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虎の穴である「扶桑国」の秘密(秘三)

名無し先生曰く、日本には3人の天皇がいるという。

この3人の天皇は天神系・天孫系・地祇系と称される3系統の異なる出自であるとのこと。

赤い頭巾の三人02
(3人の天皇)

三天皇はタイガーマスクの「虎の穴」の三人の赤い頭巾を被った3人の支配者のようなものか!?

まぁ、その上にはタイガー・ザ・グレートという真の創設者である「奥の院」がいたのだが、、、(ふぉふぉふぉ)

一般的に天神・天孫・地祇の区分は、、、

■天神系・・・【ニニギ降臨時】
■天孫系・・・【ニニギ降臨から数代後の神武降臨時】
■地祇系・・・【ニニギ降臨以前の土着】


とされており、語り部の語る歴史では、、、

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邪馬台国を監視する為、丹波地方の邇波国に王朝を置き大陸との交易地を押さえた。三王朝設立させる為彦国、毛野国・句奴国から遷都[大国主族は、インド経由インドネシアよりフィリピンの、東海上から、当時南端の青森県に上陸し津軽に都を後に武蔵野に都を持つ祖先は、エドム国で、北は、死海の南端から、南は、アカバ湾迄領土を持って居た。新バビロニア王朝ナボニドスに滅ぼされ・・移動して来たグループが、先住民族。国土全体で後から来た人種を纏めた。所謂南方系隼人は、インドネシアより琉球経由薩摩上陸。]して来た。[バイカル湖経由グループは樺太方面居住]

扶余依慮は、百済建国で、譲り東の鮮卑の領地を求めて進撃するが、壊滅的打撃を受け投身自殺。その子扶余依羅[フヨイリ]は、馬韓の辰王の協力の元加羅建国し、長男居登に、五男[五瀬モデル]玄に扶余国を任せる。倭人と夷人で三王朝を組む邇波国の邇波氏を頼り遣いを送り交渉新三王朝の取り決めを交渉成立させると邇波氏は水軍を率いて金海に到着四男と六から十男迄率いて日本へ。

現在の日本に騎馬民族の倭旨[崇神天皇モデル・事績の大半は、倭武・・応神天皇。倭智・・天智天皇。桓武天皇。]を誘致、馬を搬送し美濃王垣より上陸。[古伊勢湾に面した山を香具山とする。国見山は、海人の上陸地点の見えるところに無ければ意味を成さない・・天の神ヤハゥエ[八幡]に鹿の犠牲の香りを捧げる山である。神武記の伊勢の大岩がこれである。現在の岐阜県多治見市富士見町弥勒山]北陸道を邇波道主兄弟三国稚子を騎馬民族入国告知使者に、道主の子多加利足尼を東海道へ派遣。

倭旨王君[金首露・扶余依羅・首羅。金海亀旨峰降臨伝承。邪馬台国と、九州吉野ヶ里西征。卑弥呼の円墳に方墳接続し橋墓命名。記紀に箸墓。古伊勢湾の王垣現在の東に橋島あり海人上陸伝承設定。]-仁王君[扶余の高句麗併合を阻止する為、帯方郡迄侵略し、惨敗。北門国北征。当時越の沖合。餐・・阿部比羅夫の渡島征伐嘘]-讃王君[徐福の子孫の、君子国東征。古伊勢湾を猿投山の麓より上陸し[亀首地名あり入り江の形酷似。]陸上より三川進撃し影つまり陸地を南下して、景行の名由来に。一部分神武モデル]-隋[国土北上で気候変化。大国主族西遷要求に答え応じた珍王君の下平西将軍。五百城入彦。神功皇后モデル]-済王君[九州遷都が済む]-興王君-仲津姫[広媛]は百済昆支[コンキ。]后。倭武・・一部分神武天皇モデル。立倭武多モデル。新大倭豊王朝=河内王朝創始。農業技術、灌漑・・溜池、堰整備。鉄材料持込。仏教持込・・当時の仏教は、非情さを特徴として居り、政治家向きの宗教で有った。

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捕捉しながら要約すると、道教聖地の東三河(三川)の徐福国とそれを目指して大陸から渡ってくる長江の中国人(苗族・弥生人)が形成した邪馬台国の両国と魏の調停の元、三輪体制を敷いていたが、日本列島が道教化するのを恐れた縄文人(エドム人)は、この両国を討伐亡国させる為に、半島の加羅国で雇われ王をしていた扶余国出自の騎馬民族の王族を招聘して滅ぼさせた。そして、新たな三王朝(三輪)を形成。その後、百済救済の政争でもめたが統一王朝化した際に渡来人をトップに据え、自らは傀儡王として立て、自分たちは世襲大臣職に回わり、裏側で実質的に日本を支配した。これが葛城氏(記紀でいう蘇我氏)。

上記の記述を先の一般的分類に当て嵌めると、下記のような分類になる。

■天神系・・・扶余系「扶余依羅(金首露)」の初期大王家(ガド族)【第2弾】
■天孫系・・・百済系「百済昆支」が婿入りした後期大王家(エフライム族)【第3弾】
■地祇系・・・フィリピン経由のアカバ湾エドム人=アイヌ=縄文人=出雲王朝末裔系(葛城氏や各地国造)【第1弾】

※当時日本列島は青森を下にしていた。


としていますが、出雲大国主命の家系を継いできた富氏の伝承によれば、原出雲族は紀元前2,500年頃大祖先であるクナトの神に引き連れられて東北から出雲へ西下し、原住民に鉄、製布、農耕等を教え、出雲の地の王となった。大移動途中、信濃に建御名方命、大和に登美族などの出雲族の分家が出来ていったとあり、語り部の内容とも一致。

一方、名無し先生の分類では、、、

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大陸の地殻変動により現在とは陸地の状態が大分異なっていたようです。この日本列島到着第一陣は、現在の中国、ロシア方面を産地とする黒曜石を矢じりの材料として日本に持ち込み、青森の十三湊を拠点として、日本全国に交易していたようです。縄文時代の武器の元締めで、仙台辺りに都を築いていたようです。そしてBC7世紀のアッシリアを出た北イスラエル族が、シルクロード、朝鮮半島を経て、遥かに遅れて第2陣として日本列島に到着し、出雲に都を作ったと言われています。これが地祇系です。第3陣は紀元1世紀にローマを出た南イスラエル海洋族が、稲作と天孫降臨伝説を日本列島にもたらしたとされている訳です。しかし第1陣の別動隊は地中海方面に向かいサルディーニャを中継基地にしていたとの事で、第2,3陣の祖にもなってしまいます。日本列島での古代文明区分では、1,2陣が縄文族、3陣が弥生族となり反目になります。
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■天神系・・・アラスカから日本に入った流れ【第1弾】
■天孫系・・・ダビデの父エッサイからの南イスラエルの流れ【第3弾】
■地祇系・・・アッシリアを出で朝鮮半島を経た北イスラエルの流れ【第2弾】


となり、エフライム族と南イスラエル(ユダ族?)、フィリピン経由とアラスカ経由という違いはあるが、大きな括りでは一致している。ただ、天神系と地祇系とが逆になってしまう点が気に掛かるのです。

以前の記事にも書いたのですが、賀茂氏には天神系の賀茂県主(山城国葛野)と地祇系の高賀茂氏(大和国葛城)の2種があり、この2つは同族ではなく出自を異にし、賀茂(神・カムイ)氏は神祇を扱う者に対して下賜される姓だろうと述べました。

また地祇系の代表が古代豪族・三輪氏だとされていますが、確かにこの氏族は大神神社の大宮司家を出した家系であり、このことから三輪氏は一般には国津神系の出雲が出自であるとされている。しかし、語り部は三輪氏は大物主系(尾張王朝=天神系の分家)の物部氏族の三輪族であるとしている。

これは一体どういうことなのか?

