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聖徳太子ショック

封印されていた東三河が豊葦原瑞穂国であったという真実の歴史を知ることや(ふふふ)、逆に今まで一般流布されていた真実ではない改竄歴史を知ること...等、こういった洗脳状態から自らを解放し、洗脳解除することが、実は「岩戸開き」=「覚醒」の第一歩だと睨んでいます。

というのは、夢の中で有り得ないチグハグな前後関係や自分のおかしな振る舞いの自覚し出した時に、今まで漠然と見ていた夢が急に「明晰夢」に突入してしまうわけですが、この世、つまり現実世界も実は「夢」のようなものであり、そこかしこにチグハグな内容や夢遊病者的な振る舞いをしている等...おかしさ満載なわけですが、それに気づくことで私たちの現実は「明晰現実」に突入するのです(笑)。

明晰夢に突入すると、今までただ受身になっていた夢の世界で能動的に動くことが出来るようになります。更に自覚意識が覚醒していくと「ここはコイツを登場させてと、、、」と夢の内容自体を自由自在に創作していくことも可能となり、夢の世界が完全に自分のコントロール下の置かれるのです。「明晰現実」でも同じことなのです。

これは、正に願望実現体質そのものです。(くふぉふぉ~ふぉ)

私たちが生れ落ち今まで体験していた幾多の出来事が実はある1つの方向性をもって存在していて、やがて、自らがこれに気づくかざるを得ない時がやってきます。つまり、自分だけが体験するオリジナルな「この世」とは、過去から未来までが一気に作られていてそれを小出しにチビチビと追体験していっているわけです。そのことに気づく為に、自分の世界で起きていた過去の事象、例えそれが一見自分とは関係のなさそう偉人の歴史であろうと、、、、、ベールを剥いて真実の現実を垣間見ることがその境地に至るキーなのです。これは映画でいうところの「伏線」と同じです(笑)。

では、その境地に至るには学校で習って盲目的に信じ込んでいる内容を1つ1つ解除訂正いくのもひとつの手でしょうか。例えば、古代日本の姿は主に正史である日本書紀の記述に従って構成されているわけですが、ここにはおかしな記述内容が多いのです。その1つがヘブライ語記述があったり、内容が架空で作為性があったりするわけですが、今回、その1つの分かり易い事例として選んだのが、聖徳太子の伝承です。

聖徳太子といえば、法隆寺ですが、今の法隆寺は創建当時とは向きが異なっているそうです。この創建当時の法隆寺を「若倉伽藍」といい、焼失した後に現在の「西院伽藍」が再建されたと言われています。しかし、最近の発掘の結果からは、出土した瓦や土にも焼けた跡がないこと、また関連建築物の位置関係から2つの伽藍が並立して建っていた可能性がないこと...等の事実から、若草伽藍は何らかの理由で壊され、中心軸の変更を替えられた上で伽藍を再建されたと考えられるようになってきました。

なんちゅう勿体無いことを。。。。。

でも金に糸目を付けずに、絶対しなければならない何かがあったのでしょう。
とっても不可解な行動です。

若草伽藍
(新旧法隆寺 赤線が若草伽藍)

あと、とても不思議に思うのは、国家守護に仏教導入する点で聖徳太子と蘇我馬子はコンビを組んで、反対派の物部氏と対峙したと記紀には記されている程に、上宮(うえつのみや)と蘇我家は非常に近しい関係だったわけですが、実際、記紀の記述では多くの血縁関係があります。しかし、その後の展開は風か聖徳太子の子・山背大兄王を蘇我入鹿が暗殺したとなるのです。記紀の内容からは、蘇我・上宮の両陣営は最後には敵対関係になってしまっているのです。とても不思議です。
※註 もっとも知恩院に所蔵されている国宝『上宮聖徳法王帝説』によると、山背大兄王は聖徳太子の子ではなかったと記されていますが、、、、果たして、、、、

しかし関連する寺院を見てみると、蘇我入鹿を祀る社が聖徳太子を祀っていて、聖徳太子の寺である法隆寺が入鹿を祀っているのです。
どこかチグハグなのです。

朝廷は何かを隠している。。。。

聖徳太子を必要以上に聖者として崇めているのは、聖徳太子への恐怖心の裏返しではないかと『聖徳太子の秘密』(チラ見)の著者・関裕二氏は推察しています。つまり、聖徳太子を聖者に祀り上げることでその怨念を封じた。。。。。。ここにネガティブをポジティブで中和するという陰陽道の封印術の臭いを感じますね。これは出世を妬まれ大宰府に左遷された菅原道真を祀った北野天満宮しろ、国譲りした大国主を祀った出雲大社にしろ同様ですね。もしかしたら、皇祖神を祀っているのに江戸時代まで天皇が親拝しなかったという伊勢神宮もその類かもしれません(笑)。
※註 伊勢神宮・内宮の本来の祭神は瀬織津姫であったという話も聞いています。いろいろな噂があって本当は何なのか、最近、もう何が何だかサッパリ分かりません。頭が混乱してます(涙)。

