グレート邪馬台国

ドクタ~推薦の飛鳥昭雄著『失われた日本ユダヤ王国・大邪馬台国の謎』を買って読んでみました。

失われた日本ユダヤ王国「大邪馬台国」の謎 (ムー・スーパーミステリー・ブックス)失われた日本ユダヤ王国「大邪馬台国」の謎 (ムー・スーパーミステリー・ブックス)
(2011/01/12)
飛鳥 昭雄

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語り部情報とは異なる歴史内容を述べています。かなり目から鱗の情報があるにはあるのですが、所詮、記紀内容を援用してそれに沿う形でしか推測&解説できない為に「限界があるなぁ~」と感じました。ここに飛鳥センセの解析方法の問題点が浮かび上がってきます。でも、これはあらゆる歴史文献を焚書され、過去の本当の歴史全てを消去してしまった日本では仕方がないことです。

(語り部情報)
■邇波言壱著作 出雲王朝
http://www.pleiades15.net/history/niwa.html
■世間話の掲示板
http://8305.teacup.com/kasaburanka15/bbs?&OF=0

たとえ非常に示唆に富む核心情報を得たとしても、その情報を整合性を取って説明しようと思えば、歴史を都合の良いように改竄された公的歴史書『古事記』『日本書紀』の記述内容をこねくり回して述べるしか手段はなく、これでは堂々巡りとなってしまい、トンチンカンな歴史となってしまう。。。。。科学的な研究結果を多数援用して目の覚めるような解説する飛鳥センセにとって、日本古代の歴史解説をする場合には、文献の不正確さもあってか切れ味が非常に悪く感じられます。この辺のことをヤタガラスは分かっていながら、センセにやらせてニタニタ楽しんでいる「確信犯」じゃないのか~っ(爆)。

一番の履き違えの点は、、、卑弥呼=物部氏としてしまっている点でしょうか。物部氏を渡来系でユダヤ・キリスト教信奉者であると言う指摘は正しいのですが、卑弥呼の国は扶桑信仰のもと大陸から遥々日本にやって来た中国の長江近辺に住んでいた倭人(弥生人)の末裔です。鬼道(道教の初期形態)をしていた卑弥呼と天神(ヤハウェ)を尊び奉る物部神道の物部氏とは明らかに宗教的背景が異なりイコールでは結べませんね。

もう1つは、応神天皇を渡来系とするのは正しいのですが、カド族で「秦氏の王」であり、原始キリスト教徒であると位置付けしてしまっている点は残念です。カド族に該当するのは初期大王家である神武天皇(倭旨)です。今のところ、飛鳥説には初期大王家(加羅カド族)と後期大王家(百済エフライム族)の2つの王朝からの流れがあるという明確な概念はないようで、混濁した混乱が文中からみてとれます。応神天皇のモデルは百済から婿入りして来た後期大王家の「倭武」であり、その弟が「倭継」(継体天皇)ですが、彼らはカド族ではなくエフライム族であり、後世「景教」と呼ばれるようになった古代東方キリスト教(ネストリウス派)を表面上信奉していましたので、原始キリスト教徒というのは誤りですね。まぁ、どっちも似たようなものかもしれませんが、、、(爆)。

騎馬民族征服説を唱えた佐伯博士は、最初、秦氏は景教徒であるとしていましたが、記紀に秦氏の祖(弓月の君)が渡来時には大陸に景教はまだ存在していなかった為、後年、秦氏は「原始キリスト教徒」であると修正していますが、これと同じ誤りを侵しています。実は、最初の通りが正解で、別段、修正する必要などなかったのです。【この理由は後で述べます】

応神天皇(倭武)が半島から渡来してきたのは1550年前と意外と新しいのですが、461年、古代東方キリスト教(ネストリウス派)である波斯教(後世に景教と改名)を携えて来日したのが百済の蓋鹵王の子である兄・昆支(倭武)と弟・余紀(倭継)の2人の王子なのです。
※註 初期大王家(スキタイ・カド族)の始祖である金首露(扶余依羅・倭旨)は1650年前に招聘されて渡来して来ていますが、皇紀2600年とは随分間延びさせ過ぎの「上げ底歴史」なのです。

