地球膨張説

学者、研究者の一致した見解では、もう邪馬台国は近畿の桜井市でほぼ決まりだという。今は如何にして魏寄りの邪馬台国から百済寄りの大和朝廷に王権が譲渡していったのかが課題だという。これは語り部が主張する「騎馬民族招聘説」ならば、これ以外にも徐福や卑弥呼が何故日本の歴史記されないのかとか、何故ヤマト朝廷は百済を救済したのかとか、何故馬がいなかった日本なのに古墳から騎馬民族特有の馬具が出土するのかとか、何故韓半島の南で倭国が新羅・百済と接していたのかとかの問題も全て解決するのだが、、、

KARA(加羅国)は実質日本の歌手(領土)なのだす~

ただ、邪馬台国が近畿とした場合でも魏志倭人伝の書かれた邪馬台国への行路と近畿が全く一致しないという問題は解消されないままではあるが、、、何かがおかしい。

魏志倭人伝が誤りなのか?
日本列島の位置が昔は違っていたのか?

オイラは後者に属する考えです。日本列島は高速に北上していて、当時の日本列島は沖縄のあたりに南北逆転していたのだという。飛鳥昭雄氏が提唱していますが、当然、徐福が来た頃は逆転していて、東海地方は中国大陸側を向いていて、史記 秦始皇本紀(前212年)にある「会稽の東県人海に行きて、亦風に遭い瀛州に至る者有り」の記述とピタリ一致する。

有名なのは、1402年に李氏朝鮮で作られた地図「混一疆理歴代国都之図」(竜谷版)ですが、ここには南北逆転した日本列島が描かれているのです。

混一疆理歴代国都之図
(混一疆理歴代国都之図)

ただし、これには同じ原地図を元に模写したと考えられる本光寺(長崎県島原市)で発見された「本光寺図」もあるにですが、京都の竜谷大学所蔵の地図のみ上記のように逆転して描かれている。このことから、日本列島の部分だけを奈良時代の高僧として著名な行基(668~749)が作った「行基図」を加えて合成したのではないかとも考えられ、本光寺図こそ当時の地理観を正しく反映したものであり、龍谷図は、スペースの都合などによって、日本を南北に画いたものであると判断されている。

本光図
(本光寺図の日本列島)

蓬莱山、方丈山、えい州山は皆、海中の島ではないだすか!
東三河の三神山説の危機だす!!!

蓬莱島は青ヶ島かもしれんのう、、、(滝汗)

伊豆諸島の青ヶ島は典型的な二重式カルデラ火山で、島の南部に直径1.5キロメートルのカルデラ(池之沢火口)があり、その中に丸山(別名:オフジサマ)という中央火口丘があるというが、、、確かに「お不二さま」もあるし、、、ここに徐福末裔が住んだ? ただ千人規模が定住するにはチト厳しい。

とは、いってもこの名称も聖徳太子伝説を創作して広めた行基が作成した「行基図」を参照にしたものと思われ、同様に行基は徐福国隠蔽にも加担していそうな雰囲気がある。だからガッカリすることもなさそうだ。相変わらす強気に「徐福国=東三川」のままでいいと思う。
※註 京都苔寺(西芳寺)の創建は聖徳太子で開基は行基だというが、これこそが語り部が言うように行基が聖徳太子伝説の創作&流布したという証拠なのかもしれない。日本中こうやって寺院を創建して聖徳太子を仏教守護者として祀り上げいったのだろう。

「混一疆理歴代国都之図」には若干疑問も残るが、先に述べた「纏向遺跡の桜井市=邪馬台国」とした場合の地理的条件を強烈に補完をすることは間違いない。本当はコチラ(大谷図)の方が正解なのではないのか? さらに、邪馬台国の風習や気候の記述が頗(すこぶ)る南方系である点、史記の「会稽の東の方角」という記述内容故に、この南北逆転説には俄然真実味があるのです。

徐福国神都の「家基津」は蓬莱山の北側にあるという富士文献の記述がありますが、オイラが「家基津」だと比定した地(東三河の石巻山麓の金田地区)も逆転日本列島で、この条件を満たすことになるのです。
※註 古事記に記される「焼遣(ヤキツ)」と呼ばれ、焼津の名の元となった「家基津」が、そこだという超有力な証拠を握っているだすが、ここでは言えんだす~。尚、徐福が神格化された熊野権現では熊野本宮大社の祭神は「家都美御子大神」といいますが、この神名は「家基津」と似ており、関係深いと睨んでいるだす。

これを徐福東渡2222年の今年、声を大にして言いたい(爆)。

あとは信じるか信じないかの問題です。
この日本列島を反時計回りに移動させた原因は、ズバリ「地球の膨張」です。

語り部も語る地球膨張説
まぁ、オイラは「股間膨張説」を支持しているだす(爆)。

さてさて、語り部の内容はどうかというと、、、

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甲府、諏訪盆地にも、海より繋がり入り込んでました。
国土北上で隆起してきたのです。科野国造の邇波荒脛巾は開拓もしましたが・・。
地球規模では、万年どころか最大3000年足らずです。(聖書、契丹古伝)