『上宮聖徳法王帝説』では聖徳太子を「法王」「帝」という呼称を付けて呼んでいますが、ここに何か秘密があるのかもしれません(ニタリ)。

例えば、、、聖徳太子は本当は天皇だったとか(ニタリ)。

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(2005/08/02)
関 裕二

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最近知ったある語り部の話から、この謎も解けてきました。

しかも、この内容を真実の歴史とするならば、邪馬台国消滅の謎、持統天皇の三河行幸の謎、天武天智の年齢差(弟である天武が4~16歳年上)の謎、天武系が祀られない菩提寺(泉涌寺)の謎、東三河に伝わる草壁皇子伝説の謎、徐福来日のその後の詳細、アラハバキ神、万世一系の真実、草薙剣の由来、諏訪大社にユダヤ的祭祀(御頭祭)がある謎、平安仏教(東密・台密)に景教が入り込んでいる謎、古代最大の内乱「壬申の乱」の真の原因(→大化改新と壬申乱は発生順序が逆)、日本のネーミングの謎(→日本は「二本」=両建て戦略)、石巻山のある八名郡の名の由来...が述べられていて全ての謎が氷解するのです。こりゃ~マジ凄いの一言。

なんといっても東三河を「穂の国」であるばかりか、このブログの結論、「豊葦原の瑞穂の国」として描いているだけに留まらず、徐福の「君子国」「大漢国」と述べているのです!!!

(東三河の)古き言い伝えは本当じゃった!(感涙)

でも、「絶対使用禁止」「厳重他言禁止」とあるからには、そう多くは引用できない。自重せねば(涙)。
※註 馴染みのない名が多く出てきて非常に理解し難いです。主語が省かれていたり、理由付けが割愛されていたりしているから尚更です(汗)。ヤッズ★は他の掲示板でもコメントしている内容全ても収集して時系列・内容別に分類し直して、理解度を向上させたほどです。でも、それだけ努力を払う価値があると思うのです。特に、東三河を徐福来日の拠点、「穂の国」「豊葦原の瑞穂の国」として扱っているものはこれ以外に知らないし、逆にこの記述があるからこそ、真実の歴史伝承だと信じれるのです。

■鳥取県の歴史
http://www.pleiades15.net/history/niwa.html

語り部が語る内容では、神仏論争の末、馬子が物部を攻撃したいう587年の「丁末の変」(物部守屋の変)は歪曲化されており、事実はこうであったといいます。

まず最初にハッキリハッギリさせないといけない点は、聖徳太子とは架空の人物であるという点です。
これは様々な歴史研究者でも同様のことを述べていますね。

自称救世主?のGスポット博士の説では、確か「聖徳太子=蘇我馬子」でした。
ヤッズ★も一時期、この説に傾きかけたことを正直に告白します(爆)。

では、語り部が語る聖徳太子はどうでしょうか?
それには太子像となるモデルがいて、、、、、

それは、、、ズバリ!上宮(うえつのみや)の高向王です。
※註 記紀によれば、聖徳太子(574年~622年)は飛鳥時代で、聖徳太子は天武天皇の父であり文武天皇は孫であるという。つまり、天武系天皇の系譜は「用明-崇峻-高向王(聖徳太子モデル)-天武(ヤマトタケル&スサノウモデル)-文武-聖武-長屋王(山背モデル)」という流れであるという。

日本の国力を上げ高句麗に対抗するべくアイヌ系エブス人の出雲王権の招聘で時代を違えて日本にやって来た2つのユダヤ王朝がありますが、この何れも出雲王権下にコントロールされていたといいます。出雲王権の基本は道教であり、当時の天皇制は弥生人の邪馬台国がそうであったように、政治の中心には巫女を据えていて、その巫女を娶った男王が大王となるとのことでした。

