古代史質問への回答

コメントの回答が超長くなってしまった為、記事化しました。

まぁ、あくまで語り部の語る内容がベースになっていますが、口伝伝承者ではないオイラの限界を超える部分ももあります。考えをまとめる意味で答えられるところは答えてみました。

「質問」
○286年、再び慕容廆が遼東を侵略するが、王子の依羅が西晋の援助で扶余国を再建した。この依羅には日本の王朝に関わる奇妙な伝承がある。高句麗系朝鮮史とされる「桓檀古記~大国本震国本紀」によれば、「慕容瘣に敗れた扶余王の依羅が、数千の民を率いて海を越え、倭人を平定して王となった」というもので、名前のイリから、嵩神天皇(みまきいりひこ)ではないかとされる。
とすると、依羅(首露王・倭旨)は嵩神天皇となります。
ところが、記紀に始皇帝末裔で「弓月君」と書かれる融通王は、応神天皇時代の人物です。
また、九州王朝説によれば、「倭旨」は高良大社の祭神・高良玉垂命の初代玉垂命〔旨〕(七支刀を贈られた「倭王旨」)としています。

○依羅(首露王・倭旨)は嵩神天皇ですか? それとも応神天皇ですか?


(回答)
そのいづれでもないが正解。語り部の話では、「首露王=扶余依羅=倭旨=高皇産尊」です。石上神宮の七支刀には倭旨の刻印あり。また、応神天皇モデルは倭武(百済昆支)ですが、「建御雷、神武の一部、崇神の殆んど」もこの倭武のことだといいます。神代の天皇系譜は1人の人物を数人に分けたり、また逆に、数人の人物の事跡を1人の人物として天皇の数を大幅に水増しているといいます。実際は5代しかないとのこと。この辺の水増し説は丹波の籠神社宮司も言っていますね。宮司から聞いた話を「多次元同時存在の法則」と名付けて紹介しているのが飛鳥昭雄氏。また「桓檀古記」は記紀内容に沿うように捏造・改竄されたそうですが、この辺にまでなると本当かどうか判断が出来ません。


「質問」
○ユダ族の末裔の秦氏が西暦199-283年に天山山脈の北に位置し、カザフスタンにあるバイカル湖付近のイリ川上流のヤ・ウマトー地方に弓月王国を建国。『弓月国(クンユエ)』の「弓月」とはユンズで、アラム語のヨシュア、イエスの意味で、原始キリスト教を信じるユダヤ人が中心となって作った国を現している。日本書紀によると応神天皇14年に弓月君が朝鮮半島の百済から百二十県の人を率いて帰化し秦氏の基となったというが、「扶余国」は秦氏が建国した文献等の証拠はありますか?

○扶余国の初代「解夫婁」の読みはヘブルで、ヘブライつまり失われたイスラエル十支族のエフライム族、ガド族出身とすれば、秦氏はユダ族の末裔と言われており、この矛盾点のご見解をお願いします。


(回答)
秦氏が建国した文献等は知りません。また秦氏はユダ族の末裔なのかどうかも知りません。秦氏は京都太秦の国津神(先住民)の縄文人(賀茂氏も同族の縄文人)で、本来の渡来人末裔は羽田、幡多、波多と名乗る姓の方。実はこちらが徐福末裔なのです。つまり、秦氏は「成り済まし」「架空の渡来民族」なのですが、これは徐福国を討伐し手に入れた大陸由来の技術(機織、酒造、製鉄、稲作...等)と引き替えに稲荷神社、八幡社を日本各地で受け入れもらった。これら神社は秦氏が創建したもので、日本列島に古神道に景教エッセンスを折り込んだ「神社神道」を推し広め、人民恭順化を図る首露王家の政策でもあった。日本列島が漢民族(弥生人)化するのを由(よし)としなかった縄文人が、邪馬台国と徐福国を討伐する為にスキタイ化した「失われた十支族」の末裔である首露王を日本に半島(加羅国)から招聘した。で、その首露王一行(八王子)らが携えて来たのが景教(当時は景教はなく、その前身のパラ教)。招聘した故に全面的にバックアップする必要があり、互いの持つ宗教(古神道・景教)から新しい宗教(神社神道)を作り出したというわけです。神社神殿、拝殿が古代ユダヤ形式になっているのはその名残でしょうか。それら技術と宗教を受け入れた者の中から「秦氏」を名乗る者も出てきたというわけです。それ故、家元も秦氏と改名するよう勅が下ったといい、首露王家の歴史と徐福渡来の歴史を絡めながら歪曲させて「秦から百二十県の人を率いて帰化」と記紀に記されたという次第。


