111

11月1日は111の日ですw

そんな「めでてぇ日」に、V字谷のナウシカことトランブレーみゆきさんが、石巻山で恒例の掃除をするというではないですか!(毎月1日の日に掃除されているそうです。) しかも、その後、賀茂神社に行って照山で行なう「石上げまつり」の下準備を宮司さん達とするのだという。

う~ん、未だヤッズ★は照山頂上に辿りつけていないので、、、、

こいつはチャーーーーーンスですw

チャンス

で、エンジェルナンバーによると「111」には下記の意味があるといいます。

「スピリチュアルなエネルギーの通り道が開きました。
あなたの思考はすばやく現実となります。
この時期、思考を賢く選ぶこと。
思考が願望と確実に一致したものであるようにしてください。
恐れには一切エネルギーを費やさないように。
そうしないと、それが現実化してしまいます。」


良いこと書いてあるではないですか!

ヤッズ★の望みは、石巻山発の「不二の仕組」発動なのです(爆)。

まぁ、実際にこの地で起きるのかどうかは分かりませんが、これは「変換人型ゲシュタルト」の確認実験でもあるのです。

「不二の仕組」発動後の全国展開には、石巻山から出た光のエネルギーラインを照山経由で本宮山にまで流す必要があります。これは石巻山-照山-本宮山が一直線に並んでいるからです。しかも、照山は石巻山をエンドとする弓張山脈が地面に一度潜った後に浮上した山でもあり、石巻山の仲間みたいなものなのです。

みゆきさんが日本全国を駈けずり回って、日本の気の通り道を浄化強化して来ましたので、これで「地の行」は一応終了です。そして、今度は天の気を地に流すことを始めるわけですね。これが「天の行」でしょうか。その為には、石巻山、秋葉山、富士山を貫く天のエネルギーである「火のエネルギー」と諏訪、石巻、伊勢を貫通する地のエネルギーである「水のエネルギー」の大活性化が、今後の課題となってきますが、それが石巻山復興、秋葉神社奥の院復興という流れになるのでしょう。神界はかなり緻密なスケジュール立てをしています。

ヤッズ★の願望成就には、今回の集い参加は必要不可欠ですね。

それ以外にも、コノシロ池の超絶甘い「御乳水」を再び飲みたくなった頃だし、また、この池の効能を聞くに及び、どうしてもペットボトルで大量に水を家に持ち帰りたくなってもいます。さらにさらに、この2010年11月1日の翌日11月2日からは、コルマンサイクルの「第8サイクル」の最終区間「Day7」が始まるという「特別な日」でもあるのです。ですから、この日の参加は非常に意義深く「待ってましたぁ~!」なのです。

そういえば、前回、記事中で豊川市章に触れたのですが、この市章の中央部にも「111」がありましたね(笑)。

豊川市
(豊川市章)

この三柱が真に意味するところはカバラの「生命の木」の柱(慈悲・均衡・峻厳)であり、日本神道の造化三神(天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神)でもあり、道教の最高神格である三清(元始天尊、霊宝天尊、道徳天尊)でもあると睨んでいますが、まぁ、何はともあれこの世界の背後にある根源的な「聖なる3つの極み」を指しているわけですね。また、その三柱の周囲は火・水・風・土の「四大エレメント」にぐるりと囲まれています。このように豊川市章は非常に恣意的なシンボルなのです。

バシャールが語るところでは、物質世界は「ここ」と「あそこ」の2つに分離した状態なのだが、「聖なるもの」、つまり、上層世界(元型世界、プレローマ)では、「ここ」と「あそこ」と「その間」と3つの存在になるのだという。太古から続く根源的なものに対して使われる「3」という聖数に秘められていたのは、この上層世界の特性だったのです。

このシンクロは「この日に○○○せよ!」と迫られているみたいです。
こういう理由もあって、有休取って今回のトランブレーさんの集いに参加してきました(ニタリ)。

まずは石巻山の報告からです。

■1 石巻山掃除編
9時頃に到着したのですが、既に掃除を終了する直前でした。いったい掃除って何をするのだろう、、、、も、もしや石段の雑巾掛けかとも想像していましたが、実際は、普通の掃除のように参道の落ち葉拾いでした(爆)。ヤッズ★は、数回、落ち葉を捨てに崖まで行った程度で申し訳なっかたです。

