三相女神

今回、前記事を少しまとめながら、更に付加情報を書きます。

天神系・地祇系・天孫系の3つの渡来勢力が協力して国家運営をしていくことを誓い、その証として建てられたのが「蚕の社」にある三柱鳥居。この時、南北のレビ族であった秦氏と賀茂氏の婚姻同族化を通じて、原始キリスト教の秦氏祭祀と洗礼地である「糾の森」が下鴨神社に移され、賀茂氏が祭祀氏族、秦氏が殖産興業氏族という役割分担を決め、皇統を強力にバックアップしていったのが平安時代。

三鳥居02

これが平安京への遷都(794年)の最重要案件。

唐に渡り仏教に景教エッセンスを盛り込んだ大乗仏教を学ばせ、ローマバチカンが為し得たたように人民恭順化の為に小乗仏教の蔓延した日本を宗教改造。空海の東寺や最澄の延暦寺創建もこのシナリオに沿っている。

平城京から平安京遷都を後押ししたのが、最も遅れて列島渡来してきた南王国のユダ族(天孫系)であり、この渡来系グループに「平(タイラ)」の姓を下賜して出来たのが桓武平氏を始めとした平氏ですが、彼らは百済滅亡(660年)と共に日本に大量渡来してきて、2たびの亡国を経て南北統一イスラエル王国時代の首都エルサレムの再建を極東で実現した。

それが平安京(エル・シャローム)

平城天皇と嵯峨天皇の確執から始まった藤原薬子の乱で桓武平氏を支持基盤とした藤原式家は中央から脱落し、平城京~吉野に拠点を移し、物部末裔の石上氏と協力関係を結んだ。この勢力が後の南朝の母体となっていく。一方、式家脱落の影で隆盛していったのが藤原北家。百済渡来勢力の桓武平氏の武士団に対抗して新羅渡来勢力の清和源氏の武家グループを作り、取りまとめて傘下においた。

慌てたのが賀茂氏と秦氏である。それぞれがレビ族として南北に別れて王家に付き従っていたのだが、王家の方がコロッと変わってしまった。これでは適わないというわけで、天孫系(南ユダ族)、地祇系(北イスラエル族)のどちらが天皇となろうとも引き続き神祇を出来るようにした策が秦氏と賀茂氏の婚姻。また両統の血胤を絶やさない為にも斎院を作った。

また、この三柱鳥居の誓いにより、裏側に回った裏天皇家(平城天皇一派)の血胤保全シシテムとしての「大奥」の機能と機密外交文書や表に出せない皇統譜の保管機能を併せ持った「賀茂斎院」を創設し、空海がダキニ天と御食津神を習合化し稲荷神とし、狐憑きの加持祈祷とセットでもって稲荷社を全国展開していった。

天神系・地祇系・天孫系の各天皇は三狐神でもあり、古事記で記される「造化三神」という3つの孤独な神(独り神)でもあった。

■天之御中主神 (至高の神)
■高御産巣日神 (征服統治の神)
■神産巣日神 (生産の神)


前記事で北斗七星が7人の天女を表すダーキニー(空行母)であり、日本では御食津(みけつ)神=三狐神として習合化されたという話をしましたね。この三狐神とは造化三神(天神・地祇・天孫)のことでもあるとオイラは睨んでいます。

三ケツ神01
(7人のエロ天女AOAホワイトは「北斗七星」を暗喩し、三ケツ神でもある・爆)

この七人の天女のうち8番目の天女が最もマンネ(末っ子)であり、地上に降り立ち天に帰らなかった天女。この天女のことは北斗七星に寄り添う「輔星」として暗喩されていますが、地球地軸の傾きが0度になった際には、北極星に変わってこの輔星が「太一」となり、この輔星を中心に天空が回ることから、輔星は次期天帝=救世主だと目されている。

籠神社では真名井神社の豊受大神がこの輔星とされているが、その逸話は、、、

『丹後国風土記時』によれば、丹後国丹波郡(京都府中郡)比治の里の比治山の頂に真名井(まない)と呼ばれる井戸があり、あるとき、この真名井に天女八人が舞い降り水浴びをしていた。すると通りかかった和奈佐という名の老夫婦が、ひとりの天女の羽衣をを隠して奪ってしまう。天女はひとり、水から出ることもできず、子のない老夫婦は天女に「留まってくれ」と懇願。仕方なく聞き入れ、天女は十年の間、老夫婦のために自分の口で穀物をかみ砕いて唾液を混ぜて万病に効く酒を作って老夫婦を富ませた。ところが裕福になった老夫婦は、天女を邪魔者にし、「おまえはわしらの子ではない」と追い出してしまう。嘆き悲しむ天女は、しばらくさまよい歩き、竹野の郡(京都府竹野郡)の船木の郷の奈具の村(弥栄町船木)にたどり着き、 「ここに来て、ようやくわが心はおだやかになりました」と告げて、この地に住むことにした。この天女の名を豊宇賀能売命(トヨウカノメノミコト:豊受大神)という。

この天女の名がトユケであり、「豊受」の元になっている。

謡曲『羽衣』の中には『白衣黒衣の天人の、数を三五に分って‥』と謡う箇所があるが、これは八人の天女の白衣(ホワイト)と黒衣(ブラック)の割合で月の満ち欠けを司っていると思われていた。

AOAはダンス形態(AOAホワイト)の時は7人のメンバーで踊りますが、バンド形態時(AOAブラック)のみに登場する8番目のメンバーがいる。常にAOAに寄り添うようにいて、いわば隠されたメンバーからなるトランスフォーマー型ガールズグループがAOA。この1名がドラム担当のユギョンですが、数あるKPOPガールズグループの中でAOAが特色を出すのに成功したのは、バンド形態時のカッコよさとダンス時の上品なセクシーさのギャップが挙げられる。そして、バンド時のスキルの高さはこのユギョンに負う所が大きいともいう。

いわばユギョンはAOAという北斗七星の輔星であり、救世主という位置付けになる。


(エロ天女AOAブラック)

客家が熱烈に奉じる神に媽祖がありますが、父の海難事故を経た後、媽祖は峨嵋山の山頂で仙人に誘われ修行し始め、28歳の9月9日に昇天して神になったと云われ、赤い衣装をまとって海上を舞い、難民を救助する姿が見られたことから、航海の安全を護る海の神として篤く信仰されている。

正に赤い衣を着た天女、地に降り立ち返れなくなったダーキニーです。赤い色は蚩尤旗でもあるのですが、この辺は後々出て来る。(ふふふふ)

仏教に取り込まれたダーキニーは、平安初期に空海により伝えられた真言密教では、荼枳尼は胎蔵曼荼羅の外金剛院・南方に配せられ、奪精鬼として閻魔天の眷属となっている。半裸で血器や短刀、屍肉を手にする姿であるが、後の閻魔天曼荼羅では薬袋らしき皮の小袋を持つようになる。さらに時代が下ると、その形像は半裸形から白狐にまたがる女天形へと変化し、荼枳尼”天”と呼ばれるようになる。また、ダキニ天は辰狐王菩薩、貴狐天皇(貴狐天王)とも呼ばれている。

本朝、延喜式治部省式には「九尾狐は神獣也、其形赤色或いは白色、音は嬰児の如し」と書かれ、源平盛衰記にも平清盛が狩りの途中で出会ったダキニを「富貴自在の貴狐天王、即ち白唇狐王大菩薩はそれ蓮台野の狐にて七十四道の王也」と記されていることから、、、

ダキニ天=貴狐天王=七十四道の王=神獣=九尾の狐

なのです。オイラがずっと主張していたことが繋がった。。。この「蓮台野」とは稲荷キツネの出身地とされる「船岡山」の麓の西側に拡がる地域で狩場であった場所ですが、「稲荷明神流記」によれば、稲荷キツネは夫婦と子供と勢ぞろいで京都の北西にある船岡山から稲荷山にやって来たとされている。

船岡山は人型の平安京の頭に位置する山で、ここに再臨のイエス(天照大神)が降誕すると述べるA鳥A雄氏の八咫烏情報がありますが、ここは磔刑されたイエスの罪名版INRIに相当する場所でもある。この船岡山から稲荷山へキツネが移動して来て興されたのが伏見稲荷ということになりそうです。

つまり、伏見稲荷はやはりINRIだった。

INRI01.jpg
(イエスの罪状板INRI)

この狐と平清盛との出会いの場面を描いているのが『源平盛衰記』ですが、そこにはこう記されている。

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はたして大きな狐を見つけ、追いかけた。
弓をつがえて狙いをつけ、さあ射よう、としたところ、
狐はたちまち貴婦人に化け、にやりと笑うと、正面切ってこんなことを言う。
「ねえ、私の命を助けていただけるならあなたの望みを叶えましょう」

清盛は不思議に思いながらも弓から矢を外し、
「いったい、あなたはどのような方でいらっしゃるか」
「私は七十四道中の王であります」
その言葉に清盛は、はっと気がつき、
さては貴狐天王であらせられるか、と馬から下りひざまづいた。
すると女はまたもとの狐に戻って、こんこんと鳴いて去っていった。

さて、清盛はずっと不安に思っていることがあった。
それは自分がこの年まで財産に恵まれずにいることである。

わたしが財産に恵まれずにいるのは、荒神のせいに違いない
荒神を鎮め財を得るためには、弁財天にお頼みするのが一番良いだろう。
ここで逢った貴狐天王は、弁財天の眷属の一人である。
これは陀天の法を成し遂げるべきだというお告げだろうか。

こう思って、清盛は陀天の法を行うことにした。

陀天の法を続けていたが、しばらくすると、かえって心配になってくる。
外法を行う者は、栄えてもその富を子孫に残すことが出来ないといわれているからだ。
一時の財を得るべきか、得ざるべきか、どうすればよいのだろう、と悩んだが、
結局、昔のように貧乏暮らしで生き長らえるよりは、
一時でも豊かになり名をあげるほうがよいと思い直し、陀天の法を行い続けた。

しかし、やはり後になって恐ろしくなり、
併せて清水寺の観音を信奉し、ご利益を受けようと千日詣を始めたのだった。

貴狐天王絵図01

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ここには平清盛は「貴狐天王」を弁財天の化身として尊崇し、「陀天の法」(ダキニ天法)を修して栄達を遂げたが、それは一代限りのものだったといいたいのです。『源平盛衰記』自体は実話歴史書ではなく小説の類ですが、清盛の運命に準えて天皇灌頂にまで採用された真言密教のダキニ天法を貶める意図で書かれたプロパガンダ小説であり、書かせたのは法相宗側(音羽山)だとオイラは睨んでいる。

さてさて、ここで弁財天が出てきましたが、弁財天や金比羅は船玉信仰の神でもありますが、前記事ではダキニと客家が奉じる「媽祖」は習合されたと簡単に書いてしましましたが、その間には下記のような習合の過程があったと睨んでいる。

まず最初、紀元前7千年紀のアナトリアの村で三相一体の女神(三相女神)、即ち「うら若き少女(妙齢の処女)」、「成熟した母親」、「老婆」の3つの姿が描かれた太女神が崇拝されていたが、これは「創造主」・「育成主」・「破壊主」の概念でもある。

また、「満ちる月」「満月」「三日月(欠ける月)」という月の三相でもあり、死と再生を繰り返す永遠の循環をも意味していたという。このように刻々と姿を変える月に対し多面性を持つ複雑多種の相を持つ女神や魔女などが重ねられ、この女神の三相は地上においては、「ヨーギニー(妙齢の処女)」、「マートリ(成熟した母親)」、「ダーキニー(老婆)」と3種の魔女に擬人化された。

エジプト神話ではハトホル(生)、ネフティス(死)、イシス(再生)が相当し、中国では八洞神仙の「三柱女仙 」の麻姑(妙齢の少女)、何仙姑(成熟した母親)、黎山老母(老婆)がこの三相女神に該当する。日本では海洋を守る女神の田心姫神・湍津姫神・市杵島姫神こと「宗像三女神」がこれに該当するか。

老婆、破壊、第三の者、、、これがダーキニー誕生の発端です。

ヘカテー
(三相一体の女神ヘカテー)

その後、ダーキニーは紀元前3世紀頃にインドで農業神として出発したが、いつの間にか性と愛欲を司る女神として信仰され始めた。

更にその後、死肉を喰らうダキニ衆という夜叉神に貶められるが、この属性が死肉を喰らうジャッカルと同じで、ジャッカルの顕現だとされた。ダーキニーは当初からキツネやジャッカルに乗っていたわけではないのです。

ダキニ衆
(半裸のダキニ衆)

この状態でチベットに渡ったダーキニーは空行母と変化していった。初期は猪面、牛面、猿面、烏面、獅子面...等の半獣半神扱いだった。

空行母06

それが、ある時から天女の姿で描かれていくようになり、「八人の母」と称される8人の天女とされた。このように印象がコロコロ変わるのも女神の三相の各々が現れたと見る。

つまり、ダーキニーとはトランスフォーマー型の女神だった(爆)。

空行母07

この八人の天女が北斗七星の輔星と結び付き、着物を剥奪され水から出られない1人の天女が地上に残り、そのお陰で財を為したという逸話と結び付いていった。この海辺の女神→財を成すというのが、ヒンズー教の必ず水辺に描かれる豊穣神で学問や音楽の才に溢れるサラスヴァティーと同じであり、このサラスヴァティーを仏教に取り込んだのが弁才天。才能溢れるサラスヴァティー故に弁才天は「才能」の「才」となっているのです。これが古代日本の水場と桜の神である瀬織津姫という人もいるが、水辺は農作物の豊穣をもたらし、文明を揺籃させることからこのような神の属性が与えられた。

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(水辺と孔雀が必ず描かれる琵琶を持ったサラスヴァティー)

弁財天
(弁才天)

サラスヴァティーと同様に琵琶を持つのが本来の弁財天ですが、日本では後に財宝神としての性格が付与され、「才」が「財」の音に通じることから「弁財天」と表記するようにもなっていったわけです。

更に、弁財天は「宇賀神」というドクロを巻き蛇体と人の頭を持つ謎の神と習合され宇賀弁才天ともなっているが、琵琶に変わって「宝珠」と「剣」を持つようになり、より福徳神・財宝神としての性格がより強くなっていった。

宇賀弁天01
(宇賀弁財天)

そして、下記が弁天の頭に載る謎の神「宇賀神」

宇賀神
(宇賀神、、、ウガヤフキアエズのウガとも白蛇の神ともいわれる。)

こ、これは、、、、、

メガ盛り 一般人、、、
う◎ち まりこ~ぉ(ほほほほ)


「青木まりこの法則」の産物ではないか!!!
ここでAOAの韓国語版「ミニスカート」の歌詞に繋がるとは思わなかった(滝汗)。

宇賀神は宇迦之御魂神などと同様、穀霊神・福徳神とされるが、確かに「食物のなれの果て」のような形態は食物神というのに相応しいのかもしれない(爆)。

宇賀神は天台密教の修行に取り入られ、このう◎ち状の像を水の中に入れ、「天の真名井の水」という一文を書き添えて置くというもの。これが何の修行なのかはサッパリ検討が付かないが、八人の天女が浴びた水場が真名井(清らかな湧き水)であり、豊受大神の名が豊宇賀能売命(トヨウカノメノミコ)であり、ここにも「宇賀」が入っていることから、、、、

宇賀神=天女=ダーキニー

だろうと想定している。
で、この蛇の姿からまず想起されるのが、、、、女禍と伏儀

女禍と伏儀は兄妹で夫婦とされている中華民族の始祖であり、最初の人間。聖書のアダムとエバ、インドのヤマとヤミー、日本のイザナギとイザナミの関係と同じですが、これらの大元はメソポタミア神話のエンキとニンフルサグであろう。

Nuwa2.jpg
(女禍)

弁財天には天河弁財天というのがありますが、この姿はキングギドラのような異形ではあるが、地母神の持つ三相(三相女神)を表現している。

天河弁天01
(天河弁財天)

問題はこの左右のであるが、多分、これらは女禍と伏儀であり、伏羲と女禍は牛の角を表しており、この2つで蚩尤(しゆう)を構成するとも云われ、『淮南子』(前2世紀成立)では、「鳥」は無道・殺りくの神を表し、「虎」は兵戦の神を表していることから、中央の寅(?)と蛇2匹で蚩尤を表しているのかもしれません。虎は鬼(病気とされていた)よりも強いが故に医薬の神を祭る「神農祭」では張子の虎を掲げている程です。

寅と2匹の蛇の角で牛になりますが、これがウシトラ、、、、金神でしょうか!