東方神起
(昆支(倭武)と余紀(倭継)は古代の「東方神起」かぁ~・爆)

431年、ネストリウス派はエフェソス公会議において異端として排斥されたのですが、アジアへの本格的な布教は数百年後の635年にアッシリア東方教会はペルシア人司祭・阿羅本(アラベン)を唐の都・長安に派遣して、異国の宗教を保護した唐に638年に布教が認められたところから始まり、景教大流行の碑を見ると、この時、中国大陸において景教が大流行したといいます。これが公にされている歴史です。

百済王族が波斯教を既に知っていた461年とは、エフェソス公会議で異端排斥されて間もない頃であり、波斯教が中国に到達する遥か以前です。しかし、既に波斯教はペルシャや東方域に存在していて時間的な問題は何もありません。ただ文献にないだけです。シルクロードを実質的に支配し、民族や国という概念が無いスキタイなので、その情報ネットワークは遠くペルシャまで延びていたので、朝鮮半島に居ても波斯教は十分導入できたのではないでしょうか。逆に、異国の宗教に非寛容の王朝(西普・東普)が中国にあった為、635年の阿羅本の布教まで波斯教が中国本土に伝えられなかっただけでしょう。万里の長城の向こう側の満州や扶余国やインド経由で半島に達した海のシルクロードには何の関係もありません。この辺の事情が欠落しているが為に、三位一体の教義を持ち明らかに景教的な秦氏なのに「原始キリスト教徒」としなくてはならなくなってしまったのは残念です。

それ以外にも、大和地方と九州の地名が相似している点を挙げ、王権本拠地が九州→大和に移設したと述べていますが、これでは記紀制作者の意図通りの展開になってしまっている。。。。。実際は全くの逆であり、古くから覇権を全国に及ぼしていたと捏造する為に伝承地を全国化して地名を大和→九州へ移行したというのがホントのところです。四国阿波も大和地方と同じ地名が多いのですが、これも全く同じ理由からでしょう。それとは逆に、三輪、伊奈佐山、新城、宇陀の高城、天香久山...等、東三河を始めとした東国(東加羅国)から大和地方に移行された地名が多いという事実を申し沿えておきます。こうして豊葦原中津国の歴史も中央に持っていったのです(ふふふ)。
※註 **宮のように伝承地が四国から九州に移設されている例もあります。

語り部情報をファイナルアンサーと考えるヤッズ★にとっては、このように突っ込みどころが多い著作なのですが、飛鳥センセの見解は他の幾多もある歴史研究よりは遥かに真実の歴史(=語り部情報)に近いのもまた事実です(笑)。

本のタイトルにある「大邪馬台国」とは、確かに卑弥呼の邪馬台国(ヤムトェ)を討ち滅ぼした後に、騎馬民族化したヘブライ人のカド族が継承した国「大倭」(ウ・ヤマトゥ)のことであり、まったく持って正しいのです。ただ、クドイようですが、卑弥呼を物部氏とするのは無理がありますが、、、、(爆)

籠神社宮司やヤタガラスとの会見内容にはキラリ☆彡と光るものがあります。やはり、そこには幾ばくかの真実の歴史断片があるからでしょうか。

文中で海部宮司がポツリと言った「ええ、うち(海部氏)は鴨族ですから、、、」の言葉に飛鳥センセは衝撃を受けたようですが、元々、伊勢湾近辺に住んだ一大範囲を占めていた海神(ワタツミ)信仰をしていた海人系縄文人が海部族や安曇族などの海人族ですが、安曇族は信濃に移住させられたといいます。これが安曇野ですが、長野県に海に関係する海人津見(あまつみ)から転訛してできた「安曇」という地名がある理由です。阿曇・安曇・厚見・厚海・渥美・阿積・泉・熱海・飽海という地名はこの海人族の関連地から起きた地名なのです。また、竜宮城とも称された一の島(稲沢市)の尾張大国霊神社に、初期大王家(スキタイ・カド族)によって持ち込まれた「マナの壷」が置かれたのですが、その後、遷座させられた先が丹波国の籠神社の真名井であり、この籠神社の宮司が代々海人族である「海部氏」であるというのも納得がいきます。

