御手洗(オリオン)ミステリー

御手洗(みたらし)とはオリオンの三つ星を指す言葉でもあり、決してトイレのことではないのだす~。
※註 トイレに入った後に手を洗いますが、これは神社の入り口にある御手洗と同じでこれが語源。また、京都下鴨の御手洗池のほとりで売る団子が「みたらし団子」ですが、「団子」とは本来は三つ星を串刺しの団子に見立てたものが由来であり、下鴨の場合、人体に模して5つ玉とした。

御手洗団子
(団子は3つ玉が基本)

ガンダムのMS-09ドムの黒い三連星もオリオン座の三つ星がモチーフだったのだす。多分、、、

黒い三連星
(ジェットストリームアタックを繰り出す黒い三連星)

オイラの家の家紋は「左三階松」ですが、これはオリオンの3つ星を表していることを以前述べましたね。そして、航海安全や大漁の神である住吉神社の神輿には「右三階松」の神紋が記されていて、こちらが住吉大神の神紋だという。しかし、諏訪神社に寄進された「奉進納明鏡」には住吉大神は「左三階松」になっており、神様への遠慮からわざと逆にした為に、本当の神紋は「左三階松」ではないかという話を書きました。

■三階松に隠された暗号
http://aioi.blog6.fc2.com/blog-entry-2308.html

三階松
(右三階松と左三階松)

この家紋はオリオンを示すことからも、安曇、海部..等の海人系の家紋であることは明白です。まぁ、渥美半島はその名から分かるように安曇氏のいた地域であることから、東三川に海人系がいて当然ですね(あはは)。

ただ一般に知られる住吉神社の神紋は「丸に三丸」で神輿やのぼりに目立つように大きく描かれていますが、この神紋は「三階松」の簡素化された表現だろうと見ています。

丸に三ツ星
(丸に三丸)

それ以外にも、三階松は徐福が目指した東海三神山(蓬莱・方丈・えい州)を表しているのだろう。三輪氏の「三輪」も同様ですね。

オコツト的に言えば、オリオンとは観察精神の顕現ですが、観察精神とは「万物を一つに統合した知性」。この観察精神が作り出されている場がオリオンなのです。分かり易く言えば、神が存在する場所ですが、悟りとは観察精神に入ることだという。オリオンの観察精神とはイルミ=フリーメーソンのシンボル「プロビデンスの目」でもあり、草薙剣とも関係のある家基都(カキツ)一族に伝わる血継限界「マン毛狂写輪眼」でもあるのだす(爆)。

NOZOKI.jpg
(マン毛狂写輪眼)

眼3
(プロビデンスの目)

話は戻るが、住吉神社祭神の表筒・中筒・底筒とはオリオンが地表から上がってくる時の上から順に呼ぶ星のことで、この縦に並んだ3つ星が三階松の意匠デザインの元だった。

オリオン333

で、右三階松は三つ星の出現、左三階松は没する時ではないだろうか?

つまり、右三階松は出発地であり、左三階松は最終到達地ということであり、三階松に右と左があるのはA地点からB地点に移動した形跡を家紋デザインに反映させているのでしょうかーーぁ!!!

そ~~~なんですよ!

実はですね。九州には「三階松」の神紋の神社が多く、「三階松」は九州王朝の紋だという話すらあるのです(ふふふふ)。九州王朝が実在したかどうかは分かりませんが、日本で第2位の石室規模を誇る宮地嶽古墳がありますが、ここにある宮地嶽神社(福岡県福津市)の神紋が「三階松(右三階松)」なのです。

宮地嶽古墳参道
(古墳が宮地嶽神社の「奥の宮」 江戸時代に開口)

ここが海人の出発の地なのか?

