伊雑宮神人と「うちは一族」

前回、伊雑宮へ探訪して分かったこと。

うちは一族01

アニメ『NARUTO』の血継限界「写輪眼」を伝承するうちは一族とは、御田植祭の際に巨大なウチワが登場する伊雑宮の神人たちがモチーフであったであろうということ。

うちは一族

うちはマダラが持つ団扇がまさにこの巨大なオオウチワですね。

うちはマダラ

六道仙人の眼を継承するうちはの力を怖れる火(ほ)の国は、火の国の隠れ里創設者ではあるが、うちは一族を決して国の主要部には付かせず警務部の役目を与え隔離して排除した。団結が固いうちは一族がいつクーデターを起こさないかもしれず、毒を持って毒を制するという方策が一族に与えられた試練。

この辺の経緯が伊雑宮神人が起こした数々の騒動とも重なるわけです。それ以上にうちは一族の扱いは、天孫系支配地域において「まつろわぬ民」=地祇系はエタ・ヒニンとして下層賎民と称される身分に置かれ、刑執行の長吏という警務役を与えられたが、これが現在の警察機構にまで及んでいる。

同様に志摩磯部こそが「うちはの里」であり、地祇系=物部神道の属する伊雑宮神人たちが「うちは一族」のオリジナルであった。ナルト作者の岸本斉史氏はここまで知っていて漫画を書いたのだろうか? マダラ、妙木山、カグヤ一族、スサノオ、九尾、、、、このような広範な日本に関する秘教知識を持っているので知っていて描いたのかもしれないし、エヴァの庵野秀明氏同様、秘教団体から知識を授けられていたのかもしれない。

前記事では、伊雑宮の近くの佐美長神社(さみながじんじゃ)では、昔はスサノオを祀っていたといい、スサノオを祀っていたのなら、その境内の社殿の前横にある4つの小さな祠は祓戸大神ではないかという話を紹介しました。

志摩磯部もまたスサノオと縁の深い地だったのです。

ちなみに祓戸大神の四神とは、、、、

■瀬織津比売・・・もろもろの禍事・罪・穢れを川から海へ流す
■速開都比売・・・海の底で待ち構えていてもろもろの禍事・罪・穢れを飲み込む
■気吹戸主・・・速開津媛命がもろもろの禍事・罪・穢れを飲み込んだのを確認して根の国・底の国に息吹を放つ
■速佐須良比売・・・根の国・底の国に持ち込まれたもろもろの禍事・罪・穢れをさすらって失う

偽書の烙印を押されているが、大成経によると、志摩磯部では伊雑宮の左右に磯部大歳社(佐美長神社)と杵築大社(正式名・杵築宮御光大神宮、その後に千田寺に改修)を配し、六芒星の印が刻まれた参道で外宮、内宮とが結ばれ、二社三宮を構成し、古くは伊雑宮=日神、内宮=星神、外宮=月神を祀っていて、伊雑宮から日神を取られたと述べている。

これは太陽神が地祇系のニギハヤヒ(天照国照彦火明櫛玉饒速日命)から天孫系のアマテラスの女神に変えられたことに起因しているのだろう。

伊雑宮神人が流刑された神島では、今でも新年の初日の出の際に、登って来た太陽と共に「偽の太陽」を掲げ追い落とす奇祭・ゲーター祭が行われているが、これは「天に二つの日輪なく、地に二皇あるときは世に災いを招く。若し日輪二つある時は、神に誓って偽りの日輪は是の如く突き落とす」故事から来ていると云われるが、伊雑宮神人の持つ思想「本当に日神を祀るのが伊雑宮」が反映されたのだろうと睨む。

日本にいる代表的な渡来三系は渡来時期とルートが異なるが、神社に三社を祀ることから、表神道の伊勢神宮や裏神道の賀茂神道(秦神道)も同様にこの渡来三系を祀っていると考えられる。

オイラの考えでは、、、、

表神道(伊勢神道)・・・多神教の総本山(庶民の神道)
■内宮(天孫系)
■外宮(天神系)
■伊雑宮(地祇系)
※外宮も内宮も天孫族主導で創建され、比較的新しい。 

裏神道(賀茂神道)・・・一神教の総本山(支配者層の神道)
■下鴨神社(天孫系)
■上賀茂神社(天神系)
■河合神社(地祇系)


だと睨んでいる。これは蚕の社の三柱鳥居で示される三渡来系一体化の結果ではあるが、そもそも日本は天神系・邪馬台国・徐福国の旧三王朝の誓約から始まり、その後の天神系・大倭・王治(尾張)の新三王朝の誓約を経た後、南ユダ族の渡来を受け天神系・地祇系・天孫系の新々三王朝となった。これが古事記・日本書紀に描かれる「造化三神」(天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神)ですが、日本は裏では古代から続く族長政治体制がずっと続いている。

アメノミナカヌシノカミ01
(天之御中主神の姿は、うちはマダラの姿そのまま)

この三位一対を表す言葉が三輪ですね。それを図案化したのが「三つ巴」です。

三つ巴

このように伊勢神宮と賀茂神社は三社が一対一で対応している。明治期の式年遷宮までは伊勢神宮の正殿は3つの正殿が一体化して斜めに並ぶオリオンの3つ星を模した正殿形式だったが、国家神道の徹底からか、唯一神明造りの1つの正殿タイプとして建て直された。この三正殿が天孫系・天神系・地祇系のそれぞれの祖を祀っているのは明らかですね。

内宮 昔
(明治末期の内宮正殿)

この三社のなかでは、伊雑宮と河合神社の矮小化ぶりが突出してますね(笑)。

天神系の中臣末裔を称している藤原不比等も本当は天孫系であり、中臣系図を買って接続したに過ぎない。この不比等により河合神社は規模を縮小化され、伊雑宮のニギハヤヒは日神(天照大神)の地位を下ろされた。

このニギハヤヒの妻が瀬織津姫です。

しかし、ここでが、、、室町から江戸時代は北朝天皇と源氏という北朝支配=地祇系支配だった筈ですが、その地祇系が矮小化されているのがどうにも理解しがたい。北朝支配ならば社殿はもっと地祇系は豪壮になっていてもいい筈。やはり平安~江戸時代までは天孫族が支配層であり、北朝=藤原北家=源氏=北イスラエル族、南朝=藤原式家=平家=南ユダ族という枠組みは明治維新後の近年限定の話なのだろうか?

