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トランブレーみゆきさんが感得した照山にあるというの話ですが、前回、ヤッズ★の洞察内容の最後に「道教の銅鏡でどうでしょう?」というオチを書くのをすっかり忘れてしまった(がはは)。よく考えれば、今、みゆきさんに降りてきている神はどうみても日本の神、特に縄文系の自然神や国津神のようですし、中国系の銅鏡を「大切なもの」と云う筈はないのです。

ここでもう一度、鏡について洞察してみます。
下記がみゆきさんの鏡に関する内容なのですが、、、

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あの山には(照山)大切なものが隠されている。
それは天の神々とまた、石巻山を繋げる媒体、役目をしていたものなり。
照山は復活する。
そなたの光を照山に送って欲しい。
光が照山を包み込み、照山が復活した姿を強くイメージするのじゃ・・・

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実は、この内容は照山頂上でみゆきさんから携帯で見せてもらっていました。もっと長い内容だった気がするのですが、何故だかわからないけれど、内容を余り詳細に覚えてないのです(汗)。前回の日記を読んで貰えば分かるように、後からでも、その時の状況をかなり明確に記述できる自信があるのですが、あのメール読んでる時には、揺らぐような目眩が、、、、で、内容をはっきり覚えていないw

で、解読のポイントはズバリここです。

「天の神々と石巻山を繋げる媒体、役目」

さらに、ここに盤坐...等の「縄文巨石文明」を加味した場合、
浮かんでくる答は、、、、

ズバリ、鏡石です。

で、その役目は縄文灯台(縄文光通信)でしょうか!?

これが「天(太陽)と地を結ぶこと」ではないでしょうか!!!
宮司さんの推測は全くもって正しかったと思います。

火と水のエネルギーが融合するのが「不二の仕組」であるといわれますが、漢字の外形からも火(5)と水(6)の次ぎは光(7)になっています。この光の発動がみゆきさんに課せられているのではないでしょうか。石巻山で発した光を「右から来たものを左へ流す」ように、照山経由で本宮山に流すのです。

石巻神社の「奥の院」はコノシロ池の手前にありますが、この社には六芒星が刻まれた金属板が祀られています。六芒星は6角形であり、水エネルギーを象徴してるように思えます。ということは、火と水のエネルギーが交差する石巻山の場合、どこかに火のエネルギーを象徴する五芒星が存在するのではないでしょうか!

ヤッズ★が睨んでいる場所は、かつて頂上にあったというです。強風で吹き飛んでしまい現在は無くなってしまったのですが、かつて石巻山頂上にあったといいます。波動に敏感な方の話では、石巻山は山の中腹から急に波動が変わるそうですが、それは山の中腹から石灰岩が多くなり急激にゴツゴツさ増すからであり、石巻山の場合、この下層の石灰岩が地層を突き破って表層にまで露出している為に、途中から急勾配が始まるあの独特な形態となっているのです。エジプトのダハシュールの屈折ピラミッドとは逆なのです。
※註 ダハシュールには「赤ピラミッド」と「屈折ピラミッド」がありますが、これらは木星と土星の体積や比重を表しているそうです。ギザの三大ピラミッドも同様に星との対応があり、実はこれらのピラミッドは同時に作られたともいう。

屈折ピラミッド
(ダハシュールの屈折ピラミッド この角度は意図的です)

まぁ、石巻の地は下の岩盤が上の岩盤を突き破って露出してしまうぐらい「地のエネルギー」が強い場所なのでしょう。ちなみに、コノシロ池の湧水はこの異なる岩盤の境目から湧出しています。

「縄文夢通信」の渡辺豊和氏によると、日本の古くから聖地と知られる山々には人工石としか思えない巨大な岩がゴロゴロしていているといいます。これが「鏡石」と呼ばれる石です。この「鏡石」は研磨して製作されたものなのですが、何故こんな山頂に人工石があるのでしょうか?それは単なる信仰のためではなく、この「鏡石」こそが縄文人が日本全土に張り巡らした光通信用の設備だったという推察です。

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渡辺 豊和

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この推察の元となったのは、富士山、白山、三輪山、大和三山、京都御所などの霊山を結ぶ線が上手い具合に繋がることを不思議に思った渡辺氏は、一縄文里は1620mですが、富士山を基点として、十縄文里(16.2㎞)で日本地図に菱線で構成する正三角形の網目を描くと、三輪山、大和三山、白山、木曾駒ケ岳、那智山、太郎坊などメジャーな山がすべて、その格子状の菱線上に乗っかるのです。しかも、そのラインは東西軸から南北それぞれに30度傾いていて、これは山の頂上からは見た場合の冬至・夏至の日の出と日没の線上になるのです。

