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中華の謎

先週、NHKスペシャルの『中国文明の謎』という番組を見ましたが、河南省の二里頭に花開いた文化(黄河中流~下流)の遺跡の発掘状況から、これが伝説の夏王朝であると紹介していました。というのも、二里頭の遺跡には紫禁城のような回廊と広場を持つ宮廷があり、ここで皇帝に謁見する宮廷儀式が行われていたからだという。
※註 二里頭では宮殿は全部で8箇所。また、ここから80km離れた新密市ではより大きな宮殿遺跡が発見された。二里頭は夏王朝後期、新密は夏王朝前期の遺跡と見られている。

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(二里頭の宮廷)

この宮廷は殷の侵攻でも破壊されずにいて、殷(商)はその宮廷儀式を継承したのだろうと分析し、その後の周、秦、唐、宋、漢、清もこの方式に倣ったのだろうという。これが広大な国土を持つ中国が欧州のように分裂せずに「中国」として文明文化的に常に中国を1つにまとまっていた要因だと述べていました。

ただし、これはまだ仮説の段階であり、実際のところ、中国は唐王朝以来1600年の間ずっと異民族支配を受け続け、また林立する王朝があり1つのまとまった国という形をとったことはないのです。国のようではあるが国ではなかった。覇権で奪い取った場所は中国という考え。
(これは武田先生のパクリだす~)

近代的な国家概念を持った清朝以後の中国ですらまだ100年も経っていないのです。当然、いまだ先の中国の国家観が反映されている。しかも、いくつもの王朝が並立存続し、それらが目まぐるしく入れ替わり、国としての中国はもともと存在していないのです。中国とはかつてのソビエト連邦のような「連邦制」に近いのではないでしょうか!

「中華連邦」 これが中国の真の姿。
※註 連邦とは2つ以上の国(州)が1つの主権の下に結合して形成する国家のこと。但し「中華連邦」は構成体同士の独立関係は維持されないが、軍閥、秘密結社の独立関係は維持されている。ここが大きな違い。

ですから、民族国家的な固有の領土という一線を引くような考え方は元々持っていないのです。何らかの形で中華の歴史に関与し参入すれば、その本国地も自然と中華圏に属することとなり、その王朝が衰退し中原から撤退すれば、次の王朝は当然その前王朝の本国地にも覇権を及ばせるべきものだと考える(→同じ中華圏内の抵抗勢力として映る)のです。

もし豊臣秀吉が二度に渡る朝鮮の役を勝ち進み、北京で皇帝になっていれば、中国は「日本」と率先して国名を変えただろう。その後、豊臣王朝が北京撤収後には、次の覇権者は新規に中華に組み込まれた日本を「中華統一」の為に攻め込んで来る。つまり、この場合、日本は中華というゲームに参加するプレーヤーみたいなものであり、しかも、一度、このゲームに参加したら、もうゲームから抜け出すことは決して許されないのです。
※註 当時、中国の中原は誰も支配者のいない空白領域だったので、誰が取っても文句は言われない状態だった。

秀吉が半島で負けて戻って来て、ホントよかったですね~。

しかし、そうも言っていられない。昨今、上海48の結成、日本企業の工場進出、アニメ・マンガ・コスプレ・メイド喫茶・マンガ喫茶...等の日本のサブカルチャの定着、うどん・牛丼・ラーメン・寿司...等のB級グルメ店のオープン、デパートでの日本式接客術、、、今、続々と日本文化が中国に進出して定着化していますが、これは中国側からみれば、先の異民族王朝の進出の例から言えるように、「日本の中国化」だと捉えるのです。日本が中国に擦り寄っているように見えるので、日本は中国に併合されるべきだと見ている、、、、中華思想極まれりだす!

