日月の神と天照大神

日月神示を解読するにあたり、日月神示に登場する神の名や地名について、日本の本当の歴史に沿った正しい内容でなければ、正しい解読は不可能ではないかと思っています。

記紀自体に歴史改竄の痕跡があるのは学会でも認めていますが、では何が正しい歴史かは公式に伝えられる文献が存在しない為、指摘しようがないのが現状です。ただ、正神(?)がその改竄された偽歴史に沿って語っているとは到底思えず(笑)、正神が封印された時期の状況を正しく把握する必要があり、単に記紀内容に沿った解釈では間違いが発生する危険があるのです。

真実の歴史だと睨む語り部情報から、一例を挙げれば、、、

■不二山…蓬莱山(鳳来寺山)
■淡路島…岐阜県本巣市~美濃加茂市に続く山並 【海の橋立】

■出雲王朝…エブス人を祖とした蝦夷(アイヌ)の王朝 【青森→武蔵→丹波→鳥取】
■八岐大蛇…初期大王家(大倭)・王治(尾張)王朝・出雲王朝の三王朝族長政治体
■草薙剣…海凪ぎの剣=モーセの杖(初期大王家が持込)
■ヤタガラス…三人1組の鵜飼で恭順化した徐福末裔(弥生人)

■アラハバキ…出雲王朝閉朝した邇波荒田別 【仁徳天皇稜被葬者】
■高皇産尊…初期大王家始祖の倭旨(金首露)【金海金氏の始祖】
■二ギハヤヒ…金首露(扶余依羅)六男・倭得玉 【尾張家始祖】
■国常立命…金首露(扶余依羅)六男・倭得玉 【尾張家始祖】
■天照大神…金首露(扶余依羅)の后・許黄玉 【インド阿踰陀国の姫様】
■スサノオ…倭武(崇神)+倭建(天武)がモデルで「スサの王」から名付け
■大国主…出雲王朝開朝した邇波道主
■少名彦名…金首露の王子たち


と一般常識的な知識とは大きく異なってくるのです。

皇祖神・天照大神を祀っている伊勢神宮に江戸時代まで天皇が親拝しなかった理由は、てっきり「天照大神=卑弥呼+イエスキリスト」で皇族の祖先とは無関係だからと考えていたのですが(爆)、天照大神のモデルがインドのアユタ国から弱冠16歳で嫁入りして来た初期大王家の始祖・金首露(扶余依羅)の妃である許黄玉だったとは考えも及びませんでした。っていうか、完全に見落としてましたw
※註 以前の煩フル記事では、ニニギとの出会いが水辺で似ていることから「許黄玉=木花咲耶姫」としてしまいましたが、許黄玉=天照大神だったのですね(汗)。ここで登場する「阿踰陀(アユタ)国」はインドの古都アヨーディヤーだと思われます。アヨーディヤーはウッタル・プラデーシュ州北部に位置し、古代コーサラ国の初期の首都とされ、インドの二大叙事詩の1つ『ラーマーヤナ』の主人公で「薔薇色の瞳」を持つ英雄ラーマ王子の故郷としても知られています。ラーマ皇子は猿軍団(猿族=ヴァナラ族)とともに戦ったといいますが、その中でもっとも勇敢な戦士ハヌマーンは孫悟空のモデルになったと云う。アヨーディヤーは「難攻不落の都城」を意味し、また、コーサラ国の勢力範囲には釈迦族が居住していた為に仏教説話の主要地でもありますが、前5世紀、マガダ国との戦いに敗れコーサラ国は滅亡。ちなみに、タイの古都アユタヤもアヨーディヤーの名に由来するという。

天照大神
(天照大神)

確かに、これならば「皇祖」というのも正しい表現になりますし、初期大王家を毒殺や陰謀で滅亡させた後期大王家が伊勢神宮に親拝しなかったのも筋が通りますね。卑弥呼やイエスだけじゃ「皇祖」たり得ないw