尾張一宮の真清田神社の由緒書には、「祭神は天火明命(あめのほあかりのみこと)と云い、真清田の農業地帯を開拓された尾張氏の祖神である」と書かれていますが、天火明命とはこの地を「尾張」と名づけて開拓をした天香山命(あめのかぐやまのみこと)の父神です。それ故、天香山命の子孫が尾張氏とされ、天火明命は尾張氏の祖神とされるのです。また、物部氏等の祖神である宇摩志摩治命(うましまぢみこと)は、天香山命母神を異にする兄弟神となっていることからも、語り部が云うように尾張氏と物部氏は同族なのです。

語り部が提示する系図では、、、、

金首露王(倭旨)-得玉-王治弟彦(天香語山)-金-王治坂合

【尾張氏】
  -王治草香(高倉下)
【物部氏】
  -物部目-荒山-王輿(尾輿)-多治見(多治髪・守屋)-・・・-弓削道鏡
【鹿島神宮宮司家】
  -山背根子-三輪石床-占部子足-稲実-友成-


王治坂合から物部氏は分かれ出てています。ですから、飛鳥センセのいうような物部氏が大王として支配した「物部王国」など無いのです。物部氏は大王家ではなく、渡来系の初期大王家の傍流の分家の末裔であり、同族であるが故に、王朝において警備と神祇を一手に引き受けてきた家柄なのですね。

倭得玉彦命
(尾張王朝の始祖・倭得玉は物部氏の祖でもある)

奇しくも『大邪馬台国の謎』の表紙写真が示すように倭得玉が物部氏の祖であったのです。しかも、倭得玉-王治(尾張)氏-物部氏は渡来系のスキタイ・カド族であり、本家筋の大邪馬台国(大倭)がユダヤ国家という本のタイトルは正しいのですw

さてさて、では、鴨族とはいったい何なのでしょうか?

奈良県御所市の金剛山東山麓には高鴨神社がありますが、ここは京都の賀茂神社(上賀茂神社・下鴨神社)を始めとする全国のカモ(鴨・賀茂・加茂)神社の総本社と称されています。当地が鴨氏一族の発祥の地であり、鴨氏はこの丘陵から奈良盆地に出て、葛城川の岸辺と東持田に移った一族がいるといいますが、ここに鴨族の秘密がありそうです。

鞍作毛人(蘇我入鹿モデル)の次男・太田田根子の子である神(カムイ)虫麻呂(役小角モデル)が、天武天皇の起こした「壬申の乱」に付き添って戦い、激戦区だった東三河の地での勝利を記念して東三河の照山に神神社を創始したのが豊橋賀茂神社の原点だといいますが、奈良の高鴨神社のある葛城からはこの役小角が出ていますので、葛城はこの蘇我の系統の中にあるのです。つまり、葛城は邇波氏(記紀でいう蘇我氏)の本拠地であり、大国主系(縄文人・アイヌ)=邇波氏=鴨(賀茂・加茂)族だったということです。

