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永遠の万華鏡写輪眼と変換人型ゲシュタルト

今までオイラの万華鏡写輪眼を血を流しながら酷使して、時空を超えて洞察(妄想)を重ねてきたが、そろそろ限界なのかもしれない。失明しそうだす~(マジPC疲れか・笑)。

sasuke-mangekyo-sharingan-wide_20131021212436d3e.jpg
(ヤスケではなくサスケ)

っていうか、茶会騒動で米国デフォルト秒読みを確信したので、もうこれ以上の陰謀論中心の洞察は不毛だろうという結論に達した。陰謀論の洞察だけでは何の抑止力も発揮出来ないのだす。

収穫といえば、この写輪眼のサーチ能力と洞察力を使ってオイラが知りたいと思っていた歴史上の謎もほぼ解明できた。まぁ、それはオイラがそうだと思う独りよがりの妄想含みの真相なのだが、、、笑

1)徐福渡来の真相
2)邪馬台国の真相
3)壬申の乱の真相
4)本能寺の変の真相
5)明治維新の真相
6)天皇家出自の真相
7)日本の権力構造の真相

これらの洞察が正しい洞察なのか間違いなのかは今は分からない。もし分かるとしてもそれは後々のこと。後で訂正するかもしれないが、これらの謎に貫徹していることは、利権、保身...等の「エゴ」による対立者暗殺や歴史的事蹟の隠蔽。これ故に真相が隠され歴史の謎として存在するようになっただけのこと。このようなことはエゴの支配するこの低層次元では当然の内容であるし、今後とも起きる。

まぁ、一応、初期目標には到達した(笑)。

ならば、次に行かねば、、、もう時間がないのだす。
※オバマ・ヤスケの豹変で世界は危くなるだす~。フランシスコ27号台風はザビエルと同じく鹿児島に上陸するだす~

ではこの先、煩フルがメインに扱うテーマは何か?

やはり、精神世界と物質世界の狭間についてだすな。特にヒトラー予言の「神人(ゴッドメンシュ)」や日月神示がいう「空飛ぶ人」、オコツトがいう「変換人」のことが再び中心になってくるかなぁ。。。。

これら真の意味での新人類というべき存在は、意識変容によって外界認識OSのバージョンアップ書換を受けた結果、起きる現象だと睨んでいますが、これが巷で言われるアセンション(次元上昇 もう死語か?)のこと。ただ、この件に関しては今まで散々洞察を重ねてきたが、今の相対世界という低層次元の眼のままでは洞察には限界がある。

やはり、絶対領域、絶対世界、永遠の世界(プレローマ)を見通す眼が必要だな。

う~む、ここは「永遠の万華鏡写輪眼」の獲得しかない!!!

っていうか、「永遠の万華鏡写輪眼の獲得=変換人」であり、これでアセンション達成になってしまうのだが、、、しかも、どうすれば書換できるのか分からない(汗)。

アニメでは「万華鏡写輪眼」の瞳力は最強の尾獣「九尾妖狐」さえ制御可能だとされるが、ただ、その瞳術を発動する眼の持続力は長続きせず、視力がだんだんと落ちやがて失明に至るという。つまり、この瞳術も眼も一瞬の幻、泡沫の夢でしかない。もし「万華鏡写輪眼」で「九尾妖狐」を制御し続けるならば、失明とともに制御が効かなくなり「九尾妖狐」が暴れ出してしまう。封印が解かれてしまうのも時間の問題。これを克服するのが「永遠の万華鏡写輪眼」。
(人類エゴが極度に達し、自ら生み出した科学力や金融システムを制御出来なくなり起きているのが、今起きている太陽活動異常、米国デフォルト、内戦、原発事故汚染、HAARP、人工地震...等のネガティブな出来事ですが、これが全人類に対する「九尾妖狐」の復活だす。やがて人類はエゴの殻を破り1つにつながって、エゴの消去に向うのは自然な流れ。)