この辺をもう少し詳細に見ていきましょう。
天照大神が生んだ(スサノオが勾玉を噛み砕いて誕生)男神は以下の5柱

* 天忍穂耳命…子がアメノホアカリ、ニニギ
* 天穂日命…出雲と関連
* 天津彦根命…河内/茨城/山城...等と関連
* 活津彦根命…彦根と関連
* 熊野櫲樟日命…熊野と関連


一方、スサノオの十握の剣から生まれたのが女神3柱で、宗像三女神と呼ばれます。

* 田心姫
* 湍津姫
* 市杵嶋姫


許黄玉が生んだ子供は多数いますが、日本に渡来した子供は8名(赤字)です。他は半島や大陸に残って扶余国や加羅国を継いでいます。下記は語り部情報ではなく他文献から引用ですが、その詳細は以下の通りです。

* 金首露長男・居登…「伽耶国」に残る。金官加羅の王
* 金首露ニ男…金海許氏の祖
* 金首露三男…陽川許氏の祖
* 金首露四男・天思兼命…信濃の阿智氏の祖
* 金首露五男・玄…扶余国に残る
* 金首露六男・倭得玉(国常立尊)…王治(尾張)氏の祖
* 金首露七男・倭仁…二代目大王
* 金首露八男・豊玉…宇佐氏の祖
* 金首露九男・倭武日…大伴氏の祖(大伴武持の父)
* 金首露十男・日奉益継…日奉氏の祖
* 金首露十一男・居添君…天表春命(阿智祝部) ※天思兼命の子
* 金首露二女・美穂津姫…大物主神あるいは大国主神の后


完全に一致はしていませんが、全国に散らばっていて似た感じにはなっています。井伊章・著の『大倭国通史―大陸側から眺めた古代大和朝廷』によれば、東アジア古代史の日朝中の史書を年代別に重ね合せることによって、皇祖神・天照大神は漢委奴国王皇女、任那加羅の首露王妃、許黄玉王后その人であることを実証したといいますが、これが多分、上記の文献内容なのでしょう。

これは語り部情報とも符合します。また、この婚姻により初期大王家はインドと深いつながりが出来、当然、その前後の期間も深く交流していたと思われ、大乗仏教を創作してインドから流布させたと語る語り部の話にも十分信憑性が出てきます。
※註 金官加羅の王妃・許黄玉が石塔と伴に携えてきたのが「双魚紋」ですが、キム・ビョンモ漢陽大名誉教授によると、この紋はペルシャ神話の人類の万病を直す霊薬「コケレナラン」の木の実を守る二匹の魚として出てきますが、その魚の名前が「カラ(Kara)」だといいます。双魚はアッシリア-バビロニア-ペルシャ-スキタイ-ガンダーラ-雲南-四川-邪馬台国に至る人々に「万物を保護する守護神」として崇められたという。

つまり、、、天照大神=インド人(爆)

これはインド人もびっくりな話ですw 伊勢神宮の遠拝所であり、若いOLでごった返す「東京大神宮」は実はインドのお姫様を拝んでいたということになるのです(爆)。まぁ、インドは世界で一二を争う程の美人の国なので、その美人姫様に肖って若いOLが拝むことは一応筋が通るとも言えるし、金首露と許黄玉の出会い方が運命的なストーリー【親の夢に現れ、船で異国に送られた】である為、恋愛成就の縁結び的に拝むのも筋が通りますね(ニタリ)。

で、肝心の天照大神(許黄玉)とは、きっとこんな感じだった!!!


(超美人の天照大神)

このインド超美人の姫様・許黄玉を事跡をモデルにして、所々にイエス逸話を散りばめ、皇極天皇・持統天皇...等の女帝の逸話も取込み、イエスの「我は世の光」と要塞都市アマスラから名を取り「天照大神」として作り上げたわけです。更に、ここに瀬織津姫や卑弥呼を習合させ、持統天皇や皇極天皇の逸話を盛り込んだのです。まぁ、天照大神はこのようにして創作された神なので、そのままズバリ、インド人というわけではないのは云うまでもありませんが、、、、
※註 天照大神のような女神は渡来系の天皇族を表し、男神のスオノオは大国主族を表しているという語り部情報があります。岐阜の田縣神社の奇祭はこれを象徴をしているとか、、、、