この虎と男女の2匹の蛇が表しているのが、カバラの「生命の木」の「中央の柱」、男性原理の「慈悲の柱」、女性原理の「峻厳の柱」であることは明白ですね。つまり地母神の持つ自然サイクルのプラスの面を表現したのが弁才天や天女やダキニ天であり、マイナスの面を表現したのがダーキニーやダキニ衆であり、またそれは九尾の狐としても表現されるが、その実態はカバラの「生命の木」であって、「生命の木」イコール、ウシトラのコンジンなのだということ。

何故、客家(ペリシテ人)である九鬼家に伝わる『九鬼文書』にウシトラのコンジンが登場するのかの謎も段々と解けてきました。

■饒速日命は苗族?弁財天とアラハバキは蚩尤と女媧と伏義?
http://tukuyomi.blog.jp/archives/1000253343.html

そして、この蚩尤は客家の始祖。客家はシルクロードを移動しながら大月氏→小月氏と変わっていったソドク人商人(シルクロード商人)でもあるが、縄文時代から十三湊に黒曜石を集め貿易をして、太古から2つの派閥を煽って武器の製造販売を仕切ってきた「海の民」末裔であるペリシテ人であった。

客家人的祖公名叫蚩尤,
他英勇无双,聪明无比,
生得一副铁骨铜头。


(客家人の祖の公の名を蚩尤と云う。
彼は勇敢無双で、比類ない賢く、
1組の鉄骨と銅頭を生み出した。)

女媧が天下を補修した説話「女媧補天」がありますが、古の時、天を支える四極の柱が傾き世界が裂け、天は上空からズレ、地もすべてを載せたままでいられなくなった。火災や洪水が止まず、猛獣どもが人を襲い食う破滅的な状態となった。女媧は五色の石で天を補修し、大亀の足で四柱に代え、黒竜の体で土地を修復し、芦草の灰で洪水を抑えたとある。

これが客家が祝う「天穿日」で「女媧補天」の日だとされている。ノアの洪水話と似た話ですが、ノアの洪水でも中国は沈まなかったのでしょう。このように女媧もまた客家の奉じる神なのです。
※女媧は苗族も信奉した神

弁財天の頭にこの宇賀神(女禍と伏儀)が載せられていることが1つの暗号であり、それはラブ注入、、、じゃなかった「客家(ペリシテ人)注入済」という暗号。つまり、宇賀弁財天には客家が関与した証だと睨んでいる。それ故に、より蓄財の神としての性格が強くなったのではないか?

『摂津国風土記』逸文には止与宇可乃売神(トヨウケビメ)は丹波国に遷座する前は、摂津国稲倉山(所在不明)に居たとも記され、また、豊受大神の荒魂を祀る宮を多賀宮(高宮)だという。『止由気宮儀式帳』によれば、雄略天皇の夢枕に天照大神が現れ、「独りでは寂しく、満足に食事を取ることもできないから、朝夕に御饌(みけ)を奉る神を丹波国の比治の真名井原から連れて来て欲しい」と言ったことが、外宮創建の縁起だという。雄略天皇22年のことである。

雄略22、、、出ました。大魔神コード「22」(笑)

やはり、豊受大神=ダキニ天(ダーキニー)なのだろう(爆)。

で、宇賀弁財天の宝珠と剣は九天玄女(九天玄女娘娘)の剣と瓢箪から取り入れられたと睨む。瓢箪は女禍と伏儀の大洪水の際に乗ったノアの箱舟でもある。

九天玄女03
(九天玄女)

この九天玄女が金毛九尾の狐だと云われ、紀元前11世紀の殷の妲己(だっき)に変化したと中国では言われる。そして、この宝珠と剣を持つ宇賀弁財天がダキニ天と習合化され、狐に跨り宝珠と剣を持つ姿へとなっていったと睨んでいる。同様なものが飯綱大権現ですね。

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(ダキニ天)

このダキニ天が「豊」を持つ天女であり、客家九鬼氏が奉じた豊川稲荷(豊川明神)なのです。

まぁ、裸弁財天という変わった弁財天もあるが、これは羽衣を奪われた天女からヒントを得て作られたのではないかと睨んでいる。

弁財天02

この宇賀弁財天的要素を持つダキニ天が、媽祖を篤く信仰する列島渡来した客家、、、つまり九鬼家に取り入れられたと見る。表面上は仏教国である日本なので、そのままズバリの媽祖を祀ることが憚られたのが主な理由だろう。

さて、客家が心を寄せるのがこの媽祖に加え関羽です。媽祖廟の隣には必ず関羽廟があり、関羽と媽祖はセットになっているのです。

関羽
(関羽)

まさに閻魔大王ですね(ふふふふ)。

実際、中国では関羽は伏魔大帝と呼ばれ、信義に厚いことから嘘が嫌いなのだろう。

客家が閻魔とダーキニーを畏れるという内容は、実はこの関帝と媽祖への篤い信仰から来ている話なのです。

閻魔とダーキニーの関係は、インドではヤマとヤミーの双子兄妹の夫婦神ですが、これは日本のイザナギとイザナミの兄妹の夫婦神でもある。客家がこの2つを取り上げ篤く祀るのは土師記のサムソンが放った尾を結え松明を付けられたジャッカルに焼き払われたという惨劇を民族の記憶として残しているからでしょうか。閻魔大王=サムソン=ダン族出の救世主なのです。この畏れは「客家=ペリシテ人」と考えるとスンナリと理解できる話でもある。

また関帝は、大阪や長崎の黄檗宗寺院にも祀られていることから、冷泉家が創建資金を出した黄檗宗は卍党の密輸入の一代拠点となっていたといい、客家とも深い繋がりがありそうなことは容易に分かりますね。
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三狐神

天神系天皇を探している時に、偶然あることに気付いた。

伊勢斎宮が天神系天皇の大奥であるとの推測から、天神系天皇に該当しそうな氏族、例えば、伊雑宮の磯部氏、測量シャーマンで斎宮寮近辺居住の日置氏、九鬼水軍の九鬼氏、外宮宮司家の度会氏...等々を調べていたのですが、この中で一番怪しいのはやはり斎宮に関係する度会氏ですね。元々は磯部氏の首長だったのが度相氏の姓を賜り、その後、度会氏となったという。ちなみに「渡会」は朝鮮古語で「海族・海族を守る神(パタライ)」を示すとも云われる。

ただし、賀茂氏が「王となる者に油を注ぐ」役目であることから、同じく神祇氏族であり外宮社家である度会氏も同じようなものであり、天神系天皇には該当しないだろうと考え直した。

で、この度会氏が出口家であるということを知った。
度会氏=出口氏なのです。

あの綾部から皇道大本の創始者出口ナオを輩出した出口家です。

ナオ
(出口ナオ)

出口氏は西日本から長崎に掛けて帯状に分布し、あとは突然三浦半島へと飛んでいる。つまり、出口氏は半島か大陸から渡来し、西日本の海岸沿いに移住しながら東へ東へと移動し伊勢に到達、その後、三浦半島に渡ったということが分かる。村上水軍の港の出口を守っていたからこの名があるとも云われ、多分、伊勢到達時に磯部氏と混血したのだろう。

出口一族はこの三浦半島で三浦水軍を形成しているが、藩を超えて他の多くの水軍とネットワークを出口家はもっていたと云われる。

一方、外宮のある伊勢志摩を治めたのが九鬼氏ですが、三巴の家紋ともう1つ大本(十曜紋)と似た七曜紋とを使用していることや、大本発祥の地・綾部の殿様をしていたことで、出口氏と九鬼氏の繋がりはよく指摘されます。しかし、一番のポイントは出口氏は九鬼水軍同様に三浦水軍を持っていた点でしょう。

また、日韓合同朝廷の長男(梨本儀光→アンダーソン家に養子縁組)を生んだ李方子の母・梨本(旧姓鍋島)伊都子は九州佐賀の鍋島侯爵家の出ですが、松平姓を名乗れる「四品」資格の鍋島氏も「鍋島水軍」を保有していた。
※島津氏も坊津水軍を保有

九鬼
(九鬼氏の三巴)

この水軍ネットワークが島津-鍋島-度会(磯部)-出口-九鬼を繋いでいるが、ここがイエズス会が関与していた部分だろう。

九鬼氏は家督相続のもつれから、有名な鉄甲船「日本丸」を作った水軍を廃され、志摩から綾部と摂津三田の2つに分割させられ移封されている。陸に上がった九鬼氏ですが、綾部藩内には九鬼氏が豊川稲荷からダキニ天を勧請した「本興稲荷」がありますが、明治の廃藩置県で藩主九鬼氏が東京に移るにあたり、この稲荷を九鬼氏菩提寺の横に移し地元に残したという。

九鬼水軍
(九鬼水軍 モノコックボディ構造の安宅船)

この豊川稲荷とは三川の豊川稲荷のことなのか?

そういえば、三川の豊川稲荷(室町時代末期の1441年創建)は信長・秀吉・家康らが帰依した以外にも戦国武将では九鬼嘉隆が篤く信仰していましたね。三川の豊川稲荷の可能性は高そうです。伊勢外宮の神域には同じ「豊川」の名を持つ「豊川茜稲荷神社」(あこね様)がありますが、ここは九鬼氏の祭祀を行っていた場所であり、九鬼氏とダキニ天は切っても切れない間柄。

稲荷神の狐との習合は御食津神(みけつ)を狐の古語である「けつ」を使って「三狐神」と書き誤ったのが原因だとされている。もう1つの説は、東寺建造(796年)の際、秦氏が稲荷山から木材を提供したことで、稲荷神は東寺の守護神とみなされるようになり、空海が招聘したダキニ天法のダーキニーと習合化されたという話がある。オイラは後者の方が正しいと思っている。
※『二十二社本縁』では空海が稲荷神と直接交渉して守護神になってもらったと書かれている。

三狐神
(三ケツ神・爆)

外宮神域の茜社縁起には、、、

「古くから茜社神域内に稲荷と唱える岩窟があり、
此処に宇迦之御魂神をご祭神として祀り豊川明神、豊川稲荷と崇め唱えて
海の神、地の神、商の神と信仰を集め....云々」


とあり、また茜社は特に漁師の信仰が篤ったという。茜社創建は986年より以前とされますが、これは豊川稲荷創建(1444年)よりも遥かに古いことから、外宮の神である豊受大神=保食神=宇迦之御魂神とダキニ天と習合化した空海作の稲荷神をこの地で祀り、「豊川稲荷」の名称としたのはここが最初で、発祥地だったのかもしれません。

つまり、豊川稲荷の「豊川」は外宮の地が由来の名称ということ。その後、明治維新時に今度は豊川稲荷の「豊川」が外宮地名にブーメランのように逆戻りしたのか? しかし、「豊川」という名は大宝律令以前の三川国穂評に見られ、外宮の本当の創建時は8世紀頃と見られることから、逆に三川の「豊川」と云う名が外宮の地に移されたとも云える。これは熱田神宮の別称「蓬莱島」の名称移転と同様、徐福国滅亡に端を発したものだと睨んでいるが、、、このように三川と伊勢は反射が延々と続く鏡面対象となっている。

要約すると、、、「徐福国【豊の国】→伊勢外宮の地に【豊】名称移転→豊川茜稲荷→豊川稲荷→本興稲荷」という流れになっていると睨む。

さてさて、この九鬼藩邸にあった「本興稲荷」を毎日拝んでいたのが出口ナオで、2月3日(旧正月5日)の日に、突然、ナオは神懸り状態となり、、、

「節分の煎り豆に花が咲く」

と叫び出したという。節分には鬼を追い払う為に炒った豆を投げるのですが、この理由は「煎り豆に花が咲くまで戻ってくるな」という意味。実際には言った豆からは花は咲く筈もないことから、「二度と来るな」という意味になるのだという。この炒った豆が花を咲かすとは、鬼=大江山霊媒衆=地祇系の復権のことを言っているわけですが、実際、その後、大本はサンカ・アヤタチの上田鬼三郎を迎え皇道派の中核となっていった。また、ここでの鬼は牛のような角に寅のパンツを履いていることから「丑寅」であり、ウシトラの金神とも看做されているが、このウシトラの金神は『九鬼文書』にも登場する宇志採羅根真大神のこと。

この開祖出口ナオのお筆先には、、、、

「九鬼大隅守の因縁がわかりてきたら、どえらいことになるぞよ」

という一節がありますが、九鬼大隅守とは「海賊大名」の異名を持つ九鬼嘉隆のこと。九鬼は藤原北家で熊野別当家の流れだと自称するが、実際には出自不明だという。宇和島ににも九鬼氏は居るが、伊予宇和島藩初代藩主・伊達秀宗(伊達政宗の長男)が仙台から移ってくる際に一緒に宇和島に来たという。この宇和島九鬼氏が志摩九鬼氏の本家筋だと言われている。

九鬼嘉隆

九鬼氏の特徴として、、、、

1)天神系が都を置いた仙台から下って来た
2)三脚巴【トリスケリオン】と似た三巴が家紋
3)サンカ・アヤタチが作った大本に深く関係している
4)天神系はサンカを情報機関として傘下に置いていた


三脚巴

もしかして、九鬼氏が天神系天皇だったのでは、、、、(滝汗)

しかし、名無し先生の話では武闘派として知られる九鬼水軍末裔の方で戸籍を持たない人(80歳超)が居て、若い頃スペインで日本語教育が完備した大学でイエズス会教育を受けていたという。神官資格を持ち陰陽師でもあり、7つの苗字を使い分けているという。しかし、この末裔の方はコウケダイドコロシュウと呼ばれる北朝系の金庫番であり、天神系には属しておらず、残念ながら九鬼氏が天神系天皇という線は消えうせた。

これが志摩にパルケエスパーニャ(スペイン村)がある理由でもある。
まぁ、単なる偶然だが、、、(あはは)

う~む、未だオイラの中では天神系天皇の正体は謎のままです(爆汗)。

東漢出自の綾部の大本ら「客家に見える漢人」である卍党に客家手法を伝授したのがこの九鬼氏。つまり、九鬼氏とは柳生一族と同じく客家ですが、もう少し詳細に言えば、九鬼氏とは恵州客家(広東省恵州府、恵州の海豊・陸豊の両県の海陸豊客家も含む) が出自で、元々はペリシテ人(ハム系ミツライム族)だったというわけです。

確かに、この因縁はどえらいことだ(爆)。

九鬼氏の客家(ペリシテ人)らしいエピソードの1つが関が原の戦いで父と子がそれぞれ唐軍、西軍に付き戦って、どちらが勝っても家の安泰を図っていること。この両天秤戦略(双頭戦略)はユダヤ金融資本が使う手法ですが、徳川家康もアンチ北朝を江戸の近くの水戸に置き、何かあれば寛永寺に匿った南朝天皇末裔を玉にして東北に逃げるようにしていた。徳川氏も客家手法を充分知り尽くしている。実際、徳川家は客家(緑のカラス)の頭領格だった(爆)。

今回の洞察で、少なくとも分かったのが三脚巴【トリスケリオン】は客家(ペリシテ人)系列のシンボルだったということで、朱貞明の血を引くヤンギトナキ家族もスリーダイヤの財閥も客家系ということが判明したわけです(ふふふふ)。まぁ、「海の民」=三脚巴=ペリシテ人=客家という流れから当然の成り行きですが、オイラはこの財閥系列を「天神系」としてしまい、今、その誤りに気付いた(滝汗)。

しかし、天神系の経済基盤は一体何なのか? 権威だけでは支配コントロール出来ないのは「表の天皇家」を見れば分かるのだが、、、、更に謎は深まってしまった(爆汗)。

客家はダキニ天と閻魔大王(客家語では山大士)をひたすら畏れる宗教観を持っているといい、九鬼氏が豊川稲荷を祀っていた理由も納得がいく。閻魔大王の「閻魔」とはインドのサンスクリット語で「冥界神=死者の王」を指し示す最初の人間「ヤマ」(ゾロアスター教のイマ=ジャムシードに相当、双子の妹で妻が「死の女神」ヤミー)から来ている言葉ですが、客家がダキニやエンマを畏れる理由も「客家=ペリシテ人」ということが分かれば、簡単に謎が解ける。

ヤマ天像 (チベット)
(ヤマ)

