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不比等の歴史歪曲

語り部のいう内容から、初期大王家(扶余系スキタイ、ガド族)、後期大王家(烏桓系百済、エフライム族)、出雲王朝(エドム人)の家系図を作っていました。

【三輪氏】【物部氏】【海部氏】【度会氏】【宗形氏】【難波氏】【橘氏】【弓削氏】【守屋氏】【賀茂氏】【大伴氏】【葛城氏】【秦氏】【出雲氏】...等の古代豪族がこの血流から次々と出てきているのがよく分かります。最初からこれを作っておくべきだったな(汗)。

まぁ、これで今まで以上に語り部のいう内容がスッキリ理解出来てきた。

語り部が「天武天皇、天智天皇、藤原不比等の三人は同母異父兄弟」というもの納得です。つまり、この三人を生んだのが、倭佐冨サトミ(別名:宝)であり、後の皇極天皇。

皇極天皇は、漢皇子、天智天皇、間人皇女、天武天皇の順に四人を産んだとされるが、実はもう一人生んでいた。それが藤原不比等というわけです。

倭旨(金首露、扶余依羅)から始まる初期大王家の流れにあって、途中、倭明(用明)から倭峻(崇峻)の暗殺崩御から弟の倭孝(孝徳)が即位するのですが、この倭孝の子が鏡王(有馬王)と鏡女王(佐富、宝、皇極天皇)なのです。

はじめ宝女王・佐冨は、倭聖(高向王、聖徳太子モデル)の后となって漢皇子を生むのですが、天智と天武の年齢問題(弟とされる天武の方が年上)からみて、漢皇子とは倭建(大海人皇子、天武天皇)だとみて間違いなさそうです。
※これで皇極の生んだのは、不比等を含めて四人となる。

その後、景教を奉じ人民に大人気だった倭聖は、仏教を推す百済系大王族の倭舒(舒明天皇)と争いとなった結果、敗れて幽閉中に毒殺され、后の佐冨は奪われてしまった。倭舒は佐冨と同衾することで大王になる資格が出来、即位することが出来たのですが、この時に生まれたのが倭友(中大兄皇子、天智天皇)。

その天智天皇は、百済王子の豊璋こと中臣鎌足と談山神社の山中で密議をして、倭建を大王に推す鞍作毛人(蘇我入鹿)を道端で暗殺。その後、鎌足に自分の妃を下賜していますが、この妃は天智天皇の子を宿していて孕んでいたと云われ、生まれたのが藤原不比等です。で、問題はこの妃の名が「鏡女王」であり、つまり、倭佐冨サトミという自らを生んだ母親なのです。

天智天皇には同母妹の「間人皇女」との近親相姦の噂もありますが、これはそれ以上の事だす。語り部が「衝撃の事実!!!」として打ち明けるわけですね。
※当時は異母姉妹との同衾も結婚はOKだったが、同母姉妹とだけはタブー。一夫多妻制の通い婚下では異母姉妹との結婚も痛恨も防げるものではない。同様な同母妹との相姦は小野大樹と妹・小島子の間に出来た小野妹子がある。

この理由として、天智天皇は皇太子に就きながらも長い間、即位出来なかったといいますが、この焦りが、父・倭舒がそうしたように初期大王家の血統者と同衾することで大王になる資格を得ようしたのではなかったか? それ以上に本当は皇太子ですら無かったのかもしれないとオイラは睨む。

記紀に記される一般に知られる天皇の在位期間は下記のようになっている。

用明天皇・・・585年10月3日? - 587年5月21日?
崇峻天皇・・・587年9月9日? - 592年12月12日
推古天皇・・・593年1月15日 - 628年4月15日
舒明天皇・・・629年2月2日 - 641年11月17日
皇極天皇・・・642年2月19日 - 645年7月12日

孝徳天皇・・・645年7月12日 - 654年11月24日
斉明天皇・・・655年2月14日 - 661年8月24日(皇極の重祚)
天智天皇・・・668年2月20日 - 672年1月7日


この時期は女帝が集中しています。

しかし、大王の資格継承の為に「中継ぎの巫女」を立てるのなら、この順番はおかしい。しかも、一度皇位を禅譲してしまった皇極天皇の重祚(再び即位すること)は有り得ない。斉明天皇とは実は「額田王女(倭道子)」のことであり、更に聖徳太子は推古天皇の摂政となったが通説だが、当時、摂政という役職はなく倭聖の後に推古天皇即位だと語り部は言っているが、オイラもそう思う。

で、本当の即位の順番はこうだろう。

用明天皇(竹内宿禰)
崇峻天皇(用明の子)
倭聖(崇峻の子、高向王、聖徳太子モデル)
推古天皇(倭錦代、聖の姉)
孝徳天皇(用明の子、芽ヌ王、田目王)
皇極天皇(佐冨、鏡王女、孝徳の娘)
舒明天皇
斉明天皇(倭道子、額田王女、孝徳の孫)
天智天皇(舒明の子)


倭聖を省き、舒明と孝徳が逆になっている。

古事記、日本書紀は、このように原形を留めないほどに歴史を歪曲改竄してしまったので、ここから日本歴史の本当の骨格すら作ることが出来ない。不比等に関しては異名を辿ることで母子の近親相姦で産まれたと判明するようにボヤかされて記されているのです。藤原家が天皇家を凌ぐ皇統の血の濃さを誇れる理由でもある。

藤原不比等、いい仕事してますな~(苦笑)。

系図
(記紀では推古天皇が聖徳太子の「叔母」とされているが、語り部は「姉」だという)

