扶桑樹

扶桑樹とは東海の海の上に茂る桑に似た巨大な神木のことで、9000年に一度実をつける神仙の樹として知られています。語り部情報によると、東三河の蓬莱山(鳳来寺山)の麓には、この扶桑樹が群生していたことから「扶桑国」と呼ばれ、はるばる大陸からこの扶桑樹と蓬莱山を目指して多くの弥生人(長江畔の倭人)が渡ってきたといいます。その渡来集団の1つが卑弥呼の邪馬台国です。
※註 弥生人は半島人ではありません。倭寇とも呼ばれた大陸の長江畔に住んで居た中国人です。

中国の古代の地理書『山海経』にはこうあります。

東の彼方に扶桑の木があり、
その枝は100万尋(約180万㎞)
太陽が昇る谷を鬱蒼と覆っている

湯谷の上に扶木あり
太陽がひとつ至るやひとつ出てゆく
みな烏に背負われている


東方の果てに巨大な扶桑の木があり、その神樹から太陽が生まれ、それを烏が背負って天空を運んでいくという話は、華南、四川の苗族の神話に由来しており、三星堆出土の巨大な青銅製神樹(世界樹)として反映されています。また、馬王堆の帛画(死者が着る衣装)にも扶桑樹は描かれており、下画像の右側の太陽の上に烏がいますが、その太陽は右側の樹から生じています。この樹が扶桑樹です。
※註 聖霊信仰を持ち日本人の祖とも云われ、聖書と同じ内容の創造神話を語り継ぐ流浪の民「苗(ミャオ)族」は、別名「蚩尤(しゆう)民族」とも呼ばれ、漢民族原型の華夏民族「黄帝」と敵対した。この戦いが「涿鹿の野の戦い」の神話として描かれています。この戦いで敗れた「蚩尤民族」はミャオ族とリー族(現・海南島)の2つに分かれたという。ちなみに、イスラエルの調査機関「アミシャブ」が行ったDNA検査によって、チベットに住む少数民族がユダヤの失われた10支族の末裔である事が判明しましたが、これと同じ遺伝子を持つ民族が苗族なのです。

帛画扶桑樹12
(馬王堆の帛画と三星堆の青銅製神樹)

つまり、扶桑樹とは太陽の生じる国にあるわけですが、これ即ち「日本」の別称でもあったのです。また「湯谷の上に扶木あり」とあるように、鳳来寺山(蓬莱山)の麓には「湯谷」という1300年前に開湯した古くからの温泉地があり、この地が扶桑樹のある土地だったことを匂わせます(ニタリ)。そして、その太陽を「烏が背負う」とあるのですが、この太陽を背負う烏とは「ヤタガラス」のことであり、ここから鵜飼を生業としていた徐福末裔を暗喩する言葉となったのではないでしょうか。

最近、語り部はこの扶桑樹についてこう記していました。

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扶桑国滅亡後、扶桑が大量に切り出され使用された。
建築用で、イチイモドキ(セコイア)

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実は、この扶桑樹がとんな樹なのかを知りたく思っていて、この樹の実地探索をライフワークにしようかと考えていたところなので、実にタイムリーに回答が得られて嬉しいです。無駄に山野を駆け巡る必要が省けました(爆)

セコイア(イチイモドキ)とは、別名をセカイヤメスギ(世界爺雌杉)ともいいますが、樹高が100mを越す世界で最も高くなる木として有名です。セコイアの名はアメリカ先住民チェロキー族の酋長セコイアから命名されています。30cmも厚さの赤い樹皮は病虫害の進入を阻止し、また、その色からRedwoodとも呼ばれ、含有するタンニンにより不朽性がある為、耐久性が高く、建築、建具、家具、造船など多くの用途に利用される。トーテムポールの原材料としても有名です。強健で生育は旺盛な為、栽培は比較的容易で耐陰性もありますが、寒さや湿地にはやや弱いといいます。
※註 セコイアには高くなる「セコイアメスギ」と体積が大きくなる「セコイアオスギ」(セコイアデンドロン=ジャイアントセコイア)の2種に分かれます。扶桑樹は「セコイアメスギ」となるでしょうか。伊予の扶桑樹化石はメタセコイアだといわれるが、、、このメタセコイア(曙杉・イチイヒノキ)は絶滅したと云われていたのですが、1945年、中国四川省磨刀渓村(現在の湖北省利川市)の「水杉」(スイサ)が同種とされ、現存することが確認されたことから「生きている化石」と呼ばれ、その後、日本各地に植樹された。滋賀県の琵琶湖畔のメタセコイヤ並木が有名。