聖書「土師記」15章にはこうある。

サムソンは長じた後、あるペリシテ人の女性を妻に望み、彼女の住むティムナに向かった。その途上、主の霊がサムソンに降り、目の前に現れたライオンを子山羊を裂くように裂いた。ティムナの女との宴席で、サムソンはペリシテ人たちに謎かけをし、衣を賭けた。ペリシテ人は女から答えを聞きだし、サムソンに答えた。サムソンは主の霊が下ってアシュケロンで30人のペリシテ人を殺害してその衣を奪い、謎を解いたペリシテ人たちに渡した。ティムナの女の父はこの一件の後、娘をほかの男性に与えた。サムソンはこれを聞いて『今度は私がペリシテ人に害を加えても、私には罪がない』といい、サムソンは出て行って、ジャッカルを300匹捕らえ、松明を持って来てジャッカルの尾を結んで、それぞれに一つずつ松明をむすびつけ、ペリシテ人の麦畑に送り込み、刈り入れた麦の山から麦畑、ぶどう畑、オリーブの木に至るまで燃やした。ペリシテ人はその原因がティムナの父娘にあると考えて二人を殺したが、サムソンはこれにも報復してペリシテ人を打ちのめした。ペリシテ人は陣をしいてサムソンの引渡しを求め、ユダヤ人はこれに応じた。ペリシテ人はサムソンを縛り上げて連行したが、途中で主の霊が降ると縄が切れて縄目が落ち、サムソンはろばのあご骨をふるってペリシテ人1000人を打ち殺した。

サムソンジャッカル
(ジャッカルを放つサムソン)

つまり、ダキニ天がジャッカルであり、閻魔大王がダン族出身の英雄サムソンだったのである。

サムソンは終末の世に現れる救世主の雛形とされていますが、ヒルデガルトの予言ではサムソンを輩出したダン族から偽救世主(反キリスト)が現れるという。このダン族の反キリストはビリケン広飲み屋なのか、、、、それともハゲリアム王子なのか、、、あるいはもっと別の人物なのか、、、誰なのか興味あるところですね。しかし、この血統のダン族は終末イエスに従う144000人から省かれるとも聖書に書かれている。きっとこの予言に沿ったシナリオでベルファシ勢力の終末劇が演じられることだろう(ニタリ)。

閻魔は「焔摩」とも言いますが、「焔」は「炎」のことであり、嘘をついたペリシテ人はこの火炎攻撃で大打撃を受けた。これが客家がダキニと閻魔を畏れる根源的な理由。だから、そうならないように篤く祀るのです。九鬼氏や徳川氏が篤く帰依する理由が分かりますね。
※荼枳尼天は閻魔天の眷属とされている。

さてさて、このジャッカルはインドではダーキニの精とされていますが、カーリーの眷属というか侍女扱いの大して知られていない女神(女夜叉)。しかし、チベットに渡ると一転してよく知られる女神となっている。

ダーキニーはチベットに渡りカドローマー(カドマ、カンドーマ)とか空行母と呼ばれる。カドローマーはチベット仏教の創始者であるパドマサンバヴァが生まれたとされる神話的王国「ウルギェン」に住む美しく若い女性として描かれ、猪の面を側頭部に持つヴァジュラ・ヴァーラーヒー(金剛亥母)、ナイラートマー(無我女)、ヴィシュヴァ・マーター(一切母)....などの8人の女神がいて「8人の母」として知られる。このようにカドローマー(空行母)は女神の複数形として描かれているが、ダーキニーはもともと集団や種族をさす名称であるので、この名残なのかもしれない。

インドでは閻魔大王がヤマで、その双子の妹で妻がヤミーでしたが、冥界に住むのが冥河神ヤミー。天界に居るのが冥王ヤマ。この2人はイザナミ、イザナギを彷彿とさせますが、このヤミーがダーキニーではないかとオイラは睨んでいる。客家(ペリシテ人)がダキニ天と閻魔大王をセットで畏れる理由でもある。

空行母03
(空行母)

この 8人の女神は北斗七星と輔星(そえぼし・アルコル)からなる8人の天女の話を彷彿とさせます。真名井の泉に八人の天女が舞いおりて、内一人の天女は羽衣を盗られて天に帰れず、後に豊受大神となり、帰った七人の天女は北斗七星となったという逸話でしたね。

この地上に残った天女が空行母でダーキニというわけです。

前記事では輔星は地球地軸の傾きが0度になった時、北極星(太一)に代わって中心となることから、マイトレーヤーを意味すると書きましたが、そこでは「北斗七星=再臨のイエス=マイトレーヤー=マハーカーラ(大黒天、シヴァ神)=摩訶迦羅(マカカラ)天=摩多羅神=摩多羅神=ルシファー=明星天子=国常立尊=スサノオ=スの神=天御中主=豊受大神=ヤハウェ=最後のシャンバラ王カルキ・ラウドラチャクリン=ビシュヌ=ヴァルナ=アフラ・マズダー=アヌ王=アヌビス=ジャッカル=野干=ダキーニー=九尾妖狐=ダキニ天=空行母=豊川稲荷」としましたね。まぁ、男神、女神、独神が混在してしまっていますが、、、、(滝汗)

ここからは豊川稲荷こそがウシトラの金神となるのだす(爆)。
※実際、伊勢神宮の東北(艮)方角に三川の豊川稲荷が鎮座

北斗九星

九鬼家家紋が七曜紋となっているのは、この北斗意七星からです。宋の時代の道教書『雲笈七籤』には北斗七星と輔星と弼星とあわせ「北斗九星」と呼んだ。この北斗九星を示す九曜紋を使用しているのが千葉氏、伊達氏、細川氏などですが、これら七曜・九曜などの紋を使用する家系は「海の民」の星信仰(妙見信仰)がベースにある客家(ペリシテ人)出自なのでしょうね。

七曜
(七曜紋)

このチベットの空行母が空海によって日本に導入され、荼枳尼天(ダキニ天)となり、その後、稲荷神と習合された。ダキニ天法は天皇の即位灌頂にも使われ、権力者が密かに祀っていたと云われる。

チベット仏教(ラマ教)は仏教という名がついてはいるが、古代からあった土着宗教にキリスト教(景教)、大乗仏教、タントラなどの要素が入り込んで形成されていった混合的宗教。インドへはイエスの12使徒の一人だった使徒トマスが布教の為に訪れているとされ、その地で殉教したとされている。このトマスの伝道かどうかは分からないが、少なくとも異端とされたネストリウス派キリスト教はローマを追われた後、シリア、ペルシャを経てシルクロードの各地にその教えを広めていったが、古代のチベットを訪れていたことは確実であり、この聖書逸話がダーキニーと閻魔の話として替わっていったのだろう。

豊川稲荷のダキニ天は空海のダキニ天ではなく、鎌倉時代の禅僧・寒巌義尹が入宋し、文永4年(1267年)、日本へ船で帰国の途上、吒枳尼天の加護を受けたのがきっかけで尊崇するようになり、寒巌義尹所縁の浜松の普済寺に祀られていた北山稲荷(ダキニ天)を豊川の妙厳寺に勧請したもの。

寒巌義尹禅師は海上でダキニ天の御加護があったという箇所に関し、キツネやジャッカルは陸上の動物なのに、何故、海の上?と不思議に思っていたのですが、先の九鬼氏等の客家が篤く祀ったのがダキニ天であることから、禅師は宋からの帰路、何らかの助けを客家から得たのでしょう。

豊川ダキニ真天の姿は、白狐の背に乗り、稲束をかついで宝珠を持ち、岩の上を飛ぶ天女の形ですが、この天女の姿はチベット仏教経由の「空行母」から来るものであり、また下の白狐は空海が東寺創建時に稲荷山から木材提供して貰った秦氏へのお礼代わりに稲荷神とダキニ天を結び付け、狐憑きと加持祈祷のマッチポンプで平安大乗仏教の新興宗教(当時)である真言宗を広める傍ら、伏見稲荷の稲荷神(INRI)信仰拡大も意図して、狐に似たジャッカルのダキニ天と狐を眷属とする稲荷神とを習合化した。この空海ダキニの段階では天女は出てこない。

つまり、豊川稲荷(豊川明神)とは、、、、

1)御饌津神(宇迦之御魂神)
2)仏教のダーキニー(ダキニ天)
3)ラマ教の空行母


この3つを合体させたのが豊川ダキニ真天なのです。

モアメタル空行母
(モアメタルと空行母  伏見系の稲荷には踊りや天女という要素は皆無。よってベビメタちゃんのキツネ様とは豊川ダキニ真天が確定DEATH。)

しかし、まだこれだけでは海上という点で疑問が残る。

それを解く鍵が、東シナ海域や黄海に広まった航海・漁業の守護神の道教の媽祖ですね。天妃、天上聖母、娘媽とも呼ばれるこの女神は、元々は宋代に実在した官吏の娘・林黙娘のこと。建隆元年(960年)、福建省興化府の官吏林愿の7女として生まれた。幼少の頃から才気煥発で信仰心も篤かったが、16歳の頃に神通力を得て村人の病を治すなどの奇跡を起こし「通賢霊女」と呼ばれ崇められた。しかし28歳の時に父が海難に遭い行方知れずとなり、父を探しに船を出し遭難し福建省にある媽祖島(馬祖島、現在の南竿島)に黙娘の遺体が打ち上げられたという伝承がある。無事に台湾に逃げた大陸人(多くが客家)によって台湾には多くの媽祖が祀られている。

この媽祖と空行母が結び付き、習合化されたのが豊川明神(豊川稲荷)だと睨む。

媽祖
(媽祖)

日本へも江戸時代前期に清より来日(1676年)し、水戸藩二代藩主・徳川光圀の知遇を得た東皐心越が伝えたとされる天妃神の像が茨城県水戸市の祇園寺に祀られている。亡命僧・東皐心越は客家でしょうね。

さてさて、ここでダーキニと空行母の繋がりから、チベットとナチスに加担したグリーン・ドラゴン・ソサイエティ、、、つまり緑龍会(緑のカラス=客家)のネットワークが垣間見れる。この客家ネットワークの端部が先の九鬼-出口水軍ネットワークでもある。

ヒトラーはアガルタの進んだ科学情報をチベット経由で入手していたことは知られていますが、このアガルタとはイスラエル十支族が目指して行った地底王国。実際には、これは満州で開発された日本の科学技術情報であり、アガルタとは日本を指すナチス暗号だったと睨む。
※満州では竜巻の原理からUFOの飛行原理が考え出され、その設計図がチベット僧院経由でナチスに渡り、それがハウニブーとして開発された。

アガルタ最後の王・ラウンドラチャクリンがビリケン広飲み屋だとオイラが言っている理由でもある(爆)。

以上の洞察から考えると、全てがスムースに繋がる。

■三脚巴【トリスケリオン】は「海の民」のシンボルで三巴紋はその流れ
■豊川稲荷(ダキニ天)が商売繁盛の神なのは、客家(ペリシテ人)=海の民という商業民族であったから
■豊川茜稲荷が漁師の信仰が篤いのは、九鬼氏と同じ「海の民」出自だから


客家は船上では必ず媽祖を祀っているが、船が寄港すると媽祖を陸上の祠に移す。これと同様に媽祖属性を持つ豊川ダキニ真天も陸上の祠に移すのでしょう。その移した先が豊川茜稲荷ではないのか? だからこそ漁師の信仰が篤い。2度目の宋留学の帰路、寒巌義尹禅師はこの豊川ダキニ真天を祀った客家系の船に助けられ、加護を受けたと言っているに過ぎないのだろう。

まぁ、ここに何か密約の臭いがするのだが、、、、

九尾の法則

「AとZの融合」が10月度のオイラのテーマですが、ここ最近、大魔神ことスサノオを祀る御嶽山の噴火、少女時代から大魔神コード「22」を背負う氷姫ことシカ様(ジェシカ)の強制脱退、台風18号19号の到来...等、禍々しき出来事が続いている。

ジェシカ
(22のシカ様)

だが、これはまだまだ前座に過ぎないというのがオイラの認識。

というのも、天孫系天皇の擁立基盤の1つであるトーイツを巻き込んだ御嶽山の水蒸気爆発と「22」のシカ様外しの霊的真意は、、、、

1)「王の御嶽」を意味する御嶽山、この「王」とはスサノオ(スサの王)=地祇系を表す
2)対立する天孫系を巻き込む暴走
2)シカ様の「鹿」が扶余新羅系(地祇系)のトーテム(プヨとは鹿の意味)


以上から、「地祇系の暴走」の象意を読み取ることができるからです。

つまり、国の進むべき方向性において、かつての統制派(桓武平氏=藤原式家=南朝=百済系=天孫系=メーソン系)と皇道派(清和源氏=藤原北家=北朝=新羅系=地神祇系=イエズス会系)のような仲間割れ状態が起き、「ネオ満州国」建国を掲げる地祇系が「そうはイカンザキ!」と行き手を阻まれた為に暴走するだろうと睨んでいる。それが御嶽山の霊的象意です。

NWO前夜なので、各陣営とも覇権掌握に躍起なのだすな。特に、現在、覇権を天孫系(南朝)に握られている地神祇系(北朝)は焦っている。

さてさて、明日、「AとZの融合」の本番である10月22日になるわけですが、この流れからは大魔神コード「22」の日にはきっと何かあると思う。

実は、この22日はAPINKの日本デビューの日(爆)。
これでZPINKことモモクロZと同じ土俵(日本芸能界)に立つことになる。

これが「AとZの融合」(爆)。

これはアイドルの「原点」と「最終進化形」のウロボロスの蛇的な会合でもあるのですが、あらゆる起源を主張する「A」の国と起源云々よりも改善して極みの高みに上げることに拘る「Z」の国の融合という画策が他分野で暗喩的に現れてしまったものだと睨んでいる。
※霊的領域(想念領域)では「近しさの法則」が作用し、あることを画策すると、それと似た事例においても同様の作用を引き起こしてしまう。この似た事例側からの影響を読み解くことで未来予測していくわけですが、これは梅花心易のメカニズムでもある。しかし、このように現実世界に立ち現れてくること自体が「五感の箱」の中で起きている仮想現実でもあるのです。

「南朝-南朝鮮-民団、北朝-北朝鮮-朝鮮総連」という図式から、今回の「AとZの融合」を画策しているのは南朝(天孫系)主導だと睨んでいますが、この画策には北朝(地祇系)が黙っちゃいないだろうというのが大きな根拠。

まぁ、オイラの日時を示した予言は当った試しがないので心配は不要だすが、、、(爆)。

ところで、オイラは、、、

ナウン、ナムジュ押しだす(キッパリ)。



で、その「AとZの融合」の10月22日(水)には、名古屋・オアシス21でAPINKのフリーライブイベントが開催されますが、平日なので行けそうにないだす~(涙)。

折角、名古屋に来てくれるのに、、、禍々しいことこの上ない。

まぁ、ライブイベントが金毛白面九尾の狐の生まれ変わりであり、現代の「玉藻前」ことチョア様だったら、オイラは仕事休んででも行くだすが、、、、(爆)

金毛白面九尾の狐とは色香で男を虜にするエロスの女神でもあるので、九尾狐(クミホ)はチョア様にふさわしい名称だと自負している。

APINKデビュー時に誓ったPINK PANDA(ファンクラブ)加入も、チョア様のせいで怪しくなってしまっただす。まぁ、オイラは中元奉公衆(モッシュシュメイト)でもあるが、元・ソドク人、元・軽度モノノフでもあったわけだが、、、

さてさて、この玉藻前のモデルになったのが鳥羽上皇の寵妃・藤原得子ですが、得子は二女児を生んだ後に待望の体仁親王(後の近衛天皇)を生み、摂家でもない彼女が皇后にまで登り詰めて「美福門院」の院号を賜った。自分の子や猶子を帝位につけるよう画策し、摂家出身の中宮待賢門院(藤原璋子)を失脚させている。

しかし、「皇太弟」への譲位という騙された形で院政の道を絶たれ、朝廷から排除され不満が募る崇徳上皇と、得子によって失脚させられた藤原忠実・頼長が結びつき、鳥羽法皇死去直後に勃発したのが「保元の乱」。得子はすでに落飾していたが卓抜な戦略的手腕を見せ、平清盛が付く後白河天皇方の最終的な勝利へ導いたという。

