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豊葦原の瑞穂の国

古代ユダヤと日本の関係は、すでに疑うべきレベルにはなく、今は下記の解明が急務となっている。

■日本最大の内乱「壬申の乱」の真の原因とは何?
■イスラエルの「失われた十支族」は本当に日本に来たのか?
■原始キリスト教徒は本当に聖櫃(アーク)を携えて来日したのか?
■今、聖櫃(アーク)はどこにある?
■天照大神とはイエスキリストのことなのか?
■日月神示の神「艮の金神」とはいったい何者?縄文の神か?
■瀬織津姫、アラハバキ神と艮の金神の関係は?


これらの鍵を解くものとして、日本史の中でも特に天智天皇から天武天皇、持統天皇に至る治世において、藤原不比等らが日本各地の神社に対し行った祭神変更(=それまでの神を封印)の謎を解き、その元の状態を知ることで上記の謎も全て自然に解けてくるものと考えています。

しかも、そこには単なる支配者側の歴史改竄に留まらない何か「遠大な計画」がある???

実は、ここが日月神示がいう岩戸開きのポイントでもあると睨んでいるのです(ニタリ)。

岩戸開き
(「岩戸開き」は聖書にある墓所でのイエス復活シーンだというが、、、、墓所で裸踊りしてたか?)

古代日本とは、どういう国だったのか?

その真の姿を知ることが日本精神の復興に繋がり、ひいては封印された神である「神はじめの神」の復活に繋がっていくのかもしれません。世界に類を見ない芸術的センスを持ちながら戦争を好まなかった太古の縄文人のDNAを持つ日本人が、この封印された真実を知ることで覚醒し「真の日本人」として、今後、蘇るかもしれません(笑)。

古事記では、日本は「豊葦原の瑞穂の国」と書かれていますが、正確に言うと「豊葦原の千秋長五百秋長之瑞穂の国」なのですが、、、、、これは、豊かな広々とした葦原があって、みずみずしく美しい稲穂が実っている国という意味合いでしょう。

別名、「葦原中国」「豊葦原中国」とも云われ、単に「中津国」(中つ国)とも云われています。これは神々の住む天上世界である「高天原」と死者の住む世界である「根の国」の間に存在するからという理由からです。そういえば、ロード・オブ・ザ・リングの世界も「中つ国」(ミドル・アース)って言っていましたね。

でも、この葦原中国、どこにあるか未だ確定していません。

神話世界の話ゆえ実際には無かったという意見が多いのですが、それは王権の中心地だろうという観点から、無理矢理、当時の日本の中で考えるならば、その比定地は畿内の大和盆地や三輪山近辺であろうと考えられています。しかし、残念ながら大和地方に葦は繁っていません。そのような肥沃なデルタ地帯はないのです。

このような曖昧な情況なので、葦原中国の比定地をシュメールであるとするトンデモな説すら唱えられることもあります(爆)。
※註 「シュメール」という言葉はアッカド語であり、シュメール人自身は自分たちの国を「葦の主の地」という意味の「キエンギ」と呼び示したという。これが「葦原中国」を指すという説です(笑)。ただ、河口デルタ地帯は世界中のどこでも葦が広がった肥沃な土地であり、そこは農業に適していたので、単なる環境形容の一致に過ぎないこじ付けレベルの話だと思っています。

ヤッズ★が考える「豊葦原の瑞穂の国」の比定地は、スバリ、「穂の国」です。

「瑞穂の国」「穂の国」、よ~く似てますよね~(笑)。
えっ! 聞いたことないですか?(ジロリ)

大昔、東三河一帯を「穂の国」と呼んでいたといいます。この名称、実は古事記や日本書紀には一切載っていません(爆)。ただ、『先代旧事本紀』の『国造本紀』に「三河地方は、古くは『三河』と『穂』の二つのクニに分かれていた」と記されており、「三川穂国造」がいたと書かれているだけです。

■Virtual State 穂の国
http://www.honokuni.or.jp/

万が一そうなら、高天原(たかまがはら)も自然と東三河の高原地帯ということになってしまうのではないでしょうか(笑)。事実、奥三河の花祭りには「ここが高天原だよ~ 全員集合!!!」という意味の歌詞もありますので、マジに東三河の奥地が高天原だったのかもしれませんよ(笑)。