用明の決断で上宮という正統が並立した為、あくまで百済系は婿配偶者としての男王という扱いで、大王位に就けるのも一代限りの特例であり、舒明天皇が崩御すれば再び初期大王家血筋の斉明天皇に皇位は戻ってしまっている。これを隠す為に皇極天皇の「重祚」という「まやかし」を使ったのだ。これが舒明天皇の継承者の中大兄王子が皇太子であったにも関わらず、舒明崩御後もなかなか天皇に即位出来なかった理由なのであろう。

天智天皇の御世、大海人皇子(天武天皇)が皇太子(弟なので皇太弟)になるが数年後に辞している。普通は子の大友皇子が皇太子になるものなのだが、、、、それが出来ない理由があったのだろう。やはり、天智も初期大王家の血筋ではない為、婿としての「男王」という一代限りの大王位だったからではなかろうか。

ただオイラが不思議に思うのは、倭聖のことは無かったことにして大幅に歴史的事実を歪曲したにも関わらず、上宮(初期大王家)の天武天皇の事跡や百済系にとっては負け戦である壬申の乱の内容を削除・改竄しなかった点。どうみてもい百済系天皇の桓武天皇には面白い内容ではない筈なのですが、、、、、「大化の改新」の捏造(実際は壬申の乱後の天武の大宝律令の公布の事跡)ぐらいでお茶を濁している。

いづれにしても、中継ぎの巫女として立てられた宝女王(佐冨)や額田王女(倭道子)もそうなのですが、皇位継承の用が済んだら臣下の中臣鎌足や藤原大嶋に下賜されている。なんか哀れでかわいそうに思えてくる。更に、敵対する者の間で「中継ぎの巫女」取得の争いが激しくなり、内戦にまで発展していることから、こういった女系天皇制は争いの元になる点から、この国の皇統継承ではタブーになったのだろう。
※佐冨(宝女王)の最後は、天智(倭友)が土佐の朝倉橘広庭宮(背後に赤鬼山)で近侍の70人とともに毒殺。最後まで佐冨が百済救済に反対したからだという。

石舞台
(明日香の石舞台古墳、、、一般には蘇我馬子の古墳として知られていますが、語り部は天智天皇の墳墓だという。石室が露出しているのは反対を押切り強行した白村江の戦いに負けた故に古墳が暴かれた。地元には天智天皇古墳という伝承がある。鬼畜には相応しいのかもしれない。三河行幸で天武御落胤狩りを楽しんだ広野媛【持統天皇】なので、この娘にしてこの父ありということか。)
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シリウス2013

毎度、登場して申し訳ないのですが、オコツトの話では、今後、世界は以下のスケジュールになっているという。

1999年………位置の等化
2012年………位置の中和
2013年………位置の変換開始 ←今ココ
2025年………位置の転換開始
2037年………入神


「変換」「転換」は似ている言葉ですが、「変換」が色が青から赤に変わるような「変化していくこと」なのに対し、「転換」は「全くの【別のもの】になっていく」という意味の違いがある。

自己と他者との意識が一体化することが2013年に起こるとオコツトは言うが、2013年も残りあと僅かになってきた。未だその兆しは未だ人類の多くの者には現れていないのだが、、、

大丈夫かぁ?
オコツト!!!


そうはいうものの、それらしき兆しがオイラの周辺には起きている。それは少し前に記事化したラピ。師匠の「悟り」の件です。今後、こういった人が多く出て来るのでしょうか?

今、悟りの師匠たちがいる「絶対領域」とは、自我というものがなく、内面(心)がない「空っぽ」であり、まさに「点」として表現される意識次元。ここは自己と客体が「不分別」と化した意識領域でもあるが、意識が物質に入り込んだ状態だともいえる。これがオコツトのいう「位置の等化」から一歩進んだ「位置の中和」であり、これは変換人の初期の状態ですが「悟り」と呼ばれる現象。

ただ、オコツトの定義のよれば、「悟り」とは「人間意識が覚醒を垣間見た状態」という個人限定なものであり、一方、「覚醒」とは主体と客体の等化・中和をさらに推し進めた先の「自他が一体化した状態」という違いがある。覚醒時には自他の境界線が無いことから人々の間に爆発的な連鎖反応的に起きることが予想され、その影響が個人だけに限定化されない。あっちもこっちも...といった感じになるのです。

まさに、エヴァの「サードインパクト」という言葉が相応しい(ニタリ)。

「位置の変換」が起これば、電子が方向性を変えてしまい、コンピュータ...等はすべて機能停止に陥ってしまう。しかし、ここから人間意識の変容が始まるのですが、これは脳内のニューロンに流れる電子の方向性も変わってしまう為に起きるのではないかと密かに思っている。

オコツトによれば、プレアデス領域(物質界)における次元観察子(ψ プサイ)には、以下の対化関係があるという。

ψ1とψ2  人間の内面における対化
(空間と時間が存在する領域)

ψ3とψ4  人間の外面における対化
(主体と客体が存在する領域)

ψ5とψ6  人間自体の対化
(自己と他者が存在する領域)

ψ7とψ8  位置の変換と位置の転換
(社会性と自我が交錯する領域)

ψ9とψ10  位置の等換と位置の融和
(社会性と自我が対峙する領域)

ψ11とψ12 人間の総体の対化
(2つの社会性が対峙する領域)


この対化の等化を通じて、意識はより高度な状態に変容していく。この意識変容をカバラの「生命の木」という地図に当て嵌めていくと、次元観察子ψ1はマクルト(王国)、、、ψ11はケテル(王冠)となり、以下のような対応となる。

カバラオコツト

また、それぞれの次元観察子が占める位置は以下のように区分化される。

ψ1=プレアデス
ψ1~ψ4=人間の意識次元
ψ5~ψ8=変換人の意識次元
ψ9~12=真実の人間の意識次元
ψ13=オリオン


ここでいう「真実の人間」とは、カバラでいうところの性別もなく多くの魂からなるグループ魂=「原始の人間」であるアダムカドモンのこと。人はアダムカドモンから多くの自我に分裂して物質界に降りて来て、再び集約してアダムカドモンに帰り、自らが創造した世界を経験を通して知る。