で、「丁末の変」はこの2者間の政変だというのです。

■高向王側 (扶余系・初期大王族・カド族・上宮) ※騎馬民族・契丹スキタイ
  物部守屋、三輪文屋、境部摩理勢、秦河勝...等

■舒明天皇側 (百済系・後期大王族・エフライム族・下宮) ※烏垣(中国北方)経由
  邇波子麿、弓束、徳太、小治田コモシキ...等

※註 この時はまだ舒明は天皇ではない。天皇に戦いを挑むことは逆臣の誹りを免れない。だからこそ、聖徳太子をでっち上げ一連の歴史改竄を加えたのだろうか。

高向王は高句麗に押されていた百済救援をせず、沖縄に隋が侵攻した事件を受け隋の高句麗遠征に期待するという安穏な政策をとった。そして大陸に目を向け隋に遣隋使(小野妹子)を派遣。しかし、肝心の隋の皇帝は暗殺され隋はあっけなく滅亡。隋の高句麗遠征という希望は脆くも朽ちたのです。

この政策に不満を持っていた百済を祖国とする下宮の舒明天皇は、その政治的不始をその政策の実質的な推進者である馬子に負わせるのではなく高向王に負わして、少人数の戦いを起こした。その戦いで高向王側は将軍物部守屋や境部摩理勢等を失った。東国との連携を三輪文屋が薦めるが、高向王はこれを拒んで再起を図らず、舒明に拘留され、幽閉中に毒殺されたという。

毒殺された高向王は舒明から「戦いを放棄した女々しいやつ」だと言われ、その頭蓋骨を粉々に割られ、さらにその遺体は婦人を埋葬するのと同じ様に父君・崇峻天皇と同じ墳墓に埋葬されたという。これが斑鳩にある「藤ノ木古墳」なのだそうです。

■藤ノ木古墳
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E3%83%8E%E6%9C%A8%E5%8F%A4%E5%A2%B3
(確かに男性二名が埋葬されている、、、、ただ大王クラスではないという学会の見解だが、、、、)

八尾市の大聖勝軍寺(太子堂)には、聖徳太子ら25名が毒殺された場面が描かれた「縁起絵巻」が保管されていたといい、さらには物部守屋の墓もあるそうです。この寺は一般には聖徳太子が物部守屋との戦いで戦況不利だった状況を「勝てば寺院建立する」と祈願して建立された縁起も持っていますが、この大聖勝軍寺は文字通り「高向王との戦に勝った舒明の軍の寺」という意味なのだそうです。意味が全く逆なのです。だからこそ、物部守屋の墓と毒殺絵巻が存在するのです。

これは、聖徳太子ショックとも言える内容です。

大聖勝軍寺
(ここに毒殺絵巻が隠匿されているというが、、、、今もあるのか?)

記紀には上記経緯はまったく記されていませんが、その逸話は山背大兄王に仮託した形で記録されています。

「皇極紀2年11月条に、蘇我入鹿の派遣した討伐軍によって斑鳩を急襲された山背大兄王らは生駒山の山中に逃れた。この時、三輪文屋君は王に勧めて、”深草屯倉に移向きて、ここより馬に乗りて、東国に至りて、乳部(みぶ)をもって本として、軍を興して還り戦はむ。その勝たむこと必じ。”といった。王は、「戦をすれば間違いなく勝てるであろうが、自分一身のために万民に苦労をかけたくない。」と答え、山から帰り斑鳩寺に入り、子弟・妃妾らとともに自尽したという。
※註 上記の「乳部」(みぶ)とは皇子誕生の際各皇子専用宛がわれる育児役職のことで、産殿に仕え育児・教育...等諸々を司る専属氏族や場所のことを指します。「壬生」とも書かれます。では上宮王家が所有する「乳部」とはどこ?となりますが、語り部によると聖武天皇は越国の三国氏を壬生として高向王となったとあるので、この東国とは越国となりそうです。もう1つの説は、石巻山が三輪山の元山であり三輪郷と呼ばれ、王に移動を勧めた三輪氏の本貫である可能性が高いことから上記乳部とは八名郡美夫郷を指しているという意見もあります(引用先)。しかし、ヤッズ★は石巻壬生は天武天皇の乳部であると思っている。