ちなみに、得子は1160年12月22日の大魔神コード「22」の日に亡くなっている。

このように天皇派(今上天皇)と上皇派(太上天皇)の争いがありますが、「上皇」の称号は持統天皇が上皇になったときから始まる。上皇は「法王」とも呼ばれるが、日本が一貫してバチカントップの教皇を「ローマ法王」と呼ぶ裏にはバチカンは二重権力構造をあることを知っていて、そう呼んでいるに過ぎない。もう1つのトップは「黒い教皇」と呼ばれるイエズス会総長だすな。旧知のベルファシ仲間(枢軸国)の日本だからこそ、知り得ているといったところか。

まぁ、この持統天皇自体、藤原不比等の邸宅で即位の儀を行っており、実際には天皇でも天武正妃(后)でもなかったという話もあるが、、、、これは天孫族(百済系)の歴史改竄ですね。

この上皇派に付いていたのが五摂家であり、その上皇派の中でも「北朝派」と「南朝派」に分かれ、「北朝派」が近衛、鷹司、「南朝派」が九条、一条、二条となっている。院の御所が仙洞御所ですが、ここがもう1つの政治の中枢でもあったわけです。

一方、玉藻前の経歴は中国古代王朝殷の紂の后「妲己」

王と妲己は酒池肉林にふけり、無実の人々を炮烙の刑にかけるなどの暴政を敷いた。その後、天竺の耶竭陀(まがだ)国の王子、班足太子(はんぞくたいし)の妃「華陽夫人」として再び現れ、その後は周の幽王の后「褒姒」として登場。そして753年、若藻(わかも)という16、7歳の少女に化け、彼女に惑わされた吉備真備の計らいによって遣唐使船に乗船し、嵐に遭遇しながらも来日を果たしたとされている。

酒池肉林
(酒池肉林)

後の世に鳥羽上皇に仕える女官となって玉藻前(玉藻御前)と名乗り、その美貌と博識から次第に鳥羽上皇に寵愛され契りを結ぶようになったが、上皇は次第に病に伏せるようになっていった。しかし、陰陽師・安倍泰成(安倍泰親、安倍晴明とも)が玉藻前の仕業と見抜き、真言を唱えると玉藻前は変身を解かれ、白面金毛九尾の狐の姿で宮中を脱走し行方を眩ましたという。

この正体を顕した玉藻前は那須野へ逃げ、上皇は8万余りの軍勢を派遣して討伐したが、亡くなった直後、巨大な毒石に変化し、近づく人間や動物等の命を奪う「殺生石」となったという。その後、南北朝時代の僧が殺生石を破壊し破片が各地へと飛散したと伝わる。

ベビメタちゃんのI.Z.Dの歌詞のように「キツネ飛べ、キツネ飛べ、飛べ飛べ飛べ」

那須野から韓国に殺生石破片が飛んだのかもしれない(爆)。

チョア15
(金色白面九尾の狐ことチョア様、、、鳥羽上皇の気持ちが痛いほど分かる・爆)

一般的に九尾の狐は悪神だと考えられているが、オイラは旧秩序を破壊し新しい世を生み出す契機となっているので、善も悪もないものだと思っている。殷が滅亡した時も、周が滅亡した時も旧覇権勢力の王朝は崩壊している。実は鳥羽上皇の時もそうであり、保元の乱を経て燻り続けた反目が「平治の乱」で爆発し、結果、平清盛らの「桓武平氏=百済系=藤原式家」の天孫系が権力を握って、世の中を維新(既存秩序破壊)している。その1つが宋銭を使った貨幣経済の開始ですね。

つまり、九尾の狐が登場する時が亡国や権力交替の兆しというわけです。これを「九尾の法則」とオイラは呼ぶ。
※日本は他派閥雄と誓い合った三柱鳥居構造であり、隠れた形で王朝交代する為、亡国という形態は取らない。

九尾出現は蚩尤旗と呼ばれる赤い雲を帯びた中に現れる尾の曲がった禍々しい彗星と同じく政変の兆しなのです。

平家物語には、、、、

「七日の日、彗星東方に出づ。蚩尤旗(しゆうき)とも申す。また赤気(せきき)とも申す。十八日光を増す。入道相国の御女(おんむすめ)建礼門院(平清盛の娘・徳子 安徳天皇の生母)、その時はいまだ中宮と聞えさせ給ひしが、御悩(ごのう)とて、雲の上、天(あめ)が下の嘆きにてぞ候ひける。」

とあり、安徳天皇を生んだ建礼門院がなななか体力が回復しないことから、生霊・死霊・物の怪が憑りついたのではなかと疑われていたのですが、この時、空に不吉な彗星が現れていたのが蚩尤旗です。実際にその後、平家は壇ノ浦の戦いで負け、建礼門院は三種の神器を懐に差し幼い安徳天皇と共に船から入水自殺するという結末を迎え平家の世は終了している。そして、この後、源氏の世が始まっているのです。

安徳天皇
(入水自殺する安徳天皇のジオラマ)

さてさて、10/22から1ケ月間、、、つまり11月22日までが「AとZの融合」期間だとオイラは定めていますが、この期間が後々の大目標に対してロケットスタートを切れるかどうかに掛かっているやつらにとって重要な期間。

今年は「黒い馬」(2007~2013年)から「蒼ざめた馬」(2014~2020年)のアジェンタに移った最初の年でもあるのですが、この期間には第三神殿建設、イラン・イスラエル戦争から第三次世界大戦勃発、異常気象や旱魃なのど飢饉による餓死で世界人口の1/4(17億人)の間引き、、、等のイベントが控えている。現在、米国を恐怖で席巻しているエボラ出血熱もこの計画の一環なのだろう。

ここでコケたら万事休すなのだす。

話はちょっと飛びますが、前記事で伊勢内宮の荒祭宮に祀られているのが、桜の神である縄文の女神・瀬織津姫(アラハバキ)という話を書きましたが、この瀬織津姫とセット(夫婦神)となるのがニギハヤヒ、、、、これが本来の天照大神。実際、籠神社の極秘伝は「アマテルとニギハヤヒの両神は実は同体なり」と述べている。

ニギハヤヒ(別名・天照国照彦天火明尊)は、封印され隠されてきた神なのです。
※徐福渡来地の籠神社は天火明尊を祀っているが、出雲風土記では天火明=徐福だとしているが、これだと天火明や海氏、物部氏、尾張氏は徐福末裔となってしますが、これは徐福と初期大王家を一緒くたにしてしまった歴史改竄の結果である。

神島のゲーター祭りは「贋の太陽を追い落とす」神事ですが、この祭りで使われる贋の太陽を示す白いワッカを「アワ」と呼びますが、これは金環日食時の太陽を表現しており、即ち「岩度隠れ」した天照大神を暗示している。この古くなった贋太陽=アワをロンギヌスの槍状の竹槍で追い落とす(引導を渡す)のが、神島住民の祖でもある伊雑宮磯辺神人の役目であることを代々祭りとして伝承してきている。

日食

A鳥A雄氏がいう伊勢三宮になった際には伊雑宮が本宮として立つという話とリンクしてきます。多分、内宮=天孫系祭祀場を追い落とすのが磯部神人=渡会氏の最終目標なのでしょうか?

伊勢の信仰では海中に供えものを流し、東の海を太陽の国として拝みますが、まぁ、伊勢の東の国は東海三神山のあった三川だすな(爆)。元々の伊勢の太陽神は天照(アマテラス)ではなく海照(アマテル)。伊勢の磯部らの海人族は海から昇る太陽を信仰していたのです。これは名前を金と名乗る程に「金」好きで黄金の衣装をまとった初期大王族(金首露王)が招聘されて船(宝船)で伊勢湾に入って来た時の様子を暗示しているのかもしれません。

金鯱
(引退した金鯱号だが、古代の人はこのような金色に輝く船を海上に見たのだろうか?)

金鯱02
(名古屋限定就航の金鯱号。名古屋人の「金」好きは金首露王渡来に因むのか?)

この神島の近くには数百年前に海中に沈降した島があって、家跡が海底に見つかったと数年前の新聞に載っていたというが、同様な話が出雲の御日先神社の先の海中に沈む夕日を祀ったと目される古代祭祀場跡が発見されている。


(800年頃の出雲地震で水没?)

夕日を祀る古代祭祀場が出雲海上にあったのならば、朝日を祀る古代祭祀場が神島近くにあっても決しておかしなことではない。オイラは神島の海中遺跡に古代祭祀場があると睨んでいる。

しかし、天変地異でこれらの太陽の日の出、日の入を祀る祭祀施設が海中に没した為、太陽神としてのニギハヤヒ信仰は失墜し、封印されたのではないかと睨むのだが、、、、果たして、、、、

で、話は戻るが、、、、(汗)

神道には、荒魂(あらたま)と和魂(にぎたま)、荒妙(あらたえ、麻布)と和妙(にぎたえ、絹布)という言葉がありますが、「アラ」と「ニギ」は元々がセットなのですね。ただし本来の「女陰」を意味するアラハバキ神とのセットとなるのは男根を意味するクナト神。この組み合わせが東北から近畿に下って来るに従い、瀬織津姫とニギハヤヒに変化したのだろう。

籠神社にある『籠大明神縁起秘伝』には、「籠大明神(彦火明尊)は十代祟神天皇時代に天照大神が遷座し、それ以後、豊受大神宮と呼ばれるようになるが、【豊】とはつまり国常立尊であり、【受】とはつまり天照大神である。」と記される。この天照大神が籠神社祭神でもある天照国照彦天火明尊であり、ニギハヤヒのこと。

つまり、元々は籠神社のある地では地祇系のスサノオ=国常立尊を祀っていたが、饒速日命(ニギハヤヒ)も祀るようになったということ、、、、これが「トユケ(止由気)」。これは尾張氏同族の海氏(海部氏)が丹後国に移動させられてきたことを意味する。当然、元居た地は伊勢湾。籠神社の祭神が豊受大神宮への遷座は、ある意味、祖の地に帰ってきたことでもある。
※語り部説では、豊受=豊浦であり、通称「豊浦大臣」の名を持つ法興寺寺司で蘇我入鹿モデルの鞍作毛人。これはニギハヤヒ勢力=初期大王家(新羅扶余スキタイ・地祇系)を受け入れたことから始まる名。つまり、豊浦大臣とは今で言う移民庁長官みたいなもの。現在、少子高齢化を受け、毎年20万人の移民受け入れを政府が本格検討しているが、この問題は古くて新しい問題でもある。まぁ、こういった政策が出ること自体、この国の支配者層が日本人ではないことが遠因であるのだが、、、、

で、このニギハヤヒの命日が11月22日なのです。

1122で「いい夫婦」なのだす~。
これが言いたくてここまで引っ張ってきた(爆)。

11/22夕刻には宮中(皇居)や奈良天理市の石上神宮で「鎮魂祭」が行なわれますが、本来は衰えかけた太陽の御魂を振り動かして蘇生させ、復活させる冬至の儀式だったとも言われる。秘宝の十種の神宝を振りかざし、死者をも蘇らせる祝詞だといわれる「一に三四五、、、ふるべゆらゆらとふるべ」と唱えて太陽に「渇!」を入れるのでしょう。ニギハヤヒが太陽を象徴としているのが分かる話ですね。

実は、この11月22日は豊川稲荷の「秋季大祭」の日でもある。まぁ、毎月大魔神コード「22」の付く日には豊川稲荷では毎月縁日やってますが、、、この日だけは特別。

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(豊川稲荷秋季大祭 10mの大提灯が2基飾られる)

この豊川稲荷は曹洞宗の寺院ですが、北朝・足利尊氏に討たれた南朝方の鎮魂の為に今川義元(北朝派)が資金提供して創建された。その鎮守として併設されたのが豊川稲荷ですが、元々は寺院創設者の東海義易の師匠筋にあたる寒巌義尹が宋からの帰路、ダキニ天の加護を受け、寒巌義尹の弟子・華蔵義曇が浜松の普済寺の北山稲荷として祀っていたものを勧請したものである。

豊川稲荷の隆盛は平八狐によるところが大きい。この平八狐は「鈴木平八」という浜松の都田から来た年老いた寺男(社守)のことで、鍋1つで稲荷に来る客相手に何でもすばやく料理して提供したのが人気を博していたという。元々は豊川の西島稲荷の寺男をしていたが、請われて移ったところ繁盛していた西島稲荷は廃れ、豊川稲荷が隆盛したという。

都田には平八稲荷という稲荷神社があるが、この神社の縁起は、、、、ある年、長雨で都田川の氾濫で村が飲み込まれるのを事前に読み、村人たちを山に避難させた救世主。こうして村人たちは助かったが平八爺さんの姿が見えず、代わりに都田川の荒い流れの上をぴょんぴょんと跳んでいく一匹の白狐の姿があった。これが平八爺さんの正体であり、これを祀ったのが平八神社。

平八狐面
(雄と雌 額に金色の宝珠が描かれるのが平八狐面の特徴)

この平八狐は渡来してきた狐と言われることから金色白面九尾の狐であり、ダーキニー(ダキニ天)がトランスフォーム(変容)した姿だとオイラは睨んでいるわけです。

この豊川稲荷に初詣に毎年訪れるのが鈴木イチロー、、、、鈴木平八爺さんの末裔かもしれん。確かに「狐顔」ではあるし、、、(爆)
※前記事で書いたように鈴木氏の苗字は熊野信仰をした家に与えられている。

金色好きな名古屋を経済基盤に豊川稲荷という白面の狐を有する愛知県。「愛知」という言葉はアイヌ語のアユチ(干潟)から来ていますが、それに「フィロソフィア(哲学)=フィロス(友愛)+ソフィア(知)」の漢字を当て嵌めた県名。フィロスはエロース、アガペーと共にギリシャ愛の1つで「エロスの女神」の仲間でもある。また県境の弥勒山には金神の碑を有し、「身の終り(美濃尾張)」を意味する地であり、信長・秀吉・家康の三英傑を輩出した地でもある。また蓬莱山の東海三神山の道教聖地でもあり、伊勢と皇居以外に三種の神器が存在する地でもあるのです。しかし、今はカバラ秘法で伊勢の鏡像反転に利用され黄泉(陰)に落とされているが、、、、

愛知は金毛白面九尾の顕現かもしれない(爆)。
※九尾妖狐=魔多羅神=再臨のイエス=救世主であり、東濃地区への「首都移転計画」が水面下で進んでいるという話もあるが、、、これが我が国の救世主となり得るかも知れない。

金毛九尾00
(疾走する九尾の姿に見えなくもない・爆)

■【救世主か?】鳥インフルの発症歴がない愛知県男性に抗体が!! 万能抗体ワクチンの作製に期待!!
http://blog.livedoor.jp/hakushikidoo/archives/36903337.html
(どうも名古屋メシに秘密があるのかも、、、)

さてさて、今年は皆既日食、皆既月食がイスラエルの祭りの日と重なることが続き、これが2015年のヨベルの年の始まる9月まであります。

大贖罪の行われるヨベル年の始まりの時は2015年の9月からですが、閏年を加味した本当のマヤ暦の終わりも2015年9月をであり、また、太陽神ホルスの母「イシス」を祀る古代エジプト宗教の聖地(イシス神殿)の壁には1465体の神々が描かれ、この場所が閉鎖されると毎年秋分の日に一体ずつ神々の加護が失われ始め、すべての神々が去った年の秋分の日に世界が水没すると予言がある。神殿はローマ帝国により550年に閉鎖されたことから、全ての神が居なくなり世界が水没するのは2015年の9月であるとのこと。

一瞬、焦りそうな内容ばかりですが、基本的に予言はマッチポンプであり、こういった筋書きを発表して、これに沿って事を進める勢力がいるということですね。まぁ、それがユダヤを使って事を為すヘッセン=ナッサウ勢力であることは間違いないのだが、、、、イシス情報流している人で実際に1465体の神々が描かれているのを確認した人はないと思われ、年月決めてから逆算して1465体にしたのが真相だろう(爆)。

このことから、2015年9月までに旧世界を葬り、NWO(千年王国)樹立の第1ステップにしようとしているだろうと裏読みできる。その時に対しちょうど1年を切ったのが今年10月であり、ある意味、これは助走期間。様々なイベントがめじろ押しとなると睨んでいるわけだす。KPOPの侵攻再開もその線に沿っているに過ぎないというのが、オイラの考えです(ニタリ)。

きっと綾部の世界珍宝◎◎協会も動くであろう。同会が進める「国際連帯税」導入は「炭素税」同様、世界政府の財政基盤となるもの。

また、東アジア共同体構想はNWO統治時における日本から満州国にかけての地祇系(新羅系)の覇権テリトリー案に過ぎない。ただ、大本が持つ独自の千年王国観によって世界珍宝◎◎協会はゼーレと反目するネルフと為り得るのだろうか? 