これを身近なリアル世界に当て嵌めて考えてみれば、「九尾妖狐」とは自分の中で「アレ欲しい」「コレしたい」「アレ好き」「コレ嫌い」...等、我侭放題に振舞う「自我」に相当する。オイラはこの「自我」を四象封印して人柱化力化し、更に「万華鏡写輪眼」でコントロールしながら、その漏れ出る力を利用してフルスロットルで記事を書いていたが、まだまだ完全に封印できておらず漏れ出して尻尾を出す。たまに4本以上も尾を出してしまい暴走してしまう場面もあった。

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(九尾化してしまうオイラ)

それが前記事の「衆道春画」だす~~~ぅ。
モザイク掛けときゃよかった、、、(滝汗)
あんときゃ、瞳術パワーが落ちて眼が「マン毛狂写輪眼」になっていただす。
(不快になられた方、深くお詫びいたしますm○m あはは)

アニメでは、万華鏡写輪眼の開眼者の親族か兄弟から眼を移植することで「永遠の万華鏡写輪眼」を獲得できるのですが、リアル世界ではそういうわけにはいかない。

さてさて、どうしたものか、、、

そんな時、古くからのブログ仲間で覚醒同志(兄妹)の契りを交わしたラピ。たんから少し前(5/16頃)に「にいたん わたし悟っちゃったよ (*´д`*)」というメールを受けていたのを思い出した。

にしても、な、なんて軽いノリなんだ。(滝汗)

その頃はまだオイラは陰謀論がマイブームで「覚醒(悟り)」の必要性を感じていない時でもあったので、強い関心が湧かなかったが、一昨日、フトその後どうななったのか?を彼女に聞いてみたところ、詳しくは掲示板に書いてあるとのこと。

で、ブログの掲示板を読んでビックリ。以前の酔っ払ったかのような記事内容とは明らかに異なり、何らかの体験に裏付けされた確信に満ちた口調に変わっていることにまず驚いた(唖然)。どうも師匠に弟子入りして「小悟」したようだ。掲示板の全内容を読むこと6時間。そして、現在、彼女は以下の状態にあることを知った。

「激流」を渡り切って彼岸(絶対世界)に至った
今は、内面が空っぽ、空間がない、心(内面)がない

内面がないから「集中」は不可能で「拡散」となる。

「意図」「思う」「選択」という言葉は使えず、違和感を感じる。

「悟り」とは何かがわかることではなく
その「わかった」と認識する「自分」自体が消滅すること


■悟りや幸せへの道
http://jbbs.livedoor.jp/study/12104/

オイラが多用する「睨む」は、ピンポイン集中した「思う」ことなので、オイラはまだまだ此岸の佇んでいることになるなぁ。。。これらのだけでは「何のこっちゃ?」となるので、もう少し補足説明しておくと、、、

■内面が空っぽ・・・「意思」そのものである「自我」が消滅した状態。

■空間がない・・・自我消滅により外界アクセス方法が今までの「自我という【受取の意思】を介在させた認識」ではなくなった為に「見るものも 見られるものもない」境地。よって、対象となる事物の存在が捉えられなくなるので空間把握が出来ない。ただ認識的には、音は聞こえ、景色は見え、言葉は発せられるが、自分のものでは無い感覚がらい、視覚情報、聴覚情報、言葉との微妙な距離感が発生している。

■激流・・・自我消滅の間際に起きる現象で、自我は生き残りを賭け壮絶な戦いを挑んでくる。これはまさしく「悪魔」との戦いになるのですが、この戦いで自己の精神が擦り切れ、おかしくなるところまで追い込まる寸前、そうならない為にスッと切り札的に現れてくるもの。この激流を渡り切ると彼岸。

■相対世界(此岸)・・・見るもの(主体)と見られるもの(客体)で構成される普通我々が認識している世界感。客体が存在するので空間として把握できる。この世界では、普通の人は何かしようと「自我」を使って意思を発動させないと行動が起こせない。自分が「真我→自我→行動する私」の三重構造。