こう解ければ、大国主系海人族の海部氏が鴨族である理由も明確になりますね。

何故、鴨(賀茂)族と呼ばれるのかは、賀茂氏の祖である神(カムイ)虫麻呂の「神(カムイ)」から来ているのでしょう。つまり、鴨族=神(カムイ)族なのです。カムイとは蝦夷(アイヌ)の精霊信仰(アニミズム)に出てくる言葉ですが、人間にはできないことをする「神格を有する高位の霊的存在(霊的知性体)」という意味を持っています。たとえば、シャチは「海のカムイ」の現れとか、熊は「山のカムイ」の現れだとかいう感じで使います。縄文においては人と神は信頼関係に基づく対等な関係であったのです。カムイとは縄文系の邇波氏には相応しい名称ですね。ちなみに、太陽神のカムイもありますが、あまり生活に密着しない為か、重要視されなかったといいます。

つまり、鴨族=邇波(蘇我)氏族=出雲王朝末裔の葛城氏=大国主系(縄文人・アイヌ)なのです。

飛鳥センセの大きな誤りの1つは、単純に秦氏=渡来系としてしまっている点です。

確かに、記紀には秦氏の祖「弓月の君」(融通王)は百済から百二十県の人を率いて帰化したと書かれていますので、そう考えるのは当然なのですが、それが記紀の罠に嵌ってしまうのです。記紀でいう「弓月の君」とは間違いなく徐福のことであり、その渡来元は中国本土でからす。「百済」と書いてしまう事で中国からの渡来は無かったと改竄されているのです。これも「百済至上主義」(=百済バイアス)の為せる技でしょう(笑)。

徐福末裔は渡来した本拠地・東三河で苗(みゃお)族と同じく蚩尤(しゆう)を奉じていましたが、失われた10氏族捜査機関「アミジャブ」は苗族がユダヤと同じ遺伝子と認定していますので、徐福もまた苗族と同じくユダヤ(ヘブライ)系だと思います。

問題なのは秦氏の中身です。

この徐福末裔の大漢国(豊葦原瑞穂国中津国)を初期大王家とが打ち滅ぼしたのですが、その後も隣接の「扶桑国」は養蚕の地(「赤引きの糸」として有名)として生き長らえたのですが、出雲王朝最後の王・荒田別の子・縣君塩古が扶桑国を討伐し打ち滅ぼして弥生人(倭人)の国は日本から無くなった。その地に伝わった治水技術、製鉄、酒造...等の大陸由来の技術を邇波彌母里別(御諸別)が技術を取得し、その子荒脛巾が国内に広げた。更に縣君塩古が養蚕を大倭の天指山で養蚕を行い機織技術をやがて各地に広げたという。

縣君塩古以降は、角古-真咋-広高と続きますが、この広高(邇波広高)こそが歴史的に有名な「秦河勝」だというのです。その子・石勝は大海人皇子(天武天皇)の側近で若い頃に東三河に一緒に流され、秦から逃れてきた徐福末裔が繁栄した東三河の地に渡ったことから、この氏族を後世「秦」姓に繰上げされたという。つまり、秦氏とまつり上げられた氏族は渡来系などではなく大国主系(アイヌ・縄文人)であり鴨族だったのです。
※註 縣君塩古以外に、出雲王「荒田別」のもう一人の子が依網(よさみ・筑紫君磐井)で、その依網から葛城垂見(葛城円)-馬背-馬子-鞍作毛人(蘇我入鹿)へと続く世襲大臣職の葛城氏へと繋がる。この鞍作毛人の次男・太田田根子(三輪山の神官を任された)の子が神虫麻呂で賀茂氏の祖であるという。ちなみに、朝鮮半島南部の任那へ渡航しようとする継体天皇の軍勢を阻む行動に出て討たれたのが筑紫君磐井ですが、北部九州最大の古墳である岩戸山古墳(福岡県八女市)が筑紫王磐井の墓とされています。しかし、①反逆後にこれ程の墳墓を作る余力があったのか? ②反逆者の墳墓がヤマト王権によってなぜ取り壊されなかったのか?という疑問があるといいます。伝承の地が大和→九州に移されたと考えるとこの謎も解けてきますね。