碇ユッキー02
(メーソン系の六分儀ユッキーがイエズス会系の団体が主導する世界珍宝◎◎協会会長に就任していたが、これはどういうことなのか? やはり上は繋がっているという証なのか? コメでも指摘ありましたが、大本と豊橋には繋がりがありますね。ガス一族の◎◎とか、、、まぁ、これが地祇系が進める70気圧水素ガスタンクインフラとも繋がってくる。以前は原発推進派だったけどね。3.11で方向転換DEATH。)

「AとZの融合」の先には、きっとネオ満州国建国がある。

地祇系(新羅派)の1000年来の宿願が形として現れたのが、1)秀吉を使った朝鮮の役、2)関東軍を使った旧満州国建国、3)現在進行中の「ネオ満州国」建国ですが、今回の場合、客家ペリシテ人が満州物件を売り、地祇系の卍党がそれに乗ったという格好。この建国機運を盛り上げ、一気に加速化する動きが今後あるかもしれない。まぁ、地祇系の政党「ミンス党」はあっけなく3.11で吹っ飛んだわけですが、、、、一体、どう巻き返すのだろうか?

例えば、北朝鮮の少女時代こと「モランボン楽団」の日本衝撃デビューさせるとか、、、(爆)。

しかし、それに待ったを掛けるのが国際秩序維持派(国サイズを大きくさせない勢力)です。20年間、簿外資金注入を止め「兵糧攻め」をしています。国際秩序維持派=国内秩序破壊派でもあるのですが(笑)、それはベルファシ勢力に犯された国内秩序に対しての破壊であり、戦前の日本で行われた身分制度廃止、天皇人間宣言、財閥解体、農地開放という悪しき秩序の破壊。しかし、まだまだ日本には「摂家システム」が残存しており、この破壊消滅が国際秩序維持派の宿題として残っている。
※特に強いのが地祇系に属する近◎閥系の摂家システム。まぁ、農業、土木関連の既得権益層だと思っていい。

戦後、国が立ち行かなくなるまでに解体されたのが古代から続く日本のベルファシ勢力。しかし、既得権益を排他的に領受する「摂家システム」や戦前の日本の軍需産業は原子力村に取り込まれる形で温存され、戦後もしぶとく生き残った。この日本のベルファシ勢力が元の体への復活を狙い、憲法九条の解釈を変え「強い日本」を演出する安倍政権は九◎閥をバックに立っていますが、この復活、、、、さてさてどうなるでしょうか?

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(復活を目指すサウロンの姿とダブる)

しかし、今、金色白面九尾の狐(エロスの女神)が現れたことで「九尾の法則」が発動し、旧勢力側が零落して淘汰されるだろうと睨む。更に赤い色を帯びた「蚩尤旗」が出現すればマジ確定です。

チョア00
(エロスの女神・チョア様)

うっ、、、日本版では「蚩尤旗」(赤旗)を纏っている。。。。


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淘汰されるのは天孫系なのか? それとも地祇系なのか? あるいは2派閥同時なのか? この答えを知るには太陽や天体現象に敏感で政治には興味なく国のあり方を決める「日本のスーメタル」こと天神系天皇の動きを知らねばならないのですが、今の処、その実体が全然わからない(滝汗)。
※今の処、日本のスーメタル=天神系天皇=エドム人末裔=大元様だと洞察している。

だが、千年王国実現は煙のように消えていくせんねん灸となることだけは間違いないだろうと思う。

伊勢と三川は鏡像関係

泉湧寺の「霊明殿」には,歴代天皇の位牌が安置されていますが、一番古い位牌は,天智天皇から始まるのに、それより後の天武天皇系(天武・持統・文武・元明・元正・聖武・孝謙(称徳))の位牌が何故か存在しないという。

実は、明治9年に当時の宮内省通達で京都府下の寺に分散されていた天皇の位牌を泉湧寺に合併させ、天皇を万世一系の現人神として崇めさせる為に泉湧寺に全員集合させた明治政府、とりわけ国家神道を推進する勢力の目論見だった。だが、何故か天武系は除外されている。

このことから天武系は天智系とは別系統の家系であることは容易に判る。まぁ、ぶっちゃけていうと天武天皇系は仏教など奉じておらず、位牌など最初から無いから、集めようにも集められなかったというのが真相でしょうね。

天武天皇系(上宮=扶余系初期大王族)が奉じていたのは道教

秦の始皇帝以来、扶余王家は道教は信仰する慣わしですが、道教=初期大王家、初期大王家=道教と考えて差し支えない。これが地祇系(新羅系)の傘下にいる「客家に見える漢人」である大本が大陸に道院(道教寺院)ネットワークを持つ紅卍会と繋がっている理由でもある。

秦陵地宫
(秦陵地宮に眠る始皇帝)

天武天皇の名である大海人(高向王と佐富の子・漢皇子)の大海は、天武天皇の殯(もがり)に凡海麁鎌(おおあまのあらかま)が壬生(養育)のことを誄したことから、凡海氏(阿曇氏の同族)が幼少期に養育に関与したことに因んで名付けられたと推測されている。

また、天武天皇の和風(国風)諡号は「天渟中原瀛真人天皇」とのことですが、この「天渟」は天に留まる、「中原」は豊葦原瑞穂国中津国、「瀛」は東方三神山の一つ瀛州山、「真人」は優れた道士のことを指す道教用語であり、以上から「中津国の瀛洲山の麓に留まった道士」という意味になる。これは天武天皇が道教にズッポリ嵌っていたことの証左である。

更に、この「瀛」(えい)という文字は、秦の始皇帝(嬴政)のみならず、 「元和姓纂」という書物によると「徐は瀛姓、伯益の後(=末裔)」とあり、徐福も元来は瀛氏であった。そして、天武天皇の上宮(初期大王家)は扶余国~秦韓(新羅)~加羅国経由で来た金首露王(扶余依羅)を祖とする北イスラエル族の王族家系であり、始皇帝も輩出していることから天武天皇もまた瀛氏であったと云える。
※伯益・・・通称「益」。 堯、舜、禹の三代に仕えた賢臣。 禹のもとで宰相を務め、やがて禹から禅譲によって帝位を継いだ。

「瀛」は大海の意味を持つ字であり、大海人や凡海(おおうみ)氏と被る。また「東瀛」とは東方の海、東海、転じて日本のことを指す言葉であるが、語り部説に従いオイラが東海三神山と睨む鳳来寺山・本宮山・石巻山のある三川には大海、東栄町という地名がある。それだけでなく蓬莱山の麓の「湯谷」という地名も一致している。

始皇帝の祖は、紀元前900年ごろに周の孝王に仕えていた非子が馬の蓄殖で功績を挙げ「贏」の姓を賜り秦の地が与えられ、贏氏の祭祀を嗣いで号は秦贏とされたところにまで遡る。その後、改めて秦号が与えられ、その土地は秦と呼ばれるようになった。これが「秦」の始まりですが、賜った「贏」には「勝ち得る」転じて「得る、余る」という意味があるという。

更に時代は下り、紀元前247年に13歳でが即位し、呂不韋が相国となって実質的な権力を握ったが、この呂不韋がペルシャ系の北イスラエル族で政の本当の父親ではなかったかと言われている。

この「贏」という字は非常に難しい字ですが、勝つためには「危機意識」「意思疎通」「平常心」「金銭」「時間」の5つの要件が必要であるということからこの字は作られており、転じて「勝ち得る」転じて「得る、余る」という意味になっているわけです。

勝つ為の要件

この字にサンズイを付け、下中央の「貝(金銭)」が「女」に替わったのが「瀛」であり、「贏」も「瀛」もほぼ同じ意味を示す。この文字から始皇帝も徐福も最初から海の向こうの道教聖地(日本)を掌中に収めようと中国大陸に移動してきたのではないかと睨んでいる。

さらに、「瀛」や「贏」は簡略化してしまうと「凡」であり、凡海(おおうみ)氏の「凡」と重なる。

以上のように天武は一切仏教に傾倒してはいなかった。これが京都仏閣に天武天皇系の位牌が祀られおらず、泉涌寺に集合させられなかった本当の理由。

この瀛氏の「瀛」は瀛洲山の「瀛」でもあり、瀛洲山は石巻山のことであることは、過去、この煩フルで何度も述べていますね。この山を目指し、始皇帝の蜜命を帯びて徐福は大陸から遥々やってきた。

東三河(三川)は鈴木姓が日本で一番集中する地域ですが、これは熊野本宮社家で「州浜紋」を持ちヤタガラスである鈴木氏末裔というわけではなく、単に熊野信仰をしていた人にも与えられた苗字である。この鈴木の謂れは本殿が完成するまで木の枝に鈴を掛け、これを御神体として崇めさせたことに由来し、本殿完成後はその鈴は本殿軒先に掲げられた。これが現在の神社の軒先の鈴の発祥でもあるが、もっと遡れば、祭りの日に地面から掘り出して鈴の音を響かせる銅鐸神事に由来する行事だとオイラは睨んでいる。

この銅鐸神事を持ち込んだのが徐福

このように三川は熊野神社が多く存在し熊野信仰のメッカであったが、熊野大社→熊野本宮と勧請された主祭神はスサノオであり、これは新羅経由で出雲に渡来してきた製鉄部族の者たちであり、徐福そのものあるいは徐福と同族であったとされている。このことから徐福本隊が移り住んだ三川の東海三神山(鳳来寺・本宮・石巻)が修験道の修行聖地として崇められたことは容易に想像が付く。そして、かつて石巻山では法螺貝が吹かれていたという。

そういえば、最近、豊橋にほら貝ショップがオープンしましたね。石巻山でほら貝を吹く会を主催する方の実店舗ですが、非常にユニークな存在です。日本中どこにも無いんじゃないでしょうか。今までネット通販して500個販売したといい、かなりの数が海外からの注文だったという。修験道が意外と外人に人気というのが驚きです。

hora2.jpg

■ほら貝ショップ「穂の国」
http://honokuni8.ocnk.net/
(オイラは石巻山はコマネチ神業の場としているが、法螺貝も吹いてみたいだすな。)

この石巻山周辺には「御所」という地名が13箇所あるのですが、ここが南朝が正福の2系統に分かれたうちの正が置かれ場所なのだという。吉野となっているが、それは敵を欺く為の誤情報であり、本当は三川であったとのこと。また石巻山の南山というところには妙本稜社という南朝天皇家の御陵と云われる小さな社あるのですが、その地下には歴史を覆すほどの神宝が埋蔵されているという。

南朝・後醍醐天皇が光明天皇側に渡した三種の神器は「偽物だよ~ん」と云い放った件があるが、後醍醐帝は本物を持って吉野に逃亡したと称している。この場合、吉野は三川と読み替えねばならないので、三川が正統南朝の所在地なら地下に埋められた宝物とは本物の剣璽(剣と勾玉)であろう。本物があるからこそ「正統」となるのですからね(ふふふふ)。

だが、この正統南朝も北朝派の足利氏に滅ぼされてしまった。

この話が本当なのか、それとも法螺話なのか、実際に掘ってみたい衝動に駆られますが、面倒なのでオイラはパスだす(爆)。しかし、本当にこの地下に本物の剣璽(剣と勾玉)が埋められていたら、今までの天皇は全て偽物となってしまう。確かに歴史を覆す程のインパクトはある。

一般的な南北朝の系図は下記ですが、長慶天皇は大正期に実在認定され加えられた。

系図

この系図でおかしいのは「小松天皇」がないのに「後小松天皇」がある点。必ず先帝に小松天皇がいないと為らない筈なのにそうなっていない。何かが抜け落ちているのは明白。

一方、正統南朝に伝わる系図では小松天皇は実在している。更に、松良天皇、大宝天皇、天基天皇、中興天皇...等の知られていない天皇までが記されている。

南朝

今、神道界は伊勢出雲同時遷宮から始まり、出雲国造家(千家)と天孫系の天皇宮家の婚姻へと至り、草薙剣の伊雑宮への神器移管で三種神器を伊勢に全て集めて伊勢三宮化、その後の救世主である天照大神(再臨のイエス)降誕と千年王国(NWO)への道を睨んで突き進んでいますが、、、

「そうはイカンザキ!」

と待ったを掛ける展開になるかどうかの鍵を握るのは、九尾妖狐=ダキニ天(豊川明神)=魔多羅神=再臨のイエスを配し、本物の剣璽(剣と勾玉)が隠された道教聖地で神仙の地・三川であることは間違いない(爆)。

平家が逃げる際は西に逃げ、源氏は東に逃げ、逃げるうちに段々と勢力が増強されていることから、オイラは西日本が天孫系(百済系)の拠点、東日本が地祇系(新羅系)の拠点だったと考えている。しかし、何故、天孫系の明治政府は江戸に持ってきたのか不思議に思っていたが、これは大極図の「陰中の陽」「陽中の陰」であり、日本列島そのものが大極図構造としたのだと睨んでいる。

日本分断01
(この分断ラインは50Hz/60Hzライン)

この大極図構造とは、実はトーラス構造であり、その特異点が大元。この特異点を伊勢に集約化させる為に、8世紀に籠神社から豊受大神やマナ壷を外宮に遷座し、今は熱田神宮から草薙剣を伊雑宮に遷座する段階なのだろう。

これは1000年以上の長い年月を掛けて進められた計画でもあるが、A鳥A雄氏にヤタガラスが語った内容に拠れば、これを持って伊勢三宮と為し、天照大神(再臨のイエス?)が降臨すると伊勢神宮の役目が終わるとされている。

トーラス構造
(トーラス構造)

大元とは日本の特異点であり、それは伊勢だった。

そして、その特異点の反対側が三川なのである。伊勢と三川は中央構造線で繋がったブラックホールとホワイトホールのような関係なのです。これがオイラが昔から言っている「三川から地下の中央構造線を伝わり伊勢に行く霊的エネルギーの逆流で、近畿に形成された逆五芒星結界を崩す」、、、これが石巻山でするコマネチ神業の奥義なのだと、、、、(爆)。

ホワイトホール

伊勢と三川は鏡像反転の関係にある。
だから「吉野」と記された場合、「三川」と読み替える必要があるのです。

この鏡像反転はカバラ奥義の1つでもある(ほほほほ)。

内宮、外宮、伊雑宮の伊勢三宮は各々が鳳来寺山、本宮山、石巻山に東海三神山に対応するとオイラは睨んでいる。そして伊勢神宮の奥の院と呼ばれる朝熊岳金剛證寺にある明星堂は、名無し先生が「ダビデの祭壇」の儀式が行っている場所でもある。創建は6世紀半ば、欽明天皇が僧・暁台に命じて明星堂を建てたのが初めといわれ、実は内宮や外宮よりも創建が古い。この明星堂の具現として内宮が設置されたとオイラは見ている。
※内宮創建は3世紀後半と言われるが、伊勢神宮の遷宮を決めた天武天皇は斎宮は作ったが、神宮参拝をしていない。また、神宮遷宮を行った時の天皇である持統天皇も内宮参拝していない。実際に文献に登場するは文武天皇の頃で、7世紀末頃だろうが、その後の歴代天皇は一切神宮に参拝していない。初めて参拝した天皇は明治天皇だった。

明星堂

明星太子

ここは伊勢神宮の鬼門を守る寺であることから「神宮の奥之院」と呼ばれるが、実際には神宮の東北にはなく真東である(爆)。また、狛犬に替わって牛と寅(ウシトラ)が守護しており明星堂内では明星太子を祀っている。この神は「明星太子=金星=ルシファー=ダビデ末裔=再臨のイエス=金神(スの神)」である。

丑寅01

この明星堂の東北(丑寅)の方角には豊川稲荷があり、豊川稲荷(豊川明神)は「九尾妖狐=平八狐=ジャッカル=ダキニ天=魔多羅神=再臨のイエス=金神」を祀っている。多分、ここからの影響から神宮を守護しているのだろう。

あるいは、豊川稲荷(ダキニ天)自体が明星太子として表される者なのもしれない(爆)。
オイラはこの説を主張している。

■内宮 ←→ 蓬莱山(鳳来寺山)
■外宮 ←→ 方丈山(本宮山) ※共に「天の岩戸」がある
■伊雑宮 ←→ 瀛洲山(石巻山) ※共に隠された神宝がある
■奥の院・明星堂(金神) ←→ 豊川稲荷(九尾妖狐)


神島
(凸状の伊勢が「陽」 、凹状の三川が「陰」)

その特異点中の特異点は、、中間に位置する神島だろう。

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(神島ゲーター祭)

神島は三島由紀夫の『潮騒』の舞台になった島だが、かつて伊雑宮磯部神人が「伊勢三宮説」を唱え流刑された地でもある。ここでは太陽信仰の毎年1月1日にゲーター祭があり、「天に二つの日輪なく、地に二皇あるときは世に災いを招く、若し日輪二つあるときは、神に誓って偽りの日輪は是の如く突き落とす」という謎の祭り。中国に「昔太陽が10個あり、昇る順序が狂って暑くなりすぎたので弓の名人・羿(ゲイ)が射落とした」との神話があり、これが「ゲーター(羿打)」となったともいうがハッキリとしない。伊勢と神島が作るレイラインが何か象徴していそうです。

また、10個の太陽が宿る「扶桑樹=生命の木」とも関連がありそうです。岩戸開きで真の天照大神が登場時に古い贋天照大神を落とす役目が神島の神人末裔に課せられているのかもしれませんね。

A∴O∴A

A∴O∴A(天使たちのエース)は、バンドチ-ム「AOAブラック」とダンスチーム「AOAホワイト」の2つの形態にトランスフォームするガールズグループですが、チーム名もそうですが、これは黒魔術と白魔術が由来だとオイラは睨んでいる。

これはビンゴだろう。

10/1に新曲・日本語版「ミニスカート」を出したところ、初日はオリコン8位、その6日後は31位、、、、爆死だすな。非公認アンバサダーを自認するオイラですが、この結果にはちょっと愕然だす(滝涙)。

アレイスター・クローリーの近代魔術結社O∴T∴O(東方聖堂騎士団)のような性魔術が日本には効かなかったということなのか?

