ヤハの地

相変わらず、今回も石巻山の話です(汗)。
多分、煩フルは日本で一番、石巻山について洞察してるブログでしょう(爆)。

語り部によると、石巻山は弥生人(倭人)である邪馬台国(奈良県桜井市)の巡礼地の1つであったといいますが、今回はこれと四国88箇所巡礼、つまり、「お遍路さん」との関連性についての洞察です。

語り部はこう言います。

*******************************************************************
東海三神山は、弥生人の巡礼地となり、古東山道は其の道で在る。
弥奴国の橋島崎より古伊勢湾を下り文身国(後世日高見国、現在の名古屋市緑区大高)を経由し、大漢国の傍のエイ州、扶桑国方丈、蓬莱を回る。
三川とは東海三神山の各々の山から「命の川」が流れていると言う思想(聖書)からの呼称。
参川とも言い巡礼地を指す。
蓬莱(旧不死山、カルデラ湖付、745年陥没し大被害。新城の海、エイ州の麓の海は逆に隆起して後退)
【後代神仏習合の四国88(ヤハ、ヤハウェの略、現在エホバとも)ヶ所巡りに変更】

*******************************************************************

ここでいう「橋島」とは岐阜羽島のことですが、東海三神山(蓬莱山、方丈山、エイ州山)巡礼の旅のルートは伊勢湾に沿って海沿いの道を行くといった感じですね。

「三河」の語源が「三川」なのは既知でしたが、それが聖書からだったとは、、、(汗)

確かに、言われてみれば「三河」というのに関わらず、三河には大きな川は三本もありません。あるのは矢作川と豊川だけです。どちらかというと「木曽三川」と呼ばれる尾張地方の方が「三河」に相応しいのではないかと思っていました。美川憲一と何か関連があるのではないかと考えた時すらあります(爆)。このように、何故、この地が「三河」というのか小学生の頃からずっ~~~と不思議に思って考えていましたが、これでやっと謎が解けました。
※註 一説には「乙川」(菅生川)を三本目の川とする説がありますが、乙川は矢作川の支流に過ぎず、規模が違いすぎる。

で、この聖書の「命の川」該当箇所が下記です。

*******************************************************************
使徒ヨハネは御霊の内にそこを訪れた後でこのように書き記しています。

「御使はまた、水晶のように輝いている【命の水の川】をわたしに見せてくれた。この川は、神と小羊との御座から流れ出ている。川の中央と、また、その両側には命の木があって、十二種の実を結び、その実は毎月みのり、その木の葉は諸国民をいやす。」(黙示録22章1,2)

「わたしが与える水を飲む者は、いつまでも決してかわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわきあがるであろう!」(ヨハネ福音書4章14)

「来なさい! 聞く者は来なさい! 渇いている者も来なさい! 命の水がほしい者は誰でも、価なしにそれを受けるがよい!」(黙示録22章17)

*******************************************************************

「命の水」って、、、なんかとっても凄そうです♪

方丈山(本宮山)、蓬莱山(鳳来寺山)を持つ扶桑国(現・新城市)には、「扶桑樹」(世界樹)があったことから「扶桑国」と呼ばれていましたが、毎月異なる十二種の実を結ぶ「命の木」とは、まるで扶桑樹を指しているかのようです。

ユグドラシル
(世界樹「ユグドラシル」は生命の木(命の木)とも呼ばれる)

一方、川(当時は湾)を挟んだ反対側には瀛州山(エイシュウサン=石巻山)を持つ「大漢国」(現・豊橋市)がありましたが、この石巻山の中腹には「コノシロの池」と呼ばれる岩の間から水が染み出す泉があるのですが、この泉はいまだかつて枯渇したことがないと言われています。元々、石巻山は海底が隆起してできたと言われており、海から山に変わった時に逃げ遅れたコノシロ(若魚が「シンコ」「コハダ」と呼ばれる)がこの池で泳いでいたという言い伝えが残っている為、この名があるのです。

この泉が「命の川の水」なのです。(ふふふ)

