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バクティ・ヨーガ
ヨーガ(yoga、音訳:瑜伽、意訳:相応)にもいろいろありますが、「バクティ・ヨーガ」というのをご存知ですか?

ヨーガといえば、アクロバティックな格好をするハタ・ヨーガをまず頭に思い浮かべますが、バクティ・ヨーガは、バクティが「信愛」を意味するように、肉体的な修練を全く行わず、ただ「献身」の方法をとる信仰的なヨーガなのです。

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かの19世紀の聖者、ラーマ・クリシュナは、バクティ・ヨーガだけが肉体的修練のできない在家の人が、悟りにたどり着くたった1つの方法であると言っています。

感情としての愛ではなく、「(様々な形で想像される)最高存在への献身」と「自己放棄としての愛」を強調します。献身の対象となるものは、キリストやクリシュナのような神の化身や「聖なる母」というような人間の神的側面の精神的イメージである場合もあります。また、グルであったり、原理、教えである場合もあります。

自分を何かの対象に対し捧げ委ね切ることで、人々が「霊的合一」の山頂へと登り始めるのを援助します。結果、自己が無くなり、その対象にチャネリングするのです。

この神やグルを熱狂的に崇拝し、身心を献身的に委ねることで、クンダリーニを上昇させるといわれています。このバクティヨーガの手法を、キリスト教をはじめ様々な宗教が取り入れています。

スワミ・ヴィヴェーカーナンダは、バクティ・ヨーガについて、
 ・大きな利点…「目指す偉大な霊的目標に到達する為の、最も容易く、最も自然な道」
 ・大きな弱点…「程度の低いものは、しばしば、恐ろしい狂信に堕落する」
であると言っています。

確かに、この手法はいろいろな宗教団体で利用されており、もし教祖が誤った方向に導くと、大変なことになります(かつて、日本でありました)。信愛する対象は、グルのような現在生きている特定の人物では無いほうがいいとヤッズ★は思います。

このバクティ・ヨーガの実践者でもっとも有名なのは、マザー・テレサです。
彼女の場合、信愛する対象がイエス・キリストでした。


■愛の段階
愛にもさまざまな形や段階があり、バクティ・ヨーガでは、愛の段階を5段階に分けて定義しています。

□第1段階:シャーンタ(平和の道)
静かに平和に神様を礼拝する状態

□第2段階:ダーシャ(召使の型)
自分が主の召使だと思って行動する状態

□第3段階:サキヤ(友情)
人生は一つの舞台、その上で神様のお遊びを助けて遊んでいる状態

□第4段階:ワーツサリヤ 
神を自分の子供として愛し、わが子のためにいろいろなものを捧げるという状態

□第5段階:マドゥラ(甘美)
人間はすべて女性で、神様が自分の夫と考える状態  

この表からいうと、マザー・テレサは、第2段階でしょうね。
彼女の神の絶対服従的態度は、まさにこれだと思います。

既存の宗教団体では、この第2段階までが限界でしょう。組織としては、逆三角形のヒエラルキーが必要ですから、神と友達、子供、夫なんて関係は、組織的に成り立ちませんね。

ヤッズ★が、この中なら選ぶなら、第3段階がいいかな。
神と一緒に遊ぶスタンスって、なんか楽しそうでワクワクします(笑)。
そう「神との友情」です。あれっ、このタイトルどこかで聞いたことあるぞ。
あるいは、性別が逆でもOKなら、第5段階でもいいかな。

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■「偽りの自己」の消去
私たちは「これは<私の机>。」、「あれは<私の椅子>。」とよく言いますが、『私の』と言えるものは、実は、私に属していますが、私自身ではありません。

同様に「私の体」も本当の自分ではなく、体はただの道具にすぎないということになります。内面も「私の想像力」「私の思考」「私の感情」と呼ぶことから、思考、感情、想像力も本当の「私」ではないのです。

本当の自分といえるものは、実は、何にもないのです。どこまで行っても、見つかりません。それはまるで、遥か離れたところから届く星の光が、どこまで行っても点にしか見えないように、はるか奥深くにあると喩えられます。「完全な自我」は、「偽りの自我」の消滅によってしか達成されません。

スワミ・ヴィヴェーカナンダが、「どうしたら「私」とか「私のもの」という感覚をなくせるか」との質問を受けた際、彼は次のような例え話で答えました。

豪邸に住んでいる金持ちの男がいたとします。彼は用心のため獰猛な犬を飼っていました。もしあなたがその豪邸に入りたいと思ったら、2つの方法しかありません。

   方法1) その犬と仲良くなること。これがカルマ・ヨーガ。
   方法2) その金持ちの男が門まで出てきて、あなたを中に入れる。これがバクティ・ヨーガ。

※カルマ・ヨーガ:日常の仕事を無執着の態度で、何のために働くのかを意に介せず、働きのために働くこと。日本語では「作務」という禅宗の言葉が近いのではないかと思う。

この2つが「私」とか「私のもの」という感覚を、無くすためのただ2つの方法で、バクティ(神への愛)は「私」とか「私のもの」という感覚の元になっているエゴを消し去る最良の方法なのです。


バクティ・ヨーガ バクティ・ヨーガ
スワミ・ヴィヴェーカーナンダ (1991/01)
日本ヴェーダーンタ協会

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