その後、みゆきさんは浄化用の水をコノシロの池に汲みに行くというので、ヤッズ★は家庭飲料用にペットボトル持参してきたので一緒に汲みに行きましたが、やはりこの坂は何度来てもキツイです。コノシロの池に到着する頃には、汗や息切れが、、、、日頃の運動不足が祟っています。

全てのペットボトルに水を詰め終わる頃には、ゾクゾクと人がコノシロの池にやってきました。どうも今回照山の下準備に一緒に参加する人たちのようです。遠くは東京、滋賀、名古屋から来ているとのことで、この辺鄙な東三河の石巻山にそんな遠くから来ることに唖然としていると、、、、、

「うぉ~、うぉ~~~~~ん」

遠くから空気を切り裂くような女性の大きな泣き声が聞こえるのです。どうも池の奥側にある廃屋同然の社の前で泣いている女性がいるのです。一体、何が起きたのか分からないでいると、みゆきさんの説明では、彼女は憑依体質、霊媒体質、巫女体質であるといい、波動が感じられる特定の場所では良い霊も悪い霊も急にスッと体に入ってしまい、あのように泣いてしまうのだという。その後、泣き止んだ時には入った霊は浄化されてスッと天に昇っていくのだそうです。彼女には強力な観音様が守護していて、彼女たちのグループはそうやって日本全国を浄化して回っているという。

あっ、九州で急に泣きだした女性とは彼女のことであったかと、その時、初めて合点がいった。

それにしても、ヤッズ★は霊関係にはトコトン疎く、霊体験はアクティブイマジネーションという観点から考察を進めているのですが、まさか目の前でこういうことを目撃するとは思ってもいなかったです。アクティブイマジネーションだけでは語り切れない何かがあると思いますので、この辺は今後の洞察課題としておきます。

で、皆が準備完了となったので、次なる場所へ車で移動となった。


■2 賀茂神社編
賀茂神社へは石巻山から車で20分ぐらいで到着しましたが、駐車場には石巻山には居なかった人も来ていました。その後、全員で社務所へ行きましたが、そこには修験道のK氏が、、、これで早勢14~15名(ウロ覚えw)と結構な人数です。で、今回、参加した人たちはノコギリやナタ、シャベル...等を持参した方たちがいたのですが、「えっ、下準備ってこういうことだったの、、、」 ヤッズ★は単に登山ルートの確認程度かと安易に考えていたのです。その後、宮司さんの話を聞くに及び、どうも照山の山頂に行く道は「ケモノ道」になっている感じなのです(滝汗)。

前回、もし、みゆきさんに一緒に照山に行っていたら、そんなケモノ道を登る嵌めになっていた、、、(汗)。心の準備が出来てなかったので、前回、行かなかったことに何故か心が安堵(爆)。それにしても、みゆきさんはケモノ道を何とも思わないで登っていくのだなぁ~と妙に感心し、頼もしくさえ思えた。さすが「V字谷のナウシカ」と云われるだけの方ですw (って、ヤッズ★だけが言っているだけなのだが、、、爆)

宮司さんから一通りの説明を受け、イザ、照山に出発ですw

神社奥の神域を通り抜け、裏の柿畑に出るのですが、賀茂神社の裏側ってこんなになっていたんだ、、、地元に住んでいながら、なかなかこういうところまで見たことがなかったので、これは大変貴重な経験となった。

その道すがら、田原で米ぬか酵素風呂を営んでいる方とお話する機会がありましたが、この方もみゆきさんと同じく神様の声が聞こえるのだそうです。こうなったのは3年前で、津島神社の末社50社を全て参拝し終えた時に「汝に神剣を授ける」という声が聞こえ、物質ではないのですが目に見える形で神剣を受取ったのだといいます。それから神様の声が聞こえるようになったといいます。どうもこの神剣とはテレパシックなアンテナのことではないかという推察をしていました。神社に行った際には「よう来た」とか神様から声を掛けられるそうで、神様から神社のエネルギーを高めて「光の柱」を立てるよう言われているとのことです。

ヤッズ★的には、なかなか理解し難い内容なのですが、かつてヤッズ★は後頭部から過去の記憶が怒涛のように流れ込む体験が1週間ばかり続いたことがあり困った状態になったことがありますが、みゆきさんも言っているように、神様の声が聞こえるとは言葉ではなく想念がドーンと入ってくるというのは、そんな流れ込み方をする感じなのでしょうか? この辺は自分が体験しないことにはねぇ~(涙)。