ラピ。師匠の「悟り」はψ3(主体)とψ4(客体)の等化したψ5の状態。次にはψ6(自己)とψ7(他者)の等化が控えているのですが、ここはψ8のダアトと呼ばれる隠されたセフィロト。

覚醒したとされるイエスや釈迦でさえ「ψ8」のダアトというセフィロトの位置にいたに過ぎず、「真実の人間」の意識次元の入口(変換人の出口)にいるに過ぎず、人間意識で覚醒を垣間見た状態。まだまだ意識変容には先があるのです。釈迦並の悟り(大悟)を得たダンデス・タイジやEO師が早くして亡くなったのも、ダアトという隠されたセフィロトに留まることで「虚無」を感じ、宇宙原理を呪い「虚無」に飲み込まれたからかもしれません。

ちなみにシリウス領域は変換人の意識次元ψ5~ψ8(ピンク枠の領域)。人間と変換人との間には「自我」という意識のハードルが横たわっているのです。これを超えるのが「激流」でしょうか?
※ψ5が「小悟」でしょうか。

スマル(虚無)とはシリウスの裏側でもあり、ψ8の隠されたセフィロト「ダアト」でもある。「監獄アズカバン」で長らく服役生活したのが「シリウス・ブラック」であるというのもこの図から納得がいく(笑)。

ブラック

4つの極みは構造的には十字架のようになっている。十字架の上方が「オリオン」で、大地に刺した部分が「プレアデス」。また十字架上のイエスが「シリウス」であり、十字架の裏側が「スマル」という構造。

聖十字架00
(シリウス・ブラックがイエス似なのは偶然?)

以下はネタですが(笑)、これを東三川に当て嵌めてみると、、、、

ホクマーのセフィロトがψ10の十尾の成十(ナルト)状態であり、その前がψ9の白面金色九尾(調伏されたジャッカル=ダキニ真天)となるので、ここが「豊川稲荷」を指すだろう。また、その上が▽と△がψ12とψ11のゼロポイント直前状態となっているが、、、

それは、、、豊葦原瑞穂国中つ国(ミドルアース)の豊橋

ここはハリポタシリーズでもアジアで唯一プロ・クィディッチ・チーム「トヨハシ・テング」のいる場所であり、魔法界でも有名な地でもある(ふふふふ)。

toyohasihi_20121004221418.jpg
(豊橋市章、、、穂の国だす)

そうなると、最上段のオリオンは、当然、東海三神山の蓬莱山(鳳来寺山)、方丈山(本宮山)エイ州山(石巻山)の三ツ星となる筈ですね。ちなみに、この三神山は東の地平から昇るオリオンの三ツ星として暗喩され、オイラの家紋の「左三階松」でも表現されている。エジプトのギゼのピラミッド群もオリオンの表現ですが、聖書のイエス誕生を礼拝した「東方の三賢者(マギ)」もまたオリオンの暗示なのです。エヴァのターミナル・ドグマには「カスパー」「バルタザール」「メルキオール」からなるマギ・システムが安置されていますが、かつて先進の大陸文化を持った徐福国であった日本のターミナル・ドグマである東三川にも「マギシステム=東海三神山」が安置しているのです。

三川三階松
(まるでチューチュートレイン!)

この三神山の麓の大海地区には天武天皇(大海人皇子)が、額田郡の額田女王を妃に貰い青年期まで住んだところであり、また即位後、遷都(皇帝が常住する都=京城・皇都と行政の都=陪都・留都の複都制)しようとした地「新城(ニイキ)」でもある。

また、この地は本当は天武第一皇子の文武天皇(高市皇子)が奈良県橿原市(かしはらし)に日本史上最初で最大の都城「藤原京」を造営する前に雛型的に造った「不死原京」のあった近く(豊川市星野辺り?)でもあり、更に遡れば照山近くには景行天皇(倭讃)の「高千(仙)穂宮」があったとも云われる。また「真実の人間」アダムカドモンを暗喩させる鳥居強右衛門(スネエモン)の磔刑地もあるのだす。(ふふふふ)

■鳥居強右衛門(Wiki)

Torii_Suneemon.jpg
(日本版走れメロスの鳥居スネエモン)

「変換人」と「真実の人間」の間に立ちはだかるのが集合的無意識という分厚い意識層。ここを変換人の意識層が突き破る時が「位置の等換」で、天変地異が起きるが、この文明も無事ではないという。

この意識の境界線が大魔神コード「22」で表されると睨んでいるが、あらゆる下層意識をここで貯め反射する想念反射層でもある。それ故に過去の全ての情報が留まるアカシック・レコード(阿頼耶識)でもある。過去生の記憶も、過去と似たようなことが起きるのもここでの型の共鳴が原因。ここを超え「23」に行き太陽の国へ行くことが辻麻里子著の『22を超えていけ』ということですね。(ニヤリ)

そういえば、創世記22章は「イサクの燔祭」のエピソードが記されていますが、この故事が諏訪神社の「御頭祭」として封じられたのは、民族の太古の記憶として残されたのだという。やはり「22」とは集団的無意識層の暗喩でもあった?