元々、大神神社は葛城氏が宮司を務め「王邇波神社」と呼ばれ、御神体である三輪山(三室山・カンナビ)の山頂・中腹・麓で三王朝統合の証である御嶽神事を修していたとされる。これは地祇系の神事。しかし、天武天皇の御世、葛城氏の大田田禰子(鞍作毛人[蘇我入鹿モデル]の子)から壬申の乱で功績のある大神高市麿(三輪高市麿、柿本人麿モデル)に移行して大神神社に社名変更といい、三輪氏が初期大王家分家である尾張王朝に繋がる天神系でありながら、地祇系と称される理由がこれで分かってきた。

三輪山
(三輪山には麓、中腹、山頂には辺津、中津、奥津の3つの磐座があるが、この御嶽で三王朝が各々祈祷を捧げた。古くは縄文アイヌ【エドム人】、邪馬台国の苗族、徐福末裔の龍族からなる旧三輪。その後、騎馬民族招聘して中国系を排除し、出雲【エドム人】、大倭豊王朝、王治(尾張)王朝からなる新三輪に移行。大神神社伝によると、大神神社の「奥の院」は東三河の石巻山と犬山であるという。)

また、天神系の物部氏祖・物目の子が熊野乙世(賀茂大角)であり、これが葛野の賀茂県主の祖。天神系は天香具山で鹿を焼く香りを天神ヤハウェに捧げる「はん祭」の神事を行う氏族。後年、地祇系の葛城氏(邇波氏本流)と同族の縣君塩古の末裔である邇波広高(秦河勝)が始めた「殖産興業と引換に神道信仰」を勧める秦氏と婚姻を通じて結び付き、地祇系祭祀が天神系の賀茂神社に移されていった。この移管が蚕の社の「糺の森」(洗礼場)の移管であり、これ故に賀茂県(縣)主と称されたのでしょう。

二葉葵
(天神系も地祇系も中東出自の兄弟部族)

これ故に、地祇系が北イスラエルの流れ、逆に天神系が縄文アイヌの流れとなり、一般認識とは逆の内容になるのです。これで一応、懸案だった名無し先生と語り部の内容の擦り合せが出来た(ふふふふ)。
※1 マヨ先生も地祇系=縄文人としてしまっていた。ただし、地祇系の葛城氏直系の高賀茂氏もいて話は厄介。この高賀茂氏末裔が賀茂忠行(安倍晴明の師)、賀茂保憲、慶滋保胤、犬養三千代を祖とする橘氏、松平氏である。慶滋保胤は聖書預言の黙示録を研究し大和民族に当て嵌め啓示する集団に属していた。
※2 大神神社の社務所には三鳥居があり、そこの由来書には大神と天理教は繋がっている旨が記されている。その天理教本拠地はフルで有名な物部氏の石上神宮のすぐ近くであり、金神系の天理教は大本の上流でもある。

話は天神系・天孫系・地祇系の3人の天皇に戻りますが、これらの天皇の元には、その皇統を継続させる為に経済的に盛り立てる役目の奉公衆がいて、「1つの鳳に3つのカラス」という構成をしていて、資金運用を自らの支配下にある分野で世界的に運用を行っているという。
※八咫烏の名の起こりは初期大王家の倭讃が徐福国(大漢国)討伐時に恭順化させた徐福国の三人組の「鵜飼」の姿が元。彼らの道案内と食料補給によって、戦いに辛うじて勝てた。また語り部はカラスとは扶桑樹を目指してやってきた弥生人を指す言葉だいう。

3人のタイガーであるブラックタイガー、キングタイガー、ビッグタイガー、はそれぞれスピード・パワー・反則技を得意とするように、3チップの奉公衆(カラス)も食料、 武器、エネルギー...等の国民生活基盤に密着した分野で既得権益を得ている勢力を配下に治め、住み分けしながら分野毎に資産運用しているという。

北朝はサンカ、南朝はカラス、、、と言われる。

北朝奉公衆はクズシリ、クズコ、ムレコの各親分(やぞう)として下鴨神社の大宮司、鎌倉八幡宮の大宮司、熱田神宮大宮司の曾孫の広●●也(フリーメーソン33位階)の3人がサンカの頭領のアヤタチで、その上に大親分(おおやぞう)の大烏がいる。これが始祖鳥なのだろうが、斎院を使って裏から操ったとされる下鴨神社が実に怪しい(笑)。

ネット情報では「サンカの社会は、彼等独自のもので、アヤタチと呼ばれる大親分(おおやぞう)を頂点に、クズシリ、クズコ、ムレコの各親分(やぞう)が、(管理人注:あるいは頭領の補佐としてミスカシ(透破)ツキサシ(突破)の三羽カラスとして) 各地のセブリを取り仕切り、その生活は、彼等が理想とする誇り高き社会を守るために、独自の掟(ハタムラ)によって厳しく規定されていたと言われています。」とある。

一方、対峠する南朝(藤原式家・平家)にはまた別の奉公衆(組織)があり、南朝奉公衆は戸籍を持たない渡来人であるカラスが主体で、その他にもう1つ、表向きは存在しないことになっている裏稼業的な奉公衆もいるという。それが玄洋社(黒龍会)ではないかと思われる。

但し、奉公衆にサンカを使った体制は大昔のことであり、その後、摂関家主体の摂家システム(寺院仏閣・武士)に移り、明治維新を経て明治末期頃から、華族に為れずに撃ち捨てられた地毛家を主体とした体制に移って来ているという。

未だオイラは北朝、南朝と天神系・天孫系・地祇系との関係がうまく掴めない状態であり、更にそれらと摂家システムや地下家の台頭とどういう関係になるのか? 前田ゴロウ(オクラディシュ・ハーマン)との関係は? 運用資金の名義人が始祖鳥であり、彼らのことを天皇(オーナー)といっているのか? それとも始祖鳥と天皇は別の存在なのか? 3人の天皇は協力関係にあるのかないのか?....等を考えると、ちょっと頭が混乱気味です(滝汗)。

現時点でオイラが辿り付いた考えは、、、

日本には天神系・天孫系・地祇系という出自別の資金運用派閥がいて、それぞれがオーナーと呼ばれるトップがいる。これが始祖鳥であり大鳥。彼らが日本の表の天皇を合議で決める。今上天皇は天孫系であり資金の名義人ではないが日本の名義人(国家元首)。天神系の始祖鳥は下鴨神社宮司(?)、天孫系の始祖鳥は???、地祇系の始祖鳥は??? 地祇系に属する緑のカラスのトップが青森の姫、○○子さまといったところか。

ここから日本の真の国体を考えてみると、、、

3人の天皇(オーナー) × 3トップの奉公衆 = 9羽のカラス

これはフラクタル構造。つまり、日本は「天神・天孫・地祇」の3層構造からなり、合計9羽のカラス(奉公衆)が国体を形成している国なのだろう。9羽のカラスはクズシリ、クズコ、ムレコのサンカ3トップ、緑のカラス(ペリシテ人系客家同族)、黄色のカラス、青のカラスの渡来系エタ・ヒニン系の3トップ、在日、、、なのであろう。そしてカラスが枝をあちこち移動するように奉公衆も枝(天皇)をちょこちょこ移動する。

で、この9羽のカラスは四川の三星堆遺跡から出土した青銅製の扶桑樹の構造と同じなのです。日本語名「青銅神樹」。殷代晩期のもので、全高396cm、像高(樹高)384cm。「青銅神樹」は3階層構造になっていて幹の各層に3枝ずつが張り出しており、それぞれの枝に1羽、全部で9羽の霊鳥が留まっている。枝先には果実がなり、樹の下層には頭を下に向けた1頭の龍が這っている。出土した青銅器には復元できなかった幹があるので、そこにもう一羽の鳥があるのかもしれないという。多分、これが存在しないことになっている黒いカラスで日焼けしたキーウィか?(笑)

青銅神樹
(青銅神樹)

山海経によると扶桑樹自生している場所は「下に湯谷があり、湯谷の上に扶桑があり10の太陽が水浴びをする。歯黒国の北であり、大木は水中にあり、9の太陽は下の枝に、1の太陽は上の枝にある」とあり、それは語り部記述からも東三河の湯谷温泉北側の蓬莱山(鳳来寺山)の麓であったと睨んでいる。(伐採されて無くなってしまったが、、、)

また、この「青銅神樹」(扶桑樹)は三本柱「峻厳の柱」「中央の柱」「慈悲の柱」と10個のセフィロトで表されるカバラの「生命の木」と同じもの。つまり、日本とはカバラの「生命の木」をモデルに国体が形成されている!!!

古来から日本が「扶桑国」と云われる所以でもある。

生命の木

このように3人の天皇によって未だ日本は支配されているのですが、これは籠目(カゴメ)が3本で構成されるのと同じであり、この籠目で出来た「籠」で鳥(日本国民)は未だに洗脳されたまま囚われているのです。タイガーマスクこと伊達直人が覚醒し「虎の穴」支配から抜け出たように、日本国民の洗脳が解け「籠から出やる日」は、一体いつになるのであろうか?

kagome01.jpg
(3本の線からなる籠目模様)
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進撃のペリシテ人

名無し先生のピンポイントアドバイス、、、

客家の祖はイスラエル族ではなくぺリシテ
更にエジプト=ミツライムまで辿る


う~っ、そうだっただす。

昔、読んだマーヴィン・トケイヤーのユダヤ人シルクロード商人説「ユダヤ人が紀元前のはるか昔から大旅行者兼商人であったことは、前の本でも述べたが、その中心舞台となったのはシルクロードである ... ユダヤ人がまだバビロニア地方に住んでいた紀元前の時代に、ユダヤ人たちはシルクロードの開拓者としてシナから絹を運び、織物として加工し、それを染色した特殊技術者でもあったのだ。」が頭にこびり付いていたのか、通説の方を思わず書いてしまっただす。(滝汗)

名無し先生はこう書いていた。

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一方新羅の流れを遡ると漢民族、特に客家人に至るのですが、この客家人自身、漢民族に後から合流した渡来人だった訳です。彼らが来たのはローマ方面からという大まかな記述が世間で知られる処ですが、これをしてユダヤ民族(イスラエル族=ヤコブ族)と考えられておるのが通説です。しかし、この流れの俸公衆は自身の出自をハム系ミツライム族ぺリシテ人であると言いきっています。ぺリシテ人とはパレスチナの語源になっておりますが、現在のパレスチナ人と呼ばれる人々ではなく、パレスチナ地方を拠点としていた人々の事です。ラクダのキャラバンで交易を行った主たる民族の事です。
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しかし、これで謎のピースが埋まってきた。

