スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

漢字の呪い

11/11にはNHKの中国文明特集の第2回の放映がありましたが、その中で漢字の成り立ちとその魔力について解説していました。

その中では、天子制(易姓革命)と漢字が中華を支える両輪なのだという分析でした。

つまり、多種多様な言語を話す部族が住む中国が1つの中華圏としてまとまっているのも、現人神を中心とした官僚群からなる中央集権制と属国からの朝貢外交。また「表意文字」という「発音は出来ないが意味は通じる」という漢字の持つ特徴から中央の高い文化や文明を即時に受領可能となることで中華圏を形成することが可能となったというわけです。

一般には漢字の成立は殷(商)の占いで使われた甲骨文字が起源だといわれていますが、その文字は占いのみに使われる特定用途のものであり、一般庶民は知らないものだった。この漢字は4000年前から同じような形を保って現在でも使われており、世界中にある文字の中でも奇跡と言われるほどに長命なのです。これを発明した種族には頭が下がる。
※註 漢字を発明したのが東夷人ですが、この東夷人が山東半島を追われ、次々と日本列島に渡来してきた。その1つが徐福であるが、それ以前にも渡来している筈。また朝鮮半島に渡った者は新羅を形成し、その後、日本に渡来して来た。つまり、漢字とは日本人の発明だったのだす~。だからこそ、漢字の新しい使い方「2つ以上の漢字」で1つの意味を為すという使い方を考案できた。逆に漢字をパクった中国は「1文字1音1意味」の原則を忠実に踏んだ為に漢字の種類が膨大化していって、知の共有化に齟齬が発生し、長い間、知の停滞が起きた。現在の中国は西洋の学術文献を移入させる際、日本の学術用語をそのまま採用したが故に日本式の新しい漢字の使い方を習得。この故、知の共有化が進み今の経済発展があるのです。

漢字とは起源からして非常に呪術的なのです。

eva8th.jpg
(漢字の持つ魅力を存分に発揮したエヴァンゲリオン)

甲骨文字を使った殷(商)は王が神官となっていましたが、それ故、国家は宗教的儀礼を重視しており、前帝国「夏」を作った大人しい部族の羌(チャン)族を捉えてきては、首をはねて生贄に捧げていたという。その数1万4000体。半端な数字ではないです。

殷墟
(殷墟出土の頭がない遺体)

羌族の「羌」という字は「生贄」という意味をもつといい、また羌は「姜」とも書きますが、「羊+人」「羊+女」で「羊を飼う遊牧民」の意味。チベット高原東部、現在の青海省で遊牧をしていたチベット系の民です。これが春秋時代の「東夷人」を構成する人たちですが、羌族の場合、その源流は中東のアブラハムやシュメール人にまで遡る。

国家祭祀としての人身御供は、アステカ王国(1428年-1521年)でもありましたが、アステカの場合は人間の新鮮な心臓を神に奉げなければ太陽が消滅するという終末信仰が広く信じられ、このような儀式が祭壇で行われていたという。「インカ」は「殷」から取られたのではないかという話もありますが(笑)、確かに殷の青銅器の文様はマヤやアステカ等の中南米固有の彫刻に似ています。これは偶然ではないのかもしれない。ただ、殷の場合、必ず首を落として捧げていたようでアステカの場合とは多少異なってはいる。

漢字の「白」の元は「さい」だった。

sai.png

「さい」とはであり、また、神への祈りの象徴としての字形。これが後の漢字では「口」として表現されるようになった。

kinbun2.gif
(口を使う漢字と甲骨文字)

そして、この「さい」は頭蓋骨のことなのです。頭蓋骨を崇め、祈りを捧げる神の器が頭蓋骨だった。殷が生贄のを斬首していたのもこれが理由かもしれません。

故に、漢字の「白」とはドクロを意味していたのです。昨年の2011年11月11日には13人のマヤ長老クリスタル・スカル(水晶どくろ)が一挙に集結し2万6千年の歴史の中で始めての儀式が行われたのですが、マヤ予言とドクロの関係を不気味ながらもい不思議に思っていました。しかし、これで謎が解けました。つまり、これは救世主である「天の白い王」の「白」が「ドクロ」として暗示されていたのです。

ホピ予言の「白い兄」とは「ドクロべぇ」だったのだす。

髑髏王


ヤッターマン ポチッとなボタン ドクロベエヤッターマン ポチッとなボタン ドクロベエ
(2008/06/26)
タカラトミー

商品詳細を見る

(9.11も3.11も偽ユダヤを使ったドクロべぇさまの「お仕置きだべぇ~」だったのか?)

