桓檀古記で考えたこと

競馬はロマン、歴史もロマンです。

資料を読み漁りアレコレと洞察し、自分が「これだぁ!」という結論に到達していく点で競馬と歴史探訪は共通しています。ですから、徐福本国が東三川であり、蓬莱山が鳳来寺山であることや、焼津(焼遣)の名の元となった神都「家基津」が石巻金田地区であるという主張する内容もロマンなのです。

特に邪馬台国近畿説(東遷説)は鉄板レースだと思っている(ニタリ)。

まぁ、それがバッドロマンスに終わるかどうかは、今後の考古学的発見によって決まるわけですが、、、そんときゃ、オタ芸「ロマンス」でも踊って誤魔化すしかないw。

さてさて、コメントでさんから教えていただいた「桓檀古記」の記述内容ですが、少しオイラの洞察内容を書いてみます。

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「日本旧くは伊国に有り。亦伊勢と日い、倭と同隣す。伊都国は筑紫にありて亦即ち日向国なり。これより以東、倭に属す。その南東は安羅に属す。安羅はもと忽本の人なり。北に阿蘇山あり。安羅後に任那に入る。・・・東南に陸行すること五百里にして伊都国に至る。乃ち盤余彦の古邑なり」
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「桓檀古記」は、そのタイトルに反して1949年発行と全然古くない。それ故「偽書」だと言われていますが、この内容は鹿島昇によって日本語訳が出版され、それが韓国に渡ってブームを起こしたといいます(笑)。日韓併合時に出版されたものであるので、日本が朝鮮支配の正統性を唱える内容が随処に施されているのは当然ある筈であり、ただ、ある部分に関しては正しい内容もあると思っています。

上記内容のポイントを簡略に書くと、、、

・日本…伊勢(伊国) 倭の隣
・伊都国…日向国(筑紫)
・倭国…日向国の東
・安羅国…日向国の南東(元忽本人) 北に阿蘇山。安羅後に任那


普通、伊都国は筑紫平野とされているので、東南の安羅国は宮崎・熊本となり、阿蘇山は熊本北部にあってこの記述と一致する。しかし「安羅後に任那」というのが、どうにも解せない。

これだと任那が鹿児島辺りになってしまう。

この安羅国は、実は韓国南部にあった安羅(今の咸安)のことで、 南海岸とつながっていた海上交易の要衝。伽耶地域の盟主国・金官伽耶の滅亡(4世紀末)の5世紀からは伽耶地域を代表していた国だったという。

つまり、安羅国、多羅国...等の「羅」の付く国は加羅諸国、つまり韓半島南部を占める国々ではないのか? だとすれば、桓檀側から見て「安羅後に任那(金官加羅)」という記述も納得がいくし、建国者が忽本の人というのも筋が通る。 しかしそうなると、安羅国から見て北西にあたる伊都国(日向国・筑紫)は韓半島の中央より北方地域となってしまうのです。

『背推図』でも解釈されるように「日(太陽)」は日本列島のことを指しているのですが、日本海を挟んで日本に向かう国なので、朝鮮半島東側にある国が「日向国」というのは、実に理に適っているのです(ふふふふ)。

そして、その安羅国に阿蘇山があると書かれている!!!

う~む、これは「日向国」も「筑紫」も「阿蘇」も全て韓半島起源であったか!?
全てのものを韓半島起源としてしまうことは、こんな古くから普遍化していたのかぁ?(爆)

考えられるのは、1つは日本側が九州の地名を韓半島に当てはめ、韓半島が元々は倭国領土であったことを示し、支配を容易にする狙い。もう1つは、白村江の戦いで唐・新羅連合に負けた際、加羅諸国は倭から割譲された為、加羅国の地名を偲び九州にその名を宛がった。そして、そういった過去を「桓檀古記」として、半島故地復興を画策する藤原摂関家が表に出したのでは? オイラは後者の方だと睨んでいるが、、、

しかし、韓半島にはほとんど火山が存在せず、鬱陵島、済州島と白頭山しかなく、鬱陵島、済州島は死火山なのです。となると安羅国の北にある阿蘇とは、、、

阿蘇山=白頭山

となってしまい、安羅国の北西にある伊都国は北朝鮮よりもさらに向こう側の地域になってしまうのだが、、、(滝汗)

白頭山
(噴火が近い白頭山 アイスランドの噴火の1000倍の規模だという)

