タイプ
平和な世の中が続き、今の日本の礎になっている気がせんでもないですね。文化というか伝統というか。
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