この天照大神に関しては、日月神示にはこうあります。

「大神はまだ岩戸の中にましますのぞ、
騙した岩戸からは騙した神がおでましぞと知らしてあろう」

「いよいよとなってマコトの天照大神、天照皇大神、日の大神、
揃ふてお出まし近うなって来たぞ」

「天にも天照皇大神様、天照大神様あるように、
地にも、天照皇大神様、天照大神様あるのざぞ。
地にも月読の大神様隠れて御座るのざぞ」


日月神示では「天照大神」「天照皇大神」「日の大神」はそれぞれ別々の神であるとしていて、更に、本当の天照大神等は未だ岩戸から出られていないという。確かに、許黄玉をモデルにしてイエス逸話で彩られた現在の天照大神は「自然神」ではなく、所詮、故人や神話逸話をモデルのした「人為神」であり、真の神とは言えないのかもしれません。

伊勢神宮はパワースポットであるのは間違いないのですが、それは中央構造線上に位置する有利さと「場の清浄さ」と自然物と加工物が絶妙な緊張のバランスを持って奏でるハーモニーからくるものであり、心理的に厳かな気持ちにさせる心理装置(舞台)なのです。これは明らかに自然物を利用した人工物の範囲に属します。この地あるいは正殿からは、自然物に神が降臨した場合に発せられる神威(カムイ)を感じることはありませんし、更に天照大神が降りて自動書記して霊的磁場を発揮したという話もあまり聞きません。このことから、確かに今の伊勢神宮及び天照大神は「真の神」(自然神)とは違うのです。

日月の神がいうように、天と地に各々「天照大神」と「天照皇大神」の2神がいるというのは、女性原理【ソソウ神】と男性原理【クナト神】を指すのでしょうか?

大本教の霊界物語を参考にしてみますと、、、、

■天照皇大神=大原霊 →【アイン・ソフ・オウル】
■天照大神=天界の主宰神 →【均衡の柱】
■日の大神=イザナギ=男性原理(クナト神) →【慈悲の柱】
■月の大神=イザナミ=女性原理(ソソウ神) →【峻厳の柱】


こんな感じで、マジ、カバラになってしまった。。。。。

現代社会の科学技術は自然に敵対する立場で自然界の個別要素を強制制御する形で発展してきていますが、本来自然が持つ循環システムの力を全く利用していないと云われています。この永続的なシステムの管理者が「真の神」で現在の天照大神には制御不可能な内容なのです。このことから天照大神たちはは未だ岩戸に隠れているという表現に繋がるのかもしれません。

また、「艮の金神」こと国常立命を「出雲」に関連させて述べているサイトが多いのですが、上記の表からは、国常立命は初期大王家(騎馬民族スキタイ・カド族)の傍流の王治(尾張)氏祖の倭得玉その人であり、出雲(大国主系=アイヌ)とは明確に異なることになるのです。尾張氏は「草薙剣」(海凪ぎの剣=モーゼの杖)を熱田神宮に祀る神祇氏族ですが、傍流については文献が残っているのですが、尾張氏本貫がその後どうなったかは歴史の闇に消えて分からないのです。初期大王家同様、歴史の中に封印されてしまった故に、国常立命を「出雲」と関連付けてしまうことは、記紀がそう記している以上、仕方ないことだと思います。

となると、日月神示の日月の神は「蝦夷(アイヌ)の怨霊」であるという和田三郎氏のサニワ結果も間違いとなり、正しくは「王治(尾張)王朝」延いては「初期大王家の怨霊」というのが正しいサニワ結果となりそうですね。まぁ、薄々とは感じていましたが、、、、

岐阜県弥勒山に「金神」の碑がある謎もこれで解けます。

金神
(岐阜県弥勒山の「金神」の碑)