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■花祭と高天原伝説
奥三河の花祭の神楽の歌詞に「千早振るここも高天の原なれば、集まり給え四方の神々」とか「伊勢の国高天原がここなれば集まり給え四方の神々」などの言葉があり、ここが高天原であると繰り返し宣言している。花祭で舞う鬼たちは「榊は塩土老翁、山割は須佐男神、姫神は日の大神(天照大神)、しおふきはたぢから神」とされ、高天原の神々が花祭の中心になっている。


花祭り01
(湯立て神事の「花祭り」「花の舞」「霜月祭り」は、かなり縄文入ってる?) 
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このように三河地方、実に不思議なところなのです。

例えば、ハリーポッターには「クィディッチ」という魔法の箒で3タイプの空飛ぶ球を追いかけるスポーツがありますが、アジア唯一のクィディッチのプロチームとして「豊橋天狗」というチーム名が『ホグワーツ校指定教科書』に載っているのです。
※註 「豊橋天狗」は負けた試合では自分達の箒(ほうき)を燃やす伝統を持っていると書かれている。

■クィディッチ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%A3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%81

魔法界でも、豊橋は意外と有名なのです(爆)。

この地域には、きっとホグワーツのような天狗の魔法学校があるに違いない!!!
※註 確かに、この東三河の「三神山」には昔から天狗や仙人が住むといわれていて、石巻山には「赤天狗」、本宮山には「青天狗」、鳳来寺山には「利修仙人」がいるといいます。そのような理由から、この三神山は昔から修験道の修行場としてにぎわっていたのです。で、今でも石巻山に修験者がやって来て法螺貝を吹くという。

でも種明かししてしまえば、多分、著者が下の画像を見てテキトーに入れたんじゃないかと思う(ニタリ)。欧米の目から見ても東三河は他の日本の地域とは異なって、かなり土着的で魔術的な要素を持つ不思議な地域に見えるのでしょうかねぇ???

鬼祭り
(豊橋の伝統行事「鬼祭り」 左が天狗)

手筒花火
(同じく伝統行事の「手筒花火」 これを「箒を燃やす」とされた?)

このように知る人が知る東三河ですが、ここに「穂の国」が存在して、そこに「国造」(くにのみやっこ)と呼ばれる中央からの役人が派遣されていた筈だというわりには、この近辺からそれを裏付ける木簡が全く出土していません。また、『先代旧事本紀』自体が他の文献を参照にしつつ平安期に作成された偽書だとという意見もあるのです。
※註 聖徳太子と蘇我馬子が編纂...云々とある序文は明らかに後世の捏造である。ただ本文まではどうかというと、様々な資料から参照して書かれた点や知らない物部の記録が残る点では、記紀を補完する第一級の資料であるのは間違いないところです。

ただ、『国造本紀』に関しては資料的には充分信憑性があるものと評価されていますので、この点から信じることが出来るのですが、なにぶん記紀には「穂の国」は全く登場してきません。

実に不思議です。
そんなもの最初から無かったような書き方なのです。

何か封印されているような感じすら受けます。
※註 封印されているのは阿波も同じです。

「穂の国」が存在し、そして、更にそれが「豊葦原の瑞穂の国」であったという確証的物証は今のところありませんが、いろいろな傍証的な事実はあります。

本来、参河というのは、矢作川西の地帯を指していて、今の西三河が参河国であり、東三河はそこには含まれていませんでした。やがて一緒に扱われ「三川」となったといいます。では、一緒になる前の東三河とはいったいどんな状態なの??? ここが「東三河=穂の国」だと考える出発点でもあるのです。

この東三河は神社の祭神にスサノウやニギハヤヒを祀っている神社が多い「物部王国」であり、さらに時代を遡れば、石巻山と対比される本宮山(=三河一宮の砥鹿神社の奥宮)にアラハバキ神が祀られていることからも、出雲やナガスネヒコとかなり密接な関係があった地域だと類推されます。
※註 ナガスネヒコは長い脛(すね)の持ち主という意味からきているそうですが、これだと大男ということになりますね。これはダイダラボッチという巨人に繋がっていきます。さらにダイダラボッチは製鉄神であることから、出雲とも繋がってくるのです。