しかし、この儀式殺人は東三川の兎足神社の祭祀「風まつり」と似ている。現在は雀12羽を捧げているに過ぎないが、昔は12頭のイノシシを捧げていた。さらに1000年前には春の大祭(風まつり)の初日に神社近くの橋(子だか橋)をはじめて通った若い女性を生贄に捧げる風習があったという。この中国風祭祀の残忍な様を直接目にし、これを嫌い無常観を感じて出家して僧になり中国に留学したのが 三河国国司の大江定基です。
※註 中国の風習を嫌ったのに「修羅の国」中国に留学するという彼の心情がよくわからんw 人身御供→猪・雀12匹への変遷は景教をベースとした神社神道の普及の結果だと思われる。

ただ、夏王朝の羌族の血を引く徐福末裔が殷の風習を踏んでいたのは疑問に思うところですが、この辺はまた洞察していきたいと思う。

さてさて、余談ですが、殷墟の甲骨文字よりも500年古い約4500年前の原始文字と言われるものが、2004年に中国山東省昌楽県で発見された長楽骨の碑文。これは獣骨片約100点(文字計約600)に彫られた記号のようなものであり、整然と並んだ図案と符号は殷墟の甲骨文字より原始的であり、絵画(符号)から文字に移行する過程のものだと推測されている。

当時、山東半島で覇権を握っていた夏王朝がこの文字の存在を知らない筈はなく、未だ夏王朝遺跡から出土した文献的なものはありませんが、今後、発見されてくる可能性は高いと見ている。そうなると漢字の起源が一気に殷から夏に遡ることになるかもしれません。

長楽骨の碑文
(長楽骨の碑文)

■甲骨文字より古い古代文字、中国で発見
http://www.china-news.co.jp/node/2878

実は、この長楽骨の碑文文字の元となったのがシュメール人の楔形文字ではないかと言う説があるのです。楔形文字は最初は「ウルク古拙文字」という表意文字だったのが、長い間に「音節文字」の楔型へと変化していったものあり、長楽骨文字の祖とするなら「ウルク古拙文字」の方がふさわしいとオイラは思っている。

ここでも山東半島が登場です。

徐福といい、中国最初の王朝「夏」といい、甲骨文字や長楽骨文字といい、、、山東半島には東アジア史を根本から覆す何か重大な秘密がありそうです。

実際、このあたりの黄河の南は「河南(かなん)地方」と呼ばれていますが、ここに住んでいたのが東夷人と呼ばれたアブラハムを祖とするヤペテ系白人やセム系のシュメール人や春秋時代に「九夷」として登場した北イスラエルの失われた十支族だったので、「河南」という言葉自体、「約束の地」カナンと関係があるかもしれない。

まぁ、「河南」を「カナン」と読むのは日本だけだが、、、(爆)
※註 中国普通話では「フーナム」と発音

殷はトルコ人や欧米人のようなコーカソイド(白人)だったといわれ、また、それに先立つ夏王朝を作った羌族はアブラハムを祖とするシュメール人末裔だったのではないかと言われている。出土した歯や骨の分析から東夷人は白人系(ヤペテ)であったことは分かっていますので、同じこの説は非常に納得がいくのです。 赤毛で青い目をしたイラン系月氏の血を引く西洋人で非アジア的な外観だったという秦の始皇帝と東夷人の徐福が同じ姓だったというのもこれ故なのでしょう。徐福の日本列島移住にもなにか裏がありそうです。
※註 以上から、徐福家系は夏王朝に仕えた諸侯なのだが、始皇帝と同じくペルシャ系ヤペテ(龍族?)の血を引く羌族であった可能性が高い。

この殷を倒したのがですが、歴代周王は羌族を后としており、周族と羌族とは同盟関係にあった。

この時、周に軍師として仕えていたのが太公望こと呂尚ですが、彼もまた羌族出身。この戦い(牧野の戦い)の後、東方を制圧する為に山東省あたりに封じられ、これが後の「斉」という国になった。
※注 太公望が羌族であったことから「羌斉」と呼ばれる。徐福の出身地はこの斉の国の琅邪(ろうや)であり、徐福は夏王朝の諸侯だったという名家。徐福は姫姓の一族であり、邪馬台国も姫一族の末裔が多くを占めたという話もあるが、、、斉国は太公望の臣下であった脇氏が奪って「羌斉」は終焉。その後、始皇帝が最後に征服。そして徐福の東渡へと続いていくのです。

