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巫女制と十字架ライン

飛鳥ファンには既知のことだが、やがて伊雑宮が伊勢本宮として蘇ってくるという。その時が天照大神=イエス・キリスト再臨の時だという。伊雑宮が本宮となる理由はそこに「首」、即ちタウ型十字架の頭に相当するイエスの罪状板(INRI)が隠されて祀られているからだという。
※飛鳥氏によると内宮には「契約の箱(アーク)」とイエスが磔刑された「十字架」、外宮には「マナの壺」と青銅の蛇が絡まった旗竿「モーセの旗竿(ネフシュタン)」が安置されているという。伊雑宮には「罪状版」だけですが、ここに「アロンの杖」が安置されると新約聖書の三種の神器と旧約聖書の三種の神器が全て三宮に揃ったことになる。

今年2月6日には遷宮関係者だという@itaku1611さんのツイートでは、「ついに伊勢神宮の内宮の地下に聖櫃アークとともに、キリストの血が付いた”聖十字架”が発見された!これで消され縄文時代2万年の歴史が紐解かれ、イルミナティの世界支配は終焉です!今夜は祝杯だ!」という内容が発信されましたが、これが本当かどうかは分からない。ただ、いよいよそのベールを取り去る時が近づいてきているという感じはヒシヒシとする。

物部神道の復権がその原動力であり、その顕れが伊勢神宮と出雲大社の同年式年遷宮(アマテラスとスサノオの結婚)、熱田神宮の奥の院・一之御前神社への1900年振りの一般参拝解禁、熱田の宝物(草薙剣=アロンの杖)の他社への移譲も決定...これら一連の動きはある結論に向かって動いているとのこと。

で、草薙剣移譲先が伊雑宮であり、「アマテラスとスサノオの結婚」の末、出来た子供が伊雑宮だという位置づけではないかと飛鳥氏はいう。

ここに父と子と聖霊の三位三体のカバラの究極奥義が完成する。
※この三体は「生命の木」の「均衡の柱」「峻厳の柱」「慈悲の柱」を表している。「666」が悪の三位一体であり「反キリスト・反法王・偽預言者」を指す。それに対し「六六六」は「八」に鍋フタをした一歩手前の状態であり「777」だとも云えるが、こちらが絶対三神の三位三体。オリオンの三つ星がそれを暗示。聖書ヨブ記の「あなたはプレアデスの鎖を結ぶことができるか。 オリオンの綱を解くことができるか。」とあるが、プレアデス(唯物史観)から脱してオリオン(観察精神)への移行こそが その鍵となる。

熱田神宮1900年祭
(今年5月、草薙剣安置1900年祭を終えたばかりの熱田神宮。しかし、本当の安置は秦の始皇帝から神器をだまし取った徐福が東三川に徐福国建国し安置(兎足神社)していたが、この徐福国を討伐して神器を取り戻した1600年前頃だと睨んでいる。)

確かに物部神道は首露王(倭旨)から始まる初期大王家(扶余系スキタイ、カド族)の伝えた神道であり、天香久山で鹿の焼く香りを天神に捧げる「はん祭」の儀式を執り行っていたように生贄を捧げるヘブライ色の濃い神道。血の儀式をしていたと云われる由縁です。三世紀後半、半島にいて雇われ王をしていた初期大王家は縄文人の招きを受け、琉球伊平屋島を経由して王垣に上陸したが、渡来途中で磐座を使う御嶽祭事をアチコチで行った。この時、沖縄にも御嶽(うたき=男子禁制の祭祀施設)が伝わり今に残るが、これは巫女を中心とする信仰という点が異なる。多分、沖縄の御嶽は縄文人の巫女信仰と初期大王家の御嶽祭事の融和の産物なのだろう。

オイラは磐座信仰、即ち古神道は縄文人の宗教だと勘違いして前記事に書いてしまったが、縄文人、その後の出雲系が奉じた宗教がイマイチ良くわからない。縄文草創期以前には巨石を用いて築いた自然(太陽)崇拝の祭場(磐座)があり、磐座は縄文人の宗教施設であることは間違いないが、それ以外にも徐福が伝えた道教色の濃い蚩尤(しゆう)を祀る銅鐸神事も行っていたようなのだ。

