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封印された三角地帯

お待ちかねの驚愕怒涛・空前絶後の照山周辺情報です。
ただ、あくまでヤッズ★の写輪眼で洞察(妄想?)した内容です(爆)。

前回、トランブレーみゆきさん主導の照山復興ボランティアで知った「気が読める整体師の先生」や「霊媒体質で悪波動を浄化する女性」を擁する名古屋のグループは、「石巻山-照山-豊川稲荷」を定期的に巡回していて、この3箇所で囲まれた三角地帯のエネルギーの浄化と強化をしているのだそうです。というのも、本来、この地が持っている筈のエネルギーが損なわれているからだというのです。

たまゆら
(小照山の盤座のたまゆら それにしても凄い数だ、、、画像はトランブレーさんブログから無断借用w)

■小照山(こでりやま)の磐座(東三河高天原ブログ)
http://plaza.rakuten.co.jp/tremblay/diary/201011200000/

ヤッズ★の場合、別情報からの洞察(妄想?)によってですが、同様にこの3箇所に注目していて、この地域の歴史をいろいろ調べていました。そして、照山、石巻山の復興に尽力されているトランブレーみゆきさんを知り、その行動に激しく賛同した為、前回、イベントに参加させてもらったという次第です。でも、このシンクロは自説が証明されたような感じがして非常に嬉しいです。

でも、何故、この3箇所なのでしょうか?

語り部情報では、紀元前3世紀、秦の始皇帝の圧政を逃れ、徐福一行が中国大陸から目指した東海三神山の1つ「エイ州山」であり、また、その地に憧れて大陸から渡って来た大和の邪馬台国の倭人(弥生人)の巡礼地でもあり、その後も熊野修験道の聖地であり続けた石巻山、、、、初期大王家がこの地での戦いの際には必ずこの地を本陣とし、また、壬申の乱の戦勝記念から神を祀った賀茂神社発祥の地である照山、、、、大岡越前も熱烈に信仰し江戸時代には伊勢講に次ぐ人気であった国内で唯一ダキニ天を祀る仏教の一拠点である豊川稲荷

道教、神道、仏教とこれら3箇所の持つ宗教的背景は全く異なっていますが、この三角地帯は何故か権現山を中心にが構成されているのです。

う~む、今までノーマークの権現山がポイントだな、、、

ここのエネルギーレベルが激低(げきひく)だと、まるでアリ地獄に引き込まれるかの如く周囲のエネルギーレベルも低下していくのではないでしょうか。名古屋のグループですら、その激低の波動によって踏み込めないのかもしれない、、、、だから、まず周囲のエネルギーレベルを活性化してから、、、という段取りなのかもしれません。

権現山(標高50m)には、きっと何かある!!!

今回、その辺の謎解きをしていこうと思います。

三角地帯00
(綺麗な二等辺三角形を描く)

確かに、権現山を中心にしたこの三角地帯及びその近辺には、不思議なことに謎が多く、歴史的にもエネルギー的にも何かしらの封印、あるいは何かしらネガティブなエネルギーが残っているような感じがします。以下、この三角地帯近辺の余り知られていない歴史を時系列順に列挙してみますと、、、、

■景行天皇の御所「高千(仙)穂宮」
紀元前3世紀~4世紀まで徐福末裔が住んだ東三河の大漢国(君子国・扶桑国)を初期大王家(騎馬民族スキタイ・カド族)が討伐した後に、本陣としていた照山(捕鳥山)の西側に、初期大王家の倭讃(景行天皇)が造成した「高千(仙)穂宮」があったと云われます。以上は語り部情報なのですが、この話は照山近くに住む古老の話とも一致しています。倭讃はここで徐福伝来の水銀鍛錬法、すなわち「不老不死」の仙薬の研究に励んでいたと云う。まぁ、最後には水銀中毒となってしまい大和へ帰京せざるを得なったのですが、帰路、そのまま猿投山で亡くなってしまったという。

■文武天皇の行宮(=仮の宮)
この三角地帯のスグ傍には豊川天女が舞い降りた地といわれる下条の「星野の里」(現・行明町)がありますが、ここには文武天皇(語り部によれば、高市皇子)の行宮があったと伝わっています。この地ならば、石巻に住んだ三輪氏族の三輪高市麻呂(大神高市麻呂、大神人神社初代神官、柿本人麻呂モデル)とも近く、親友であり得るのも納得いきます。

