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最強の祝詞

最強の祝詞は「生かして頂いて、、、」だという説もありますが、少し卑屈になってしまいそうなのと変換人型ゲシュタルトとは明らかに反するので、やはり、ここはシンプルに、小林正観さんの「ありがとうの法則」や五日市剛博士がイスラエルのおばあさんから「ツキをよぶ魔法の言葉」でも有名な、、、、

ありがとうごじゃいます

が「最強の祝詞」認定ですなぁ~。


(話題の韓国ラッパー)

※註 五日市剛さんがおばあさんから教えて貰ったのは、災難が降りかかってきたら「ありがとう」、反対にいいことが起こったら「感謝します」という。そして、決して怒らず汚い言葉は絶対に口にしないこと。それは自分に返ってくるという。これは「外界=自己内面」という変換人型ゲシュタルト(認識)から充分納得のいくことです。

小林正観さんの「ありがとうの法則」は、年齢×1万回以上の「ありがとう」を唱えると素晴らしいことが起きるというものですが、単に連呼するのはあまり好きではないで(ハッキリいって苦行ですw)、上記の歌を口ずさむのがいいかもしれません。

当然、首振りも忘れずに!


「ありがとうございます」という言葉は不思議な力を持っています (ありがとうおじさんの本)「ありがとうございます」という言葉は不思議な力を持っています (ありがとうおじさんの本)
(2003/06)
ありがとうおじさん

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不破道

今回はチトまじめに書きます(爆)。

『日本書紀』の天武記には、「初美濃師三千人、得塞不破道」とあり、大海人皇子(天武天皇)が壬申の乱(672年)勃発の2日前、6月22日に使者を出し、安八磨郡(安八郡)の湯沐令(ゆのうながし)の多品治に兵を挙げて不破道を塞(ふさ)ぐよう命じ、これを受けて25日までに美濃の兵3000が大海人皇子のために不破道を塞いだと書かれています。
※註 湯沐邑令(ゆのむらながし)とは、飛鳥時代から平安時代までの日本で一部の皇族に与えられた領地のことで、多品治とは大海人皇子の湯沐邑令の管理者ではないかと考えられている。

この「不破道」は東国への要路である東山道(後の鎌倉街道)のことだろうと云われ、この要路を人を大量に投入して「街道を閉鎖した」というのが一般的な見解です。この街道の要所の閉鎖により、大和から東国への行き来が出来なくなり、大友軍は兵の移動がままならず、これ故、壬申の乱での天武軍の勝利に大きく貢献した原因の1つだと考えられています。

更に、「不破を塞ぐ」とは、「不破」の地、岐阜県不破郡関ケ原にあった関所「不破関」を封鎖したのだと確定的に捉えられているのです。

でも、本当にそうでしょうか?

日本書紀には「不破」「不破道」「不破宮」という言葉は出てくるのですが、「不破関」という言葉は一切出てこず、「不破」と「関」(関所)とは無関係であることが分かってきます。つまり、当時、関が原に「不破関」は無かったと考えられるのです。8世紀には不破に関所があることは分かっていますが、そこは「美濃関」と呼ばれ、「不破関」は更に後年になって付けられた名称ではないでしょうか。

■関ケ原は不破関でない
http://www.geocities.jp/hidesxima/_t7gnibM.htm

岐阜県安八郡の墨俣上宿には不破神社という神社がありますが、この神社の伝承には、壬申の乱の折、大海人皇子(天武天皇・東宮大皇弟)の「湯沐邑令」が尾張・伊勢・桑名から安八評にかけて存在し、この為に美濃尾張一帯の豪族が大海人皇子のために衆参し味方した際の詳細が述べられています。

不破桑名
(大津京は白村江の戦いで負けた天智天皇が防衛の為に遷都 守りには強そう)

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大海人皇子(天武天皇)が足の疲労の為、「安八の湯」に浸かり気力回復して墨俣に差し掛かったところ、大友皇子(弘文天皇=近江朝廷)は大海人皇子の軍の襲来に備えて長良川・木曽川の船を全て徴用して軍備を固め、兵を集めていた。川の辺で洗濯している娘に渡河するために船を借りたいと大海人皇子は申し出たが、