ノアの大洪水は約4300年前。
7000年以上は地球磁場で、生命体の存続が不可能(万年、億年は最後の御伽噺)

日本の北上に関しては、徐福以前からで、奈良、平安頃迄のようです。
膨張から大陸移動がかかり、質量増加し、地軸が傾き、巨大生物の生存が不可能になり膨張維持で頻繁に火山活動や地震が起きていたのだが、巨大地震の増加は、地球の縮小が(均衡が崩れ)迫っている証拠だと推測され・・最悪地球全体で起これば数日程度で大陸が一つになる可能性もあります。

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数日程度で古代大陸パンゲアになってしまうかどうかは分かりませんが、、、

以下は、地球膨張説のCG動画ですが、古代大陸パンゲアが分かれて現在の五大陸になっていく様子が分かり易く動画化されています。特に大陸に残っている歪んだ地形は地殻に大きな応力が掛かった証拠でしょう。日本の中央構造線も歪んでいますが、この列島移動時に歪められたのかもしれませんね。



地球膨張の証拠は、地殻が産まれる「海嶺」に比べ地殻が沈み込む「海溝」の部分が非常に小さいことが挙げられるといいます。午来正夫氏によると、中生代から現代までに生成されたプレートが約1億5000万km2に対し、消滅したプレートは約3000平方km2。その差、実に約1億2000万km2も数値が合わない。つまり、地球の表面積はこれだけ広がったということです。豪州のS・ウォーレン・ケアリーは古代大陸パンゲアの時の地球半径は約4000kmに対し、、現在の地球半径の約6400kmへと約1.5倍も伸びているのだと説く。

2010年頃からグアテマラや中国迎賓市で起きたように、世界中の多くの地域で「巨大な穴」や「巨大な地割れ」が突如出現しましたが、これは地球内部のマントル圧力が今までは増加して地球が膨張していたのが、ここに来てその圧力増加が限界に達し、今度は縮小に転じる一歩手前の状態になったからかもしれません。

地球内部のマントル組成が相転移したとも云われていますが、これによって膨らんだ風船がしぼむように地球の内部圧力が低下に伴い、地殻深層部で空洞が発生し、耐え切れずに地盤が崩壊し大穴が出来たとも考えられるのです。こうやって地球は収縮し、また1つの大陸に戻っていくのかもしれません。

この縮小に転じた原因として、宇宙規模での天体現象だとも云われていますが、最近起きた太陽磁場の2→4極変化もその1つの現れかもしれませんね。3.11以来、小康状態オを保っていましたが、またゾロ何か大きなことが起きるかもしれません。

例えば、伸び切って薄くなっている海底地殻の突然の崩落とか、、、この場合、巨大な津波が襲ってきますね。特に火山活動が活発で地殻に巣(空洞)の出来にくい日本列島とは違って、火山活動も地震(地殻の活動)が少ない大陸は巨大な巣(空洞)が発生していて、ある日突然ドーンと来るかもしれません。

地球の各大陸がゆっくり(何億年)移動して現在の位置になったというプレートテクトニクス理論とは違い、この地球膨張論から導き出される大陸移動は超高速であり、古代大陸パンゲアから現在の姿まで僅か6000年くらいしか掛かっていないという。そしてこの年数は、偶然にも聖書創世記の内容とほぼ合致するのです。

つまり、この世界が出来たのは約6000年前

まぁ、オイラは黄道周期2万4000年を4等分した6000年の期間を「人間期→変換人期→人間期→変換人期」と変遷していくと説くオコツト教信者なので、何も驚かんだすな。逆に当然と受け止めているし、いい証拠が揃ったと思っているぐらいです。
※註 人間期…自己内面を外界世界(物質世界)と認識 変換人期はその逆で生きながら霊界に入ると表現される。当然、不老不死(爆)。

膨張から収縮に変わるときはカタストロフが起こり、これまでの周期を調べると、2013年頃からそれが大規模に始まることが予想されるという。その根拠は大体1600年単位に起きており、前回が1600年前のゲルマン大移動と倭国大乱の頃だというからだ(汗)。

この縮小過程は、爆発型文明から爆縮型文明への移行の暗喩であると睨む。エネルギーを得る方法が石油等の爆発解放型から、水からブラウンガス生成してそれを燃やしてエネルギーを得るというような爆発解放型への移行です。また地球の縮小過程は人口縮小をも意味していると思う。

しかし、そうも楽観視も出来そうにない。
少し前30年前のフランス人の予言の動画が話題になったが、、、

100年後の未来は見えない。
2012年以降は何も見えない。
私の死が訪れる可能性も考えられる。

同時にある問題も見えている。
異星人との遭遇だ。
この遭遇には勝者と敗者が存在する。
2012年以降何もイメージできないということは、我々は敗者なのだろう。


この異性人とは、、、ヒトラーがいうラストバタリオンかぁ!!!

