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牛神に導かれて京都怨霊ツアー

前回に続き、京都に行って来た時のこと絡めて洞察を書きます。

今回の京都訪問は「北野天満宮→金閣寺→下賀茂神社→御所→八坂神社→祇園→崇徳上皇御廟→六波羅蜜寺」というルートで廻ってきましたが、奇しくも菅原道真、崇徳上皇、蚩尤、平家を参るというの怨霊ツアーになってしまっただす。前回京都に行ったのが、京都駅ビルが古い時だったので、京都駅の変わり様に唖然。

「なんや、この吹き抜け空間は、、、空港並じゃん」

最初の訪問地は北野天満宮。京都駅からタクシーで直行だす。最初、テクテク歩いていこうと考えていたが、その考えは無謀だったことがタクシーに乗ってみて初めて分かった(汗)。

ここが秀吉が大茶会を開いた天満宮だすか。

北野天満宮の拝殿(12畳分)を3つに区切り、その中央に黄金の茶室を持ち込んでその中に「似たり茄子」(百貫茄子)などの秀吉自慢の名物を陳列。境内から松原にかけて800軒とも1500軒余ともいわれる数寄屋(すきや)・茶屋を建て、客をもてなした。

そうか、オイラたちが御祈祷で座ったところに黄金の茶釜があったんだw

天満宮は修学旅行がてらの御祈祷が多かっただすな。また参道には多くの常夜灯がある。それ故、ここは元々は生粋の神社神道ではなく、明治期の神仏分離で仏教系が神道化したところだと明白に判る。それにしても、境内のアチコチに掲げられた鏡は異様です。拝殿の中央には大きな鏡がありますが、内部にも柱という柱には鏡が付けられています。

さてさて、今回の記事の本題は、、、、

この天満宮の菅原道真信仰と蚩尤信仰には奇妙な符合があるという内容です。

菅原道真公は乙丑年生まれ、また、道真の葬送の牛車が都府楼の北東(うしとら)の地で動かなくなり、そこに葬られたという。ウシ、ウシトラで「艮の金神」を彷彿とさせます。しかも前回の記事で書いたように、北野天満宮は神紋に「梅」と「松」を持ち、大本神諭の「梅で開いて、松でお治める」という金神の言葉をも暗喩しているのです。

この牛頭天王はインドの祇園精舎(釈迦生誕地)の守護神といわれ、京都祇園社(現八坂神社)の祭神でもありますが、八坂神社はこの牛頭天王を鎮める為の社であり、疫病神を鎮めるために行なわれたのが祇園祭です。ヘブライ色濃厚と言われますが、多分、ヘブライ由来の過越祭の逸話を取り込んでいるのではないでしょうか。『祇園牛頭天王御縁起』によれば、本地仏は東方浄瑠璃界の教主・薬師如来。12の大願を発し須弥山中腹にある「豊饒国」の武答天王の一人息子として垂迹して姿を現したとされています。

仏教では天部八衆のように敵対する宗教の神を守護神として取り込んでしまう例が多いので、この牛頭天王も仏教とは異なる宗教の神であったのでしょう。多分、それはバアル神(牛神)ではないでしょうか。

ここに出てくる「豊饒国」とは「豊国」、つまり「豊葦原瑞穂中つ国」である東三河のことでしょう。徐福が持ち込んだ大陸文明で機織・酒造・製鉄・稲作...等で、当時の日本では比較的裕福な生活レベルを維持していたから、こう呼ばれたと睨んでいる。ということは、須弥山とは蓬莱山のことになるなw

縁起によれば、、、

牛頭天王=武答天王の息子

これは豊国(徐福国)王家の系譜かもしれない。しかし、蘇民将来の説話からは巨胆将来こそが徐福国の王という洞察に到るのだが、、、、う~む、そうか! 徐福国を討伐したのが「倭興」と百済王家からの婿養子である義理の息子「倭武」だと語り部はいうことから、討伐後、徐福国の東三河を管理したが故に倭興はフツヌシ【フツ(徐福)の国のヌシ(管理者)】と呼ばれたのだろう。これが武答天王(武塔神)なのだろうか?