1)浅草寺創建の勝海上人=ペリシテ人
2)シルクロードを切り開いたのはユダヤではなくペリシテ人
3)ある奉公衆(緑のカラス)の出自はハム系ミツライム族ペリシテ人


幕臣からそのまま新政府要人になった勝海舟はペリシテ人末裔なのかもしれんだす(爆)。

Yoshiyasu_Katsu_in_Meiji.jpg
(「海舟」は号で本名は勝麟太郎。純日本人ではない顔立ち)

勝海舟の子孫だと噂もあった勝栄二郎元事務次官や弟の世界銀行副総裁(欧州・中央アジア担当)の勝茂夫もペリシテ人かもしれんだす~。子孫ではなくても、少なくとも同族ではある筈だが、、、

勝氏は西漢氏(西文氏)末裔とされ、勝部という帰化人を組織した品部を支配していた氏族。つまり、渡来人管理人の家系なのです。「勝部」という地名は岡山県津山市にありますが、吉備岡山は天孫族にまつろわぬ者たちを封じた地なのです。漢氏が大和に居住本拠としたのが東漢氏(東文氏)、河内に居住本拠としたのが西漢氏(西文氏・西書氏)ですが、漢氏は漢人の渡来人であり、その実、客家であったことから、勝海舟も勝栄二郎も勝茂夫も客家末裔=ペリシテ人末裔なのは確定だすな。

さて、先の1~3)からは以下の等式が導き出される。

ハム系ミツライムのカフトリ族=ペリシテ人=ローマ経由の慶州客家=シルクロード商人=新羅
※一般にシルクロードはゾグド人(月氏が祖)が制していたとされますが、「ペリシテ人=シルクロード商人」に関しては別記事化しました。

新羅首都は慶州ですが、慶州客家に弟子入りしして手法を学んだのが「客家に見える漢人」の紅卍会。これが日本において仏教や神道の仮面を付けた東方キリスト教=卍党、つまり大本や真宗大谷派...等の新興宗教団体とつるんでいるわけですが、卍党は緑のカラスの下部組織であり、緑のカラスはペリシテ人の流れを汲む慶州客家というのが正体なのでしょう。

新羅の前身は辰韓(秦韓)、秦の始皇帝の苦役を避けた秦人が多く逃げてきたという。この国を治めたのが辰王(秦王)ですが、新羅には何故かローマ文化が色濃く残っているのです。

新羅にはローマと同じ天文台遺跡やローマングラスが出土しています。

新羅天文台
(韓国 慶尚北道の慶州瞻星台・けいしゅうせんせいだい)

日本の初期大王家(扶余系)の本拠地・美濃(岐阜県)本巣の船来山には「集合古墳」がありますが、ここから新羅同様のローマンガラスの「とんぼ玉」が出土している。

hunakiyama.jpg
(1000個以上の墳墓が1つの山に集中)

このペリシテ人末裔集団(緑のカラス)もある系統の天皇族を盛り立てる奉公衆。その天皇とはアッシリアを出で、シルクロード、朝鮮半島を経た北イスラエルの流れとなるので、加羅新羅系の天皇族である金首露(倭旨・扶余依羅)を始祖とする初期大王家なのでしょう。こちらは北イスラエル滅亡後、スキタイと合流し東方に移動したガド族であり、扶余国王族となった家系です。
※伽耶(加羅)の建国神話によると、金首露は天降った六個の金の卵の中から生まれ、一番最初に殻を破って世に出てきたので首露と名づけられた。六個の卵からそれぞれ生まれた男の子たちは伽耶六部族国家の長となったという。で、金首露が伽耶諸国の盟主「金官加羅国」の王であった。卑弥呼の邪馬台国や徐福の大漢国の人口増加により、日本列島が中国人化するのを恐れた土着民の縄文人が加羅にいた扶余国王族の金首露王を「傀儡王」として列島に招聘したのが初期大王家の始まり。扶余王族は秦の始皇帝と同族。後に百済から王子を人質に招き、そのまま婿入りさせたのが後期大王家の始まり。

ただ不思議に思うのは、イスラエル民族はペリシテ人の最大の敵であり、祖地パレスチナを失った原因はセム系のイスラエルに追い払われたからであり、その末裔がイスラエル末裔の奉公衆になっている点がどうしても腑に落ちません。

同じ奉公衆になるのなら、葛城系=アイヌ縄文エドム人系の天皇を盛り立てる奉公衆である方が相応しいとオイラは思うのだが、、、、新羅でのローマ文明の影響はシルクロード商人であるペリシテ人から来るものであることは否定できず、朝鮮半島で共にいたのは事実。過去の経緯を水に流さねば、生きてはいけないのは商人ならではかもしれませんね。

日本には天神系・地祇系・天孫系の天皇がいるという点は、大和朝廷の前身である3つの王族の合議制(三輪)で成り立っていたヤマト王権が、半島情勢から三位一体となってより強固な国家を形成した経緯があるからこそ、天皇となる資格はこの3種氏族の血筋しかないと理解していて、納得なのです。

ただし、扶余国出自の新羅加羅系の初期大王家は、藤原氏の陰謀で長屋王を最後に滅亡してしまった為、実際には2系統しか残っていない。

天孫(百済系)降臨前に渡来してきたのが天神系(新羅系)である筈なのだが、鳳が今はいない。天神系奉公衆は国津神=土着民である「地祇系」のバイカル湖から来た縄文人(アイヌ・エドム人)側に合流吸収されたのだろう。本来は天神系を名乗る筈のペリシテ人末裔=慶州客家の「緑のカラス」なのだが、、、

これが彼らが地祇系を名乗りながらも、朝鮮半島経由の北イスラエル族の天皇の奉公衆とされている理由ではないかとオイラは睨んでいる。
※ただ、日本は本来は巫女制の国であり、「王の君(オオキミ)」に過ぎない帝よりも后を重視する国体。表の男子継承と対を為すのが外戚勢力の力の均衡ですが、この裏で一番力を持つが故に天皇制は安泰ということ。これはカバラの陰陽でもある。天神系・地祇系・天孫系のどの派閥が后を出して次の天皇とするかが国体維持の肝であり、この観点からは、天神系とオイラが見る初期大王家は滅亡していないのかもしれない。ただ、今は皇后を出した正田家=新田氏=世良田=徳川=賀茂氏の「地祇系」優位となっている。

これで、今、日本を牛耳っている最強勢力の1つ緑のカラス=客家勢力であることは分かってきた。ただ、彼らをしても南朝天皇政府に擦り寄って「摂家システム」を温存させた北朝公家集の既得権益までも奪うことまではできなかった。五摂家の実力恐るべしです。

さて、ペリシテ人についてもう少し洞察を進めるだす。

聖書ではペリシテ人として巨人兵士が描かれている。

そう、3M級の巨人ゴリアテですね。

Goliath02.jpg
(巨人ゴリアテ)

羊飼いの少年ダビデが投石器から放った石を額に受けて昏倒したところを剣を持たないダビデがゴリアテの剣を抜き取り首を刎ねた。この快挙にダビデ人気が高まるが、これは今の羽生結弦人気ほどのものかもしれない(爆)。この人気をサウル王に疎まれ殺されそうになるが、逃げ延びてサウル王の死後、サウルの娘と結ばれてダビデ王となった。
※ちなみに、羽生の聖地「弓弦羽神社」は熊野系神社であり、ヤタガラスでも知られている。熊のプーさん好きなのも熊野神社の影響か?(爆)

さて、今は巨人といえば、、、黄泉瓜CIA新聞のジャイアンツのことではなく、、、

その日、人類は思い出す。
自分たちは支配されているとーーーーー


で始まる『進撃の巨人』ですね!



『進撃の巨人』のモデルとなった都市は、ドイツ「ネルトリンゲン」、フランスの世界遺産「城塞都市 カルカソンヌ」だろうと云われています。

ネルトリンゲン
(隕石跡に城壁を築いたネルトリンゲン)

カルカソンヌ
(三重の城壁が強固なカルソンヌ)

しかし、東アジアにもこれに匹敵する城砦都市がある。

それは、、、客家土楼

客家土楼
(福建省の客家土楼 集合住宅の初出はローマの「インスラ」 何故、円形なのか諸説あるが、オイラはコロッセオを真似たのではないかと睨んでいる・笑)

まぁ、城砦都市というより「城砦集合住宅」という方が適切かもしれないが、機能的には同じで、常に外敵を警戒していたことに変わりはありません。

つまり、『進撃の巨人』の主人公はドイツ語名でナチス、巨人からペリシテ人、要塞から客家、、、、トドメは「調査兵団」の緑のマントが「緑のカラス」を暗示させる(爆)。

実際、東アジアは華僑(多くが客家=ペリシテ人子孫)に経済支配されていて、いつウォール・マリアの壁が破られ、巨人(ペリシテ人=客家)が進撃してくるか分からない状態にある。で、その黒幕がヘッセン=ナッサウ勢力のベルベット・ファシズムの勢力(旧コミュニスト)。

その焦点の1つが尖閣問題だということは前記事でも書きましたが、日本国内に「緑のカラス」という客家勢力がいて、超巨大巨人や鎧の巨人がそうであったように、国内側から呼応して城壁を突き破ってくるかもしれない。

この問題を大きくし日中紛争にまで持っていき、混沌化した東アジアを立て直すという大義名分からネオ満州国を建国に進み、「東アジア共同体=NWO(千年王国)の足掛かり」に持っていこうとする勢力がいるということです。壁の中の住人=日本人は未だ「籠の中の鳥」であり、ある意味、摂家システムで既得権益が守られているのですが、今後、TPPでどうなるかは分からない。再配分される利権がまた再び看板付け替えした勢力に掠め取られてしまい、前より悪くなってしまうとか、、、最悪フィリピンのようになってしまうかもしれない。で、今は「家畜の安寧」「虚偽の繁栄」を謳歌している状態か?