娘 『このほど、朝廷の戦人が来て、反乱軍が船を使って、大津の都に攻め込むため、この辺りのすべて船をお目仕上げになりました。今にも御咎めの巡視が来るやも知れません。この盥を使って後ほど川をお渡りいただきますが、まずはこの盥(たらい)の中に身をお隠しあそばせ』と言上。

このような状況下であったので、大友軍の監視兵によって発見されるのは時間の問題だった。

しかし、娘の機転によって、大海人皇子は洗濯物のタライの中に隠れて大友軍の監視兵の発見から逃れ、そのままタライで河を渡り、今度は遠回りして伊賀、鈴鹿より自領である美濃に入った。安八評の湯沐邑令の多臣品治に告げて兵を集め、不破道より近江に入り、大友皇子を討ち滅ぼして飛鳥浄御原に即位された。この難を逃れたのを記念して建立したのが「不破神社」だといいます。


■不破神社について
http://www.fuwaiin.com/takehanajou-rekisi/fuwa-jinja-sunomata/sunomata-fuwa-jinja.htm
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この伝承の疑問点は以下の通り

1)既に大友軍は船徴用の為に関が原を越え、安八評(現・岐阜県安八郡)近辺に多量に入ってきている。大友軍は不破道を閉鎖され東国に来れなかったと反するが?

2)伊賀経由で鈴鹿より美濃に入ったというが、このルートだと先と同様、安八評を通ることとなり、これでは全く同じではないか?わざわざ遠回りする必要がないのでは?

3)「不破道」を閉鎖したとは、一切述べられておらず、あくまで「不破道より近江に入った」とだけ述べられている。

4)娘の言葉に「反乱軍が船を使って大津の都に攻め込む」とありますが、果たして、安八評から大津(琵琶湖の西岸)に船で攻め込むことが出来るのでしょうか?


これはいったいどういうことでしょう?
何か、今まで云われる解釈とは異なってくるのですが、、、、

天武天皇の頃の美濃尾張地方は、現在のような陸地の続く広大な平野部になっておらず、その殆どが海面に没し、点在する島があったことを考慮しないと、この謎は絶対解けません。

古地図
(古代の伊勢湾)

考えられることは、天武天皇は奈良吉野から伊賀を越え、鈴鹿からに乗り、美濃に入ったということです。この解釈ならば、鈴鹿という「不破(関が原)」と離れた地域には大友軍に徴用されていない船があり、それに乗ることが出来た為、当時は海辺だった美濃の湯沐令にまで無事辿り着くことが出来たとなります。

更に、語り部情報では、昔、関が原はだったという。
※註 桓武天皇の治世の745年、南宮山は隆起し関が原は陸地化したという。当時、南宮山は孤島で松島と呼ばれていた。

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壬申戦(壬申の乱)に尾治大隅は東軍参加。
桑名から三野国松島の大隅別邸(岐阜県関が原・・当時海付近)
とを水軍行き交わせ東軍搬送し大役。

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当時の伊勢湾が上記の古代地図のようであったのなら、関が原が海辺であっても何ら可笑しくはありません。逆に非常に辻褄が合います。

ですから、記紀にいう「不破道を塞げ」とは、関所を閉鎖して通れなくすることではなく、関が原へたくさんの船で集まって「侵攻」する、まさに言葉の意味通りの「破れ目などを埋める・詰め物をする」という意味だったのです。歴史家が関が原を現在のように「内陸部」であると考える先入観から「塞ぐ」を「閉鎖」と誤って捉えてしまっていたのです(ニタリ)。

以上のことから、不破の名称の起こりをこう睨んでいます。当時、琵琶湖と古伊勢湾に挟まれた山間の谷道があって、それが関が原あたりで「不破道」だったのではないでしょうか。ただ、先は海となり行き止まりです。初期大王族が邪馬台国を撃つ際に、この山間の関が原を通って大和に侵攻したと語り部は言いますが、この地は大和地方の最大のウィークポイントであり、絶対破られてはならぬ場所ゆえ「不破」と呼ばれたのでしょう。ここを破られれば、それこそ「身の終わり(美濃尾張)」となる要害の地だったのです。だから、その故事を知る天武天皇は大量の船で一気に不破の地を塞ぐ戦略(強襲→強行突破)に出たのではないでしょうか。
※註 長浜には「葛籠尾崎湖底遺跡」という縄文・弥生の遺跡が湖底にあり、今よりももう少し長浜市の面積は広かったと思われる。