目眩がした際に、何故だか分からないが眼科で診察を受け、目医者に勧められるままにこのコノシロの水を飲んだところ、目眩がピタリと直ってしまったというH氏の話もあります。コノシロの水はまさに「奇跡の水」です。ただ、いまのところ、治癒事例をたった1例しか知りませんが、、、、

多分、ルルドの泉より凄いんじゃないでしょうか!(爆)
※註 「ルルドの泉で病気が治ったと自己申告をした人は、1862年以来6700人にものぼるが、泉が発見されてから現在までに教会から正式に奇跡と認定された症例は、わずか66例しかない。その数を期間で割ると、2年に1例あればいい方という数である。しかも、時代とともに医学が発展を遂げた近年では10年に1例という認定ペースに落ちているという。これを現在の年間500万人といわれる巡礼者の数に置き換えて単純計算すると、2年に1例の場合、500万人×2年=1000万人に1人。10年に1例であれば、500万人×10年=5000万人に1人という確率になる。ちなみに、1960年から2000年までの40年間に認定された症例は、わずか4例しかない。」という程に奇跡とは程遠い数字なのです。それに引き替えコノシロの池は1/1=100%です(爆)。

ルルドの泉
(コノシロの泉もこんな感じに整備したらいいかな~w)

なにせ火と水のエネルギーが交差する日本唯一のスーパーパワーポイントから湧き出る水です。しかも聖書にも謳われた「神と小羊との御座から流れ出ている水」をネーミング背景に持つ水なのですからね。ブランド力が違います。効かない筈はありません(爆)。実際、「天御中主神」「国常立尊」という始源神が山頂に降臨していて、現在、光の柱が一本立っているという目撃報告もあります。そして、やがて「天地主大神」の柱が立ち、合計二本の光の柱になる予定だそうです。(トランブレーみゆきさん・談

非常に楽しみです。
今度、行ってお腹一杯「命の水」を飲んでみようと思います。

現在、石巻神社(上社)の洗手盤の水は、このコノシロの池から取られていますが、実はこの洗手盤も数ヶ月前は水も出ない状態だったのです。それを修験道の方たち水を通わせようと元々繋がっていた洗手盤の水源を遡って行ったところ、コノシロの池に到達したのですが、水が出なくなったのは単に途中の栓が外れていただけであり、それを20年もそのまま放置されていただけという。ということは、洗手盤は20年も水が流れてなかったのかぁ~(唖然)

いったい宮司氏子の人たちは、何をやって、、、、(ブツブツ)
※註 本殿内は埃で汚れ放題だし、神殿と拝殿の間の渡木は腐って落ちているし、、、禁足地の神殿周囲には草が生え放題、、、かつての聖地の寂れ様は凄いの一言。

まぁ、そんな荒れ果てた石巻山ですが、この山がこうなったのも照山と石巻山を横切る東名高速が出来たあたりからでしょうか。これによってエネルギーラインが分断されてしまたのではないでしょうか。元来、照山は大照山と小照山の2つがあり、「ひょこりひょうたん島」のような感じだったのですが、大照山は砕石を取られて既に無くなってしまいました。残る小照山も半分は東名高速道路の為に削られててしまって無残な姿になってしまっています。

このような「命の水」「扶桑樹」があるからこそ、東海三神山は邪馬台国の憧れの巡礼地であったのであり、当然、山岳地帯を歩くので山伏のような格好をしていたのかもしれません。実は、これが今の日本に数多く存在する巡礼の祖形だったのです。その巡礼地を四国に移し、ヤハウェの名をから「ヤハ(88)箇所巡り」としたのが四国の「お遍路」なのです。

ヘブライ教(ユダヤ教)の影響がプンプン匂いますw
修験道行者が額に付ける山伏兜布(=ヒラクティ)も多分間違いなくここからです。

実は、矢作川も同じで「ヤハの義」がヤハギとなったと語り部はいいます。

*******************************************************************
扶余王族の8人の(上陸地は、安八麿アワチマ郡、淡路島で国生みで最初のもの。後世移動)1人小治豊玉王(塩見公)は、扶余王族の上陸場所の古伊勢湾のアチタ【熱田。矢の場所の意味。類語に秋田=飽田、蝦夷との戦いに飽きたを掛け合わせ】に大倭国東側の備えとして水軍を置き、ヤハの義の地とする。境界線の川をヤハ義川とする。使用例「川向こうはヤハの義の地」。草薙の剣は八剣でヤハの剣。
*******************************************************************

