鳴き砂の謎

邪馬台国の頃、日本は今と大きく地形が異なっていたと語り部(影武者)はいう。
その記述を見てみると、、、

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■瀬戸内海は4世紀に出来たもの
日本が北上し続けた際に(国土は地震で隆起し)太平洋側は引きずられ鳴き砂が、日本海側は、深い港が出来たそうです。四国と本州が裂かかれたのも4世紀だそうで、其処に運河を作る為海を引き入れ(関門海峡)大規模に土地を消失させたそうです。

又、紀伊の吉野川と四国のは繋がっていたそうです。地震の隆起で島々も出来た様です。邪馬台国の場所は魏志倭人伝に福建省の東と記述あり現在の沖縄付近です。それだけ本州も移動している訳です。

然も、長野県の峡谷は元々海峡だったそうです。(海の伝承)国土の成り立ちは日本書紀、古事記、風土記のみでしか公式の記録にされていませんが、朝廷の息のかかった神社(賀茂)の神官(禰宜)が、天下りして地方の神社等の古伝承を抹殺したからだそうです。

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何故、国土変動の記憶が消さねばならなかったのか疑問に思うのですが、これは、多分、渡来系が統一王朝を作り万世一系の神話を創作し根付かせる為に記録抹消したが、その際の副作用みたいなものでしょうか。

4世紀とはまたそれ程古くはない話です(汗)。しかも、地殻が割れた当初はまだ陸地であり、海水を引き入れ瀬戸内海を作ったというのは驚き(滝汗)。そういえば、語り部の話には阿蘇山はカルデラ湖でその水を抜いて現在のような感じにしたと言っていましたな。上古の人はかなりの土建技術を持っていたようだ。だからこそ、100mもの高さの出雲大社を作れたのだろう。

この日本の北上は、広島湾の地形と愛媛の高縄半島(今治・松山間にある半島)の形が殆ど一致しているということから、本州と四国はつながっていたと推測ができます。

四国01

また、下図の2つの丸の箇所は、ピーンと引っ張られた後に千切れたような感じの地形をしている。本来は九州・四国・山陽・近畿は1つの大きな島であって上から押しつぶされながら広がって行き、それぞれが分離したような感じになっているのです。瀬戸内海には島が異常に多いのですが、これは分離の際に残ったものではないでしょうか! 上から押された(陥没?)証拠として、東日本と西日本では標高平均値が大幅に異なり、西日本の方が低い。更に瀬戸内海側は平地が多く、これは上から押し潰されたからではないでしょうか。

四国02

この変動で出来たのが瀬戸内海の浅い海抜下の渓谷であり、1つの大きな島であった故に吉野川は四国と近畿でつながっていたとなる。4世紀にこのような地形の変化が起きたのなら、魏史倭人伝が語る邪馬台国の位置は全く見当違いになるなぁ、、、、

四国と紀伊半島には同じ吉野川があって、近畿も四国も陸続きであった可能性もあるのです。

中央構造線の深いV字谷にある遠山郷や大鹿村には山塩や塩っぱい温泉が出るのですが、何故、塩がここから出るのか分からないという。実は、古くは海に面していたという伝承があるともいう。また信濃には「安曇野」という地名がありますが、これは海の民「安曇族」(渥美..等の語源)に因む名称であり、語り部によると伊勢から強制移住させられたというが、海の民を山間に移動させても生活が成り立たないので、やはりこの時は海に面していたのだろう。

その海だった部分はフォッサマグナでしょうか? ここは西日本と東日本の間の地帯で地質が比較的新しいという。まぁ、考古学的には何万年単位の新しさなのが、、、

4世紀には富士山も海の中だったかもしれんな。(爆)

語り部や飛鳥昭雄氏の話を聞く限り、太古日本は「2つの島」からなっており、これが反時計周りに90度回転しながら急速に北方に移動したとなる。その時、2つの島がくっ付き、間にあったフォッサマグナ地帯が浮上したのだろうか? またこの変動時に四国が本州から引き離されたとなる。これが大嘗祭が悠紀殿(東日本)と主基殿(西日本)の2つの神殿を築く理由であり、日本の名称も「ニつの島→ニツの本→日本」となったのかもしれない。
※註 まぁ、年輪や磁気...等の証拠がないので何ともいえないが、、、ロマンがある話ではある。

で、この4世紀の変動の際出来たのが「鳴き砂」。その形成過程は日本北上時に石英を多く含む石英閃緑岩や石英安山岩(デイサイト)が摺られて細かな粒子となったと語り部(影武者)は考えているようです。それは、丁度、すり鉢でゴマを細かく摺ったような感じ?でしょうか。鳴き砂の形成は川から下っただけでは説明がつかないのです。だから山中でも発見されるのでしょうか!?