まぁ、宇宙人が攻めてくるということに関しては、彗星発見者で二度の臨死体験者の木内氏が「金星人が攻めてくる~」と同様なことを言っていますし、ホログラムで宇宙人襲来というイベントを起こして一気にNWO構築という壁の世界政府のシナリオがあるともいいます。オコツト信者のオイラは異次元空間との交差で互いの空間が行き来出来るようになり、異次元人が現れる(襲ってくる?)とみていますが、、、、

実際のところ、未来はどうなるのかはよく分からないのですが、いづれにせよ地球はヤバイ状況にあることだけは確かである。
※註 現ローマ法王のベネディクト16世去就がそのカウントダウンの目安かなぁ、、、
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コメント

真実は残酷にしてショボい

>ノアの大洪水は約4300年前。
>7000年以上は地球磁場で、生命体の存続が不可能(万年、億年は最後の御伽噺)

やっぱりそうなんすかねえ…スケールが小さすぎて涙が出るっすww
地球生命の真の歴史が一万年すら無いなんて、アニメにもゲームにもならないっす。企画書を突っ返されるっす。

恐竜の立場

何億年前に生きていたとされる恐竜と、その化石はどう説明されるのでしょうか?

恐竜は、わずか数千年前の生物なのでしょうか?

No title

やっずさん

この地球膨張説は、イヌマエル・ヴェリコフスキの『衝突する宇宙』と飛鳥昭雄氏の「プラズマ宇宙論&太陽系超先端情報」をベースとしたブログ[不況対策 個人でも有効な方法の「地球膨張・収縮の歴史サイクルを知る!」]等とほぼ同じですが、小生には少し疑問があり、ご見解をお願いします。
地球膨張・収縮の歴史サイクルを知る!
http://on-linetrpgsite.sakura.ne.jp/column/post_126.html

(1)ノアの大洪水により地球内部のマントル組成が相転移して膨張し、これによって高速の大陸間移動が起こって現在の大陸配置になったとしているが、この水による相転移の地殻膨張メカニズムがよく分からない。そして、地殻収縮メカニズムもよく分からない。
単に、地熱と高圧による超高圧水蒸気が地殻物質に作用して相転移で膨張させているだけなのか。。。。。そうすると、深い穴を掘ると超高圧水蒸気が排出されて収縮するのか。。。。天然ガス、石油採掘が悪さしているのか。。。。よく分からない。

(2)地球膨張説のCG動画ですが、古代大陸パンゲアが分かれて現在の五大陸になっていく様子が分かり易く動画化されていますが、逆に地球が収縮していけば地殻と地表の大量の水がどうなるのかこのCG動画にありませんね。
今後地球が収縮していけば地殻の相転移で多量の水が発生して地表がノアの大洪水並みに水没し、その後再び地球の地殻で相転移が起こって地殻膨張し、これによって再び高速の大陸間移動が起こって新たな大陸配置となる、つまり地球の膨張→収縮→膨張→収縮サイクル、所謂「ガイヤの法則」または「マヤ暦819年周期」のように地球の歳差運動周期25,776年の1/4の約6400年毎に繰り返される文明興亡サイクル予測が実現するのだろうか。。。。そして、そのサイクル終了・開始時期は2012-2013年なのだろうか。。。。

(3)「魏志倭人伝」では、
・男子無大小皆黥面文身 計其道里、當在會稽、東治之東。倭地溫暖、冬夏食生菜、皆徒跣 出真珠、青玉。其山有丹。
「随書倭国伝」では、
・倭國、在百濟、新羅東南、水陸三千里、於大海之中依山島而居。魏時、譯通中國、三十餘國、皆自稱王 男女多黥臂點面文身、沒水捕魚 氣候温暖、草木冬青、土地膏腴、水多陸少 有阿蘇山、其石無故火起接天者、俗以為異、因行禱祭。有如意寶珠、其色青、大如雞卵、夜則有光、云魚眼精也
とあり、特に「阿蘇山があり、そこの石は故無く火柱を昇らせ天に接し、俗人はこれを異となし、因って祭祀を執り行う。」は九州のことである。
従って、邪馬台国は九州・阿蘇山近くの西都原古墳群にあり、卑弥呼女王の孫の神武天皇が大和・出雲王国のイスケヨリ姫に婿入りして大和朝廷成立説の「古代日本正史」原田常治著に賛同しています。
そして邪馬台国大和説では、この時代の奈良の大和盆地には巨大な湖があって、「魏志倭人伝」や「随書倭国伝」にマッチする状況ではない地域であったことを考慮しているのか疑問です。
地球膨張論と古代近畿の水系の謎①
http://on-linetrpgsite.sakura.ne.jp/column/post_125.html


鹿さ~ん♪

コメントありがとうございます!