日本において、ヤハとかヤーはヤハウェを指していたのです。

やぁ
(毎度御馴染みの道化三神)

道士・徐福子孫の大漢国はもとより、邪馬台国は鬼道と呼ばれる初期道教が流行っていましたが、修験道においても成立期には神仙思想や仙人譚、確立期には峰入作法、里修験の間においては呪法や符、全体を通じて薬などの面において道教の要素がありました。修験道と忍術と、道教(道家)は密接な関係があるといいますが、飯道山の山伏が伝授して始まったのが甲賀忍者なのです。有名な呪文「臨兵闘者皆陣列在前」は修験道の呪文ですが、元来は道教の呪文だったのです。
※註 道教の場合は「臨兵闘者皆陣列前行」と最後の2文字が違うだけ。意味は「敵の刃物にひるまず戦う勇士たちが前列に陣どっている」なのだそうです。

極端に言ってしまえば、、、、、

修験道=忍道+道教+神道+仏教+陰陽道+ヘブライ教です。

熊野や吉野や高野山のある奈良南部~和歌山が修験道、忍術(雑賀衆と根来衆)、道教の一大センターであり、戦国時代までどの武家も支配化に置く事が出来なかったのは、こういう理由があったからです。ここを朝廷は非常に恐れていたといい、ある意味、日本を裏から支配していたともいえる。その支配は現代まで続いているのかもしれない。
※註 この辺の詳しい洞察はまた後の記事で、、、意外な事実があるのです。

修験道
(岩場で法螺貝を吹く修験道の行者)

この山岳聖地を巡回する修験道をマイルドにしたのが「四国八十八カ所巡礼」でしょうか。

つまり、お遍路=超マイルド修験道です(爆)。

Wikipediaによれば、88箇所巡礼は日本各地に多くありますが、他の巡礼地と異なり「四国八十八カ所を巡ることを特に「遍路」と言うそうです。平安時代頃には修験者の修行の道であり空海の入定後、修行僧らが大師の足跡を辿って遍歴の旅を始めたが、これが四国遍路の原型とされる。時代がたつにつれ、空海ゆかりの地に加え、修験道の修行地江戸時代初期に「四国遍路」という言葉と概念が成立したとされる。

別に空海が、剣山にあると噂されるアーク(聖櫃)を88箇所の巡礼で封印をしたとも云われますが、88箇所巡りは空海ゆかりの地の巡礼に過ぎません。しかも空海以後の人が設定したのです。空海の封印はもっと別な方法で行なわれたのではないかと睨んでいます。

ohennro2.jpg

さてさて、最初の語り部の言説に戻りますが、蓬莱山が陥没した745年とは聖武天皇が「紫香楽宮」から「平城京」に遷都した年ですが、記紀には別段大した事件は書かれていません。しかし、語り部はこの時のことを別の場所でこう書いています。

*******************************************************************
【桜彦(聖武)天皇(法隆寺建設、聖徳太子伝説創設)御世、大地震頻発し、多くの僧侶に祈願させるが、遂に古伊勢湾大地震隆起し陥没し再隆起745年。後年小治田氏族の菅原道真出生地は現在の愛知県春日井市】大隅の子興員は、アチタ神社創建。

■尾治(尾張)氏と海薙(草薙)の剣/邪馬台国の元同盟国の大漢国の滅亡
http://8305.teacup.com/kasaburanka15/bbs/601


「聖武天皇」御世伊勢湾隆起したが、橋島は陥没し東の半島は保持されるが海は後退し「否む波」の洒落で、「用明天皇」(竹内宿禰・イニシキイリヒコ)祀る神社が、後世「伊奈波(いなば)神社」となり現在地へ移転。神橋存在。「天武天皇」壬申の戦いで戦勝祈願。

■邇波言壱著作 出雲王朝
http://www.pleiades15.net/history/niwa.html
*******************************************************************