こういう切実なことを言っても「豚に嗤われる」だけなのだす。

NZS48と卍党

今回はヒトラーのナチスと日本のただならぬ関係の話です(ふぉふぉふぉ)。

ナチスに関しては何度も記事化していますが、大本や神智学との連動というか同じテイストだなぁ~とは感じていた。名無し先生の話を読むにつれ、近代史の謎が霧のように晴れてきた為、今までの記事は表面をなぞっただけなのを痛感。で、もう一度深く掘り下げてみたという次第。

以下はよく知られている話ですが、簡単に説明。

カール・ハウスフォーファーは1908年(明治41年)から1910年(明治43年)まで、日本のドイツ大使館付武官として勤務。第一次世界大戦には西部戦線に従軍しドイツ陸軍少将に昇進。戦後はミュンヘン大学にて大学教授資格を取得し「地政学」を創始した。1919年にルドルフ・ヘスを教え子に持ち、その縁で1921年にはアドルフ・ヒトラーと出会った。

1923年にランツベルク刑務所に収監されていたヒトラーと再会。ハウスホーファーは毎日のようにヒトラーを訪れ、ユダヤ人によるドイツ支配を崩し、優秀なゲルマン民族によって全世界が支配されねばならないと説き、ヒトラーに『我が闘争』を書くように進めたのもハウスホーファーであり、ヒトラーは日本についてかなり詳しい知識を持っていたが、その情報源がハウスホーファーであった。

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ハウスフォーファーは武官として日本滞在中、チベットに起源のある「緑龍会」に加入。その後、彼はエドワード・ブルワー=リットンの小説『来るべき種族』に触発されて設立されたオカルト結社「ヴリル協会」にも加入したが、この「ヴリル協会」は神智学協会の影響を強く受けていた。
※ブリルとは小説『来るべき種族』に登場するある種の宇宙的流動体。中国でいう気のようなもの。アーリア人が潜在化しているアトランティスの能力を開花させ、「キュプロスの目」が開眼すると時間の「秘密」の鍵が開き肉体の目で見る容易さで世界を霊的に感知するようになると説き、これをヒトラーは信じた。これがヒトラーがいう「神人(ゴッドメンシュ)」のことなのだろう。R・シュタイナー的にいうと、「自我」がアストラル体が純化した「マナス(霊我)」に入り込むと、エーテル体に感覚器官が形成され、アストラル界で反射した情報を感知出来るようになると説明。これが超感覚的認識の会得であり「霊界参入」と云われるもの。

ドイツ神智学協会はR・シュタイナーがドイツ支部長をしており、その神智学協会はマダム・ブラバツキーがヒマラヤの地底シャンバラの賢者マハトマから受けた霊的通信から始まったとされる。しかし、神智学協会はかの「メーソンの教皇」と呼ばれるアルバート・パイクと共にN.Yで創設したオカルト団体なのです。
※後にシュタイナーは神智学協会に疑問を抱き、退会して人智学協会を設立した。

鞍馬寺の貫主・信楽香雲は、神智学協会のアリス・A・ベイリー派からの影響を強く受け、1947年「鞍馬弘教」を創設し天台宗より独立(1949年)しましたが、何故、鞍馬寺にヒマラヤ北東のウエサク渓谷(カイラス山の麓)と同じ「ウエサク祭(五月満月祭)」があるのかという答がこれですね。神智学=ヒマラヤ=シャンバラなのです。鞍馬寺によると「五月の満月には天界と地上の間に通路が開け、ひときわ強いエネルギーが降り注がれる」と言っていますが、これが満月にお財布フリフリのスピ技の種明かしです。(ふふふふ)
※「ウエサク(ウェーサーカ)祭」は大乗仏教(北伝仏教)では灌仏会(仏陀降誕会)や花祭に該当する。上座部仏教(南伝仏教)では釈迦の降誕、悟りを開いた日、入滅の日が、全てインド歴第二月の第一満月の夜であったという伝承からウエサク祭は来ている。ヒマラヤの渓谷でも行われ、そこが「ウエサク渓谷」と呼ばれるようになった。

名無し先生の話では「鞍馬寺」は複数の得意先(情報提供先)を持つボトムアップの諜報部隊(間者・忍者)の拠点のようなものだとのことですが、確かに神智学と繋がっていることから大本とも関係が深そうです。得意先は神智学協会、大本、紅卍会、緑龍会...なのか?(笑)

さてさて、話は元に戻りますが、、、
緑龍会とハウスフォーファーとヒトラーの関係から導くと、、、

ナチ党(Nazi)の名は、実は「那智滝」から来ている?(滝汗)

那智滝の周囲には多くの行場の滝があり、これらは那智48滝として知られている。これらの滝には諸宗教(神道を中心に、儒教、仏教、道教、陰陽五行説など)にもとづく名が与えられている。これは全ての宗教、民族が融和を結んだ象徴と捉えることも可能ですが、逆に世界の支配者との象徴にもなる。ハウスフォーファーも日本滞在中にこの「那智滝」の由縁を学んだ様で、緑龍会からナチスに繋がる思想の根には「世界の支配者」が在るようです。

ただ、ドイツ内では「Nazi」は「国家社会主義者(Nationalsozialist)」の短略別称であり、ナチ党員は自分たちにナチおよびナチスという呼称を用いる事は無く、党員自身は党名のイニシャルを略して「NSDAP」「NS」或いは「Partei」と呼び、党員同士は「PG(党同志の略)」「Kamerad 」と呼び合ったという。ただ日本はナチの呼称が当時から使用されているので、那智滝と掛けて解釈したのは日本国内だけかもしれないが、、、

那智の滝
(ナチの滝)

ハウスフォーファーは1936年に勲二等瑞宝章を受けているが、これはドイツと日本の同盟締結の功績に対してのもの。また敗戦後の1946年に妻とヒ素を飲んで服毒自殺を図るが死にきれず、割腹自殺に切り替え死去したという。この死に方(ハラキリ)が欧州人らしくなく、東洋、特に日本の影響を強く感じる。

ハウスホーファーを始め「ヴリル協会」のメンバーの後押しにより、ヒトラーはチベットに調査団を何度も派遣し、最初はシャンバラ修道士(シャンバラ崇拝)との接触を試みるが、彼らは「フリーメーソン」を通じての活動を選び、ヒトラーは協力は得られなかった。そこで次にアガルティ修道士(シャンバラの地下霊的支配者崇拝)に接近し、その会派から協力を得ることができるようになった。1929年にはこの会派の海外本部や支部がドイツ国内に設立されるまでに両者の親睦が深まった。

ベルリンでヒトラーはこのチベット教団会派の指導者で「青衣の魔術師」「緑の手袋をした男」と呼ばれる男と定期的に会っていたというが、この指導者は透視と予知能力に長け、ヒトラーがドイツ指導者になる日やWW2開始日を正確に予言し的中させたという。

このアガルティ修道士のグループはドイツでは「緑の男の会」として知られたが、これは指導者が青衣を着て緑の手袋をしていたからであり、この「緑の手袋」も数百年におよぶ日本の「緑龍会」との強いつながりから来ているという。ハウスホーファーと「緑龍会」の関係がヒトラーとチベットのアガルティ修道士との関係を築いたのは言うまでもない。

コーネリアス・ライアンの『ヒトラー最後の戦闘』によると、1945年4月末、ベルリン陥落直前の東ベルリン地区で、壊れたビルの中を連合軍がパトロール中に、中央の1人を取り囲むように6人が円で囲んだチベット人の死体を見つけた。彼らはSS(ナチス親衛隊)のマークを付け、「緑色の手袋」をはめて祈るようにしっかり組まれ、周りの6人は割腹自殺していた。この中央の男が「緑の男の会」の指導者なのだろう。

その後、ベルリンの至る所で、数百体にものぼるチベット人の死体が続々と発見され、戦闘の激しかった通信管理センターからは1000人のチベット人遺体が発見されたというが、ナチスとチベットの教団は、かなり深い関係になっていたことが伺える。