うちはの里に眠る秘密とは、即ち、志摩の伊雑宮に眠る秘密に他ならない。江戸時代の先代旧事本紀大成経問題...等、この宮には日本の歴史を大ドンデン返ししてしまう秘密が隠されている。

その1つはスサノオは女神であったということ。これは大本でも言っている内容です。確かに、ウガリット神話やギリシャ神話では戦いの神はアナトやアテナのように女神になっています。アマテラスが男神であったと同様、スサノオが女神であっても決しておかしなことではない。スサノオは根の国を支配していますが、根の国=陰であり、陽の男神ではおかしいのです。やはり根の国支配はイザナミ同様、陰の女性神が陰陽原理とも一致するのです。

アナト
(愛と戦いの神アナト 主神バアルの妹であり妻)

つまり、本当のスサノオとは瀬織津姫であった。

事実、出雲大社の先にある日御碕神社は、約一千年前の村上天皇の天歴二年、勅命によって清江の浜の経島(ふみしま)の百枝しぎ社に祀られていた神素戔嗚尊を移したと云われ、その名残が無人島に残っている。地元の人の話によると、天照大御神=男神、神素戔嗚尊=女神であり、神素戔嗚尊は天照大御神の母なのだという。このことから神棚の中央は本当は天照大御神ではなくスサノオが来るのが正しいと思われるのですが、古事記の日本神話でも、左目からアマテラス、右目からツクヨミ、鼻からスサノオが誕生しているように中央に配置するのが正しいのかもしれない。

さてさて、A鳥A雄氏によると伊雑宮本宮化が本格的に動き出すと、日本海側の同じく六芒星を社紋にもつ籠神社と「阿吽(あん)」を形成し、時が至れば大ドンデン返し的な事が起きるらしい。

それはイエスの再臨、弥勒下生ともいう内容というのだが、果たしてどうなのだろう。単に天孫系天皇を廃して地祇系天皇を立て日本版NWOを打ちたて世界天皇に押し上げるという算段なのかもしれない。ただ、少なくとも日本神道や大本はそれに向けて動いていることだけは確か。

神事で使われる巨大ウチワには、簡便に逆さミッキーとしても表される「州浜」(蓬莱山を箱庭化したもの)が描かれていますが、これは志摩から海を隔てた反対側の東三河に存在し、徐福一行が目指した東海三神山(蓬莱山・方丈山・えい州山)に対する信仰であろうと思われる。

州浜台
(州浜台)

東三河は銅鐸=蚩尤神事が発達した地であることは、「三遠式銅鐸」の出土物を見ても明らかですが、この蚩尤と伊雑宮の原始アマテラス信仰に何らかの関連があるのだろうか?

武器を司る兵主神とも称される蚩尤(シユウ)自体、スサノオを表すものであり、根源的な出自は遠く中東のバアル神であり、地祇系(北イスラエル族&ペリシテ人)が日本に伝え、彼らが渡来し都にしていた出雲の地でも祀っていた。この出雲のヤマタノオロチを退治して、その尻尾から出てきたのが「草薙剣」。それを祀るのが尾張の熱田神宮の八剣宮。

尾張の地も本巣市がそうであったように地祇系の一大拠点であった。

天孫族に先立って降臨した天津神がニギハヤヒとされていますが、実はこれが地祇系のことであり、地祇系の神道が物部神道。神武を導いたヤタガラスはこのニギハヤヒに属する組織なのだろう。確かに河合神社を地祇系社殿と見立てた場合、ここにヤタガラスが祀られていることは偶然ではなさそうだ。

志摩三河

志摩と東海三神山の蓬莱山の前に立ちはだかっているのが豊川稲荷のダキニ天ですが、この豊川ダキニ天を篤く信仰したのが恵州客家末裔の九鬼嘉隆。世界を裏支配している「海の民」末裔である客家=ペリシテ人自体が国を滅ぼされた九尾=ダキニ天=ジャッカルと閻魔=大魔神=サムソンの結託を非常に怖れているからでもある。この結託は地祇系と天孫系の融合でもあるが、アニメ『NARUTO』でも九尾人柱力のナルトとスサノオのサスケの協力関係で暗喩されているが、正反合の双頭作戦を駆使してコントロールする側にとって正と反の結託は一番厄介なものである。

しかも、九鬼家支配下の磯部の地で明治期に豊川稲荷社殿新築時の贈物として楠の切り株を掘ったところ、倭姫命の石棺が出土したことから伊雑宮が倭姫命が八咫鏡を安置した元伊勢であったことが判明した。その後、伊雑宮から天照大神の神名と八咫鏡が内宮に移され創建されたわけだが、、、、、、このように志摩の伊雑宮と東三河の豊川稲荷は二重三重に霊的な繋がりがあるのです。

『志摩軍記』によれば、志摩は「磯部七郷には地頭がいないため、周辺の地頭から侵される恐れがあり、そこで百姓たちが波切の九鬼弥五郎(浄隆長男・澄隆)を頼ったところ、紀州九鬼にいる舎弟の九鬼右馬允(嘉隆)を薦めたので磯部の地頭とした。 ところが彼は国司北畠氏と結託し、志摩二郡を下すとの御教書(みきょうしょ)を得て十三地頭を攻撃し、持ち前の水軍力と権謀術数によって次々と斃し、兄の弥五郎も舅の主水をも攻め滅ぼして鳥羽城主となり、志摩一円を支配した」とあるが、実際には「物部家より出て伊雑宮(伊勢神宮の別宮)の長官を務め、磯部七郷と的矢三郷を支配する英虞郡的矢砦主の的矢美作守が地頭であった。1531年、九鬼隆次は三浦新助と計り、的矢美作守を討ち取った。その後、十三地頭を攻撃し志摩一円を支配下に収めたのです。九鬼氏支配下になった磯部七郷、的矢三郷では伊雑宮の神領の多くを奪われたという。九鬼文書にはウシトラのコンジンが登場しますが、この時、ウシトラノコンジンも九鬼氏に奪われたものではないかと考えられている。

つまり、ウシトラノコンジンも元々は物部神道の地祇系の神であったと云える。まぁ、ウシトラノコンジン=国常立命=スサノオ=牛頭天王=蚩尤=バアル=ルシファーですから、これが祖であるニギハヤヒ(天照国照彦火明櫛玉饒速日命)=天照大神(男神)と繋がっていくのは当然と云えば当然の帰結ですね。