(1)
マントル内の大規模な対流運動を「プルーム」と呼びますが、プルームにはコールドプルーム(下降)とホットプルーム(上昇)の2つの方向性があります。このコールドプルームが優位になった時が地球縮小の時だと睨んでいますが、これにより上部マントルと下部マントルの比率に変化(相移転)が起きるのではないでしょうか。


(2)
水の問題は重要です。
創世記にはパンゲア大陸を覆ってしまう程の水があったと思います。
(この水の起源も月内部の熱水かな~)
その証拠となりそうなのが、縄文海進でしようか!
縄文中期には、今よりも15~20mも水位が高かった。この現象は日本だけでなく世界中に起きていた現象だそうです。特に低緯度地域では地球の自転の関係から遠心力で水位が高くなり、100mも高いところもあったというが、高緯度地域は氷床で大陸に多量の水が保持されていたのでしょう。

2013年については、一連の予言等からの推測結論です。
まぁ、本当に当たるかどうかは分かりませんが、、、
(噂になった予言は当たったことがないというジンクスもありますしw)


(3)
邪馬台国論争は宗教論争のような感を呈していますね(笑)。
特に九州と近畿は200年前から続く「源平の戦い」のような感じもするw

近畿説と九州説では、想定する倭国の範囲が異なり、九州説は九州止まりですが、近畿説は九州~近畿にまたがる広い範囲を倭国とし、その都が近畿(桜井市)にあるという内容です。ですから、倭国に九州の阿蘇山があっても別段おかしくはないとなる。(個人的には阿蘇山とは当時、活動が激しかった現富士山だと睨んでいますが、、、これは妄想の類ですw)あと魏への献上品の絹も同様で、近畿では絹が発見されてませんが、他領域で産出して献上が成り立ちます。

近畿説の決め手は、やはり国内最古の巨大王墓(箸墓古墳)が近畿にあるという点でしょうか。その年代も「布留0式」の土器出土の際に一緒に出土した木片の年輪年代法での測定で(年輪年代法は高精度です)、箸墓の築墓期が一気に遡り卑弥呼時代にドンピシャとなった点ですね。また近畿での出土品が全国の産物に渡っており、ここに大きな王権が存在していただろうことが想像可能なのです。

Re:恐竜の立場

コメントありがとうございます!

> 何億年前に生きていたとされる恐竜と、その化石はどう説明されるのでしょうか?
> 恐竜は、わずか数千年前の生物なのでしょうか?

この件に関しては、語り部とは意見を異にしています。

神の経綸である「天地創造」を科学的に説明しようとしている「創造科学」では、ノアの洪水で全生物が溺れ、高等なもの程、水面近くに上がっていて一気に化石化したと説いている程です。ただ、この解釈も観念的なものを物質的に説明しようとしている時点で既に誤りがあるのだともいう(笑)。

恐竜については、私はオコツトの説に従い、、、

「化石の生物も恐竜も未だかつて地上に生存したことはなかった。」と考えています。

というのは、目に見える世界(物質世界)は、その実、認識者の内面世界であり、一気に出来たと考えています。この場合、出来たというのは形而上世界に存在するデータのことであり、そのデータを参照しれ私たちは固有の物質世界を見ていると考えています。このことを簡単に知る方法は、片目を瞑って外界を眺めたときに、見える世界は相変わらず立体3Dに為っている点です。医科学の所見では、我々は眼球内の網膜という平面に水晶体というレンズを通して上下反転した像を投影して電子パルスに変換し、それを脳内に送って再生した映像を見ているとされています。しかし、3Dから2Dへ情報劣化させてしまったデータから、また再び3Dの元の姿に復元することが可能でしょうか? この結論は外世界は3D世界ではなく、もっと高次元の世界であるということ。我々はその情報を劣化させ3Dとして認識していると考えられるのです。

このように本質は高次元で出来たデータが正体なので、今まで馴染んで来たような3D物質世界的な事物生成や因果関係などは全く通用しないだろうと考えています。これがこの物質世界にあらゆる矛盾が対立しながらも存在する理由だとも考えています。

この世は迷宮なのですw

No title

語り部は孝徳天皇の子で、佐富の弟の藤原定恵が大陸で魏志倭人伝等改竄したと言ってましたが、
「等」ということは随書倭国伝も改竄されている可能性もありますね。

随書倭国伝は九州王朝説が出るほど、九州に目を向けさせている感があるので、改竄の可能性が高そうです。

あと、ちょっと語り部の補足を
「膨張から大陸移動がかかり、質量増加し、地軸が傾き、自転、公転速度の減少(1年は360日人間サイクル25時間=9000時間だった)、白夜が出来、巨大生物の生存が不可能になり膨張維持で頻繁に火山活動や地震が起きていたのだが、巨大地震の増加は、地球の縮小が(均衡が崩れ)迫っている証拠だと推測され・・最悪地球全体で起これば数日程度で大陸が一つになる可能性もあります(日本は一気に中国大陸に激突。1億5千万年後では有り得ない)」