ナチの党旗「ハーケンクロイツ(鉤十字)」は日本国旗の赤白と卍マークを反転させたような意匠になっていますが、この近似はナチが那智滝から付けられたという話も思わず信じてしまう程。偶然の一致にしては出来過ぎですが、実際、ハウスフォーファーや緑龍会の関与を考えると、陰陽使い(漢波羅)の観点から、日本国旗意匠から採られた可能性が濃厚というか、まず間違いなく反転させて採用している。それは日本の長きに渡る単一王朝での統治という事実に崇敬の念を抱き、ナチスもそうありたいと考えたからだとも考えられるが、日本は明治維新で南朝に取って代わられたことから北朝は「裏日本」に該当し、これが日本国旗を赤白反転(逆)させた理由だろう。つまりナチスは北朝と関連している。これが皇道派であり、大本や玄洋社を表に使った勢力。

そして、中央の逆卍こそが肝であり、これがチベット-緑龍会-紅卍会-大本を結ぶ証であり、兄弟勢力の証でもある。卍はサンスクリット語で「スヴァスティカ」といい、幸運のシンボルとして用いられていたが、ヒンドゥー教ではヴィシュヌ神の胸の旋毛(つむじ)、仏教では釈迦の胸の瑞相が由来で、左旋回の卍は「和」の元、右旋回の卐は「力」の元といわれる。このことから、ナチスが「力による融和」を推進していたのが分かりますね。那智滝の思想と同じなのです。

トロイ遺跡にも卍があり、卍を古代インド・ヨーロッパ語族に共通の宗教的シンボルでもあり、これがヨーロッパで十字架の一表現となった。つまり卍とは十字架でもある。このことから緑龍会を含む卍党の卍の名は、女真族が信仰した景教にそのルーツがあるのではないかと睨んでいる。
※ 「卍」は景教、原始キリスト教のシンボルであった。キリスト教のシンボルが「十」になったのはローマ帝国がキリスト教を国教にしてからのこと。敦煌の景教経典で「室女」とはマリアのことですが、漢字の「始」は「女+ムロ」で「室女(マリア)」を表している? ええじゃないかの始まりの地・東三河の牟呂八幡は「室女」を祀っているかもしれないなぁ(爆)。牟呂八幡は大津皇子を埋葬して祀っているという伝承がありますが、大津皇子は天武天皇を父に天智天皇の娘・大田皇女を母に持つ聡明謙虚な人物で人気が高い皇子であしたが、親友・川島皇子の謀反疑惑の密告で自害したが、これは草壁皇子を皇太子にしたい持統(鵜野讃良皇后)の計略だとされる。実際は自害せず死んだふりをして夜陰に船で逃れて東三河に辿り着いた。住居の裏に観音様を祀り深く信仰。御殿の真後ろにあるということで真裏口(ませぐち)の観音と呼ばれ、多くの信仰を集めたが、持統の三河行幸を見て入水自殺したという。真裏口観音と大津皇子を祀ったのが牟呂八幡だとされるが、天武天皇は初期大王家=扶余王国=女真族であり景教信仰であったことから、真裏口観音とはマリア像ではないかと睨んでいる。

■大津皇子と牟呂八幡宮 民話「海に消えた皇子」より
http://ameblo.jp/dr-hirokon/entry-10819830648.html

また「卍」は「マンジ」であり、「萬」とも読みますが、これが萬福寺は「萬福=卍は幸運(福)のシンボル」から寺名になったのかもしれない。

赤卍会
(中国大陸では大本と連動して世界紅卍会が活動)

紅卍会の構成は漢人。ただし慶州客家の手法を学ぶ為に弟子入りした「客家に見える漢人」。大本の本拠地・綾部は漢氏(あやうじ)の「あや」であり、綾部は漢人が多く移住した地。つまり大本はこの「客家に見える漢人」が出自であり、紅卍会と根を同じくする同族なのです。

江戸時代の鎖国体制と言っても、出島でオランダだけと貿易をしていたのではなく、中国とも貿易していた。実際には中国の貿易額はオランダの倍であった。そして、その輸入品は大方が生糸。オランダ船も中国から仕入れた生糸を載せていたのです。対外貿易が許されていたのが、四口と呼ばれる長崎口、薩摩口、対馬口、蝦夷口の4つの港ですが、長崎だけが出島でオランダと貿易が出来た。但し、貿易船の寄港回数には制限があり、単価の高い生糸ばかりが輸入されるので、他の物品を輸入したくても輸入出来ないというジレンマがあった。

そこで密輸入です(笑)。

この時代の密輸入の方法は、北前船で北海道の昆布を島津家の薩摩藩を経由して沖縄に運び、沖縄は中国に昆布を運んで、その代金として薬の原料と漢書を持ち帰り、薩摩藩経由で前田家の加賀藩に運ぶ。「越中富山の薬売り」で有名な富山は加賀藩の支藩であり、常に薬の原料を欲していた。また、漢書は冷泉家が資金源となって創建した萬福寺に持ち込み、それを歌道宗家の文人でが文化的教養のない武家に歌を教える...等、有力顧客を持つ冷泉家が漢書を捌いていた。鎖国で東本願寺の大谷派ルートが危うくなった為に萬福寺を作って、徳川御三家に準じる扱いの前田家の加護の元、萬福寺が漢書密輸入の一大拠点となったのは、こういうカラクリがあったのだとオイラは睨んでいる。

密輸入に関しては薩摩藩、加賀藩では取り組み方に違いがある。薩摩藩は藩自体が密輸を行っていた。そに為に隠密に蜜樹の事実がバレないよう国の言葉も独特なものに変え、よそ者が来てもバレてしまい「帰らぬ者」にして葬り去った。一方、加賀藩は自らは手を染めずに、銭屋五兵衛という商人に密輸を扱わせ、上納金を収めさせ暗黙の了解をしていた。この密輸の利益が加賀藩や薩摩藩を裕福な藩にし、幕末の薩摩藩の反旗反乱や加賀藩の東京タワー敷地や四日市コンビナート敷地が加賀藩の飛び地として所有する元となっていたわけです。

さて肝心の緑龍会とは何者か?

紅卍会や大本らの「客家に見える漢人」にコツを教えた客家が緑龍会の出自であり、客家は紀元前にシナイ半島を追われたイスラエル族が中国北方から中原に入りパレスチナの地を追われローマ経由で中国北方に渡ったハム系ミツライム族のペリシテ人。彼らは更に南下して福建省に入った。分岐して四川省を経由(四川省移住は清朝の移住政策)してチベットにも入っている。一方、朝鮮半島から日本に入ってきた者たちが緑龍会。ここに緑龍会とチベットとの結びつきがある。

四川省成都市の洛帯古鎮は「世界客家人第一の町」と称される街。言い伝えによると三国時代には既に一つの町としての歴史が始まっており、その時は「万福街」と呼ばれた。萬福寺の「萬福」はここから採られたのだろう。

洛帯古鎮01

洛帯古鎮02


名無し先生から聞いた話からなのか分かりませんが、O'BRIEN氏の記事の中に、、、

イスラエル族 → 地祇系 → オロチョン族 → エタ、ヒニン → 同和 → 緑のカラス → 農協、酪農、食肉解体、林業(マタギ)、漁業(サンカ)、エトセトラの既得権者

とあり、これが更に、、、

JICA(独立行政法人国際協力機構)=部落解放同盟=民主党

までもが繋がっていく(滝汗)。
オイラはここまで深く洞察出来ていない状態ではあるが、何となく「符合するなぁ~」とは感じている。

この萬福寺や東本願寺...等に入り込んでいたのが緑のカラスで、これが卍党か? 寺院が「散所」(貴族や社寺に隷属し、労務を提供する代わりに年貢を免除された人々の居住地)を造り、ここにエタ・ヒニンを囲っていた。散所はいわば「治外法権」の地ですが、ここを拠点にしていたようです。
※実際にエタ・ヒニンは表の行政組織(朝廷・幕府)が裁くことが出来ず、浅草の弾左衛門が裁くことになっていた。

そして、緑のカラスは大東亜経済圏構想で新世界秩序の足掛かりを作ろうとしていたが、イエズス会の傀儡でもあり、その奥の院はヘッセン=ナッサウ陣営である。これはナチスも同じ。

初期大王家始祖の扶余依羅(倭旨、金首露王)が持ち込んだ東方キリスト教。これをルーツとし出自とする勢力が「卍党」。黒住教、金光教、天理教、大本、生長の家、世界救世教、神道天行居、真宗大谷派(東本願寺)、PL教団、黄檗宗(萬福寺)、紅卍会、ナチス、地下衆、玄洋社、緑のカラス、民主党、JICA、部落解放同盟...等が正規メンバーあり、

これをNZS48と呼ぶ(爆)

そして、チームN、チームZ、チームSに別れて、競い合いながら活動している。

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(NZS48=卍党 この卍党の前座が金目教【金神教】だす。)

そして、今、このNZS48(卍党)が「ネオ満州国」建国に向けて突き進もうとしているが、国際情勢(国際秩序維持派=米国北軍派によるNWO潰しの実態)をよく知る勢力からは「無理だ。無謀だ。諦めろ。」と忠告されているが、聞く耳を持たずにNZS48は「ネオ満州国」ゲットに走っているという。