東方キリスト教徒(ネストリウス派、後の景教)の邇波広高(秦河勝)は、京都山背の地を本拠地にする古代豪族ですが、御諸別や縣君塩古が習得した徐福由来の技術をこの地で展開し繁栄していた。日本中にこの技術を教える代わりに稲荷(INRI)神社や八幡(ヤハウェ)神社を信仰させていき、邇波広高はその技術の恩恵を被り恭順化した人民は「秦」姓を名乗ったといいます。逆に、本来の徐福末裔は、この中国風の「秦」の名を嫌い、羽田、羽田野、波多、波多野、幡多...等の名を名乗ったという。ちなみにヤッズ★は羽田中出身ですw
※註 全国の稲荷大社の総本山・伏見稲荷大社の創建は「秦伊呂具」で秦氏なのです。

さらに不思議なことに、秦伊呂具賀茂伊呂具であったり、秦都理が賀茂都理であったりと、賀茂氏と秦氏は密接な関係があるのです。京都はもともとは秦氏の治める地方だったのですが、下鴨神社は最初に秦氏が祀っていて、その後、賀茂氏が秦氏の婿となり、祭祀権を賀茂氏に譲ったと伝承されています。同様に京都の松尾神社の社家への賀茂氏の婿入りがあったといいます。これが俗にいう「賀茂が禰宜背負って来る」というやつで、婿入りを承諾しないと戦いを仕掛けられたという。これにより、神社信仰の祭祀主催者は創健者の秦氏から賀茂氏へと移っていったのです。 

実は、賀茂氏には2つの氏族があると言われていますが、元々は祖は同じだと見ています。つまり、蘇我入鹿-太田田根子-神虫麻呂の流れを汲む葛城を中心とした賀茂氏(高賀茂氏)と秦河勝の流れを汲み京都山城の地に住む賀茂氏(秦氏)ではないでしょうか。その後、平安京遷都で、2つの氏族間で姻戚関係で混じりあって一体化していったのかもしれません。この葛城の高賀茂氏から役小角(神虫麻呂)が出ていますので、神虫麻呂が創建した東三河の照山の神神社(後に里に下って賀茂神社)は高賀茂氏の流れであると言えそうです。
※註 賀茂神社の流れは、照山神神社→豊橋賀茂神社→葛城賀茂神社→京都賀茂神社という感じでしょう。きっと(キラリーン)

つまり、秦氏もまた鴨族だったのです。
だんだん謎が解けてきました(ふふふ)。

つまり、秦氏には、、、、

①大国主系の祭祀氏族(鴨族)
②技術提供を受け改名した人民
③本当の徐福末裔(羽田、幡多、波多...等)


という3つの流れがあるのです。
このうち①②を一緒にして、徐福末裔の「秦氏」として論述している点が大きな誤りなのです。

何故、こんなややこやしいことをするのか?
これは徐福末裔や初期大王家の伝承を「秦」で包んで隠蔽化する為だったのです。

また巻末でヤタガラスが飛鳥センセに語った「物部は徐福とともに来たれり!」という言葉からは、物部氏は徐福と一緒に渡来してきた一族の末裔、あるいは騙された秦始皇帝が放った刺客というニュアンスで捉えるかもしれません。

しかし、先の系図でも示したように、物部氏は半島の加羅国から渡来してきた金首露(倭旨)の六男・倭得玉を祖とする犬山市本宮山を本拠地とする王治王朝の王治(後の尾張氏)草香の子、物部目を祖とする氏族であり、王朝において軍事&神祇を司った氏族です。邪馬台国を滅亡させその後を継承した大倭の初期大王家(二代目は七男・倭仁)から見れば、兄系の傍系です。つまり、物部氏も渡来系の末裔という点では正しいのですが、物部と徐福の間には渡来時期に大きなタイムラグがあり、徐福渡来はBC300年に対し、初期大王家はAC350年と600年以上の時間差があるのです。

