エーテル・スクリーン

おーさわ氏が著書の中でリダンツ(幽体離脱)に絡めて、この目に見える物質世界は「本当の物質世界」ではなく、あくまで「本当の物質世界」が投影された虚像を見ているに過ぎないと語っています。つまり、見えているのは脳内に再現された映像「虚像」であって、実は、これはエーテル界に投影された「本当の物質世界」の虚像を見ているのだという。この秘教的知識は今までこの煩フルで洞察してきた内容に著しく沿っています。

煩フルでは、その映像が投影されるスクリーンは脳内にある「意識」だと曖昧に書いてきましたが、おーさわ氏はもう一歩踏み込んで、それは「エーテル界」だと説明しているのです。う~む、確かにその通りだと思います。

以前の記事「脳の正体」で紹介したように、脳は自発的なパルスを発生することが出来ず、実際には体の動きを「後追い」で認識している受信機能だけのものであり、指令自体は実は外部の気場から来ているというハントの実験結果がありますが、見える世界(現実世界)がエーテル界のスクリーン上に再現された虚像であり、そして、その世界自体が自分の意識世界ならば、この逆説的な実験結果も頭では十分納得がいきます。ただ、今のところ実感は出来ていませんが、、、、(爆)

外界を投影している意識、つまり、それがエーテル界ならば、それは顕在化していない自分の意識そのものです。その顕在化していない原初的な意識、これは生体意識とか生体エネルギーとでもいいましょうか、、、、ここから発せられる指令が自分を動かしているわけです。つまり、目に見える世界こそが本当の自分の司令塔。これをスピではハイアーセルフ(大我)といいます。その司令塔が下した動きを一見肉体に見えるものが行ない、それを後追いで認識して、さも自分が指令を下したと勘違いしているのが「自我」というものでしょうか(爆)。

フルベ フルベ ユラユラトフルベ

これは死者をも蘇らせるともいう「十種神宝」の祝詞ですが、現実世界をこのように揺らして、現実世界をもっと固化しないイメージで眺めみるのも面白いかもしれません。

きっと、何かが起きる筈、、、、(爆)

ただ、おーさわ氏は第三者的にも存在する客観的な「真の物質世界」は存在し、我々は脳内でその虚像を見ているような書き方、つまり、スタジオでの風景をTVカメラを通して放送を経て家庭のTVで眺めているのと同じという感じで語っています。美脚軍団「少女時代」のステージをTV鑑賞している場合で説明しますと、どんなにデジタルハイビジョン化された映像でリアリティがあろうとも、ステージ上のスポットライトが写った場合、その光はあくまでTVモニターの画素が発する光であり、実物のスポットライトが発する光ではないのと同じなのです。これが虚像と云われる所以です。

このようにして、私たちは脳内の「見える世界」を実在のそのものだ、と認識してしまうという大きな誤りを犯したままで生きているのです。これは「覚醒していない状態」と云えるのかもしれませんw

しかし、オコツトはこの客観的な実在的物理空間すらも否定している。。。。。そこに広がる世界は脳内の「見える世界」とは全く食い違った世界、その世界を喩えて云えば、物質状態の固体世界ではなく「波動の海」のような互いが溶け合った融通無碍の世界であるのかもしれません。

さぁ、一体どちらのいう世界が本当なのでしょうか?
今のところ確認する術がない為、答は保留中ですw

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(2009/10/21)
大澤 義孝

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眼球構造から云えることは、特定の色に強く反応する複数種の無数の視覚細胞からなる網膜が眼球奥に配置されていて、ここに水晶体から入って来た外界の光が投影され、その光が網膜上の視覚細胞で「電気パルス」に変換され、さらに脳内に送り込まれて、私たちはその再現画像を眺めているということになるのです。しかし、脳内から外部に直接開いた空洞を介して外を覗いているような感じに見えるのは不思議ですね。現在の地上デジタル放送でも30フレームのリフレッシュレートなので、目の肥えた人にはチラツキを感じたり、あるいは気が付かないままで眼精疲労を起こしています。しかし、脳内映像は同様な電気パルス信号による再生画像なのに非常に滑らかな画像になっていてチラツキはありません。この点も不思議ですね。

この非常に超高度な再生方式が、脳内映像に過ぎない世界を我々は「実在世界」そのものと捉えてしまう元凶なのです。

では、その再生画像はどこに投影されるのでしょうか?