これは由々しき事態だす(滝汗)。

この中華ゲームが本当なのは、隣接しいつでも併合出来る状況下にある朝鮮がずっと国を維持出来ている点ですね。朝鮮半島の国は昔から中国の属国であり、「格下扱い」なので中華ゲームに参加させてもらえない。これは朝鮮半島は「皇帝直轄領」だからといった方が分かり易いかもしれません。

しかし、「中華」とは元々は「中夏」だったというのは本当です。

つまり、夏王朝末裔を誇りにしているのが中国人というわけですが、これは政府の刷り込みが功を奏しているのが大きい。この夏王朝が中国での血筋による世襲制王朝の始まりであると中国人は考え、「中華4000年の歴史」というフレーズの根拠でもあるのです。

盾形銅牌飾 二里頭01
(二里頭出土のトルコ石を嵌め込んだ盾形銅牌飾 先行する黄河上流の「斉家文化」にも同様の盾形銅牌飾がある)

中国を語る場合、皇帝制(天子制)を抜きに語れません。ただし4000年前のエジプトで見られるような神の代理人ではなく「人そのもの」を神として崇める「現人神」という形で宮廷儀礼を行っていたという。この中国の特徴である「現人神」儀礼は同じく「現人神」の天皇制と同じ起源から来たものだとオイラは睨んでいる。

というのも、夏王朝の創始者は漢族ではなく東夷人であるからです(ふふふふ)。

西安を中心に居住していたのが漢族で、中華圏に属さない東の地は「東夷」と称されていた。そこは山東半島の東シナ海に面した地域のことですが、ここは始皇帝が中国全土を統一し戸籍編入する前は異なる文化圏だった。ここが徐福のいたところでもある。黄帝(漢族)と戦った蚩尤民族とはこの東夷のことだったのでしょう。

2500年前の山東省の人類集団は、DNAから見た場合、現代ヨーロッパ集団と同じクラスターを形成していて、現代ヨーロッパ人集団や現代トルコ人集団に遺伝的に近い集団だったという。つまり、戦国春秋時代に山東省にいた人間集団は、今の漢族とはまったく違うヨーロッパ系の人種だったという。

この春秋時代には北イスラエルの滅亡があり、新たな「カナン」の地を求めて、続々と東アジアに集結してきたのでしょう。それが「九夷」と呼ばれる存在ですが、それはイスラエル人の祖であるシュメール人がこの東アジアにやってきたからでしょう。彼らはその伝承を元に遥々大陸を横断して来た。このシュメール人が作った王朝が夏王朝だとオイラは睨んでいる。

夏王朝は17代470年に渡って王朝が続いたといい、後に殷によって滅ぼされたというが、この殷(商)もまた東夷に属する者たちであり、漢民族ではなかったのです。その殷も周に滅ぼされ、契丹族や烏桓族や扶余族などに逃込んで同化していった。
※註 夏王朝は姜姓、殷王朝は子姓、周王朝は姫姓。姜水で生まれた炎帝(神農)が姜姓を、姫水で生まれた黄帝が姫姓を名乗ったのです。神農は「火徳の王」であったので炎帝と称したといい、その姿は人身牛首、身の丈は八尺七寸で蚩尤(しゆう)を彷彿とさせるのです。黄帝(軒轅)が天子の位につくにあたって炎帝(の子孫)と争ったといいますが、これが黄帝と蚩尤の戦いとして記されたのです。

そして、中国中原に残った東夷人が大挙して亡命した先が日本であり、その最大のものが徐福の東渡だったと思う。

何故、徐福伝承と伝える東三川の兎足神社に兎が祀られているのかも、これで謎が解けてきます。この神社の祭神は穂国造であった「菟上足尼命」とのことですが、一般には孝元天皇の後裔の葛城襲津彦命の四世孫で、足尼(すくね)は宿禰(すくね)だとされていますが、これは架空の人物でしょう。