■南朝天皇の御所と城
権現山の南麓には「御所」という地名の場所がありますが、三河には「下佐脇の御所」「玉川御所」「十の宮尼御所」「三明寺の黒木御所」など十三ヶ所ほど御所があるといいます。現在、この権現山の御所には水平に移動する花火(綱火)奉納で有名な「椙本(すぎもと)八幡社」がありますが、かつてこの八幡社の地は南朝の寛成親王(長慶天皇)と正良親皇(松良天皇)が住んでいた「玉川御所」だったといいます。まぁ、南朝の天皇と云われる者は各地にあったので、この地に有っても不思議ではありません。また、この権現山の近くには南北朝の戦いの時には、曲輪、土塁、空堀で構成された和田城と嵯峨城があったといいますので、南朝方の高井主膳正の石巻山城が足利軍に侵攻されたことから、この地も一大激戦地となっただろうことは容易に想像できます。

こういった内容が一般的、いや東三河ですらあまり知られていないこと自体が、歴史の闇に埋没するように封印されていることの証ですが、この封印術によって、この三角地帯界隈のエネルギー発露が抑えられているのではないでしょうか?

い、いやそれ以上の秘密があるのではないか?

この三角地帯の中央にある権現山には、戦時中には豊川工廠を守備する高角砲陣地の砲台がありましたが、古墳時代には「権現山古墳群」という4世紀頃の前方後円墳が4基もあります。この時代、この形状からみて、徐福末裔の大漢国討伐後にこの地を治めた初期大王家と縁が深い氏族(中臣氏?)の古墳だと睨んでいますが、どうでしょうか?

この権現山の中腹には「緑野神社」があり、祭神として速玉男命・事解男命・伊邪那岐命・伊邪那美命が祀られています。創建は明らかでないのですが、鎮座している村名が「権現」となっていることから、相当古くより、この地に鎮座していたのではないかと考えられています。

緑野神社
(緑野神社)

ミドリの神社だすかぁ~

確かに、写真を見る限り境内には苔蒸したようにがいっぱいです。ただ、徐福末裔の大漢国、その後の初期大王家の壬生の地であった東三河の神社の名に「緑色」はあまり似つかわしくありません。本当に似合うのは「赤色」です。というのも、大漢国は国を挙げて戦いの神「蚩尤」(シユウ)を奉じていましたが、この「蚩尤」の目印は赤い旗なのです。また、東三河で起きた「壬申の乱」では、天武天皇はこの「蚩尤」の赤い旗を軍旗として使っていたというのもあります。
※註 壬生(みぶ)とは幼年期の養育係のこと。転じて養育地。

東三河には「赤」が似合うだす。
だって、赤味噌の国だから(爆)

しゆう
(戦いの神「蚩尤」 その後は祇園社の牛頭天王となりスサノウに習合)

それはさておき、祀られている事解男命(コトサカノオノミコト)とは余り聞かない神様の名ですが、この事解男命は日本書紀に登場する神であり、その誕生譚は以下のようになっています。

*****************************************
イザナギが黄泉国にイザナミに逢いに来き、イザナギの願いに応え現世に帰る準備を始めたが、その間絶対に姿を見てはならぬと約束したにもかかわらず、イザナギは待ちきれずにイザナミの姿を覗き見てしまった。そこにはかつての美しい妻はおらず夫「伊邪那岐命」の願いに応えるべく現世に帰る準備をしますが、その間絶対に姿を見てはならぬと約束したにもかかわらず夫「伊邪那岐命」は待ちきれずに妻「伊邪那美命」の姿を覗き見てしまいました。

そこにはかつての美しい妻はおらず、黄泉の国の食べ物を食べ穢れて醜くなった妻がいた。これに怖れ慄き、慌ててその場から逃げ出したが、約束を破って姿を見られた妻は怒り狂いながら、醜女たちと一緒に逃げる夫を追いかけるが、夫は逃げ切り、とうとう2人は現世と黄泉の国との境で永遠の別れとなります。この後でイザナギが吐いた唾から生まれたのが「速玉男命」、掃き払ったところから生まれたのが「事解男命」の2柱の神様です。

*****************************************

つまり、「事解男命」「速玉男命」も黄泉の国のモンスターなのです。

この事解男命を祀る神社には、文武天皇により同時に創建された掛川市の「三熊野神社」、御前崎市の「高松神社」、掛川市の「小笠神社」がありますが、いづれも祭神は伊邪那美命、速玉男命、事解男命の3柱だけであり、夫イザナギは含まれていません。これらの神社は熊野三山から勧請された逸話がある為に「遠州の熊野三山」とも称されていますが、これら神社には不思議なことに熊野三山の主神である「家津御子大神」「熊野速玉大神」「熊野夫須美大神」が一切祀られていないのです。

これはどう考えればいいのでしょうか? 