現在、人間の意識次元にいる我々は最終的にはオリオンに向けて意識進化していくのですが、当面は変換人の意識次元であるシリウス領域に向かって進むのが筋道となる。しかし、シリウス領域に行けるのが全体の3分の2、スマルの「虚無の世界」へ行って しまうのが3分の1だとも云われる。スマルに吸収されると魂は分解され消滅してしまうとも、、、

やはり、合言葉は「シリウスに向かって飛べ!」(byナウシカ)になるでしょうか。でも、オイラは皆を見送る側にいるだす~。

NO NO NO

なんか急にブログ書けなくなっただすな(滝汗)。

今までなら延々と書くようなネタは、今もいっぱい持っているのだすが、何故か「つまらん」という思いが先にきてしまう。途中で書いてあるボツ記事も既に6件に達している。これも妹子の眼の移植をして「永遠の万華鏡写輪眼」を手に入れた故の現象なのか? 今までは似ているとか、語呂合わせ的にしてサーフィン的な話の展開をしていただすが、なんかもっと核心を突けないだろうかと、、、、それには情報不足が否めないという感じだす。
※本当にリアル世界で移植手術したわけではないだすよ~。心配して下さる方いて申し訳なかっただす。

まぁ、少し癒しの音楽でも聞くだすか。

曲は妖精系アイドルを続けるAPINKだす。



悲しまないで NO NO NO

胸に響くだす~

覚醒メカニズムと福音伝道

ここのところブログ内容が大きく舵切りしているのが分かるかと思いますが、今後はこの覚醒視点をメインに据える方向性でいこうと考えている。で、オイラは師匠たちの福音(ゴスペル)を述べ伝える最初の福音伝道者(エヴァゲリオン)になろう。

つまり、エヴァンゲリオン初号機とはオイラのことなのだ~す(爆)。

で、その初号機の覚醒(悟り)はいつか?
それはサードインパクトが起きる時とだけ言っておこう(ふふふふ)。
今はビーストモードを発動させないよう抑えておかねば、、、

覚醒03
(天使の輪とは頭頂チャクラが開いて、そこに自己が居る状態を示している)

覚醒(悟り)といっても、禅的な悟りと釈尊の原始的な悟りとは違うと言われる。前者が「自我の発動を抑えて【楽】に生きていく境地」なのに対し、後者は「自我消滅で【楽】と感じる自分さえいない境地」。どちらがより高度な覚醒状態なのかはハッキリしていますね。この後者の状態に至ったのがEO師だと云われていますが、EO師の覚醒直前状況は「自殺」一歩手前という追い詰められた状態になっており、誰しもが到れる道筋ではない。

ラピ。師匠系でも覚醒の前には「激流」を渡らなければなりませんが、激流中は満足に体を動かせない程だといい、それはEO師の辿った道のように過酷なのかもしれない。第1の実践でワクワクを使い「善玉エゴ」を強化するのですが、これが不完全なものである為、必ず行き詰まりが発生し自然と目の前に「第2の扉」が現れてくるという。

その「バラルの扉」(神の世界への門)を開け、第2の実践という「激流」を渡り切ると絶対世界(彼岸)。

ここに至ると最初は満足に体を動かせないという。というのも、自我が体と一体化して動かしていたのが、この作用元が無くなってしまったから動かせなくなる。覚醒するのも意外と大変なことではある(滝汗)。ここが当面の最終目標地点になるのですが、ここに達したいと強く思えば思うほど到達出来ないというジレンマが存在する。そう強く思う自我がある限り自我が決して消滅しないからです(あはは)。

天国の門01
(フィレンチェ・ドゥオーモ前にあるサン・ジョヴァンニ洗礼堂の「天国の門」)

で、鍵コメで覚醒の件を心配して下さりました。
(ありがとうございます。m○m)

>何だかグルジェフ関連を語っている人いるけど... 
>7年は笑えなくなると思うからヤッズさんの(笑)が見れなくなってしまう(笑)


オイラも覚醒に関しては、以前から調べてますので虚無に陥ってしまったという人の話も聞いたこともあります。7年笑えないとはこの虚無に陥った状態なのでしょう。また想念が奔流のように流れ込んで来た体験もしていますので、あのような自体になることは二度と勘弁という気持ちもあります。師匠に付かない独学実践の場合、こういう危険性がありますね。

で、この笑えなくなる件をラピ。師匠に聞いてみたところ、、、

>泣くことも笑うこともあるよ
>だけど泣く人笑う人はいない
>泣く、笑う、そのもの


つまり自我が消滅し「自分」という存在がないから「笑う人」「泣く人」という認識がないだけで、喜怒哀楽はあるようです。まるで感情が体だといわんばかりの表現です。実際に覚醒したとされる状態で感情表出ができなくなった人もいますが、それは内面が「空っぽの状態=虚無」の状態であるからそう感じられるだけであり、逆に言えば「空っぽ」と感じる「自我」がまだ存在するということ。この状態では本当の覚醒(彼岸に至った=自我の消滅)に至ったとはならないようです。少し安心しました。

では、グルジェフワークだとそういう風になるのかな、、、そういやぁ、以前にグルジェフワークについて記事書いたことありました。

■グルジェフ(2009-06-16 煩フル記事)
http://aioi.blog6.fc2.com/blog-entry-1059.html

う~む、いいこと書いているなぁ、、、
オイラは完全に忘却の彼方でした。随分、オイラは劣化している(あはは)。

超長いのでポイントだけを記すと、、、

******************************************
■覚醒のメカニズム
覚醒に必要なこととは何でしょうか?

グルジェフは、それは「自己観察」だといいます。

感情想念層にはエネルギーが渦巻いて満ち溢れていますが、その放たれたエネルギーのボルテージをもっと高め、それを眠っていて活性化されていない高次の感情想念層にまで到達させ、そことリンクさせることで、人はより高い意識状態へ遷移していき、やがて「覚醒」に至るのだといいます。その導き手が「自己観察」です。

私たちの意識は通常外界に向けられており、それに対する反応が脳内で始終湧き上がっている状態ですが、こういうことにエネルギーを消費してしまっているから、折角、発生したエネルギーが高次の感情想念層に届かず活性化しないのです。「自己観察」はこの発生したエネルギーをより高次の感情想念層に導いていきます。