狩猟採集が生活の糧である縄文人たちは、夏至と冬至の日を知る為に各地の山上に鏡石を置き、この山々に光を反射する鏡石を東西軸に平行に置き、日の出と共にその光を遥か彼方のまだ日の昇らない山々へ伝えたのだろうと推測しています。つまり、これらの山々は年に二度、冬至と夏至の日になると不思議な光に包まれるわけなのです。その証拠に、各地に暗闇のなかで山頂が光ったという伝承があるといい、光通信の一大拠点と目される奈良の三輪山は山頂がよく光ったので光明山の別名があると言います。

■縄文人国家と現在文明 縄文人が解れば現在が解る(引用元)
http://tonko.photo-web.cc/bunarintokodaisi/jiyomontoasuka/4/jiyomontogenzai.html

奈良にある大和三山(畝傍山、香具山、耳成山)は、縄文人が築き上げた人工の山であるとも云われていますが、その理由は、畝傍山、香具山、耳成山は丁度、二等辺三角形を為すように位置し、その二等辺三角形の中線は、縄文時代の神の中心の山とされる三輪山を正確に通過しているのです。この人工造成説の真偽は分かりませんが、多くの古墳を作った古代人にとっては普通の技術だったのかもしれませんね。

つまり、縄文人は日本列島全体に無数の小ピラミッド型の山を作り上げるほどの土木技術を持ち、それによって作られた光通信設備を運用していたということになるのでしょうか。あの質素な家を見る限り、そこまでんも土木技術はなかったのかもしれません。

ただ云えることは、丁度いい位置に聖地や山が存在しているという事実です。この幾何学的不思議さが物語るのは、縄文人が光を使って次々と位置を定め、各地の聖地を造成をしていったということです。光の反射によってその進路は必ず一直線になりますが、どうやってその鏡の角度を正確に東西線に対して30度傾けて設置できたのか謎は深まります。

しかし、単に夏至・冬至を知るだけならば、ここまで大規模な設備を作らずとも平地に設置した精密に作った測定器でこと足ります。そこには、何かもっと大きな秘密があると思うのです。

実は、この関係、石巻山-本宮山-御津山についても言えるのです。

「ほっとい亭」で買い求めた『石巻山の神秘と自然』によれば、この3つの山が構成する二等辺三角形のほぼ中線にあたる照山から御津山に一直線のラインを引くと、正しく三輪山の方向を向いています。また石巻山頂と第一の鳥居を結んだラインも同様に三輪山を指しているのです。

石巻山には、夏至の遥拝所である八名東頭神社と、冬至の遥拝所である石巻神社(下社)、春分秋分の遥拝所の箆矢神社社がありますが、石巻山を中心にこのような三重円構造を為しているのです。この三つの輪が「三輪」の名の発祥かもしれません。近くには三輪川もありますし、大池を挟んで遥か彼方に石巻山を望む地は三ノ輪町と呼ばれ、ここにも石巻神社があります。

ここで少し話が脱線しますが、三輪について書き記します。

この石巻山一帯を治めたのが三輪氏であり、石巻山はかつては「神山」と書き「みわやま」と呼ばれたのです。奈良県桜井市の三輪山の麓にある大神神社は「おおみわじんじゃ」と読みますが、ここに深い繋がりを感じさせ、石巻山が三輪山の元宮と云われるのは、こういう証拠からも云えるのです。

また、語り部によれば、天武天皇が青年期を過ごした壬生の地である東国(東三河の石巻山麓)を治めていた大物主系物部系の三輪氏族の三輪高市麻呂(大神高市麿)が、蘇我の後を継いで大神神社神官になったのだという。石巻山麓の「神」(みわ)から政権を奪った天武天皇に呼ばれ、奈良に移動し「大神」(おおみわ)と称したのではないでしょうか。
※註 三輪氏系図・・・三輪文屋-三輪利金-三輪高市麻呂

