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祝女と猿女

現在、尖閣諸島で中国と揉めていますが、沖縄は元々は独立国であり、中国と日本に重属していた「琉球王国」に対して明治の廃藩置県では「琉球藩」を設置した。しかし、かつて沖縄は中国に対して朝貢外交をしていた為に清帝国は沖縄の領有権を執拗に主張していたといいます。

昔も今も、中華帝国の主張は同じなのです(爆)。

その対策の為、強制的に鹿児島県に編入、更に「沖縄県」した所謂「琉球処分」を行なったといいます。江戸時代の薩摩藩による干渉、琉球藩の廃止、米国統治、中国・台湾の干渉...等、昔から外交問題テンコ盛りの沖縄ですが、弱小国ゆえ大国の利害に翻弄されている構図がそこには見えます。これは現在の中国・欧州・米国の覇権争いに巻き込まれた日本の姿がダブってきますね。沖縄が日本の雛形や縮図であるというのも納得がいく。

このような歴史背景のある沖縄周辺ですが、最近、トランブレーみゆきさんが宮古島の神様に呼ばれて御嶽(うたき)に行ったといいます。何故、今、宮古島なのかはよく分からないのですが、そこには神界の深遠な計画があるのかもしれません。上記の尖閣諸島問題を始めとした大国の思惑による問題の表面化と妙にシンクロしていて「不思議だなぁ~」と思っています(笑)。
※註 宮古島・八重山・尖閣で「先島諸島」というが、この先島諸島では縄文文化の影響は殆んど見られず、台湾との共通点が指摘される土器が多く見つかっている。ここに多くの御嶽があるのが不思議です。

しかも、御嶽では大宮司が認可した人しか最奥部で祈ることが出来ないのに関わらず、奇跡的な人々の繋がりから最奥部で祈ることが出来たと記事には書かれていました。相変わらず、みゆきさんの引寄せは凄いです。

このことからも、宮古島の神様はきっと親日派なのでしょう(爆)。
※註 宮古島は本土に対して好意的。というのは宮古島と沖縄本土は敵対している為、このような構図になるわけです。まぁ、これも百済系の朝廷が神道を押し付けたところから来ていますが、日本の主流が古神道になれば、この流れは変わるかもしれません。

この沖縄や宮古島の御嶽(うたき)神事は、実は、日本の古神道と同じルーツを持つ宗教儀式だと語り部はいいます。沖縄人(ウチナーンチュ)の身体の特徴は、毛深い・色黒・顔の彫りが深い・ガッシリしてる…などがあげられますが、これはそのままアイヌの特徴と同じなのです。しかし、最近の調査結果では、太古の「港川人」までは確かにアイヌに近かったのですが、現在は本土の日本人(ヤマトンチュ)の特徴が濃く、それに東南アジアの形質が混じっているのが実体だといいます。

太古の日本は青森が南を向いていて、列島の位置も今の沖縄辺りにあったといいます(爆)。その頃、大陸→沖縄→青森というルートで縄文人は日本本土へ渡ってきたのかもしれません。その渡来の名残が御嶽(うたき)神事でしょうか。
※註 雪が振り積もる青森の「三内丸山縄文遺跡」では冬を越せないというので今より南方にあったというのは頷ける話です。ただ、本当に反時計回りに日本列島が回転していた場合、屋久杉の年輪にその日照傾向が出てくる筈なのですが、、、、今のところ、語り部が語るこの驚愕怒涛の内容は検証しきれていません。いづれまたの機会にw


(沖縄本島の世界遺産・斉場御嶽)

語り部は御嶽(うたき)に関してこのように言っています。

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邪馬台国の儀式も縄文人系の御嶽(ウタキ)より派生。
卑弥呼は、大倭の大市郷で治めた。
道教継承せねば倭人として成立しない為、騎馬民族も信奉する。
※註 騎馬民族スキタイは中国と敵対していた為に正体を隠したまま大倭を継承し、中国を欺いたという。

三輪山は、御嶽を行う地神を祭る場所。
三王朝時代に出雲・大倭・小治王朝が、各1箇所ずつの場所で男子禁制で行った。
所謂、蘇我入鹿(鞍作毛人)の子所謂太田田根子(鞍作田根子)が任された。