ここでも蘇我氏は貶められています。
この話を蘇我入鹿→舒明天皇、山背大兄王→高向王、自尽(自害)→毒殺と読替すれば同じ内容になりますね。

この毒殺絵巻を見た江戸時代の山片幡桃は、「ツイニ馬子、太子ヲ毒殺ス」と書いている。しかし、実は出雲王権の流れを汲む物部氏と蘇我氏は仲が良く、仏教を廻って戦ったりはしていないという。逆に蘇我氏は物部氏と組んで律令制国家を作ろうとしていたが、下宮(百済系)はそれに反対していた勢力であったという意見もある。
※註 蘇我(宗我=我は宗家の意)は出雲王権本流、物部は枝分かれした傍流だという。ただ、これではヤタガラスがいう「物部は徐福と一緒に来日したり!」という内容と真っ向から対立してしまう。ヤタガラスは泰氏中の泰氏である賀茂氏であり、しかも「賀茂が禰宜背負って来る」の語源となったように各地の神社に入り婿して縁起・伝承を抹消した張本人である賀茂氏が語る天智側有利なっているよう偏った内容なので信用は出来ない!?という感じもするのだが、、、、、果たして、、、、でも語り部の説くのを真実とすれば、何故負けて処分された泰河勝の神社仏閣(松尾大社、太秦寺)が廃止されず逆に隆盛を誇っているのか?果たしてどちらが真実を語っているのだろうか。語り部が語る内容は単なる自己研究に過ぎないのか? いづれにせよ語り部の説く内容には、古伊勢湾、天香具山の遷座、籠神社の元宮、菅原道真の誕生地(春日井市)....等、全く知らなかった多くの知見が得られたことだけは確かです。

語り部によると、蘇我入鹿は高向王(聖徳太子モデル)を毒殺した舒明に対して憤り、「甘樫丘」に監視所兵器庫を造営したという。事実、最近の発掘調査でも「甘樫丘」に土塁・兵器庫・兵舎の遺跡が出土していることから、これは飛鳥王宮を守る軍事拠点ではないかと言われており、どちらかというと王権の忠実な臣下といった感じです。今までの「逆賊蘇我」のイメージは180度変わってしまう。チャンナム大学教授ハプ・シンパル氏は飛鳥における「甘樫丘」は扶余のプソ山と同じ働きをしたと推定、飛鳥は扶余をモデルに作られたと述べていますが、上宮は扶余系大王族であった為、この説は非常に説得性があります。
※註 蘇我氏とは実は出雲王権の直系だが、高向王の父・崇峻天皇に葛城領を没収され恨んでいたが、高向王にその非を認め詫びられた為、高向王を擁立していたという。

■大化改新 隠された真相~飛鳥発掘調査報告~
http://www.nhk.or.jp/special/onair/070202.html

古来、神格化された為政者に
まともな死に方をした者はいない


これは有名な歴史法則ですが、新聞、TV、週刊誌を始めマスコミ各社が行う「褒め称えて持ち上げてから貶める」という手法と同じく、真理に近い法則です(爆)。

高向王(聖徳天皇)もこの法則に当てはまる!?

そう考えると、叡福寺(上の太子)にある聖徳太子の墓は石柱で2重結界が施されていますが、これは怨霊封じとも考えられる。聖徳太子自体架空の人物でありモデルとなった聖武天皇は藤ノ木古墳に埋葬されたことから、つまり、この御廟のある「上の太子」とは聖武天皇の怨霊封じの寺だといえそうです。

叡福寺 聖徳太子の墓
(叡福寺の聖徳太子の墓所といわれる北古墳御廟 一応、宮内庁管轄)
※註 開基(創立者)は聖武天皇とも聖徳太子であるともいう

いろいろ調べてみましたが、この語り部の語る内容、なかなかに説得力がある。
ただ、ヤマト王権が三王朝の寡頭政権であったという話は初めて聞く内容です。
しかも大王族が全てユダヤ(ヘブライ人)だったとは、、、、、今の世界覇権構造とまったく同じだ(爆)。

実際、日本にはユダヤの痕跡が腐るほどあります。
※註 日本におけるユダヤ(ヘブライ人)の痕跡は、、、、、アークを模した神輿、三種神器、御頭祭、祇園祭山鉾行列、片仮名、囃子言葉、神宮の幕屋構造、山伏兜布(ヒラクティ)、神官の服、鏡餅...等があるが、実際に彼らが日本にやって着たのか、それとも伝承を元にそれらが造り出されたのか、今のところ、はっきりした証拠はありません。しかし、偶然にしては一致が多すぎる。。。


(諏訪神社・御頭祭 兎足神社と同様、生贄を捧げていた)