ですから、ヤタガラスの言葉の真の解釈は、、、「物部氏も(タイムラグはあるが)徐福と同じく渡来人である」というところが正解ではないでしょうか。
※註 そういえば、語り部は徐福が始皇帝(ヘブライ人レビ族)を騙して大陸から逃げたことが、後のスキタイ・カド族(初期大王家)の渡来&大漢国討伐に繋がった旨のことを述べていました。初期大王家の祖地「弁韓」(後の任那、金官加羅、任那という名称は生まれ故郷という意味)は始皇帝の「秦国」が滅亡した際に秦人が逃げ込んで建国した国だといいますので、渡来の理由の1つには、そういった先祖の私怨があるのかもしれません。

そして、ここが核心なのですが、百済兄系の藤原氏と弟系の天皇家が中心となって、その意を受けた賀茂氏&秦氏が、かつてこの日本に存在した徐福の大漢国、卑弥呼の邪馬台国、初期大王家の大倭を「秦」で包んで、自らの出自と共に歴史の闇に隠蔽してしまったのです。日本の歴史の闇を探る飛鳥センセも日本の歴史の核心に至るに及び、ヤタガラスの言葉通り徐福の存在を無視できなくなってきたという感じです。

次回作『失われた徐福のユダヤ人「物部氏」の謎(仮題)』に期待大ですw

飛鳥センセは、語り部も言っているのと同じく日本列島が反時計回りに回転しなながら東シナ海を北上していると述べた『邪馬台国の謎と逆転日本列島』を書いているので、巻向遺跡のある奈良桜井市が邪馬台国の比定地としてほぼ定着した今、『山海経』『梁書』が述べる「君子国」「扶桑国」「大漢国」「文身国」が倭国の東(三世紀には南~東南)に存在することは当然の帰結として浮かぶ筈です。

そして、蓬莱山と同じ音を持つ鳳来寺山は利修仙人の伝承地であるように「神仙の地」であり、この麓には扶桑国の記述にも出てくる「湯谷」という古くからの地名が存在する為に、この地が蓬莱山であることに気づくのではないかと期待しています。

「巖煙山」の山号を持つ鳳来寺山の向こう側の一帯には、1600万年前にはカルデラ湖を持ち、噴煙を上げる巨大な「設楽火山」があったと考えられていますが、その大崩落が地殻に1000mもの段差を生み、中央構造線上にも巨大なカーブの傷跡を残しているのです。問題は1600万年前という時間なのですが、文献から伊豆半島が2200年前に洋上に浮かぶ島だったと力説し、邪馬台国はかつて沖縄洋上にあったと日本列島の劇的変化を語る飛鳥センセなので、この蓬莱山大崩落の時間的問題も難なく突破可能だとみています(ニタリ)。

東三河の鳳来寺山・本宮山・石巻山が徐福が目指した東海三神山の蓬莱山・方丈山・えい州山であり、『牛窪密談記』に書かれているように東三河が徐福末裔が熊野から上陸して繁栄した地だときっと看破してくれるだすよ~(ふぉふぉ~ふぉ)
※註 全体としては偽書である「宮下文書」なのですが、富士山噴火の資料部分の価値を非常に重要視する飛鳥センセなので、宮下文書が語る徐福末裔の住む富士王朝=高天原説に従って、「富士山=蓬莱山」をそのまま当て嵌めてくる可能性もあり、「卑弥呼=物部氏」「秦氏=渡来人」と同じような誤謬に陥らないとも限らず、一抹の不安もあるのだが、、、(汗)

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(2002/07)
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Comments

No title

ヤッズくんの洞察で更に歴史は核心部に近づいてきておるだす~
ワタスが注目している点は、ムーに掲載されたのが今から1年半前で
飛鳥氏が八咫烏と面会出来たのが2年前だという点だす。

