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倭の五王と高句麗

リチャコシどんの伊勢講演会のYoutube動画を視聴させてもらいました(多謝)。

感想はというと、、、、う~む微妙だす。

というのは、壬申の乱の勝者・天武天皇が今にまで続く日本の骨格を作ったという点の認識は共通なのですが、如何せん天武天皇は渡来系朝鮮人で、、、、

淵蓋蘇文(ヨン・ゲソムン)だというのです(滝汗)。

これは天武天皇を文武王(新羅)、文武天皇を金霜林(新羅)とする説に匹敵する内容だす~。ただ、いづれもが語り部の語る内容とは真っ向から対立するのだが、、、実は、この淵蓋蘇文という名は初めて目にします(滝汗)。しかし、この説は歴史マニア間にはかなり根強くある説で、ヤタガラスを始め「皇統奉公衆」が背後にいると思われるあの中丸薫女史も『古代天皇家と日本の正史』の著書の中で「天武天皇=淵蓋蘇文」だと述べている。

淵蓋蘇文は先王・栄留王を弑逆し宝蔵王を擁立し王位に就けて、高句麗末期の宰相&将軍となった人物。日本書紀の皇極元年条には、「高麗の使人が曰く、大臣伊梨柯須彌が高句麗大王を殺し、合わせて百八十人余りを殺した」と書かれている程に日本にも話が伝わっている点は不思議です。唐に対する強硬策の結果、3度にも渡る「麗唐戦争」を引き起こしましたのですが、そのいづれにも勝っている常勝の将軍であることから朝鮮人の英雄でもある。666年に遺言を残して死んだとされるが、実は死んではおらず日本に渡来して壬申の乱を起こして天武天皇になったという説なのです。

で、「天武天皇=淵蓋蘇文」とする根拠は、、、

1)高句麗の官職名「大莫離支(だいまりし)」は「大海貴人」の意味で「大海人皇子」と一致
2)高句麗の宰相が渡来して「伊梨柯須彌」と「書記」に登場
3)本国の史書にもない大臣の遺言まで「書紀」が記載
4)壬申の乱(672年)後に行なった政治制度改革(中央集権・律令制)は高句麗の制度を持ち込んだだけ?
5)道教に傾倒し唐に道士派遣を要請(天武も道教傾倒)

祭祀制度を定めて伊勢神宮を皇祖神を祭る国家奉祭の神宮として確立したのは天武天皇だとされていますが、伊勢神宮神主が730年に著した『往代希有記』には「仁武天皇御代豊受神宮新立御気殿本記」という副題が付けられており、そこには「仁武天皇」と記されている。しかし「仁武」という天皇はいない。「仁」の字を崩すと「人」「ニ」となりますが再び重ねると「天」になる。天皇家の男子が通字を「仁」とするのはこれ故か。この崩し字で記されたのは直接的に名を書くのを躊躇った「避諱(ひき)」の一種ではないだろうか。あるいは本当は天武は生存中は「仁武」と呼ばれ、死後に「天武」と諡号されたのかもしれないが、、、、

さらに、「三国史記」には高句麗王の次男「莫離支任武」が入唐(宝蔵王6年)し、唐に謝罪したとありますが、当時その「莫離支」という職にいた者は淵蓋蘇文しかいないのです。ここに「任武」と出てくるがこれは「仁武」であり、即ち「天武」ではないかというわけです。

う~む、これはかなり有力な証拠。
少なくとも金霜林説より一枚も二枚も手強いだす。

語り部、危機一髪だす~っ(涙)

ただ、天武と天智は「同母兄弟」あると記紀には書かれていますが、「淵蓋蘇文=高句麗人」であるなら相入れない内容になってしまう。生まながらに奴隷であった淵蓋蘇文ですが、その貧しき父が遥々日本に来て種付けしたとは到底考えられない。まぁ、実際にも天武と天智は同母兄弟であり、しかも「王君」の地位を得る為に両者ともに額田女王と同衾したのです。初期大王家(扶余系)と後期大王家(百済系)のヘブライの兄弟支族同士という意味もあるのですが、天武の母は倭聖の毒殺後、倭舒に貰われていき同衾して倭舒は王君となった。そして天智を生んだのです。こういったことがあの皇統に描かれているわけです。ポッと出の渡来人がいきなり国を占拠することなど到底不可能であり、戦いの際の韓式武器・武具の大量出土すらないのです。日本に残るキリスト教の痕跡も高句麗では到底説明不可能です。これは金霜林説にも言える。
※註 リチャコシどんが云う日本に伝わる「御頭祭(イサクの燔祭)」「神輿」「祇園祭り」「カタカナ」...等のユダヤの痕跡、つまり旧約聖書の痕跡は、百済系エフライム族が聖書記述から和風にアレンジして復活させたものだと睨む。