ただそこに貫徹する内容がある。

それは、、、巫女制

これが古代日本を貫徹する宗教の骨格だった。縄文時代の遺跡からは多くの精巧にできた土製の仮面が出土していますが、これらは全て女性用に造られていて、見つかった場所から地域のリーダー格の人間がつけていたと考えられている。つまり「巫女信仰」は縄文時代から存在し、リーダーは常に女性だったと考えられるのです。

ですから、時代を下った邪馬台国でも卑弥呼、トヨが立てられたのであり、男王は「王君」(王の君=女王の配愚者)と呼ばれたのです。

腰掛ける巫女
(「腰掛ける巫女」)

仮面のビーナス
(茅野市出土の「仮面の女神」)

 合掌
(八戸の「合掌土偶」)

多分、有名な遮光器土偶も仮面を付けた巫女の姿なのだろう。

ainumiko01.gif

縄文の巫女は、頬に魔除けの入れ墨に似た四筋の渦巻き模様を入れたり、目の周りを黒っぽくし鼻と眉を高くして目の部分を影にすることによって、目つきに凄さを持たせていたという。

まるでジョーカーのような感じだすな(汗)。

ジョーカー

このように縄文人は根っからの巫女萌えだったのだす~。

さてさて伊雑宮の復活とは、伊勢が三つ星化することに他ならない。伊雑宮、籠神社、熱田神宮はいづれも物部系の神社ですが、この三社の動きが今後の方向性を決定化する。
※飛鳥情報では「物部神道=旧約、秦神道=新約」という区切りをしているが、何故、旧約の物部系神社に新約のレガリアであるイエスの十字架や罪状版が安置されているか?というように、ツッコミどころは満載。

外宮・内宮・伊雑宮の三宮の配置はオリオン座の三つ星を表していて、エジプトのギザのピラミッドと同様のもの。更には五十鈴川はナイル川や天の川を表していたのとも同じ。これを隠蔽したのが八咫烏の指令を受けた藤原不比等。それは来るべき時まで知られないようにする必要があったからだと推測されている。

伊勢三つ星
(伊勢のオリオンの三つ星)

物部神道の復活のついては「カゴメ唄」に隠された秘密からも解けると飛鳥氏はいい、「この唄は、本来、籠神社の隠し歌であり、そこには日本の国家成立にかかわる重大な秘密が暗号として隠されているのです。」と籠神社宮司の海部氏の談話を紹介している。

この籠神社に伝わる極秘伝は、カゴメ歌に登場する「鶴」は伊雑宮を指し「亀」は籠神社を指すいうもの。八咫烏からも籠神社と伊雑宮はそれぞれ「阿」であり「吽」であり、AとZ、アルファとオメガ、はじめと終わりであると知らされたという。ただし、藤原氏の謀(はかりごと)によって、藤原京移転時に旧京に残された物部氏は中央政治の表舞台から外され、歴史から消された。しかし、この2013年に至り物部神道が復活するとは、、、これは藤原氏を生かし物部氏を封印したのは八咫烏の策略なのか? それは表と裏をひっくり返すための舞台装置なのかもしれない。つまり、この逆転激が雛型となり、日本列島に伝播・拡散・横展開して大ドンデン返ししていくのだろうか?