クロウリーはペンタグラムの魔力を応用した「Vサイン」(アポフィスとタイフォンのサイン)を生み出して、WW2でチャーチルに掲げさせたと主張しているが、A∴O∴AにはVサインは輝かなかった(涙)。
※「アポフィス」とは蛇の形をした闇と混沌の神アペプのギリシャ語名。「タイフォン」はセトの別名。神秘はより強い神秘に屈っし跳ね返されるという原理からナチスのオカルトに対抗したのだとクローリーは言う。

クローリー
(ビートルズのサージェントペパーズにもクロウリーは登場)

ナチス副総統ヘスを単独英国に乗り込ませ逮捕できたのはクロウリーの計らいだというが、ヘスを欠いたせいでナチスの神懸り的な侵攻は精彩さに欠き出し、WW2の英国勝利の起因となったことは確かではある。クロウリーはべルファシ勢力の天敵なのか?

■アレイスター・クロウリーと英独の“占星術戦争”
http://inri.client.jp/hexagon/floorB1F_hss/b1fha802.html

クロウリーは「魔術は意思により現実に影響(変化)を与える科学だ」と主張。この辺のことは「S∴O∴L(光の侍従団)」創始者であるW・E・バトラー も 「魔術とは即ち、精神変容の秘法である」であると述べているのとは対照的です。この両者の違いは変容に到達する迄か到達した後のことを述べているかの違いに過ぎず、「意識変容は現実を変容させる」が本当のところ。

全てはトランスフォーム(意識変容)が魔術の起点。

そして、このことは2つの魔術団体の性格にも現れている。
利己的な「黒魔術」と利他的な「白魔術」ですね。

当然、前者がO∴T∴O(東方聖堂騎士団)であり、後者がS∴O∴L(光の侍従団)です。

さてさて、A∴O∴Aの日本デビュー2曲目に期待だすが、ここはV字回復を狙って現実を変容させるべくオイラが一肌脱いでテコ入れするしかない。

で、いったい何がいけなかったのか?

日本語版MVには、ジッパー上げ時にクローズアップがない、ミナの踏み付けアングルが凝っていない、秘書風の赤スカート+白いブラウス衣装が無い、、、等、見劣りする部分が多々ある。韓国語版の方が遥かにいい。この点を日本語版スタッフに猛省を促したいところ。



で、優良版と云われる韓国語版で妙に耳に残るのが下記の歌詞。

「メガ盛り 一般人」
「う◎ち まりこ (ほほほほ)」



決して空耳だとは思っていないだすが、、、

この曲は間違いなく「青木まりこ現象」のことを唄っている!!!

■青木まりこ現象 (Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E6%9C%A8%E3%81%BE%E3%82%8A%E3%81%93%E7%8F%BE%E8%B1%A1

これは一般人ですらメガ盛りにしてしまう恐ろしい意識変容現象ですが、日本人だけに特有な話ではなく世界共通の現象。

ある意味、これは超一級の高等魔術でもある。

この特異な現象に共通する行動パターンとして、思わずケツを振ってしまうが、あまりに辛い場合など、床に寝そべって腰をクネクネさせてしまう程。

AOA08.png
(漏れ出そうなのを必死で我慢するチョア様、、、ステキだ)

この不思議な現象の原因として、本の臭いが便意を催すとか、トイレで本を読む習慣から条件反射的に起きるとか、膨大な量の活字に囲まれるプレッシャーによる過敏性腸症候群の一種とか、、、、様々な解釈がある。

しかし、オイラの解釈はこうだす。

書店に行くことは新しい知識を仕入れることですが、立ち読み等で知識を頭に入れることは、食べることに相当し、当然、古い知識の排出を伴う。この脳の指令が肉体にも及び、便意を催すのだろうと睨んでいる。これが「意識変容は現実を変容させる」ことでもある。

これは単にセクシーなだけのMVではない深~い意味のある動画だったのだす。

AOA02.jpg
(ヘジョンの洋式◎◎◎ポーズ)

これは決して空目空耳ではないだす~

笠岡の陶山城

名無し先生から笠岡の陶山城について調査せよとの指令が下り、調べてみた。
※どうもあのコメは名無し先生ではなかったようです。Hちゃけさんだった。。。。

う~む、どこまで真相に迫れることやら、、、、(滝汗)

嘉承2年(1107)陶山盛高が平正盛に従って出雲の源義親を討ち、その功により魚渚・西濱・甲弩を賜り陶山城を本拠地とした。子の陶山泰高が廃城となっていた西濱の古城(淵山城:洲山城)を再興して「陶山城」と名付けたが、 三峰からなる城山は本丸、東丸、西丸の連郭式山城の形を為し「洲浜紋」の由緒となっている。

つまり、州浜紋の出所は陶山城だった、、、

現在、この陶山城(西浜城・洲山城)は、山頂が削られて埋め立てに使われ、ほとんど遺構が残っていないこと、文献資料が発見されていないこと、過去に調査をおこなった先人たちの記録がない...等、謎のベールに包まれている。

陶山城
(金浦の陶山城跡)

陶山氏(すえやまし)とは須山、巣山とも書くが、12世紀初めから16世紀初頭(平安時代から鎌倉時代)にかけて備中国(岡山県)笠岡地方を治めていた武士団のひとつ。出自は不明。後世には大江姓も称している。古代豪族・笠臣の後裔ともされ、一部が「カップルより猫の数の方が多い猫の島」で有名な真鍋島に渡り、ここから真鍋氏が興っている。
※ちなみに毛利氏の本姓も大江氏。

この笠(りゅう)臣とは笠岡市中心に支配した笠臣国造(笠国造)。笠氏の祖は笠臣国の領主「鴨別命」。鴨別命は吉備武彦の子で御友別の弟。新撰姓氏録では孝霊天皇の皇子・稚武彦命の後裔氏族と記されている。更に遡れば、吉備氏は上道・三野・賀夜(香屋・賀陽)・苑・下道・笠らの氏族に分派したという。

鎌倉末期の陶山義高は、竜王山(175m)に笠岡山城を築くと、それまでの陶山城から居を移し本城としている。国人として次第に成長し鎌倉幕府では奉公衆として名を連ね、元弘の変の際には鎌倉幕府方として、三種の神器を保持した南朝・後醍醐天皇の籠もる京都の笠置山を夜討ちして攻めている。後に陶山氏は後醍醐天皇方となった。

その後、足利氏が興した室町幕府の奉公衆に属し(五番手)したが、永正三年(1505)、笠岡城山城主・陶山刑部高雅は毛利方の武将で讃岐国細川満氏の将である村上二郎満兼の来攻に遭い、防げずに城を明け渡し、神島の自性院に逃延び陶山氏の武将としての歴史は閉じた。そして笠岡山城は村上水軍の拠点となっていった。

簡略してまとめると、、、

■平家に従い源氏討伐 (平氏側)
■鎌倉幕府側として後醍醐天皇を夜襲 (北条氏簒奪した平氏側)
■後醍醐天皇側に付く (南朝側)
■室町幕府奉公衆5番手 (北朝側)


あっちの派閥に行ったり、こっちの派閥に来たりしているが、基本的には南朝(百済・桓武平氏・藤原式家)派なのか?しかし出自は吉備氏の地祇系のようなのだが、、、この辺は離合集散が激しいのでなんともいえない。

で、この陶山氏の家紋が「洲浜に山文字」

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(洲浜に山文字)

「洲浜」は洲浜は河口にできた三角洲など水辺にできる島形の洲のいこと。また不老長寿の仙人が住む蓬莱山の仙境や竜宮城を見立てているともいわれ、ています。室町時代以降の工芸品や絵画の蓬莱山には必ず州浜が描かれる程に「めでたい形」とされた。 「洲浜」と名づけられた菓子があるのもその名残り。

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(洲浜台)

陶山氏の発祥地である笠岡金浦湾は深く曲がり入り込んだ湾であり「洲浜」のようでもあった。「洲浜に山文字」の下の2つの山は陶山城(西濱城)のあった金浦背後の行者山(標高100m)と、居を移して本城とした笠岡山城の竜王山(標高175m)の2つの山を表していると睨む。

笠岡

先に陶山氏は須山、巣山とも書くと述べたが、「陶」はスとも読み、朝鮮語でス(金)は鉄(くろがね)の意味。陶山氏は製鉄部族ともいわれる。牛頭天王=スサノオを祭神とする祇園信仰の神社である「須賀神社」の須賀とは、鉄(くろがね)を意味する「ス」と村の意味の「賀」であり、「鍛冶師の集落」を称する言葉。州浜の「ス」も須佐之男命の「ス」も鉄(くろがね)から来ている言葉かもしれない。

大本が言い出した「スの神」という言葉があるが、 「ス」はアイウエオの第十三番目にあるが、13番目はイエス12使徒のトップに座すイエスと同じで、主(シュ)ではなく主(ス)と呼ぶのが正しいといい、この一輪の言霊を「ス」の神(言霊)とした。大本からの枝割れである世界救世教もその枝分かれである崇教真光でも同じく「スの神」を崇拝しており、崇教真光では「スの神」のことを「宇宙天地万物創造の主神(ぬしがみ)」で万物万霊共通の大親神であると主張。ワールドメイトでも皇大神御社で御親元素大御神を拝んでいる。このように大本系では創造主である宇宙の大元の神を「スの神」と呼ぶ。

スの神、、、崇神ですね。
また、スの神とは、、、金(ス)の神、、、、金神となる。

また、陶山氏は弓術に長け「射手衆」として高名を上げている。笠岡市には767年に創建された甲弩神社があるが、古くは艮(うしとら)明神とよび、若建吉備津日子命を祀る。
※同母兄が吉備津彦命(四道将軍の1人で西道に派遣)

スの神、金神、うしとら明神、、、、

う~む、段々解けてきたぞ!

つまり、備中に興った陶山氏とは「ス」を求めて渡来してきたスサノオ系列の渡来人であり、吉備氏-(鴨別命)-笠臣氏の流れから地祇系に属する氏族であることが判る。しかも敵方とはいえ後醍醐天皇(南朝=天孫系)という天皇位にいる者を夜討ちするとは、非常に畏れ多いことであり、通常の国人には出来かねること。地祇系ならではの所業か?

以上のように、陶山氏は地祇系(新羅系)とオイラは睨んでいるが、同じく「洲浜紋」を使用する玉置神社社家の玉置氏はどう繋がるのだろう。玉置神社は熊野三社の奥の院という扱いになっており、熊野三社自体が出雲の熊野大社から勧請されスサノオ(徐福)を祀ったものであり、地祇系神社に属する。となると、玉置神社もまた地祇系に属する神社となる。

玉置氏の家伝によれば、平資盛の子が熊野に逃れ、大和吉野郡十津川村の玉置山上に鎮座する玉置社の神官となったと伝える。同様に平資盛の後裔が越前国敦賀郡織田剣神社神官となり、その後裔が織田信長である。
※織田信長=南朝=桓武平氏=百済系=天孫系となりますが、南朝遺臣の「津島衆」が奉じた津島牛頭天王=スサノオを信仰し、家紋も同じにした信長なので南朝方であるのは間違いないが、スサノオ=地祇系ともなってしまうが、、、、うっ、また捩れが、、、、(滝汗)。

後醍醐天皇の倒幕運動から起こった元弘の乱(1331~33)当時の荘司玉置盛高は、幕府方として大塔宮(後醍醐天皇の皇子・護良親王)の入山を拒んだという。盛高の養子直光に三人の男子があり、長男は玉置社別当職を継ぎ、次・三男は紀伊国日高郡川上庄・山地庄に移って別家を立て、日高川沿いに進出した次・三男の流れが室町期に畠山被官となる玉置氏であろうと考えられている。

玉置盛高!!!
陶山盛高と同じ名「盛高」です。しかし、生きた時代は大きく異なる(あはは)。
※陶山氏の通字は「高」

玉置盛高は陶山義高と同じく南朝の後醍醐天皇に対峙する鎌倉幕府側に属している。そして、同じ「逆さミッキー」を家紋としている。また、日本最古の家紋集録集である『見聞諸家紋』(東山殿御紋帳)によると、玉置氏は湯川氏とともに室町幕府(北朝)の奉公衆として四番方に属しているが、陶山氏は五番方に属している。同じような行動パターン、、、どうも同族っぽいなぁ。

自性院に逃げ延びた後、陶山氏は同族の玉置氏に吸収されたのではないか?玉置神社の奥の院とは「陶山氏」を指すのか?

そして、もっと云ってしまえば、、、「ス」を冠するが故伊に、、、、

スの神=国常立命=万物の大元=サンカの大元様=陶山氏 ということなのか?

これは飛躍し過ぎだろうな(爆)。
大元様が家臣団に入ることはない。

もしそうなら、玉置神社の奥の院とは陶山氏を指すことになるが、これでは「地祇系」となってしまい天神系天皇とは程遠くなってしまう。逆さミッキーが「後ろの正面」(天神系天皇)というのはガセだったのか?

う~む、これはオイラの三人の天皇の派閥比定が間違っていたのかもしれない。

■明仁今上天皇・・・【天孫系】
■玉置神社の奥の院(ニギハヤヒ系の子孫)・・・【天神系】【地祇系】
■サンカの大元様・・・【地祇系】【天神系】


これが正しいのか?

確かに、国譲りしたニギハヤヒ末裔という箇所からは、出雲神族とスサノオ血筋が入った出雲族(地祇系)であることは間違さそう。どうもジグソーパズルのピースの当て嵌め先を肝心のところで誤ってしまったようだ。しかし、これだとサンカシノガラ資金と大元様の関係が破綻してしまうのだが、、、(滝汗)

一応、「寅の穴」創設者はこのように修正しておく。

タイガーザグレート05

一応、これで「明治の仕組み(寅の穴)を全て作ったのは地祇系」という名無し先生の言説に沿うことが出来た。

では、陶山氏とは本当のところ一体何者なのだろう?

陶山氏の名を冠する陶山神社がある。この名を冠した神社が備中笠岡と九州の「有田焼き」で有名な九州佐賀県の有田の2つが存在するが有田の陶山神社は明治期に改称されたもの。元は「有田八幡宮」と称していた。一方、笠岡の陶山神社は武神である経津主神と武甕槌神に加え陶山義高が併祀されているが、ここにはヤタガラスの置物があるという。

陶山氏=ヤタガラス?