朝廷にとって遠州地方は「黄泉の国扱い」ということでしょうか?

しかし、この権現山の緑野神社には「遠州の熊野三山」より祭神が1人多く祀られています。「黄泉の国」から逃げ帰ったとされる夫イザナギが、この緑野神社では一緒に祀られているのですね。これだけ近隣なのに祀る神に微妙な差異があるのです。

この差異に何か意図的なものを感じます(ニヤリ)。

緑野神社に4柱が揃っていることが示すことのは、夫イザナギは未だ「黄泉の国」に居るということです。つまり、「黄泉返り(蘇り)」していないということ。このようにしてイザナギは「黄泉の国」の地に封印されてしまっているのです。ここに「蘇り(復活)阻止」の明白な意図を感じます。

まるで、アニメ『NARUTO』に出てくる屍鬼封尽(しきふうじん)を彷彿とさせるような封印ですw

屍鬼封尽
(九尾妖狐や大蛇丸を封じた「屍鬼封尽」)

更に謎解きは進みますw

元々、日本の古い神社がある地は神が降臨する地であるとして古くから瀬織津姫...等の縄文神を祀っていましたが、その神を持統天皇と藤原不比等がことごとく記紀の登場人物に変更していったのだと云われています。同様にこの権現山の中腹の緑野神社も祭神を変更させられた筈ですが、ここを「黄泉の国」のモンスターたちを当て嵌められている点が非常に意図的なのではないかと睨んでいます。別に天照大神でもいいのに、、、、、これは「何らかの基準」があって、当て嵌められたのではないでしょうか?

ポイントは、緑野神社では「黄泉の国」から脱出した筈のイザナギが、「黄泉の国」の住人と一緒に仲良くいるという点です。この4柱を祀る神社は他には、朝気熊野神社(山梨県甲府市)、阿須賀神社(和歌山県新宮市)の2社がありますが、いづれも熊野系の神社です。

やはり、熊野系は日本の裏(黄泉)を形成するネットワークなのか?

熊野川河口にある阿須賀(あすか)神社は古くは「飛鳥社」と称し、社殿裏にそびえる蓬莱山(標高48m)が御神体です。神社境内には「徐福宮」という徐福を祀る神社もあります。また、新宮市には「徐福の墓」がありますが、この墓の起源は元文元年(1736年)に江戸幕府紀州藩祖の徳川頼宣の命で設けられたものだといいますので、かなり意図的に、つまり、本来の徐福や蓬莱山を隠蔽する為にこの神社や墓が造営されたのではないかと睨んでいます。
※註 阿須賀神社の御神体の蓬莱山は、仙人が住むという蓬莱山にしては低過ぎるのです。多分、ここは徐福の上陸地の1つであると思われます。

阿須賀神社
(阿須賀(あすか)神社御神体の蓬莱山 右端の小さな社が徐福宮)

このように緑野神社と比べるとかなり大きな神社です。
しかも、この朝気熊野神社と阿須賀神社を一直線で引くと、なんとこの緑野神社の真上に来るのです。

熊野串刺し00
(緑野神社を串刺し 豊橋の「豊」のあたりが権現山)

これは緑野神社を串刺しにして磔刑に処したようなものです。

the-holy-lance.jpg
(イエスの脇腹を刺し生死を確認した聖槍「ロンギヌスの槍」)

この串刺しで緑野神社(権現山)のエネルギー発動を抑制し封印している。先住民族を象徴するのがイザナギやイザナミです。つまり、イザナギ・イザナミとは大国主系(出雲=縄文人=蝦夷=アイヌ=エブス人)のことを表しているのです。もう少し言えば、イザナギ=クナト大神、イザナミ=アラハバキ姫神ともいえるかもしれません。そのイザナギがこのラインによって刺されて「黄泉の国」に封印されているのです。

この封印術は誰が行なったのでしょうか?