三輪山の正式名「御諸山」、別名「三室山」邇波氏は三王朝の盟主。邇波御諸別。
(三輪山で)別々に山頂・中腹・麓で神事。
琉球の御嶽ウタキ(男子禁制)と同じ。

大国主族(縄文人=アイヌ=エドム人)は他民族を寛容に迎えたが宗教や政治の仕方に注文を付けた。沖縄の御嶽は、奈良県大神神社でも行う。(中心部男子禁制。邪馬台国でも継承しているが、弥生人のオリジナルの儀式では無い。)磐座あり。巫女の後に王として男子が位に就くのもそう。新しく国土に入った民族は羽衣伝承により土着を許された。君主制度は忌避された。

丹生腋上=邇波川上=邇波氏族川上氏は、現在の名古屋市守山区東谷山(邇波川上より湾の奥にサナギ山【猿投山?】あり祭事で使用する鉄鐸を製造する)で、御嶽を行っていたが移動してイヒヤ国で行い桓武天皇の時代に伊勢神宮として崇拝方式を改める。伊勢神宮に原型は存在する。瀧祭神である。

*******************************************************************

このように尾張や三河は初期大王家(バビロン捕囚→解放後に騎馬民族化したヘブル人カド族)と関連が深い土地柄であり、特に尾張地方は戦略上重要地点で「ここを抑えないと邪馬台国のように滅亡させられ終わりとなる」→「身の終り」→「美濃尾張」という地名になったといいます。

で、この「オワリの地」を治めたのが初期大王家の分家筋の王治氏(後の尾張氏)です。その後、尾張王朝を開いて邪馬台国・大漢国・丹波国の旧三王朝に替わって、大倭・出雲・尾張で新三王朝の族長連合を形成したといいます。ちなみに、「オワリ」はヘブル・アラム語「アワリ」から来ているといいますが、その他の日本語とアラム語の言葉と意味が似ているものは、ざっと挙げただけでもこれだけあります。

  ミカド(帝)-ミガドル(高貴なお方)
  ミコト(尊)-マクト(王、王国)
  ネギ(神職)-ナギット(長、司)
  ミササギ(陵、墳墓)-ムトウサガ(死者を閉ざす) 
  アスカ(飛鳥)-ハスカ(ご住所)

  ミソギ(禊ぎ)-ミソグ(分別・性別) 
  ヌシ(主)-ヌシ(長)
  サムライ(サムライ)-シャムライ(守る者)
  ヤリ(槍)-ヤリ(射る)
  ホロブ(滅ぶ)-ホレブ(滅ぶ) 

  イム(忌む)-イム(ひどい)
  ダメ(駄目)-タメ(ダメ・汚れている) 
  ハズカシメル(辱める)-ハデカシェム(名を踏みにじる)
  ニクム(憎む)-ニクム(憎む)  
  カバウ(庇う)-カバア(隠す)

  ユルス(許す)-ユルス(取らせる)
  コマル(困る)-コマル(困る)
  スム(住む)-スム(住む)
  ツモル(積もる)-ツモル(積もる)
  コオル(凍る)-コ-ル(寒さ、冷たさ)

  スワル(座る)-スワル(座る)  
  アルク(歩く)-ハラク(歩く)
  ハカル(測る)-ハカル(測る)
  トル(取る)-トル(取る)
  カク(書く)-カク(書く)

  ナマル(訛る)-ナマル(訛る)
  アキナウ(商う)-アキナフ(買う) 
  アリガトウ(有難う)-アリ・ガド(私にとって幸福です) 
  ヤケド(火傷)-ヤケド(火傷) 
  ニオイ(匂い)-ニホヒ(匂い)

  カタ(肩)-カタフ(肩)    
  ワラベ(子供)-ワラッベン(子供)
  アタリ(辺り)-アタリ(辺り)
  オワリ(終わり)-アハリ(終わり)

これらは日ユ同祖論者にはよく知られた内容ですが、日本は普通言われるユダヤ、つまりアシュケナジー・ユダヤ(=ハザール国起源の偽ユダヤ)とは当然関係無いです。何せ日本は家元・総本舗の「ヘブル人」なのですからw

この由来のように尾張とは、火高見国でカド族由来の八剣(天叢雲剣=草薙剣=海薙剣=モーセの杖=ネフシュタン)を祀る「ヤハ(ヤハウェ)の義の地」(ヤハギ)だったのです。だからこそ、名古屋市章はヤハウェ(八幡)を表す「八」をデザインとして採用しているのでしょう(爆)。

名古屋市章
(ヤハウェを表す名古屋市の市章)