影武者の方では・・・
「地球磁場により地球生命の生存が可能になったのは概算8700年前から
マンモスの氷付け(新鮮であり解凍すれば食用に可能。-100度の冷気が必要で、雄は冷気を吸い込み窒息死した証拠の勃起状態)がシベリアで大量に出て来るが、現地に出張に行った人の話だと人や蛇、豹も出て来る。
マンモスは皮脂腺が発達しておらず寒い地方で生息不可能。」
概算8700年前って・・・1700年も違うがな(笑)

恐竜の1万年足らずの説明にはなってないですが、カタカムナの生物自然発生説ってご存知ですか?

コレをトンデモと一笑していいものかとも感じます。
太古の昔はカタカムナ科学があったと思いたい(笑)
ということは、突然消えるってのもアリかもしれません。化石はまた、もっと前のサイクルの置き土産みたいな(適当  笑)

語り部は「地球磁場の影響」を強調しているところが気になりますが、
自・公転速度や時間の概念など全く今とは別物だったのかもしれませんね。

月の熱水説は僕もそうだと思っていて、飛鳥説ですが彗星メノラーの影響で・・・ってヤツを何気に支持してます。
それがノアの大洪水とか・・・

ラストバタリオン様

http://www.youtube.com/watch?v=Py_IndUbcxc&feature=player_embedded

早く 攻めて来てくれだす~~~~~~

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No title

>というのは、目に見える世界(物質世界)は、その実、認識者の内面世界であり、一気に出来たと考えています。

「人間型ゲシュタルトが物質世界を形成するタイムは、わずか0.05秒にすぎない」(by 政宗一成) ですね わかります

No title

ヤッズ★さん

ご回答ありがとうございます。

(1)ご回答のコメント
マントルプルーム説では、日本海溝などの沈み込んだ側のプレートは深さ約670kmの上部マントルと下部マントルの境目付近にいったん停滞してスラブと呼ばれ、このスラブの塊がある一定の量を超えると一挙に下部マントル内に崩落していくコールドプルーム(下降)となる。一方、この巨大なコールドプルームの沈み込みが、下部マントル内の温度構造をかき乱し、ホットプルーム(上昇)と呼ばれる巨大な上昇流を誘発し、想像を絶する火山噴火を伴った大地殻変動を引き起こす原動力となるとしています。
従って、コールドプルーム(下降)が優位になっても、ホットプルーム(上昇)も同じレベルになって想像を絶する火山噴火を伴った大地殻変動が頻発するだけで、地球収縮にならないのではないかと思います。
このために、上部マントルと下部マントルの比率に変化(相移転)が、どうゆうメカニズムで地球収縮、地球膨張になるのか疑問です。

(2)ご回答のコメント
ノアの大洪水の創世記が地球収縮期であれば、パンゲア大陸を覆ってしまう程の水があったわけで、「縄文中期には今よりも15~20mも水位が高かった」どころではない水位と思います。一説では、現在の陸上と海底を平坦にすると2000m以上の水位で地球が覆われるそうで、地球収縮期ではさらに大きな水位で地球が覆われると思います。

(3)ご回答のコメント
部外者から見れば、全く邪馬台国論争は宗教論争のような感であることは間違いないですね。小生は日本古代史に重要な位置を占める神社伝承学からの古代史論が邪馬台国論争に欠けているので問題提起しています。
『新唐書』倭国・日本伝によれば、倭国は701年(大宝元年)までの自称で以後は日本であり、
○日本国は、倭国の別種なり。或いは日本は昔、小国だったが倭国の地を併せたという。
○王姓は阿毎氏、自ら言うには、初めの主は天御中主と号し、彦瀲に至り、およそ三十二世、皆が「尊」を号として、筑紫城に居住する。
→彦瀲(ウガヤフキアエズ尊)まで筑紫=九州に居住する
○彦瀲の子の神武が立ち、改めて「天皇」を号とし、大和州に移って統治する。
→神武天皇が九州から大和州に移って統治する。

