銅鐸物語

前記事で銅鐸神事に触れましたが、これは捨て去られた祭祀なのです。この銅鐸を使ってどのような祭をしていたのかの詳細は定かではありませんが、銅鐸の外観が「八」の字のように胴体の真ん中が凹んだような形になっており、銅鐸内側に残る痕跡から、木にぶら下げて内側から鹿の角(舌)で叩いて音を鳴らしたののだろうと考えられています。

銅鐸は全国で約500個で出土していますが、多い順に兵庫県(56)、島根県(54)、徳島県(42)、滋賀県(41)和歌山県(41)です。1世紀末ごろを境にして時代を下るに従って大型化し、最大のものは144センチ、45キログラムにまで達するという。この大型化した銅鐸に「近畿式」と「三遠(三河遠州)式」の二種がありますが、「近畿式」がハデハデな装飾に対し、「三遠式」は直線的でシンプルで優雅です(笑)。

銅鐸
(左:近畿式  右:三遠式)

それぞれの銅鐸は2世紀に盛んに造られたのですが、2世紀も末になると近畿式のみとなって三遠式は廃れてしまう。その後、銅鐸はさらに大型化していくのですが、何故か3世紀になると突然造られなくなったのです。巨大化した銅鐸は吊り下げずに安置された状態で祭祀に使われたと考えられ、また発見されたものは村を外れた丘陵の麓、或いは頂上の少し下の浅い場所(60cm)から出土するものが大部分であり、住居近辺からは全く出土していないのです。何らかの理由で埋めていたのです。このことから、土中や水中に埋めて保存し祭祀の際に掘り出して使う中国の苗族の銅鼓と銅鐸とはルーツを同じものではないかと考えられているのです。

この苗族の銅鼓は青銅で作られた片面太鼓で、主に雨乞いや祖先祭祀の際に精霊に働きかける目的で作られたのですが、きっと土中や水中での保存時に精霊を宿らせるのでしょう。中国で行なわれていた祭祀であることから、日本では長江から渡来してきた弥生人が行なっていたのでしょう。ただ、出雲でも行なわれていたことから、男性原理と女性原理を尊び、自然界の精霊を祀った縄文人(アイヌ)にも適応する為、変節した形で取り入れられていったのだろうと睨んでいます。

銅鼓

『青銅の神の足跡』(谷川健一著)によれば、鉄の鐸は古語では「佐那伎」(サナギ)と言い、佐鳴(さなる)湖、猿投(さなげ)神社、大和国の散去(さぬき)郡、因幡国の散岐(さぬき)郡、佐嚢(さなぎ)神社の近くから銅鐸が出土していることから、これらの地名は銅鐸に由来していると言われる。多分、讃岐国も銅鐸に由来する国名でしょうね。

諏訪神社には鉄の板を筒状に丸め内部に舌を組み込んだ鈴を6ケ連ねた「佐奈伎鈴」というものがありますが、これはミシャグジ神器の一つで、神事や協定締結..等の誓約時に鳴らし、神を証人とすることで違約のあるときはミシャグジのタタリがあるとされたという。

何やら「契約の民」を彷彿とさせる内容です(ふふふ)。

佐奈伎鈴
(守矢資料館の佐奈伎鈴)

このように「サナギ」という言葉は、鉄や銅で出来た「鐸」のことを指していたようですが、福士幸次郎は「鐸(鈴)」には男女両体が存在しそれをサナギ・サナミと呼びならし、両個を立てて祭祀していただろうと推測し、このサナギ・サナミという「大鈴」に接頭語の「イ」を冠したのがイザナギ・イザナミ両神であると提唱しています。これは縄文人(アイヌ・エブス人)の世界観(男性原理・女性原理)にマッチしていますので、一見、頷いてしまいそうな内容です。

しかし、語り部の話では、銅鐸祭祀は元々は近畿の邪馬台国と東三河の徐福末裔の繁栄する大漢国(君子国・扶桑国)を基点に西日本で広く行なわれていた祭事であり、両国滅亡後も出雲王朝で行なわれていたが、国譲りの時を機に終了した神事だという。

そして、祭神は、、、蚩尤(しゆう)だという。

蚩尤00
(戦いの神・蚩尤、、、日本では牛頭天王だす)

蚩尤とは苗(ミャオ)族が山東半島で祀っていた神ですが、蚩尤は黄帝と争って敗れて殺され、その首は晒(さら)されたといいます。蚩尤は元々は風神、洪水神、魚神で「人頭竜蛇身」であったとされる神ですが、黄帝に負けて牛神に貶められたといいます。この蚩尤崇拝を日本に持ち込んだのが徐福一行ですが、徐福の家系は斉国の出身であり、『史記』の「封禅書」によれば、「(斉では八神を祀るが)その第三を兵主といい、蚩尤を祀る。」と記されています。八神とは天主(ヤハウェ?)、地主、兵主、陽主、陰主、月主、日主、四時主の八つの神を指しますが、この八神信仰を日本に伝え、銅鐸祭祀としたのは徐福だと睨んでいます。