つまり、この脳内おしゃべりが、感情想念層で発生させている初源的なエネルギーを弱めてしまう心理的な「緩衝器」(クンダバッファー)の働きをしているというわけです。人は誰しもこの「緩衝器」を持っており、例えば、仕事上での失敗も「あいつが悪い」と自己正当化することでショックを和らげています。これが「緩衝器」といわれる所以です。失敗した時ほどアレやコレやと脳内おしゃべりが多いのは、こういう理由からなのです(笑)。

スピ系は別名「癒しのワーク」といいますが、実は、今、行われているワークのほとんどはこの理論からかけ離れた所作となり、覚醒から離れていくことになりそうです(笑)。

この「緩衝器」は自動車でいうところの振動を軽減するダンパーやショック・アブソーバーに相当するといえるでしょうか。この「緩衝器」が無ければ、大八車のように地面の凸凹が乗員にモロに直撃し、とても耐えられるものではありません。

しかし、この心理的な「緩衝器」を取り去って、湧き上がる感情をそのままダイレクトに受け取り、観察し続け、意識エネルギーをより高次の感情想念層に流し込みはじめと、ついには覚醒に至るといいます。

R・シュタイナーによると、この苦痛が大きければ大きい程、多ければ多い程、自己の感情想念層はもがき苦しみ、その苦痛に耐えるように自己浄化でバランスを取ろうとします。この耐性が増した感情想念層はやがてネガティブをも感じなくなりますが、このように純化した感情想念層を「霊我(マナス)」といい、この領域に自己が入りその周囲に霊的感覚器官を構築していき、機が熟すると肉体という殻を脱ぎ捨て感情想念層を最下部のボディとする新しい生が始まるといいます。

ちなみに、この「霊我」に自己が入って自己観察している状態が「覚醒」です。

霊的感覚器官がもたらす情報は、冒頭の例で示した「自己実現」「意識拡大」「宇宙的真理」「絶対幸福」という物質世界から得られる情報とは著しく異質のものです。この情報を認知するには霊的感覚器官の育成が必要です。グルジェフのいう「緩衝器」を取り去って感情が発する様々な情報をダイレクトに敏感に受取ることは、即ち、霊的感覚器官の育成に他ならなかったのです。

******************************************

この「霊我」(マナス)を構成する「純化浄化され耐性が増した感情想念層」が、カバラでいうところの自我を覆い尽くし、その「受取の意思」の働きを無効化させる意識の膜「マサップ」と同じことなのでなないか。この中に入ると自我の「受取の意思」である「ああしたい」「こうしたい」「あれ嫌だ」「これ好き」という思考が全く響かなってしまい、意思自体が無効となって機能停止となり「自我消滅した」と認識されるのだろうと睨む。

肉体レベルで自分を指すのが「自我(エゴ)」であり、精神レベルで自分を指すの「霊我」と呼ばれる。R/シュタイナーによると、やがてヒトは「肉体-エーテル体-アストラル体-自我」という構成から、肉体の殻を脱ぎ捨て「エーレル体-アストラル体-自我-霊我」という構成になるという。そして、更に生命霊、霊人と、、、ヒトの意識進化はまだまだ続く。
■物質体・・・所謂、肉体
■エーテル体(生命体)・・・生命力・記憶力を持った部分
■アストラル体(感覚する魂体)・・・感覚・衝動・本能・情欲を持った部分
■メンタル体(悟性魂)・・・高次な思考力を持った部分、自我によってエーテル体が変化したもの
■マナス体(霊我)・・・自我が、衝動・欲望・情欲を支配した度合いに応じて、霊我がアストラル体の中に現れる「私」という形成されるもの、自我によってアストラル体が変化し純化されたもの
■ブッディ体(生命霊)・・・直感の体、自我によって生命体が変化し純化されたもの
■アートマ体(霊人)自我によって肉体の一部が変化し純化されたもの、霊体の皮膚みたいなもの


グルジェフは不断なく自己の限界を突き進むことを「超努力」と言っていますが、これはラピ。師匠がいう「とことん」と同じですね。やはり「修行層」並にならねばならぬのか、、、、この「超努力」で脳の中枢(センター)と連結した小さなエネルギー蓄積器から、もっと大きな蓄積器に繋ぎ替えが可能となるとグルジェフはいいます。このようにグルジェフワークとTK祖師&ラピ。師匠の方法は要素要素の説明は代用出来ますが、プロセスというか進め方は幾分異なるという感じがします。

その最たるものが「下から」(自分を最も低い者とする)とエゴを激流の筏にするでしょうか。

とどのつまり、「激流」とは、この「純化&高耐性化した感情想念層(マナス、マサップ)」に自己を入れ込む際に起きる劇的な現象に他ならないと睨んでいる。今までは肉体レベルの低い感情想念層(アストラル界)に自我(エゴ)と共にいた自己(観察精神)が、より純化され異質な状態の高次の感情想念層に移っていことが次元上昇であり、それには強い意思力がいるというわけです。
※外界に行くほど低次であり、内側に行くほど高次。つまり高次は低次に取り囲まれた球状の状態になっている?