やはり裏にいる八咫烏は、世界の状況を見て小出しで真実を出して来ている事実
そして、飛鳥氏の間違いを理解しつつ、この方の解釈も面白いだすよ
http://tak0719.web.infoseek.co.jp/qanda3/17sEBhFfLqcE27106.htm
またヤッズくんの続編に期待するだす~

ちなみに元カレ~屋スタッフのワタスのお薦めメニュー
1位 辛もつ × ブタしゃぶ
2位 ソーセージ × 半熟タマゴ × マッシュポテト
3位 オムエッグ × ハヤシソース + 1~2辛

そして ステンレスのスプーンでなくプラスティックのスプーンで食べると
味が簡単に2、3割増しで美味しくなるだす~
イチロ~を応援するココ壱に対抗しゴジラ松井を応援するゴーゴーカレーも海外で受けだしておるだす~

No title

いつも楽しく読ませてもらってます^^

ヤッズさんは、飯山一郎さんのブログをご存知でしょうか?
ヤッズさんの観察眼に敬服しておりますが、飯山さんの観察眼にも驚いています。
飯山さんは、邪馬台国は百済にあったというふうに論じていますが、とても説得力があります。
もし良かったら、ヤッズさんの視点で飯山さんのブログを見て頂いけませんでしょうか。
ヤッズさんの感想が気になります。
http://grnba.com/iiyama/html/16kodaisi.html

トップ
http://grnba.com/iiyama/

第9サイクル

最新の「ヤスの備忘録」によると、マヤカレンダー第9サイクルの開始日が2月9日から3月9日にズレたようです。

たかが一ヶ月、されど一ヶ月て感じです。

語り部って誰ですか?
よくでてきますが、ソースを明示してほしーです。

邪 馬 台 国

イメージが拡がってきますね

ありがとうございます

ソース明示さ~ん♪

コメントありがとうございます。

語り部情報はかなり以前から紹介していましたので、最近はURL載せるのが億劫になって載せてません。以下がそれで、合わせてヤッズ★の考察記事も記載しておきますね。(ボツ記事から引用)

世界経済が破綻するかどうかを知りたい時に「六本木の巫女」を知り、彼女が話すネガティブな「上流情報」に憑依されました(爆)。しかし、それ以外にも彼女が話す「記紀にいう聖徳太子は架空の人物だが、そのモデルは実在するのよ。それは上宮(うえつみや)の、、、、ふふふ」という仄めし内容を聞くに及び、俄然、そのソースを知りたくなってネット情報を探しまくった結果、ついに大国主系の語り部情報に行き着いたのです。

で、その語り部が語る内容が驚愕動地の内容だったのです。
※註 日本は青森が下で反時計回りに回転していたとか、、、、尾張三河平野は1200年前に隆起とか、、、、蓬莱山が陥没して今の鳳来寺山になったとか、、、天皇家の正体は騎馬民族スキタイで招聘されて渡来したとか、、、東三河に徐福末裔の大漢国(君子国・扶桑国)があって栄えていたとか、、、伊勢神宮はイエシュアを祀っているとか、、、意外とスピでは御馴染みの内容なのですが、これが大国主系旧家の口伝伝承だという点で全く重みが違うのです。

■邇波言壱著作 出雲王朝
http://www.pleiades15.net/history/niwa.html
■世間話の掲示板
http://8305.teacup.com/kasaburanka15/bbs?&OF=0

上記、語り部によると、大乗仏教は仏教を基に日本で考案されインドに渡ったといい。その大乗仏教に景教(ネストリウス派キリスト教)の教えを混ぜて創作したのが、空海らが日本に持ち込んだ平安仏教だという。

■マイルド仏教
http://aioi.blog6.fc2.com/blog-entry-1425.html

実は、表の神道全てはユダヤキリスト教に絡められており、稲荷(イエスの罪状版INRI)、八幡(ヤハウェ)、伊勢内宮(イエス&邪馬台国&瀬織津姫)、伊勢外宮(ヤハウェ&出雲)となっていて、神道、仏教、この2本立てで日本の国体護持がされているのです。ヤッズ★はこれを1300年前に藤原氏が構築し、その上に君臨する日本を隅々までピラミッド型の支配をする「キリスト結界」と呼んでいます。