蓬莱山には不老長寿の仙薬を持つ仙人が住むと云われる地ですが、これを目指して始皇帝の命令で徐福が日本に渡来してきた。アニメ『NARUTO』では妙木山と呼ばれる場所。この妙木とは「妙なる木=扶桑樹=東洋の若木=生命の木」のことであり、これが蓬莱山の麓に自生していた。

この北イスラエル族十支族である地神祇系のうちガド族が拠点にしたのが本巣市。尾張氏も海部氏もニギハヤヒの末裔。名古屋近郊に海部郡があるように、元々、海部氏も伊勢湾に関連した氏族。地祇系の宝物である草薙剣が名古屋の熱田神宮に安置されている理由でもある。

河内と同様、尾張名古屋は地祇系のメッカだった。

イケメンばかりが揃う「うちは一族」ですが、名古屋のイケメンゴリラのシャバーニ様はうちは一族の末裔かもしれない(超爆)。

イケメンゴリラ
(ヘッセン=ナッサウの本拠地オランダ生まれのシャバーニ様)

うちは一族はスサノオを究極奥義として持つが、通常は火遁使いで、一族の紋にも赤色を使う。赤と云えば蚩尤旗の赤、共産コミュニスト、「赤い盾」のロスチャイルドですが、スサノオ=牛頭天王=蚩尤=バアルであり、うちは一族=伊雑宮神人=地神系=北イスラエル族=物部神道(古神道)であり、イエズズ会に属する勢力となる。

また、サスケが常時携帯する刀が草薙剣ですが、草薙剣は伊雑宮の本宮化に合わせ、熱田神宮から伊雑宮への返還が噂されている。

元々は伊雑宮の所有物であったのだろうか?

少なくとも、スサノオ、草薙剣、隔離と弾圧、クーデター....から「うちは一族=伊雑宮神人」であるという等式には得行くと思う。

草薙剣01
(サスケの草薙剣)

一方、常にサスケとは常に反目するが絆を大切にするナルトは、常にオレンジ色の服を纏っています。オレンジと云えばオレンジ公ウィリアムのオレンジであり、アイルランドの「オレンジ結社」(Orange Order)のプロテスタントでメーソンですね。

ナルト

オレンジ結社

■サスケ・・・スサノオ(蚩尤・バアル)、地祇系、イエズス会
■ナルト・・・九尾妖狐(ダキニ天)、天孫系、メーソン


つまり、ナルトとサスケの確執と協力で物語が進むアニメ『NARUTO』とは、メーソンとイエズス会の反目と同目的の実現の暗喩でもあった。まぁ、いづれもヘッセン=ナッサウの支配下ですが、、、、

このイエズス会系はにし逆さミッキー(州浜)の地祇系はロス茶の「赤」であり、蚩尤旗(赤旗)がシンボル。またディズニー並びにハリウッドを擁するメーソン系の天孫系はプロテスタントのオレンジ色がシンボルカラー。この両者が統べる(融合)時が来るのだろうか? アニメ『NARUTO』や伊勢出雲同時遷宮や出雲社家と現皇族の婚儀をみる限りそれは着々と進んでいるかのようにも見える。

州浜とミッキー
(各々が△と▽でもあるが融合で六芒星を構成し、赤と橙が混じると神社仏閣の朱色(バーミリオン)になる)

最近、ユニクロで下記のようなTシャツを発見した。

赤ミッキー
(990円也)

こ、、、これは!!!

これこそ地祇系(赤)と天孫系(ミッキー)の融合、、、、鶴と亀のバロムクロスでもありますが、これで籠の中の鳥は出でることが出来るかもしれん(爆)。

年甲斐もなく思わず爆買してしまっただす~。
はたして着て歩けるだろうか?(滝汗)。
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ブロードキャスト(放送)とクロームキャスト

今年、5月末にオイラが所有するSONYブラビア内蔵のYoutube視聴アプリがグーグルのアプリサポート終了で視聴出来なくなり、Youtubeを大画面に映せず悶々とした生活を送っていましたが、仕方がないので中華パッドからHDMI接続で大画面化して視聴していた。

ただ、HDMIコードが邪魔なのと、下に音量...等のバーが見えるのがチトうざいですね。画像も少し縦方向につぶれて、少し太めに映るのも気に入らない。

先日深夜、思い直してブラビアのブラウザからGoogleを出し、そこからYoutubeを検索し、視聴したい名称を入力して見ればいいんじゃないかと考え作業し始めた。画面が出すまでにかなりの時間が掛かった。だが再生ボタンが表示されず全く視聴出来ない、、、、

キレてWi-Hi経由TVスロリーミングのGoogle Chomecastをアマゾンでポチッとしてしまった。

完全にGoogleの思う壺の展開(爆)。



で、翌朝9時にはもう到着した。 は、、、早過ぎる(滝汗)。

所有スマホにアプリ導入して早速使ってみた。視聴したい名称を入力してTV側にキャストして大画面表示するわけですが、TVリモコンで検索するよりも楽であり、視聴したいものを「TVキュー」に登録しておけば、次々と再生される。画質も前のよりも綺麗になった感じがする。特に黒色に深みが出たような感じ。ただし、ネット環境や状態にもよるがHD画質がSD画質に変わってしまう場合もあるらしい。

で、早速、AOAの新曲「Heart Attack」を視聴。


(チョア様、、、カワイイだす。日本語バージョンはいつ発表なのか?)