■絶対世界(彼岸)・・・主体・客体というのが存在しない世界。ただ世界があるという状態。ここでは「私」と思っていたもの(正体は自我)が消え、心(内面)がない「空っぽ」の状態となる。これ故、外面世界が自己に投影されず、自分が外界全てとなり、「自我」というフィルターを通さない外界ありのままをダイレクトに認識。拡散化した意識。一般人意識が微睡む低層次元よりも高次の次元。


うっ、こ、、これはまさに変換人型ゲシュタルト!!!
※ゲシュタルト=認識

以上のことは彼岸に至って体験した者でなければ本当のことは書けず、まだ至っていないオイラの状態では、非常に想像し難い内容であり、その万分の一も説明し切れていないのですが、大体、以下のような感じのメカニズムになっているのではないだろうか?

普通我々の外界認識は、観察主体である「自己」と対象物である「客体」の間に「自我」が介在していて、外界世界の情報を取捨選択して眺めている。この構図が「私」と「あれ」「これ」という相対的な場を形成する。これが三次元空間。

中世ルネサンス期以前には人は立体的空間を意識出来ず平面的な空間認識だった。その証が教会フレスコ画やエジプト壁画に見られるような平面描写。ルネサンス期において人類は自我を確立して立体空間を獲得し「遠近法」を考案。さらに人類はこの立体空間認識をも超越していく存在。今の意識状態はまだまだ過渡期なのだす。オコツトによればミクロとマクロの等化の後には、見るもの(主体)と見られるもの(客体)が統合した自己を確立すると言っているが、まさにラピ。たんの状況がそのような感じだ。

カバラによれば、「自我」とは「受取の意思」そのものであり、常に「欲」を発散させ「充足」を求めている。だがこの充足は瞬く間に小さくなって消滅し、あくなき欲求を続ける。まさに餓鬼道の世界。欲は「生存の欲求」から始まって、「金銭欲」「名誉欲」と求める対象が段々と希薄なものに変質していき、最後の段階では「知識欲」を迎える。しかし、これでも満足はできずに更なる欲が高まる。この時起きるのが「スピリチュアル的飛躍」であり、アセンションのこと。

この自我(エゴ)を消滅させることが、「悟り(覚醒)」へのキーポイント。
※方法は各自独自でよさそうだが、必ず「激流」が必要とのこと。

だが、自我消滅(悟り)を目標に持つことは、自我消滅の願望を掲げている主体が自我であることから、自我は決して消滅させることが出来ないという自己矛盾に陥る。これは「悟る」ことを願望として持つことも同じ。

対処法として挙げられていたのは、自我と真正面に対峙し常に自我の言う事を聞かない。これをトコトンやる。ただ、これも各人でいろいろな取り組み方のバリエーションがあるが、「葛藤」という激流を生じさせるぐらいの内容が必要とされる。
※オイラは何らしらの「陽動」を使い「偽旗作戦」で自我を欺いて自我自体を削っていくという方法はどうか?などと妄想しているが、実際どうすればいいかちょっと思い浮かばない。非常に陰謀論者らしい考え方だ(笑)。

高次元の扉を開くことが出来るのは、「激流」を渡り切って彼岸(絶対世界)に至った者のみ。この先には涅槃(ニルバーナ)があるという。オイラが思うに、ここに至るのが「岩戸開き」であり、その時、人類は神(光明)を見るのかもしれない。

そして、もう1つ実践者にとって最も大事なポイントは、、、

下からと目となる導き手

「下から」というのは、誰に対しても自分は下の者であるという意識で接する態度のことで、これは「自我」の働きを大きく減少させる効果を生むのだろう。また「導き手」となるのは生身の師匠でもいいし、聖書などの書物でもいいようだ。高次元世界に参入するには、必ず高次元に属するものからの導きが必要。これはカバラでも同様に云われていることで、魂の始点である「心の中の点」を通じて高次元の諸力が流れ込んでくるという。

実は、この「下から」はR・シュタイナーも『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか(通称・いか超)』の中の『認識の小径』という章で、霊界のような高次世界に至るには、 師匠に対するような絶対的に付き従う「敬愛的感情」が必要だと同様なことを行っています。