多分、淵蓋蘇文説もガセでしょう(がはは)

壬申の乱の頃の半島情勢は、、、

百済・高句麗の「麗済同盟」 vs. 唐・新羅の「羅唐同盟」

ですから、同盟同士の百済系の大友皇子と高句麗の淵蓋蘇文が「壬申の乱」で戦うことは有り得ない。あるとしたら、百済vs.新羅の代理戦争です。これを代理戦争とみるか、雛形理論から日本で百済系vs.新羅系の戦いがあったから半島で百済vs.新羅の戦いになったと見るかは各人に任せますが、この煩フルは、当然、後者である。(ふふふふ)

ちなみに、新羅の前身は「辰韓(秦韓)」ですが、秦から苦役を理由に半島へ逃げてきた秦人に対し「馬韓」(後の百済)の馬王が東側の土地を分け与え、出来た国が「辰韓」。さらにこの「辰韓」で雇われ王をしていたのが「辰王」。元は原始キリスト教を信仰した弓月国(キルギス)から中国に入って「扶余国」(満州)を建国。その後、半島まで南下してきた騎馬民族の末裔なのです。この辰王子孫の首露王が新羅の土地を割譲して建国した狭い国が「金官加羅」で後の「弁韓」。この首露王こそが初期大王家の開祖なのです。以上から、記紀に始皇帝末裔で「弓月君」と書かれる融通王とは、この初期大王家の金首露(扶余依・倭旨)のことだったと睨む。
※註 秦氏が始皇帝末裔の融通王を祖とするとしたのは、この初期大王家が持ち込んだ景教を稲荷社(INRI)や八幡社(ヤハウェ)を創設して日本全国に普及させ、その信仰者が秦氏を名乗ったという故事を言っていて、実際に血のつながりがあるわけではない。。

一方、扶余国はというと高句麗の広開土王の扶余国侵攻を受け、救援に駆けつけた倭仁の軍は一時は新羅を勢力下にまで置いたのだが、結局、大敗して扶余国は虚しく滅亡。

扶余国の皇統を記すと、、、

解夫婁-金蛙-帯素-曷思-都頭-尉仇台-簡位居-麻余-依慮-依羅(首露王・倭旨)

この初代「解夫婁」の読みはヘブルなのだす。(ふふふふ)
尚、語り部は加羅国をこう記す。

*************************************************
(加羅国)
中国大陸に扶余国を建国した騎馬民族は勢力分裂させる。朝鮮半島に南下した騎馬民族は土着民の上に雇われ王をしていたが、政治形態の変容でお役御免になる。で、与えられた土地が加羅諸国(4世紀から6世紀に存在した)であったが、アイヌ系の招きにより大倭に渡来した。「族長制」を好んだ酋長が扶余人辰王朝直系の金首露で、加羅を息子に任せて大倭に来た。先に招いた弥生人支配者「邪馬台国」を滅ぼして、雇われ王をした。騎馬民族征服論は笑止。

*************************************************

この金官加羅及び日本列島(西日本)を統べたのが倭国であり、三十余国の全ての代表が王と称し、それを束ねる大倭王は邪馬臺国(邪馬台国=ヤムトェ国)に居ると『後漢書』には記される。これが古代日本の姿であり、朝鮮半島南部は「倭国連合」に属する地域だったのです。何故、第二次世界大戦で日本が朝鮮・満州に拘って満州国を建国したり、国家予算の大部分を使って大陸運営したのか、この辺にも秘密がありそうですね。