美濃尾張地方は、初期大王家の湯沐令(=天皇直轄地)の美濃や王治王朝があった名古屋市大高があったところですが、上古には伊勢湾は深く濃尾平野奥深くまで入り込んでいて、その為に弥勒山は国見する山であったといいます。また、この山は「天の香具山」と呼ばれ、初期大王家傍流の王治氏は「天の神」に鹿の香りを捧げる犠牲の祭祀をこの山頂でしていたといいますが、後年、藤原京造営時に奈良桜井にこの名称と共に祭祀も移されたという。また、大国主族が祀る「地の神」は丹波川上(現・東谷山フルーツパーク)で祭祀が行われたというます。こちらは奈良の山奥に移された。

このことから、日月の神が封印された「東北」とは、日本の東北地方のことではなく、実は大和盆地を中心として施された「逆五芒星結界」(日本全国に張り巡らされた「キリスト結界」の中枢結界)に対して、「艮(丑寅=東北)」の方角という意味だったのではないでしょうか!!!

日月の神が封印されたと思われる上古時代には、大和朝廷の勢力範囲は東北まで及んでいなかった為、日本の東北地方に封印というのには無理があるように思われます。実際、岐阜県弥勒山は大和盆地から見て東北の方角に位置しますし、日月の神が「美濃尾張(身の終り)の仕組」「甲斐の仕組」「富士の仕組」「鳴門の仕組」「諏訪の仕組」「江戸の仕組」と言及しているように、本州中部~西部にのみ固執している感があるのです。っていうか、それ以外の地名を知らないw

日月の神が仏教を仏魔だと酷く中傷する理由もこれでハッキリしますね。

「仏教の渡来までは、
わずかながらもマコトの神道の光が差していたのであるなれど、
仏教と共に仏魔渡り来て、完全に岩戸が閉められて、
暗闇の世となったのであるぞ、
その後はもう乱れ放題やり放題の世となったのであるぞ、
これが五度目の大きな岩戸閉めであるぞ」


このように、かなり手厳しいのですw

後期大王家(百済系エフライム族)は日本に招聘されて婿入りする際、東方キリスト教を携えて渡来してきたといいますが、これは土着民(弥生人・縄文人)及び初期大王家を従順化させ、自らの支配下に置くために表向きは東方キリスト教を信仰しているように装いながら、その実、裏では冷酷非情に為れる為政者向きの初期仏教を信仰していたといいますが、初期大王家を巧妙に毒殺して滅亡させ政権を奪い取れたのも、この仏教が持つ「空観」「仮観」という観念からでしょうか。「嘘も方便」と説く仏教は、確かに仏魔というのが相応しい。

これが日本に渡来して来た仏魔です。
※註 神仏習合は仏魔の日本簒奪の流れの中にあった出来事。その後、明治期になって廃仏毀釈に至るまで、日本の神社神道は仏教と一体化していたのです。

この仏教を日本に広める為に、元来、日本にははいなかったのですが、狐を大陸から持込みんで「狐憑き」と称して大衆を恐怖に落とし入れ、加持祈祷を行なうことでそれ災厄から逃れられるとした。この陰謀のお陰で、神社神道には無かった調伏によって日本の民衆の中に仏教勢力を爆発的に広めることが出来、寺院の隆盛を担うことが出来たのです。
※註 四国には未だ狐はいないのです。

初期大王家(含:傍流の尾張王朝)や出雲王朝末裔の葛城氏(記紀の蘇我氏)は最初は仏教導入反対だったようで、その時の争いが聖徳太子・蘇我馬子【崇仏派】vs.物部守屋【排仏派】の戦いとして記紀に描かれていますが、実際は初期大王家(倭聖)・蘇我馬子(葛城摩理勢)・物部守屋(物部目)【排仏派】vs.後期大王家【崇仏派】の戦いだったという。記紀は黒幕・後期大王家を登場させないことで、仏教を力尽くで導入した後期大王家の陰謀を巧妙に隠蔽しているのです。
※註 しかし、後期大王家の意に反して民衆にまで初期仏教が広がってしまった為、寺院に武装化した僧兵が増えてしまい、朝廷のいう事を聞かなくなって政治的に不安定となってしまった。ここに仏教に景教を混ぜ合わせマイルド化する必要があったという。その任を負ったのが唐に留学した空海や最澄です。奈良仏教と平安仏教との大きな相違点は、奈良仏教が国家鎮守をメインに据えたのに対し、平安仏教は庶民の信仰による救済という一神教信仰です。こうして既存の仏教勢力の力を殺ぎながら、庶民の従順化を狙ったのが、僧侶が牛耳り言う事を聞かない奈良平城京から京都平安京に遷都であり、桓武天皇の戦略だったのです。

初期大王家が、何故、日本に招聘されたのか?