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この「下から」「敬愛的感情」が自我を黙らせ高次元世界に至る最善唯一の方法であり、高次世界からの導きの元、自我が自らの存在を掛けた激しい戦い=「激流」を体験し、最終的に自我の消滅をもたらす。これが彼岸(絶対世界)。R・シュタイナーは「霊界参入」という言葉を使っていますが、果たして同じ状態を言っているようないないような、、、まだ判断はオイラには時期尚早か?
※オコツトは「生きたまま霊界に入る」という表現を使っている。

この「下から」と「導き手」に関しては、R・シュタイナーはかなり核心的なことを言っています。

******************************************
●自分とは違う世界の示す事柄に帰依する事が出来る為には、完全な内的帰依の状態が必要である。ある人が、高次の認識の小道を歩もうとするなら、自分自身の持つすべての偏見を、どの様な瞬間にも、消し去る事が出来なければならない。

●自分を消し去る時にだけ、他のものが彼の内に流れ込む。自分を無にして、対象への帰依を高度に所有する事だけが、至る所で人間を取り巻いている高次の霊的諸現実を受け容れさせる。

●人は、自分自身だけで、この目標に向かって、この能力を意識的に育成する事が出来る。例えば、周囲の人間に対して、どの様な判断も下さぬ様に、試みる事が出来るであろう。好きとか嫌いとか、愚かだとか賢いとか、人が日常下す判断の基準を、自分の中から消し去るのである。そして、この様な尺度なしに、人間を、純粋にその人間そのものから、理解する事を試みるのである。最上の修行は、嫌悪を感じている人間について、この事を行う場合である。あらゆる力をふるって嫌悪の念を抑え、その人間の行うすべての事を、心を開いて自分に影響させるのである。あるいは、何か判断を下したくなる様な状況にある時、判断するのを我慢して、捉われず印象に心を委ねるのである。

●事物や出来事について語るよりも、事物や出来事が、自分に語りかけて来る様にすべきである。そして、この事を、自分の思考の世界にまで拡げる。自分の中に、何らかの思考内容を作り出そうとする働きを抑え、もっぱら、外部のものに思考内容を作り出させる。

●自分とは違う世界の示す事柄に帰依する事が出来る為には、完全な内的帰依の状態が必要である。そして、この様な帰依を、自分がどこまでやれるか試して見ようとするなら、彼は、自分自身について驚くべき諸発見をするだろう。ある人が、高次の認識の小道を歩もうとするなら、自分自身の持つすべての偏見を、どの様な瞬間にも、消し去る事が出来なければならない。

●自分を消し去る時にだけ、他のものが彼の内に流れ込む。自分を無にして、対象への帰依を高度に所有する事だけが、至る所で人間を取り巻いている高次の霊的諸現実を受け容れさせる。

******************************************

高次元から諸力を流れ込みさせる為には、自我を黙らせる必要があるわけです。

さてさて、高次元世界はどんな状態かというと、、、

この境地では主体客体が一体化していて無分別状態である絶対世界。我々は普通、自我というフィルターを通して外界世界を脳内に再生して眺めていますが、この自我作用が無効になっているので、私という主体と対象という客体が無分別となり、自我が選別して認識させていた情報全てがダイレクトに認識されてしまう。人間の脳はまだ90%は眠ったままであり、何らかの理由があるのでは?といわれているが、それはこのダイレクトな情報を処理する為に取っておかれたものではないでしょうか!

カバラでは、自我とは「受取の意思」であり、生体である人間が「受取の意思」そのままである自我を消滅することは生体維持上不可能なことであると説いていますが、カバラ的手法では自我に「マサップ」という意識の膜を覆い被してしまい、自我が発する「意思(欲求)」を受け取れないように跳ね返して自我が充足出来ない状態してしまう。そして、人類は「授与」というクリエーターの特質を備えるようになっていくという。この時に社会は「受取-受取」という関係から「授与-受取」の利他関係へと変化していくが、これがミロクの世。