とあり、倭国は当初は九州、神武天皇が大和に移って統治したとあります。
「魏志倭人伝」3世紀の卑弥呼女王の邪馬台国と同じ時期に、奈良・大和地方には巨大な奈良湖周辺の三輪山中心にスサノオ尊の第5子のニギハヤヒ尊の出雲・大和王国が繁栄していたことです。
ニギハヤヒ尊の出雲・大和王国は、九州を除く近畿、中国、四国、東海、関東までの支配地域であり、当時の大和地方から全国の産物の出土があるのは当然です。
箸墓が国内最古の巨大王墓としても、出雲・大和王国の王墓の可能性もある。
『新唐書』倭国・日本伝のごとく、ニギハヤヒ尊の相続人イスケヨリ姫に卑弥呼女王の孫の神武天皇が婿入りして九州の倭国と三輪山中心の出雲・大和王国を統合して大和朝廷成立させ神武天皇即位したのです。
つまり、「魏志倭人伝」3世紀の倭国の卑弥呼女王邪馬台国は九州の西都原古墳群にあったのです。尚、卑弥呼女王の子が彦瀲(ウガヤフキアエズ尊)。
近畿説の人々は、『魏志倭人伝』『隋書倭国伝』『旧唐書』『新唐書』倭国・日本伝などの客観的外国歴史文献、記紀以前に創建された神社の伝承なども検討すべきでしょうね。
捏造された記紀を妄信しているかぎり真実が探求できない。

『新唐書』倭国・日本伝

日本國者、倭國之別種也。以其國在日邊、故以日本為名。或曰:倭國自惡其名不雅、改為日本。或云:日本舊小國、併倭國之地。其人入朝者、多自矜大、不以實對、故中國疑焉。又云:其國界東西南北各數千里、西界、南界咸至大海、東界、北界有大山為限、山外即毛人之國。
其俗多女少男、有文字、尚浮屠法。其官十有二等。其王姓阿毎氏、自言初主號天御中主、至彦瀲、凡三十二世、皆以「尊」為號、居筑紫城。

そこの俗は女が多く男が少なく、文字があり、仏教の教えを尊ぶ。その官には十二等級がある。王姓は阿毎氏、自ら言うには、初めの主は天御中主と号し、彦瀲に至り、およそ三十二世、皆が「尊」を号として、筑紫城に居住する。

彦瀲子神武立、更以「天皇」為號、徙治大和州。次曰綏靖、次安寧、次懿德、次孝昭、次天安、次孝靈、次孝元、次開化、次崇神、次垂仁、次景行、次成務、次仲哀。

彦瀲の子の神武が立ち、改めて「天皇」を号とし、大和州に移って統治する。次は綏靖、次は安寧、次は懿德、次は孝昭、次は天安、次は孝靈、次は孝元、次は開化、次は崇神、次は垂仁、次は景行、次は成務、次は仲哀という。

鹿さ~ん♪

コメントありがとうございます!

(3)回答コメへのレス
>近畿説の人々は、『魏志倭人伝』『隋書倭国伝』『旧唐書』『新唐書』倭国・日本伝などの客観的外国歴史文献、記紀以前に創建された神社の伝承なども検討すべきでしょうね。

江戸時代から200年間も邪馬台国論争は続いていますが、文献だけでは白黒付かないという状態であり、現代科学をベースとした考古学的成果での新展開が期待されています。

ただ『新唐書』に関しては、1060年完成と卑弥呼死去から800年以上も経っており資料としては???という感じがしますし、その内容が記紀の天皇系譜にあまりにも一致している点が怪しく、独自の情報ソースからの記述とは思えない。ですから邪馬台国の資料からは除外すべきだと思う。

記紀には邪馬台国はおろか徐福国も記述も一切なく、また朝鮮語「哀号」と号泣した桓武天皇と平城天皇(桓武の息子)がいたことから間違いなくこの時の天皇は百済系であることは確かなことですが、そんな天皇家も九州から東征してきたと記されるだけで、記紀を使って出自や本当の歴史隠しを図っている。

その記紀内容と『新唐書』が一致しているが、これは日本書紀や遣唐使の内容を参考にして記述されたのでしょう。また『新唐書』と『旧唐書』では倭に関して記述内容が異なっている部分もあり、何らかの横槍(買収?)があって改竄されたと見ていますが、、、

http://kodaishi-21.web.infoseek.co.jp/p3-6.html

件の西都原古墳群ですが、凄い数の古墳数ですね。

3世紀中頃~末築造と最も古く卑弥呼の墳墓では?と言われる81号古墳の後円部サイズは直径38m・高さ7M。箸墓古墳の直径150m・高さ30Mと比べて小さく、魏志倭人伝の「径百余歩」(百歩=144m)と著しく乖離していますので、卑弥呼の墳墓というのはどうかな?と思います。また西都原は東側に切り立った崖の海が迫り、平野部が少ないので都の場所としては???な気がします。

数多い古墳群は、3世紀中頃~7世紀前半にかけてのものが存在し、数百年間に渡ってこの地を強権が治めていたことを示しています。また西都原は古名を「斉殿原」ということから、ここは倭国の一大国葬センターであったと思われますが、多分、倭讃の頃の百済出兵、白村江の戦い...等の殉死者を祀っているかもしれません。

No title

偽書という「桓檀古記」ですが・・・

「日本旧くは伊国に有り。亦伊勢と日い、倭と同隣す。伊都国は筑紫にありて亦即ち日向国なり。これより以東、倭に属す。その南東は安羅に属す。安羅はもと忽本の人なり。北に阿蘇山あり。安羅後に任那に入る。
・・・東南に陸行すること五百里にして伊都国に至る。乃ち盤余彦の古邑なり」