通称・名古屋めしと呼ばれる「味噌かつ」「手羽先」「あんかけスパ」「小倉トースト」「台湾ラーメン」「天むす」「カレーうどん」「味噌煮込みうどん」「きしめん」「鬼まんじゅう」「ういろう」...等の「赤味噌及び濃い味付け」の食文化を誇るのが名古屋ですが、この味覚の違いは全国でも際立っています。例えば、うどんに関して言えば愛知県に入ると突然「濃口しょうゆ」に替わることや、みそ汁は赤だし味噌に替わります。尾張に定住したスキタイ系民族にこの食文化の違いの理由を求めることができるかもしれません(爆)。

手羽先
(名古屋めしの代表・手羽先 どえりゃ~うみゃ~ぞw)

この御嶽(うたき)では、基本的に「地神」を祀ります。「地神」とは自然界に存在する男性原理(クナト神、ミシャグチ神...等)や女性原理(ソソウ神、瀬織津姫...等)を持った縄文の神です。一方、ヘブル人が持ち込んだ「天神」の場合は山上に登って祭壇で鹿を焼き、その焦げた臭いをヤハウェに捧げながら祈りをしますが、この祭祀は天香具山(岐阜・弥勒山)で行なわれていたといいます。この「地神」「天神」を各々祀る人びとが、その後に「国津神」「天津神」という呼称へと変化していったのでしょうか。

いつも言っていることなのですが、、、

ヤーとかヤハは「ヤハウェ」のことで「天神」のことです。


(ヤハウェ賛美歌)

封印された祝詞に「一二三祝詞」がありますが、これは三王朝時代の古神道(御嶽神事)で用いられていた祝詞だと睨んでいます。語り部によれば、エドム人の末裔である縄文人(アイヌ)は、この古神道の宗教形態を受け入れることで日本に定住を認可したという。古神道は自然物に神が「拠り代」として降臨したとして祀るアイヌのカムイ(神威)と同じ神概念を持つのです。
※註 エドム人はイスラエルの兄弟民族であり、ヤコブの兄エサウの子孫。モアブの南に拠点を張り、イスラエルと敵対したが、ダビデ王の代にはイスラエルに朝貢しその属国になったと記される。

その後、後期大王家によって大和朝廷が打ち立てられて律令国家となった際に、中央集権的な体制には不都合な古神道(御嶽神事)に対し、盤座(いわくら)の前やその聖地を臨む平地に社を建てさせ、その社に古事記登場人物を御祭神として祀るよう祭神の強制変更をしていった。この祭神変更計画の大推進者が藤原不比等と持統天皇です。更に人民支配に効果絶大な景教(キリスト教)をその内奥にセットし、イエスキリストを天照大神という名で和風に改め、それまで水の地神・瀬織津姫を祀った伊勢の五十鈴川の御嶽を廃して、伊勢内宮として整備したのです。

つまり、キリスト教は偽装の為のフェイクなのです。

だからといって、ヤタガラスがいうように伊勢神宮及び伊雑宮の地下殿に聖十字架、罪状版(INRI)が無いわけではありません。一般には聖徳太子は仏教の守護者として知られていますが、語り部は初期大王家の聖徳太子(高向王がモデル)は実際には景教を熱心に信仰していたといい、法隆寺の前身・若草伽藍は正堂正面がシリウスが太陽と共に昇る「ヘリカルライジング」の方向を向いていて、また窓が無く屋根に十字架を付けた景教の寺院だったといいます。ですから、本物のヘブライ人故に、この寺院内にイエスに関する何らかの本当の聖遺物を所持してたかもしれません。しかし仏教を奉じる後期大王家は初期大王家を滅ぼした後に、この若草伽藍を取り潰し、そこに置かれていた諸々の聖遺物を伊勢神宮に祀って「表の神道」として打ち出し、ピラミッド型の人民支配の道具としたのではないでしょうか。これが「キリスト結界」です(笑)。
※註 語り部の話とヤタガラスの話す内容とを付き合わせていくとおかしな歴史展開になるのです(汗)。で、この聖遺物積極保持説は最近意見が変わった部分ですw ヤタガラスは人民懐柔の為にイエスを設置した箇所だけを抽出し飛鳥氏に伝えたのだと思う。本当は闇はもっと深い。