カバラではエゴは本当は存在しないという。実は自我(エゴ)とはクリエーターの影であり、クりエーターが
「授与」する際の受け取る為の容器であり、人が神になる過程でこれは不要なものとなる為、打ち捨てられていくという宿命を持っている。

以上、散発的な説明になってしまったが、ラピ。たんの進んでいった方向は正しい方向だというのは、これで分かった。これらのメガニスム解釈も「激流」に飛び込む際の水流を測ることや準備運動に過ぎず、飛び込む時にはこう知識は何にも役に立たないし、逆に邪魔になる。スッカリ忘れて無我夢中になって渡り切るしなない(キリッ)。

高次元世界(主体客体が一体化して認識される世界)に至ろうとする場合の注意点は、その世界へ参入した際、低層次元(主体と客体が分離した状態で認識される世界)の目では、自らが今どの位置にいるのかが分からない盲目状態であるという点。神秘体験を得てもそれが「誤悟」かどうかすら自ら判断出来ない。

GPSがあればいいのですが、、、で、GPSに相当するのが、高次元に属する師匠や書物の導きといううわけです。
※シュタイナーがいう「高次元世界からの諸力の流入」という表現は「彼岸」側から見た表現だな。確かに、導きで低層次元世界の住人が受取り変質していく様はそういう表現が適切かも。

ということで、ラピ。たんに弟子入りしてオイラの師匠になって貰っただす。
一番弟子だす~(あはは)
※遠い昔、一緒に「アセンション宣言」しただすな~ 懐かしい。でも「宣言」という言葉は此岸に居る時の言葉であり、ダメダメなのだすな。

もし盲人が盲人を手引きするなら
ふたりとも穴に落ち込むであろう

(マタイによる福音書)

ラピ。師匠に盲目のオイラのとなって貰い、彼岸までの激流を渡り切るだす。彼女はオイラの「最終兵器」なのだす(ふふふふ)。

これでオイラに眼の移植が完了し「永遠の万華鏡写輪眼」開眼者となる条件だけは整った。

で、まずは真我の目覚めからだな、、、エッ、まだこんなところかよオイラは、、、(滝涙)
※「真我」が覚醒し、成り済ましの自分だった「自我」を葬り去る。これが「悟り」。面白いことに、この「自我-真我」の構造は偽ユダヤ(ハザール人)と真のヘブライ人(日本人)、偽の神・天照大神(女神)と真の神・天照大神(ニギハヤヒ)の関係とも対応しているのは興味深い。ちなみに「悟り」とは、漢字の意味から「知る」という意味を連想しガチだが、本当はそういう意味ではなく、本来のサンスクリット語では「ボーディ・サットヴァ(菩提薩埵、略して菩薩)」。日本語では「覚悟(悟に目覚める)」という言葉の方が意味が近い。この意味のねじれ現象は南禅仏教用語が日本に流入したのが原因だす。

「は、はやく、、、ラピ。たんのとこ(次元)に行きたいだす~ぅぅぅ」
(アニメ『最終兵器彼女』より)
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コメント

No title

きっと自分は特別だから、皆よりも早く解脱しようだとか、悟りを開こうとか、アセンションしようだとか・・・。

メーテルリンクの青い鳥と同じで、追えば追うほど遠ざかるのに、ご苦労なことだすな~。

人の道が神の道、神の道は人の道。

自分は知識や経験があるから、凡人を出し抜いて新しい世界の神になろうと思っても、気がついたら周回遅れの凡人に先を越されてポカンとするような事にならないといいけどね・・。

それでもこの世に無駄なことは存在しなから、頑張ってくれだす~ぅぅぅ

歴史上の謎

1~7をもう1度おさらいしてほしいですー。
よろしくお願いします!