それは多分、この地を管理した初期大王家の手によるものだと思います。語り部によると、初期大王家は景教(ネストリウス派キリスト教)を携えて渡来してきたといいますので、このロンギヌスの槍的なトドメ刺しの封印術は初期大王家に相応しい方法でしょうか(笑)。

この光景、ヤッズ★にはロンギヌスの槍で射抜かれた惣流アスカ・ラングレイが乗る「エヴァ弐号機」を彷彿とさせるのですが、どうでしょう?

ロンギヌスの槍
(背後に石巻山似のNERV本部もあるw)

弐号機は赤色の機体カラーが特徴ですが、これは徐福子孫が奉じた戦いの神「蚩尤」(シユウ)を表す赤色と同じですね。また前述しましたが、この赤い旗を使い大海人皇子(天武天皇)は「壬申の乱」を戦ったといいます。さらに、エヴァ弐号機の「弐」は「天武天皇」「文武天皇」「聖武天皇」らの初期大王家が贈名に使う「武」の文字と非常に似ています(笑)。

これは術を掛けた者の名でしょうか?
それとも、術を受けた者の名でしょうか?

緑野神社のある権現山一帯は高台の為、715年の三河大地震で三河湾が隆起する前にもこの地は陸地であったと思われます。多分、以前は715年以前は山の麓近くまで海が迫っていたと思われ、新宮の「阿須賀(あすか)神社」と同じような配置(海近くの山+神社)になっていたように思われます。また御神体の山の標高もほぼ同じです。

この地を「ロンギヌスの槍」で串刺しにして、活動エネルギーを停止封印化し、さらに徐福の目指した蓬莱山や徐福伝説諸々を徐福一行の三河到達前の出発地である新宮に矮小化して移すことで、漏れ伝わる伝承に対してもディスインフォメーションの情報操作で万全を期したようにもみえます。

そして、トドメにを補色(捕食)してにしてしまった(爆)。
※註 ロンギヌスの槍で射抜かれた後、エヴァ弐号機はエヴァシリーズに捕食(共食い)されてしまう。また、赤色の補色は緑色なのです!

つまり、「緑野神社」は補色(捕食)される前は、「阿須賀(あすか)神社」のように「蚩尤」を表す赤い色を主体とした神社だったのではないでしょうか。それとも、ここが本来の「阿須賀(あすか)神社」だったのかもしれません。で、徐福伝説とともに新宮に移されたというわけです。そして、惣流アスカ・ラングレイが串刺しにされたように豊橋の権現山にあった「阿須賀(あすか)神社」も初期大王家に串刺しにされ、捕食(補色)されて「ミドリの神社」とされた、、、ただ、これはアニメを元にした洞察(妄想)ですが、、、あまりにも符号し過ぎている。(合掌)

以上のことから大胆に推測しますと、、、、

ここは大漢国の地神祭祀の聖地だった?!
※註 最初は天武天皇の三河隠棲時の宮ではないかと睨んでいたのですが、大海人皇子(天武)の名と同じ「大海」という地名が新城南部の長篠にあり、語り部情報によると、大海人皇子の名は「凡海(おおあま)」氏の女性が乳母だったところから付けられたという。確かに、籠神社に伝わる国宝「海部氏系図」には海部直と凡海連の系図が載っており、ここに丹波国造建振熊宿祢の子(弟)として凡海連真磯-凡海連小橋-凡海連磯住-凡海連磯嶋と四代続いて凡海連の姓が始まっています。凡海郷は10世紀の百科辞典『和名抄』には丹後国伽佐郡(現在の京都府舞鶴市及び加佐郡大江町あたり)にあったとされる郷名ですが、伝説によると、大宝元年(西暦701)3月、凡海郷は三日三晩続いた地震により郷内の峯ふたつを残して海没してしまったといいます。その2つの峯が日本海に浮かぶ絶海の孤島・冠島(別名・雄島)と沓島(別名・雌島)だといいます。この陥没で住処を失った凡海氏は丹波国から東三河にやって来たのかもしれません。そしてその地が「大海」と呼ばれ、大海人皇子の隠棲地だったのではないかと考え直したのです。