東名高速の下をくぐるトンネル中央に差し掛かると、先の霊媒体質の女性が再び「うぉ~、うぉ~~~~~ん」と泣き始めたのです。ヤッズ★には何も感じられなかったのですが、同行した気に敏感な方の話では確かに少しイヤ~な陰気を感じたという。言われてみれば、ちとヒンヤリした感じはあったようななかったような、、、、で、何故ここで泣き出したのかといえば、この照山の前の高速道路では何故か事故が多い所で、その際に亡くなった方の霊が徘徊しているようなのです。う~む、これをどう考えたらいいのか、、、、とりあえず霊関係は保留ですw

東名の下を潜り抜け、少し山の中の舗装道を行くと、宮司さんが道路脇を指差して「ここから登ります!」と言うのです。

「えっ、ここから? どこにも道はないが、、、」

どうも、ケモノ道はケモノ道でも正真正銘のケモノ道のようです。
要するに、殆ど道らしきものがないわけです(滝汗)。

しかも、そこは2mぐらいの高さになっていて、石上げまつりまでには土留めで階段を作るということになりそうなぐらいな高所なのです。足が滑るのを気をつけながら上がり、その後、薮の中を「川口ひろし探検隊」の如く進むのですが、枯れて倒れた木やツルでコケそうになったり、ツルで首を吊りそうになったりして、なんとか頂上に到着です。

「えっ、ここが頂上? 周囲は何も見えないが、、、」

小照山頂上
(少し片付いた状態の小照山の頂上 約60mの標高)

かなり木が鬱蒼と繁っているためか、全く視界が通らないのです。ただ、21日の石上げまつり当日までには、石巻山と本宮山だけは見えるように木の上の部分を刈るそうなので、その時の風景に期待ですね。

そんな中で、石上げまつりの石を置くスペースと参道を作るために、枯れ木の撤去作業を皆で開始。こういう作業はあまりやったことがなかったのですが、意外とストレス解消にはいいw

ひとしきりスペースが出来ると、中央と四隅に結界の為の石を設置。
この結界中に麓から持ってきた石を置いていくのが石上げまつりなのです。
石を上げるのは、地元の小学生をメインにしているそうで、既に小学校にも話をしているとのこと。

この結界という言葉に敏感に反応してしまうヤッズ★ですが、特にここで封印術の儀式をするわけでもなく落胆してしまいましたが、後で調べたら、この「結界」という言葉は神道では「境」というマーキング程度の意味合いで使われているようなのです。アニメ『NARUTO』の見過ぎです(爆)。

修験道の方が、この結界の四隅に諏訪神社の御柱みたいに高さの違う柱を立てたら面白いと言っていましたが、それはとても面白いアイデアです。今回は時間的に難しいのですが、今後、そういった方向に行けたらいいなぁと思います。

で、一番苦労をしたのが立ち木に引っかかった枯れ木の撤去作業です。
何度もトライしてやっと撤去完了。

その後、結界に到る参道を作るとのことでルートを決めることになったのですが、その時、名古屋の整体師の先生の土壇場なのです。どうもこの先生、気がビジュアル的に見えたり感じることが出来るそうで、結界に到る参道の気の流れを的確に指示するのです。まるで見えてるように、、、、って、見えてるわけだから、そのように指示できるのですが(爆)。日本全国を先の霊媒体質の女性と回っているのですが、地図も持たずにピタリとその場所に行けるのだといいます。そのくらい気に敏感で、まるで鳥、、い、いや人間GPSのような高性能な感覚器官を持っているのです。各地にパワースポットがありますが、そこは大抵古くから神社があることから、古代人はこのくらい気に敏感だったのかもしれませんね。つくづく人間の感覚器官の不思議さを実感した次第。

それにしても、名古屋のグループの気が見える先生や憑依体質の女性、念の籠り具合が分かる修験道のK氏、神様の声が聞ける酵素風呂経営者、当然、トランブレーみゆきさんも神様の声が聞こえるわけだし、、、、

いったい、この人たち 何者なんら?

これじゃ、まるでX-メンじゃないか!!!