では、何故、この東三河が物部王国となるのか?
ヤタガラスがいうには、、、、、、、

「物部氏は徐福とともに日本に来た!」

と云っています。これが本当かどうかは分かりませんが、もし本当なら物部氏は徐福一行の末裔でしょうか?もっと深く言えば、太古の渡来系氏族は大体が出雲の王に招かれて日本列島に上陸したというのが本当のところだそうです。ですから、太古の渡来氏族は必ず出雲神を祭るわけで、これは日本全国どこでも同じなのです。事実、司馬遷の『史記』に記載されている徐福の話には「中国から多数の人々が海を渡り、倭国を造ったのが中国からの渡来人達であった。」という史実があるのです。つまり、かつての倭国は出雲王権と中国大陸からの渡来者で固めていた国だったということになります。このようにして見ていくと、徐福と共にやってきた古い渡来系であるという物部氏が出雲と深い繫がりがあっても当然ですね。

東三河が「物部王国」というのは、どういう理由からでしょうか?

国家祭祀方法の対立にまで発展し、蘇我馬子らの崇仏派に攻められ滅ぼされた(丁末の乱)物部氏の一大拠点は東大阪・河内国でしたが、これに準じる物部の拠点がこの東三河にあったということでしょうか?それとも、、、、出自がこの東三河だったのでしょうか?

物部氏はヤマト王権の兵力・警察力を司っていましたが、その権力の源泉は武器を作る製鉄氏族であるところからきています。製鉄氏族であるからには何らかの形で出雲と関係がありそうです。もしかすると、、、、出雲王権がヤマト王権の軍門に下る前には、物部氏は出雲王権を構成する重要な氏族だった可能性もありますね。

物部氏が「徐福と一緒に来た」ならば、徐福の痕跡が東三河にあっていい筈です。
それが判明すれば、東三河が物部の拠点とい謎の突破口になるかもしれませんね。

実際、東三河には徐福来訪伝説が多くあり、その伝説を伝える「兎足神社」ではかつては猪の生贄を奉納するという中国的な神事が行われていたといいます。
※註 そういえば、生贄神事は諏訪神社の「御頭祭り」でも75頭の鹿で行われていますね。「兎足神社」では近年は12羽の雀(この12というのもイスラエル12支族を暗示?)にスケールダウンしてしまいましたが、かつては75頭だったのでしょうか?徐福一行は東三河→遠州→南信濃→諏訪→富士へ至ったといわれているので、この兎足神社の神事も中国というよりもユダヤ的祭祀だった可能性もある。

兎足神社
(巨大でリアルな兎神輿)

また、石巻近辺の赤引という地名の場所では「赤引きの糸」という上質の絹糸を産していて、御神衣(おんぞ)を作る為にその糸を三ケ日の神服部氏が宮司を務める初生衣神社に持って行き、そこでの「和妙」(にぎたえ・絹布)を織り、再び戻って豊川を下り、湊町神明宮に到着後、そこから船で三河湾を横切り伊勢神宮に毎年奉納していたといいます。今でもこの「おんぞ祭り」毎年行われています。
※註 実はカミサンの実家は湊町神明宮の氏子だったのだ(笑)

古代機織
(現存する日本最古の機織機 800年ほど前のもの)

養蚕機織は渡来系の技術です。

こういった技術は渡来系の泰氏が携えて来たと言われますが、蓬莱山(ほうらいさん)、方丈山(ほうじょうさん)、瀛州山(えんしゅうさん)の三神山を目指した徐福も同様にたくさんの技術者を抱えて来日しています。彼らは始め熊野に到着し、その後、そこから足を伸ばして本来の目的地である不老不死の妙薬のある蓬莱山に向かったわけですが、この途中、東三河にも到達したものと思われます。