大国主(出雲=蝦夷=アイヌ=エブス人)は、日本へ渡来して来た者たちに対し、巫女を国のトップに立て地神を祀ることを条件に日本への定住を認可したといいます。これが「天女伝説」の元になったといい、出雲王がトユケ(豊受)大神と呼ばれた理由だと語り部はいいます。ですから、当然、徐福末裔が繁栄したこの東三河にも地神を祀る聖地があった筈で、それが権現山なのでなないでしょうか。

その後、その東三河を日本が漢人国家となるのを危惧し、大国主系が初期大王家を日本に招き、この徐福末裔の大漢国を撃たせて、その後数百年の間、この権現山近辺は初期大王家及び大国主系の共同管理地となったと推察しています。

さらに後の世は、この聖地は初期大王家から吉野熊野経由で南朝にまでつながる、吉野熊野の拠点となったのではないでしょうか。それ故、吉野熊野に繋がる南朝の宮や城があった。

天武天皇がペルシャ風の都として整備したのは大和の飛鳥ですが、アスカとはヘブル語で「住居」の意味を持つ「ハスカ」から来ているといいます。即位前の天武天皇は吉野に道教修行と称して密議に出向いたように吉野熊野とは密接な関係を持っていましたので、この東三河の権現山の地神を祀る聖地で后にした巫女の額田女王と一緒に住んでた可能性があるのです。よって、この地がアスカと呼ばれ、アスカ社と呼ばれてもおかしくはないのです。つまり、「緑野神社」はかつては「阿須賀(あすか)神社」であっただろうという大胆な推測です。

しかし、天武天皇は壬申の乱で勝利した後、負けた西国豪族に東国の封をしたりといろいろと東国西国のバランスを取る為に苦慮している。律令国家推進の大号令の下、今までの巫女前面に立て三王朝代表制の王君制を廃し、絶対君主制の中央集権化をした。これが天武天皇が史上初めて「大王」を改め「天皇」と名乗った理由ではないでしょうか。

王権の絶対化を推し進めるには、東三河が徐福末裔の大漢国だった過去を抹消し、地神を祀る巫女制自体の痕跡を物理的にも霊的にも完全に歴史の闇に葬る必要があったのではないのでしょうか。その一例として、奈良桜井市で地神を祀る御諸山(現・三輪山)は、壬申の乱で戦績を挙げた大物主系物部氏族三輪氏系の大神高市麻呂(三輪高市麻呂)に神官移行して、御諸山は三輪山へ、王邇波神社は大神神社へと名称変更させたのでしょう。

だから、緑野神社も徹底的に封印し捕食(補色)する必要があった。
※註 出雲の前身が毛野国(現・群馬県、武蔵国)ですが、壬申の乱に向けここに多くの軍馬を養成したと語り部はいいます。この毛野国には「緑野郡」という古墳の多い地帯がありますが、「緑野神社」の「緑野」は本当はここと関連が深いのだとも睨んでいます。日本書紀には大和朝廷の在地の豪族の土地接収と監視のため「緑野屯倉」が設置されたと記されている。

その結果が新宮への「阿須賀(あすか)神社」遷座や徐福の墓の創建、蓬莱伝説の紀伊半島への移行導入だったのかもしれません。元来、飛鳥と関連の無い新宮にアスカ社があること自体に疑問があります。ただ、この阿須賀の「須賀」は、砂洲、砂丘、砂浜など、砂がたまるところを意味する古語の「すか」から来ているといいますが、それならば「すか神社」とすべきところが、何故か「あすか」となっているのです。当然、この地は天皇の住居「ハスカ」とは全く関連の無い土地柄なのです。

これが天武と東三河を関連付けさせないダブーの全貌でしょうか。

このタブーによって、壬申の乱は東三河では無く琵琶湖周辺で起きたことにされたり、持統天皇の兵を連れた三河行幸の詳細が一切書かれていない理由だと睨んでいます。とにかく、東三河と天武を結び付けるものが一切あってはならないのです。真実が知れることによって封印術が解かれてしまうからです。

さらに、この封印術は全国展開していきます。

初期大王族(スキタイ・カド族)の天武天皇は、壬申の乱を起こす前、作戦協議の為に道教修行と称して吉野に行ったことは記紀に書かれた通り有名な話ですが、この日本の裏権力ともいうべき「初期大王家-吉野-熊野-道教-ヤタガラス(初期大王家に恭順した徐福末裔)-新羅-修験道-南朝」勢力の聖地や由縁の地、つまり、全国に3000社あると云われる熊野系神社に対して、自分が頼りにしたことでその真の力を知り、逆に、この存在が自らが進める中央集権化の律令国家の足かせとなることを悟り、高市皇子考案の「黄泉の国」のモンスターを祭神化させて弱体化させるよう仕掛けたのではないでしょうか。

