イエシュア(救い)の地

とうとう語り部が、伊勢の本当の姿を語りだした、、、、

***********************************************
伊勢【イヒャ(縄文人語神拝所)からイヘヤへ、然してイエシュア(ヘブル語神の救い)】神宮の天照、豊受、はそれぞれイエスキリスト、ヤハウェで、各々の神に様々な神が習合されている。【但し天照には広野(持統、仁賢)の立場を歪曲して表現されている。従いスサノオは、部分倭建天皇と倭武大王で混成。倭稚建天皇(文武、高市皇子)がスサ(ペルシャ)ノオ(の王)を外国神話より創作。ペルシャ方式宮殿を倭建天皇が建立した為。晩年広野は、建の隠棲地の後落胤達を其の妃達等と共に根絶やしに】
※註 女帝・持統天皇(広野)の数度に渡る謎の三河行幸の真の狙いは、夫・天武天皇(倭建)が青年期に東三河に隠棲した時、その地に残した妃と御落胤の抹殺にあったと語り部はいうが、これが本当なら、持統はまさに鬼畜です。

ユダヤ人の祖父、アブラハムはトガルマ人(トガルマ発音を、ターガマから高天)の地のハラン(原)に逗留した。当地(当時は交易路の要衝)に存在した要塞都市アマスラ(天照)から使用。又、天照の意味には、イエス・キリストの「私は世の光です」が大いに関係している。元々男神(天岩戸で鏡に写るで表現される。つまり逆さ)【高天原は、ユダヤ人の祖の逗留地】

ユダヤ人系百済人の祖は、南方経由チベット南下インド経由【小乗仏教信仰開始】タイ(シャム、シャモ。アイヌ=蝦夷=北方経由大国主系は、内地の支配者をシャモと言う)経由中国南部から中国入りし烏桓騎馬民族として勢力を伸ばすが、国は滅ぼされ同化。直系は、高句麗の扶余人系ユダヤ人の助けを得て、朝鮮半島で建国した経緯存在。百済王族は、小乗仏教故に、口達者で、残虐性大きかった。【魏書百済伝参照下さい。邇波氏族の葛城摩理勢(稲目、馬子)も影響を受けた】

百済男弟王は、倭名を倭継(継体)と言うが、彼の異母兄倭武の遺族が、自分を武と見間違えた際に武の喪屋を破壊する程の人物。穏やかさえ無い。画像は、初代大王倭武と考えて差し支えないだろう。【表面上波斯ペルシャ(古代東方キリスト教徒。政治無関与が其の教えで後世景教とも)教徒で、内面的には為政者として、非情に為れる小乗仏教徒】立倭武多(ネプタ)も倭武大王(建国記念日も)である。【各経由地で逗留在り】

藤原氏祖は烏垣直系の倭友(天智)大王息子不人(不比等)で、烏垣直系天皇族を守る為暗躍し続けた。幾度も手足と為り二極体制で存続を強化した。
※註 他の語り部情報から補足説明しますと、、、、烏垣直系天皇族とは半島で百済勃興しその半島情勢とバランスを取る安全保障の為に初期大王家(扶余系騎馬民族スキタイ)に婿入りしてきた後期大王族(百済系エフライム族)のこと。初期大王家は古代伊勢湾の岐阜羽島から上陸。後年、後期大王家は九州から上陸した。初期大王家滅亡後、天孫降臨の地が九州に移された理由がこれです。天智天皇の子を身篭った妃を中臣鎌足に賜って生まれたのが不比等、後に臣下では唯一「大錦冠位」を授かり公家の筆頭となるが、この出来事こそ日本が天皇と藤原氏の二極体制で運営されていた証拠です。未だ藤原氏は閨閥という形で日本を影から支配しており、それは1300年間も続く真の日本国体なのです。

伊勢神宮の警備方式はエルサレム神殿警備方式と同じ。式年遷宮は、モーセが率いたイスラエル人が、ヤハウェ(ヤハ、エホバ、ジェホバとも)の指示で、狭い荒野を40年間(聖書の民数記を参照下さい)転々(排泄物を土で覆い其の為の土地が無くなると移動)とした事から教訓を得る為になされている。(聖書の出エジプト記、申命記を参照下さい)伊勢神宮の神職の普段着白服(聖書の歴代第一を参照下さい)
※註 古代イスラエル人はモーゼに率いられ、エジプト脱出後、荒野放浪時には「幕屋」と呼ばれる移動式の神殿で祀っていました。幕屋内には「契約の箱」(アーク)があり、約束の地カナンに入ってからも契約の箱は適時移動していました。聖書には「その箱がキルヤテ・エアリムにとどまった日から長い年月がたって20年になった。」(第一サムエル記 第7章2節)と記されていることから、契約の箱が一ケ所に留まる最大期間は20年であるとされ、ここから式年遷宮の20年毎は来ているわけです。

