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不二山と福地山

前回に続き、今度は何故、富士山が記紀に言及されないか洞察したいと思う。

まぁ、いってしまえば当時は富士山は無かったということだろう。(爆)
こういっては実もフタもないので詳細に洞察する。

富士山は古くは浅間山、さらに古くは「福地山」と呼ばれていたという。まぁ、これも多分「フジ」と読むだろうと思うのですが、ただ記紀にはこの旧名の「福地山」の記述すらないのです。同様に徐福のことも記紀にはなんら記録がない。これは中国の徐福村で伝わる「徐福は日本に行った」という内容と矛盾するのです。

富士山、徐福、東三河、、この3点セットが実に臭いw
プンプン臭ってくるだす~

その徐福子孫が記したと云われるのが富士古文献(宮下文書)です。

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延暦十九年(800)の富十山大噴火前までは、人皇十代崇神大皇時代から、人皇五十代桓武天皇時代まで、福地山と表記した。しかし、大噴火は福地山に祭られる神々への信仰を疎かにした、として、福地山を富士山と改称の事、七社の大神の宮を再創立致す事とし、位階正二位とする事など、ときの朝廷は大同元年(八〇六)六月三日大政官牒状をもって、元宮七社太神官、宮司官下記太夫仁元に命じ、これより富士山という文字を用いた。
<参考『探求 幻の富士山古文献』渡辺長義氏著より>

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偽書の疑いがある富士古文献の内容なので、絶対に正しいとは言えないのですが、富士古文書が語る富士山噴火の描写は地質学の研究成果と実に適合している程に正確であり、一概には否定できない。「ある程度」という限定付きでは参考になる。実は、『常陸国風土記』にも富士山は「福慈岳」と記載されていることから、この内容はかなり確かだと睨んでいる。
※註 富士古文献は間違いなく後代の制作であるが、徐福の内容は徹底的な封印策が取られたが故に、徐福伝承はかなり捻じ曲がった形で後代の者に伝わり、富士古文献に記されたのだと睨んでいる。また、戦前、宮下文書は徹底的な弾圧を受けたことから、この書がかなり真実の歴史を含んでいるとも睨んでもいる。

「フジ」はアイヌ語の「フチ」(噴出する所)が語源ち云われ、活火山一般を指している言葉であって、富士、不二、不尽、不死、福地、福滋...等のさまざまな漢字を当てられることから、「フジ」は日本中に存在したと思っています。静岡の富士山はたまたま駿河国富士郡に由来する「富士」を付けられたのでしょう。

『日本紀略』(797年成立)によれば、富士山は「3月14日から4月18日まで噴火し、昼間は煙で暗く、夜はその光が天を照らす。雷は響き灰は雨の降るように降下して山河を紅くした。砂礫が霰のように降った。」とあり、また都良香(834~879)の著した『富士山記』では「富士山の東の麓に小山があるが元は平らであった。延暦21年3月雲霧晦冥、10日にして山になった。」とある。

これらは延暦大噴火(800~802年)時の描写です。

また、平安時代(794年-1185年)の文献、『日本三代実録』(901年)、『更級日記』(1020~1059年)にも富士山噴火の記述がありますが、こちらはもっと後の貞観大噴火(864年)の時の様子を記している。気になるのが、『続日本紀』の天応元年(781年)に富士山より降灰があったというくだりです。これはこの延暦、貞観のいづれの大噴火ではなく、多分、小規模の噴火であったと思われる。

ここで問題なのは、静岡の富士山が本当に徐福末裔が住んだ蓬莱山なのか?という点です。

ここに上古時代に富士山が出現したという話がある。

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<富士山出現の伝説>
富士山の出現には二つの伝説がある。孝霊天皇の御代に近江の湖水が陥没して、一夜に富士山が出来たといふ説と。昔し大邪猛者という巨人が近江の国から、富士山を背負子へのせて、かついで来たが、甲斐と駿河の国境で、背負子の綱が切れて、へたばってしまった。その時の両手の跡が河口湖と山中湖で、明見湖はお臍の下にあたる「しし」の跡だと云う。だから明見湖小さいけれど非常に深く、その底は竜宮城まで続いているので、ワキミズが豊富だというのであるが、地形上この湖水の背後の山岳地帯を越せば、忍野村山中湖付近の地底湖があると想像される。水量過多の地帯と接続しているから、その水が地下水となってここに湧出するものと考えられる。