邪馬台国については・・・
”神武は伊都国王であり、日向にあった卑弥呼の安羅国と熊本にあったニギハヤヒの多羅国を合併して邪馬壱国をたてた”
最初は伊都国、安羅国、多羅国の三国連合だったが、伊都国が脱落し
安羅国と多羅国の連合へと変わったと考えられ、この二国が「魏志倭人伝」に登場する女王卑弥呼の邪馬台国だという。
この邪馬台国は大和に東遷した後、神武東征で天皇家に臣従した。
臣従を拒んで東北へと落ちのびて行ったのが長髄彦や安日彦の安羅系で、安羅系はカナン人の流れ。
イスラエル人とカナン人は古代からお互いを増悪、敵視しているといい、
天皇家に最も敵対するカナン人?
現在もですが、東北がいつも被害にあうのは・・・

No title

ヤッズ★ さん

ご指摘のように邪馬台国論は不毛の宗教論争の感となりやすく、紙面での意見交換は切りがないので、小生の見解のみ述べます。
(1)『新唐書』は、百済王族の天智天皇、天武天皇が645年の大化改新(乙巳の変)で旧天皇家(大和国の飛鳥王朝)の日本(ひのもと)を簒奪し、「記紀」を創作・偽装した後に訪問した使節の情報ですが、唐側は従来の倭国情報と違うので怪しんでいるようです。
『新唐書』倭国・日本伝
「日本國者、倭國之別種也。以其國在日邊、故以日本為名。或曰:倭國自惡其名不雅、改為日本。或云:日本舊小國、併倭國之地。其人入朝者、多自矜大、不以實對、故中國疑焉。」
→日本国は、倭国の別種なり。その国は日の出の場所に在るを以て、故に日本と名づけた。あるいは曰く、倭国は自らその名の雅ならざるを憎み、改めて日本と為した。あるいは日本は昔、小国だったが倭国の地を併せたという。そこの人が入朝したが、多くは自惚れが大にして不実な対応だったので、中国はこれを疑う。

ただし、全くのウソではなく「日本国は、倭国の別種なり。日本は昔、小国だったが倭国の地を併せたという。」は2つの事実を混ぜて述べている。
○スサノオ尊第5子のニギハヤヒ尊が奈良地方のナガスネヒコの妹を娶って大和に出雲・大和王国をつくったが、この国は別名日本(ひのもと)ともいう。
 ニギハヤヒの末裔・物部氏が残した物部文書や日本書紀に、「この命、天磐船に乗り、天より下り降りる。虚空に浮かびて遥かに日の下を見るに国有り。よりて日本(ひのもと)と名づく。・・・」とある。
九州の日向・西都にあった倭国の邪馬台国卑弥呼女王の孫のイワレヒコ尊(神武天皇)がニギハヤヒ尊の相続人イスケヨリヒメに婿入りして大和朝廷が成立し、神武天皇即位。
これが「日本国は、倭国の別種なり」の意味である。
ただし、邪馬台国卑弥呼女王の勢いがあるので対外的に倭国名がそのまま継続。
邪馬台国卑弥呼女王死亡した後、宗女トヨが女王となり倭国として西暦266年に晋に朝献したが、その後に神武天皇孫の初代南九州鎮守使 武岩龍彦尊(阿蘇神社主祭神)がトヨ女王から邪馬台国を受領し、倭国を併合した。これが「日本は昔、小国だったが倭国の地を併せたという。」の意味である。
○倭国の九州王朝「古田武彦説」が663年白村江の戦いで滅亡し、645年の大化改新(乙巳の変)で旧天皇家(大和国の飛鳥王朝)の日本(ひのもと)を簒奪した百済王族の天智天皇・天武天皇が滅亡した倭国を併合した。これが「日本は昔、小国だったが倭国の地を併せたという。」の意味である。

(2)「記紀には邪馬台国はおろか徐福国も記述も一切なく、また朝鮮語「哀号」と号泣した桓武天皇と平城天皇(桓武の息子)がいたことから間違いなくこの時の天皇は百済系であることは確かなことですが、そんな天皇家も九州から東征してきたと記されるだけで、記紀を使って出自や本当の歴史隠しを図っている。」
とのことですが、
645年の大化改新(乙巳の変)で旧天皇家(大和国の飛鳥王朝)の日本(ひのもと)を簒奪した百済王族子孫の桓武天皇と藤原氏などは出自と簒奪の事実を隠蔽して正統性を主張するために「記紀」を創作・改竄・偽装したので、不都合な邪馬台国、徐福国などは記述しないのは当然ですね。
日本人の先祖と建国黎明期に活躍した人々;第9-11章
http://www.syamashita.net/history/