語り部によると、九州は元々は九つの州(島)であり、自治区(薩摩、日向)も存在していたが、8世紀に地震隆起で一つになり、大和朝廷が侵攻して吸収したという。海人国家に相応しい地形ではある。

この宮地嶽古墳は「地下の正倉院」とも称され、ここからは金銅製の頭椎(かぶつち)を持つ3.2mの日本一の大太刀やガラス製の臓骨壺...等の国宝が古墳の外から出土している。こでは土砂で埋まった坑道を除けた際に再埋葬されたからです。頭椎(かぶつち)は皇位継承権を持つ者だけが飾ることが許されるものであり、それが幼児の頭程のサイズであるのは異様です。また古墳埋葬は手間のかかる「木棺」であったことから国王級の者の埋葬と考えられ、大王クラスの古墳であることは間違いないのです。それ故にここに九州王朝があったのでは?と言われる根拠の1つになっている。

かぐぶち
(巨大な頭椎)

通説では、この巨大古墳の被葬者は宗像徳善となっていますが、神社側は「磐井の君」の一族として祀っていると主張している。古墳の発掘調査による推定年代(6世紀築造)と宗像徳善の時代(654年以降が晩年)とは100年程の開きがある為、神社側の主張の方が正しくて事実だろう。

■宮地嶽神社・古墳
http://www.miyajidake.or.jp/okunomiya/03/2010/08/post-2.html

宮地嶽神社では「三韓征伐」の神功皇后(息長足比売命)を主祭神として祀っていますが、神功皇后は三韓征伐直前にこの地に滞在し、宮地岳の頂に祭壇を設け祈願して船出した。これがこの神社の縁起。

神功皇后の「三韓征伐」とは、記紀では住吉大神の神託で再び新羅征討の託宣が出て対馬の和珥津(わにつ)を出航した新羅出兵のことを指しますが、新羅降伏をみて残る百済、高句麗も相次いで日本の支配下に入ったとされている出来事。

神功皇后
(神功皇后に貢物をする百済・高句麗)

宮地嶽神社の神紋が住吉神社と同じ理由が、この繋がりからも分かる。多分、住吉神社と同じ系列の海人系が創建された神社の守護をすることになったからであろうか? あるいは逆に、宮地嶽神社と同じ海人系列である故に住吉神社は三階松を掲げることになったのだろうか?

この「三韓征伐」とは扶余救援の為に高句麗への大軍派兵をした扶余王族系の倭仁王君の戦いであり、実際にはその戦いでは日本は大敗北を喫したという。この時の神功皇后のモデルは出雲王朝最後の王である邇波荒田別(荒脛巾 アラハバキ 大国主 坂上田村麻呂)だと語り部は言っている。

高句麗征伐だったのが新羅征伐にすり替えられている。記紀執筆者はよほど新羅が嫌いだったのだろう(笑)。

そして、この数百年後に起きたのが「磐井の乱」(527年)です。

この首謀者「磐井の君」とは筑紫君磐井のことで、新羅に奪われた南加羅の金官・卓淳・喙己呑(とくことん)を奪回するため、朝鮮半島南部の任那へ出兵渡航しようとする近江毛野率いるヤマト王権軍をはばむ「磐井の乱」を起こした人物として知られる。後に捕らえられ物部麁鹿火によって討たれたというが、記紀ではこの反乱の原因は新羅が筑紫有力者の磐井へ贈賄し妨害工作を要請したからだとしている。

しかし語り部によると、筑紫君磐井とは丹波道主の直系末裔で地方豪族なんかではなく、出雲王朝を閉朝した荒脛巾の子である邇波依綱だったという。これならば古墳埋葬者が大王クラスなのも納得です。当時の状況は前述のように新羅が加羅国を侵攻(532年…金官加羅国が新羅に投降、562年には洛東江流域の加羅諸国を新羅が併合し加羅国は消滅)しており、次第に百済を圧迫していた。百済弟王子だった倭継(継体天皇 450-531年)は兄王子の倭武同様に百済救済を唱えていたが、邇波依綱の百済救援阻止に対して派兵した討伐軍との戦闘が「磐井の乱」の真相だという。
※註 扶余国救援の失敗から日本は大陸や半島に関わらない方がよいというのが当時の空気だった。後に、新羅は唐と組み百済を滅ぼす外交を展開し始め(648年)、最終的に日本は白村江の戦い(663年)に突入していった。この白村江の戦いでの大敗北が日本国内の新羅勢力を勢い付かせ、東三川に蟄居していた新羅加羅系の初期大王家の大海人皇子を中心とした「壬申の乱」に突入していった。

ここでも百済救援阻止の反乱が加羅国救援阻止の反乱へと巧妙にすり替えられている!!!