世の歴史家は完全に踊らされています。
「不破道」は船で「塞ぐ」ことは出来ても、元々が関所では無かったので、、、

「不破道 封鎖できましぇ~ん!!」

オダ

なのです(爆)。
さらに、語り部が語る内容では、、、、

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天武紀の「安八麿の湯沐邑」とは、扶余王族八人の倭旨、忌豊富(「忌部」氏祖)、倭得玉(「物部」氏祖)、倭武日(「大伴」氏祖)、倭仁、日奉益継、小治豊玉(宇佐氏祖)、美穂津媛の上陸地であり、本巣の(船来山)南長屋(使用例長屋親王)。国山田郡の小治田品治「多臣」管理赤鉄鉱製武器倉庫管理。「湯沐令」安八麿あわちま(安八)=淡路島。
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とありますが、一体、何のことかサッパリ分からないと思いますので、少し解説を交えてみます。

大和の邪馬台国と東三河の大漢国(君子国・扶桑国)の繁栄振りをみて日本が道教化(倭人化)してしまうのを危惧し、これら二国を殲滅する為に、丹波国の蝦夷(アイヌ=エブス人)の招聘に応じて、兄弟部族の初期大王家(扶余系スキタイ・カド族)が半島から日本へ渡来し、岐阜羽島に上陸してきたという。

この時やって来た者が上記の扶余王族の八名ですが、それぞれが各地に散らばり、物部・忌部・大伴・宇佐氏...等の古代の有力豪族となったといいます。その渡来時の描写が「宝船」と「七福神」となって今に伝わり、さらに扶余王族の八名は神話では「少彦名」として描かれたという。
※註 名前に「金」を付ける程に金好きであり、金を求めて大陸を行き来した騎馬民族スキタイなので、王族の乗る船は金箔で彩られ、さぞかし豪華な船だったと思われます。まさに「宝船」。

この初期大王家が渡来した地が岐阜岐阜羽島(橋島)ですが、かつて邪馬台国がこの地から攻められ滅亡したように、この地は防衛上重要な地域であり、ここを疎かにすると「身の終わり」となる程に要害の地であることから「美濃尾張」と呼ばれるようになったといいます。
※註 現在の羽島とは若干位置が異なるのだそうです。「橋島」は先が細長い半島で「タンネ橋」とも呼ばれていた半島。これを漢字化して「棚橋」とも称した。しかし、この半島は伊勢湾隆起の際に逆に陥没してしまった。現在、その伝承が日本海側の天橋立へ移動。

そして、天武天皇の安八麿の湯沐邑とは、本巣市だというのですが、この美濃本巣には船来山古墳群といわれる墳墓1000余基を越す美濃地区最大の古墳群があります。この古墳の出土物で注目なのは、通称トンボ玉とも云われる「雁木玉」(がんきだま)で、これは昔のネックレス玉のようなもので、ここから2個出土しています。

しかし、これは中国ペルシャあたりで作られたものであり、古墳時代(紀元300~700年くらい)の船来山に何故あるのかが謎なのです。また、ここで発見された3つ古墳の石室はベンガラで真っ赤になって、石室に赤い朱を使うのは東海地方では本巣だけだといいます。「雁木玉」以外にも「三角緑神獣鏡」「内行花紋鏡」などの「王者の鏡」も出土している為、かなり身分の高い方が埋葬されていたのだろうと推測できますが、誰が埋葬されたのか全く分かっていないのです。

雁木玉赤彩古墳
(トンボ玉と赤で彩られた石室)

■赤彩古墳の館
http://www.motosukankou.gr.jp/page1289.php

船来山の前までが海で「船来山」とは「船が来る山」だったのではないかと云われていますが、どんどん語り部の語る内容に真実味が増してきます。出土物から考えると、やはり、ここが渡来系の初期大王族の拠点の1つだったのは本当のようです。