「質問」
○この百済・武王(舒明天皇)はエフライム族の北イスラエル王家出身ですか?
○この百済・武王(舒明天皇)が中央アジア王族出身の場合、扶余国出身の高句麗始祖朱蒙の子の温祚を始祖とする百済国は簒奪されたのではないですか?


(回答)
百済王家は契丹烏垣からきたエフライム族というのが語り部の内容。ただこれもその証拠は提示されていないが、京都御所の玉座に狛犬がありますが、これは一体はユニコーン(一角獣)でありもい一体は獅子です。エフライム族が属するヨセフ族の紋章が一角獣であり、獅子はユダ族紋章。これぐらいが証左といえるぐらいでしょうか(チト弱いか)。『三国史記・百済本紀』によると、沸流(ピリュ)と温祚(オンジョ)は「沸流百済」「温祚百済」の開祖ということですが、沸流百済、温祚百済、仇台(クデ)百済の3つの歴史を1つの歴史にまとめてしまっていて「百済本紀」は後世改竄されており、あまり参考にはならない。


「質問」
○北朝・堀川辰吉郎の血を引き前田家とロスチャのハーフの京都在住の前田ゴロウ翁(オクラディッシュ・ハーマン)が天皇即位するのですか? そして、この前田ゴロウ翁(オクラディッシュ・ハーマン)は今何をしているのですか?


(回答)
即位するという意見の方もいますが、どうなんでしょうか?
何しているかは謎です(爆)。
実際、生存されているかすら知らない。
(たまゆらプレミアムに中矢氏が書いた詳しい内容が掲載されています)


「質問」
○正統な天皇の位にあるのは自分である、と主張する南朝の小野寺直説は妥当ですか?
○小野寺直説の「三種の神器」といわれている「八尺瓊勾玉」「天叢雲剣」「八咫御鏡」は本物ですか?
○皇室の血筋が本当に入ったのは、大正天皇の子としての昭和天皇からだという話は有るとしているが、昭和天皇の父親は誰ですか?


(回答)
実は、小野寺直氏については最近知ったばかりで、今のところまだ洞察していない状況でよく分からない。ただ「三種の神器」は邪馬台国、徐福国からの収奪品であると睨んでいるので、シューメールや周の話は胡散臭いと思います。この部分からも小野寺直は「偽」じゃないかと思うのですが、、、大正天皇は子種がなく、貞明皇后に他の宮の子種を宿させたという話はありますね。話の出元は「大正天皇は子種がなく、代わりに貞明皇后に何人かの男を当てて産ませていった。だから、昭和天皇の兄弟は皆、顔が違う」と東久邇稔彦が語ってとされた内容からですが、これはどうも胡散臭い内容だと思っています。別に天皇家に男子継承の実績はなくとも摂関家さえ支配者層トップにいられれば、どこの誰が天皇になってもいいというのが摂関家の考えなのでしょう。まぁ、その具現化の1つが大室東京明治天皇でしょうか。半島から首露王を招聘して縄文人の蘇我氏が大臣職を世襲したように、その蘇我氏が藤原氏に取って変わっただけのことで、これがこの国の真の国体(傀儡の王とその背後の実質権力者の組み合わせ)だと思っています。


以上、現時点での洞察結果を反映していますが、未だ謎や勘違いもいっぱいあると思います。記紀は歴史改竄・捏造されており、本当の歴史は出土物程度でしか検証することが出来ないのが残念です。
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No title

桓武天皇の「桓」は烏桓の「桓」
烏桓は烏丸
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%83%8F%E6%A1%93
で京都には烏丸通りがありますね~
桓武平氏に烏丸氏がいますが烏桓と関係ありそうです。

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