伊都国は『魏志倭人伝』に出てくる倭国内の国の一つであり、現在は福岡県糸島市、福岡市西区(旧怡土郡)付近に比定されていますが、ただ「魏志倭人伝」からは伊都国は朝鮮半島中央部の西海岸に置かれていた帯方郡(現ソウル地域)による支配を受けていたことが窺える。帯方郡(現ソウルあたり)から九州北部の支配は距離にしては遠すぎるような気が、、、やはり伊都国は韓半島が本当の所在地ではないだろうか。

それを解くキーワードが「忽本」でしょうか。

『三国史記』によると、高句麗の始祖朱蒙は前37年に卒本(忽本)川に至り、都を定めようとしたが宮室を作る暇なく、廬を沸流水上に結んで国号を「高句麗」とし、4年後に〈城郭宮室を営作する〉とされている。また、広開土王碑文には、それに関連して「沸流谷忽本」とみえる。沸流水は渾江、卒本あるいは忽本の城は五女山城にそれぞれ比定され、桓仁付近(中国の遼寧省桓仁県の一帯,鴨緑江中流右岸域に注ぐ渾江の河辺にあたる地域)が高句麗前期の王都の所在地として推定されてきたといいます。

また北夫餘の檀君四世である高于婁のとき、高豆莫は卒本(忽本)に即位し、自らを東明と号した(忽本夫餘)。高于婁の弟、解夫婁は漢冦を連破した高豆莫に迦葉原を与えた。高豆莫は漢冦と戦い九黎河を渡り遼東の西安平(古の稾離国)に至ると、檀君を譲り受け、北夫餘の檀君五世となったという。

これらのことから、、、

忽本=遼寧省桓仁県であり、ここは中国と北朝鮮の接する中国側の地域です。高豆莫はここに新たな夫餘「忽本(卒本)夫餘」を興した。またこれ故、夫餘王家のことを「沸流(フル)」と称すのではないでしょうか。この忽本夫餘が「東夫餘」につながっていくのですが、この「東夫餘」とは咸鏡道(現北朝鮮の東海岸)だと言われていますが、その後継が「新羅」となるので、新羅はもっと北方にまで広がっていたことになる。
※註 「東海に迦葉原(かはばる)という地がある。そこは五穀が良く実る。ここに都を遷すと良いだろう。」という神の御託宣に従い、夫婁王は東に遷って、王都を迦葉原に築き、国号を東扶余に改めたという。

以上の洞察結果からは、韓半島の南側には任那(金官加羅)があって、中央部から北朝鮮全域が「安羅国」、更に北方が伊都国となるのではないか。

この東夫餘に関する語り部(影武者)が語る内容として下記のものがあり、大陸から大和朝廷までの歴史を簡便にかつ深く記している。

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扶余王家で、同じ同族の王家の馬飼い(朱蒙)の子孫(莫来)が、王家に親征し、王家を滅ぼし、高句麗を建国。扶余王家は、帯方郡で扶余再興し、烏垣(烏丸)に高句麗討伐に加わらせる為に再興地を譲り(同様に国を失った烏垣の直系に傀儡王としての立場を与え)、鮮卑に加わる様に持ち掛け、拒否され軍を起こし扶余は滅亡し王は入水自殺。

息子の王(扶余依羅・金首露)は中華(西普)に救援を依頼し扶余は再興されます。扶余の臣下が馬韓で、傀儡の王をしていましたが、烏垣(百済)に譲り高句麗征伐に加わる様に要請。一方、南下し加羅諸国、新羅を建国させ高句麗に対する攻撃網を整え(子供等に加羅【金居登】、新羅【金伐休、末仇】、扶余【扶余玄】を建国して任せ、烏垣に百済を建国させる)、自らは半島の倭人を介して縄文人系土着民から東海三神山の地より傀儡の王になる為渡って来て欲しいとの要請に答え東海地方に上陸し(徐福の渡来から技術継承の遠洋航海可能な船団に向かえに来て貰い衆3000で倭に渡る)、東海地方の倭人も集合し参戦へ。

土着民に先導してもらい邪馬台国を攻め滅ぼします。倭人後裔を名乗り中華に対して朝遣し、高句麗包囲網を構築しようとしますが、新羅王は、人民に反対され政権維持に腐心します。が、百済は建国して直ぐに高句麗と戦い、やがて新羅も追従し扶余王族の倭の軍隊も帯方郡に進軍しますが、高句麗は扶余併合し、倭軍は徹退し高句麗征伐は、縄文人系土着民に止められ小休止します。(倭讃御世)