「鳴き砂」は石英粒が主体で、均一な粒子サイズと粒子に纏わり付いた泥...等の汚れが完全に洗浄されていて、はじめて鳴くことが出来るという。これ故、川から下って流れ込んだ石英粒が海で洗浄されたのだろうと考えられている。汚れると音がしなくなるので、浜辺の清掃や海水の汚れ...等、環境破壊のバロメーターだとも云われる。

この鳴き砂は、日本列島では北陸・山陰・北九州と岩手・宮城・福島・青森(下北半島)に偏って分布していますが、実は驚く事に山中にも存在している。
※注 語り部は太平洋側に鳴き砂? 日本海側に深い港? と書いていますが、これはどうも逆に書いてしまったように見えるのですが、、、逆に見ると瀬戸内海には呉のような天然の良港があるので納得いくのだが、、、

鳴き砂

そして、何故か一直線上に分布しているのです。

鳴き砂一直線01

これは一体どういうことなのだろう?

そして、更に驚く事には、この直線の延長線上にある台湾、ベトナム、タイでも次々と鳴き砂が発見されているのです。

鳴き砂一直線02

これをサウンド・サンド・ラインと呼ぶ。

これら以外にも、中国のゴビ砂漠周囲にも泣き砂は偏在しており、これらもまた夏門から一直線のベルト上に分布しているのです。つまり、夏門を中心に「X状」に鳴き砂ベルトが形成されている。

j_china.gif

語り部説に従うならば、これはこの方向に地球規模のズレが起きたとなるが、、、それも日本列島の北上だけではすまなくなる。

一方、この不思議な現象は、月の崩壊により放出された大量の水と砂が、地球上を自転により移動しながら落下した痕跡ではないかという説がある。所謂、これが「ノアの洪水」と云われるもの。アフリカに残る筋上の地形跡が大量の水が流れた形跡だとも、、、

この崩壊で地球に飛来した物質量はざっと60京トン。月内部の岩石が熱対流中に衝突を繰り返し、微細な砂となって研磨されたものが鳴き砂。これを含んだ泥水の豪雨が地球上で起こり、サハラ砂漠地域(日本列島の24倍)は一瞬にして砂で埋まって砂漠化してしまったのだという。その後、砂を含んだ大量の水の直撃はサハラ砂漠から東に進み、シナイ半島の砂漠、アラビア半島のナフード砂漠やルブアルハーリー砂漠、さらに東のカビール砂漠、ルート砂漠、カラクム砂漠、タクラマカン砂漠、ゴビ砂漠へと進んでいった。この砂漠ベルトはパンゲア大陸に戻した時、ほぼ完全な一直線の帯として見えるのだという。

この中でもサハラ砂漠の砂は非常に細いので有名ですが、実は河口よりも内陸部の砂の方が細いのです。つまり、川を下って研磨されたとは言えなくなる。しかも、サハラ砂漠の乾燥化は約5000年前から始まったと言われていますが、一般にはピラミッド建造は約4500年前だと言われていますが、この年代を採用しても砂漠形成にはたった500年しかないのです。乾燥化後、昼夜の温度差によって岩が砕け、サハラの砂が生まれたという定説は間違っていそうです。以上から、サハラ砂漠は川の洪水で埋まって出来たという定説は間違っているようにも思える。

このピラミッド近くの砂(サハラの砂)をふるいに掛けると、何故か「鳴き砂」になるのです。そして、この「鳴き砂」と同じものがピラミッドの石の壁の向こうの部屋いっぱいに詰まっているというにおをフランスの探検隊が発見している。ということは、ピラミッド建造はサハラの砂漠化の後だということになる。しかも、この鳴き砂は日本の泣き砂に極めて類似しているという。

日本で鳴き砂が最も集中しているのは島根・鳥取県ですが、この地域には出雲大社と日本最大砂丘「鳥取砂丘」があることでも有名ですね。以前の記事で上古の出雲大社は100m超もあって、その昇殿回廊は何故か大ピラミッドの大回廊とサイズも角度も全く同じだと書きましたが、「鳴き砂」でも符合してくるのです。