鮮卑族による侵攻で扶余国は滅亡し、半島にまで南下して逃げ延びて来た初期大王家は、ここで「雇われ王」となりますが、中国南方で一度は滅んでしまった兄弟部族の後期大王家に領地を割譲して王国を再建させて「百済」と名乗らせ、本国・加羅国の緩衝地帯とした。長男に加羅国を継がせ、王(金首露)自らは日本へ招聘され渡来していったという。領土に固執しないスキタイだからこそ、このようなことができるのでしょう。

代々、百済王の姓を「扶余」とか「余」と名乗っていたのは、初期大王家の本国・扶余国と関連があるからといいます。ここがフキアエズ王朝の場所ではないでしょうか? 「余は満足じゃ~♪」と王が自分のことを「余」というのは、多分、ここに起源があるのでしょう。
※註 その後、百済は唐・新羅に滅亡させられてしまったのですが、無謀とも云える豊臣秀吉の国内統一直後の朝鮮出兵も、実は藤原北家に養子縁組して貰った返礼ではないでしょうか。明治維新後の大陸進出も同じ理由なのかもしれません。つまり、失われた百済の地の奪回と引換に新参者に権力の座に付かせるという藤原北家との取引があった???

そして、長屋王の自害による初期大王家滅亡後は、初期大王家の痕跡を抹消すべく、上陸地の伊勢湾中ノ島は京都府籠神社真名井へ、、、、初期大王家の湯沐令・岐阜本巣に居る婿入りした男弟王・継体天皇の伝承は福井へ、、、、三河が主戦場となった壬申の乱は琵琶湖周辺だけで起きたことに、、、、天孫降臨の地を後期大王家の上陸地の九州へ、、、、伊勢のイヒヤを祀る海部族は安曇へ移住、、、、このように後期大王家は初期大王家に関連する地名や伝承を日本各地に分散化させ分からなくさせたのです。この音頭を取ったのが桓武天皇です。

また、日月の神は666とか、、、六六六とか、、、イシヤの仕組とか、、、「右の頬をうたれたら左の頬を出せよ、それが無抵抗で平和の元ぢゃと申しているが、その心根をよく洗って見つめよ、それは無抵抗ではないぞ、打たれるようなものを心の中にもっているから打たれるのぞ。」とイエスが語った「右の頬を打たれたら、左の頬を出せ」も熟知している、、、非常に黙示録や新約聖書内容に通暁しており、且つ非常にヤハウェチックな内容を語っているのも、初期大王家(カド族)が日本に携えて来たヤハウェ信仰、その後、後期大王家が持ち込んできた波斯経教(東方キリスト教)の新約聖書に帰順しているところから来るのではないでしょうか。
※註 波斯経教…発祥の地が波斯(ペルシャ)ではなく大秦国(ローマ)であることを知り745年に「大秦景教」と名称変更。しかし、その実体は431年のエフェソス公会議において「イエスは神格と人格の2つの位格があり、明確に分離している」という教義ゆえに異端として排斥されたネストリウス派です。ちなみに、「アッシリア東方教会」は同じネストリウス派の教団。

また、「道教の老子だけを内に祭り、それ以外の神は外に祭れ」と道教を非常に高く評価しているのも、三川(三河)において徐副末裔が奉じる道教に接し、不老不死の仙術に深く帰順したところから来るのではないでしょうか?