でも、それはフライングゲットなのだすよ~


(動画最初に登場するのがナチスの秘密兵器「ハウニブー」。これはシャバラの超科学力の劣化応用だと云われる。そういえば、決めポーズも「卍」に見えなくもないw)

「摂家システム」という既得権益と新天地利権

名無し先生の語録データベースが完成して、今、テーマ別にまとめながら深く読んでいます。

その内容は、まるで「うちはシスイ」の最強幻術「別天神」のように、ベルファシ勢力のカラスが放った意図的誤情報や日月神示に99.89%ズッポリ浸り、幻術に嵌って酔っ払い状態のオイラの脳に強烈に上書きしていく程の力と内容を持つ。

別天神
(マンガではカラスの眼に仕込まれたシスイの「万華鏡写輪眼」から、あらゆる幻術に上書きする最強幻術「別天神」が発動。)

今回の記事は摂関家と現代日本に関してです。

世の一般的認識では、摂関家は鎌倉時代から力を失い、既に日本を操っていないとされている。摂関家が天皇を操り君臨していたのは平安時代の摂関政治の頃であり、その後、平清盛が公卿になってから源氏、北条氏、足利氏...と武家の台頭で公家支配は終焉し、江戸時代、家康の「禁中並公家諸法度」で法的に縛り付けられ、武家>摂関家が確定されたと教科書では説明されている。

二条城
(世界遺産「二条城」 ここで前関白・二条昭実、大御所・徳川家康、二代目将軍・徳川秀忠3名連署で『禁中並公家諸法度』が調印発布された。ここでの眼目は第1条の「天皇が行うべきことの第一は学問である」規定だとよく云われますが、それよりも第2条の現役の三公(太政大臣・左大臣・右大臣=摂関家)は天皇兄弟の親王より上座であるとした点ですね。)

しかし、オイラはこの藤原摂関家が江戸時代から現代まで日本の黒幕としてずっと君臨しているとこの煩フルで断じてきましたが、摂関家の支配方法が江戸時代の寺請制度の元、庶民の行政機関となっていた仏閣寺院、五摂家や皇族がなる「門跡」までは辿り付いたものの、具体的にはどうやって支配していたのかよく分からなかった。

しかし、名無し先生の内容で一気にこの疑問も氷解した。

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大別するなら天皇という旗頭を頂点として、権力と権威という2つのルートによる統治(支配)を行ったのが江戸時代です。

権力は『天皇―将軍―大名―民衆』、権威は『天皇―門跡―住職―民衆』という2つのルートです。

教科書では権力側の話しか教えませんが、権威側の流れこそが、江戸時代における民の実生活を左右したのです。キリシタン禁止の状況下で死者を判別するのは、全国各地の住職です。彼らが、この死人は内の壇家に属する~ですから引き取りますと言わなければ、弔いすら出来ぬ時代が江戸時代です。

皇族がその寺に入ってその寺の住職になる、その時に門跡とか門跡寺院ということになるわけです。今でも青蓮院の門跡であるとか大覚寺の門跡という言い方をします。本願寺の住職が門跡になるということは有り得ないことです。何故かと言うと、本願寺の親鸞聖人の流れを汲んでいる者達、つまり血統は直接天皇家と縁がありませんので、門跡になってみようがないわけです。顕如上人の時に九条家の当主と猶子関係を結んだと。猶子関係とは、血は繋がっていないのだけれども、親と子の関係を結ぶということです。本願寺の住職が、九条家の当主と猶子の関係を結んだ。その時初めて、門跡としての資格を得るわけです。

東西が分かれた時に、教如上人は徳川幕府と縁があって、近衛家との関係の中で猶子になって門跡になる。東本願寺の方は近衛家の流れになるわけです。西本願寺の方は九条家の流れになるわけです。そういった門跡制というのは、江戸時代を通してありまして、明治時代になって大谷家の人々が伯爵となって門跡制度がなくなるわけです。

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この猶子(契約に基づく親子関係)になるのにタダでさせる訳はない(笑)。当然、金品や既得利権の譲渡...等、何らかの見返りを与えていた筈。つまり、五摂家は日本での臣下最高家格というブランドを売ることで収入を得て、更に強者と結びつくことでその地位やブランド力を不動のものにしていた。このような「OEM商法」を昔からしていた訳です。

現在は財閥系企業が近衛系(近衛・鷹司)、九条系(九条・一条・二条)という閨閥グループに別れているようです。3.11原発事故後の対応に関しては、廃炉ビジネス、燃料電池普及で70気圧水素タンクのインフラ整備、原発販売の海外シフト...等、描く絵が異なっているが、こういったところに差が出て来るのですね。
※近衛、九条グループの公家対立軸は、メーソン、イエズス会等の外国勢力が煽った結果でもある。

摂関家は、上記の「本願寺等を使ったシステム」以外にも「松平姓を使ったシステム(斎院制)」「荘園、庄屋、酒蔵、地方の名士が末端の既得権益ネットワーク」を使い、武家が台頭した鎌倉時代以降もこの国の支配者として君臨し続けてきたというわけです。どうやらオイラの見立ては正しかったようです(ほっ)。
※荘園制度は、地方豪族が支配した土地を荘園化して摂関家や寺院に寄進。そして地方豪族はその土地の管理者として任命され君臨するという仕組み。当然、その土地は荘園故に年貢という上納金が発生するが、これが摂関家や寺院の大きな収入源。東北の奥州藤原氏(元は清原氏)はこの典型で東北の自治を認められていた。但し、二重三重の簒奪が激しくなり荘園システムは瓦解。その後、荘園システムは庄屋、酒蔵、地方の名士へと至るが、今は地域有力ゼネコンに姿を変え、中央からの資金の受け皿となり、産業のない過疎の地では唯一の産業として君臨してその地を牛耳っている。当然、上納金に相当するものがある筈。それが選挙の票とスーパーゼネコンの丸投げ(2%のピンハネ)かな。日本にはスーパーゼネコンが5社あるが、これが五摂家と明確に対応していると睨んでいる。実際、福島の復興予算は全てスーパーゼネコンがかさらっていって地元建設会社は落札できなかった。これでは3.11は自作自演なのかと疑ってしまう。

以上のようにオイラは摂関家が現代も権力中枢だという認識でいたのですが、名無し先生の分類ではとうも違うようです。(滝汗)

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1.カラスやサンカ等、皇室俸公衆が、朝廷(皇室)権限を裏から操ってきた時代
2.摂関政治により公家(摂家)及び公家俸公衆が、朝廷(皇室)権限を裏から操ってきた時代
3.2の時代には位階制度上は下位であったC及びC俸公衆が、朝廷(皇室)権限を裏から操っている現代

過去にブログ内で扱った緑のカラス等は3段階目の3トップの一翼という事です。ネット情報で馴染みのある、読者に分かり易い表現をする為「緑のカラス」と書いてこられたようですが、この3段階目の仕組みに移ってからも、依然として過去の3系統派閥は起源を分ける為、存続されているのです。

つまり、位階制度上の上位と、実質の上位は現在では異なる仕組みに変化しており、ネット上に出回る情報は、1段階目の時代の仕組みを各勢力の末端に居る人間達が知り得て、自己派閥の権威裏付けに吹聴しているに過ぎないのです。
その根拠としてよく用いられるのが「天皇の金塊説」ですが、これも国際情勢下で金塊の所有権が何処に移ったかを知らされぬ人間達の、自己派閥の権威裏付けの為の神話創造に過ぎません。

国際情勢下での主たる金塊の所有権は、終戦前に、ある国際的機構の管理下に入り、世界経済を回す為の原動力となるべく、使用、運用、管理されているのです。

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とあり、現在はC勢力が天皇権限を操っているとのこと。

C勢力は、一見、武家なのかな?と思ったのだが、「現代まで」とあるのでこれは不正解だろう。

実際、江戸時代の徳川と言えど、裏から操る程に天皇に近侍してはいない。逆に奇門遁甲の封印術を駆使して京都に富士山の気の流れを流さないようにして、京都を警戒しながら距離を置き、権威の実だけを取っていた状態であり、基本的に荘園領守護の豪族と同じ対応。

確かに、明治維新を迎え南朝(大覚寺統)政権に移ったことで、北朝(持明院統→光格天皇から世襲親王家の閑院宮統に移動)や摂関家のバックボーンを形成していた仏教寺院は弾圧され、寺請制度、領有地..等の既得権益の多くが明治新政府によって剥奪され、国教は神道を中心に再編成された。この時、廃寺となった寺が多いと言われるが、生き残りの為に仏教から神道に看板の付替した寺院も多かった。