うん、いいねぇ、、、まぁ、満足ですね(爆)。
ただ、TV1台につき1台買わなければならないのはなぁ、、、

動作に不安があるが、2台目用はパチモン臭が漂うEZCastにするかもしれません。

こちらは実はChomecastよりも先に出ているのと構造が全く違うのでパクリではない。パクったのはデザインやマークを後出しして変更している点。実はスマホ再生動画をそのままミーラーリングする方式の為、本家がまだiPhoneではミラーリング非対応の為、この部分にアドバンテージがある。この機能によってゲームプレイ画面もDailymotion等も表示可。アップルTV並みの機能を誇り、どっちが本家だかという感じの製品。

アニメ関係の視聴の場合、Youtubeだけじゃダメですからねぇ(笑)。



っていうか、EZCastの方も買ってしまった(爆)。

EZCastは所謂、無線HDMI的な製品であり、端末(スマホ、タブレット)で再生したものを無線で画面表示させるのに対し、Chomecastは動画URLを指示してChomecast側で再生させるという仕組み。EZCastはAirPlayでミラーリングが出来るが動画まで表示できない。動画はEZCast専用アプリでという姿勢。

以前、車内ネットワーク化を図ろうとしたことがありますが、車内にHDMI配線を張り巡らすのが煩いので断念した経緯がありますが、このEZCastなら簡単に実現できそうです。(HDMI端子のある液晶モニタを車内に設置すれば、スマホから動画を飛ばす)

EZCastに関して、Chomecastとの比較で書いてみると、、、、

(長所)
1)写真をTV画面表示可能
2)各国ライブTVが視聴可
3)スマホ保存の音楽がTVで聴ける
4)AirPlayが可能(画面自体のミラーリング)
5)プロジェクター/モニタとスマホを無線接続する為、持ち運び容易化 (車内LAN構築可)

(短所)
1)スグに固まりネットから落ちる
2)連続動画再生の指示が出来ない
3)音楽再生時の画面がしょぼい(巨大な音符マークw)


ただ、この長所も実はEZCastアプリがChomecastでも使用可能という神アプリなので、長所が長所ではなくなってしまう。

オイラ的な使い方(バックグランドミュージック代わり動画をTVで流す)の場合、連続再生したい動画を予め指示が出来ない点は致命的ですね。まぁ、頻繁にバージョンアップ対応しているので、こういった欠点もいづれ改善されていくとは思うのですが、、、、如何せんEZCastはデザイン、操作性にセンスがないしダサい。その点Chomecastは洗練されている。

今なら、ChomecastとEZCastアプリ(無料)の組み合わせが最強でしょう。

これなら、海外ライブTVやトップ画面のミラーリングは出来ませんが、音楽をTVから流すことが出来、動画はDailymotion、vimeo、VEOH、videojug、IMDb、videobash、YOUKUまで複数が視聴可能となります。
※Chomecastは動画はYoutube、HULU...等のCAST対応アプリはまだまだ少ない。

これでTVは擬似スマートテレビに変身してしまうわけだが、今後、TVは受信装置、地デジカード認証装置...等が無くなればもっと安くなる筈で、単なる表示装置(モニター)だけとなるかもしれません(笑)。

実は、パナソニックから既にビエラ・スマートテレビが販売されていますが、既存のリモコンを使っていてはダメダメですね。スマホがその役割をアプリで通じて受け持てばよく、実際、その方が「文字変換」...等、格段に操作性がいい。Chomecastは今、それに一番近いところに来ていますが、地上波表示指示や録画指示がスマホ側から出来ないのが欠点です。
※SONYブラビアにはリモコンアプリがあるので、アプリ切替でなら実現可能だが、出来れば同一アプリ内でスムースに操作可能なのが望ましい。SONYは対応する気はあるのか?(笑)

液晶モニター40

このデザインで40インチの2K4Kで7万7000円(現時点)は安いかも、、、、

PHILIPS(ディスプレイ) 40型4K対応ワイド液晶ディスプレイ 5年間フル保証 BDM4065UC/11

まぁ、その時はNHKを始め既存の放送局壊滅の時であるのだが、、、、(爆)

現在、販売されているTVやスマートTVはARIB(電波産業会)の準拠により電源ON時に地上波TV放送局が先に映るという愚かな規制に準拠して作られているが、これを満たさないとTVでCMを流させて貰えない。パナソニックのビエラがそれに該当しますね。これは既存放送局の利権保護を最優先した結果でもありますが、ここには利用者の利便性という視点が完全に欠落している。

日本にはこういったものが実に多過ぎる。

この他の利権を侵さないような商品作りをする為にエポックメーキングな商品が出てこない。最も知られる例がIPODですね。ウォークマンのSONYから本来出てしかるべき商品でしたが、アップルに市場を取られてしまった。このようにエポックメーキングな商品開発に注力しない為、いろんなものと組み合わせた商品や他社と同じような商品開発ばかりに突き進んでいく。

で、世界中どこからも見向きもされないガラパゴス家電が出来上がっていくわけです。そして、飽きられて市場を失う、、、、「平面スピーカー」が日本のオーディオを抹殺してしまったようにメーカー自体の存続も危うくしてしまう(滝汗)。


(ホットドックトースター、、、パンも具も一緒に調理、、、、米国のガラパゴス商品は何故か心くすぐる。こういう商品が日本では出てこないなぁ、、、)

民放各局は電力の「発電・送電分離」のように、長らく「ハードとソフトの分離」「経営と編集の分離」「放送と出版の分離」...等に代表される「クロスオーナーシップ問題」という新聞社が放送業に資本参加するなど特定資本が多数のメディアを傘下にして影響を及ぼす批判をよそに、放送に関わる特定資本が優遇され続けてきている。多分、ここに「摂家システム」が介在していると睨んでいるが、実際、民放キー局をトップとした系列は、地方の名家を地方支配の道具とした「摂家システム」と同じような仕組みとなっている。

この利権を保護・擁護しているのが総務省ですが、将来の天下り先の確保でもあるが、完全に「摂家システム」と一体化している。

まぁ、官僚自体、ベルファシの一翼ですからねw

三ケツ神の地 探訪記3

前記事で書き忘れたことだが、神島に流された伊雑宮の神人は、奇祭・ゲーター祭り(新年の初日の出の太陽を叩き落とす祭り)を行うことによって、内宮に掠め奪われた日神を偽の日神として祓い落とす神事を行っているのではないかと睨んでいる。

さてさて、伊雑宮を後にしたオイラたちは一旦はそのまま伊勢に戻ろうとしたが、まだ12時と時間が早いので、ここまで来たのならサミット開催地の賢島に行ってみるベとそのまま南進した。距離にしてたった16kmしかない。

■賢島
来年、サミットが行われる場所が賢島の「志摩観光ホテル クラッシック&ベイスィート」。政府関係者が泊まるクラシックの方は耐震構造改造中。各国首脳夫妻が宿泊する全50室がスイートルーム構成のベイビューの方は、意外とリーズナブルな金額れもあり、今後、人気化しそうな感じ。近鉄の株価上昇も分かるような気がします。ただ宿泊者以外立ち寄れない場所だった。

島カン
(窓から外の景色を眺めながら風呂に入れる)