因幡の白兎やイナバ物置のイナバとは「否む波」だったのきゃ~
※註 「伊奈波神社」は岐阜金華山(稲葉山)の一角にありますが、故地は同じ稲葉山の一角にある丸山の山頂の「丸山神社」です。だだ、神社といっても石塔しかないのだが、、、 

大地震の多発で伊勢湾が隆起→陥没→隆起を繰り返し、現在の姿になったのだというのです。古伊勢湾は小牧や豊田の方にまで海が入り込んでいたそうで、その証拠に、古地図が三河三宮の猿投神社に伝えられています。社伝によれば、この古地図は養老年間(717~724)のものとされていますので、当時の名古屋は海の下だったのです。

古地図

当然、東三河も同じように海に侵食されていた筈です。

これが『風の谷のナウシカ』に出てくる大海嘯(だいかいしょう)のモデルになったと睨んでいる事跡です。まぁ、飲み込まれる方向は反対ですが、、、実は「V字谷のナウシカ」の記事を書くにあたり、ここまで視野に入れて書いていたんです(ニタリ)。

大地が怒りに満ち満ちている。。。

このようなナウシカの王蟲が進撃してくる直前と似た地震多発の状況が聖武天皇の頃にあったというのですが、本当にそんなに地震が多発したのでしょうか?

*******************************************************************
国分寺や東大寺大仏の建立を命じたことで知られる聖武天皇(701~756)が行幸した直後にその一帯で阪神・淡路大震災級の大地震が起きたとみられることを、岡山大の今津勝紀・助教授(日本古代史)と隈元崇・助教授(地震学)が明らかにした。仏教への深い帰依のきっかけになったのではないかという。4日に奈良市の奈良文化財研究所である研究会で発表する。(杉本潔)

この地震は734年4月に起きた。大阪を南北に走る生駒断層帯が動いた直下型とみられ、マグニチュードは7.0~7.5で、7.3の阪神・淡路大震災並み。聖武天皇は地震直前の3月に難波宮(現在の大阪市)を訪れ、竹原井頓宮(かりみや)(大阪府柏原市)をへて平城京(奈良市など)に戻っている。隈元さんらは政府の地震調査研究推進本部による評価などから、震度分布図を作製。天皇の行路周辺は震度6弱以上の強い揺れに見舞われたと推定した。

天皇は地震後の7月、「最近天変地異が多く地震もあった。責任は自分一人にある」として大赦を実施。同じ年には「人々の命を全うさせるために」と写経を、翌年には読経も命じた。

今津さんは「訪れたばかりの地が震災に見舞われたことに衝撃を受け、仏教への帰依を強めたのではないか」とみる。京都女子大の瀧浪貞子教授(日本古代史)は「皇太子の夭折(ようせつ)や光明皇后の影響など、聖武天皇が仏教に帰依する下地はすでにあったが、この地震によっていっそう強まったことは十分考えられる」と話している。
(朝日新聞東京本社発行 3月3日付朝刊)


■聖武天皇、仏教への深い帰依 きっかけは大地震?
http://www.asahi.com/edu/nie/kiji/kiji/TKY200603100142.html
*******************************************************************

なるほどね~♪

国分寺(こくぶんじ)、国分尼寺(こくぶんにじ)は、741年(天平13年)、聖武天皇が国情不安を鎮撫、護国のために、各国に建立を命じた寺院であり、律令体制が弛緩し、官による財政支持がなくなると国分寺・国分尼寺の多くは廃れたといいます。

折角、莫大な金額を掛けて作ったのにスグに廃れてしまった点を非常に不思議に思っていたのですが、地震多発によるパニック的な詔発令だったのですね。地震が収まり安定化すれば、もう目的喪失で廃れるのも分かります。

豊川市国府にも国分寺、国分尼寺があり、一度見学に行ったことがありますが、そこでは僧侶が常時1日中祈願している印象を受けました。「何をそんなに祈願することあるの?」と感じたのですが、こういった理由ならば納得です。全国の国分寺はそういった祈願の元に作られたわけなのですね。
※註 豊川の国分尼寺は平地から一段上がった地にある為、不思議に思っていましたが、多分、その当時はこの近くまでが海になっていたのでしょう。