祇園祭りはシオン祭りで、祇園の側に八坂神社在り(ヤサカとは、ヘブル語でヤハへの崇拝の意味)

剣山の伝説は、イスラエル人が来た事の確たる証拠で、ある程度手を掛けましたが、イザヤの一団の来訪は架空の伝承です。伊雑(イザヤ)宮もでっち上げです。モーセの石版現物は存在しません。


■世間話の掲示板
http://8305.teacup.com/kasaburanka15/bbs?&OF=0
***********************************************

やはり、内宮はイエスで、外宮はヤハウェだったか、、、、

外宮を先に参拝や祭を行いなさいという「外宮先祭」の理由もこれで明確になりましたね。旧約の神の方を先に祀らないといけないというわけです。しかも、内宮外宮共にいろいろな神が混ぜられて祀られているという。

ヤッズ★も伊勢内宮の地は五十鈴川沿ということから、元来、水の女神「瀬織津姫」が祀られたところであり、その後、三輪山の神様(蛇)とか、邪馬台国の鬼道(初期道教)で使用した御神体(八咫鏡)までを習合し、さらに初期大王家が奉じた景教のイエスキリストを習合した複合的な神の祭殿だと睨んでいましたが、ほぼ洞察通りの結果で嬉しいですw
※註 日本古来の神道、つまり古神道は神奈備(かむなび)と呼ばれる山や盤座を御神体として祀っていた為、古い神社には必ず御神体の山や岩が存在しますが、伊勢内宮の場合、そういったものが一切存在しません。逆に、川の神を祀って正殿の無い「滝祭宮」が川沿いにひっそり存在しますが、ここが、本来、瀬織津姫が祀られていた場所ではないかと睨んでいます。また、三輪山縁起書には「当社と伊勢と一体異名炳然なり」とあるように、伊勢と三輪は同じ神を祀っているという記述があるのです。

伊勢神宮
(伊勢内宮 またの名をイエシュア神宮)

天の岩戸開きの話も、イエスの墓所での復活がベースになっているようですし、、、極めつけは、実際の内宮創建は697年頃だといいますが、内宮の由緒は伝垂仁天皇26年(紀元前4年)だと謳っていますが、これは太陽とも称されるイエスキリストの誕生年と同じなのです。目の前を流れる「五十鈴川」もイエスズっぽいですしね(爆)。

内宮=イエスというのは、ガチなのです。

伊勢神宮の警備方式の話の経緯はこうです。イスラエルの主席ラビ(シュロモ・ゴレン)が日本にやってきたとき、大学で日本神道の先生に伊勢神宮の警備について質問の答が返ってきた際、あまりの驚きに顔が青ざめ、ペンの動きが止まってしまったという。その警備の仕方がミシュナ(タルムード)に記された、2000年前のエルサレム神殿で行なわれていた、警備員のパトロールの仕方、交代の仕方、交代の儀式、人数などの詳細が伊勢神宮伝統の警備と全く同じであったのです。エルサレム神殿の警備に熟知した者の関与が伺える。
※註 語り部情報も全てが口伝というわけでないのがこの件で判明。まぁ、核たるベースが有って、それに沿うような事実をいろいろと情報収集しているわけなのでしょう。

一方、外宮は丹波国や出雲王朝の盟主・大国主(トユケ=豊受)を祀ったものですが、丹波国の蝦夷(アイヌ=エドム人)が奉じたヤハウェが一緒に祀られていても可笑しくはありません。逆に影から仕掛けて邪馬台国を滅ぼした丹波出雲は内宮とは絶対反りが合わないでしょう。だから、それぞれ別の地で祀っているのでしょうか?
※註 大和の邪馬台国や東三川の大漢国(君子国・扶桑国)は、日本が道教化(中国化)され神の国でなくなるのを危惧し、丹波出雲の蝦夷の招きによって招聘来日した騎馬民族スキタイ化した弟部族カド族(初期大王家)によって滅亡させられたという。

京都の賀茂神社は、平安京のド真ん中にあって国体中枢そのものであるといっても過言ではありません。賀茂神社を筆頭とする神社の系列ネットワークを裏とすれば、伊勢は神道の表の顔といえるのですが、それは造られた仮面に過ぎなかったというわけです。ある意味、伊勢は日本の古代宗教のゴミ捨て場だともいえます。だからこそ、災いを起こさぬよう厳重に伊勢の地に封印し、国家護持の為に祀り続けているのでしょう。その証拠に、江戸時代まで天皇は伊勢に親拝に行かなかったといいますからね。