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三輪山は、御嶽を行う地神を祭る場所で、三王朝時代に出雲・大倭・小治王朝が各1箇所ずつの場所で男子禁制で行いました。入鹿暗殺後、天智天皇(倭智)に対する民衆や豪族の反抗を抑える為に、蘇我入鹿(鞍作毛人)の息子の太田田禰子(鞍作田根子)を王邇波神社(後の大神神社。王邇波=鬼は・・外)神官に迎えさせ反抗を鎮めた。天武天皇の支配が始まると、壬申の乱で功績のある大物主系物部氏族三輪氏系の大神高市麻呂(柿本人麻呂モデル)に移行し「大神神社」に社名変更。
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記紀では三輪氏の祖は太田田根子となっていますが、完全にスリ替が行なわれていますね(爆)。鞍作毛人(=蘇我入鹿)の次男が太田田禰子であり、その子が賀茂氏の祖・神(カムイ)虫麻呂【役小角モデル】です。ここに初期大王族の分家・尾張氏に繋がる物部氏系の三輪氏が入リ込む余地はありません。そうまでして蘇我の痕跡を消したかったのでしょう。
※註 語り部によると、「大物主」とはスクナビコナ(少彦名)のことであり、これは初期大王家に繋がる扶余王族八名のことであるという。ちなみに「大国主」とはオホナムチ(大己貴神)のことであり、出雲王朝を興した先住民族の蝦夷(アイヌ=エブス人)のことである。

前世が役小角だったというみゆきさんが、大神神社、葛城や豊橋の賀茂神社に縁があるのは、きっとこういった縁起からでしょう。また、現在の三輪山の大神神社の奥宮が石巻山であるという縁起もこの大神高市麻呂の逸話からきたものでしょう。

大神高市麻呂は、別名、三輪高市麻呂ともいい、壬申の乱では天武方につき南大和での「箸陵の戦い」で大いに手柄を立てたといいます。持統天皇が伊勢へ行幸時には、農繁期の妨げになることを説いて行幸の中止を諫言しているが、女帝に聞き入れられず、再度諫言して中納言の重職を辞した。その後10年間は消息不明であるが、のちに長門守になり、慶雲3年(706)左京大夫従四位上にて亡くなったというが、石神の海での水刑死であったともいう。壬申の年の功により従三位を追贈された。

一方、柿本人麻呂は『万葉集』第一の歌人と呼ばれ、万葉集にのみ名が見られる人物で持統天皇の即位から崩御の頃まで活躍した宮廷歌人であったとされていますが、実は宮廷歌人という職掌が持統朝にあったわけではなく、結局、人物不明なのだという。持統6年3月3日に伊勢行幸を諌め、中納言の位を辞した三輪高市麻呂の行動と柿本人麻呂がこの年以後、天皇の行幸に同行していない時期が一致する根拠から、同一人物説があります。また、「いろは歌」の「咎無くて死す」とは、藤原不比等に邪視され水刑死した柿本人麻呂=三輪高市麻呂のことが暗号として隠されているともいう。

■人麻呂=高市麻呂の証拠
http://www.geocities.jp/yasuko8787/z223.htm

石巻周辺は日本一の柿の生産地ですが、この地出身の三輪高市麻呂が柿本人麻呂という「柿」の名が付く仮の名で万葉集に載せられたことは、時空を超えたシンクロさを感じます。

ただ、この神官交代も天武朝の頃(700年頃)の話であり、それ以前の縄文時代から、三輪山は聖山として祀られていたようなのです。ということは、その間の期間である邪馬台国の頃も、当然、三輪山は聖地となっていた筈です。というのも、この国に帰化する条件として課されたのが、御嶽神事(古神道)を受入れ実施することだったからです。三輪山の変遷はこのような二重三重の聖地化の上塗りで非常に分かり難くなってしまっています。ただ、未だ社殿を持たぬことから、当時の方法を継承し遵守しているのか? そうならば、巫女制でなければならないのだが、、、、
※註 語り部によると、邪馬台国は東三河の君子国や扶桑国に憧れ、遥々、中国大陸から日本に渡ってきた長江出身の中国系渡来人=「弥生人(倭人)」の国です。初め九州にあり、もっと近いところへと移動して大和の地に来た。当時の奈良盆地は大きな湖があり、邪馬台国は「水の都」と称された。

それ程までに、この国が御嶽神事を必要とする理由は何なのでしょうか?