富士文書(宮下文書)では、徐福の本拠地は富士高天原王と呼ばれ富士山麓(忍野八海の辺り)にあったと書かれていますが、さらに富士山の噴火で富士高天原王朝が滅したという記述もあるのですが、地質調査の結果では、文書の記述通りに富士山中腹から富士急ハイランド近辺にかけ溶岩が流れた形跡が認められるものの、縄文時代の住居形跡が見られる程度で、言われているような富士王朝という高度な住居跡は存在していないことは明白であり、このことから徐福起源の高天原王朝は場所を変えて書かれた「偽装」なのでは?という意見もあります。

実は、偽装した本拠地はこの「兎足神社」がある東三河であり、、、、、、
徐福が目指した三神山とは、、、、、

鳳来寺山、本宮山、石巻山だったという驚愕怒濤な話があるのです(おおっ!)。

『牛窪密談記』によれば、徐福本隊は愛知御津から陸に上がり、本宮山の麓一帯に住んだという記述があるそうです。一部の者はさらに遠州を経て、南信濃、諏訪を抜け、富士山の方に達したともいう。彼らは中央構造線沿いに内地に入っていったというわけです。中央構造線沿いの秋葉街道が「塩の道」と呼ばれ太古の昔から存在していたことが思い浮かびます。この東三河は海に面している為、海上交通の便を考えればこの東三河に多くの人が残って、本州内陸部への中継基地的な役割をしていたというのは非常に理に適っていると思います。

鳳来寺山
(神仙の山・鳳来寺山 これは蓬莱のもじりか? 三大東照宮の1つがここにある)

一般的に蓬莱山に比定される富士山はかつては「浅間山」と呼ばれて、かぐや姫の姫の置き土産の不老不死の霊薬を山の山頂で燃やした逸話が元になって、名を浅間山→不死山→不二山→富士山となったといわれています。確かにかぐや姫のいる天に一番近いところで燃やしたというという点からは富士山が一番相応しいですね。ただ、この蓬莱山(富士山)の近くには方丈山や瀛州山が無ければならないのに、それらに比定される山が存在しません。これはどういうことでしょうか?
※註 済州島は昔から瀛州とよばれ、その島には韓国の最高峰、漢拏山(1950m)というカルデラ湖を備えた火山がありますが、それを「瀛州山」と呼んだというが、遥か東海に浮かぶ三神山という記述内容からは近過ぎる気がします。ただ間違いなく徐福はこの済州島に到達しており、この島で3人の童男が居残ってしまったところから、「三姓穴」という地名が出来たといいます。

富士山
(蓬莱山に比定される富士山)

漢拏山
(瀛州山に比定される済州島の漢拏山)

智異山
(方丈山に比定される釜山の智異山  ただ海の中にはないが、、、、)

日本に到着して土着化した徐福一行は、初めは名を「泰」と名乗っていたが、この中国風な字をやめ「羽田」「波多」「畠」...等と変えたり、徐福の「福」をとって「福島」「福田」「福岡」...等の日本風の姓に改名したと言われています。
※註 「泰」氏名が多い四国・阿波もこの徐福の流れです。阿波の歴史が書かれている『阿波風土記』が明治維新のおりに政府に取り上げられ封印され今は宮中に秘蔵されているというのも記紀が伝える内容と食い違うからでしょうね。そして、空海が三河の吉祥山に根本道場を作ろうとしたのも、四国に八十八箇所巡りという封印術を施したのも、この中国・徐福の到達した事実を封印する為だったと睨んでいます。

事実、この東三河には、羽田野、羽田、泰とかのハタという地名や人名が多いです。

そういや、ヤッズ★は羽田中学校出身だったぞ(爆)。
いやぁ~、あの名称は実はそういうことだったんだぁ~

京都・太秦で有名な泰河勝も養蚕技術を持って4世紀頃来日したといいますが、徐福が「泰」を名乗った点でも同じです。つまり、泰河勝は徐福の末裔ではないかとも考えられます。しかし、記紀には応神天皇16年に朝鮮半島の百済から百二十県がやってきて帰化し、日本に養蚕・機織を伝えたとあり、徐福が来日したのは2200年前で、弓月君の来日は今から1800年前のことで、そこには400年の時間のズレがあります。