再び高句麗征伐に立ち上がるのは、高句麗の南下で苦しい立場に置かれた百済で、倭王が百済王を擁立する権限があり 人民の要請に答え、倭に救援を求めた為です。(百済は人民に対して扶余の代わりに百済が治めたのでは無く、自ら風貌の似ており扶余人と公言してましたから扶余を公称してます)百済の王子を倭の傀儡の王(天智系天皇族)に立てる政策で、5世紀後半に倭武(百済昆支)が立ち、代々倭王として、代々百済の王(武寧王子孫)として扶余王家は、反対する葛城、蘇我(大国主、一言主、縄文人系)を騙し騙し、高句麗征伐を続けさせますが、政策変更した扶余王家(上宮家)が、王統を奪取し、遣隋使を送り中華に高句麗征伐を任せ、隋が滅亡すると扶余王家を天智系の舒(舒明)が糾弾し戦になり聖(聖徳)が敗北し(神仏戦争の実体)、政権奪取し合う状況が展開して行きます。

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扶余王家が帯方郡で再興したのが東夫餘(東扶余)。

つまり、安羅国は、中国東北部の遼寧省(忽本)の東夫餘人が高句麗によって亡国した後に渡って来て建国した国であって、扶余王家が作った加羅諸国の1つであり、安羅国が九州に無いという話と辻褄が合ってくるのです。

やはり、阿蘇山=白頭山のことであったのか!?

しかもこのことを認めると、帯方郡は遼寧省(忽本)辺りとなり、現在、ソウル近郊とされる帯方郡の比定地が遥か北方に遡ってしまうのです。

帯方郡は昔はソウルであるとされていましたが、今でもそのように信じている人も多い。しかし、近年、黄海道鳳山郡文井面(沙里院)の古墳の内部で積まれたレンガに「帯方太守張撫夷」の文字が発見され、帯方郡は沙里院付近(北朝鮮の平壌の南側)との説が有力となってきている。考古的にもソウル近くに中国人が住んでいた形跡は全く見られず、この説は真実味を帯びてくるのです。

しかし、本当の帯方郡の中心地はもっと北方だったと思う。そして北方の楽浪郡は更に北にあったのだろう。つまり、半島のほとんどは加羅諸国、百済、新羅であって、逆に高句麗の領土範囲はもっと小さかったのではないだろうか。この三韓矮小化は高句麗とその宗主国・中国の意向であり、半島での地名の大幅な改竄があったのだろう。

この祖地奪回が百済王族の末裔である藤原摂関家の悲願であり、豊臣秀吉を近衛家の嗣子にする代わりに朝鮮出兵の唆した目的であり、明治期に日韓併合を企てた理由だと睨んでいる。

韓半島
(矮小化された三国 南韓の狭い範囲に3つの国というのは多すぎる気が、、、)

邪馬台国の比定地を文献から考える場合、「桓檀古記」が偽書だとしても帯方郡の位置問題もあることから、韓国地名の改竄(矮小化)も考慮しなければならないと思うのだが、、、
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コメント

No title

多分、海さんではなく、私、姫がコメントしたことへの回答だと思いますが
深く考察して頂き有り難う御座います。

私は詳しくは分かりませんが、「周書・百済伝」に”王家は夫餘系と思われる。仇台なる者あり。始めてその国を帯方の故知に立つ。漢の遼東太守公孫度(こうそんたく)、女(むすめ)をもってこれを妻す”とあるのを受けて、鹿島氏が翻訳、出版されたと言いますね。
「周書」や「随書」に出てくる仇台が日本の神武天皇であることを明らかにした。

後に百済の建国者とされるが、百済建国前に日本の北九州に渡り今の福岡県の糸島半島に伊都国を建国した事実を明らかにした。
ただし時代は紀元前七世紀ではなく、紀元後二~三世紀で百済王としての仇台の在位は二一四年~二三四年であると言う。

つまり、「安羅後に任那に入る」とはこのコトではないかと・・・。

「仇台すなわち高句麗新大王の末子は、はじめ扶余王となった後、南下して公孫氏と同盟して帯方で伯済国をたてて仇首王となり、九州で伊都国をたててイワレヒコとなった。
仇台始祖説の記録は高句麗本紀と違うが、中国側の記録が正しく、百済を立てたのは扶余王の仇台=仇首である」と。。。