語り部は賀茂神社の発祥地は豊橋の賀茂神社だといいます。(本当は東三河で起きた)壬申の乱の際、随行した大国主系の蘇我入鹿の孫・神(カムイ)虫麻呂が内乱勝利の後、照山(鳥捕山)に神神社を創建したのが賀茂神社の始まりだというのです。その後、神神社は今の位置に移り名を賀茂神社とした。ここが賀茂氏の発祥地でもあるのです。奈良には賀茂氏の高鴨神社がありますが、ここに展開されていったのでしょうか? その後、高鴨神社は京都へ展開していったといいます。即位した大海人皇子(天武天皇)が新城(ニイキ 現・新城市)に新しい都を造ろうと計画したのですが、この東三河の土地の譲渡を神虫麻呂に拒まれ、新都建設の計画は潰えたという。

ちなみに、照山の古名「鳥捕山」とは、旧約聖書の「鳥を捕らえる者」から来ているそうですが、この地は烏(=海鵜)を捕まえて鵜飼をしていた弥生人(中国系の大陸人)が畔の村に住んでいたということからも付けられた名称です(江島に鵜飼島あり)。ちなみに烏は徐福子孫の弥生人(倭人)のトレードマークであり、三本足のヤタガラスはスリーマンセル(三人一組)で行動した鵜飼匠の姿だという。
※註 そういえば、ヤッズ★が高校時代のクラスメートに「鵜飼」という名前の男がいたが、顔が何故か中国人に似ていた為、皆から中国人と云われていた、、、、しかし、これは冗談ではなくマジ本当のことだったとなる(汗)。

ここで出てくる聖書の「鳥を捕らえる者」とは「エゼキエル書13章19~23」の以下の文です。

***********************************************
わたしは、壁とそれに漆喰を塗った者たちに対し怒りを注ぎ尽くし、『壁もなくなり、それに上塗りをした者たちもいなくなった』とお前たちに言う。エルサレムに預言するイスラエルの預言者たちよ。平和がないのに、都のために平和の幻を見る者たちよ、と主なる神は言われる。

人の子よ、自分の心のままに預言するあなたの民の娘たちに顔を向け、彼女らに預言しなさい。あなたは言わねばならない。主なる神はこう言われる。災いだ、人々の魂を捕らえようとして、どの手首にも呪術のひもを縫い付け、どんな大きさの頭にも合わせて呪術の頭巾を作る女たちよ。お前たちはわたしの民の魂を捕らえ、自分たちの仲間の魂を生かしておこうとする。

お前たちは、ひと握りの大麦とひとかけらのパンのゆえに、わが民の前でわたしを汚し、欺きの言葉に聞き入るわが民を欺くことによって、死ぬべきではない者を殺し、生きるべきではない者を生かしている。それゆえ、主なる神はこう言われる。わたしは、お前たちが、人々の魂を鳥を捕らえるように捕らえるために、使っている呪術のひもに立ち向かい、それをお前たちの腕から引きちぎり、お前たちが鳥を捕らえるように捕らえた魂を解き放つ。

また、わたしはお前たちの頭巾を引き裂き、わが民をお前たちの手から救い出す。二度と、彼らがお前たちの手に捕らえられることはない。そのときお前たちは、わたしが主であることを知るようになる。

***********************************************

これは恐怖でもって人心掌握してコントロールしようとすることに対して警告を発しているのか? それとも、偽預言者に対する警告なのか? いづれにしろ、偽りの恐怖が人を捕らえ、鵜飼の鵜のようにヒモが付けられてしまうのです。これが魂(烏)が恐怖という「五感の檻(籠)」に捕らえられた状態です。

恐怖が捕らえた鳥(魂)を解き放つ、、、
捕らえられた烏(魂)はいついつ出やる、、、

う~む、基本的にはカゴメの唄の内容と同じですね。
※註 カゴメの唄も実は聖書起源なのかもしれないw

鵜飼
(気多大社の鵜の神事 烏とは日本では海鵜のこと)

照山(烏捕山)復興が、この名称ゆえ、実は、魂を解き放つことに結び付きそうな感じがしてワクワクします。まぁ、実際、トランブレーみゆきさんは、神様の命を受け、天と地の絆を復活させて人々の魂を解放する(不二の仕組=人類補完計画)為に石巻山、照山復興の行動をしているわけですが、、、、この名称のシンクロ振りには正直驚きました。

それにしても、伊雑宮がでっち上げだったとはねぇ、、、、

これでは飛○昭雄先生も伊勢○山○も面目丸つぶれです(爆)。

大体、もしそれ程に重要な宮であったならば、神領を取られたままで放置プレイされる筈はないですよね。そうなる前に権力側が必ず何らかの保護政策をする筈です。そうなっていないのは、それなりの神社だったということでしょうか。あの書物(先代旧事本紀大成経)は、神領復活の目的の為だけに作られた詭弁・嘘・捏造・創作の内容だった?