記紀が記す泰氏の祖は半島出の弓月君に偽装された?
※註 これは百済系の藤原不比等が行った歴史改竄と睨んでいます。これで中国系渡来の歴史を完全に封印したのです。卑弥呼の件もそうですが、中国の文献に載っている事象が日本の文献(記紀)に一切載っていないのは、不思議を通り越して呆れるばかりです。こいった事実があること自体が、記紀は歴史を捏造した「偽書」であるという明白な証拠になるのです。

もう1つその根拠となりそうなのがです。端午の節句に街中を挙げて凧上げをすることで有名なのが遠州・浜松ですが、凧は中国が発祥地だと考えられ、凧の起源 は紀元前400年の頃、中国の魯班が凧を作ったといわれています。この凧を徐福(紀元前3世紀頃の人)が日本に持ち込んだとは考えられないでしょうか。(証拠はないですが、、、)

また、峠を1つ隔てた浜名湖の北側の浜北市には「高根山古墳群」という日本最大規模の古墳群(太古35基+中世128基)が存在します。一説によると高根山は2階建ての古墳になっており、下壇部を含めるとその長さは500mを超えるということになります。そうなると日本最大の仁徳天皇陵(488m)を超え、日本最大の古墳となります。(がはは)

■高根山古墳
http://www.d2.dion.ne.jp/~okamoto1/iseki.takaneyama.htm

アラハバキ神はナガスネヒコと共に東北に渡っていったとされていますが、実は、東三河の山中にはアラハバキ神を祀る神社が多いのです。東大阪・河内国のイカルガノ峰に天降ったニギハヤヒと戦って負けて家来となった縄文の蝦夷・ナガスネヒコの聖地がこの東三河から遠州に掛けてのエリアに存在していた可能性が非常に高いですね。
※註1 アラハバキから変容したとされる門客人神の像は片目で祀られていることが多いという。片目はダイダラボッチもそうであるように製鉄神の特徴です。これは鍛冶氏族である物部氏、ひいては出雲王権と深い繫がりがそうさせたのではないかと睨んでいます。

※註2 「アラ」は鉄の古語であり、山砂鉄による製鉄やその他の鉱物採取を実態としていた修験道はアラハバキ信仰を取り入れていたという。名が似ている秋葉神社が火の神であるというのも、この製鉄神である可能性が非常に高い。

※註3 ある掲示板には、「持統時代に持統自身が各社を行幸して三河までの縄文系の祭神を一掃したが、それまではエミシの社会、文化が濃厚に残っていたと考える・・・・(中略)・・・・持統は自ら行幸してまで、瀬織津姫を祭祀しないよう、正確には瀬織津姫を瀬織津姫ではなく天照大御神の名で祭祀するよう説得して回ったんじゃないかと思う。」と持統天皇の謎の三河行幸について書かれていたが、正にそうだと思う。つまり、瀬織津姫=水の神=アラハバキ姫神だったのである。 この対極に位置するのがアラハバキは「アラハバキ神」は、出雲神族(龍蛇族)の伝承によると、「クナト大神」の配偶神とされる女神であった。クナト大神は地蔵や道祖神に、アラハバキ神は弁天様に変えられ祭られているという。外宮や内宮は祟りを恐れた天孫族による封じ込めの神社。天皇家が親参しない理由がわかりますね。「荒蛇斬」、スサノオの別名。「熊野」は「クナト」からの転化 出雲族殲滅が行われたとき、出雲族の根源神・クナト神は抹殺されたらしいです。男性太陽神女体化と瀬織津姫抹殺。つまり、これはイエスの受難(十字架刑前の去勢)とマグダラのマリアの娼婦化と同じ構造なのです。


このように東三河には中国系渡来人の徐福やその同行者の物部色が濃い地域であるのですが、記紀にこの東三河のそういった特徴が全く記されていない点が非常に怪しいのです。

権力闘争に敗れた物部氏はと称されましたが、そう考えると、先の豊橋の伝統行事である「鬼祭り」も物部氏に繋がる氏族を鬼として駆逐した歴史的なイベントの名残かもしれませんね。