以前の武答天王の比定は、いろいろ交錯しています(汗)。
いままでの洞察をまとめると、、、

・蚩尤=兵主神=巨胆将来=徐福
・武答天王=倭興?倭武?初期大王家?
・牛頭天王=倭武?後期大王家?
・スサノオ=倭建


武答天王が分かれば、全てが解けるのだが、、、

う~む、武塔神とは「踊るマハラジャ」のムトゥのことかもしれんのぉ~(爆)


(これがマツケンマハラジャのネタ元か?)

このダンス、片手を上にもう片手を腰に置くポーズは、、、

蔵王権現の御姿とダブるだす~~~っ。
蔵王権現は青い肌色といい、インド色テンコ盛り。

やはり、武塔神=蔵王権現かもしれんのぉ~
※註 蔵王権現のある吉野には北野天満宮示現の宮があるのだという。やはり、吉野と北野には密接な関連があった。

蔵王権現2012
(踊るマハラジャ(王)の蔵王権現)

各地の八坂神社、祇園神社は明治の「神仏分離」政策により素盞嗚尊を祭神へと変更していったが、かつては牛頭天王が祀られていたという。この日本においては祇園信仰はかなり盛んに信仰されていた。「牛頭天王」は身長が七尺五寸(2.3m)もあり、三尺(1m)の牛頭を持つ二頭身キャラなのですが、三尺の角があったことから、遠目には3m超の巨体であった。

古代中国神話の神「蚩尤」もまた牛冠を被った牛の角を持つ神ですが、獣身で銅の頭に鉄の額、四目六臂で人の身体に牛の頭と蹄を持ち、頭に角があるとされ、外観上の共通点が多い。蚩尤は各種兵器を発明して暴風雨を操りながら黄帝と戦ったという。

牛と蚩尤は長江文明の文化ですが、韓半島の伝説では「蚩尤の一族は兵主神の地、山東半島から新羅の曽尸毛犁(そしもり)に渡る」という伝承があり、実際、山東半島・遼東半島には蚩尤を祭った痕跡が残っている。また、韓半島の新羅の曽尸毛犁の地には「牛頭山」と呼ばれる山があり、熱病に効果のある栴檀を産し、疫病を司る(または鎮める)神である牛頭天王と同一視され、先の伝承と合わせて蚩尤信仰の地でもあったのです。つまり、蚩尤と牛頭天王は韓半島で既に習合されていたのです。

20097818333717.jpg
(蚩尤民族「苗族」の祭りの衣装)

偽書とされる『桓檀古記』には、、、

「戊申十年(161年)豆只(ずし)州の濊邑(わいゆう)で謀反あり、その酋長の素尸毛犁(そしもり)を斬った。これよりその地を素尸毛犁と称す。今転音し牛首國という。その孫に陝野奴がおり、海上へ逃げ三島で、天王を潜称す」

とあり、素尸毛犁が人名を元にした地であることが明かされますが、そのが牛頭天王の信仰に関わる地であることが明かされています。さらに朝鮮の『東国通鑑』には、、、

「楽浪の牛頭山の檀木の下に天降った檀君が建国の祖である」

この檀木(熱病に効果のある栴檀)故に檀君なのです。
また『日本書紀』では、、、

「スサノオは子のイソタケルと新羅に降り曾尸茂梨に居た。スサノオ言うにはこの地に私は居たくない。埴土で船を作りこれに乗って東に渡り出雲国の簸川上にある鳥上之峯に至った。」

と記されているのです。仏教を携え渡来してきた百済王家の後期大王家によってこの習合形態が日本に持ち込まれ、仏教が政治的に幅を利かせる(国教化)に従い、既に日本列島において蚩尤を祀っていた社は牛頭天王を祀るようになっていった(祇園社)のでしょう。更に明治期の神仏分離で牛頭天王は更に日本神話の「スサノオ」と習合されていったのですが、日本書紀の記述を見る限り、曾尸茂梨を介して当時すでに「蚩尤=牛頭天王=スサノオ」と認識していたことが分かる。確か、語り部も「蚩尤=牛頭天王=スサノオ」と語っていましたね。

しかも檀君神話によって「檀君=牛頭天王=スサノオ」が導かれ、スサノオが韓国の建国者という位置付けになってしまい、「根の国」に追い払われたスサノオが建国した国が新羅。つまり新羅は日本の属国という思想が出来上がることになり、このことから「檀君神話」自体が大和朝廷の捏造の書物である可能が高くなるのです。

