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古代史質問への回答(その2)

今回も回答が超長くなってしまったので記事化します(あはは)。

>籠神社宮司海部氏の「多次元同時存在の法則」つまり神武天皇=崇神天皇=応神天皇の考えには賛同できません。

(回答)
飛鳥氏のあの法則は語り部のいう内容の劣化版みたいなもので、私も完全賛同はしていません。一番の問題点は「数人の事跡を1人に集約、1人の事跡を数人に分散」とは見ておらず、単純に「1人の事跡を数人に分散」とだけしか見ていない点でしょうか。原田常治著「古代・上代日本正史」は読んでませんが、また機会があれば読んでみたいと思います。


「質問」
男性遺伝子のY染色体に関る万世一系思想から、神武天皇の父親ウガヤフキアエズ尊の父親が誰であるかは重要なテーマです。卑弥呼(大日霊女尊)には天御中主神(妙見様)、高皇産霊尊(天神様、天満宮)、神皇産霊尊の愛人がいますが、ウガヤフキアエズ尊のウガヤは上伽耶つまり朝鮮半島南部の伽耶出身を意味するとすれば、伽耶出身の首露王=扶余依羅=倭旨=高皇産尊=高皇産霊尊(高木神)と卑弥呼(大日霊女尊)の子がウガヤフキアエズ尊となり、その子の神武天皇を初代とする古代天皇家は「失われた十支族」末裔の首露王=扶余依羅を通じて扶余国→弓月国→北イスラエル王国→古代イスラエル王国→ヤコブ(イスラエル)→イサク→アブラハム→シュメールに繋がる、正に万世一系が証明されるのではないかと思います。そしてこの為に、神武天皇の和風正式名「カム・ヤマト・イワレ・ビコ・スメラ・ミコト」が「サマリアの王、ヤハウエ神のヘブライ民族の高尚な創設者」← エフライム族の証明になると思います。そこで「首露王=扶余依羅=倭旨=高皇産尊」とのことですが、この文献、書物、ブログなどを紹介して下さい。


(回答)
卑弥呼(大日霊女尊)と高皇産霊尊(倭旨)の子がウガヤフキアエズなら、それは大倭王朝のことを示しているのではないでしょうか。この王朝は河内を都とし多くの古墳を河内に残していますが、卑弥呼の倭を縄文人の招きで討伐した首露王(倭旨)は、討伐した倭をそのまま継承し、故地で長男に継承させた加羅国を加えて大倭を形成、ここに半島~西日本に跨る一大族長国家が誕生。出雲~北陸の日本海側及び東北地方は縄文人の出雲王朝。東海~房総半島(海側)までが徐福末裔の弥生人勢力範囲。この3つの日本列島のメインプレーヤーが三王朝の族長政治を執り行っていたのがヤマト王権。これが古代日本の姿。三輪とはこの三王朝が一致団結して政=祭祀をすること。

私が語り部と呼ぶのは、下記一連の書き込みをしている邇波言壱氏のことです。先祖からの伝承に独自研究を付加していると思われます。ただ検証のしようのない系譜なので、何とも評価出来ないですが、、、

■邇波言壱著作 出雲王朝
http://www.pleiades15.net/history/folder27/niwa.html
■世間話の掲示板
http://8305.teacup.com/kasaburanka15/bbs/599
■不純文學交遊録 
http://blogs.dion.ne.jp/fujun/archives/7613286.html


私がこの語り部史観の内容を重要視する理由は、以下の日本歴史の謎が簡単に解けてしまったからです。

1)大化改新で「薄墓令(薄葬礼)」発布(646年)だが天智天皇(672年没)は古墳埋葬の謎
→(これは大化の改新の詔(公地公民制・国郡制度・班田収授法・租庸調・薄墓令)はもっと後年に発布されたと考えるのが妥当。実際、持統天皇(703年没)が簡素化された葬儀を行なった初めての天皇です。大化の改新は「壬申の乱」(672年)の後だった。大化改新の条文が後の701年に出された大宝律令の条文に酷似していることやに第2条にある「郡」の表現はこの時代には使われていなかったことからもこの説の信憑性は高い。つまり、大化の改新は壬申に乱に勝利した律令国家に改革する天武天皇の業績だったということです。百済王家の業績横取りだったわけです。)
※註 唐の記録では「670年陰暦三月、倭国王・・・・」の記載があり、また新羅の記録では「670年陰暦十二月、倭国が国号を倭から日本に改めた」の記載がある。この日本を律令国家として国号改変したのは、668年に大津京で発せられた天智天皇の「近江令」に求められますが、これは白村江の戦い(663年)の敗戦によって、唐・新羅連合主導による国体改変だと思う。そして、トドメに唐・新羅の後押しを受けた「壬申の乱」勝者の天武天皇による大化の改新でさらなる律令国家化を押し進めたと睨んでいる。

