オコツトが語る日本神界【P31】

「外界=内面」という「変換人型ゲシュタルト」で有名なオコツトですが、彼が日本神界の神様に関することを述べた箇所があったので抄訳して抜粋します。

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■天照大神…人間の意識が対化を持つ前に生み出された上次元の方向を持つ力。
         (人間の肉体が生み出される一つ前の次元)
■イザナギ…「定質」のこと
■イザナミ…「性質」のこと
■月読…テイキュウシン(底球心?定球心?)のこと
      (付帯質の内面に生み出されたもの。精神が生み出されていない次元)
■スサノオ…定質の等化を行うときに生み出された力。意識のことです。
■三種の神器
 【玉】転換のこと 転換を持つものすべて。
 【鏡】精神の方向性のこと 精神が反映を持つこと
    (新しく次元が生み出されるときがカガミ)
 【剣】対化のこと

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う~む、さっぱりワケワカメです(汗)。
解釈の仕方が全然違います。

でも、この表現、カバラの「生命の木」で解釈すれば意外と分かり易いです。

生命の木003

原初の人間、つまり男性性と女性性に二極化されていない両性具有の「アダムカドモン」が①ケテル(王冠)であり「天照大神」と比定できます。さらに、男性原理を表す②コクマー(知恵)が「イザナギ」(アダム)であり、女性原理を表す③ビナー(理解)が「イザナミ」(イブ)となりますね。

現在は天照大神は女性神として奉られていますが、かつて男性神が成り済ましで入れ替わったとか云われているように「天照大神」が女性神であるのか男性神であるかは実際のところ釈然としません。しかし、これはアダムカドモンの両性具有であって、まさに符合します。

オコツトのシリウス用語では、「定質」とは「意識進化(アセンション)への方向」であり「陽」、「性質」とは「意識降下(ディセンション)への方向」であり「陰」と解釈されていますが、「生命の木」の右側の「慈悲の柱」(ヤキン)は能動的なものであり、左側の「峻厳の柱」(ポアズ)はそれを受取った際に実現される受身的なものになっています。つまり、「陽」と「陰」ですね。例えば、「知恵」→「理解」、「勝利」→「栄光」のようになっています。イザナギが「定質」で「慈悲の柱」側の「陽」であり、イザナミが「性質」で「峻厳の柱」側の「陰」であることも一致しています。

さらに、オコツトは下記のように説明しています。

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カガミとは太陽のことと考えられても結構です。
太陽が持っている力。垂質の等化を持つ力。
定質を等化することによって垂質が生まれます。
垂質を等化することによって精神の反映が生まれ、
垂質は人間の意識に反映されて上次元との交差を生み出す力となります。

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そうなると、神社の御神体である鏡には、「自分の姿を映して意識昇華させる」意味合いがありそうです。

では、月読、スサノウはどこに当て嵌まるでしょうか?
月読は「ダート」、スサノウは「マクルト」でしょうか、、、、、この辺は自信がありません。

でも、高天原から落ちた堕天使であるスサノウは、最上部のケテル(王冠)の対極である最下部のマクルト(王国)が相応しいと思います。

カバラでは、この生命の木はマクルトとケテルが何段階にも繋がっていると解釈されていますが、これはこの次元の最上部の天照大神(ケテル)は次の次元の最下層のスサノウ(マクルト)となり、また次の次元の天照大神(ケテル)は次々の次元のスサノウ(マクルト)になるというように多層的な構造をしているのではないでしょうか。この二貴神は互いに相反する裏表のような2重性を持っているのではないかと睨んでいます。

真の岩戸開きで出てくるのがスサノウだという「日月神示」の話とも符合します。善と悪とは相対的であって、互いが無ければ認識できず存在しないものですが、この世の「善」とは自分に都合のいいことが「善」であり、それは即ちエゴイズムの考える判定でしかありません。次の世界は、実は善悪反転した世界であってエゴイズムの考えることは全て「悪」となる「授与」世界なのでしょうね。

さらに、「日月神示」では、天照、月読、スサノウはこのように表現されています。

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天にもあまてらすすめ大神様、あまてらす大神様ある様に
地にもあまてらすすめ大神様、あまてらす大神様あるのざぞ。
地にも月読の大神様隠れて御座るのざぞ。
素盞鳴の大神様罪穢れ祓ひて隠れて御座るのざぞ。
(日月の巻 第37帖)

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このようにどこにでも、天照、月読、スサノウが隠れているわけです(笑)。一般的には、これら三貴神は「太陽」「月」「地球」を表していて別々の管轄があるという解釈ですが、日月神示ではそうはなっておらず、全てのものに潜んでいるとなります。

三種の神器は実在するものですが、それらはかつて征服し支配した被征服側の王権が持っていた宝であったという解説もあります。しかし、オコツトの解釈では諸力を表す象徴という程度の意味合いになってしまいます。

しかし、『日月神示』でも三種の神器のことをこう表現しています。

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玉とは御魂(おんたま)ぞ、鏡とは内に動く御力ぞ、剣とは外に動く御力ぞ、これを三種(みくさ)の神宝(かむたから)と申すぞ。今は玉がなくなっているのぞ、鏡と剣だけぞ、それで世が治まると思うているが、肝腎の真中ないぞ、それでちりちりばらばらぞ。
(富士の巻 第3帖)

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玉…魂、鏡…内向力、剣…外向力
 ということです。

R・シュタイナーの言葉で言えば、「内向力」とはルシファー的諸力、「外向力」とはアーリマン的諸力となるでしょうか。先のオコツトの解釈とはまた違いますね。しかし、オコツトの「剣=対化」と言う指摘は、人間が自分とは相対的な外界世界に表現することでもあり、即ち「外側に向かっていく力」であることから、同じことになりますね。さらに、「鏡=精神の方向性」とは「内側に向かっていく力」です。

このように、オコツトと「日月神示」とカバラの一致をみるのですが、これはかなり興味深いです。



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Comments

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アマテラスは遠い未来からタイムマシンでやって来た地球人で神ではありませんよ。それに間違いなく女性です。

当時の人には得体の知れない乗り物でやって来た力のある存在だから神と思い込んだだけです。
これが、天孫降臨の神話となった。ただの人間だから普通の人の目にも見えたわけですね。
タイムマシンが天の浮舟ということです。

天の岩戸とは、地獄の第7層であるゲヘナの扉のこと、岩戸の番人だったスサノオが悪魔に食われたので、アマテラスが岩戸開きを阻止していたというのが事実ですよ。

世界中の神話、聖書、日月神示どれも全てが真実の物はありませんよ。

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