そして、「バラルの扉」を開けた後、内部の迷路を抜け出す道が「下から」であり、流されないようにエゴを筏にして到達するというわけです。そして、渡り切った後はエゴは消滅となるのですが、オイラは筏に使ったエゴは無くならず器だけが残り、マナス内においては本来の機能が発動しない状態になったのだと見ている。自我の中には相変わらず自己が入ったままであり、これが「自己-霊我(マナス)-自我-アストラル体」という構成を持つ新しいヒトだと睨んでいるわけです。

肉体レベルの場合は、肉体上に形成された感覚器官を通じて取り込んだ情報をエーテル体で反射させ、その反射を自己が認識しているのですが、新しいヒトの場合は、アストラル層の感覚器官を通じて自我に反射させて自己が認識するように変わっていく。まぁ、その時には肉体の殻を脱ぎ捨て、アストラル体を最下層のボディとしてしまう時なのだが、、、これが「生命の木」の実を食べた状態であり、「人類補完計画」が完成した時でもある。

今も信長は生きている

移植手術した眼「永遠の万華鏡写輪眼」も随分見え始めてきましたが、まだまだ彼岸(絶対世界)からこの此岸(相対世界)を透徹して見る機能までは備えていない。この眼を使った瞳術の真価発動は彼岸という「激流」を渡り切った時になるだろうが、で、ここは眼のリハビリを兼ねて「本能寺の変」を再び洞察してみようと思う。
(ブロク休止宣言では御心配お掛けしました。m○m)

信長というのは日本では傑出した天才であり異端児
このカリスマ性に惹かれる人が多い。

日本の二大英雄の一人に数えられるが、もう一方の雄・坂本龍馬がサッスーン財閥の代理人クラバーのパシリの武器商人(死の商人)過ぎないのと比べ、そのスケールの大きさは比べるべくもなし。これ以上書くと武田鉄也が怒り心頭で襲いかかってくるかもしれないので、この辺で止めておくが、、、(笑)
※明智光秀の謀反で最終的に家康に転がり込んだ徳川幕府は明智光秀の末裔・坂本龍馬によって大政奉還し幕を閉じた。明智に始まり明智に終わったのが徳川幕府という点も興味深い。

信長のいい面は既成概念に囚われない革新性に尽きる。

■戦国時代のファッションリーダー
信長の行った京都馬揃えは。1~2万人を動員した趣向を凝らしたもので、今でいう「東京ガールズコレクション」と「ディズニーパレード」を足したようなもの。


信長02信長01

今、アニマル柄が大人気ですが、アニマル柄は関西のオバチャンのアイデンティティ。そのDNAは京都馬揃えのファッションショーを主催した信長によってもたらされたものだとオイラは睨んでいますが(笑)、信長のファッションセンスは450年先を先見していたのです。

アニマル柄

関西おばちゃん
(現代のカブキ者、、、信長の憑依体)

■革新的な兵器や戦術
長篠の戦いで見せた火縄銃の「3段逆スライド方式」。史上初の鋼鉄船の建造。兵農分離を最初に実現し常備軍として機動力を高めた。

■楽市楽座
既得権益だった「市」や「座」という自由取引市場を創設。近江国の六角定頼が始めたことだが、信長もこれに倣い導入。信長の楽市楽座は一見上は規制緩和を掲げながら、実態は領主による新たな商業統制策であって江戸時代の幕藩体制時の商業統制の先駆け。このように経済の活性化を図り、同時に領国の経済基盤を商工業からも得られるようにしたのです。

■涙を誘う「山中の猿」エピソード
浅井・朝倉の漆を塗ったドクロ杯、一向一揆弾圧や延暦寺焼き討ち...等で冷血なイメージの信長ですが、妻や子へ愛情深く、秀吉の妻ねねに対しての慰め手紙など、その人間性も不思議なものを持っている。『信長公記』に記されるエピソードですが、美濃・近江の国境の山中というところにいたカタワの乞食に対する信長の行動は非常に慈悲深い。上京・下京の際に目にしていた山中の乞食のところに信長は急に出向き、木綿20反をこじきの猿に与え、この反物で乞食の小屋と食べ物を与えるように村人たちにお願いした。

■傑出した構造と外観を持つ安土城
左右反転させた清涼殿と同じ建屋(本丸御殿)を持ち、天主内部中央部に設えた宝塔には仏舎利を収めた壺が安置された吹き抜け構造。また城内には堂塔伽藍を備えた寺院摠見寺が建てられている。天主という高層建築物に住居とした日本人は信長が初。


azuti.jpg
(安土城の外観)
安土城01
(安土城の構造)

ルイス・フロストが絶賛した岐阜金華山下の信長居館は4階建ての南蛮風劇場型の館であったことが分かっていますが、これを更に大きく上回るのが安土城。

この信長の分身でもある安土城は信長の理想を具現化したエゴの塊のようなもの。城の構造を見ればわかりますが、清涼殿に似た本丸御殿に天皇を住まわせ、自分はその上の天主に住むという構想。信長の野望とは天皇から治世権を与えられるのはなく、その上に君臨し、さらには中国大陸に攻め入って東アジアの神となる構想。これをイエズス会は危険視していた。築たった3年で、本能寺の変と同時に焼け落ちてしまい現存しないのが非常に残念ではある。

核物理学の用語に「対消滅」というのがありますが、これはプラス電荷を持つ「陽子」とマイナス電荷を持つ「反陽子」が衝突した際に100%の変換率でエネルギーを発生して物質が消滅してしまう現象。通常の核分裂でのエネルギー変換率は数%しかないのですが、それでもあれほどの莫大なエネルギーが放出される。このことから「対消滅」のエネルギーを使った「反物質爆弾」は究極の核兵器でもあるのです。シューメーカーレヴィ彗星の木星連続衝突は「反物質爆弾」の実験だったという。ソース元はウンモ星人だす~(爆)。