これは摂関家が持つ基盤の解体作業に他ならない。

明治維新の大勲位、維新の十傑の1人である岩倉具視は羽林家という中~下級公家、キリスト教嫌いの「七卿落ち」の三条実美、昭和天皇の実父疑惑のある西園寺公望は清華家(摂関家に次ぐ公家)であり、明治維新にはあまり摂関家は活躍していない。このことから明治維新で公家間で下克上があったのは歴然。近衛奏上文をしたため、子息をスターリンの元に送って共産化を画策した近衛文麿はメーソンの力を借り摂関家の勢力を取り戻そうとしたのであり、「昭和の藤原忠実」だとも云える。
※公家同時の主従関係「家礼」は主家(5摂家)と門流(清華家以下の公家)。主家の公私の行事に参加・随従義務、主家の有職故実などの礼法遵守義務、元服・婚姻・養子縁組の際にも主家の許可を要し、原則として主家の意向に反する行動や門流関係の解消は認められなかった。

では、このC勢力とは一体何なのか?となるのですが、、、、

考えられる1つは、西園寺家(一条家の家礼)、徳大寺家、三条家の兄弟筋公家。これらがハイレグ水着のように天皇権限に深く食い込んでいたのだろう。

ハイレグ
(深く食い込んでいいのはハイレグ水着だけ)

徳大寺公純の子、長男:徳大寺實則、次男:西園寺公望、3男が住友友純(第15代住友吉左衛門)となって西園寺=徳大寺であり、西園寺公望の娘に旧長州藩主・公爵毛利元徳の八男が婿入りして西園寺八郎。更に西園寺八郎は3男3女を儲け、長男の政治家の西園寺公一、三男の不二男、次女の春子は住友吉左衛門(友成)に嫁いだ。 長男の西園寺公一はゾルゲ事件に連座して廃嫡。三男の西園寺不二男が家督を継いだ。不二男の妻は日産コンツェルン総裁の鮎川義介の娘の春子であり、徳大寺-西園寺-住友-日産という閨閥が形成。

但し、WW2やゾルゲ事件で西園寺系の皇室関与は排除されたとオイラは見ている。

蹴鞠や歌道家元の某羽林家。名無し先生の話によれば、この中~下級公家が萬福寺創建の資金元であり、江戸時代にはイエズス会と水面下で手を組み、特定寺社を中継とした密貿易の元締めであって、また近代は紅卍=大本とも関係があり、その関係は現在まで続き、現代はベルファシであるヘッセン=ナッサウ勢力が糸を引くメーソン側の最高評議会議長(李王朝と婚姻した日本のヤンゴトナキ血筋の方でマッカーサーに連れられ、米国高官の家に養子に入った人間)とも連携をしているとの話だ。
※「羽林(うりん)家」とは摂家、清華家、大臣家の下、名家と同列、半家の上の序列に位置する公家で大納言が極職である武官の家柄。羽林とは「羽の如く速く、林の如く多い」という意で、中国では北辰(北斗星)を守護する星の名称でここから名付けられたように、兵法を修していて意外と武闘派でもある。
※密貿易は伊達家のロシア貿易、島津家の沖縄を介した中国貿易(昆布輸出-漢書輸入)、北前船の中継貿易と朝鮮香港貿易(銭屋五兵衛)の前田家がある。で、某羽林家の萬福寺は貿易で輸入した漢書を捌く一大拠点になったのではないかとオイラは睨んでいる。

この公家が「現代日本の黒幕」なのでしょうか?(ふぉふぉふぉ)

そういえば、最近、天皇陛下が某羽林家の邸宅に行っていますな。
陛下すらも所有する文庫の権威付けの為に自宅に呼び寄せてしまうとは、、、(滝汗)

この某羽林家は、戦国時代には戦乱を避け能登や駿河に下向していたが、織田信長の時代には再び京都に戻った。しかし、豊臣秀吉が関白太政大臣に任命された1586年(天正14年)には勅勘を蒙り、再び地方に下ったという。このまま地下として埋もれてしまう可能性もあったが、秀吉が亡くなった1598年(慶長3年)、徳川家康のとりなしによって都へ戻り堂上に戻ることができ、江戸時代には徳川将軍家に厚遇されて繁栄したという。

この「勅勘」とは天皇の怒りに触れ、天皇から下る勘事のことで、出仕停止だけでなく閉門籠居処分も科せられる非常に重いもの。前例では、白川院の院政を覆し摂関政治を取り戻そうと画策して、関白職を剥奪された藤原忠実の例がある。勅勘とはそれ程に重い。

豊臣秀吉がトップになった途端、政治に参加出来ず、政治には無縁な筈の歌道の家が、何故、天皇から「勅勘」を受けねばならないのか? オイラはここに何か公にされていない政治的内紛劇に絡む秘密があると睨む。

その証左となりそうなのが公家町

現在の京都御苑は広大な国民公園となっているが、ここはかつての公家町。豊臣秀吉によって、天皇が住む御所を中心とした一画に近衛家、九条家をはじめ多くの公家邸宅が集められ、その境域への入口には九つの門が構えられ、公家の密集居住地となった。ある意味、ゲットーのような感じです(笑)。

公家町01
(公家町 □の囲われた部分が現在の京都御苑)

この某羽林家は公家町が完全に成立した後に許されて都に戻ったため、公家町内に屋敷を構えることができず、家康から贈られた敷地に邸宅を建てている。実際のところ、公家町に入っていない公家は藤谷家、徳大寺家、山科家、摂家の二条家、世襲親王家の伏見宮など意外と多い。だだし明治期の転居令が出た時でも、明治天皇から留守役を命じられ、また公家町になかったことから唯一取り壊しを逃れたのはこの家ぐらいなものか。しかも、この邸宅内には「勅封」の蔵群があり、未開封の蔵がまだ2~3もあるという。

敷地譲渡、留守番役、勅封の蔵、、、

この破格な扱いは一体何故なのだろう?

この家からは入江家が出ていますが、大正天皇の東宮侍従長、昭和天皇の侍従長として仕えていることから、裏で操っているといえなもくない(笑)。穿った見方をすれば、皇室に深く食い込む程の力を持っているからこそ、明治天皇ですら東京へ移動させることが出来なかったのではないのか!?

妄想がパンパンに膨れてしまいましたが(笑)、この某羽林家を巡る秀吉との確執、信長や家康との蜜月ぶり、、、この両極端とも言える扱いに「歌道宗家」という表の顔と180度違った何か「裏の顔」があると感じる。

そこに行き着くには、敵対した秀吉との関係が糸口になりそうです。

秀吉は近衛前久の猶子となって藤原朝臣秀吉(近衛秀吉)となり関白職に就きましたが、その後、豊臣姓を下賜され、豊臣家が新たな摂関家となった。但し、この新摂関家も秀次までの2代しか続かなかった。その後は再び藤原五摂家が関白就任している。摂関家にとって豊臣家は目の上のたん瘤であったのは違いない。

秀吉は九州の惨状を知り「バテレン追放令」を出したように「反イエズス会」の急先鋒。一方、信長はイエズス会の力を利用(踏み台)して中国大陸進出を目論む程に「親イエズス会」だと言えるのだが、その信長も摂関家とイエズス会と銀金融マフィアによって本能寺で暗殺されてしまった。秀吉も同じくイエズス会-摂関家によって排除されたのだろう。そして、イエズス会との窓口になっていたのが某羽林家であり、このことが秀吉の怒りに触れ、天皇に「勅勘」を出させたのではないだろうか?

秀吉排除の後に摂関家が目につけたのが徳川家康
この枠組みからいえることは、武家(徳川家)>摂関家とはなり得ないのです。

最近、何故か大本と歩調を合わせているホルモン飛鳥氏によると、某羽林家は特命を帯びていて、天皇が京都に戻った時、この開かずの蔵が開けられ、そこに蔵された日本の秘密が「新天皇」に伝えられ教育されるのだと言っている。この「新天皇」は当然、ビリケン広飲み屋だと思われるのだが、そうではない可能性もあるのだという。実際、ホルモン飛鳥氏は次の天皇は「ラストエンペーラー」だと盛んに公言しているので、国体すら変わる程の激動(例えば、東アジア共同体=日韓合同朝廷)を想定している節がある。
※名無し先生は、大本は北朝派で地祇派の「緑のカラス」を崇める下部組織であるといい、また「天皇が京都に戻る」と喧伝する者は南朝と繋がりがあると云われる。神道関係者からオフリミット扱いのモルモン飛鳥氏はこの2つの属性を持つことから北朝・南朝の一体どちらの派に属するのだろうか? 単にホルモン教=メーソンのエージェントとして関わっているだけなのか? 非常に込み入っていて表の情報だけからは判然としない。

また、日月神示に出て来る救世主「神一厘」が既に現れたとも述べているが、これは「ネオ満州国」建国へ向けての大本系の布石なのはないだろうか。多分、日韓合同朝廷に相応しい人物をリクルート出来たのでしょう。
※大本系は出口王仁三郎聖師が聖断したとして、日月神示を偽書扱いしているのだが、、、ホルモン飛鳥氏の勘違いではないだろうか? 実は大本にも「大本は 一厘の仕組であるから、一厘の御魂が出たら世界は引っ繰り返るぞよ」という御筆先があり、「一厘の秘策」という言葉がある。これは北朝末裔・堀川辰吉郎を匿って皇統派を形成し満州国傀儡皇帝・愛親覚羅溥儀の後釜に据えようとした計画だったのではないかとオイラは睨んでいる。だが、この野望も国際秩序維持派=統制派と敵対し二度に渡る大弾圧を受け、WW2で完全排除されたのだろう。ネオ満州国建設には、2006年に設立お渤海銀行が中心となっているが、この銀行の親会社は英国スタンダード・チャーター銀行。鬼城(ゴーストタウン)も誘導的に作られたものであり、イスラエル国消滅後、パレスチナの地から退出するユダヤ人に売り付けるものだという。

今年はシャドーバンキング問題が弾けて、中国崩壊の年になりそうですが、この混乱を機に一気にネオ満州国建国に走りだすかもしれません。当然、その前には北朝鮮が韓国に侵攻して来て併合という流れがあり、同時に中東でのアラブvsイスラエルの戦争勃発でイスラエル消滅という事態になるやもしれない。

イスラエルが亡国してくれないと、満州物件が売れず儲けも既得権益も構築出来ないのだ~す!!!