(3) 「件の西都原古墳群ですが、凄い数の古墳数ですね。 3世紀中頃~末築造と最も古く卑弥呼の墳墓では?と言われる81号古墳の後円部サイズは直径38m・高さ7M。箸墓古墳の直径150m・高さ30Mと比べて小さく、魏志倭人伝の「径百余歩」(百歩=144m)と著しく乖離していますので、卑弥呼の墳墓というのはどうかな?と思います。また西都原は東側に切り立った崖の海が迫り、平野部が少ないので都の場所としては???な気がします。」とのことですが、
小生はこれまで4回現地訪問して見て周りましたが、これだけの規模の墳墓群を作る権力は相当大きいはずで、3世紀の倭国時代を考慮すると邪馬台国しかありえないと思います。
邪馬台国の首都は今の宮崎県西都市で、西都原古墳群は墳墓の集合体です。
「西都原古墳群」北郷泰道著によれば、これまで第1次から第6次まで6回発掘調査が行われているがいずれも大正時代で、貧弱な考古学での発掘調査であり、極めて信頼性が低い。
平成16年から3ヶ年計画で、初めて男狭穂塚、女狭穂塚の地中探査調査が行われているが、最新の考古学技術、例えば放射性炭素(C14)年代測定法などで出土品などを再調査すれば、正確な年代が判明し、邪馬台国の証明が出来ると思っています。
尚、現在 男狭穂塚、女狭穂塚はニニギノ尊とコノハナサクヤヒメの墓としていますが、ニニギノ尊は鹿児島県薩摩川内市の可愛山稜に宮内庁駐在事務所が管理していることを小生は訪問して確認しており、これは間違いです。
「古代日本正史」原田常治著その他では、この男狭穂塚は邪馬台国卑弥呼女王、女狭穂塚はイワレヒコ尊(神武天皇)の日向時代の娘で卑弥呼の孫のトヨ女王の墳墓としています。
男狭穂塚は全長約175メートル、後円部直径約132メートル、後円部高さ約18メートルで、日本最大の帆立貝形古墳であるが、魏志倭人伝の「径百余歩」(百歩=144m)とほぼ合致しているので、これは卑弥呼の墳墓と思います。
http://minkara.carview.co.jp/userid/134837/blog/16973970/

邪馬台国大和説では、当時の奈良の大和盆地には巨大な湖があって、「魏志倭人伝」や「随書倭国伝」にマッチする状況ではない地域であったことを考慮しているのか疑問です。
地球膨張論と古代近畿の水系の謎①
http://on-linetrpgsite.sakura.ne.jp/column/post_125.html

「魏志倭人伝」
○倭地溫暖、冬夏食生菜、皆徒跣。 
・倭の地は温暖、冬や夏も生野菜を食べ、皆が裸足で歩いている。
→小生は冬の奈良に行ったことがありますがとても寒く、これは奈良盆地には相応しくない記述であり、小生は冬の宮崎・西都原古墳群に行ったことがありますが冬でも温暖な気候であり、これにマッチングする記述である。
○女王國東渡海千餘里、復有國、皆倭種。又有侏儒國在其南、人長三四尺、去女王四千餘里。又有裸國、黑齒國復在其東南、船行一年可至。參問倭地、絶在海中洲島之上、或絶或連、周旋可五千餘里。
・女王国の東に海を渡ること千余里、また国がある。いずれも倭人である。
→これは九州・邪馬台国から東に瀬戸内海を渡ると奈良地方にニギハヤヒ尊の出雲・大和王国、別名日本(ひのもと)があることを示している。
・倭の地と比較して訊いてみると、絶海の中央の島の上に在り、隔絶あるいは連結し、周囲を旋回すること五千余里ほど。
→これは倭国周囲を旋回すると五千余里ということで九州島を示し、邪馬台国が九州にあることを記述している。

最後に、邪馬台国大和説の人は実際に西都原古墳群を訪問して風土や男狭穂塚、女狭穂塚を考察したのか疑問である。そして客観的な古代外国文献考察や古代出土品及び古代気候・地形の科学的解析と共に、「古代日本正史」原田常治著のように、捏造された「記紀」を妄信するのではなく、藤原不比等の改竄・偽装が及んでいない「記紀」以前に創建された神社伝承を解明することが真実の日本古代史探求に必須と思います。

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 ☆★ 邪馬台国と天皇の秘密解明!! ★☆

 紀元前に秦からユダヤ教徒の徐福たちが集団で西日本に渡来してました。
 http://blog.livedoor.jp/hideki4612/archives/1060051594.html

 http://blog.livedoor.jp/hideki4612/archives/1059998993.html
 
 最新科学による邪馬台国解明!!
 http://blog.livedoor.jp/hideki4612/archives/1060019603.html

 初代天皇陛下は、原始キリスト教徒集団の長です。
 http://blog.livedoor.jp/hideki4612/archives/1058536292.html
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