「本能寺の変」とは「対消滅」だった。

「本能寺の変」で信長は死に、光秀は「三日天下」と称されるように13日後に山崎の戦いで敗走中に農民の竹槍で死んだとされ、ほぼ同時期に2人とも亡くななって「対消滅」して消え去ってしまったのですが、そのエネルギーは再び集結して天海大僧正として結実したとオイラは見る。つまり、明智光秀はアセンション(次元上昇=意識変容)して天海大僧正となったと洞察している。光秀は「激流」を渡ったのです。確かに数日前に雨が振り、亀岡から京都に入るのに「激流」と化した桂川を必至で渡り切った。その思いは「信長は国の為成らず」という「正義」の意思力だったのだろう。
※実際の天海肉体は明智光秀だっただろう。語り部(影武者)は、明智光秀は土岐氏一族の妻木氏傍系の出自の可能性が極めて高く、明智も自称かも知れないと述べている。

天海とは、信長と光秀の変質合体だったのだす~ぅ。

実際に、天海はそう考えていたのかもしれません。
※天海はイエズス会と結託している京都勢力から江戸を守る為に、将門の怨霊を巧みに使って結界を張り巡らし、京都への地のエネルギーを流さぬようにした。また家康は崇伝に命じ「禁中並公家諸法度」を制定し法律面からも京都勢力の跋扈を抑えたが、これも京都勢力に裏切られた光秀=天海のアドバイスに従ったからだろう。

秀光は国体崩壊という事態を防いた「皇統奉公衆」の1人ではあったが、今まで信長公に絶対恭順化してついてきた秀光に主君殺しという所業は、一体、どのくらいの心の葛藤があったのだろうか。この十字架を背負っても尚、主君殺しに邁進した秀光はきっと彼岸の者に至ったに違いない。単に「謀反乱心」という言葉では片付けられないものがあったと睨む。

謀反に至る先駆的な出来事は、やはり信長の力を借りた足利義昭の将軍就任実現とその後の傀儡化。ここで光秀は自分の理想と食い違いが発生している。この二の舞が天皇に対しても行われると光秀は見ていただろう。

また、信長が天下統一後に邪魔となる家康を早々に排除する為に信長は家康暗殺を計画。その実行として光秀を安土城での家康接待役に任じて暗殺を企てたが、用心深い家康を暗殺出来なかった(腐った魚を出して信長に足蹴にされた件。多分、魚に毒を仕込んだのだろう)。信長の場合、1度失敗した者にも挽回のチャンスを与えるが2度目の失敗は許さない。今度は堺見物と終えた家康一行を本能寺に立ち寄らせ、ここで光秀軍1万3000が撃つという手筈だった。しかし光秀はこの謀略を堺にいる家康一行に伝え、家康は伊賀越を決行して三河にトンボ返り。光秀は時間をズラして本能寺を急襲したというのが歴史の真相だろう。

だが、この背後には銀本位制を継続したい蜷川・角倉・吉田神道の金融マフィア一族、そのパトロン藤原摂関家、中国利権を奪われかねないイエズス会、美女・童を囲い堕落していた延暦寺を焼き討ちされた仏教勢力...こうした者たちの利害が「信長排除」で一致していて、背後から光秀の行動をコントロールし誘導していたとオイラは睨む。

清須会議を経て、後を継いだ織田家臣団の雄・羽柴秀吉もバテレン追放令を発令し、ルソンのスペイン総督府(イエズス会の拠点でもある)に対して臣下になるよう再三要請したことから、秀吉も巧妙に半島侵攻に誘導され体力を削がれ消滅させられた。秀吉はこの誘いに乗る形でしたが、彼の真の構想は「帝には北京を中心に四カ国、公家の連中にも向こうで一国ずつ進上し、日本は秀吉の国となす」というものであり、要は大陸から来た支配者層の追い出しだった。彼ら影の支配者勢力(本当の国体)が次に選んだのが徳川家康。家康は彼らの利権を限定的に温存する形で長崎出島だけを貿易の窓口限定したが、金銀サヤ取りは止まらず、戦国期からの金の流入、銀の流出、国内問題から銀貨の含有量の変更で、今度は金の流出・銀の流入という風に戦国時代から徳川幕府末期までずっと国富が海外流出していた。信長が「金本位制」にして海外と同じ交換レートにすることに拘った理由がここにある。

天海大僧正が建築を指揮し初代住職になった日光東照宮の陽明門、また東照宮の雛形である秩父神社拝殿には2体の像がありますが、この像の袴が明智の「桔梗紋」ではないかと云われています。しかし、よくよく見るとこれは織田の「五つ木瓜紋」の方が遥かに似ている。さらに注意深く見ると紋は「明智桔梗」と「織田木瓜」の合体になっていることが分かる。これが織田信長と明智光秀が「対消滅」して、ゼロポイント的に誕生したのが天海であるというオイラの証左(爆)。
※平将門を討ち取ったのは藤原秀衡ですが、秀衡に内通し弱点と本人の特徴(影武者が7人いた)を教えた将門の愛人・桔梗姫。これ故に江戸では桔梗を嫌う。将門を祀る神田明神では桔梗を家紋にする者は参拝出来なかったと言われる。このように桔梗は将門の怨霊封じの側面がある故にあちこちに使用されたという見方もある。このことからも東照宮の紋は将門の怨霊を及ばせぬ為に木瓜ではなく桔梗である必要があったと思うが、京都勢力の呪縛を抑える為にも「朝敵」信長を表す「織田木瓜」を使ったと考えられる。これが天海とは織田信長の憑依体であると考える理由の1つ。

日光02
(日光東照宮陽明門の随身像)

織田木瓜紋
(織田木瓜紋)

桔梗紋
(明智桔梗紋)

事実、「女信長」を演じていたのは天海祐希!!!
※宝塚入団1年目で新人組主役抜擢、7年目でトップスター、その2年後に退団(通常5年はトップで在籍)とす生成のように現れ彗星のように去っていった、、、最終講演で翼を付けないとか、ファンクラブで説教するとか、ファン全員にグラスを贈呈とかの逸話があり、信長的な部分を感じさせる。