そういえば、ヤタガラスの家紋で知られる熊野本宮神社の社家・鈴木氏も陶山氏、玉置氏と同じく「州浜紋」を使用している。陶山氏は村上氏から逃げた後、歴史の闇に隠れた後、ヤタガラスになったのではないだろうか? っていうか、元々がヤタガラスだった? だから南朝に付いたり、北朝に付いたり、後醍醐天皇を襲撃が出来た?

う~む、謎は深まるばかりです。

陶山義高は笠置山の後醍醐天皇を襲撃した後、後醍醐天皇勢力が回復し、番場の蓮花寺で六波羅探題(鎌倉幕府の職名、朝廷の動きを知る京都守護)の北条仲時と一緒に切腹したとされているが、地元笠岡の言い伝えによると、陶山城と陶山地区の中間地点の竹薮で陶山義高は観念して自害したという。ここに建てられたのが陶山神社。

陶山神社
(非常に質素な佇まい)

尚、「陶山神社」は2つある。もう1つは佐賀県有田の陶山神社。主祭神は応神天皇とともに鍋島直茂と李参平(朝鮮の陶工)が祀られている。この鍋島氏から梨本宮に嫁いだ鍋島伊都子との間に方子が生まれ、李王朝に嫁いで日韓合同朝廷の長男を生んでいますね。間違いなく鍋島氏は渡来系でしょう。朝鮮半島とは限らないが、、、、

しかし、明治以後に改称されて、こう呼ばれるようになっただけ。

一方、笠岡の陶山神社は同じく笠岡市の有田にある式内社「在田(アリタ)神社」の末社ですが、祭神は苅田彦・苅田姫だという何の神かよく判らないらしい神らしい。一説には秋日に刈り取った稲の上に神霊が降臨したので苅田彦の名が付けられた「穀霊神」らしいが、、、、讃岐国の苅田氏(苅田首・紀氏一族を称した)との関連も窺わせる神の名だ。 また和歌山県有田市にはスサノオを祀る「須佐神社」がある。全てが「アリタ・カリタ」繋がりなのです。

スサノオ-「ス」の神-陶山-有田(アリタ)-苅田(カリタ)

という何とも不思議なラインの存在が浮かび上がる。
これは周防と九州の田布施ライン(天孫系?)に対峙する吉備ラインなのか?

偽書とも言われる『先代旧事本紀大成経七十二巻本』では、吉備は「黄蕨」「黄蕨津彦神」と記録されるが、この「黄蕨」は古代地名であり漢音は「コウケツ」。黄蕨国の蕨は突厥国からの渡来者を意味している言葉。吉備と同じ読みに羈縻(きび)があるが、これは「羈:午の手綱、縻:牛の鼻綱」を意味し、「手綱・鼻綱で周辺諸国を中国から離反しないように繋ぎ止めておく」古代中国の間接支配の方法。

突厥国は6世紀~8世紀半ばにモンゴル高原から中央アジアにかけての地域を支配したテュルク系(トルコ系)遊牧騎馬民族とその国家ですが、突厥という言葉自体がテュルクの音写表記。独自のソグド文字をもっていた。その首長は可汗(カガン)とよばれ、アルタイ山脈の麓に住んでいた。当初はモンゴル高原に勢力を伸ばした柔然に従属していて、鉱業に従事。突厥とは金山(アルタイ山脈)の形が兜に似ていたので兜のことを突厥と言った。柔然の隷属の下でアルタイ山脈の南麓へ移住させられ鍛鉄奴隷として鉄工に従事したが、阿史那氏は遊牧民には珍しい鍛鉄技術で実力を伸ばし、552 年に独立して突厥(トルコ)と称した。備前には刀鍛冶が多いが鍛鉄(鉄を鍛えるこ)は備前刀作刀の基礎技術でもあり、突厥の渡来があったと考えられている。

吉備国で有力な家系は有木(アリキ)氏ですが、備後一宮吉備津神社の社家で備後の吉備津神社が備中から分霊された時に 共にしたがって備後に来たといわれる。元々は「有鬼」であって「有木」に改姓させられたという。魏志倭人伝に出てくる有鬼(うま)国と 鬼奴(きな)国がこの吉備国であろう。

つまり、吉備氏は突厥の渡来人であり、笠臣氏も陶山氏もその流れを汲む家系なのだろうか? まぁ、渡来人はいっぱい列島にやって来ているが、列島につてのない民族はこの吉備国に繋がれていただろう。

以上から、陶山氏がヤタガラスであった可能性は非常に高い。

驚愕の日本の国仕掛け

日本の真の歴史や国体構造を知る洞察はまるでジグソーパズルをしているかのようです。うまく当て嵌まったと思いきや、後々それが間違いだったと分かり、組み直すことを延々と行っている。

まぁ、こんなことを何年間もしているわけですね、オイラは、、、(滝汗)

ジグソー01

ジクソーパズルを完成させるにはコツがあり、それは外周部から埋めることですが、まぁ、これが日本の真の国体構造を知ることに当て嵌めた場合、天神系、地祇系、天孫系の各渡来勢力の経緯、謎の四世紀の解明、壬申の乱の真相、カラスの出自や守備範囲の把握、斎宮・斎院の真の目的...等であったりするわけです。

それに最も貢献する情報は語り部と名無し先生の情報ですが、名無し先生の薫陶を受け真の日本の国体構図を知る高度自給自足ブログ様が最新情報が下記のもの。

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日本の王様=3トップ(◎衛、◎条、◎条)
実際は◎元俸公衆が最高権力者で、天皇は飾りみたいなポジション


【万世一系 大日本カースト帝国を認識する】
http://jfcoach.blog49.fc2.com/blog-entry-281.html
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この内容には正直戸惑いと焦りを覚えた。
う~む、オイラの洞察内容はまだまだピンボケだった、、、(滝汗)。

3トップの王様である「◎衛、◎条、◎条」は、当然、藤原五摂家のうちの3家ですね。藤原五摂家の背後には世界最兇の邪惡な靈能集團(劍山の麓に存在する物部集團)が憑いていて、彼らが藤原五摂家を霊的に操って日本列島に「345(3:神の世、4:四国、5:出ずる)の封印」をさせ、日本から縄文の神力を出させないようにしているが、年々その力は弱まっており、邪惡な靈力共も間もなくトドメが刺され、岩戸開きが訪れるという話もあるが、、、、、、

こういう話は大好きなのですが、ここではその真偽は触れないでおく。

問題は◎条の1つは「9」であることはスグ分かるのですが、もう1つの◎条が「1」なのか「2」なのかが不明。ズバリ聞いてみれば済む話かもしれないが、いろいろ洞察するのが趣味なので、ネタバレが怖いだす~。

家格の序列では、「皇別摂家」の近衛家がトップで九条家と一条家は同格、その下に二条家、鷹司家があるということから、もう1つの◎条は「1」だろう。明治維新以来、南朝側が政権を握っているが、明治天皇の皇后(昭憲皇太后)が一条家出身、大正天皇の皇后(九条節子)が九条家出身と全て南朝派であることから、一条で合っていると思われるが、大政奉還時の関白が二条斉敬という水戸藩の親戚みないな公家なので、この時、うまいこと乗っかったももしれず、残りの◎条は「1」か「2」かは現時点では不明。
※二条家は他の4家とは異なり公家町入ることが出来ず、冷泉、伏見宮家と同様今出川通りの向こう側にあった。この並びからして怪しさ爆発なのですが、二条家は「即位灌頂」の真言を知るだけの家系であまり経済基盤は強くなく、他の四家よりも格下感は拭えない。

この3トップが代々天皇の后を輩出してきた家系であり、貴種の受け皿(娘)を用意した王族家系。ただ、一般な「王族」の定義とは異なるわけだが、、、、

この藤原五摂家別に利権が分かれており、これが日本の財閥。大きくは近衛閥(近衛・鷹司)と九条閥(九条・一条・二条)の2つに分けられるが、それぞれの背後にはイエズス会、メーソンが控えている。なんせマークがほぼ同じだす~。

■近衛閥(北朝派)・・・三井財閥(清和源氏) ←イエズス会が干渉
■九条閥(南朝派)・・・住友財閥(桓武平氏) ←メーソンが干渉


田布施の大室寅之祐が天皇を演じた明治政府から始まる「寅の穴」の三人の最高幹部(天皇権威を利用し利権を裏から我田引水する3トップ)とは、実に彼らであったということか?
※最近の名無し先生の言説では、「すり替えはあったが、すり替わりの張本人が大室寅之祐であったという訳ではないという認識が真と考えます。」とあり、大室寅之祐入替説も雲息が怪しくなってきた。これは現在のネットで主流の八切史観や鹿島史観を覆してしまう内容である。ならば一体誰が、、、、中山家主催の天忠党が南朝天皇家と反目している時点で孝明天皇と中山慶子の子が明治帝でないことは確定するが、、、一体、明治天皇とは何者?。

三人の天01
(旧公家システムでの3人の最高幹部)

しかし、名無し先生は、、、、

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「5摂家を頂点としていた一時代前の公家システムから、新規公家システムに移った現在も1人の鳳の下に3トップという体制は存在しており、この実質権益を支配する3トップに入る家柄は、5摂家の中からは1家だけ」
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この3トップの1家とは余裕をかまして決して表に出てこない家系であり、天皇の后を出した家系であり、江戸末期の大政奉還時に関白職(二条斉敬)にあった流れの頭である「九条」だろう。二条斉敬の母は水戸藩主・徳川治紀の娘であり、水戸徳川家と非常に懇意。また伏見宮系の青蓮院宮尊融法親王(後の久邇宮朝彦親王)とも同調し孝明天皇とともに親幕派。二条家督は養子の基弘(九条尚忠の八男)が継いでいる。

近衛家などは膨大な借金を背負いながら自ら内閣総理大臣として立たねば政治力を発揮出来なかったのとは対照的です。明治維新後、長州が土佐、薩摩をふるい落し、古くから懇意であった薩摩島津と近衛は共に政権中枢に参与できなかった。そして近衛文麿の胸の奥には共産革命で大ドンデン返しを起こし3トップの一角に返り咲きを狙っていたのはよく知られるところ。

以上から、近衛・九条・一条は未だ王族ではあるが、現代日本の3人の最高幹部ではないようです。

藤原五摂家は天皇の后を輩出することで天皇の権威を後ろから操ってきた。これは大宝律令で決められた「四品」以上の家系のみが天皇の后や妃となれる規定を使い、一族間で高い官位を独占し続けることで次の天皇を生む后や妃の供給を皇族以外の臣下としては独占してきた。つまり、藤原五摂家は「隠れた王族」であることに間違いはない。古くは豊臣秀吉、新しくは大正天皇妃の朱貞明(客家の朱元璋末裔、和名:九条節子)等を養子に迎えた九条家のように、新興勢力に家名ブランドを与えたり娘を差し出して閨閥を作ることで、支配者層側から脱落しないよう維持して現在に至っている。

しかし、天皇を取り巻き背後から支配し天皇権威を利用した勢力は、歴史を重ねるにつれ変化してきている。

1.カラスやサンカ等、皇室俸公衆が、朝廷(皇室)権限を裏から操ってきた時代。
2.摂関政治により公家(摂家)及び公家俸公衆が、朝廷(皇室)権限を裏から操ってきた時代。
3.2の時代には位階制度上は下位であったC及びC俸公衆が、朝廷(皇室)権限を裏から操っている現代。


と現在は3段階目
特にWW2以後は米国の意向もあってか、藤原氏は天皇后を輩出出来ていない。

江戸末期、伯家神道が占った金帝・銀帝・銅帝・泥帝・哀帝とは当然、明治・大正・昭和・平成・ランドラチャクリンの各天皇のことであるが、当然、この予言もマッチポンプなもの(計画)であるが、これは藤原氏の姿でもあるという意見もある。事実、そうなるかもしれないし、そうならないと本当の意味で「日本の夜明け」はこない。

この「C」のところにくる言葉が問題ですが、過去の議論からは、、、、公家は殿上に上がれる「堂上家」と上がれない「地下家」の身分に分かれますが、「C」は明治維新時に士分身分に落とされた「地下家」だとのこと。ならば「C俸公衆」は「地下家奉公衆」となる訳ですが、これが「◎元俸公衆」なのでしょうか? 実際問題、低い家禄で摂家の門流(家臣)となっていた地下家に仕える奉公衆などいるのだろうか? まぁ、地下官人之棟梁の「催官人」であり、蔵人方(約60家)支配した地下家トップの出納平田家なら可能かもしれないが、、、今のところ、オイラの中で点と点が線で結び付いていない状態。

さてさて、こうして1300年もの長きに渡り、日本の支配者層中枢に居続けたのが藤原氏であったので、当然、裏天皇系(伏見宮)にも同様に妃を輩出して嫁がせていただろう。表にも顔が利き、裏にも顔が利く。つまり、藤原五摂家は日本の裏と表に通じるワープトンネルでもあったが、、これが藤原五摂家をして日本の王族として君臨させた秘密の1つではないかと睨んでいる。
※この理由以外にも、藤原氏の血筋に纏わる内容もある。語り部に拠ると、天智天皇と実の母である皇極天皇(佐富)を孕ませ、戦友・中臣鎌足こと百済王子に下賜して生まれたのが「人にあらず」の藤原不比等(不人)。このかつてない血の濃さが藤原氏の特異な点であり、巫女の取り合いという問題から「巫女制」が廃され、この特異性から「巫女制」に替わる皇后輩出家系という役目を担うようになったのかもしれない。

しかし、この王族の上には「◎元俸公衆」がいるという。
これが現代日本の最高権力者。
日本版カースト制度のトップとのこと。

う~む、このに何が当て嵌まるかが問題ですね。

ベビメタの「後ろの正面」である中元すず香の熱烈なモッシュッシュメイト(ファン)であるオイラなので、、、

これは「中元俸公衆」(モッシュシュメイト中元押し)でないかと密かにと睨んでいる(超爆)。

スーメタル
(ダメ出ししかしない「平成の懺悔の神様」こと中元すず香)

い、、、いや、違うだす~ぅ

懺悔の神様
(初代「懺悔の神様」であるグレート義太夫)

冗談はさておき、、、、

まぁ、現実にはスイス在住でサンカシノガラ資金を運用している「サンカの大元様」に仕える俸公衆の「大元俸公衆」ではないかと睨んでいる。空白部にドンピシャですね(ふふふふ)。

そして、この大元様の正体は日韓合同朝廷の長男というベルファシ勢力の「3つの世界最高評議会」議長を務めた人物を輩出した梨本宮の祖である伏見宮系の裏天皇家に繋がる誰かだろうというのがオイラの答です。ここが下部組織サンカを従えているが、客家ともつながりを持っている筈。

タイガーザグレート02

そして、この俸公衆が投資運用先によって基本的に3系統の黄組(原子力)、青組(武器)、緑組(農産物)に分かれており、この3系統以外に存在しない事になっている1系統の黒組があるというのが現代日本の統治の姿。KPOPも在日問題、靖国問題、原発問題も全てはこの枠組みから起きている。

まぁ、ぶっちゃけて云えば、原子力村は黄組の有力な投資先なのだろう。

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日本の裏皇室の下部組織である彼らは、4Cから6Cにかけ中原から南下しアジアを中心に世界各地に散ったと自称する者たちだ。
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と名無し先生はいう。つまり、客家(ハム系ミツライム族ペリシテ人末裔)のことですね。それ以外にも北イスラエル系も混じっていますが、、、これが緑のカラスかな。

彼ら客家の流れの1つが柳生一族。江戸城のお庭番として徳川幕府に仕えていたが、彼らの持つ唯一無二の「ゴールデンハンマー」(国を跨いだ情報網)によって、最新の欧州情勢が、逐次、江戸幕府に届けられていた。その後、徳川家はオランダのチクリもあって、イエズス会からメーソン側に転向し明治維新を迎えた。朱子学に犯された水戸徳川家は客家色に塗り替えられ、最終的に水戸徳川家は慶喜を将軍職に付けることに成功。この時、徳川宗家はメーソン側から更に客家勢力に乗り換えた。

ハンター
(クイズ天皇権威ハンター 「ハンターチャンス!」はどの組に?)