2)天皇菩提寺の京都・泉涌寺には天武天皇系が祀られていない謎
→(天武天皇は加羅扶余系の渡来王家【上宮】であり、天智天皇は百済系の王家【下宮】であり、仏教護持は百済系だった故で、扶余系は景教を奉じていた。その名残が法隆寺の若草伽藍です。一度、打ち壊されて今の法隆寺を創建)

3)持統天皇の長期に渡る三河行幸(703年)の謎
→(東三河には草壁皇子や仮宮の伝承があり、彼女が何をしに東三河に来たのかが謎だった。それは若き天武天皇が住んだ東三河で天武の御落胤狩りをしていたと語り部はいう。それは亡くなって帝位に付けることが出来なかった自腹の子・草壁皇子(689年没)を弔う意味を持っていたのだろうか? あるいは単に女の怨念なのか? その御落胤の生き残りが藤原不比等に貰い受けられたのが藤原宮子。宮子伝説はこれが元。)

4)「壬申の乱」の謎
→(つまり、この戦いは初期大王家(加羅扶余系)と後期大王家(百済系)の覇権争いだったということ。天武天皇が天智天皇が年上の同母弟(笑)である理由も、天智天皇の娘4人が何故、叔父である天武天皇の后にならなければならなかったのか、全ての謎が解ける。これを解くキーワードは「王君」と「王女(巫女)」の関係。当時は巫女制であり、この巫女の夫となった者が「王君」と呼ばれる三王朝(三輪)の代表となる社会システムだった。これが壬申の乱後、律令国家となる過程で覇権を掌握しようとする者がいる場合に弊害の多い巫女制は廃止された。)

5)徐福が目指した東海三神山
→(中国大陸で徐福村が発見されましたが、各地の伝承を見る限り実際に徐福一行は日本列島に来た筈なのですが、記紀には一切書かれていません。それは邪馬台国にして同じです。全てが万世一系として名を変え、その神話体系の中に皇祖として折り込められてしまっているのです。語り部は徐福が目指した東海三神山(蓬莱山、方丈山、えい州山)とは、昔から三神山として崇められている鳳来寺山、本宮山、石巻山だったといい、ズバリ地元というのもああって非常にシンパシーを感じるのです。笑)

6)古墳から出土する馬具
→(それ以前の日本には馬が存在していないことから、騎馬民族スキタイが日本を征服したとした「騎馬民族征服説」が発表されセンセーショナルを呼びましたが、その後の研究では、日本に騎馬民族と戦った形跡が発見されないことから、この説も沈静化していきました。しかし、語り部のいうような騎馬民族招聘説ならば、この矛盾も解決します。欧米では王族は他国から招聘するのが常態であり(英国ウィンザー家は元はドイツ系)、日本もまた同じであったわけです。知らず知らずに身に付いている「万世一系」のスキームがこの理解を阻んでいると思う。)


「質問」
○「百済王家は契丹烏垣からきたエフライム族」とのことですが、百済開祖の温祚は扶余出身の高句麗始祖王朱蒙の次男とも言われています。どちらが正しいのですか?
○後醍醐天皇像は冠上部に日章の飾りがついた冕冠が描かれている。冕冠は孝明天皇の即位の儀まで使用されてきたが、明治天皇以降は立纓の冠が冕冠に代わって使用されている。
この冕冠はN・マクレオドが幕末に収集した天皇の王冠とは違うようだが、この天皇の王冠は獅子とユニコーンが盾を左右から支えている図柄の「イスラエルとユダの統一紋章」で、天皇家の先祖が北イスラエル王国エフライム王家末裔の物的証拠ですが、今も皇室に保管されているのですか?


(回答)
さぁ、どうでしょうか?「契丹古伝」や「檀君神話」は日本の創作だと語り部は断じていますね。どうも出自をウヤムヤにするのが狙いだったようです。まぁ、それぐらい中国は騎馬民族スキタイを警戒していたということでしょうか。実際、何度も支配されていますから当然かも、、、、今のところマクレオド氏の提示する図しか見た事がありません。あの稚拙な絵及び西洋的なデザインは氏の捏造という線も考えられます。


「質問」
評論家・落合莞爾の「疑史 堀川辰吉郎と閑院宮皇統」によれば、孝明帝は下記の「堀川戦略」を立てられたそうですが、これは本当ですか?