それが縄文灯台、つまり、縄文時代から続く光ネットワークなのでしょう。
つまり、どこかの山頂で祭祀が行なわれなくなると、このネットワークは機能しなくなるのです。

東三河の鏡岩だと云われるのが、「額岩」です。周囲を高い山に囲まれていますが、不思議とこの大岩からのみ浜名湖を望むことができます。この「額岩」と呼ばれる鏡石は、石座神社の奥の院とも言われ、石座神社と石座石のほぼ延長線上にあります。しかし、この岩のある場所は急傾斜であり祭祀には不向き、っていうか出来るような場所ではないという。その昔、鏡状の岩に太陽の光が浜名湖に反射してシラス漁ができなくなったと漁民が来て苦情を呈した為、明治年間に岩の表面を削り取ったといいます。

この山上間光通信施設、単に研磨した石だけで機能していたとは思えないのです。

瀬戸内海の尾道には「玉の岩の伝説」がありますが、この玉の岩とは千光寺境内にある巨岩です。この岩の上部には「光る石」(直径19センチ程の玉)が填められていた痕跡があるといいます。そして、この穴に填められた岩の光が夜も自ら明るい光を放ち、近くにあるという鏡岩に反射して海を照らし、島を行き交う船の安全を見守っていたというのです。

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■玉の岩伝説
中国皇帝の命令で、光る玉を探しに、日本にきた2人の男が瀬戸の海を小舟で進んでいた。月明かりの中、山腹に青く光る物を見つけた。登ってみると大岩で、全体が光を放ち、岩の先端は不思議なほど青かった。イメージ絵 あくる日、そばの寺の和尚に岩を売ってくれと頼んだ。和尚は、こんな大きいもの持ち帰れまいと笑ったが金貨を見せられて承知した。2人はツチとノミで一番光る部分を切り取った。船の道しるべだった岩は光らなくなった。イメージ絵 男たちは天にも昇る気持ちで、光る玉をかついで山を下りた。小舟から本船に移ろうとした時、船が傾き玉は転がって海に落ちた。今でも、尾道水道の底に眠っているという。尾道を玉の浦、千光寺を大宝山というのはこの伝説に由来している。

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また、冬至の日の昇る太陽の光が鏡岩に当たって西国寺のタンク岩を照らすとも言い伝えられてきたのですが、その鏡岩がどこなのか全く分からなかったのです。ところが2000年、千光寺客殿裏の岩山にある松が枯れたため、それを取り除いてみると、そこに円く磨かれた岩を発見。これが鏡岩だったのです。この岩は麓からでも浄土寺山や西国寺山からでもよく見える位置にあります。

■尾道に関する考察3 鏡岩と玉の岩 (1)千光寺山の玉の岩と鏡岩
http://www.geocities.jp/celeste4851/onomichi/tamanoura/tama1.htm

鏡岩
(高さ7mの位置に直径2mの円形の鏡岩)

この鏡石の形態は、ヤッズ★が石巻山を霊視(妄想)した1つ目と似ています(爆)。
もしかしたら、石巻山にも1つ目(鏡石+光の玉)が隠されているのかもしれませんね。

石巻山ss
(石巻山)

その他にも、古代ピラミッドとして有名な広島県庄原市の葦獄山には、大正初期には屏風のように並んでいたという石柱がありますが、その中の「獅子岩」は冬至のときの日没方向を向いていて、かつては「神武岩」の上の穴に光る玉がはめ込まれており、その光る玉の光が鏡岩に反射していたという。

■日本ピラミッド・葦嶽山(鬼叫山の巨石群)
http://homepage.mac.com/motoiaraki/hiba2/pira2.html

このように鏡岩には、それに光を供給する光の玉とセットで設置されています。

しかも、その光の色は青いのです。
このことから、光の玉とは「黒曜石」製じゃないかと睨んでいます。

古代、縄文人が情熱を注いで探していたのが黒曜石ですが、黒曜石は鋭利な為、矢ジリとして使用されていたことはよく知られています。現在でも手術用のメスとして使われている程に鋭利であり、こういった実用的なもの故、情熱を持って捜し求めたのでしょうか?