う~む、日月神示が初期大王家(物部神道)に関するというオイラの洞察は正しかったとなる(ふふふふ)。

伊勢がオリオン化しイエス顕現化するのに対し、中央構造線で繋がる諏訪湖では武田菱が見つかったという。これは『甲陽軍鑑』に記されているように信玄公の水中墓ではなかと期待されているが、実は、まだまだ全貌は不明なまま。少なくとも菱形の窪地地形があることだけは確かだという。

takeda.png
(武田菱 クロス線が細いのが宗家。甲斐源氏の名門ですが宗家は途絶え、庶家が江戸時代以降も続く)

そして、この武田菱は十字架を表している!!!
※同様なのは島津家の「丸に十字」

諏訪の近くの茅野は縄文文化の一大中心地であり、かつて諏訪神社は洩矢氏が宮司であり、近くには守屋山がある。諏訪で祀られるミシャグチ神は「御イサクの地」という意味だと語り部は言う。この「モリヤ」という名は旧約聖書に出て来るエルサレムにあるとされる地名で「イサクの燔祭」があったという場所。モリヤには「主が備える地」あるいは「主顕現の地」という意味があるという。また、この「イサクの燔祭」記述をそのままにした御頭祭も諏訪神社で行われていて、縄文とヘブライ的な物部神道の痕跡が濃く残っている地なのです。

伊勢と諏訪の復権、、、これはきっと何かの予兆的符合だすな。

まぁ、言霊的にはこの二箇所のネーミングは、、、

イセ+スワ → イセスワ → イサワ → イザワ → 伊雑 ということなのか? あるいはイエス → イェシュア → イセスワ なのかもしれない(笑)

諏訪湖 武田菱01 諏訪湖 武田菱02

この諏訪湖と伊勢を結ぶ中央構造線の丁度真ん中に東三川があり、三方を蓬莱山・方丈山・エイ州山(鳳来寺山・本宮山・石巻山)の「東海三神山」に囲まれた地に鳥居強右衛門の磔刑地がある。スエモンは両性具有のアダムカドモンを彷彿とさせる存在ですが、カドモンは人類が個我を持って分離する前の統合化された「原初の人間」とされる存在。イエスの原型ともされている。
※イエスキリストは「第2のアダム(カドモン)」とも言われる。

以上、伊勢-東三川-諏訪は十字架ラインを形成している。
※中央構造線の終点の薩摩は島津家の「丸に十字」でもある。また遠山郷の領主・遠山家の家紋は「丸に渡し箸」は、島津の「丸に十字」の十字架を分解して横に並べた形になっている。

 スエモン
(スエモン磔刑図、まさに日本を体現)

伊勢のオリオン、諏訪の十字架、、、これは御代出づ(345)が近いという暗示なのか? ちなみにオリオンは我が家の家紋「左三階松」であり、「武田菱」は母方の家紋ですが、このシンクロ、何かしらの縁を感じるが、それは単なる妄想に過ぎないかも(笑)。

東日本大震災、原発事故を年月まで予測的中させたという陰陽自然学の飯田亨氏の話によると、来年2014年からが新時代が始まり、本格的な「光の時代」の幕開けは2034年からであるとのこと。2014年からグレンと世の中がひっくり返り、世の中の凡ゆる面で今までのような中央集権的な一極集中体制は崩壊していくだろう。今、太陽が極度の熱線を放ち、2011年の時以上の熱中症患者が出だしていますが、自然界の猛威がこの一極集中体制を破壊していくだろうと見ている。
※自然界の有様が過去データから予見出来ない為、中央集権的な対応では処理出来ない状態となる。現場個々の判断処理がより重要になってくる。これはかつてのコンピュータ界で起きたことで、メインフレームからダウンサイジングという流れになっていった。

陰陽自然学
(陰陽自然学の2011年の予測)

彗星発見者で有名な木内氏が某学者から聞かされた光害により植物が激減するのが2014年頃ですが、植物激減により二酸化炭素が増加し、風の凪いだ窪地などでは二酸化炭素が滞留することで窒息死する者が増えると警鐘を鳴していましたね。光害ではないが、最近の激熱の太陽熱線は全ての植物を死滅させるぐらいの勢いがある。

ケネディ真相暴露解禁は2039年だし、オコツトがいう生きながら死後の世界に入る「入神」も2037年。キリスト再臨の年も2037年であるから、この頃に伊雑宮の本宮化だろうな、、、そして、その後てんし様の降臨という段取りか?、、、ただ、あと20年以上先の話だ。長いなぁ、、、(滝汗)。

この頃だと世界天皇はユージンで確定だろう。
彼に真の天照大神(スサノオ)が降臨という展開か?