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また、別のルートの話では三輪山に祀られた御魂を内宮に移設したという話もあります。このことから伊勢神宮に祀られる八咫鏡とは「十戒石版」なんかでは無く(笑)、卑弥呼が魏から授かった神鏡ではないかと睨んでいます。邪馬台国から「神鏡」、尾張王朝から「モーセの杖」、、、「八尺瓊勾玉」だけは自前で製作(爆)。つまり、三種の神器とは前王朝から支配権を禅定(実際は簒奪w)された証として神器を継承した為、代々保持しているのではないでしょうか。
※註 「モーセの杖」を先頭にして初期大王家が持ち込んだのが「十戒石板」「マナの壷」「アロンの杖」の入った「聖櫃(アーク)」でしょうか。またこの時、日本に来たヘブル人のうち四国に入ったのが司祭部族のレビ族だと思います。日本に来たレビ族は、契約の箱を置くのに最適な地として四国を選びそこに住んだというわけです。かつて「契約の箱(アーク)」のある幕屋に最も近く住んだのはレビ族でしたが、大嘗祭に麁服(あらたえ)を献上するのが阿波忌部という祭祀を司る氏族の子孫・三木家であることと、語り部は渡来したスキタイの扶余王族(カド族)八人のうちの1人である忌豊富が「忌部」氏祖となったということから、この推測はかなり正しいのではと思います。この聖櫃隠匿は二本(日本)の最大秘密に属する為、大国主系の語り部にも欠落する内容ではないでしょうか。また飛鳥昭雄先生と対談したヤタガラスもこの四国には一切触れず仕舞いで、聖櫃は伊勢神宮地下殿にあると偽ったと睨んでいます。これが本当に隠したい内容なのだろう。。。。しかし、最近、ロスチャイルドが四国の土地を買いあさっているのは、偶然この秘密を知ったからではないでしょうか(笑)。

つまり、伊勢神宮とは、前支配者たちが奉じていた神や御霊の入ったままの神器を治め封印した神社だと睨んでいます。内宮には初期大王家のキリスト教聖遺物、邪馬台国の神鏡、外宮には出雲王朝の御霊、ただ「モーセの杖」だけは石上神宮に一時的に置いたのですが、壬申の乱に勝った初期大王家の天武天皇が再び熱田に戻した。記紀では天武天皇に災いが起きたからとその理由が記されていますが、これは後期大王家が貶める為に書いた捏造でしょう。あるいは災いが起きたのは簒奪した天智天皇の方だったのかもしれません。このような経緯があった為、その後は神剣はそのまま熱田神宮で保管となったと思います。

ここで興味深い「一二三祝詞」の動画を紹介します。


(渾身の一二三祝詞)

まさに、言葉1文字1文字に意が乗る(祈り)という感じです。

伊勢神宮で、このぐらい意が乗った「一二三祝詞」を奉したら、封印が解かれて「縄文の女神」瀬織津姫が復活するかもしれませんね(爆)。その場合、宮司に連行されるかもしれませんが、、、、しかも、このメロディはなんとなく沖縄音楽を彷彿とさせます。古神道は沖縄の御嶽(うたき)神事とそのルーツは同じだといいますので、この指摘は意外と正しいのかもしれません。

御嶽(うたき)はノロ(祝女)という女司祭が祭祀を取りしきり、御嶽を管理する。ノロは海の彼方の「ニライカナイ」と天空の「オボツカグラ」の他界に居る太陽神(ティダ)をはじめとする多数の神々と交信することのできる存在であり、また祭祀の間はその身に神を憑依し、神そのものになる存在とされている。そのため、ノロは神人(かみんちゅ)とも呼ばれています。

この祝女による神事が、邪馬台国の三輪山と大漢国の石巻山で行なわれていた形跡があります。多分、出雲の神名火山でも同様に行なわれていたでしょう。これはアイヌとの約束によって御嶽神事をこれらの聖山で執り行なっていたからです。その大祝女の1人が卑弥呼だと睨んでます。

御嶽は男子禁制だといいます。そこでどんな神事が行なわれるかは不明ですが、天の岩戸の前で舞ったアメノウズメのように裸で踊っているのではないかと睨んでいるのだが、、、、だからこそ男子禁制なのかと(爆)。

このアメノウズメを祖とする氏族に猿女氏(さるめし)がいます。

猿女という名は別に顔が猿に似ていたからではありません。まぁ、中には似た人が居たかもしれませんが、、、、猿女君(さるめのきみ)は古代より朝廷の祭祀に携わってきた氏族の一つでアメノウズメを始祖としています。日本神話でアメノウズメが岩戸隠れの際に岩戸の前で舞を舞ったという伝承から、鎮魂祭での演舞や大嘗祭における前行などを執り行った「猿女」を貢進した氏族だからこの名があります。


(猿女の舞w)