日本の場合、良質な黒曜石は、伊豆諸島神津島、和田峠、十勝の3箇所程度ですが、全国には70箇所の産出地があるといいます。後期旧石器時代(紀元前2万年)の南関東の遺跡で伊豆諸島神津島の黒曜石が発見されましたが、それは、なんと200kmもの距離も離れた野辺山の地から運ばれた黒曜石だったのです。

高原山黒曜石原産地遺跡群は日本最古の黒曜石採掘坑遺跡だと云われ、氷河期の寒冷な時期に人が近付き難い当時の北関東の森林限界を400mも超える標高1,500m近い高地で黒曜石あが採掘されていたのです。縄文人の執念を感じさせる話です。さらに不思議なのは、黒曜石分析の結果、和田峠でも麦草峠でも神津島でもなく、日本中どこの黒曜石産地とも成分が一致しない謎の原産地の黒曜石がたくさんみつかっているのです。縄文人は海を丸太船で南米の今のペルーに渡ったとも言われ、ペルーでは今から6000年前縄文土器が見つかったとか、ペルー古代人と縄文人が同じDNAだという話もありますので、縄文時代は従来の石器時代の概念を覆すような活動・交易範囲の広さ、効率的な作業...等が判明してきて、俄然、注目が集まっているのです。

この黒曜石はサウジアラビアのメッカにある「カーバ神殿」の黒石としても有名です。カーバは多神教の祠のようなもので、ここに設置されている黒曜石はアラビアの歴史の中ではアニミズム時代に取り入れられたものです。縄文人も古代アラビア人も黒曜石に心惹かれ、何らかの神秘性を感じていた不思議な鉱物なのです。

カーバ神殿kaaba_art.jpg
(カーバ神殿の東南角にはめ込まれた大きな石が黒曜石)

実際、オブシディアン(黒曜石)には不思議な力があるといいます。

古代マヤではオブシディアン(黒曜石)には、持ち主を強い守護の力でネガティブなエネルギーから守り、他者からの邪念や悪意を撥ね退けたり、悪いエネルギーを浄化する力があると信じられていたのです。また、全ての本質を見通す力を与えてくれ、未来を切り開き、強いエネルギーを与えてくれるパワーストーンとして広くマヤの家庭に浸透しています。

黒曜石で有名な和田峠から近い上田市にある深井総研という会社が、水の改良に黒曜石を使ってみたら、とてもふしぎな現象を起したという。マイナス電荷を帯びた黒曜石に勢いよく水分子がぶつかると、水は細かくなると同時に高エネルギー状態になります。水道圧を使って黒曜石に摩擦させることにより、より還元した水しているといい、細かく元気になった水分子が塩素などを包み込み、カルキ臭などもなくなるという。また、この「創生水」はエマルジョン燃料の乳化剤として使用されている化学物質(界面活性剤)に負けない界面活性力を持った水であり、そのままで簡単に油と混ざり合い(エマルジョン)し、燃料代を削減しつつ、CO2も削減するというのです。

■深井環境総合研究所株式会社
http://www.fukaisouken.jp/

また、この黒曜石を磨き、鏡のように用いることで魔除けや占いにも使われます。黒曜石の鏡は紀元前6000年の遺跡(チャタルホユック遺跡)からも出土していて意外とその歴史は古いのです。この黒曜石の鏡は「姿の代わりに影を映す」奇跡の石だとも云われ、魔術では真っ暗な部屋でキャンドルを灯した状態でスクライング(透視)ミラーとして「黒鏡」が使われます。「黒鏡」は通常の鏡と異なり、映し出した人間の無意識や潜在意識などの意識深層を映し出すからだとの話です。水晶は人を選ぶと云われるように相性がありますが、「黒鏡」にはそのような癖は無いことから、初心者向きだとも言われています。

黒曜石の鏡黒鏡
(左:黒曜石の鏡 右:魔術の黒鏡)

現在、わが国で黒曜石の鏡は出土していませんが、秋田県のある村の古い神社には非公開の石の玉や鏡が存在するらしく、そこには「鏡は黒曜石製」であると書かれているという。(「黒曜石資料室」より引用)

■天然ガラス・黒曜石の崖と鏡と水和速度
http://www.tic-mi.com/publ/essay/terai/0211terai.pdf

※註 この情報の出元は、「秋田県仙北郡協和町の唐松神社(天日宮)に古代史に関する文献があるという噂はすでに戦前からあり、同社に伝わる神代文字の祝詞が公表されたこともあった(小保内樺之介『天津祝詞の太祝詞の解説』)。しかし、その歴史関係の文書はなかなか公開されることがなく、ついに一九八四年、物部長照名誉宮司の英断で、その内容の一部が示されることになったのである(新藤孝一『秋田「物部文書」伝承』)。... ニギハヤヒは天より降りる際、十種の神宝を持ってきたという。『先代旧辞本紀』は、十種の神宝について、死者をも蘇生させる霊力があると伝える。現在、唐松神社にはその内の五種、奥津鏡・辺津鏡・十握剣・生玉・足玉が残されているという。進藤孝一はそれを実見した印象として、次のように述べる。「十握の剣は鎌倉時代になって作られた物のようである。鏡は黒曜石製、玉は玄武岩のような固い、黒い色をした石でできている」(『秋田「物部文書」伝承』)」ですね。(「物部文献が語るニギハヤヒの東北降臨」より引用)