蚩尤の別名は兵主神といいますが、この兵主神を祀った兵主大社のある滋賀県野洲市には多数の銅鐸が出土しています。全国の兵主神社がある所は銅鐸の発見場所と重なるのです。つまり、兵主神社で銅鐸祭祀が行なわれていたことが濃厚なのですね。また、奈良県にも穴師大兵主神社がありますが、ここは野見宿彌の説話から角力(相撲)発祥の地として有名です。この相撲はイサクの次男ヤコブと天使が山中で行なったものが本当の起源なのですが、角力という言葉自体は「角を突き合わせて戦うこと」であり、頭に角がある蚩尤(しゆう)に由来する言葉だったのです。
※註 「風の谷のナウシカ」の巨神兵とは、この兵主神がモチーフかな?

何故、銅鐸が蚩尤に結び付くのかといえば、、、、

縣(県)(かける・かかる)という字がありますが、この字には、、、

県は首という字の逆形で、首を切って宙づりにぶらさげたさま。
縣(ケン)は「県+糸(ひも)」の会意文字で、ぶらさげる意を含み、
「首を木に逆さまに吊す・首を空中に吊す」こと
翻って、中央政府にぶらさがるヒモ付きの地方区を示す。
懸は心が宙づりになって決まらず気がかりなこと。


という原義があるという。銅鐸も同様に木に吊り下げるのですが、それは「首」を意味していたのです。つまり、吊り下げられた首(銅鐸)とは黄帝に負けてバラバラにされ埋められた「蚩尤の首」を表していたのですね。この首を土から掘り出して木に吊り下げて祀るのが銅鐸祭祀なのです。これは苗族の銅鼓も同じでしょう。

では何故「首」なのでしょうか?

世界最大最強の首狩り族とは、アマゾンのヒバロ族ではなく、実は日本人だったのですが、このことと何か関連があるのでしょうか?

「首」に関連する漢字に「道」がありますが、この字の興りは、古代中国において異族や獣の「首」を道路に据えることで外界から生活空間へ災いや疫病などの流入を遮断する風習があったからだといいます。蚩尤の首を表す神器を毎年掘り起こして掲げることは、これと同じ意味合いを持っていたのです。
※註 「首」は人間の体を構成する部分において最も高い位置であることから、位置的にも精神的にも高い部分(頂)へ通じることができるという意味で「道」があると捉えられ、これが茶道、華道、剣道、柔道の「道」という表現につながった。

では、何故、銅鐸なのかといえば、蚩尤は頭に銅鐸のようなものを被り、鉄の鎧を身に纏っていて、体の一部が切り取られても再生する怪物だったのですが、頭を切り落とされて絶命したという。その首を銅鐸で表していたのです。

その証拠に、銅鐸の模様には「邪視紋」というのがありますが、これは銅鐸の表面に「二つの目」が描かれ、この目は中国の伝説上の巨人・蚩尤(しゆう)の眼だという。蚩尤の眼には悪霊を撃退する呪力があると信じられ、掲げて悪気払いをしていたのです。

銅鐸邪視紋
(銅鐸邪視紋)

邪視、鎧、、、まるで、蚩尤は冥王サウロンのような存在です(笑)。

サウロンの目サウロン
(指輪物語から、サウロンの目と冥王サウロン)

ちなみに、徐福末裔が繁栄した東三河では、多くの神社でスサノオを祀っていて、その奉納に手筒花火や打上げ花火をしていますが、これはスサノオに習合された蚩尤(牛頭天王)を祀っていた祇園社が殆どです。その昔、「平原広沢の王」徐福のいた東三河は「豊葦原瑞穂国中津国」と呼ばれ、その名称故にその後の時代には「穂の国」「豊橋」と呼ばれたのですが、この「中津国(中つ国)」とは即ち「ミドル・アース」のことであり、トールキンが指輪物語で描いた世界の名と同じなのです。

東三河と指輪物語はズブズブの関係なのです(爆)

東三河には鈴木という姓が全国平均より多いのですが、この「鈴木」とは銅鐸である「鈴」とそれを吊り下げた「木」から来ている名前だと睨んでいます。つまり、鈴木姓の人とは弥生人中の弥生人であり、元々は中国人だったのだす~(超爆)。

記紀にも記載がありますが、八咫烏(ヤタガラス)とは実は鵜飼のことです。これは葦が豊富に茂る豊葦原国で鵜飼を生業としていたスリーマンセル(三人一組)で行動する鵜匠+弟子たちの姿が巨大な鵜(カラス)のようであり、三本足のカラスとして描かれたところから来ます。その後、この言葉は恭順化した弥生人を指す言葉となり、また一部は組織化され天皇制を護る裏神道の秘密組織として暗躍しているといいます。