以上、日月神示を岡本天明に降ろした日月の神といわれる存在の思想信条のポイントをまとめてみますと、、、

①岐阜弥勒山の金神(ヤハウェ)を崇める
②カバラの知識がある
③道教に深く帰順
④仏教を「仏魔」と嫌う
⑤聖書黙示録の知識がある


以上から、日月の神と称する者は初期大王家関係者だと睨む。
※註 日月神示が「アイヌの怨霊」だった場合には、その語る内容に男性原理、女性原理、星信仰、蛇信仰、多神教的なアニミズム(精霊信仰)が入ってくる筈なのですが、そのようになっておらず、あくまで太陽信仰、一神教になっているのです。しかし、現存の太陽信仰的な神社神道を酷く中傷誹謗しているところから、これとは異なる思想勢力がこの神と語る者の出自ではないかと考えられるのです。その神示が降ろされた場所が、何故、千葉県の麻賀多神社の末社(天之日津久神社)なのか謎が残る。この地は初期大王家と何らかのつながりのある地なのだろうか?

多分、金首露六男・倭得玉ではないかと思う。
っていうか、語り部は最初から「倭得玉=国常立命」って言っていますね(爆)。

倭得玉彦命
(倭得玉)

ん!?

そうなると日月の神は人霊で「人為神」となり、「自然神」とはなら無くなってしまう。これでは今の天照大神と同じです(汗)。これは「天の神(ヤハウェ)」信仰を復興させようという神霊(人霊)が日月の神であり、「天の神(ヤハウェ)」の仲介者というのが正しいところではないでしょうか。
※註 神霊はこちらの物質世界はよく見えないと思っています。ですから、陰謀内容や米国大統領の所作を事細かに解説するマシュー君はとっても怪しいのですw。あれは霊人などではなく、アレはあるシナリオに沿ったスピ系へのマインド・コントロール・オペレーションだと睨んでいる。

つまり、こう2つに分けるべきなのです。

日月の神=国常立命=ニギハヤヒ=日本得魂命=倭得玉 【人霊】
天の神=艮の金神=ヤハウェ 【自然霊】


倭得玉は伊賀上野の高倉神社に倭得玉彦命として祀られていますが、記紀等の文献によれば、倭得玉彦命はニギハヤヒの孫だとされ物部氏系図に載っています。しかし、実は海部尾張氏系図にある「日本得魂命」と同一人物だと睨んでいます。実際、読みも同じですしねw。また、高倉神社の社家が尾張氏なのに物部系とされる倭得玉彦命を祀る点もおかしいのです。このようにして1人の人物を数代に分けて、別系統の系図にも載せ、系図はワザと間延びさせて改竄しているのですね。語り部が「倭得玉=ニギハヤヒ=国常立命」としているのは、こういうことなのです。
※註 この系図改竄も後期大王家が2600年前から日本の国主だったと捏造する藤原不比等の仕業です。実際は1300年の統治歴史しかないのですが、、、完全な水増し請求ですw

■物部氏及び海部尾張氏系図
http://kamnavi.jp/ym/yamakei.htm

半島からの招聘後、兄たちと邪馬台国を滅亡させて、縄文人(アイヌ)から神器「水晶玉」と神祇を司る「浦嶋子」の称号を得て「王治王朝(後の尾張王朝)」を開いた倭得玉ですが、上の画像のように初期大王家のトーテム「亀」に乗り、玉(水晶玉)を得て手に持つ彼の姿が、今ある浦島伝承として伝わったのではないでしょうか!
※註 「大本」によると、国常立命の姿は白金の光芒を放ち、切れ長の深いまなじりに光をたたえ、「八握の神剣」を腰に帯刀し、純白の衣冠束帯した白髪の老神だったというが、これこそ正に上の画像の倭得玉彦命の姿ではないですか!
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Comments

偶然にしては出木杉

はじめまして、色々ググっていてここに辿りつきました。
それで、ここで初めて弥勒山に金神様の碑がある事を知り、
さらにググっていて衝撃の事実が…
っていうかgoogleマップですぐにわかるのですが、
岐阜弥勒山の最寄りの県道が123号なのです。
弥勒山は半分ぐらいが愛知県ですが、金神碑は岐阜県側です。

123(ひふみ)→金神→みろく

偶然にしては出木杉君です…

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