煩フルでは意識だと考えていました、神智学では自己を生命として在らしめるエーテル界(生体エネルギー界)こそが、物質世界として写し出す脳内のスクリーンとして機能するのだといいます。まぁ、エーテル界自体が潜在意識レベルの最下層の生体意識なので、これは同じ事を言っているわけですね。

この内容をモデル化してみました。

スクリーン1SS

覚醒時は物質界からの投影が主になされますが、睡眠時には、今度はアストラル界からの投影が主に行なわれます。前者が現実世界、後者が夢の世界または幽界と言われるものです。ただ、現在はまだ物質世界の投影が主に占めている為、物質世界を実生活としているに過ぎません。

「胡蝶の夢」が云うように、あまりにもリアルな夢を頻繁に見ると、夢と現実がどちらが本当の世界なのか区別出来なくなってしまうというのは、実は、この同じエーテル界のスクリーン上に投影されるからであり、普段の世界認識と同じ方法で認識する為、非常にリアリティが高く錯覚してしまうのです。しかし、同じスクリーンに対し内容の異なるものが投影される為、全く違った法則が支配する空間構成になっているだけのことであり、どちらが正ともいえないことから「胡蝶の夢」が云っていることは決して誇張ではないのですw

オコツトが本当の自分とは、観察対象と観察者の間の空間にいるというのも、実はこのエーテル界のスクリーン自体が「自分」であるということなのですね。エーテル界は物質体の自己とは違って、ある範囲に広がって存在しているのです。

ですから、この視野内に写るもの全ては自分であると云ってもいいのでは、、、少なくとも自分というスクリーンを通して再現されたものであることだけは明白なので、突き詰めれば、「俺のものは俺のもの、お前のものも俺のもの」というジャイアン主義がまかり通る世界なのでしょうか(爆)。

チャネリングで有名なセスはこの虚像世界のことをこう記しています。

■「君達の観念が現実界を形作る。君達一人一人の観念と連帯した観念だ。さて、観念の強さというものが極めて大事だ…ごく簡単に言えば、みんなが自分に好意を持って優しくしてくれると信じれば、そうなるだろうし、世界中が敵だと信じれば、君達の体験上はそうなるだろう。そして、仮に…、もし、自分は22歳から下り坂だと信じるのであれば、そうなろうというものだ。また、自分が今、貧しく、今後もずっと貧しくあり続けると信じるのなら、君達のする体験は君達自身に対して、それを証明するだろう。

君達が自分の観念に出会う時、その観念は鏡に映った君達自身の顔をしている。その観念達が君達の姿を形作るのだ。自分の観念から逃れることはできない。しかし、その観念は君達が自身の体験を創る手段なのだ。大事なのは、自分が説明のつかないもののなすがままになっているわけではないということを君達がここで悟ることだ。自分では全くどうしようもない出来事、それが君達の表現で言う心理的なものであろうと物理的なものであろうと、そうした出来事にもてあそばれているわけではないということに気がつくことだ。

前にも言ったように、君達が、今の生活は自分の幼少期の出来事によって引き起こされたと信じようが、それと同じくらい自分ではどうすることもできないと感じている前世が原因だと考えようが、大した違いはない。君達に起こる出来事、君達の人生、体験は君達の現在の観念によって生じている。観念を変えれば君達の人生も変わる。」

■「君達は自分の体験を形作る(…長い休止…)。自分の過去、現在、そして未来を形成しているのだ。君達には日々の一瞬一瞬に対して責任がある。それは個人的にも、集団としてもだ。集団として、君達の観念は君達が知っている世界の状況を生じさせる。個人的には、君達の私的な毎日の生活を形作る。以前にも話したように、君達は、言わば、神々の資質を授かっている。それは自らの観念がそのまま現実になるということだ。君達の信じることは君達自身の体験においては本当であり、本当になる。他の答えなどないのだ。君達の人生において、この原則が当てはまらない領域はない」

■「君達は自らの現実界を作る。夢を見ている間の現実界、起きている間の現実界、君達が存在する全ての現実界だ。偶然というものはない。君達の喜びは君達自身から来るし、成功、失敗、あるいは君達が失敗だと考えているものも同じことだ…」 

■「自分の考えや願望を通じて物理的な現実界を創造しているのだということを君達が理解できたなら、現実界の一番大事な側面を学んだことになる。それは君達が過去の人生、すなわち、いくつもの過去世においても、ずっと手をつけてきたことだ。 こうした真実を悟ることができたら、いわゆる他の人生での「借り」は帳消しになる。これを理解し、それに基づいて行動するのであれば、この世にまた戻ってくる理由などない。もちろん、戻ってきたいのなら話は別だが。君達の過去世における、あらゆる困難は、君達がこうした基本的な真実を理解しなかったから引き起こされたのだ」

■「君達が物質世界に生きているのは、気持ち、考え、感情に置き換えられた君達のエネルギーが全ての体験を引き起こすということを学び、理解するためだ。その仕組みに例外はない」

■「現実界の中で物事を賢明に手際よく扱うには、現実界の性質を理解しなくてはいけない。この環境、物理的な現実界において、君達は、自らの想念にも独自の現実界があること、そして、君達の知っている現実界は君達自身が創るということを学んでいる――少なくとも学ぶことになっているのだ。 この次元を去ると、君達はそれまでに自分の得た知識に集中することになる。その時に、まだ、自分の知っている現実界は自分が創るのだということを理解できていない場合は、また戻ってくるのだ。そして、また、身の処し方を学ぶべく、何度も何度も自分自身の内的な現実界のもたらした結果を目の当たりにする。物体化された現実に直面するわけだ。それを習得するまで君達は自分自身を教え続ける。そして、それをすっかり身に付けた時、君達は自分自身の意識を賢明に手際よく扱う方法を学び始めたことになるのだ」