ここに何が重大な秘密があると睨む。 

つまり、月から大量の「鳴き砂」を含んだ降雨があって、サハラも出雲も埋没してしまった。ただ出雲の場合は大方が放出した後と、海に落ちたのでそれ程の被害はなかったのかもしれない。

それを何か神の仕業だと考えて畏れ、大量の砂を撒き散らした天に最も近づくように祭壇を中空に持ってきたのではないか? で、その祭壇の角度は「鳴き砂」が形成する角度を採用したのではないのか? 上古の出雲大社の意味不明な高さもその下方には大量の鳴き砂がピラミッド状にあったのかもしれない。あの塔のよな不安定な形態はあまりにも不自然なのです。ただ、ギゼの大ピラミッドの場合は邪魔な大量の砂をコンクリのように固めて建造したので後世にまで残ったという違いはあるが、、、、
※註 ピラミッドの石は何故かコケが生えないのだという。また石内部から髪の毛が出てきたともいう。これは人工的に作られたコンクリであるからだという説がある。

鳴き砂は、、、

地殻ズレで生成なのか?
月からの降下物なのか?

まぁ、どちらの説が正しいのか当分悩みそうな話になってしまった。
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Comments

No title

飛騨の口碑はどういう位置づけですか?

残念ながら、出雲大社は島根県です!

金艮さ~ん♪

コメントありがとうございます。

> 飛騨の口碑はどういう位置づけですか?

「飛騨の口碑」に関しては、神武と長髄彦の戦いが神器を見せ合い同族だと分かって、神武の傘下に入るという点が有り得ない非常に可笑しな展開なので、真の歴史の洞察には参照していません。それと「同和=飛騨」で飛騨(ヒッタ)→エッタと転訛したという説には首を傾げざるを得ません。ここには「不浄」という観念が欠落しています。仏教渡来時、不浄を嫌う仏教が動物を屠る犠牲儀式を手放さなかったレビ人の身分を落としたという宇野正美説の方がまだ信憑性がありますね。

Re: タイトルなし

ご指摘ありがとうございます!

> 残念ながら、出雲大社は島根県です!

早速、「鳥取県」→「島根・鳥取県の地域」と直しました。

出雲大社は島根県、と指摘した者です。
自分は島根県民ですが、知名度が低く、いつも鳥取県とごっちゃにされます(T_T)
島根県には琴ケ浜があり、海水浴によく行っていましたヨ。

出ました!天下泰平さんのブログで紹介されてます
イルミナティカード計画解読です。6/11阿蘇山噴火、9/15富士山噴火、7/11関東大地震福島核爆発
これが本当ならハルマゲドンは日本が舞台と言うことですね。当の日本人はなぜそこまで彼等に狙われてるか理解不能。
疑惑の〈地球号〉もあちらこちらでお仕事してるようですし、国内でも偽日本人達の工作も花盛りのようです
大人気の日本です(;_;)
*飛鳥昭雄氏彼に違和感がありましたが(日ユ同祖論とミロク…)を読んで納得しました。彼も聖書預言成就派だったのですね彼の本はすぐれていると思いますが…
最後になりますが先日はお手数をお掛けしました。有り難うございます。

イルミナティカード?

単なる「こじつけ」ですよ。
幼児の絵遊びレベル。

No title

この中でもサハラ砂漠の砂は非常に細いので有名ですが、実は河口よりも内陸部の砂の方が細いのです。つまり、川を下って研磨されたとは言えなくなる。しかも、サハラ砂漠の乾燥化は約5000年前から始まったと言われていますが、一般にはピラミッド建造は約4500年前だと言われていますが、この年代を採用しても砂漠形成にはたった500年しかないのです。乾燥化後、昼夜の温度差によって岩が砕け、サハラの砂が生まれたという定説は間違っていそうです。以上から、サハラ砂漠は川の洪水で埋まって出来たという定説は間違っているようにも思える。

砂ですので、舞います。俟っている間、削れます。
川を転がれば、川底で舞います。砂で舞えば、砂丘を舞います。
当然、砂丘のほうが削れる回数が多いです。
内陸のほうが砂嵐も多いです。
沿岸では海にすぐ落ちます。
内陸ではいつまでも舞います。
俟って削れるのです。
ですから、当然この砂はそのようにして作られたもので
だからそのようであるのです。

どこかから飛んできたのなら、どうして内陸の砂がきめ細かいのか。
この地勢でなければ、この状態はありえない!

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