西に残ったチャン族は四川省に多く住み、漢族とも混血が進みながら今は10万人の少数民族となっていましたが、ここは先の四川省大地震の震源地であり、8万人亡くなって残り2万と激減してしまったのです。羌族は「失われた十支族」の1つマナセ族末裔だとイスラエルのアミジャブに認定されていますが、この四川大地震の隠された目的に偽ユダヤ人の真ユダヤ人抹殺というドクロべぇさまに捧げる「人身御供」であったのかもしれない。
スポンサーサイト

Comments

漢字学も将来書き換わるだろうか

白骨化した頭蓋骨を意味したという漢字(白)。ホピ族の言う、救世主も
白と形容されるなら、ドクロのイメージも明るくなるね。
純白のウェディングドレスは「人生の墓に入る」意味だといわれてたのに、これでまたイメージが良くなるね。

白川 静氏の「漢字学」でも、白はドクロだといってたが。
中華のインテリたちは、日本人学者の「漢字学」をどう評価しているんだろう。新発見がゾクゾク出てきたら、漢字学も見直しが必要になるだろうか。ヒマラヤのカイラス山も、ドクロに似ているという人がいる。
神様の頭なんだと。
ヤッズさんは良い意味ですごいっすよ。

旧九月八日と辛酉の秘密

日月神示が最初に降ろされた、1944年の旧暦9月8日は辛酉の日に当たります。

1944年の後に旧暦9月8日が辛酉の日に当たるのは、なんと93年間も隔たった2037年。

つまり、日月の神は「弥勒の世」は2037年に訪れると暗に示している訳です。

「アセンション 2037年」で検索すると、違う角度からでも符号します。

宝さ~ん♪

コメントありがとうございます!

> 1944年の後に旧暦9月8日が辛酉の日に当たるのは、なんと93年間も隔たった2037年。
> つまり、日月の神は「弥勒の世」は2037年に訪れると暗に示している訳です。

実はオコツトも「2037年…入神」としていて、ここから弥勒の世が始まることと符合しますね。また1963年のケネディ大統領暗殺事件に関するウォーレン委員会報告関連資料のうち、1992年に公開されなかった部分は2037年に公開されるというように、この年は闇の世界権力でも何らかの事態を把握をしているような感じです。まぁ、その為に、2013年~2016年にNWOの世界政府樹立なのでしょうが、、、、

ただ、あと24年先までこういった関連のオイラのモチベーションが続くか?という問題もあり(爆)、現時点でホピやマヤの予言から何か導けるものがないかと悪戦苦闘中なのです。

一応、オコツト的には2013年は次元交替の時期で2回目の覚醒期とのことで、この時、意識進化を選択する者としない者とに別れるだろうと述べています。まぁ、これがアセンションとディセンションというわけですが、これは目に見えない意識世界の話になります。

特筆なのがオコツトは2013年には太陽の活動が停止するといい、マヤ予言の第五太陽期の終焉と符合します。ただ、この符合は穿った見方をするならば、著者の半田広宣氏がホピ予言を参照したのかもしれません。実際のところはわかりませんが、オイラは半田氏の内容(オコツトとの通信)を信じてますので、この線に沿って洞察中でもあります。ただね~、太陽活動が停止し、二ビルが新しい我々の親太陽となるという部分は、いったいどんな事態になるのか全く想像が及びません。

さてさてどうなるか?
目が離せない展開ですね。今のところ、ニビルは来てないというか、観測されていませんし、、、(汗)

ただ、マヤ予言がいうように第五太陽期の終焉を迎えても人類は絶滅することがないことだけは確かです。

2013年

来年は伊勢神宮と出雲大社の同時式年遷宮(事実上、最後?)や、日月神示の岡本天明氏没後50周年でもあるので時代の節目にはなりそうです。

第8次太陽系

『人類が神を見る日』
の中では、オコツトは次の新しい次元の事を
「第8次太陽系」
と言っていましたね。

マヤでは
「第五太陽期の終焉」〈次は第6太陽期?〉
ということは・・・

次の太陽系さ~ん♪

こめんとありがとうございます!

> 『人類が神を見る日』
> の中では、オコツトは次の新しい次元の事を
> 「第8次太陽系」
> と言っていましたね。

そうそう、そうだ~す!!!
「第8次太陽系」でした。

用語がマヤ予言の第五太陽期と混乱してました。
(まぁ、同じ内容ですが、、、)

No title

フリーエネルギー開示
http://tukuyomiwld.jugem.jp/

Comment Form

管理者にだけ表示を許可する

Trackback


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。