それを逆手に取って朝鮮支配のツールとして使ったのが牛頭神宮。実は、かつてその名の神宮が韓半島にあったのだという。

日韓併合の後の「内鮮一体」の政策により、朝鮮式社殿の江原神社が創建され、またスサノヲを祀った牛頭神宮が計画されたという。 江原神社の当時の角南宮司は、 形の上からは半島人に親しまれるように、建物、神門透塀には朝鮮色を多く盛り、斎館社務所等の概観をすっかり朝鮮建築としたと言う。 僅かに内部の装飾に和風を施したそうである。しかし全く残っていない。

■曽尸茂梨(ソシモリ)・クマナリを訪ねて
http://kamnavi.jp/it/sosimori2.htm

中国最古の地理書「山海経」には、兵乱を起こす神として「天神あり、牛の如くで八つの足、二つの首、馬の尾、その声は勃皇のよう。これが現れるとその邑に戦さが起こる。」と蚩尤のことが記されていますが、このように大陸では蚩尤が古くから「天神」と呼ばれていた。そして平安期に菅原道真の霊と同一視された「天神」。菅原道真公は藤原摂関家との政争に敗れ、九州で怨霊と化しましたが、同じく怨霊となった平将門もまた蚩尤に例えられている。これは黄帝と蚩尤の戦いのように、争いに負けた側は常に蚩尤に例えられただけかもしれませんが、天神さまの境内に角を立てた牛が在るのも牛神を祀っていて、かつて蚩尤を祀っていた人たちの半官贔屓的な信仰なのかもしれません。

2010121614115311633.jpg
(蚩尤)

長江近郊の「斉」の国出身の徐福が祀ったのが蚩尤ですが、徐福は山東半島から出港後、韓半島の伝説「蚩尤の一族は兵主神の地、山東半島から新羅の曽尸毛犁(そしもり)に渡る」とあるようにと一度は韓国に上陸している。つまり徐福移民団こそ蚩尤一族だったのです。そして最終的には、蓬莱山を臨み、方丈山とえい州山の挟まれた「平原広沢」の神仙の地である東三河に王国を建設したわけですが、国内では最先端の文明を持つ地で豊かな生活レベルにあったことから「豊葦原瑞穂国中つ国」「穂の国」「豊国」と呼ばれるようになったのでしょう。

中国では蚩尤は大魔神に分類され「上古十大魔神」の魔神蚩尤とされている。

上古十大魔神
1、魔神蚩尤
2、战神刑天
3、星神夸父
4、水神共工
5、风伯飞廉
6、雨师屏翳
7、冥神神荼
8、冥神郁垒
9、魔星后卿
10,遁神银灵子


蚩尤は大魔神のモデル!?(笑)。



かつてオイラがこの煩フル記事内で、豊橋公園の体育館跡地に巨大な大魔神像を建立したいと言っていたのも偶然ではなさそうですwww

■大魔神(2006.6.22)
http://aioi.blog6.fc2.com/blog-entry-21.html
(なんか稚拙な文章だすな、、、それよりも記事更新日が22の「ふふふふ」や「フツ」に関係している点が興味深いだす。学会の宿願「国立戒壇」建立よりも大魔神像建立の方がこの日本には必要なのだす~)

東三河は徐福末裔によって祀られた「蚩尤の地」である以外に、ハリポタで描かれるスポーツ「クィディッチ」のアジア地区で唯一のプロチーム「TOYOHASHI TENGU」のホーム地でもあり、豊葦原瑞穂中つ国である東三河に祀られた蚩尤は「指輪物語」で描かれるミドルアース(中つ国)のサウロンでもあるのだが、、、

アースが生んだマグマ大使でもあるだす(超爆)。

また、蚩尤(兵主神)はナウシカに描かれる「巨神兵」でもあり、怒ると怖い顔を出す「魔人バンダー」でもある。

魔人バンダー
(牛の角を持つ「魔人バンダー」)