しかも、この三王朝説を裏付けそうな証拠が伊勢神宮にあるのです。

その証拠とは、、、、過去に伊勢神宮は三正殿であったという事実です。
下図は三井神社に伝わる伊勢神宮の図ですが、外宮、内宮ともに三正殿になっています。
※註 飛鳥説では、キリスト教の「父-聖霊-子」という「三位一体」を表したものだという解釈です。ヤタガラスの話ではこの三王朝の話は一切出てこない。しかし、ヤッズ★はこの三正殿に関しては、出雲・上宮・下宮の三王朝説を取ります。

伊勢両宮図
(しかも三正殿配置は「斜め」であり、飛鳥説ではオリオンの三ツ星を模しているという)

三王朝は別々の祭殿を持っていたといいますが、国家祭祀である伊勢神宮の性格から考えて、この三王朝の崇める神をを1つにまとめていたのではないでしょうか。

つまり、三王朝一体(三位一体)が初期神道の原理でしょうか?

語り部によれば、この伊勢神宮の形式を改めたのが桓武天皇だという。
それはユダヤ的なものからより日本的なものへの変貌だったといいます。
※註 ユダヤは六芒星(ダビデの星)五芒星(ソロモンの星)がシンボルであるように「星信仰」です。この星を象った国旗を持つ国が多いのですが、これは国家中枢がユダヤに侵食された結果かもしれません(爆)。

しかも、伊勢神宮はイェシュア(イエス)を祀っているとは!!!
実は、これはヤタガラスが語る内容を元にした飛鳥昭雄先生の説とも同じ結論なのだが、、、、(爆)
※註 以前、ルガリア政府公認の超能力者ベラ・コチェフスカ女史が平成4年11月30日に伊勢神宮に行った時、外宮の多賀宮で嗚咽した話を紹介しましたが、では内宮に祀られているのは誰?という疑問については、正体不明とされる神道の最大最高の秘密であるが、それは「誰もが知っているあの人物」の事に他ならないといいます。天照大神の別名を解き明かしてゆく事で、その秘密は明らかになるという。世界一有名な人物、、、これはもうイエスしかいませんね。実際、太陽の化身として崇められていますから(笑)。

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桓武天皇は奈良での肥大化した仏教勢力を嫌い、都を長岡京や平安京に遷都した天皇として有名ですが、空海・最澄を唐に派遣して新しい仏教(平安仏教)を導入した点でも知られています。人物的には大胆なことを実行するタイプだと考えられます。きっと英雄タイプなのでしょうね。実際、後宮にたくさんの女性を囲っていたといい、まさに「英雄色を好む」でしょうか(爆)。
※註 桓武天皇こそ今に伝わる記紀を改竄(再編集)した張本人だと先の語り部はいう。しかも記紀自体を閲覧禁止にするし、日本書紀31巻目の系図、「天皇記」「国記」...等の古伝抹殺を焚書したともいう。そして桓武天皇の立太子の年、老齢の夫・光仁天皇を呪詛したとして廃位させられた井上内親王(聖武天皇の第1皇女・伊勢神宮斎宮)とその子供らを幽閉して毒殺し、初期大王族(天武系)を完全滅亡させた黒幕こそ彼だという。確かにこういう流れならば、斑鳩を拠点にした初期大王族(スキタイ騎馬民族)が奉じる妙見信仰を完全封印する理由がハッキリしますね。ということは、法隆寺の若草伽藍を壊し西院伽藍を再建したのも彼でないでしょうか!

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こういった改竄もプラス視点から見れば、桓武天皇は日本を1つの日本人としてまとめ上げ、星信仰という外国由来のものから太陽信仰という日本的なものへ変容させた大立役者と評価できるかもしれません。だからこそ「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや」と宣ったのは、意外や意外、桓武天皇だったのかもしれないのです。
※註 もっと好意的に解釈すれば、仏教の背後には仏魔がいるのは日月神示も述べているところですが、桓武天皇は仏教勢力の背後にいる仏魔を感じ取り怖れていたのかもしれません。ですから、彼の取った一連の行動はユダヤの至宝や「約束の地」であるこの国を外国勢力から守る為だったのかもしれない。その証拠に初期大王族は滅ぼしたが、招聘元の出雲族は臣下の「国造」(くにのみやっこ)として配置し温存しているのです。これは来るべき時に「神はじめの神」を出現させる為の温存策であり、カモフラージュかもしれない。あるいは単に神意が働いただけかもしれないが、、、、