以上のことから、照山の鏡は黒曜石の鏡(レンズ状の玉)であると推測しています。

ドクタ~情報では、日の出の何分間の間は、山頂に設置した黒曜石に太陽光が当たると、そこに励起電流が発生し、黒曜石のネックレスを身に付けた縄文人が空間を介して、そこからエネルギーを伝播して受け取っていたとか、、、、ちょっと信じがたい話ですが、縄文人のテクノロジーは侮り難いのです。

縄文時代の遺跡には何故か武器や兵装が出土しない為、数千年間、全く戦争がなかったと推測されていますが、これは世界の歴史上、稀有のことなのです。山上間の光通信による光パルスは脳幹を刺激し、住民を集団的に刺激して集団的な意識改革を図っていたといいますが、この脳間パルスによる意識レベル向上によって、エゴの発露を抑え、争いを起さない社会を作り出していたのでしょうか!

とすれば、これはマインドコントロール装置ですね。
しかも、エネルギー伝達もするという、、、、

縄文灯台とは、まさに縄文版HARRPだったのです。

HARRP
(気候操作も洗脳もエネルギー伝達も可能なHARRP)

縄文時代は世界で一番古く、この太古の時代に文明を保ちえた唯一の文明として知られています。逆に他の地域では、文明を持ち得ないことから、人類の意識状態は蒙昧だったのではないでしょうか。つまり、これがロボット人間や家畜人ヤプーでしょうか。この時代、地球に何か起きていたのかもしれませんね。ただ、縄文時代の日本だけは「縄文版HARRP」によって、国土がバリア保護されていたからこそ、蒙昧の意識に落ち込まず、高い文明を保ち得ていたのかもしれません。
※註 オコツトによれば、太陽は現人類の意識の進化方向だといい、2013年以降、その意識進化の方向性変わる為、太陽は不要となり、従って輝くのを止めるのだという。そして新しく登場するのがニビルです。このニビル登場に対して、意識が蒙昧化してしまわないよう縄文版HARRPを「早よ~、準備せんかワレ」と蹴りを入れているのが、みゆきさんに降りた神のメッセージなのでしょうか?

オコツトは2013年以降始まるという、自我意識の変容、例えば、左脳偏重から右脳偏重へシフトするように、自我が外界の事物と溶け合った状態で認識されてしまい、個として確立できない状態になるといいますが、今、HARRPがこうして存在するのも何か因縁めいたものを感じます。
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コメント

No subject

三井の東京ミッドタウン・レジデンス エントランスには高さ約1.5mほどの滴型の巨大黒曜石が置かれておるだす~

http://www.mitsui-chintai.co.jp/resident/original/tokyo-midtown/midtown_residence/ja/facilities/index.html

ミッドタウンのマークも、どこかカーバ神殿みたいだすな~

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感嘆!

いやいや、驚嘆。賛同です。わたしも<縄文概念>を宇宙規模に拡張しなければ、それも急務と思っていたところでした。たとえば2013年と<JO-MON>という射程で。それがこの稠密で勇気ある論考ですばらしく前進できます。どうかこの未来縄文をさらにお願いします。光ネットワークにより空間を介して、意識の集団的な向上を維持していた文明の、聖・未来型model!それは2013以降ゆくことができるかどうかの[太陽意識]へのにんげんの進化が
このjo-monの精神的デバイスの再起動にかかっているという論考。この具体的実践的なゆきかたに共感します。

No subject

情報ありがとうございますw
コメントもいただきまして、私もリンクさせてもらいましたwww
さて、唐松神社ですが、本当に面白い神社です
物部とありますが、唐松神社は物部さんが宮司をなさっているのです
つまり末裔です、興味深いでしょw
神社自体は本当に気持ちの良い場所です天日宮は特にお勧めです
一度、チャンスがあれば足を運ばれてみてください
私は感覚でしか物事を判断できないので、ヤッズ★さんの様に情報をつなぎ合わせる才能がございませんwww
なのでいつも文章に引き付けられます!毎回楽しみにしておりますw
ではまたコメントさせてもらいま~すwww
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