一度は崇仏派に破れ去った神道派ですが、大化の改新は中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌足(藤原鎌足)という百済系が起こしたクーデターであり、実は蘇我馬子、聖徳太子らの崇仏派を除去した神道派の復権だったのでもある。
※註 飛鳥昭雄先生によると、封印した側の賀茂氏は、実は泰氏や物部氏の流れであり、神道派が復権したのに神道の祭神を変更していったのは、これは他国からの霊的侵攻を防ぐべく意図的に表舞台から隠してカモフラージュしたというが、、、、確かにその後、神道は神仏習合の流れに乗り、明治期の国家神道が復活するまで廃れ放題だった。仏教とはその実、バラモン教であり、日月神示の言葉を借りていえば、「仏教の渡来までは、わずかながらもマコトの神道の光がさしてゐたのであるなれど、仏教と共に仏魔わたり来て完全に岩戸がしめられて、クラヤミの世となったのであるぞ、その後はもう乱れほうだい、やりほうだいの世となったのであるぞ」というが、その仏魔はインドの金毛九尾の悪狐に操られたものであるという。「封印」はこれら仏魔による神仏習合という霊的攻撃を回避したのかもしれない。

石巻山を拝する照山のスグ近くには、賀茂神社がありますが、この神域内には神山古墳(直径28mの円墳)があります。東海地方では大きな部類に入りますが未だ未発掘の古墳です。元々、この地の賀茂神社は京都・下鴨神社側から請われて創建されたという経緯があるそうで、実は、この神山古墳を封印するために賀茂神社が造営されたんではないかとヤッズ★は睨んでいます。(ニタリ)
※註 この古墳は周囲にかかる霧が龍の姿で天に登っていくという言い伝えから「龍神古墳」とも呼ばれている。これは何らかのエネルギーを発するものが、この古墳に収められているからかもしれない。

神山古墳
(神山古墳)

となると、この神山古墳に日本史がひっくり返るような途轍もないものが眠っている可能性もある。

そ、それは、、、、草薙剣かもしれない(爆)。
※註 あくまでヤッズ★の地元贔屓的な妄想的歴史ロマンですが、実は①草薙剣が熱田神宮に収まる前には「菟足(うたり)神社」に保管されていた、②古神道系の一説によると草薙剣は三河にあった、③雲伯の語部が「三河に(草薙)剣あり」とのお告げをしたことがある、という傍証があるのです。現在は熱田神宮にあるというのは本当だとしても、元々は東三河にあったと思います。伊吹山のスグ向こう側が伊勢神宮なのに、還すのにまた再び尾張まで戻ってこなくてはならなくなる。何故ワザワザ尾張に置いていくのか?という疑問をずっと思っていましたが、東三河が高天原であると考えれば、この東三河で日本武尊に草薙剣を渡し、東征成功後、今度は伊吹山に出向く途中の熱田神宮に剣を預けていったという話なら辻褄が合います。なにせ草薙剣はメノラーのような形態であって実戦向きではなく、ケース自体も何十にもなっていて重いのです。途中で置いて行きたくなる心情も理解できますね。さてさて、真実やいかに。

天地主大神璽
(照山で見つかった「天地主大神璽」(天地主の大神がここに現れたという印)の石碑、これが神器がここにあったという印でもあるという。実際に、「草薙剣」は徐福が中国からこの地に持ち込んだものなのかもしれない。)
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真実新聞。

『パラレルワールドテレポーテーション1分の1発動開始』。

《葦》は、《悪し(あし)》にも通じ、荒れ地に生えるものです。

だから、ヨシなのです。
よしのずい
吉原

冒頭の《肥沃な土地はない》を訂正すれば、なにか見えてきませんか?


ちなみに、断定するほどの知識や資料を持ち合わせていませんが、直感的に高天原は、奈良葛城地域にあったのではないかと思います。
神武が熊野入りをしたといっても、
九州から熊野はピンときませんが、葛城なら、納得できそうです。
ヤタガラスも、《動物》ではなく、三人(三家)の豪族ととらえれば、神武派だけど勢力の拡大が想像できます。

神話の世界とはいえ、なにか下地になるエピソードはあるはずです。

もっとも、キリストはキリスト教を説いていない。仏教(なあ亜流)に触れて感動したキリストが、ユダヤ教と融合させた教えを説いたと思われます。
事実、キリスト教の原始教義に仏教的な要素はふんだんに残されています。
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