女信長
(視聴率1桁とは悪夢だっただすな。オイラも観てませんが、、、)

ここでも「近しさの法則」炸裂。
やはり、信長+光秀=天海だったのだす(爆)。

上杉謙信が女だったという説は根強いが、実は信長も女だったと主張する説もある。優秀な子孫が存続に不要な天皇家は貴種を尊ぶ「男系」であり、優秀な男子を婿に迎えて家の安泰存続を図る武家は「女系」が主流だったという話があり、ここから「信長は女だった」という説もあるのだす。女ならではのファッションセンスがあのような衣装を身に付けさせていたという洞察。

■真実の日本の歴史
http://www.link-21.com/history/src/004.html

信長女説、、、オイラは信じないだすがのう。

Oda_Nobunaga-Portrait_by_Giovanni_NIcolao.jpg
(本当の信長はこのような顔をしていた。このオッサンが豹柄の羽織を着ていたのか、、、)

根本の理解不足とは?

どうもTK祖師からコメがあったようだ、、、

> うーーん。
> 根本的なところで理解不足というか、齟齬をきたしているというか・・・。
> ヤッズさんはもっとお分かりになってると思っていたのですが・・・。



根本の理解不足!!!

この言葉が脳内にガンガン響きます。

や、やはり、、、立可尿を喩えで出したのがマズかったのか?(滝汗)

アレは男であるオイラには「意味のないもの」だっただす~(叫)

う~む、齟齬のある根本部分がイマイチよく分からないので、もう1度ラピ。師匠の掲示板を精読させて頂き、今度は読むだけでなくテキストデータとしてエクセルに取り込み、似た内容を分類しながらまとめ挙げてみた。

オイラが思うに齟齬のあるのは「激流理論」のところだと睨む。

どうも織田信長の「本能寺の変」の戦いという喩えに引き吊られて、どちらかが勝つか負けるかという観点になってしまっているキライがあるが、多分、下記の文章(太字)が齟齬のある部分だろう。で、それに対し詳細な修正を加えてみた。

■「激流」(エゴとの最終決戦ハルマゲドン
■自我(エゴ)に打ち勝つことができ

→「激流」は確かにエゴを無くす戦いではあるが、どちらかが一歩的に勝つというものではなく、エゴを「消そう(勝とう)」とすること自体が逆にエゴを強化してしまう。それはそういう思いを持つのがエゴであるからだ。また強い者と弱い者という相対関係の「阿修羅の世界」。これを回避する唯一の方法が、エゴの特性「自分の為」というベクトルに対し「人の為」という真逆のベクトルをぶつけて中和させ「善玉エゴ」「悪玉エゴ」の両方共に「対消滅」させる。「激流」とはこの中和化の不断連続の実践なのであろう。で、この中和現象は全く他のものに変わってしまうゼロポイント的な止揚(アウフヘーベン)なのかもしれない。そういえば、明智光秀も「三日天下」で対消滅してしまっただすな。ならば「自我(エゴ)=織田信長、真我=明智光秀」としたのは間違いで、比喩するなら「悪玉エゴ=信長、善玉エゴ=光秀」とした方が良さそうだ。

■「感謝」というツールを手にすることが出来て第2段階を突破しやすくなる
→「突破しやすくなる」のではなく、これが唯一の「筏(いかだ)」、突破するための武器。これ以外のものは役立たない。
※「感謝」=「下から目線」=「外が正しい」=「人の為」は同じ属性

パンパンに膨れ上がったエゴに対し拮抗するには「完逐する」という強靭な意志力が必要
→パンパンに膨れ上げるべきは「悪玉エゴ(自分の為)」ではなく「善玉エゴ(人の為)」であり、高い理想を掲げたワクワク時に「悪玉エゴ」の存在を端の方に追いやってその力を弱めておく。どうも信長フェチ故か無意識に「強い信長」を志向してしまい「悪玉エゴ」をパンパンに最強魔王化させてしまっていた(滝汗)。やはり「本能寺の変」と喩えにすべきではなかったかも、、、ただ、本能寺宿泊時の信長が丸腰に近い警備状況にあった点は「悪玉エゴ」の力を弱めているのと同じかな~(まだ言っているw)

第六天魔王
(第六天魔王=悪玉エゴなのか?)

あと齟齬がありそうなのは、、、内と外が逆転する変換人だろうか?

彼岸に至った人の状態は「内も外もない」という状態。これは「内と外とが逆転」する変換人とは明らかに違う状態を示す。変換人はTK祖師やラピ。師匠が至った先ではないとなる。

これぐらいかな~ オイラが、今、思い付くのは、、、
後はその内分かってくるだろうて(あはは・涙)

あと以上のことを書いていた時、ふと思い付いた内容があるので、ここにメモ的に記しておく。

「下から目線」が激流を渡るポイントだといわれるが、何故「下」なのだろう? オイラの思い付いた考えはこうだ。エゴは「受取」を積み重ねていくことで段々とその器を大きくしていく。また、生存欲(性欲・食欲)から金銭欲、名誉欲を経て知識欲という受取の進化過程を経てより形而上的なものまでを「受取」できるよう質的にも変化していく。

これがエゴという心の正体ですが、このエゴの発生する起点は積み重ねられたものであるが故に心の最下層にある筈であり、ここがカバラでいう「心の中の点」といわれる部分。ここにアクセスするには、エゴが「自分の為」「自分が上」という心が積み重ねられ形成されたものである為に、ベクトルが180度真逆な「下から目線」「感謝」「外が正しい」「」という態度をとることで、このエゴの下層部へと深く潜行することが出来るのではないだろうか。この1層1層を「対消滅」させて最深部の「心の中の点」に到達し、そこから外部の意識領域に出て行く、、、これが彼岸に至ることではないのだろうか!?

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