つまり、紀記では百済救援に反対があった事実はタブーなのです。

しかも紀記では三韓征伐は大勝利となっているが本当は大敗北。近隣諸国には日本が勝利し三韓が朝貢したという記録がどこにもない。この一連の歴史改竄は百済系の桓武天皇の指図だろう。まぁ、後の白村江の戦い(663年)同様に日本は大敗北を喫しており、あの国には関わるなという「あの国の法則」はこの時から発動しているのだす~。ここまでくると、これは神仏の意図かもしれない(笑)。

で、この宮地嶽神社の神紋は右三階松

ここが日本での出発地であり、熊野に到達して最終的に東三川までやって来た。福岡県が「豊前・豊後」の「豊の国」と呼ばれ、東三川の「豊」が付く地名が多いからです。これに該当するのは「徐福一行」しかいないですね。徐福伝説は日本各地にありますが、九州にも多く存在しています。

『旧事本紀』によれば、実は、住吉神社の祭神である底筒男命・中筒男命・表筒男命の「住吉三神」は津守連が祀る神ですが、この三神は阿曇連らが祀る筑紫の斯香神である底津少童命・中津少童命・表津少童命のことであり、この「少童」とは徐福とともに来日した海童たちの霊であるというのです。

安曇(阿曇)氏とは徐福一行の末裔であったのだ。
※註 徐福本隊は熊野→東三川だったのだろう。

つまり、このことは小柄で耳が大きいエブス人末裔の津守氏と『漢委奴国王』と刻まれた金印が発見された志賀島を本拠地として全国に散らばる徐福末裔の安曇(阿曇)氏は同じ海人系ですが、住吉神社が住吉三神を祀るのは、新羅征伐から帰還した神功皇后を迎えた時、神功皇后が住吉三神の神功があったことから田蓑宿禰に命じて住吉三神を祀るようにしたことが縁起ですが、負けた「三韓征伐」ですが、悔しいので「エアー三韓征伐」して持ち帰ったのが三神を祀った理由だとみています。ただ、この事例をここにおいて津守氏と安曇(阿曇)氏が部族併合したとみる。これが津守氏の住吉神社が宮地嶽と同じ三階松を掲げる理由なのだろう。
※註 志賀神社の宮司によると、宮地嶽神社は志賀神社を助ける立場にあるという。ここに志賀―宮地嶽を通して安曇氏との明確な関連が浮かぶ。そして、安曇氏の本拠地は志賀島→福岡県→伊勢湾→信濃(安曇野)に移っていった。安曇野の穂高神社は安曇氏の祖霊を祀る神社ですが、左殿に綿津見神、右殿に瓊瓊杵神(ニニギ)を祀っています。オイラが徐福が持ち込んだ 蚩尤(しゆう)が大魔神コード「22」を示すことから「ニニギ(22)=徐福」だと睨んでいるのは周知の通りですね。伊勢平氏とは坂東平氏とは異なり安曇氏の支流なのだろう。平家が赤を旗印にするのも蚩尤の赤旗であると思う。
スポンサーサイト

Comments

俺を踏み台にしたぁ~?!

エジプト・ギザのピラミッド群も、オリオン座に対応してますね。

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

オリオン系と二ビル系って同系?

ヤッズさん、こんばんは〜。
コメントは、初めてですが、1年くらい前から、読んでます。

私も、オリオンと関係が深いみたいで。
でも、たいがい、オリオンって、悪評ばっかで、なんでかな〜と思ってました。

あと、二ビルも、私、好感あって。
これまた、悪評ばっかで、何か裏?があるのではないか・・とずっと思っていました。

ある人のチャネリングでは、シリウス系と二ビル系は、合わないらしく。

二ビルやオリオンの悪評も、シリウス系が流してるのでは?と思ったりしてました。

ヤッズさんは、シリウス系って、どうですか?
私は、ちょっと苦手です。笑

熱心に研究されているようですが、家紋に対する認識不足が見受けられます。
「こうであってほしい」というヴィジョンがある限り、それを補強するような「根拠」はいくらでも見つかります。

Comment Form

管理者にだけ表示を許可する

Trackback


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)