多分、サミット開催中は沖合いに米軍空母が停泊し威圧を掛けることでしょう(爆)。

仕方ないので、近くのホテル宝生苑のラウンジでコーヒーとフリーズドケーキを食しながら、運転の疲れを癒すことにした。

賢島は本土からたった10m幅の海で隔たれただけの小さな島ですが、巨大な高級ホテルが何軒も立ち並ぶ地域で英虞湾クルーズの起点にもなっている。この島に通じるのは2本の橋があるのみで、非常に警備し易い場所ではあることは確かですね。

サミット当日は賢島を歩いているだけで拘束タイホされるでしょう(爆)。

しかし、本当に2016年に伊勢志摩サミットが賢島で無事行うことができるのだろうか? 伊雑宮の御田植神事が暗示する2015年の神事結果が気に掛かります。しかも、最近、地元近くの○○市の老人が「今年のたけのこは異常だ。こんなことは初めてだ。今年はきっと何か大変なことが起きる!」と語っていたという話を聞いた。どう異常なのかは聞いていないのですが、放射能土で異常なほど巨大化でもしていたのか? 非常に気になる話ではある。

巨大たけのこ
(鹿児島の巨大たけのこ)

今年10月には経済制裁で追い詰められたロシアが米国を核攻撃するので米国裕福層が金を持って国外からゾクゾクと逃げ出しているという嘘か本当か判断付かない内容も伝わってきていますが、AIIBでギリシャ救済を画策する中国も将来を悲観してか上海で株が大暴落しますたが、今後、ズルズル下がっていくのでしょうか? また、北朝鮮にゾクゾクとイスラエルから人が流れ込んできているともいう。今、世界経済の水面下では何か異常なことが起きていることをヒシヒシ感じる為、すんなりと2016年を迎えられるとは思えない状況になってきている。

それ以外にも、ブルガリアのババ・ヴァンガの予言では、今年2015年中頃にはオバマもプーチンも辞任すると述べていますが、これではサミットにはオバマもプーチンも参加できない。まぁ、開催地を決め「戦争の出来る普通の国」に戻す筋道を付けたた安倍ちゃんも同様に退陣だという噂もあるが、、、まぁ、ババ・ヴァンガは外した予言も多いので当るかどうかは不明だす~

2015年9月3日、、、マヤ暦は今度こそマジに終了となるのか?

オバマ01
(オバマ欠席の時は、是非、この男に替わりに出席して貰いたい)


■斎宮
最後に回ったのが斎王の宮(斎宮)です。閉館時間が押し迫っていたので、博物館では30分しか見れなかったが、斎宮跡地の規模の大きさに少しびっくりでした。

斎宮

これは小さな御所ですね。

事実、葱華蓮(そうかれん)という御輿には天皇、皇后、斎王の3人しか乗れないものと規定されており、斎王自体が天皇皇后と同格なのです。まぁ、その理由は斎王はもう一人の天皇(裏天皇)の皇后であるわけですから、当然と云えば当然ですね(笑)。

斎宮自体がもう1つの天皇家の血胤保存システムとして作動していたわけです。と同時に表に出ないながらも姻戚関係を保ち、付かず離れずという地位を可能にしている。

斎宮は天武天皇が壬申の乱に勝利した時から始まったとされ、鎌倉時代末期までの660年間続いた。斎王は天皇の皇女から選ばれるが、天皇の代替わりの際に斎王も交代する。これと同様なものが賀茂の斎院です。

薬子の変で平城京派の平城天皇と平安京派の嵯峨天皇が兄弟で戦ったのですが、実際のところ、系図など当てにならず、両天皇が桓武天皇の実子である保証はない。現に現○室でさえ顔が似ていないという噂から当て嵌めた子であるという話もあるぐらいなので、当時も似たようなものでしょう。斎院が適当に見繕って皇子に据えたものが多数いると睨んでいる。

で、勝った嵯峨天皇は賀茂斎院を創設。敗れた平城天皇側は帝位を禅譲し、臣籍降下した直系に在原氏を名乗った在原業平がいます。この在原業平、なかなかの高尚、、、い、いや好色な人物であったらしい。

『伊勢物語』にはこの在原業平と惟喬親王の妹である伊勢斎宮・恬子内親王とみなされる高貴な女性たちとの禁忌の恋などが語られていますが、伊勢物語の注釈書である「和歌知顕集」には関係した女性は3,733人と書かれ、ちなみに西鶴の「好色一代男」の世之介は3,742人。このような話が書かれるように数多くの女性と浮名を立てたのは事実らしいのです。

しかし、ここには斎院の夜の機能があったと見ている。つまり、負けた平城天皇側の血胤保存システムとして賀茂斎院は作られており、また伊勢の斎宮も同じ役割を持つ機関。在原業平は賀茂斎院に血胤を残しに足蹴く通っていたのだろう。このことが数多くの女性との浮名として残ったというわけ。斎院に入って奉公している女性には誰でもお手つきが許されているので、こういうことになるのだろう。

また、「伊勢物語」には狩の使い(天皇の名代として地方に派遣された鷹狩をする貴族の事)として伊勢斎宮にやって来た在原業平(41)と斎王・恬子内親王(18)の一夜の逢瀬についてこう記されている。

「斎王の親は、特にいつもの勅使よりも丁寧にもてなしてやりなさいと言ってきたので、女は特にこの男を朝夕身近においてもてなした。ところが、二日目の夜に男が二人だけで会いたいと言ってきた。そして女の方も、同じ気持ちになっていた。しかし、人目が多く簡単には会えない。幸い、勅使の寝所は斎王の寝所と近かったため、女は人々が寝静まった夜中、童女を先に立てて男の許へとやってきた。二人は、子の一刻から丑の三刻まで一緒に過ごした。」

この一夜の在原業平と恬子内親王の逢瀬により、高階家の師尚真人が生まれたという伝説が伝えられている。つまり、この逢瀬の結果、生まれた男児を伊勢権守兼神祗伯であった高階峯緒が引き取り、その息子茂範の養子とした。

しかし、この時から高階氏は伊勢神宮に 「はばかりある家系」となり、 伊勢神宮に参詣することを許されない家系となったが、これは伊勢斎宮は平城天皇系の末裔が血胤を残してはいけない場所だったのではないかと睨んでいる。残していいのは賀茂斎院だけだったのでは?