そういえば、近頃、KARAが二本立てで新曲をリリースしましたが、こんなキャンペーンの仕方は初めてです。二本立てはユダ金の十八番で「日本」の語源でもあるのですが、、、、蔵王権現やるじゃん。曲名はビター&スイートと名打った「スピートアップ」と「ガールズパワー」です。


(オイラはスンヨンだが、Jr.はハラが押しメンだす~)

現在、関東圏の放射物質汚染が過酷だという情報が溢れていますが、それプラス直下型地震の可能性。さらには電気料金も値上げだという。これでまともな経済運営が出来る筈もなく、今後、日本崩壊及び脱東京の流れは「スピードアップ」すると読む。

先日には、三菱銀行、三菱商事、三井住友銀行、住友商事...等が本社を大阪に移転するという話がネットに広がりましたが、一応、デマということで噂は収束されそうです。しかし、実はそうではないと考えています。というのも同時期にロスチャ系のHSBCの撤退もあり、ロスチャ・ロック系の日本の財閥系も何か情報を得ている筈で、絶対、水面下で何かしら画策していると睨んでいる。本当の発表があった時には怒涛の人口流出が始まるのかもしれない。オカマの霊能力者が予言するように「閑散化した東京」が今夏までには現実化しそうな雰囲気です。これがビター。

いよいよ135度線の浪速KARA始まるか!!!

その際には男性原理の元では決して一体化することが出来なかった韓国・満州・日本は、女性原理主導の元では東アジア共同体となり、嬉し嬉しの「ミロクの世」となっていくと見ている。そして、「韓流」を超えて「沸流」(フル)という騎馬民族=フン族(膠着語族)の流れが興ると予想。これは少女時代、KARA、AKB48...等の女性カリスマを中心に「可愛い」「萌え」をキーワードにした新文明の勃興です。ここに「ガールズパワー」が暗喩されているとみる。これがスイート。



KARAの五人は新たな「倭の五王」となるべく渡来して来たのかもしれない(爆)。
※註 「倭の五王」とは、5世紀に南朝の東晋や宋に朝貢して「倭国王」として冊封された倭国の五人の王。すなわち倭氏の讃、珍、済、興、武。
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百済 大友皇子と言ったら火の鳥 太陽編を思い出しました。かなり不思議で面白かったです。
一度読んで見たら如何でしょうか?

いろいろな質問です

ヤッズ★(八頭)さん
小生は日本古代史に関心があり、質問しますのでご見解をお願いします。

(1)族長制を好んだ酋長が扶余人辰王朝直系の金首露で、加羅を息子に任せて大倭に来た。先に招いた弥生人支配者「邪馬台国」を滅ぼして、雇われ王をした。
「辰韓」で雇われ王をしていたのが「辰王」。元は原始キリスト教を信仰した弓月国(キルギス)から中国に入って「扶余国」(満州)を建国。その後、半島まで南下してきた騎馬民族の末裔なのです。この辰王子孫の首露王が新羅の土地を割譲して建国した狭い国が「金官加羅」で後の「弁韓」。この首露王こそが扶余系の初期大王家(スキタイ・カド族)の開祖なのです。以上から、記紀に始皇帝末裔で「弓月君」と書かれる融通王とは、この初期大王家の金首露(扶余依・倭旨)のことだったと睨む。
「質問」
○286年、再び慕容廆が遼東を侵略するが、王子の依羅が西晋の援助で扶余国を再建した。この依羅には日本の王朝に関わる奇妙な伝承がある。高句麗系朝鮮史とされる「桓檀古記~大国本震国本紀」によれば、「慕容瘣に敗れた扶余王の依羅が、数千の民を率いて海を越え、倭人を平定して王となった」というもので、名前のイリから、嵩神天皇(みまきいりひこ)ではないかとされる。
とすると、依羅(首露王・倭旨)は嵩神天皇となります。
ところが、記紀に始皇帝末裔で「弓月君」と書かれる融通王は、応神天皇時代の人物です。
また、九州王朝説によれば、「倭旨」は高良大社の祭神・高良玉垂命の初代玉垂命〔旨〕(七支刀を贈られた「倭王旨」)としています。
依羅(首露王・倭旨)は嵩神天皇ですか? それとも応神天皇ですか?