オイラは夏王朝の始祖・禹王の「禹」が、本当の祭神だと睨んでいる。
そ、その理由は「禹」に似た字が「兎」なのです(爆)。

禹王(別名:文命)は今から4000年前、繰り返す黄河の氾濫を治めた事から当時の伝説の五皇帝の1人「瞬」に認められて天子となり、夏王朝の初代皇帝となったという。またこの事蹟から「治水神」としても崇められた。この逸話から京都五条橋中島の「禹王廟」には禹王が水神として祀られていたり、群馬県片品村(尾瀬)には「禹王の碑」がある程に日本ではよく知られた人物なのです。兎足神社近辺は豊川の氾濫でよく洪水起きたそうですが、現在の地も洪水で流されてたどり着いた場所。よって、治水神を祀る必要性があったと思われるのです。
※註1 実は『ギルガメシュ叙事詩』に出てくる大洪水伝説での預言者ウトナピシュテムが「禹王」だという説もある。ウトナピシュテムの名のウトはシュメールの太陽神のウトゥからであり、禹王も洪水を治めて荒廃した土地に人間が住めるようにした人物。契丹族の祖王のことを葛禹図可汗(遼史では葛烏兎可汗)と記し「禹王=烏王」であることが分かる。不死を追い求めていたギルガメシュ王は、一種の地上の楽園・ディルムンで、ウトナピシュティム(シュメール神話のジウスドラ)に出会ったが、ウトナピシュティムは大洪水によってすべての生命を破壊するという神の計画について、エア神(シュメールのエンキ神)が警告し、船を作って彼の家族や友人、財産や家畜を守るよう指示したことを語っている。大洪水の後、神はみずからの行動を悔やみ、ウトナピシュティムに不死を与えたという。徐福が何故「不老不死」について知識があったのかは、このウトナピシュティム=禹王ということと、徐福が夏王朝の王族末裔であったことから、自ずから答えが出てくる。

※註2 2007年7月20日、中国メディアは、湖南省衡山県福田鋪郷雲峰村の農民宅で発見された重さ10tの巨石が「禹王碑」である可能性が高いとの考古学者の鑑定結果を伝えた。中国最古の石刻「禹王碑」は約1000年前の宋代に消失したといわれており、現代では宋代に作られた複製品が残っているのみ。

※註3 中国の嵩山の近くには夏王朝の始祖「禹王」が築いたと伝えられる陽城がありますが、この「嵩山」という地名が東三川の石巻山の北側にもあるのです。


ヴ王
(ナウシカのトルメキアの「ヴ王」、、、自身の血筋を「我が血は最も古く、しかして常に新しい」と誇ったが、これは「禹王」から来ている。)

は中国の夏王朝の禹王の一族のことを指すというが、実際、禹王の一族には烏桓族・烏孫族・契丹族・扶余族などがいたが、太陽を追い東へ東へと大陸を移動していった。太陽に住む三本足の烏とはこの事例が基になった伝説なのでしょう。語り部によれば、徐福末裔の弥生人を「烏」(特に恭順手先化した者を八咫烏)と称したといいますが、実は、この辺に理由があるのかもしれませんね。

但し、「禹」という文字は本来「蜥蜴」「鰐」「竜」の象形文字であり、禹の起源は黄河に棲む水神だったといわれている。夏王朝は羌族(チャン族)から興ったといいますが、炎帝神農氏を生んでもいる。羌族は元々は河南省にあったが、殷に追い立てられ長江上流にまで逃げ延びていった。そして、殷からは生贄にされた羌族の1万4000体の遺骨が出土しているが、この羌族が夏王朝を興した民族なのだろう。

このチベット系の羌族はそのルーツを調べた結果、「失われたユダヤ十支族」の1つ「マナセ族」だとイスラエルの調査機関アミシャーブが認定している。ただ外見は長年にわたって漢族との間で婚姻を重ねてきた結果、漢族とあまり変わらなくなってしまったが、、、
※註 苗族の祖先といわれる蚩尤(しゆう)は、『路史』によると羌(きょう)が姓とある。羌族と苗族には何かつながりがあるように思える。どちらも幾何学的模様を好んでいた。

羌族は自らを「アブラハムの子」を称していて、伝承によれば、もともと地中海沿岸に住んでいたが3年3ヶ月かけて中国の地に移住して2300年間住み続けているという。性格的には正直さ、隣人愛、相互扶助、親愛、寛容、謙虚、廉恥、頑迷といった特長があり、唯一神「ユイワ」を信仰し神に犠牲を捧げていたという。

兎足神社も昔は動物犠牲を捧げていたことは、よく知られていますね。
※註 今でも雀12羽を犠牲に捧げていますが、昔は猪だった。その獣は近くの日色野で飼育していたという。もっと古くは人身御供を捧げており、大祭の日(風まつり)にこの橋を最初に渡る若い女を生け贄にする風習があったという(汗)。 この残忍な様を見た国司・大江定基(和泉式部の父)は出家して唐に留学したという。で、オイラは「風まつり」の「風」とは風と嵐の神であエンリルではないかと睨んでいるのだが、、、昔から東三川のことを中央構造線の深いV字谷が平坦に広がる唯一の地域だったことから、オイラは「風の谷」と称していたのですが、やはり、東三川はエンリル=バアル神を祀る「風の谷」だったのだす。