この斎王側からの誘いも、斎王とはそういう行為をするものだという認識が元々ベースにあって、単に相手をしてはいけない相手と絡んでしまったというだけのことかもしれません。

さて話を斎宮に戻しますが、、、、

京都の野々宮で3年間の禊を行った後、斎宮に向けて出発する。毎年3回、斎宮から、一旦、伊勢の海に行って禊をした後、再び戻ってきて、斎宮→外宮→内宮→外宮→斎宮の順に回って祈祷して巡幸する。この時、内宮・外宮内の玉垣内にある斎王候殿(現在の四丈殿)に約1週間し祈祷する。多分、この斎王候殿に1週間寝起きして滞在していたのだろう。

ちなみに正殿も現在と配置が大きく異なっていた。

内宮 昔
(天正13年(1585)から明治22年(1889)までの配置。三正殿が少し斜め一直線に並ぶ)

明治22年の遷宮直前の画像を見ればわかるように、昔の伊勢神宮(内宮・外宮)は三井文庫の絵図で描かれていたのと同じ横並び配置の「三正殿」だったのです。これは日本には三つの渡来血筋の主=3人の天皇がいるという証なのかもしれません。

三正殿01
(三井文庫所蔵 伊勢曼荼羅)

左が内宮、右が外宮ですが斜めの傾き方が逆になっている。内宮が「右肩上がり」なのに対し、外宮は「左肩上がり」と鏡面対称になっているのです。

内宮 今
(内宮の現在の配置。「唯一神明造り」は明らかに国家神道の影響)

現在は上下が鏡面対称になっていて、内宮はディスニーのミッキー状であり、外宮はアンチ・ディズニーの逆さミッキー(州浜紋)になっている(爆)。しかも、この内宮の後ろに2殿控えている正殿配置は表の1人の天皇と裏の2人の天皇の関係を示唆していそうです。つまり、今は2人は後ろに下がって影に潜んでいるということ。一方、内宮を輔弼する外宮は控の2殿が前面に来ている。裏ではこの2系統が牛耳っているということなのでしょう。

伊勢神宮の神殿配置はその時代時代の3人の天皇の役割分担を正殿配置の形として明確に表現しているのではないのだろうか?

さてさて、鎌倉時代の僧・通海が著した『通海参詣記』には、「伊勢神宮の神は、夜毎、斎宮に通うらしいが、斎宮の寝床に毎朝蛇の鱗が落ちている」という記述があり、何者から斎王と交尾しにくる様子が描かれている。その何者かというのが、もう1つの天皇家ですね。表の天皇家が君臨している間は、裏側に回った天皇家の血に繋がる者が伊勢神宮に入っているのでしょう。そして、生まれた者が次代を継承する。斎宮はその子等の養育の場でもあったのだろう。

では、斎王はいつどこでもう1人の別系天皇と接交したのだろうか?

斎宮のある明和では通うにしては遠すぎる。やはり、年に1度の巡幸の時以外にない。伊勢神宮には正殿玉垣内の斎王候殿以外に斎王が居るスペースは存在しない為、この斎王候殿で斎王ともう1人の別系天皇(裏天皇)深夜エッチしていたとオイラは睨んでいる(爆)。

だから、江戸時代になるまで伊勢神宮は庶民の参拝は解放されなかったのだろう。これはシュメールに起源を持つイシュタル神殿の神殿巫女と同じですが、王の娘ですらその例に洩れなかったといい、シュメール後期は専業化した女性がその役を担ったと云われる。

つまり、斎王とは神聖娼婦の伝統の再興でもあった。

Sacred prostitution
(神殿詰めの娼婦)

江戸時代になれば、神殿巫女の伝統は神宮近くの古市の遊郭街に移るわけですが、「伊勢参拝は夫婦でなく、独りでないと御利益がない」とされたのも、この遊郭を繁盛させる為であったわけです。今ならこの遊郭街に該当するのは渡鹿野島になるだろうか? まぁ、場所が神殿近くにないのが難点ですが、、、、

今でも伊勢神宮には皇族関係者が降下していますが、壬申の乱の際も負けた天智側の皇族を神宮に収容し、敵対化させない為に自らの皇女を斎王として派遣し、血の交流を果たして敗者といえども自陣営に取り込みながら血胤保全を保障したのだろう。

勝った天武天皇は天智天皇の皇女4名を妃に迎えているが、こちらは表の歴史なので記録に残っている。裏側でも同様のことが行われ、それが斎宮であり、初期大王家の天武天皇の私的祭祀場に過ぎなかった内宮を整備し、後期大王家の血筋を収監したのだろう。この制度が鎌倉時代まで660年続いたが、武家の台頭により朝廷収入は減少し、莫大な財政負担から放棄せざるを得ない状態に陥った。

この制度が無くなってから、一般に伊勢神宮が公開され、諸国の人民を束ねる表の神道として参拝が許されるようになったと睨んでいる。

(探訪記 おわり)

三ケツ神の地 探訪記2

さてさて、前記事からの続きです。

朝熊ヶ岳の風光明媚な景色を堪能した後は、最大の目的地である伊雑宮に直行です。途中、伊勢うどんの店があったが、立ち寄らずそのまま通り過ぎたw

■伊雑宮
ここが今回の探訪の最大のポイントです。この伊雑(いざわ)はユダヤ預言者のイザヤから来ているのではないかという噂もありますが、伊雑宮側は自らを「いざわのみや」と称するに対し、内宮側は蔑称を込めて「いぞうのみや」と呼ぶ等、この両者には過去に重大な溝を作った経緯がある。

1)1625年・・・九鬼義隆に取られた神領返還を幕府上訴したが神人50人が神島流刑
2)1656年・・・朝廷神訴状で「伊雑が日神、内宮が星神、外宮が月神」の記述が問題化
3)1663年・・・内宮外宮が反発し幕府裁定で神人47人が伊勢志摩追放
4)1679年・・・「先代旧事本紀大成経」の出版問題
5)1683年・・・幕府裁定で出版依頼関係者が伊勢志摩追放

大成経を江戸の版元「戸嶋惣兵衛」に持ち込んだのが神道家・永野采女と禅僧 ・潮音道海ですが、偽作を依頼したとされたのが伊雑宮の神職らです。

で、潮音道海とはあの黄檗宗の禅僧。潮音道海禅師は1628年に佐賀県で生まれ13才で出家。黄檗宗の宗祖である隠元隆琦禅師の弟子、木庵禅師の三大弟子の一人。 全国に二十数ヶ所の寺を開山し弟子は63人いたと云う。黄檗宗禅僧が大成経事件に関与していたわけだが、潮音道海は将軍生母との関わりから訴追を逃れた。