そういえば、前回の照山ボランティアの時にトランブレーみゆきさんが伊雑宮について聞かれていたのを耳をダンボにして聞いていましたが、「伊雑宮は何かくすんだような感じがする、、、」とのことで、云われる程の聖地ではない感じで話していましたが、そーゆうことだったのですね(爆)。
※註 伊勢三宮説は、ヤッズ★が支持する「伊勢三正殿説」とは真っ向から対立する内容だったので、コレで溜飲が下がりましたねw 実は、伊雑宮の祭神は内宮・滝祭宮と同じ滝祭大神(多分、瀬織津姫のこと)であるといいます。伊雑宮が内宮の元宮であるという言い伝えも、この逸話が源なのです。

照山>>>(超えられない壁)>>>伊雑宮 でしょうか!(爆)

外宮も内宮も前宗教の封印の地であるし、ローマ帝国がそうであったように、人民の人心掌握の為にイエスを祀り上げたに過ぎず、似非キリスト教といえなくもない。これをヤッズ★は桓武天皇&藤原氏が考案した「キリスト結界」と呼んでいるのですが、、、、
※註 飛○昭雄先生は「伊雑宮」はイエスの首、即ち、罪状版「INRI」が奉納されていて、最終的に伊勢三宮になるのだという。その裏の動きが京都賀茂神社の河合神社であるというが、、、、未だ動きはないw

確かに、伊勢神宮は強力なパワースポットであることは認めるが、、、、
これだけで本当に救い(イエシュア)となるのかな?

それよりも、聖書由来の「魂(烏)を捕らえられた」を名に持ち、今の惨状が人の精神の荒廃振りを的確に象徴していることや、また、日本の「真の国体」である賀茂神社ネットワークの本当の発祥地である照山こそが、、、

真の「イエシュア(救い)の地」なのかもしれませんw

最後にボソリと書いてありますが、、、、、

十戒石(モーセの石版)も日本に無いんだぁ~
ということは、聖櫃(アーク)も日本に無いということになりそうです。

こちらはチト残念な気がしますが、熱田神宮に本物の海薙ぎの剣(モーゼの杖)があるから、まぁ良しとしようか(笑)。語り部は「マナの壷」の存在には触れていませんが、前方後円墳は「マナの壷」を模っていることは明言していました。「マナの壷」は初期大王家が古代伊勢湾の一宮の尾張御霊神社yに持ち込んだもので、その後、丹波国の籠神社の真名井に移動し、更に籠神社から外宮に移動したという話がありますので、こちらの方は、多分、外宮の方に安置されているでしょう。

■V字谷のナウシカ(記事後半に草薙剣)
http://aioi.blog6.fc2.com/blog-entry-1713.html

古墳マナの壷
(古墳は「マナの壷」を模ったのは有名な話)

世界一の超能力者と誉高いブルガリアのべラ・コチェフスカさんが来日して外宮に参拝した時、敷地内にある多賀宮で感動して泣き崩れ、ひれ伏して「ここは唯一無二の聖地、根源神の地」と評したという話は、この「マナの壷」の存在と関係しているのではないでしょうか? そう思えてならないです。実際、多賀宮のあの高さは犠牲の燔祭をするには丁度いい感じですね~。

それにしても、剣山に関する情報は少なすぎます。
もっと詳細に知りたいところです。

以上のことからも、失われたアーク(聖櫃)を偲ぶというのが、剣山の神輿上げ神事や伊勢神宮の式年遷宮の本質なのかもしれません。
スポンサーサイト

Comments

はじめまして

一日に石巻山、小照山の掃除に初参加しました。
自家用トラックて行きました。

昨年11月、京都の上賀茂神社、下賀茂神社、河合神社を
訪ねました。
賀茂神社の境内の自然林の雰囲気は、下賀茂神社に似てる
と感じました。

今年10月に、富山県の皇祖皇太神宮訪ねた時、ヒヒイロガネ
初めて知りましたが、Kさん持参のヒヒイロガネの原石を手にとる
ことでき、感動しました。

ヤッズさんのブログ楽しみに読みます。

では失われたアークは一体どこにあるというのでしょうか…。
私は聖書の三種の神器は全てこの日本にあると思っていたので、残念でなりません。

Comment Form

管理者にだけ表示を許可する

Trackback


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)