本拠地は伊勢国と云われていますが、一部は朝廷の祭祀を勤めるために大和国添上郡稗田村(現・奈良県大和郡山市稗田町)に本拠地を移し稗田姓を称したといいます。他の祭祀氏族が男性が祭祀に携わっていたのに対し、猿女君は女性、すなわち巫女として祭祀に携わっていた。古事記編纂時に関わっていた記憶力バツグンの稗田阿礼は、このことから女性ではないかと言われる。

つまり、貢進舞の名称が「猿女」だったのです。
ここ、重要ポイントですので、しっかり覚えておいて下さいね。

しかし、この猿女氏も神祇官・忌部氏の宮中での地位低下に伴い「御坐」を貢進出来なくなり、だんたんと衰微していったといわれます。この猿女氏の始祖アメノウズメを祀った神社に「佐瑠女神社」がありますが、これは猿田彦神社の境内にまつられている小さな社で、芸能、鎮魂(たましづめ)、縁結びの神社として昔から全国的に芸能人の信仰を集めてきたといいます。

佐瑠女神社01佐瑠女02佐瑠女03
(萌え絵ポスターで有名な佐瑠女神社)

■芸能の神様『佐瑠女神社』のミラクルお伊勢様パワーは本当にすごい!
http://www.myspiritual.jp/2009/06/post-193.html

この猿女と相通ずるのが、聖書のサロメです。

サロメはヘロディアスの娘ですが、義父ヘロデ王を喜ばせるために七枚のヴェールの踊りを披露し、その報償に洗礼者ヨハネの首を所望したと聖書に記されています。いくら愛を告げても、自分のほうを見向きもしなかった男の生首を抱き、恍惚状態でくちづける姿は「ファム・ファタル(宿命の女)」の象徴と言われる。

サロメ00
(かつて世界最大の首狩り族だった日本人の原点はここにある)

サロメが踊りながら一枚一枚取り去られるヴェールは、冥府の七つの門の前に女神が一つずつ脱ぎ捨てていった衣裳を表すといい、サロメという名自体も「シャローム」、すなわち「平安」に通じることから、エルサレムの神殿に仕える巫女を指していたのではないかと考えられています。

サロメ02
(裸踊りをするサロメ)

語り部によると、後期天皇家(百済系エフライム族)の倭武(百済昆支、応神天皇)は原住民(弥生人、縄文人)懐柔と初期天皇族(扶余系カド族)の臣下化の為に波斯経教(景教)を日本に持込したという。このことから聖書と日本古代は密接な関係があるというが、その例を上げれば、、、、
※註 波斯とはペルシャのことであり、唐の景教は最初は「波斯経教」「波斯教」と呼ばれたが、キリスト教が秦(ローマ)の宗教と確認さてら為、途中から「大秦景教」に変更された。

・天照大神の岩戸隠れ&開きは「イエスの復活」を借用
・聖徳太子誕生譚はイエス誕生譚を借用
・記紀の一代の寿命を長いのは聖書を参考
・女性の「子」はイエスキリストが「人の子」と呼ばれた事に由来
・命(ミコト)とは「私は道であり、真理であり命です」より借用
・米国大統領宣誓時に聖書に手を置くのは「本当?」から
・「初めに御言葉ありき、御言葉はヤハウェと共にあり」が言霊の由来
・白馬伝説は白い馬に乗るイエスで天の白い王が「天皇」
・三川(三河)の川は東海三神山から流れ出る「命の水の川」


このように記紀の多くは、聖書からちょっとだけよ~♥と言いながら沢山借用しているのです。ですから、アマノウズメが裸で踊った貢進の舞「猿女」のネーミングも聖書の「サロメ」が由来なのですね。ただ、この借用は聖書だけに留まらずギリシャ神話...等からも行なわれているのです。

アンタも好きねぇ~♥

このように、いろんな文献を参考に創作された神話や逸話を持つ百済系天皇史観の歴史書が記紀なのです。

懐柔&臣下化の為には、これぐらい込み入った舞台装置の設定が必要だったのでしょう。そして、藤原不比等と持統天皇が行なった記紀登場人物への祭神の変更。そして、その最たるものが、その後の桓武天皇の「イエシュア(伊勢)神宮」創設です。この時、日本中の到る所の水場で祀られていた縄文の女神「瀬織津姫」はイエスを示す大照大神と習合され、差し替えられ、その元に集束させられたのではないでしょうか。
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Comments

スパム?

邪馬台国は沖縄に?

沖縄が日本の雛形と言えば、邪馬台国=沖縄説というのもありますね。

今月号の『ムー』にも出てました。

※コメント長くてスパムになったのかしら?

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