この徳川宗家と相反する水戸藩の動きは、家康が仕組んだ徳川家を滅亡させない為の保険的なもので、正反合の「反」側に当る両建て戦略。水戸家は家康の遺言として、もし倒幕の動きがあれば寛永寺の南朝天皇末裔を玉にして東北に逃げろという家訓があったという。これでどちらに転んでも徳川家は安泰というわけです。実際、明治維新を徳川家は無事乗り越え、華族というカースト上位に延命している。本来ならば、鎌倉幕府の北条氏、室町幕府の足利氏のように排除されるべきものだったわけだが、、、

そして、ついに客家は1900年(明治33年)に大正天皇に九条節子(朱貞明、客家人で明を建国した朱元璋末裔)を嫁がせるところまで漕ぎ着けた。
※一説には大正天皇妃は2人いたという話もあり、九条節子とは別だという説もある。オイラは昭和天皇、秩父宮...は明治天皇の子で彼らを宿したのが千代田大奥に居た朱貞明という客家人で九条節子とは別人だと睨んでいる。

新公家システム02
(新公家システムでの3人の最高幹部)

この客家支配の日本をGHQは知っていた為、戦後、ポツダム命令の大蔵省関係諸命令の措置に関する法律において、第8条の「将来存続すべき法律」として、第13項に「中国銀行(中華民国法人)大阪支店の業務及び財産の管理に関する省令を廃止する省令」として客家の影響を排除する文言を記載しているのだろう。

伏見宮系裏天皇=サンカの大元様が「寅の穴」(明治政府)を創設した黒幕タイガー・ザ・グレートだったのか?

タイガーマスク虎の穴
(アニメではスイスのアルプス山中に本拠を置き、総本部には翼を生やした巨大な虎のモニュメント(魔神像)が建てられている。世界的な悪のシンジケート「虎」の一部門。シンジケート「虎」は悪役レスラー育成の他に、麻薬精製、ダイヤモンド鉱山の経営、各国要人の買収なども行っているが、「虎」の首領はイタリアのマフィアの大ボスといわれているが詳細は不明)

一般には明治政府を作ったのは、公武合体を進める孝明天皇-二条斉敬(水戸藩主の娘が妻)-徳川慶喜(水戸藩主七男)ラインの「佐幕派」に敵対したのが、「王制復古」の薩摩島津とそれを更に過激にした「尊王攘夷派」の長州毛利。この両者ともイエズス会に長年毒されたキリシタン大名であるが、もとを糾せば島津家も毛利家も鎌倉幕府地頭を祖とする元南朝勢力。北朝派の徳川を長年恨んでいた。この両者と客家思想に浸食された水戸徳川家が加わって出来上がったベンチャーが明治政府ではなかったか?
※土佐も薩摩も最後には長州にふるい落とされた。

裏天皇家である伏見宮系は元々は北朝から分離した「世襲親王家」として創設され、下部組織として古くからの俸公衆であるサンカ(新羅系【北イスラエル族】で百済【ユダ族】に恭順化せず山に入った勢力)や朝鮮半島からの不法移民のエタや犯罪脱落者のヒニンを統率していた。また裏天皇家は海外情報を一手に握り、斉院に保管されている機密の外交文書を閲覧出来、日本の外交政策を一手に任された立場だった。

名無し先生の俸公衆に関する分類では、地祇系(北朝)の下部組織はサンカであり、客家(ペリシテ人)らのカラスを使っているのは天孫系だとしている。

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(俸公衆)
■地祇系(北朝)・・・サンカ ←イエズス会が干渉
■天孫系(南朝)・・・カラス ←メーソンが干渉
■天神系・・・???(両者の調整役)

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相変わらず天神系は謎めいている(滝汗)。
全然、尻尾が掴めない。

しかし、現代の最高権力者の3トップの一角は客家(ペリシテ人)系のカラス。これに地祇系サンカや旧公家システムが続くという感じ。ここから黄組、緑組、青組、黒組の各組が構成されている。ただ、これでは世襲親王家(裏天皇)やサンカの大元様が北朝派(新羅派)に属する点で、天孫系支配の客家が「大元俸公衆」から食み出てしまう。

う~む、「◎元俸公衆」を「大元俸公衆」としたのは誤りだったのか?
どこかでボタンの掛け違いが起きているのか? 

いっそのこと「中元俸公衆」(モッシュシュメイト)に再訂正してしまいたい衝動に激しく駆られますが(爆)、ここはぐっと堪えてもう少し洞察を重ねる。

オイラが裏天皇=伏見宮=地祇系天皇=北朝と比定したのは間違いだったのか? 実際、北朝から南朝に政権移行したのに北朝派が裏側で真に支配するのもおかしな話です。

そういえば、前記事で「大塔宮(後醍醐天皇の皇子・護良親王)の王子が北朝の光厳天皇の皇子にすりかわり北朝崇光天皇となり、その皇子の栄仁親王が伏見殿の初代。」という話がありましたね。

つまり、伏見宮殿は南朝出自の天孫系(桓武平氏・藤原式家・百済)であるのだが、「世襲親王家」の成立経緯から下部組織に北朝地祇系のサンカも有していた。海洋民族の天孫系が出自であることから客家(ペリシテ人)も同様に下部組織として駆使出来た可能性がある。

これで一応辻褄は合う(苦笑)。
この辺に関しては、高度自給自足時代ブログ様に書かれていた内容があった。

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天皇は3系統有ります。
天神系、天孫系、地祇系と呼ばれ、すべてが役割も日本列島に渡来した時期も異なる外来人です。
表の天皇は天孫系です。
これらの内、大陸から朝鮮半島を経由して日本に辿りついた一派が、明治期以降の日本国政治、宗教(国家神道)を作り上げてきました。 それが地祇系です。

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やはり、そうなんだな(納得)。
裏天皇は地祇系(北朝)、そして彼が「寅の穴」を創設した。

タイガーザグレート02
(「寅の穴」創設者のタイガー・ザ・グレートは、地祇系天皇=サンカの大元様で確定か!)

ただし、裏天皇家(伏見宮系)はGHQによって皇籍離脱させられ排除されてしまった。今君臨しているのは客家血筋の入った陽動的傀儡的に作られた表天皇家のみ。よって、戦後は主(宿主ともいうが、、、)がおらず、コントロールが利かなくなった黄組、緑組、青組の客家(ペリシテ人)系のカラスたちが日本で幅を利かせる事態になってしまったということでしょうか? これが日本版カーストのトップが「大元俸公衆」であるということなのかもしれない。

しかし、まだまだ謎は多い、、、、

落合莞爾氏は北朝の孝明天皇と睦仁親王(京都明治天皇)は岩戸隠れされ、日蓮宗本山の境内の堀川御所に移られ、また孝明系の堀川辰吉郎が裏天皇になったという話もあり、実際、サンカのアヤタチ筋である大本の出口王仁三郎が囲っていた節がある。伏見宮系の「尹宮」こと久邇宮朝彦親王が孝明天皇と図って起こしたのが、この「堀川政略」だと述べている。孝明天皇偽装崩御を隠すための撹乱情報として「厠竹槍虐殺説」などの嘘を流したという。

サンカ大元様(地祇系天皇)は、隠れた孝明系という線も無くは無い。う~む、本当は一体どっちが正解なのだろう?

1333年の建武の新政で南朝と北朝が秘密裏に入れ替わったとされますが、その際には、、、、

【表】北朝・光厳天皇の皇子 → 【裏】伏見殿の初代
【裏】南朝・大塔宮の皇子 → 【表】北朝・崇光天皇


このような入替が幾度と無く起きたという。
これと同様なことが幕末~明治維新の時にもあった。

この時も、当然、過去の事例に倣い「表の天皇家」と「裏の世襲親王家」の皇子が入れ替わっただけだろう。でないと「前例」に五月蝿い公家連中は黙っちゃいない。で、睦仁親王と入れ替わったのは生まれ年の近い貞愛親王だろうとオイラは睨んでいる。
※貞愛親王は始め妙法院を相続したのち孝明天皇の養子となっている。非常に怪しい養子縁組です。

【表】北朝・孝明天皇の皇子 → 【裏】伏見宮貞愛親王(1858年生まれ)
【裏】伏見殿の皇子 → 【表】南朝・明治天皇(1852年生まれ)


つまり、表天皇家と裏天皇家はリバーシブル構造になっていて、反対派勢力が強くなるとコロッと次期天皇が入れ替わる。このリバーシブルな構造は神社仏閣があるときは神社を名乗り、またある時は仏閣を名乗っていたのと同じ。単なる看板の付け替えです。その看板に該当するのが天皇家。ただし、婚姻を通じて両家の血の行き来は絶えず行われ緊密さを維持。

オイラが知る婚姻の初出は天武天皇の元へ天智天皇の娘が3人嫁いた事例。何で3人も?と不思議に思った。更には斎院への天皇内親王派遣は実は裏天皇大奥への輿入れが実態。また近年でも天皇家から伏見宮系の宮家への婚姻が多く行われている。昭和天皇と香淳皇后(久邇宮家出身)もその最たる1つの事例。

つまり、明治政府(寅の穴)とは、天孫系(南朝、百済、桓武平氏、藤原式家)勢力とメーソンと客家勢力が糸を引く政府。勝った側の南朝(百済系)の天孫族天皇を表天皇家として立て、裏には負けた側の北朝(新羅系)の地祇系天皇を裏天皇家として世襲親王家に据えた。この負けた側を排除しないリバーシブル構造が古代からあった為に日本は表面上1つの王朝でいられたわけです。

この構造はDNAの2重螺旋構造と全く同じ。

DNA

その同じ形態が伊勢神宮の20年毎に行われる式年遷宮である。金座(かねくら)と米座(こめくら)という2つの敷地を交互に移動する。

誰がこんな国仕掛けを考えたのだろうか?

う~む、こんなことが出来るのは、この国の大家のあの方しかしない。
きっと、今までの入替指示もここから出されていたのだろう。

裏支配01
(鶴=天孫系【百済・南ユダ族】、亀=地祇系【新羅・北イスラエル族】 それを操るのが「後ろの正面」です。)

そ、それは、、、

ミッキー01

旧暦9月8日 AとZの融合

今日10/1は旧暦9月8日!!!

地祇系の卍党のアジェンタであり、「第三次世界大戦」へ向かう筋道を記したと考えられる「日月神示」には旧暦9月8日に関してくどいくらい述べられている。

辛酉の日と年はこわい日で、よき日と申してあろがな。
九月八日は結構な日ざが、こわい日ざと申して知らしてありた事少しは判りたか。

(日月の巻 第十帖)

九月八日の仕組近ふなったぞ、この道はむすび、ひふみとひらき、みなむすび、神々地に成り悉く弥栄へ 戦争つきはつ大道ぞ。
(キの巻 第十四帖)

旧九月八日とどめぞ。
(水の巻」第九帖)

旧九月八日までにきれいに掃除しておけよ。残る心獣ぞ。
(松の巻 第三帖)

神とならば、食ふ事も着る事も住む家も心配なくなるぞ。
日本晴れとはその事ざぞ。
旧九月八日までに何もかも始末しておけよ。

(松の巻 第三帖)

心引かれる事残しておくと、詰らん事で詰らん事になるぞ。
もう待たれんことにギリギリになってゐる事判るであろがな。
世界の愈々のメグリが出て来るのはこれからであるぞ、九月八日の九の仕組近付いたぞ。

(夜明けの巻 第三帖)

めでたさの九月八日の九のしぐみ、とけて流れて世界一つぢゃ。


まるで、この日にマッチポンプ的に何か行動を起こすんじゃないかと思える程です(笑)。まぁ、実際「青白い馬」計画ではそういう動きになっている。そうやって自作自演をして予言成就させてカリスマ性を与えるサンジェルマン伯爵直伝のエジプト魔術的な類なものなのかもしれないが、そういう観点からもこの預言書(?)は蔑ろに出来ないものである。

オイラは10月からウロボロスの蛇的な「AとZの融合」が始まると以前から述べているが、今後、怒涛の展開があると睨んでいる。既にその予兆として御嶽山噴火があったばかりですね。

uroboros-MoM-figure-29.png

キリスト教や一部のグノーシス主義では、ウロボロスは「物質世界の限界」を象徴するものとされ、環状の姿は内側と外側とを生み出し、そこには境界があると捉えられた。まぁ、これは原子力や電磁気などの科学的発展についても云える。つまり、有限で限りのある人間意識から生み出されるものに無限大に発展するものはなく、その作られた世界は自ずから限界があり「閉じている」ということです。

これは、始めと終り、アルファとオメガでもあるが、それに否が応でも気づくのが「AとZの融合」の時なのである。

常に起源にこだわり、何にでも起源を主張する(ウリジナル)国を示す「A」と、起源にこだわらず何でも取り入れて改善して昇華させ、究極のものに仕上げてしまう求道の国を示す「Z」との間で再びKPOP侵攻の熱い接触が始まる。これが「A(始め)とZ(終り)の融合」だすが、このように「近しさの法則」から具体例から抽象的に暗示されている。

そして、前記事で洞察したように、、、、

■摩多羅神=摩訶迦羅(マカカラ)天=マハーカーラ(大黒天、シヴァ神)=マイトレーヤー=北斗七星=ダキニ天(ダーキニー)=九尾妖狐=平八狐=豊川稲荷(豊川明神)=野干=ジャッカル=アヌビス=アヌ王=アフラ・マズダー=ヴァルナ=ビシュヌ=最後のシャンバラ王カルキ・ラウドラチャクリン=ヤハウェ=豊受大神=天御中主

■大魔神=蔵王権現=シヴァ神の化身=兵主神=蚩尤(しゆう)=牛頭天王=バアル神=国常立尊=艮の金神=ニニギ=徐福=熊野大神(熊野権現)=家津美御子=櫛御気野命=伊邪那伎日真名子=スサノオ


という2つの流れは「22」で合一する。
大魔神コードと九尾妖狐コードともに「22」
徐福東渡2222年後の「AとZの融合」だすが、シヴァ神とその化身とあるように、これらは元々は1つから分かれた流れ。

さてさて、そんな中、明日10/1にAOAが日本正式デビューするわけですが、今日、対抗馬のAPINKの「NONONO」日本語版MVの発表あった。大体、睨んだ通りの展開だな(笑)。



そこへ飛び込んだのが、少女時代のシカ様脱退のニュース!!!

悲しみは ノーノーノー
一人じゃない ノーノーノー


Apinkが歌う歌詞が脳内を木霊する。。。。

シカ様はどうもファッションブランド事業に専念したいようで、それが事務所側との交渉決裂してチーム参加を中断するのだという。まぁ、実質脱退になるだろうが、、、、オイラにとって「少女時代=シカ様、シカ様=少女時代」であり、今回の衝撃は超ツライだす。

特に「22」の大魔神コード(九尾妖狐コード)を背負ったシカ様には特別の思い入れがある。

10月からSNSDのシカ様とAOAのチョア様でオイラの中でのツートップでいけるなぁ....と思った矢先だった。

22シカ様
(22はシカ様が好きなナンバー)

不謹慎だが、御嶽山の噴火よりショックだす~。この時期、オイラ的には驚愕怒涛のニュースの連続だす。やはり「AとZの融合」の時なのか、、、(滝汗)。

今回、大魔神コード「22」を冠するシカ様が外れたことの暗喩は何なのだろうか?

「22」、、、、つまり「不二、富士」です。
ただし、これは最後の最後。
※御嶽山は郷土では「日和田富士」と呼ばれている。

8人での活動では「9体の量産型エヴァ」にはならない!
これではロンギヌスの槍の儀式が出来ない。

これはゼーレ(影の世界政府、ヘッセン=ナッサウのベルファシ勢力)が進める「人類補完計画」(NWO=世界人間牧場=千年王国樹立)が頓挫を意味するが、これは国際秩序維持派の活躍によって頓挫することの前触れなのか? あるいは、いよいよベルファシ側が本格的に動き出したという暗喩なのか?

オイラは今後、大魔神的災害が起き、荒廃した世の中をベルファシ勢力が「救世主」的な人物を登場させて一気に世界政府NWO移行に動き出したと見る。ただし、それはうまくいかないと思うが、、、、

今回の御嶽噴火は本州火山群の連鎖噴火の始まりになるかもしれない。スマトラ地震M9の後にインドネシアでは8つの火山が大噴火しましたが、東日本大震災M9の後、日本でも同様に火山が5~10噴火するのは自然の流れ。

photo_6.png

火山が連尻(れんケツ)してグリグリ動くだす~(爆)。

連結尻AOA

次は有珠山だと云われているが、どうなるか?
※噴火男の予言からだが(笑)、気象庁よりはアテになる。

まぁ、ショックのあまり、まともな洞察が出来てない、、、、(滝汗)