となると、第三神殿建設地は満州で決まりそうだすな。

第三神殿
(東アジアの中国東北部に第三神殿、、、何かアンマッチのような気がするが、、、)

市川海老蔵が心酔しているゲイバーのザキヤマ似のママの予言(手かざし占い)では、2014年春に尖閣問題を契機として九州を滅亡させる日中戦争が勃発すると語ったといい、また2015年の5月末(5月22日に千葉県外房沖が震源の大地震 東京湾にまで津波が押し寄せ、埼玉の川口あたりまで水没)という未来予言があった。春以降、何か事が起きそうな雰囲気はある。実際、伊勢神宮が金座(波乱の時代)に移ってもいるし、ユダヤ祭日が日食・月食と重なる特異な2014年は、ユダヤ関連で何か起きるとも云われている。
※日本の奉公衆は漢波羅(カバラ)使いなので、伊勢が金座の時に「新たな動き=大きな活動」を始めるのではないか?

まぁ、こういった話はマスコミを使って、そういった雰囲気を鴨居し出す常套作戦があるという話もあるので何とも言えないのですが、今年2014年は何か激動の年の初めになりそうな予感はありますね。

実際、ベルファシ(ベルベット・ファシスト=コミュニスト)の予定表には、、、、

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④青白い馬 人類の1/4死亡(剣・飢餓・死病・獣)
(2014〜2020)
ロムニー政権誕生?異常気象や早魅などによる飢饉。エルサレム第三宮殿の建設(?)や、イラン・イスラエル戦争などにより、第三次世界大戦勃発?飢饉等も加わり17億の人類が滅亡?

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とあるようなので、安心は出来ない。

「時は今 天が下知る 五月かな」

で、今、某羽林家は「今でしょ!」と今出川の邸宅で叫んでいるのかもしれません。
※某羽林家や大本が「ネオ満州国」建国に向けひた走る背景には、国内では既存の「摂家システム(ネットワーク)」が邪魔して、既得権益を構築出来ないという点に尽きる。ただ、この既存システムもTPPで破壊されるともいう。

zaki2.jpg
(しかし「そうはイカンザキ!」と待ったを掛けるのが、国際秩序維持派の米国北軍派か?)

土師氏の秘密(秘三)

語り部データベースに次ぐ名無し先生&O'BRIEN氏の語録データベース構築に掛かりっきりでブログ更新に間が空いてしまった。語り部と名無し先生の語る内容には似ている箇所もあるが、異なる内容も多々ある。この2つの内容をどう摺り合わせていくかというのが今後の課題になりそうです。

さて今回は、前回の勝海上人=ベリシテ人の記事に書きそびれた内容を書きます。

勝海上人が開基した浅草寺の社紋は「三つ網紋」、土師氏並に桧前氏の家紋とされている。、明治以降、浅草寺から神仏分離によって分離された浅草神社は別名「三社権現」と呼ばれ、5月17日に「三社祭」と呼ばれる神輿を繰り出す勇壮な例大祭が行われる。「三社祭でみこしを担ぐ同好会30数団体のうち、約7割で暴力団員が代表になっていると報じられ、祭りが暴力団の資金源になっているものとみられている。(Wikipedia)」とも云われる。

この三つ編紋は住吉三神と同じ航海の神様であることから、オリオン座の三ツ星を表しているのかもしれません。またこの三神はギリシャ神話の最高神ゼウス(雷)、ポセイドン(海)、ハデス(地獄)の三神ではないか?という説もあるが、住吉大宮司の津守氏は耳が大きなエブス人末裔。

日ユ同祖論的にはガド族のシンボル「テント」と似ているとされ、これを持っての同祖の証左とされることもある。

浅草寺

ガド族

オイラは「三つ網紋」はカバラの「生命の木」でいう中央の柱、峻厳の柱、慈悲の柱ではないかと睨んでいる。というのも、浅草寺の絶対秘仏「浅草観音」を発見したのが土師中知(土師中真知)・檜前浜成・檜前竹成の3人ですが、中知(中真知)の名が「中央の柱」から創作された名のように思えてならないのです。

土師氏の末裔とされるのが、大江氏、菅原氏、毛利氏ですが、このうち、大江家の本家は那智勝浦町湯川の二河にある。大江家の伝承では「壇ノ浦の戦いに敗れて落ちてきた平家落人」というが、実はその後の承久の戦い(1221年 、後鳥羽上皇が鎌倉幕府に対して討幕の兵を挙げて敗れた兵乱)で敗れて落ちてきたのが正しそうです。大江本家の家系は17代前まではわかっていますが、それ以前はわからないという。1700年頃に分家して桧曽原へ来たとされ、この「桧曽原」と浜成・竹成兄弟の「檜前」が似ているのは偶然か?
※桓武天皇が土師諸上らに「大枝」の姓を与えた。866年(貞観8年)には大枝音人が姓を改め大江音人となる。つまり「大江」は苗字ではなく姓。桧=檜=ひのき

大江氏には優れた歌人や学者が多く中古三十六歌仙の一人・大江千里がいる。

大江本家の家紋は「丸に蔦」ですが、古い墓には「丸に三ツ星」の紋が入っているのもあり、昔は「丸に三ツ星」であった可能性が高い。大江広元の後裔は各地方で武家として活躍したが「一文字に三つ星」を家紋とする家が多い。

丸に三ツ星
(丸に三ツ星)

一文字に三つ星
(一文字に三つ星 毛利家の家紋でもある)

このように土師氏には「3」「3ツ星」がまとわり付いている。

う~む、大江氏の祖土師氏はカド族なのか?

語り部説では、アイヌ縄文土着系の葛城興道(子の坂上当道と田村行文の3人が坂上田村麿モデル)の末裔が土師氏であり、菅原氏(小治田・多氏)とは同族であるが直接の子孫ではないとしている。そなると、土師氏はイスラエル族ではなく縄文エドム系になるのだが、、、

ただ気になるのが、興道・当道・行文の3人1人(三位一体)で坂上田村麿となっている点。文の菅原道真と武の坂上田村麻呂は「文武」のシンボル的存在とされていた。

坂上当道の父以来、坂上氏の重要な拠点が摂津国住吉郡平野庄(現在の大阪市平野区)。

ここで住江三神と繋がる。

同地の杭全神社の伝承によれば、当道は「素盞嗚尊を勧請し祇園社(現在の杭全神社)を創建した」とされ、ここが則ち山城国愛宕郡八坂郷祇園の牛頭天王の源であるという。また熊野三所権現(伊弉册尊・速玉男尊・事解男尊)を勧請建立したのが第二殿。その他に第三殿があり、三社殿が並び立つ様式になっていて、ここでも数字「3」に支配されている。

杭全神社
(杭全神社)

大神神社拝殿の奥には三鳥居があり、また古い伊勢神宮神殿もオリオンの三つ星同様に斜め配置された三社殿形式になっていたように、三神殿形式は古い時代の神道形式であることは間違いない。これは遡れば、天神・天孫・地祇系の3つの天皇が「三輪」を形成し日本を治めていた頃の名残を社殿形式で表していたのかもしれませんね。

大江氏の末裔・毛利氏には「三子教訓状」が基になって造られた逸話「毛利元就の三本の矢の教え」があるが、これがアベノミクス三本の矢の語源でもあるが、ここでも「3」がまとわり付いている。まぁ、家紋も「3つ星」なので「3」にこだわっているのだろうか?

毛利氏と言えば、周防国を治めた百済渡来の大内氏(本姓は多々良氏)を破り滅亡に追い込んだ安芸の毛利元就が浮かびますが、滅亡した大内家家臣は田布施に封じられ部落民とされたという。そして時が至り、この田布施が明治維新の南朝天皇誕生の中核となっていったのはよく知られるところです。

結局、勝海上人=ペリシテ人を補強するような内容は見つからなかったのですが、何とも不思議な[秘められた3(秘三)」を巡る話だけは得られました。また聖書「士師」に関連のある土師氏なので、趨勢衰退した頃に「大枝」氏へと下賜改姓したのですが、この姓もやはり聖書やカバラに関係していると思われる。

つまり、「大枝」とは、、、、下記を指しているのではないかと睨む(笑)

syokudai.png
(聖なる燭台メノラー 3+7で十)

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