■INRI稲荷
http://aioi.blog6.fc2.com/blog-entry-1660.html
■イエシュア(救い)の地
http://aioi.blog6.fc2.com/blog-entry-1745.html

ソース明示さ~ん♪(2)

(つづき)

語り部の話によれば、東三河はトンデモない歴史を秘めた地域であることを知った。それと同時に、そこに記された地がヤッズ★自身と非常に密接に関係した地域ばかりであり、ここから照山及び石巻山、本宮山、鳳来寺山の東海三神山を始めとする大漢国の全容解明及び語り部情報の検証作業に爆進していくわけですが(爆)、語り部情報を調べれば調べる程、その内容の確かさに唖然としたのです。

■渡来系大君
http://aioi.blog6.fc2.com/blog-entry-1593.html
■聖徳太子ショック
http://aioi.blog6.fc2.com/blog-entry-1320.html
■ハティクヴァの改新
http://aioi.blog6.fc2.com/blog-entry-1590.html
■蓬莱山
http://aioi.blog6.fc2.com/blog-entry-1547.html
■ヤハの地
http://aioi.blog6.fc2.com/blog-entry-1715.html

ドクタ~さ~ん♪

コメントありがとうございます!
興味深いサイトの紹介ありがとうございます!

>八咫烏は、世界の状況を見て小出しで真実を出して来ている事実

そうですね~ 八咫烏は何を考えているのでしょうか?イエス来臨の正体とは、実は「物部氏の復興」だとも一部で言われていますが、、、たぶんそれはないでしょう。不比等に藤原京に置いて行かれてから、物部氏は完全に一般市民化したんじゃないでしょうか?吉野の移り地下化したとも考えられるが、、、

いとうさ~ん♪

コメントありがとうございます!

飯山一郎さんのサイト、面白い情報多いですね~
紹介ありがとうございます。

邪馬台国に限って言えば、中国文献に載っていた「西遼に百済に都する」という話は、実は、学者間でも有名な話です。ただ、その証拠が何も見つからない点で、百済=西遼(中国東北部)地域とは考えられていないようですね。また、邪馬台国が韓国にあったという主張は、魏志倭人伝がいう「会稽郡東治(福建省)の東に位置する」という記述内容とは矛盾しますね。

あと、飯山氏は『唐書』の内容から「卑弥呼=公孫氏」としていますが、卑弥呼は東の公孫氏を通して魏に朝貢していたに過ぎないので、この指摘は的ハズレだと思っています。

たまさ~さ♪

コメントありがとうございます

>マヤカレンダー第9サイクルの開始日が2月9日から3月9日にズレたようです。

うほっ、ヤッズの誕生日が第8サイクル終了日なんだw
これは嬉しいというか、変換人型ゲシュタルトをますます信頼してしまう展開です。

ponsunさ~ん♪

いつもコメントありがとうございます

邪馬台国はいろいろ推測されていますが、桜井市の巻向遺跡で決まりです。既に決定的証拠も見つかってるが、外にはだせないともいいます。(他説の学者が困るからとか、、、笑) 

ヤッズ☆さん、ソースありがとございます!

まだ全部は見切れていませんが、週末じっくりみてみますね~

私、アベ式洗腸療法しらべてて煩フル知ったんで、正直、わからない回もありますが、でも楽しく読んでます。

伊藤農園のHP運営されてる方が語りべってことでなのかな

ここにコメントされてる方は、ちゃんとわかってる感じのコメント多いので、あんなアホコメントしていいのか、迷いましたが丁寧に返事もらえて嬉しいです♫

楽しく読ませて頂きました。

素晴らしい!

目から鱗がボロボロと流れ落ちるようです。
これからじっくりと読み尽くします!

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