この言葉を述べたという聖徳太子(高向王)は、若草伽藍の軸方向から考えるに妙見信仰(北極星やシリウス)であったと思われ、太陽をさほど重視していなかったと思います。ですから、この太陽を中心に据えた名文句「日出ずる処の天子...云々」を発する筈はないのです。
※註 この隋の煬帝に送ったに送ったという国書は実際には存在していませんし、もし本当に送ったとしたら、中華思想を持つ隋は激怒して外交問題にまで発展していたでしょう。聖徳太子は架空の人物なので、この国書送付の話も全くの架空の話でしょう。しかし、この言葉で国威発揚して日本人が日本人として唐と対等意識できるようになったことだけは確かですね。それがこの刺激的な言葉の真の狙いだったのでしょう。
※註 伊勢神宮を20年毎に行う遷宮を創始したのは、この桓武天皇だといいます。つまり、「神道経済」の創設者でもあるわけです(ニタリ)。

そして、このシリウスの方向とは東北-西南軸で、正に艮の方角なのです。

ここで封印された「神はじめの神」艮の金神と結びついてキタ━━━━(゜∀゜)━━━━ッ!!
※註 艮の金神の登場が、弥勒の世、岩戸開きなのです。桓武天皇が行った一連の太陽信仰は実は「偽の岩戸開き」であり、実は次の太陽となるニビル信仰こそが「真の岩戸開き」なのだと睨んでいます。で、シリウスを崇敬するのは、ローマ時代にシリウスAとBの輝きが入れ替わったように、中心恒星の入替=岩戸開き=次元上昇という現象があった為に崇拝したのだろうと思います。
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コメント

画像頂いてもいいですか?

みろくんと申します。私も古代が好きですが、ヤッズさんはすごくいろいろと調べておられますね。感服いたします。

私は表面だけさたっと謎を面白がっているだけですね。

奈良旅行記をアップするに当たり、太子道の記事を書く予定です。

その際、若草伽藍の画像を使わせていただくととても分かりやすくなると思っています。

画像使用の許可をいただけないでしょうか?どうかよろしくおねがいいたします。

みろくんさ~ん

コメントありがとうございます。

>ヤッズさんはすごくいろいろと調べておられますね。感服いたします。

私も表面だけですよ~。
特に語り部の話の真贋にポイントを絞って調べています。
でも、数点、本当だと分かるだけで日本史がひっくり返りますね。

>奈良旅行記をアップするに当たり、太子道の記事を書く予定です。

これは楽しみです♪
実は、偶然にも12/4、5で奈良法隆寺に行っていたのですが、この記事にコメ頂いたのは、旅行最中なのです。スゲーシンクロw

>若草伽藍の画像・・・画像使用の許可をいただけないでしょうか?どうかよろしくおねがいいたします。

大きな声では言えませんが、このブログの画像は無断掲載ばかりです(爆)。ネットにうっぷした時点で、文章も画像も共用化に呈したものだと考えていますので、「金銭的な損害」「名誉毀損」「個人情報の拡散」以外の画像認可など不要ではないかと思っています。ですから、ヤッズ★からは、この画像使用については何も言えませんw

ありがとうございます。

お返事、ありがとうございます。

私の記事は知識が浅いのでほんのちょっと説明する程度になると思います。

おお、法隆寺行かれてたんですか?ホントにすごい偶然ですね!

私は「新説?!日本ミステリー」が大好きで、そこで太子道のことを知った程度です。

お伊勢さんがイエスだとドびっくりですね。日本人としては複雑ですが、仏教徒なので、まぁ、それもありかな…です。

私のブログでは主に持病に関するマンガを描いています。健康な方にはピンと来ないかもしれませんが気が向いたら見ていただけたらと思います。

本当にご丁寧なお返事、ありがとうございました。m(__)m

No title

頂いた画像で、記事を書きました。

ヤッズさんの知識を持ってご覧になったら恥ずかしいような稚拙な記事なので、アップしたのをお知らせするのがかなりためらわれたのですが、やはり、画像を頂いたのでお知らせするのが筋と、自分を奮い立たせてお知らせに参りました。

遅くなりましたが、ご興味があったら記事を覗いていただけたらと思います。

こちらの記事になります。
http://blogs.yahoo.co.jp/miro_kun3690/18345240.html

画像、ありがとうございました。

来年も良いお年になりますように。

No title

初めまして。
いつも興味深く、面白く拝見しています。
初コメントさせてください。
桓武平氏の千葉氏は妙見信仰なのですが、どういうことかな?と首をひねっております。
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ヤッズ★

  • Author:ヤッズ★
  • ヤッズ★(八頭)です♪
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