・六条堀川の日蓮宗本圀寺の境内に秘かに堀川御所を設ける。
・孝明帝は時期を見計らって崩御を装い、そこに隠れる。
・皇太子・睦仁親王は遁世して堀川御所に隠れ、新天皇には南朝系人物が入れ替る。
・孝明帝の女官らの多くは新天皇に仕えず、堀川御所に入る。
・公家と少数の女官らが皇居で新天皇に仕える。
・この事態に対応するため、新天皇の宮廷を改革して女官を遠ざけ、閑院宮皇統の徳大寺実則が側近として近侍し、事情を知るごく少数の武官が侍従として警護する。


(回答)
ありえそうな話です。というのも鹿島説では岩倉具視が手引きして長州下忍の伊藤博文が厠で惨殺したとありますが、岩倉も一応公家であり、中の下の公家(羽林)ではあるが、摂関家をトップとした公家ヒエラルキーの中で果たしてそこまで大胆なことをするか? 鹿島説の怪しい部分です。鹿島説はメーソンに属する西園寺が盛んに流した話ではないだろうか。実際、伊藤博文を暗殺した安重根はそれ(天皇惨殺)を暗殺の理由として口にしていますが、本当に暗殺したのは欧米勢力です。安重根はJFKのオズワルドと同じ役割を与えられていたと思われる。つまり、陽動及び隠蔽です。それ以外にも堀川御所説が妥当と考えられる話として、世間ではキワモノ扱いされている堀川辰吉郎の子・中丸女史は明らかに残置国家・北朝鮮や公安とも親密であり、間違いなく背後にヤタガラスが憑いていると思われます。若き頃、世界要人とのインタビューが可能だったのも裏天皇を奉じる皇統奉公衆が裏で手配したのだろう(笑)。


「質問」
○「三種の神器」があるとすれば崇神天皇以降に設けられたことになり、スサノオ尊がヤマタノオロチを退治したときの布留御魂剣の天羽羽斬剣(あめのははぎりのつるぎ) = 天叢雲剣(アメノムラクモノツルギ) =草薙の剣は、石上神宮の拝殿後方、中央の土中深い磐坐に千数百年余の永い眠りにあったわけで、これが熱田神宮の御神体として安置されていると言うのは間違いであり、そして小野寺直説の「天叢雲剣」も偽物と思われる。
その意味で飛鳥昭雄説は関心ありますが本当ですか?


(回答)
ヤマタノオロチは新三輪(大倭・尾張・出雲)の暗喩。この体制が崩れた時に出てきたのが「草薙剣」。実際は「海凪の杖=モーセの杖」と語り部はいう。私は更にこの「草薙剣」は始皇帝(レビ族)から信任厚かった徐福が日本に持ち込んだのだと考えています。これは東三河に神剣があったという古老の話や熱田神宮を蓬莱島と呼ぶのも「草薙剣」の元々あった場所が蓬莱山=東三河だからだと睨んでいるからです。この東三河徐福国を討伐したのが、初期大王族で倭旨・倭仁が継承して大倭とした。その兄の倭得玉が祖となったのが尾張(王治)王朝で尾張氏の祖でもある。邪馬台国から水晶を得て祀る神祇氏族となった。語り部は言っていませんが、徐福国からは剣(草薙剣)を得ていると睨んでいます。また「草薙剣」に関してはメーソン32階級の広瀬氏は熱田神宮に連なる家柄ですが、親戚の大宮司から聞いた話を大学のゼミで話した内容がネットにあります。昭和期にルーズベルトを呪詛する際、草薙剣を開陳して祭祀したといいます。剣は蒼白く光り、それに触れた禰宜は灰になってしまったという。また剣は魚の骨のようでありメノラーに似ていたという。その甲斐あってかルーズベルトは自画像作成中の休憩時に突如亡くなった。ちなみに、この煩フルでは、フル=初期大王家、フツ=徐福と考えています。


「質問」
○帝國電網省「歴史再考」によれば、「明治天皇が勅命をもって編纂させた『皇室系図』や、山岸辰蔵氏の『大日本百科全書』に記載されている系図は、○─貞成親王─後花園天皇――。栄仁親王・治仁王等、伏見宮家直系は貞成親王と黒幕・足利義満によって悉く「毒殺」されてしまいました。そして、一族全てが「断絶」した伏見宮家を足利義満の子の貞成親王は「相続」したのです。つまり、北朝は後円融天皇の系統も、伏見宮家も、全て、足利義満によって滅ぼされたのです。そして、それ以後の「北朝」系は、足利義満の血を引く者が継承したのです。」とのことですが、これは本当ですか? もっとも、足利義満の源氏は清和天皇の末裔なので天皇家の遠い血筋による万世一系に違いはありませんが。。。。