ここに近衛家-冷泉家-万福寺(黄檗宗)-綾部の客家に見える漢人(大本)という地祇系(北朝、北イスラエル&ペリシテ人)の卍党ラインが浮かんでくる。草薙剣返還から始まる伊雑宮=伊勢本宮という水面下の動きも同じ背景だろう(ふふふふ)。

伊雑宮

伊雑宮=地祇系(北朝)=北イスラエル

磯部の地は熊野に襲撃されたというが、熊野=南朝ですから納得ですね。

元々、伊雑宮は大倭姫命が的矢湾に船でやって来て湾の入り口で食事を取り、そのまま湾の奥深く進み、神ノ郷の地に男神である天照大神(天照国照彦火明櫛玉饒速日命=ニギハヤヒ)を祀ったことが伊雑宮となっていったという。この地の地頭である的矢氏は物部氏の流れを汲むことから、海部氏と同じくニギハヤヒが祖で問題は無く、的矢氏は海部氏と同じく地祇系海人族だったのだろう。

藤原不比等の意向で、天孫族に仕切られた内宮により伊雑宮から天照大神を奪い取り、男神を女神に変えて内宮に祀ってしまったのだろうか?

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古老からの話:
「内宮は格上で、伊雑宮は下なんよ。だから向こうには天皇陛下が行かれて、こっちには皇太子殿下が来られる。でもね、本当はこっち(伊雑宮)が本だったんだよ。遷宮の年度も伊雑宮が先に早かったんだ。でも途中から内宮を先にして、伊雑宮が後回しにされるようになった。

内宮に白い馬がいたろう。あの風習も伊雑宮の馬からだったんだよ。(馬も習慣も内宮に)持って行かれてしまったんだ。ここの住民は、だから歌に残したんだよ。記録に残すと処罰されるからね。

♪〜〜〜本は磯部の白い馬や〜〜向こうに嫁いで〜いつぞや戻る〜〜ヨイノヨイノ♪

伊雑宮の本当の入口は今のところではなく、昔は裏の田んぼ側にあった。伊雑宮と商店の間の道から裏に回るのが本道だったんだよ。

徳川時代にここの磯部(イソベ)の信仰こそ、本当の原始のアマテラス信仰の始まりの地だと熱烈な運動がここの住民で起きた。でも幕府には認められなかった。50人も処刑されたんだよ。そして、その伊雑宮への信仰の勢いだけは利用されたんだ。その熱烈な信仰運動は、いつのまにか内宮のために転用されてしまったんだよ。

昔、豊川稲荷の方で木材が必要になった。そこで、ここの近くの千田寺(ちだじ)の木を送ろうとして、境内の楠の根を調べたら石棺(せきかん:石の箱)が出てきた。みんな驚いたよ。中には鏡や勾玉があった。この周囲は倭姫(やまとひめ:天照太御神を背負い歩いた卑弥呼であり皇女)の伝説が多い。だから、この場所(伊雑宮)こそ倭姫の最後の地だと色めきたった。しかし、この話が役所に伝わると、国が特高警察をよこしてきた。戦争のために国を挙げて、内宮中心に神道をまとめていこうとしているところで、奇妙な噂を流されると困る、とのことだった。

この周辺の住民全員は石棺について緘口令を敷かれた。一切話すなってね。当の石棺も、誰か権力者が持って行ってしまった。今はどこにあるのかわからない。考古学的な調査がなされたかどうかも知らない。だが、あそこの寺の楠の根に石棺があったのは事実だ。もしかしたら、単に宝だけを埋葬しただけだったかもしれない。

その千田寺周辺は廃仏毀釈でとにかくしこたまやられた。ここらはみーんな千田寺の檀家だったんだが、みーんな神道に変えられた。千田寺は後に火事にあった。今はただの草むらになっとる。なーんものこっとらん。

安楽島(あらしま)にもイザワノミヤがあって、そこでもうちこそ本だと主張しているそうな。あの安楽島あたりは実は持統天皇の密貿易港があったという伝説がある。あそこで聖徳太子クラスの人間でないと身につけられない、腰の装飾品のベルトが発見されたことがある。和同開珎(わどうかいちん:1300年ほど前の通貨)もたくさんでとる。わし自身、見つけたこともある。

あと、伊雑宮の近くの佐美長神社(さみながじんじゃ)では、昔はスサノオを祀っとったんだよ。(これは重要な証言です)    以上。

■伊勢白山道の記事から抜粋

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う~む、伊雑宮と豊川稲荷の間には霊的な関係があった!

A鳥A雄氏によれば、八咫烏の高官が語った話として、伊勢本宮たる伊雑宮には元々はイエス磔刑時の十字架があり、縦木、横木は内宮・外宮に移されたが「首」と称される罪名版「INRI」が残されているとのこと。

「INRI=稲荷」で関係は元々深いのかもしれない(爆)。

豊川稲荷の現在の大伽藍は近くに鉄道が通ることから浄財を集めて、1908年(明治41年)に着工し、20年以上をかけて1930年(昭和5年)に竣工したものですが、その前は今の「奥の院」にあるこじんまりとした社殿であった。大正12年、磯部の地で楠を寄贈しようと掘った際に出土した大倭姫命の石棺には勾玉、矛、2面の鏡が入っており、白鏡は志摩市歴史民族資料館に保管されれいるらしい。その他は行方知れずというが、これが本当の三種の神器なのか?