(2)原始キリスト教を信仰した弓月国(キルギス)から中国に入って「扶余国」(満州)を建国。 扶余国の皇統を記すと、
解夫婁-金蛙-帯素-曷思-都頭-尉仇台-簡位居-麻余-依慮-依羅(首露王・倭旨)

「質問」
○ユダ族の末裔の秦氏が西暦199-283年に天山山脈の北に位置し、カザフスタンにあるバイカル湖付近のイリ川上流のヤ・ウマトー地方に弓月王国を建国。
『弓月国(クンユエ)』の「弓月」とはユンズで、アラム語のヨシュア、イエスの意味で、原始キリスト教を信じるユダヤ人が中心となって作った国を現している。
日本書紀によると応神天皇14年に弓月君が朝鮮半島の百済から百二十県の人を率いて帰化し秦氏の基となったというが、「扶余国」は秦氏が建国した文献等の証拠はありますか?

○扶余国の初代「解夫婁」の読みはヘブルで、ヘブライつまり失われたイスラエル十支族のエフライム族、ガド族出身とすれば、秦氏はユダ族の末裔と言われており、この矛盾点のご見解をお願いします。

(3)「古代天皇家と日本正史」中丸薫著によれば、天武天皇(大海人皇子)は百済・武王(舒明天皇)の王子で高句麗の淵蓋蘇文(ヨン・ゲソムン)、先王・栄留王を弑逆し宝蔵王を擁立し王位に就けて、高句麗末期の宰相&将軍となった人物である。
天智天皇(中大兄皇子)は百済・武王(舒明天皇)の翹岐(ぎょうぎ)王子と言われているが、百済・武王は中央アジア王族出身としている。
「質問」
○この百済・武王(舒明天皇)はエフライム族の北イスラエル王家出身ですか?
○この百済・武王(舒明天皇)が中央アジア王族出身の場合、扶余国出身の高句麗始祖朱蒙の子の温祚を始祖とする百済国は簒奪されたのではないですか?

(4)京都公家衆が今の天皇家が「金帝・銀帝・銅帝・泥帝・哀帝」で終わると言い放ったようであるが、その後は北朝・堀川辰吉郎の血を引き前田家とロスチャのハーフの京都在住の前田ゴロウ翁(オクラディッシュ・ハーマン)が天皇即位するのですか?
そして、この前田ゴロウ翁(オクラディッシュ・ハーマン)は今何をしているのですか?

(5)「正統天皇と日蓮」小野寺直著によれば、「三種の神器」といわれている「八尺瓊勾玉」「天叢雲剣」「八咫御鏡」は南朝後醍醐天皇の正統御子孫が代々伝えており、現在の天皇の家系が所有している宝は偽物で、正統な天皇の位にあるのは自分である、と主張する南朝の小野寺直(おのでら・なおし)。
現在の天皇家のもとは、明治維新の時に、長州田布施の朝鮮部落から連れてこられた大室寅之祐を殺された本当の明治天皇の替え玉として始まったもので、皇室の血筋が本当に入ったのは、大正天皇の子としての昭和天皇からだという話は有る。
小野寺氏によると、最古の宝である勾玉(まがたま)は、約8000年前、つまり古代シュメール王国の時代から彼の家系に代々受け継がれてきたもので、その勾玉にある図柄こそが世界で一番古くに使われた菊の紋章なのだという。
2つ目の宝は刀だった。その刀とは、彼の先祖にあたる中国古代王朝:周の王が所有していた刀であり、少なくとも3000年前から存在するものなのだという。
3つ目の宝は、2100年前に朝鮮半島でつくられたものだと彼が説明する鏡だった。
欧米人や他にも一神教を信じる人間には特に興味深いであろう石版もあった。そこには本物の十戒が彫られているのだと彼は言う。
「質問」
○正統な天皇の位にあるのは自分である、と主張する南朝の小野寺直説は妥当ですか?
○小野寺直説の「三種の神器」といわれている「八尺瓊勾玉」「天叢雲剣」「八咫御鏡」は本物ですか?
○皇室の血筋が本当に入ったのは、大正天皇の子としての昭和天皇からだという話は有るとしているが、昭和天皇の父親は誰ですか?
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