さらに、「赤い旗」を意味する「蚩尤旗」は、後ろが鉤状に曲がった彗星の尾を伴う彗星は「蚩尤旗」とも呼ばれ、蚩尤は「赤い彗星シャア」でもあるのだす~っ(超爆)。

まぁ、冗談ともいえぬ冗談はさておき、『述異記』巻上には「四目、六手」という姿のほかに、山西の太原地方に現れた蚩尤は「亀足、蛇首」だったという別の説も載せている。これは古代の中国各地で祀られていた軍神が「蚩尤」の名前で一つの神格にまとめられて行った過程を示しているのでしょうか。この蚩尤は「風の神」とも称され常食は砂、石、鉄塊などであったと伝えられ、矛や戟や斧や盾などを作ったという兵器神でもあるのです。

上記の「砂、石、鉄塊を食べる」という記述からは、実際には蚩尤とは「大漢国式製鉄法」の製鉄炉のことではないかと睨んでいる。その外観が2つの長い角状の鉄材料の投入クレーンを持ち、鉄製の胴体部と幾本ものパイプ等があり、初めてみる人には外観が怪物のようであったのでしょう。蚩尤とは韓半島の産鉄民や金属精錬集団が斎祀る神でもあったのです。

しかし、そのモチーフはやはり、、、、

moreku.jpg
(バアルやモレクの牛神)

蚩尤は首と胴体が分けられ別々に埋葬されたというが、身体から滴り落ちた鮮血で赤く染まった枷は、その後「楓(フウ)」となり、毎年秋になると赤く染まるのは、蚩尤の血に染められた恨みが宿っているからだという。その墓から赤いモヤが立ち昇る様が目撃され、これを「蚩尤気」と呼び、凶兆の星が伴う赤い夜空も「蚩尤気」と呼ぶようになった。そして彗星の尾が鉤状に曲がった赤い大気を帯びた状態を「蚩尤旗」と呼び、このことから赤旗を「蚩尤旗」と言い、劉邦がこれを軍旗に採用したとされ、兵乱の前兆を示す星を「蚩尤旗」と呼び慣らすようになった。
※註 蘇我入鹿や平将門伝承も首が飛び回ったとされており、この蚩尤伝承と似ており、蚩尤信仰がベースになって脚色されていると睨む。

ある予言では、この「蚩尤旗」とともに「天の御遣い(使徒)」が降臨されるのだという。こ、、、これは「てんし様」のことではないのだろうか?

この天の凶兆を天皇に報告するのが天文密奏

異常な天文現象が観測された場合に、その観測記録と占星術による解釈(占言)を内密に君主に対して上奏するのですが、天文に関する項目は「天子」である天皇自身に帰属する責務であったため、国政の最高機関である太政官を経由しない上奏が許されていたのです。この上奏する資格は、平安時代中期以後は天文博士を世襲した安倍氏と局務の中原氏の両家のみに限定されていた。

祇園の六波羅蜜寺界隈を根城としていた平氏滅亡の予兆が「赤い彗星(蚩尤旗)」の出現だったと平家物語はいう。平家一門の栄華の象徴ともいうべき安徳天皇の命を建礼門院徳子が宿す前、元暦二年(1185)、都に蚩尤旗出現という天変が現われた。赤気か彗星か蚩尤旗かで陰陽道界は論争が展開されたが、結果、蚩尤旗出現ということで天文博士安倍広基が「旧を除き新を布く象」とする「政変の予兆」であると「天子浮海、失珍宝、西海血流、大臣被誅」と帝に上奏。

この分析は壇ノ浦での安徳天皇入水自殺、草薙剣の遺失、、と見事に的中している。

実は、この平家は蚩尤民族である苗(ミャオ)族と関連が深い。ミャオ族は女媧を祀り、蚩尤の子孫と自称しシンボルは「揚羽蝶」なのです。で「赤い旗」と「揚羽蝶」は平家の旗印でもあるのです。

平家旗
(源氏の白旗と平家の赤旗)

2012年の今、NHKで「平清盛」を放映しているのも何かの因縁を感じる。

しかも、50周年記念番組で予算倍増、豪華キャストの怪演技と凄い状況にも関わらず、視聴率は10%と大河ドラマ始まって以来の低視聴率なのです。これはまるでアセンション可能なパーセンテージと同じではないだろうか?(ニタリ)
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2013年10月
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2014年秋
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2015年4月
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