■よみがえる天平の遺産~三河国分尼寺跡史跡公園のご案内~
http://www.city.toyokawa.lg.jp/enjoy/mikawakokubunnijiatosisekikouen.html
スポンサーサイト

Comments

No subject

このような考察はすばらしいと思うのでどうかこれからも続けてください。
楽しみにしています。

No subject

百間滝に行って来たよ、人いませんでした。
帰りに湯屋温泉駅の近くの五平餅屋さんで食べた
五平餅美味しかったですよ
青い物体面白いですね。
また素敵なスポットありましたら教えて下さい
毎回楽しみにしています。

No subject

はじめまして。

石巻山について最高に楽しい物語を書いて頂きありがとうございます。
究極な謎解きが面白いですね!!!

僕も地元なのでよく石巻山に登ったりしています。先日このしろの池から不老不死の水が繋がった十五夜に法螺貝を吹かせてもらいました。丹田から溢れ流れるエネルギーが宇宙に拡がる感覚に感動しました。

あまり知られてない秘密があるので、タイミングを見計らってコメントさせてもらい松☆

すべてに感謝です。

No subject

ワタスも昨夜 偶然にも仕事で国分寺に行っておっただす~

ところで ワタスも3年ほど前にオラクルさんにワタスの守護霊は役行者だと言われましたよ

その事は以前 掲示板に誰かが吉野の桜について投稿された時に
ちょこっと説明しておっただす~

どっちが本物の役行者の生まれ変わりかは、青い星から来た青い顔の彼らに聞いてみてくれだす~ 笑
http://blueman.jp/

No subject

コメントとありがとうございます!

>このような考察はすばらしいと思うのでどうかこれからも続けてください。

語り部の魅力は、その語る内容が突飛であるにも関わらず、調べていくと確かに辻褄があってしまう点です。これが真実の歴史である思いがだんだん強くなっています。

-さ~ん♪

コメントとありがとうございます!

>百間滝に行って来たよ、人いませんでした。

行かれましたか♪
人が居ないというのは、分杭のようにまだまだメジャーに成りきてれいからないんでしょうか?最近、新城市青年会議所主催で新城のパワースポット巡りのバスツアーがあるみたいで、新城としてもここを盛り上げて観光資源化していこうという意図をヒシヒシ感じます。

>帰りに湯屋温泉駅の近くの五平餅屋さんで食べた五平餅美味しかったですよ

うっ、そこに五平餅屋があったのか、、、、
今度行った時に食べてみます。

>また素敵なスポットありましたら教えて下さい

ふふふ、それは石巻山ですw

artさ~ん♪

コメントとありがとうございます!

>僕も地元なのでよく石巻山に登ったりしています。先日このしろの池から不老不死の水が繋がった十五夜に法螺貝を吹かせてもらいました。丹田から溢れ流れるエネルギーが宇宙に拡がる感覚に感動しました。

へぇ~、もう法螺貝吹かれたとは、、、、凄いです。
法螺貝吹くとそんな感じになるとは知りませんでした。機会があれば、是非、吹きに行きたいと思います。

>あまり知られてない秘密があるので、タイミングを見計らってコメントさせてもらい松☆

うっ、まだ何か秘密があるのですか!!!
是非知りたいです。

ドクタ~さ~ん♪

コメントとありがとうございます!

>ワタスも昨夜 偶然にも仕事で国分寺に行っておっただす~

ドクタ~、いろんな所に出没してますね~

>ワタスも3年ほど前にオラクルさんにワタスの守護霊は役行者だと言われましたよ
>その事は以前 掲示板に誰かが吉野の桜について投稿された時に
ちょこっと説明しておっただす~

ドクタ~の守護が役行者だったとは、、、、
その時のやりとりは見逃してしまった。残念です。
もしかしたら、みゆきさんとドクタ~は同じ魂のグループに属するのかもしれません。青い顔の人が言っていましたw

Comment Form

管理者にだけ表示を許可する

Trackback


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)