また、本巣には長屋という地名がありますが、ここが彼らの上陸地点だという。

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弥奴国(三野、美濃)の橋島(現・岐阜羽島)の長屋より上陸し古東山道へ進入。(伝継体天皇の薄墨桜、本巣=元洲の南。長屋親王は初期天皇族の威信を掛けた名であり天武天皇の孫、文武天皇が父。山背大兄モデル。)棚橋、籠坂、長屋、板屋の各地名、名字は此の伝承に基ずく・・・海人のつまり海(天)の橋立。(聖書のモーセ五書の創世記28章12、13節借用)景勝地松島もあり7世紀本宮山化。関ヶ原陸地化。平安時代初期の海岸線は、帆巻山の麓舟津西の小木から北北西に伸び現在の大垣市浅草付近迄海。塩害減少に伴い平野に室町時代に耕地面積急増。国土北上に伴い徐々に「伊勢湾」面積縮小する。耕地隆起平野部に拡大。現在春日井市菅大臣町は小治田氏族菅原道真生誕地。
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この本巣には、継体天皇手植えの桜と云われる樹齢1500年の薄墨桜があります。所謂、「日本三大巨桜」の1つですが、1500年という古さには驚きを感じますね。記紀では継体天皇は若狭にいたことになっていますが、本当にそこにいたのでしょうか?どうもこの本巣にいたのではないかと思うのです。語り部によれば、継体天皇とは初期大王家に婿入りした百済系後期大王家の倭武の弟王倭継だといい、この本巣という初期大王家上陸地に継体天皇手植えの桜があること自体が、倭継がここにいた証ではないでしょうか。
※註 日本三大巨桜・・・三春滝桜(福島県)、神代桜(山梨県)、薄墨桜(岐阜県)

薄墨桜
(薄墨桜)

羽島や黒俣を擁する安八郡は、1976年9月12日に発生した集中豪雨で長良川が決壊し水没した地域として有名ですが、このようにこの地は非常に水に対して脆弱で、かつての古伊勢湾状態になってしまうのです。

語り部によると、多品治とは国山田郡の「多臣」の小治田品治であり、古事記編纂した太安万呂の父であるという。彼が管理するのが「赤鉄鉱製武器倉庫」ということから、一般に考えられているような「湯沐令の管理者」とは違うことになりますね。この「赤鉄鉱(ヘマタイト)製武器」とは、砂鉄を使うタタラ製鉄法ではなく、徐福が持ち込んだ東三河の「大漢国製鉄法」と言われるもので、材料に「高師小僧」(褐鉄鉱)を使う製鉄法です。ちなみに、本巣古墳の石室を赤く彩った「ベンガラ」も酸化鉄であり、「高師小僧」を砕いて酸化させたものでしょうか。
※註 語り部は「大漢国は、徐福後裔代々東三川で、製鉄関連・農業関連技術により入国を許され代々居住するハタ姓使用するが、秦始皇帝の同氏族系の扶余王族の技術は此れより優れており...」と書いているので、本巣の赤鉄鉱製武器は「高師小僧」を使うが「大漢国製鉄法」ではないかもしれない。

BIG高師小僧
(木の根に鉄分が付着して固化して出来た「高師小僧」 豊橋名物ですw)

創世記28章は「ヤコブの夢」と言う箇所ですが、この内容は以下の通りです。

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10:ヤコブはベエル・シェバを立ってハランへ向かった。
11:とある場所に来たとき、日が沈んだので、そこで一夜を過ごすことにした。ヤコブはその場所にあった石を一つ取って枕にして、その場所に横たわった。
12:すると、彼は夢を見た。先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも、神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていた。
13:見よ、主が傍らに立って言われた。「わたしは、あなたの父祖アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが今横たわっているこの土地を、あなたとあなたの子孫に与える。

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この「先端が天まで達する階段」が、京都の「天の橋立て」であり、本巣の「海の橋立て」の命名元だというのです。

ちなみに、ハランとは旧トガルマ州のことであり、アルメニア人の地のハランです。ここを天界の神々の地として高天原を創作。要塞都市アマストリス(アマスラ)より天照大神創作したと語り部はいいます。さすがに、ここまでの歴史を伝承しているとは考えられず、多分、研究によって追記した内容だと思われますが、この説には全く同意しています。