確かに、奉納白馬の件は皇大神宮儀式帳に文治3年(1187年)に源頼朝が幣吊、砂金、白馬を奉納したと記され、また吾妻鏡の中にも白馬の奉納のことが記されており、伊雑宮に白馬がいたことは事実です。

伊勢白馬

まぁ、白馬といえば天の白い王が乗るもの。「天皇」は元々は道教用語なのですが、その道教の引用元はキリスト教であったのかもしれません。

再臨のイエス

ただし、地祇系の北イスラエルとキリスト教の関係がイマイチ不明。南ユダ国陥落前にエルサレムを脱出した原始キリスト教団=秦氏というのが通例で、それ故に秦氏は天孫系と云われている。ただ秦氏の創建した国宝・弥勒菩薩像がある太秦・広隆寺は新羅様式であり、明らかに天孫系ではないことを示している。
※語り部によれば、出雲王朝=地祇系の王傍流が邇波氏となり、徐福国陥落で手に入れた大陸技術と引き換えにキリスト教エッセンスを含有させた神社神道を全国布教し、人民を恭順化した功績から秦氏賜姓となったというが、、、、

出雲王朝の招きで扶余国から韓半島を経由し渡来してきた北イスラエル族の初期大王家(カド族)は道教とキリスト教の両方を信仰していた事は語り部が述べているが、特に人民恭順化の為にキリスト教を利用している。この時、初めて日本にキリスト教が持ち込まれたが、これは波斯経教(後の景教)と呼ばれるネストリウス派。つまりエッセネ派景教=原始キリスト教ですね。接点があるとすればここだろう。

同様に内宮近くに猿田彦神社(明治11年造営)がありますが、ここも元々は伊雑宮の所管社である佐美長神社の境内に鎮座していたという。白馬も伊雑宮の神事であり、遷宮も内宮よりも順番は先だったという。

伝説では佐美長神社は、倭姫に稲穂のありかを教えた鶴を大歳神(おおとしかみ:ヒゲの生えた老人の姿の神様)として祭る神社太陽神である天照太御神を祭れば、そこから太陽が沈む方向にスサノオを祭るのは、「佐美長神社」にはスサノオ命が嘗て祀られていたと言います。その境内に在る四つの小さな御宮は、祓戸の大神

古代~近年に渡り、内宮側は伊雑宮側から神を搾取し続けてきたということだ。伊雑宮が内宮・外宮よりも格が高く、本来の伊勢本宮であるというのは、どうも本当のようにも思える。

ただイエスの十字架も罪名版(INRI)の存在も「物部氏=地祇系=北イスラエル族&ペリシテ人」の企みであり、天孫系が仕切る原始キリスト教の秦神道への対抗策として大ドンデン返しを狙い、ローマがキリスト教に蹂躙された歴史を参考にイエスの磔刑十字架を日本列島に秘密裏に持ち運んで、籠神社上陸後、伊雑宮に運んで隠匿保管したもの。ただし、新約聖書のイエスは実在していないことから、このイエス磔刑十字架は海外で作られた「模造品」の偽物であろうと睨んでいる。

また最近の流れから、イエズス会の「青い馬計画」に沿って企てられた宗教支配の新たな試みであり、ムーブメントを興して地祇系血筋の天皇を立て、スリートップに返り咲こうとしているのだろうと睨んでいるので、たとえ伊雑宮からイエスの十字架や罪名版が本当に見つかったとしても、諸手を挙げてマンセーは出来ない話。マンセーした時点で既に宗教に取り込まれた格好となる。

では、その本宮であった伊雑宮の今を見た感想は、、、

一言でいえば、気が淀んでいる。
以前、トランブレーみゆきさんも同じことを言っていた。

その理由をオイラなりに考えたのですが、1つは駐車場のトイレが神殿参道から丸見えで邪気が進入してくるし、厳かな雰囲気がぶち壊し。もう1つは社務所近くに大きな池があるのですが、池の中に入り込む階段があるように、ここで禊をしていたと思われる場所。ただし池の水はひどく澱んでいて汚ならしい感じ。何故、内宮のように澄んだ五十鈴川のような川の近くに建てなかったのだろうか?

その答えは、、、、

伊雑宮信仰を全国布教した御師の家が参道近くにありますが、ここには伊雑宮に関する資料が陳列してある。そこで読んだ内容には伊雑宮は身分に関係なく、届け出なく自由に参拝でき「ええじゃないか」の原型となったという。また、そこで古い伊雑宮の図会を見て、澱んだ池の謎が判明した。

昔、社殿神域の北方をが流れていたのです。ここに川があれば水を取り込めるので池の水は澱まない。先の御師の話のように参道は北側を通り神田側から入るようになっていた。多分、川沿いに進んだのだろう。しかし、誰が川を埋め立ててしまったのだろう? やはり、伊雑宮の神威を怖れる内宮側ではないだろうか?

伊雑宮参道
(川と参道の予想)

この的矢氏を騙まし討ちして伊雑宮の神領を簒奪したのが九鬼氏であり、九鬼氏は元々は南朝側の藤原式家の末裔で、もっと遡れば恵州客家に遡り、現在は北朝の金庫番となっている。

毎年6月24日には神田で田植を行うが、この時、「太一」と書かれた巨大なオオウチワが登場する。この6月24、25日は「七本鮫」と呼ばれる鮫が的矢湾に太平洋の大海原から入ってくるという伝説があるが、これは古代の磯部の民と同祖部族の海人族(例えば海部氏...等)が御田植祭を一緒に祝う為に遥々遠方から船に乗ってやって来たことの名残でしょう。

だが「太一」とは北極星を示す言葉で、日神=太陽ではない。伊雑宮の言っていることとやっていることがチグハグですね。内宮に日神を取られて星神を宛がわれたのだろうか?

この「七本鮫」の伝説は、伊勢志摩サミット(主要国首脳会議)で集結するG7(今はロシアも加えてG8)とシンクロを感じさせる話ですね。ホスト国の日本を除外するとちょうど7カ国になり、文字通り七本鮫となります。

神事のクライマックスでは、このオオウチワを神田に振り倒すのですが、何故か今年は風が強くウチワが逆に倒れ、直せなかった為にそのまま神田の運び入れたという。このようなことは初めてのことであり、「大凶作」を予告するような事態となったのです。

確かに、御嶽山水蒸気爆発、沖永良部島噴火、浅間山活発化、更に先頃、箱根山がプチ噴火し小規模の群発地震が起きており、2015年は御田植神事が暗示するようにマジやばいのかもしれません。

オオウチワ
(ウチワは「うちはサスケ」のうちは一族を連想させる)

このオオウチワの上方に描かれた盆と松に注目です。これは州浜ですね。この州浜は不老長寿の仙人が住む蓬莱山を見立てたものだとされていますが、それを簡便に図案化したものが「州浜紋」の逆さミッキーです。

州浜台
(州浜)

つまり、伊雑宮もアンチ・ディズニー派だったのだす(爆)。

(長いので次回に続く)