(回答)
この辺はまだよくわかりません。
ただ摂関家は足利氏の血を残さぬようにしていたとは思われます。
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鹿さ~ん♪

詳細なコメントありがとうございます。

一点だけ勘違いされて取られた部分かありますので、補足しておきます。

メーソン32階位は広瀬隆氏ではなく、広瀬祐也氏の方です。熱田大宮司の曾孫・若くして日本のフリーメーソン最高位であるという謎の人物ですが、京都大学・哲学科を主席卒業、合気道部の主将でいまはどこかの大学の講師だか、教授だかやっているようです。

*****************************************
昨日、京都・下鴨神社において「蛍石の茶会」というのが開かれたそうです。主宰は財団法人・糺会という組織。これについてはまだ調べがついていません。茶席の主人は千玄室・前裏千家家元。客人は下鴨神社宮司を上席にして、宮沢喜一・元首相、白井丈二・神社本庁元総長・鶴岡八幡宮宮司、広瀬祐也、西高辻・太宰府天満宮宮司、ゴアンという名の外人(正体は調査中)、前原誠司…以上だったようです。茶席の後、一同は下鴨神社社殿内陣に入り、西高辻氏と広瀬氏が何らかの奉文を詠み続け、ゴアンという外人が外国語で何か別文を唱える儀式?が約一時間半続いたそうですが、このあたり詳しい内容は不明です。この後、糺会の会員と思われる男女約50名に千玄室氏から改めて茶が振る舞われ、その中には谷垣禎一財務相や京都市長もふくまれていたそうです。
その後、さきの八人は車で北山方面に向かったようですが、詳しい目的地等はわかりません。
*****************************************

その広瀬氏が学生時代にゼミで語った内容が、下記記事の真ん中に書いてあります。

http://aioi.blog6.fc2.com/blog-entry-1259.html

古代史に関しては、資料も少なく想像(妄想)をフル動員できるところが気に入っています。まぁ、絶対にコレが正解だというものは見つからないだろうとは思いますが、、、語り部の語る内容は地元ズバリな話なのとあまりにも世間で語られる内容と掛け離れている点で、本当かどうかいっちょ調べてみようかというモチベーションになっていますし、日本の歴史を切るいい視点だと思い、採用させてもらっています。

近年ですら、明治天皇、昭和天皇入れ替えもあり、それすらはっきり分からぬままなのです。日本の歴史にはあまりにも謎が多過ぎです。ただ、この謎解きが歴史ロマンであり、競馬の勝ち馬予想と似ていて醍醐味がありますねw

ヤッズ★(八頭)さん

ヤッズ★(八頭)さん

この度は、カテゴリー;封印された日本含め最近の古代史関係記事を拝見し、ユニークで奥深い歴史観を持っている方と判断し、この度の古代史関連質問をさせていただいた次第です。
迅速でご丁寧なご回答に感謝しています。 

ところで、広瀬隆氏ではなく広瀬祐也氏でしたか。。。
フリーメーソン日本最高幹部極秘リストによれば、広瀬祐也氏は「メーソンのプリンス」、「極東のメーソンの“救世主”」とよばれていて、要注意なのだそうですね。
日本にも凄い人がいるようですね。

URL=http://www.asyura.com/2002/bd19/msg/123.html

Yuya Hirose 氏は西田幾多郎で有名な京大哲学科を首席で卒業したといういわく付きの人物で、未だ20代なのに、まさに「最高階級である第33階級として将来の最高幹部となるために養成されるべく第32階級のメーソンの中から特別に選ばれて特殊な訓練を受けている特別な人材」であり、「メーソンのプリンス」、「極東のメーソンの“救世主”」とよばれていて、要注意なのだそうです。

http://www.asyura2.com/0510/lunchbreak6/msg/413.html

宮沢元首相は故人なので調査したら、この「蛍石の茶会」は2004・06・12開催ですね。
メンバーはフリーメイソンと神道と民主党とユダヤと京都関係者で、その後、さきの八人は車で吉田神社へ移動、大元宮に籠り、一夜を明かしたという情報が流れています。
彼らは三種神器をユダヤに受け渡す密約を交わしているとか。本当ならとんでもない売国行為ですね。
民主党は神道とフリーメーソン絡みで結構怪しい噂が広まっているらしい。
前原誠司は京大法学部卒業なので、広瀬との大学つながりと選挙区の関係でメンバーになっているようですね。

今後とも斬新な切り口の古代史を期待しています。


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