Xmen

何故、ヤッズ★がこの場にいるのか不思議で仕方がない。
まぁ、アブノーマルという点では共通しているのかもしれないが、、、、(爆)


■3 食事編
気の先生の名古屋グループはどうも完全にし終えないと気が済まない感じで、その後も残って頂上でずっと作業をして、この後、スグに岡崎の方に行くのだという。先に麓に下りてきた者たちだけで食事になったわけですが、その席で宮司さんから賀茂神社にまつわる話をいろいろ聞けた。どうも宮司さんは賀茂神社の起源は記録として書かれているよりも遥かに古いと睨んでいて、弥生、縄文の頃からカンナビ山として祀られていたと睨んでいる様子。しかも、石巻山とは山の形態が違い、石巻山は神道的な山の形態ではないという。神道の場合、もっとこんもりとした形態を好むが、石巻山は尖った形態をしていて馴染まないとの意見でした。

この意見、非常に示唆に富んでいます。

語り部のいうように、石巻山は徐福末裔が奉じる道教の神仙思想の元で聖地となったのに対し、賀茂神社の照山は、最古は初期大王家が大漢国を撃った際の陣地であり、その勝利を祝って副官の王伴氏が創建した王伴神社が祀られていた場所です。その後、数百年の後、壬申の乱で勝利した倭建(天武天皇)に付き添った賀茂虫麻呂が、その故事に倣って創建したのが、照山の創建された神(カムイ)神社です。その後、今の賀茂神社に移されるわけですが、、、、この山の好みの違いは、中国人である倭人(弥生人)とスキタイ系渡来人の差が明確に出たのでしょうね。


■4 その後
実は、未だ「天地主大神の璽」の碑を見ていないので、みゆきさんにその行き方を教えて貰い、一人で再び照山に戻ったのです。墓場の横を目印に行くと、階段を登った先にその碑はありました。

天地碑

碑の後ろ側には明治4年と刻まれていて、この碑が比較的新しいことを再確認しました。
どう考えても、あの文字のクッキリ感は近年のものですね(爆)。

元々は、ある民家の庭に設置されていたものが、その当主が亡くなった為、その後、大照山へ移設され、さらに祀る人が居なくなって荒廃して埋もれたのだといいます。ちょっとガッカリな内容なのですが、あの碑の文字は、照山に関して何らかのビジョンを感じたからこそ刻んだのかもしれませんね。

実は、みゆきさんも照山にはが埋まっていると神様から聞かされ、他の数人の霊能者の方にも聞いたところ、同様に照山は鏡だと回答が寄せられ、その言葉を信じて4時間も山中を探し歩いたのだといいます。ただ、未だに鏡は見つかっていないとのこと。「天地主大神の璽」イコール鏡かどうかは分かりませんが、とても気になる話です。

もしかしたら、世界史がひっくり返るような発見があるかもw

この件を食事中に宮司さんに聞いてみたところ、賀茂神社に伝わるような明確な伝承は聞けなかったのですが、宮司さんの見解では、照山の側面が三角形に削られた時があって、そこを鏡と見立てる風にして祀ることを考えたことがあって、鏡とはそういう山肌を鏡に見立てたことではないかという見解でした。

この件に関して、語り部情報を駆使したヤッズ★の推察を述べたいところですが、鏡については語り部も何も述べてませんので、あまり深い洞察が出来ませんが、古代の神器、つまり三王朝時代(丹波、邪馬台国、君子国)の神器は「銅鐸」「硯」「水晶玉」の3つでしたが、何故かここに鏡は入っていません。

鏡は中国系神器であり、道教に必要なアイテムだと睨んでいます。
※註 道教の神学において、最高神である天皇大帝は、その宗教的神聖性の象徴として二種の神器を持つとされる。鏡と剣とがそれであり、神器という言葉も道教の経典でなどにその用例が見える。道教の神学における鏡と剣を二種の神器とする思想信仰は、中国の六朝時代、『抱朴子』の著者・葛洪や『真誥』編著者・陶弘景らによってその理論的基礎が確立される。

よって、徐福末裔が住んだ東三河は道教が盛んな地であった為、同地には大量の銅鏡が存在して、初期大王家が照山(烏捕山)を本陣として戦って勝利したのですが、その後、滅亡した君子国で使われていた大量の銅鏡を回収して照山に埋めたのではないでしょうか! これはあくまで推測ですw
※註 伊勢神宮のヤタの鏡は、中国大陸渡来系の倭人(弥生人)の国・邪馬台国によって三輪山で祀られていた鏡ではないかと睨んでいます。卑弥呼は鬼道をよくしたとあるように、鬼道は道教の初期形態であり、邪馬台国は鏡を重要視して神器としていたと思われます。
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Comments

No subject

おぢゃまします。
いつも拝見させていただいております
テンションあがりました~
なにを隠そう私は111生まれw
謎解きになりましたが、これまでであった超能力者の方からは
ヤッズさんの話している事とほぼ同じことを言われていました
あ~そうなんだね~と納得した次第ですw

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