う~む、ビ、ビリケン広飲み屋は?

次回の天皇は「哀帝」になるという京都公家予言がありますが、トーグー様は誕生日が「富士山の日」であることから富士山のあり方とシンクロするかもしれない。オイラは富士山は山体噴火でカルデラ化してしまうと睨んでいますが、このように天皇制も彼の代で木っ端微塵に吹き飛んで呆気なく終了という展開になるのかもしれない。それが富士山を体現している「哀帝」の役回りなのかもしれない。
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Comments

待ってました的な記事の内容ですね★o(^-^)o★

いや~読み応えがありました☆
さすがヤッズくんですね、他のブロガーさんも取り上げてられましたね(^O^)
草薙の剣までもが今年、集まるとは、知りませんでした☆
いや~楽しみですね★
ところで、ラジャサンについての記事を有名ブロガーさんも取り上げておられますが、本当に意志があって自在に移動してるんですかね?
(映画フィフス・エレメントみたいな…)
一説によるとプレアデスのスフィアだとも…
ある正当な筋によると、本当に存在するらしいですよ☆
これが表に出現するとヤバいらしいです…
なんたって木星サイズだから…(>_<)

No title

フィフィス・エレメントが見たいな〜。

ユミエルさんへ

私も暗黒天体ラジャサンが気になってしょーがないんです。
表に出るとヤバイ。それでもいい。ラジャサンの実態がもっとオープンになるのを首長くして待ってます。今までの天文学の常識からハズレてますからね。太陽系の力学的なバランスにまったく影響されないのは、
自然な天体じゃなくて人工物だったりして。道の宇宙生命体かもね。

ある筋ってもしや…。最新情報が見つかったらまた書き込んでください。

質問


その

ある正当な筋って・・・
裏〇皇の方から・・・
ですか?

No title

このオッサンは、自分の精神性が足りないことを語尾でごまかすよな。
水行の人間は語尾でふざけることが多いが
精神性がかけていることをあえて主張するタイプだろう。
知識ばかり見ていることを、対象物のために精神を用いる人間の語尾を使って主張したら、人間がわからないことばかり主張してしまうだろう。

人間を見ない人間が宗教の知識だけで人間を語ろうとするのは、完全に人として終わって塞ぎ込んでいる人間だろう。

No title

縄文の巫女も調味料的な存在に過ぎない
人間は人間が主体で、ほかの成分はすべてその人間から見た調味料だ。

動物的本能というが、では動物とはどんな存在なのか。
人間とは生命の機能を選ぶものだ。どのような本能でも機能として用いてるものだという風に見ることが基本だ。
これは調味料的活用であり、道路交通法的に判断しなければいけないものだ。
宗教の呪術というのは、道路交通法とまったく同じ構成を持っている。
道路交通法の基本は人が来るまで通ることだ。
人には通らなければ行けない道がある。その道に関した彼我の関係について用いるものだ。
車にライトがついている場合、ライトの活用方、交通の方法に関する車の運転の仕方、道路の整備。
何メートル置きに看板を掲示しなければいけないなど、これらはすべて宗教の祭事に相当しているものだと考えることができる。


人間を家畜にたとえたりするのは昔はあっても、現代では通用するものではない。
人間とは動物と異なる。自立しているためだ。
自立をたとえるためには、道路交通法にたとえなければいけない。
これはたとえ方によっては運転手が車を運転するなどといったことで、運転手が道を歩くこともできるが、車に乗ることもできると言ったものをあらわすものである。またタクシーやバスもある。

このような野蛮人の顔化粧は単に派手目のマーカーに過ぎない。

あまり宗教を感傷的に楽しんでも鉄道オタクと同じような楽しみ方になってしまいますよ。
ただの目印などに反応しすぎても、派手目に喜んでいるようにしかみえないものです。あくまで人間が主体の鉄道だからです。それと同じです。

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