セコイアは日本には明治中期に渡来したとされていますが、江戸時代末に入ったとする文献もあります。このことから1300年以上前の日本には無かった樹木ではないか?という疑問が出ますが、実は、古代湖・琵琶湖には、かつてセコイアの大森林だった痕跡層があり、日本にもセコイアが自生していた時期があるのです。

世界で最も高い樹は、カリフォルニア州の北部にあるレッドウッド国立・州立公園の樹齢600年の「ビッグ・ツリー」ですが、高さ112.1m 幹の太さ13.4mもあり、自立する樹木としては世界一の高さです。幹の大きさだけで日本の家に相当する大きさなのです(唖然)。

扶桑樹02
(セコイアの樹、全然、せこくないw)

一方、樹高日本一の杉は東三河の新城市の鳳来寺山参道にある「傘杉」ですが、樹齢800年で樹高は63m、幹の太さ7.5mです。昔は70mを越える杉(宮崎県椎葉村の神杉73m)が日本にあったと云われますが、現在はこの「傘杉」が日本一の高さの樹です。始めヤッズ★は扶桑樹はこの「傘杉」のような巨大な杉の樹ではないかと睨んでいたのですが、どうも違ったようですねw。
※註 ちなみに屋久島の縄文杉の樹高は30m、幹周は16.1m(直径約5m)

傘杉02
(鳳来寺の傘杉)

イチイモドキが800年の樹齢に達したならば、その高さは日本一の高さの「傘杉」のほぼ2倍にもなり、遠目にも突出した存在として見えていたでしょう。100m(25~30階のビルに相当)もあれば、扶桑樹の別名「世界樹」に相応しいです。このような樹が群生していたのなら、大陸から遥々と渡来して来る気にさせますね(笑)

実は、日本でもセコイアの樹を見る事ができます。

静岡県金谷町大代の国有林にはセンペルセコイヤが実験的に300本植えられたといいますが(昭和2年)、現在20本が残っているそうです。ただ樹齢は70年程度なので樹高100mとまではいきませんが、既に樹高40m、幹の太さは3.7mにも達していて、日本の杉なら300年~400年に相当するそうです。しかし、その後、何故か試験栽培だけに終わってしまったのです。これは耐久性があるが強度が落ち、構造物には向かないという建築用資材として致命的な欠陥があったからでしょう。

この折れ易い性質から、扶桑国で切り出された多くの扶桑樹は、現在まで日本建築物として残っていないのでしょう。ヤッズ★が洞察するに、この切り出された扶桑樹は、多分、上古の出雲大社の御柱として使われたのではないかと睨んでいます。上古(飛鳥時代)の出雲大社(杵築神社)は32丈(約96m)もあったといいますが、平安時代の16丈(約48m)のように巨木を3本束ねて製作したとしても、これほどの長さの柱を作るのは到底不可能だと思います。神社正殿ゆえ姫路城(高さ31.5m)の心柱のように継ぎ木して製作する訳にもいかず、しかも、神殿に至る引橋(階段)にも50~70m級の柱が多量に必要となるのです。大体、こういった高さを得ることが出来る資材が見当たらないことから、架空話として考えられてしまっています。
※註 もはや日本には30m級の心柱を作るヒノキ材は無いのです。姫路城の昭和大修理時には、仕方なく2本のヒノキ材(樹齢670、780年)を継ぎ木して心柱とした。現在、ヒノキの最高樹齢は日本では約450年程度なのです。

しかし、この問題も100mもの樹高となるセコイア(イチイモドキ)を建築資材として使用したならば、十分クリアできそうですね(ふふふ)。
※註 出雲大社地下から16丈神殿の構造材が出土した柱は、よく神社で使われるヒノキではなくスギであった。イチイモドキは不朽性がある為、神殿のような直接風雨に曝される外柱には打って付けの資材です。

出雲大社01
(上古の出雲大社模型)
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Comments

素敵ですね

セコイアの木

素敵ですね

小学校にそびえていたセコイア

を思い出しました

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