熊野系神社(元来、縄文の神を祀り道教色の強いと睨んでいるが、、、、)、こういった神社には「速玉男命」「事解男命」の黄泉神をあてがうことで、その存続を許したのではないでしょうか。それが那智の熊野三山、遠州の熊野三山、その他の熊野系神社が黄泉の国のモンスターを祀っている理由ではないでしょうか。それとも、もともと影の勢力だったから、それにふさわしい神を当て嵌めたのか、、、、、

照山や石巻山のエネルギーレベルがダウンして荒廃していったのも、この権現山にあった初期大王家に連なる吉野-熊野系の拠点を上記の「ロンギヌスの槍」的結界封印術で封印したからではないでしょうか。その活動停止状態に追い込まれた封印術に引きずられる格好で、照山や石巻山がパワーダウンしていったのだと睨んでいますが、、、、どうでしょう。

東三河には何故か熊野系神社が多く存在しますが、愛知県豊川市牛久保の駅前の長山熊野神社の由縁にはこうあります。

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「牛窪密談紀」は、「崇神天皇の時代に紀州の牛間戸という湊から徐氏古座侍郎が舟を泛べ、三河国の御津(宝飯郡御津町)あるいは、澳の六本松(場所不明)というところに着き、本野ヶ原にある常寒(とこさぶ)長山の里(豊川市下長山町)に熊野権現を勧請した。徐氏は、常寒長山の里に住み、一粒の種で百倍もの作物をなして館を建てた。周囲の人は、徐氏を尊敬した。長山の神(熊野権現)は、霊験あらたかであり、『常に天地長久を護り給う』ゆえ、三河国宝飯郡牛窪郷を常寒と呼ぶようになった」と記す。

一般に、この地方に、熊野神が勧請されたのは、平安末頃といわれる。平安時代に国司が月次に国内の神々を巡拝する際に用いたリストに「国内神名帳」がある。「三河国内神名帳」には、長山熊野権現の名は見えない。縁起及び「牛窪密談記」は、欽明あるいは崇神の頃に勧請したというが、おそらく、鎌倉以降のことと考えられる。なお、牛久保八幡社(若宮殿)は、神名帳に三河一宮砥鹿神社より上位に記載されている。

しかし、当社の由来を記した『弁才天縁起』は、「その昔、熊野神社境内に弁財天の社宇があったが、いつのまにか社宇もなくなり、田地と化していたところ、子の病気平癒を弁財天に祈念していた母親の夢枕に弁財天が立ち、社宇を建立せよとのお告げがあった」と記す。また、牛久保、長山あたりは、『和名抄』の「宮島郷」とされる。安芸の宮島には、厳島神社が鎮座する。祭神は、弁天堂と同じく、市杵島姫である。「宮島郷」は、弁天堂にちなむものと思われる。となれば、長山熊野神社の地には、もともと、弁財天社が祭られており、その後、熊野権現が勧請されたと考えられるのである。


■長山熊野神社(全国熊野神社参詣記)
http://www.mikumano.net/zaiti/toyokawa.html
***********************************************

以上より、睨んだ通り熊野系神社と徐福の縁が深いことが分かりますね。
※註 熊野は一般的には「くまの」と読んでいますが、しかし、和歌山県の御坊市の熊野神社の熊野は「くまの」ではなく「いや」と読ませています。「いや」といえば揖夜神社という出雲の最古社があります。主祭神はイザナミで、他にオオナムチ、スクナヒコナ、コトシロヌシといいます。つまり、「いや」=イザナミと考えられます、ここに奉納されるワラで出来た蛇は「アラハバキ」と呼ばれているのが面白いですね。出雲族の本当の最高神は大国主命ではなく熊野大神(クナト大神)であり、大国魂神社の鴉団扇と熊野三山の鴉のいずれも熊野大神に源を発するといいます。鴉は徐福末裔を示す暗喩だと語り部はいいますので、クナト大神と深いつながりがある?