No title

お疲れのところ大変有為な記事をありがとうございます。

オコツトが2013から変換人の時代が来て宇宙そのものが入れ替わるというのは本当みたいですね。
「悟り」というとなにか特別だという気がして、確かにそれは1000年前100年前まではそうだったのでしょう。わたしもそう思い、ひとり悦にいったり存在しもしない「周囲」「他者」をさげすんだりしてきました。

でも時代は急激に変わっています。ゲーム・小説・科学における「世界」そのものの探求。。。。我々はその真っ只中にいます。
若い人たちほど、自然と変換人にいたる資質があるのでしょう(あるいは「生得的」に?)。   ニートやら引きこもりといった人たちの所在がそれを示しているような気さえします。悪名高い()2chをご覧ください。実は悟性を獲得した(あるいは資質のある)若者たちがうようよいます。
 「覚知」はもうどなたかが書いてるような「特別な」「独り占めするべき」「誇るべき」なにかではなくなってきています。有難いことです。

自我を尊重してください。自我はとても頑固ですよw

なんでこんな不便な地球にわざわざ生まれてきたのか。
私達は堕天使でしょうか?
それとも勇敢なチャレンジャーでしょうか?

早くまどマギ見たいなぁ。

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No title

世界の真相・歴史1~7のリンクを張って欲しいです。
膨大な記事の中から探すのは不可能に近い・・・。

まず自分なりの世界の形、在り方を探求するというやり方は
合理的で正しい筋道だと思います。

こんばんは!

ヤッズ★にいたん、
記事にしてくださってありがとう!
にいたんの記事、さすがです!!

ちなみに実践の方向は
「真我の目覚め」より「エゴ消滅」です。

エゴが消滅すれば勝手に真我覚醒です。

でももちろん
エゴを消滅させようとしても
エゴは消滅出来ません。

エゴが消滅せざるを得ない実践、
実践の結果エゴが消えてしまった、という感じ。
これがポイントです!

@(*・ω・*)ポッ

No title

他の悟っちゃった人のブログで、「悟らなくてもよかった」なんて書いている人がいました。

「ルパ~ン待て~」と手錠を振り回している銭形のとっつぁんの方が、
いきいきとして、楽しそうです。

追えば逃げると言いますし。

今を楽しみまひょう。

と、思いつつも、あちらの世界をちょっと覗いてみたいものです f^ ^ )

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No title

>デフォルト秒読み
それは中国の方・・最近の不動産買い漁りと総量規制の重なりはまんまバブル期の日本やで。
何の為にフ○タの子会社の社員をタイーホしたりG○が売り煽りしてるとしていると思っているのかな(ゲス顔

感想

ヤッズ殿


いつも読ませていただいて、裏神道から陰謀史観から、二ビルはどこに行ったやら、までの博覧を感嘆して観てましたが、
今回のヤッズさんの、吐露のようなことをわたしも感じてました。
ブログのすぐれたひとも、裏神道や宇宙連合など、事情通として語りますが、
いくらそれを語っても、ニンゲンが、神であることに気づく、具体的な進化をはじめないとなにもならないと。
その意味で、わたしも、オコツトだけが、金剛界のようにそれを示しているとおもいます。
わたしは具体的に、化城喩品のように空中に前景化する作業をしています。
それもオコツトが“キカクシツ”として、広める作業が必要だ、と言っていたこと。
ではでは、また、つぎのこと、期待してます。


かなり昔、丸井の広告で

そろそろ、つぎのこと

とありましてが。
また、
いっしょならうまくゆくさ、

とも。
これなど、自己と他者が双対の双子のことか?
koike



2037年

陰謀論は何も生みださない不毛論ですからね

2037年か、その数年前になるまで世の中の劇的変化はないのではないでしょうか
まだ20年ばかり現状の世界が続くと思われます

変換人型ゲシュタルト

の、作り方
エゴの消し方は詳しくこちらにありました☆ ↓

http://ameblo.jp/huuhusaisei007/entry-11654378655.html

他には具体的な方法は
まだ見つかっていないようですね。

No title

にいたんのこれからの変貌が楽しみです(♡˙︶˙♡)

ミロスって統一っぽいけど。

Live in MIROSS

統一教会とは
どんな所なのか、入ったことがないので
知りませんが・・・

ミロスは「ミロス」だけのようですよ。↓

http://ameblo.jp/huuhusaisei007/entry-11658855264.html
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  • Author:ヤッズ★
  • ヤッズ★(八頭)です♪
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