熊野大権現の社家・鈴木氏は神武天皇に道案内したヤタガラスの末裔とのことですが、これは東三河での初期大王家の徐福の国討伐に貢献したところから、熊野に禄を与えられたのではないかと睨んでいます。後ちに鈴木家は紀州の藤白の地に移り、日本諸国に散在する「鈴木」の総本家となった。そして、幕紋を「熊野烏(八咫烏=ヤタガラス)」としています。戦国時代に雑賀鉄砲衆をひきいて紀州に勢力をもった雑賀孫市(代々首領は鈴木孫一を名乗る)は、この鈴木氏の一族で陣幕紋は熊野烏(三本足の烏)であったのです。裏神道の秘密組織「八咫烏」もこの鈴木氏の流れであると睨んでいます。(あるいは単に名称詐称?)

そして、熊野・吉野の紀州は、サンカ、木地師、鍛治、卑民...等の大和朝廷が表の仕組みでは完全に取り込め者たちを束ねる裏日本の司令センターだった。

何故、熊野・吉野かというと、ここは日本を縦断する中央構造線が通っているからです。この中央構造線は深いV字谷を形成していますが、古代からの道でありながら険しく山間部を通っている為に、後年出来た平野部とは交通の接続..等で相性が悪い為に打ち捨てられた街道だったのです。ここを行き来したのが上記の「まつろわぬ者たち」だったのです。

この街道を伝って好色な花山天皇が逃げ延び、奥三河の大入(王入り)に隠棲して崩御した際に行なった祭りが「花祭り」(花山祭り)の起源になったという。花祭りは道教色が濃い「湯立て神事」ですが、白眉は死と再生の儀式である「白山(浄土)入り」の大神楽です(江戸時代から今まで行なわれなくなったが最近復活)。一方、遠山郷の「霜月祭り」のように、かつて宮中(清和天皇の859~876年)で行なわれていた「湯立て神事」がそのままの形で残るものもあります。これは何らかの理由で表の世界から消えなくてはならなくなった人々が、この街道を通り、後世に残るように伝えたからです。阿波で行なわれていた「ミシャグチ(御イサク地)神事」(御頭祭のこと)が諏訪で行なわれるようになったのも同じ理由でしょうか。

中央構造線には秘密がいっぱいw

こう考えると、、、、熊野、吉野にかけての紀州には何故領主がいなかったのか? 壬申の乱で勝った天武天皇の妃である持統天皇が40回以上も吉野詣をしていたのか? 道教が混じった修験道がここを基点とし、この地には雑賀衆・根来衆という忍者がいて、また忍者と修験道が同じ印を唱えるのか? 豊臣秀吉が朝鮮出兵で半島の最も過酷な最前線に送り込まれた紀州雑賀衆の武将が、何故寝返って半島勢力に付き「沙也加」となったのか? 徳川御三家を何故紀州に配さねばならなかったのか? 孝明天皇を暗殺し大室東京明治天皇にすげ替えした明治政府が、何故、熊野修験道を畏れ、その活動を禁止化したのか?、、、、こういった謎が全て解けてくるのです。

最後は話が横道に反れてしまいましたが、このように銅鐸ー蚩尤(牛頭天王・兵主神)ー徐福ー邪馬台国ー道教ー熊野吉野ー八咫烏は、非常に密接な関係を持っているのです。今、太陽CMEが降り注ぐことでマグマ活動が活発化してプレートの動きが大きくなって地震多発化していますが、これが日本龍体の背骨である中央構造線の活性化が起き、現在のパワスポブームに繋がっています。しかし、この現象は歴史に封印されたものが「いよいよ(1414)表に出るぞ」という暗喩だとも睨んでいるのです。
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No title

暗黒の3日間 続報です
http://mizu888.at.webry.info/201108/article_20.html
ヤッズさんもご存じの 五井野博士の 最新講演会より

最後のほうで 9月の天体の動きが気になると 述べました
http://tenkataihei.xxxblog.jp/archives/51755634.html

No title

ヤッズさん、ここもなかなか面白いですよ
中央構造線とレイライン、余震多発地域についての妄想: 占い師の囁き
http://aya-shumi.cocolog-nifty.com/heya/2002/12/post-1d40.html

なんでしょう?

NASAが8/19に行う太陽活動に関する記者発表
発表の時間が現地(東部)時間午後2時
日本時間深夜3:00
http://www.myweathertech.com/2011/08/17/solar-flare-activity-prompting-nasa-to-convene-a-news-briefing-thursday-in-washington/

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鍵コメさ~ん♪

コメントありがとうございます!

首実検
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%96%E5%AE%9F%E6%A4%9C

教科書には決して書かれませんが、これで戦の論功行賞が決まる。雑兵の戦果も全てこれで評価。だから、映画のような五体満足な敗戦風景などはないのだす。

首カリの風習

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%96%E7%8B%A9%E3%82%8A

日本だけにアラズ。誤解を招く。
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