からす扇
(祭りの日だけ販売される鴉団扇)

確かに、神武天皇を導いた3本足のヤタガラス(日本サッカー協会のシンボルマーク)は、熊野三山のトーテムとしても有名ですが、語り部は、このヤタガラスは初期大王家に恭順化した徐福末裔を表しているといい、元はスリーマンセル(3人1組)で行動する黒づくめの鵜飼匠の姿から「3本足(スリーマンセル)」「ヤタ(大きな)」「ガラス(海鵜)」という形で描かれるようになったといいますので、熊野系神社と徐福は関係が深いのは当然なのです。

ヤタガラス00
(熊野神社のヤタガラス)

安芸の宮島にも弁才天が祀られていますが、以前、煩フル記事でも指摘したように、この弁才天はアラハバキ神(女性原理)信仰を禁止された先住民族が替わりに祀っている神なのです。豊川という非常に水と縁の深い地にアラハバキ神が祀られていると考えるのは納得がいきます。

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大和朝廷に竜蛇信仰を禁じられた出雲族はそれまでの「アラハバキ姫神」と「クナト大神」を信仰する代わりに「弁才天」と「不動明王」を裏信仰としたが、これは弁才天は出雲系の宗像三神のイチキシマ姫と習合されていたからだといます。
※註 イチキシマ姫は宗像大社の中津宮という島に祀られる。厳島神社の祭神ともなっており、「イツクシマ」という社名も「イチキシマ」が転じたものとされている。後に仏教の弁才天と習合された。

■封印された神を解く(4)
http://aioi.blog6.fc2.com/blog-entry-1682.html
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語り部や「牛窪密談紀」がいうように、東三河こそが徐福末裔が住んだ地なのですが(笑)、大国主族(エブス人=アイヌ)に地神である男性原理のクナト神、女性原理のアラハバキ神を祀ることを条件に日本定住を許されたとなると、元来、緑野神社には「男性原理」を表す「クナト神=熊野大神=蔵王権現」が祀られていたと考えるのが正しいでしょう。

やはり、この地の封印解きエネルギーを活性化するには、緑野神社の祭神を元の蔵王権現に戻して祀る必要があるのでしょうか? それとも、前回記事のKaraでの洞察通り、「蔵王権現」は既に御世出づが決定しており、もはやそんなことをせずとも、この封印は破られる時が近づいているのだろうか?

いよいよ蔵王権現(クナト大神)現るか?

そんな緊迫状況の中、韓国のPOPアイドル「大国男児」が2011年2月に日本でメジャーデビューすると発表があったといいます。しかも、来年2月と云えば、欧州で人気のマヤンカレンダから導き出されたコルマン・インデックスの最終サイクル「第9サイクル」開始の時と同じなのです(爆)。
※註 第9サイクルは「覚醒」がテーマです。


(「大国男児」という名が凄いw まさに大国主の顕れ 蘇ったばかりでフラフラなのだなw)

大国と云えば、当然、大国主であり、日本の先住民の縄文人・蝦夷(アイヌ)です。つまり、大国主=出雲=クナト神=熊野大神=蔵王権現です。
※註 もう少し云えば、蔵王権現=艮の金神=日月の神=サナトクマラ=ミトラ神=弥勒=ヤマタノオロチ=ムルガン神(ガネーシャの弟)=ルシファーですw

や、やはり蔵王権現復活するのだな、、、(爆)

蔵王権現00
(シャイな笑顔のミスター蔵王権現)

■総本山金峯山寺蔵王堂(東三河高天原ブログ)
http://plaza.rakuten.co.jp/tremblay/diary/201006120000/
(蔵王堂の三体を元の御姿・真実の御本尊さま...の御姿であると言う時に、初めて世界の信仰の中心「国軸山」の総本山金峯寺蔵王堂となるという。ここではイザナギ・イザナミを封印したのは天武天皇となっていますが、これは奇しくもヤッズ★の妄想とは同じです。)
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Comments

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こんにちは。今、ふと思ったのですが、現在、トイレの表示などで、男性は青色のマーク、女性は赤色となっていますが、もともとは、赤が男性を象徴する色で、青が女性を表していたのでしょうか?石川遼くんの赤パン!に期待してしまう!蔵王権現も真っ赤にして、厳島神社の鳥居は青くするとか?~ちがうかなあ?とりあえず、息子に赤を着せてみようかな。

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