■「…ここにいる間は自分の考えが物質になるのだということ、それを理解することこそが、物質世界に生きるポイントなのだ」


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(1999/06)
ジェーン・ロバーツ、ロバート・F・バッツ 他

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自分の想念が自分の世界を作る。。。。ヤッズ★がかつて開放間もない頃の中国に行った時、「何故、中国なのだ? あんなところ百年は後進国のままだ(爆)」と親に言われたことがありますが、この時既に、やがて中国は世界の盟主となる確信的な想いを持っていましたので、今の中国の隆盛振りはきっとヤッズ★の想念の結果なのでしょう(爆)。

で、いつも思うのが、、、、このように語るセスって何者?

これはバシャールについても云えるのですが、自分の想念世界の産物(?)である存在や書物が「世界はこうなってるんだよ!」と示唆すること自体、よくよく考えてみれば噴飯ものなのです。これって、実は自分(大我)が自分(小我)に教えたくて、そのように仮態して現れているのでしょうか?(爆)

この模式図の中では、たとえば私たちの頭上に輝く太陽も、実は、本当の太陽の輝きではないことになります(笑)。あくまでエーテル界のスクリーン上に映った虚像が放つ光なのですね。

現太陽が我々の精神進化の方向性を示すというのも、この太陽の輝きがエーテル界のスクリーンで反射され表現される擬似的な太陽光なので、その太陽の輝き自体が精神進化の度合いを示すものともいえそうです。つまり、もっと波動が制裁になって輝度が高くなると、もはやエーテル界のスクリーンに投影しても再現出来なくなるのかもしれません。

これはエーテル界スクリーンにアストラル界のデータを投影しても、夢見がそうであるように、その世界がなかなかきれいに見えないのと似ています。微細な波動データにはもっと微細な波動を持つ再現性の良いスクリーンが必要なのです。

それがアストラル界スクリーンです。

スクリーン2SS

シュタイナーはアストラル界の情念や思念が浄化されると、そこに霊我(マナス)が出来ると言っていますが、そのアストラル構成の領域に感覚器官を発達させ、アストラル界の事物をより詳細に把握できていくように人類は進化していくといっています。この霊我(マナス)がアストラル界スクリーンなのです。

この場合、1つ下のエーテル界の波動を投影して、その中を自己の現実世界として生き、また、もう1つ上のコザール界の夢を見るような生活になるのかもしれませんね。この時の人間構成は肉体の殻を脱ぎ捨て、「エーテル体-アストラル体-自我-霊我」の構成になるのだといいます。

エーテルのボディなんて形があってないようなものです。一番その感覚に近いのは、リダンツ時の体の状態ではないでしょうか。如何様にも変形するし、、、、

これがオコツトのいう変換人なのでしょうか?
少なくとも、不老不死の「神人(ゴッドメンシュ)」であることは間違いなさそうです。

見える世界がこのような構造になっているなら、物質界の投影がだんだんと弱まってきて、そにと入れ替わるようにアストラル界の投影が強まってくることも十分有り得ます(爆)。その場合、徐々になので交代化していることに気が付かないのかもしれませんね。意識レベルの高い自己実現者は、実は願望実現上級者でもあるというのは、この現象を指しているのかもしれません。まぁ、その交代化が押し進んだ時こそが、実は、オコツトがいう太陽が輝くのを止め、二ビルが我々の新しい親太陽となって輝き出す時なのかもしれません。

オコツトが語る2013年に現太陽が輝くのを止め、二ビルが突如、異次元世界から現れ出て来て、我々の親太陽として輝き出すという荒唐無稽な内容も、こういう模式図で考えてみると以外と納得してしまうものです。

エーテル・スクリーンからアストラル・スクリーンへの変換、、、、これは3D映画が上映出来るように映写室を改装するようなものかもしれません。そして、現在進められている「地デジ移行」もこの自己のスクリーン変更を象徴していて、今、それが現実世界に現れているのでしょうか? ここまで書くと妄想と云われてしまいそうですが、現実世界がエーテル界のスクリーンに映し出された世界であり、それが本当は自分の意識ならば、十分アリエール話ですw。

この驚愕怒涛の現象が起きるのが、「デミウルゴスの創造行為」とは真反対方向に進む再編成の過程、、、、分岐されたものが再結合して原初の二極まで遡る「NARUTO(成る和)の仕組」(鳴門の仕組)、さらに、この二極化が1つのものとなる「不二子ちゃ~ん♪の仕組」(不二の仕組)なのかもしれませんね!

demiurge.gif
(マリ国のデミウルゴスの創造行為)
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