徐福は扶余や加羅や百済の王家の「余」姓に通じる「徐」姓を持っていますが、宮下文書では徐福は軒轅(黄帝)の第四子・忠顕氏の六世孫の万正氏が夏の禹王に従ったとあります。代々、夏王朝に仕えたが夏滅亡後に仕えることを止めたという。そして、万正氏の48世孫、正勝(子宗)は文学に優れ、周の武王(發)に仕え徐姓を得て楚国に封じられたと記されている。これが徐姓の起源。

一方、最近の考古学的成果からも、徐家とは三皇五帝の末裔で、尭帝・舜帝の時代には宰相を出し、夏王朝の初期に「徐」に封じられた王侯の血筋。その子孫は代々長江、准河、泗水、済水の流域一帯に栄えた中国屈指の名門「徐王」の末裔で、その直系子孫が徐福ということが分かってきた。

しかも、徐福は嫁を「夏家」からもらっているのです。

徐福は夏王朝の継承者だったのかもしれません。が大陸から持ってきたのが、治水神としての「禹王」信仰なのかもしれない。

徐福が旅立って帰ってこなかったことが蓬莱・扶桑信仰に拍車をかけ、大陸の長江から稲作を携えてゾクゾクと日本列島にやって来たのが「倭人」と呼ばれる弥生人であり、大陸では「越人」と呼ばれていた人びとです。この大量脱出は楚の脅威から逃れる為でもあった。

越人は皆、体中に入れ墨を施していたが邪馬台国の人も全身に刺青をしていたと倭人伝に書かれている。一方、大陸に残った人達が、のちに南下してベトナムを建国したのです。移動しなかった越人は遼東半島に強制移住させ、さらに南方に逃がれた者は馬韓に達し、馬韓が割き与えた東部の土地に雑居して集落を作っていた。越人は辰韓、楚人は弁辰と呼ばれるようになったのです。
※註 越は大陸に多く分散して集落を作っており「百越」と呼ばれていた。

日本神話の因幡の白兎の「兎」とは、実に徐福一行(禹王の末裔)のことだったのです。白兎は鰐(ワニ)を騙して海を渡ったとありますが、この「鰐」とは徐福に騙された格好の秦始皇帝こと。秦は滅亡後には扶余国に逃れていったが、鰐(ワニ)は扶余国の暗喩でもある。事実、女真扶余国は秦の始皇帝末裔を名乗っていたのです。それ故、記紀において扶余国王家直系の金首露王(倭旨)のことを王仁(ワニ)と記したのでしょうか。で、この白兎も大国主(縄文人)に助けられ、この列島に住むことを許されたのです。

そう、ここ東三川は徐福末裔が住み着いた平原広沢の地「豊葦原中津国」でもあるのですが、東海三神山のある道教の聖地でもあり、またシュメール人やマナセ族や禹王の血を引く「夏王朝」王侯末裔の徐福が移住した「カナン」の地であったことから、、、

ここが「夏王朝」の本当の継承地!
「中華(夏)」のド真ん中!


コ コ コ コ コ コ コ コ コ コ コ コ、、、、

『ココ☆夏』だったのだす~~ぅ!!!



夏菜子ぉぉぉ↑↑
サン サン サマータイム!


「サン」とは当然太陽のことですが、霊的には東三川の「三」であり、それは太陽が生まれるという扶桑樹が自生していた地であったからであり、英語の「サン」とはこれが語源かもしれないだす~(超爆)。

仮面ライダーV3が持つ「力」と「技」の風車で構成される「命のベルト」が暗喩しているのは、「生命の木」と「智慧の木」が生えた不老不死の「エデンの園」のことです。また、その地は豊かに葦の生えた地の意味を持つ「カナン」という「約束の地」のことでもありますが、これが豊葦原中津国というわけです。

V3.jpg
(V3の「3」とは東三川のことであり、「V」は生命の木と知恵の木の二本の木を示す)
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Comments

No title

いつも色んな真実を教えて頂いてありがとうございます。学校の教科書にも真実が掲載されるようになるといいと重います。

最近ではウブ毛になってきました。

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