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出来方については???なのですが、こういう話があること自体が富士山が後代に出来上がった山だという可能性が否定できないのだと思っている。

ここでいう「近江の湖水」とは「琵琶湖」のことですが、現在、琵琶湖海底では大きな変動が起きており、また富士山東北部からも一度微かな噴煙が上がっており、琵琶湖と富士山はかなり密接な関係があることが窺える。日月神示がいうように、いづれ近いうちに富士山は大噴火するのは間違いないことだと睨んでいますが、その時、不老不死の「てんしさま」が本当に誕生するかどうかは大きな賭けだすな。

「万葉集」(759年成立)では山部赤人が詠んだ「田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にそ 不二の高嶺に 雪は降りける」という歌が有名ですが、当時は宮廷歌人という職も無く、山部は何らかの職務を持っていた筈であり、また奈良から遠出したという記録もないことから、この不二山も富士山ではなく、田子の浦も静岡の田子の浦ではないと睨んでいるのです。まぁ、オイラは串本近郊の「田子の浦」こそが、この歌で詠んだ「田子の浦」だと睨んでいるのだが、、、まぁ、静岡の「田子の浦」も「家基津(焼津)」と同様、蓬莱山、徐福、東三河を隠蔽する為に仕組まれた地名移設だと睨んでいる。
※註 語り部が云うには、「山部赤人」とは仮名で鞍作毛人(蘇我入鹿のモデル)の弟・鞍作雄物であり、蓬莱山(不死山)が陥没したのは745年だと云うが、この年は伊勢湾の隆起や陥没もあったともいう。745年は美濃地震があった年で三日揺れが続いたことは知られていますが、コレのことなのでしょうか? これが本当ならば、736年没の山部赤人は蓬莱山を見てこの歌を詠むことが出来た筈です。真相はいかに?

要するに、元来、富士山は無く上古以降に出来た新しい山であり、「万葉集」に出てくる「不二山」とは「蓬莱山」と呼ばれる現在の富士山とは違う山であったというのが煩フルの結論ですが、それは鳳来寺山の奥に広がっていた設楽火山だと考え、今まで洞察を進めているわけです。さらに、記紀が東三河を隠蔽する原因が語り部がいうように東三河が徐福末裔の本拠地であり、その後、初期大王家の「壬生の地」であったという事実の隠蔽だと考えている。

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鳳来湖付近は流紋岩質凝灰岩(火山灰が固まった岩)から成る。また三河山地と呼ばれる様に、外見的には山地であるにもかかわらず、地質的には鳳来湖付近は設楽盆地と言われ、その周りの地質と異なり、そこに火山が有った事が証明されている。

1600万年前は第瀬戸内期と言われ、現在の瀬戸内海と海続きで、愛知県は海底に有った。この頃海底火山が活発化し、鳳来湖付近に直径10Kmの火山が出現する。大量の火山灰を噴出して凝灰岩が形成し始める。大規模な火砕流を伴った噴火が繰り返され、粘りの強い溶岩が吊り鐘状に盛り上がって設楽火山を形成する。堆積した灰が凝灰岩となり、その上に高温の火砕流が次々と流れ、固まりかけた水飴状の溶岩をレンズ状に潰して溶結凝灰岩を形成しながら成長して行った。

その後中央構造線の活動で、ほぼ同線上に有った設楽火山は1000m以上も沈み込む。これは付近の温泉掘削のボーリング時に出た岩石の調査で、地下1000mの岩が地上近くで急冷された流紋岩や松脂(しょうし)岩(ガラス状の岩)で有る事から証明されている。