No title

ムー大陸は浮上すると思います。
それまでに何らかの自然災害があるのは確実ですが…そうなると生き残る自信がありません。自分は、アセンションを意図し、それなりに生きてはいますが、果たしてアセンション可能な意識レベルとは?
全くピンときません。ただ普通に、何事にも感謝して…とか言いますが、こんなに自然をぶち壊し、今だに自分の快楽にしか興味がないような人達に、感謝なんかできません。怒りあるのみです。そういう自分も、1人の人間である訳で、今の生活で自然との調和を保つなんて不可能だし…。
感謝しろ…って言うのは、生かしてくれてる大いなる力みたいなものに対して…ということであれば出来るのですが、周りの人に対してとなると、ハッキリ好き嫌いが別れ、嫌いな人に対しては、どんなに頑張っても心から感謝なんてできません。
肉食はダメなのも、イマイチよく分かりません。
だって縄文の人達は狩りをしてたんですよね。
ムーやアトランティスの人達は、文字をもたないくらい高度な文明だったなら、食べ物も必要なかったのかな。
それからいきなりまた狩りから始める…って、ちょっと考えずらいような、、。
だけど、日月神示では、相当~四つ足は食うな!って言ってますが、それなら縄文人も狩りなんかしてない!!木の実ばっか食べてた!!…って信じたいです。天武天皇も、肉食を固く禁じたらしいですね。
しかし釈迦やイエスは、禁じてはいないとか。訳分かりません。ちなみに、自分は今、肉の代わりに魚や豆製品を食べるようにはしていますが、元々、肉は大好きな方だったので半信半疑のまんま、続けてます。
しかし、身体が拒否してる訳ではないので、完全に断つのは無理です。
意識レベルが上がれば自然に要さなくなる…と言われているので、自分の意識レベルは、相当~低いのか…と落ち込みます。
だけど、身体が拒否してないのに無理やり肉食を止める必要はあるんでしょうか。牛や豚が、残虐に処理されてるのは分かってるんですが…感謝をしながらなら、大丈夫…って気もしないでもない。
しかし、それじゃ~押し迫ったアセンションにはついていけないんでしょうか。肉食止めたくらいで浄化されるとは思っていませんが、皆さんは肉食をどう思ってるのか気になります。
ヤッズ★さんは、肉食は否定しない派ですよね。
でもアセンションは意図していますよね。
かと言って、何も考えず、呑気に好き放題やって、生きるつもりはないんです。だけど、自分ばかりアセンションしたいって必死になるのも、いかがなもんか…と最近、悩みます。罪悪感はだめって言いますが、こんなことしてていいのか…って思いからは全く解放されません。災害に遭うなら…もう~仕方ないとは思いますが、自分は何としても、その先の世界を見てみたいので…やっぱりアセンションしたいです。嫌いな人間はたくさんいますが、それでも、やっぱりみんな一緒がいいです。矛盾だらけですが、歴史の謎解きすらできないで死にたくありません。
自然の営みに合わせる覚悟はできていますが、こんなに気になることだらけのまんま、終わらせたら、いけないですよね。
ヤッズ★さんの洞察にもかなり救われているので、迷える子羊に愛のムチをお願いします。

祇園事故と八坂神社

少し前の話ですが、これどう思いますか?
http://tokumei10.blogspot.jp/2012/04/blog-post_7711.html

匿名 さんのコメント...
事件当日、八坂神社をwikiで見ていたら…

本文の祭神の中に無い「蛇毒気神」という神が右端の主祭神欄にある。
で、気になって「蛇毒気神」を色々調べていたら 今日!

6・5mのヘビに襲われ?66歳男性死亡 ペット店飼育場‎ スポーツニッポン
アミメニシキヘビ:襲われた男性の死因は失血死 茨城‎毎日新聞 - 1 時間前
ニシキヘビに襲われ?男性死亡 茨城のペットショップ飼育場‎ J-CASTニュース
牛久、ヘビに襲われ男性死亡‎ 朝日新聞

驚くべきことに…
暴走車の通行ルートは蛇のようで、最後に追突した電柱に老人が挟まって死んだ。
と、いう恐るべき連鎖… ネ

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1 :蚯蚓φ ★:2012/05/27(日) 13:52:49.95 ID:???http://www.sisainlive.com/news/photo/201205/13191_27151_2912.jpg▲<韓国を見る中国の本心>チョン・ドクグ著今年は中国と修交して20周年になる年だか...

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