更に噴火は続き、火山灰を堆積させて行くが(この堆積物の厚さは700mと言われている)内圧が下がって中央部(鳳来湖付近)が陥没し、阿蘇山のようなカルデラを形成、かくして設楽盆地ができた。

約2万年前のウルム氷河期には海面が現在より140m低く、三河湾全域が陸化していた。海岸線は現在の伊良湖岬より遥か35Kmも南方に有った。中央部が陥没した後、火山活動は収束を向え、その後侵食を繰り返しながら現在に至っている。

ところで設楽火山の標高はどれ程有ったのだろうか?。中央構造線の活動で1000m沈み込んでいるのだから、少なくとも現在より1000m高い事は確実だ。明神山は陥没した設楽火山のカルデラ部分の縁に有り、現在1016mだから単純に考えても2000m以上有った事になる。では陥没した中央部分はどうであろうか。

「現在の設楽盆地の大きさと、カルデラの縁と思われる明神山、鳳来寺山の高さ、現在までの侵食を考慮して3000m以上有ったと思われます。」とは鳳来寺自然科学博物館学術員の方の話しだ。残念ながら表題のように明神山自体が3000m有った訳ではなかった。

現在の明神山付近は凝灰岩と凝灰岩のひび割れの中に貫入して冷えた石英安山岩が侵食に依って作り出す奇岩奇石の多い所で知られている。乳岩(ちいわ)川沿いを乳岩峡と言い、洞窟や天然橋の通天門が有名である。乳岩は岩の壁に侵食により開いた大きな穴の中に、ひび割れから垂れる水に含まれる石灰分がが作り出した鍾乳石が乳房の形に似ている事からその名が有る。(この辺りは石灰岩ではないので、いわゆる鍾乳洞とは違う)


乳岩
(乳岩近辺は大陥没の跡が生々しい。ただ、地質学がいうように2万年も過ぎているようには見えないのだが、、、2万年もあれば風雨でもっと崩壊し岩肌は丸味を帯びている筈だが、、、、)
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確かに設楽火山は3000m級であり、間違いなく蓬莱山であるといえるのですが、炭素14法で設楽火山が存在したのは2万年前となり、語り部がいう内容と全く整合性がない。ここをクリアしなければ、一般人には語り部の語る内容は全てが妄想と映ってしまう。しかし、その危険すら顧みず語り部は明確に語っているのです。ここに語り部の漢(おとこ)気を感じるだす。

ただ、この世(第5太陽世界)は、6500年前、第4太陽世界のアトランティス人の意識から一瞬にして出来たと語るオコツトの信者であり、マヤ予言を心底信じるオイラにとって、この時間的矛盾は何の問題もないのだす~ (ふふふふ)
※註 この今見えている「物質世界」は自己の「内面世界」だというのがオコツトがいう内容です。
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Comments

いつも気になるのですが…

ヤッズさんの言う「語り部」って誰の事なのでしょうか?

Akiさ~ん♪

コメントありがとうございます!

>「語り部」って誰の事なのでしょうか?

語り部とは、大国主系出雲王朝後裔(邇波氏)につながる「邇波言壱」氏で、最近は「葛城意富」と名乗っています。多分、多治見近郊に住まわれている方ではないかと睨んでいます。先祖代々の秘密の口伝か文献がその方に伝えられており、その内容を元に独自研究を付加してネットに書き込みしている。その述べる内容は天皇家史観の古事記・日本書紀とは大きく食い違い、邇波氏側の史観で書かれていますが、邪馬台国、徐福について述べられて非常に興味深くかつ整合性のある内容で、この煩フルではよく取り上げ言及しています。

■邇波言壱著作 出雲王朝
http://www.pleiades15.net/history/folder27/niwa.html
■不純文學交遊録
http://blogs.dion.ne.jp/fujun/archives/7613286.html
■世間話の掲示板
http://8305.teacup.com/kasaburanka15/bbs

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満鉄総本部

いずれにしても特殊犯罪は我々市民の敵だ。

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