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『創世記』によると、ノアの大洪水後、ノアの曾孫トガルマの子孫が住んでいた場所が、西アジアのタガーマ州の古都ハラン(タガーマハラ)だという。場所は方舟が漂着したアララト山系の麓で、イラク北部からアルメニアの辺りで、ユーフラテス川支流のビンカ河左岸にあったとされている。

その後セム族は、古代バビロニア南部に世界最古の文明であるシュメール文明を築き、メソポタミア北部にはアッカド王国が成立し、メソポタミア地方は、北部のアッカド王国と南部のシュメール王国に分かれた。
(シュメール文明と後のバビロニア文明を併せてメソポタミア文明という)

シュメール王国は青銅器を発明し、ウルク王朝からウル王朝へと続き、紀元前2000年頃、ウルで預言者アブラハムが誕生したが、シュメール王国はアッカド人から度重なる侵攻を受け、アブラハムの父テラは家族を連れて故郷のタガーマハラに帰郷。そして、アブラハム一家を追って、多くのシュメール人がメソポタミア地方から消え、アッカド人はシュメール文明を吸収し、シュメール人に学んだ楔形文字で粘土板に書き残し、シュメール文明をセム語化して後世に伝えたと考えられている。

アブラハムはタガーマで神の啓示を受け、シュメールの民を引き連れて約束の地カナンへと旅立ち、残ったシュメール人はアジア全域に広がった。当然、朝鮮半島と陸続きだった日本列島にも入ってきたはずで、これが「日本人シュメール起源説」となっている。


■日ユ同祖論を超える日本人のルーツ
http://shinsengumi3.seesaa.net/article/144654938.html
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安八麿(あわちま)=淡路島

これが全ての謎を解く鍵です。

普通、淡路島といえば鳴門海峡にある島を指しますが、記紀の「国生み神話」に謡われる淡路島とは、かつて濃尾平野の現安八郡に点在する島(安八島)、「安八麿郡」のことだったというわけです。この説はどこにも無い為、検証のしようがないのですが、なるほどなぁ~と感心させられる内容です。

■国生み神話
イザナギ・イザナミは、別天津神たちに漂っていた大地を完成させることを命じられる。別天津神たちは天沼矛を二神に与えた。イザナギ・イザナミは天浮橋に立って、天沼矛で渾沌とした大地をかき混ぜると、矛から滴り落ちたものが積もって島となった。この島をオノコロ島という。二神はオノコロ島に降り立って会話をし結婚する。初めイザナギが誘った為、ちゃんとした子供が生まれなかった。この子が水蛭子と淡島だが、葦舟に乗せて流してしまった。今度はイザナギが誘った為、ちゃんとした子が出来た。そして、一番最初に生んだのが「淡道之穂之狭別島(あはぢのほのさわけのしま)」という淡路島です。


この神話が物語る真の事実とは、初期大王家が入植した美濃の地の島々が「安八麿」(淡路島)となったということです。その後、伊勢湾が隆起し濃尾平野が出来たことが「国生み神話」の元となっていたのです。

以上見てきたように、国内最大の内乱「壬申の乱」は、伊勢湾が隆起する前であった為、いきおい船を多用した戦いであったと思われます。壬申の乱で東三河が主戦場となった理由は、大友軍の主力部隊が東国の背後の東三河から美濃に攻め上がる戦略を採ったからではないでしょうか。東西両軍が天下分け目の戦いをした関が原の戦いですら、関が原という一箇所の戦いで、しかも半日のみの戦いでしかなかったのに比べると、そのスケールは桁違いに大きいのです。しかし、何故、壬申の乱が大津京攻略部分だけを記述し、東三河の戦いの部分が欠落され歴史から隠匿されてしまったのか?を不思議に思うのです。

ここには何かタブー(重大な秘密)がありそうだ、、、、
※註 壬申の乱とは、国内の唐・新羅勢力と百済勢力の戦いでもあった。白村江の戦いに負けた天智朝は唐・新羅の駐留を受け入れなくてはならなくなり、その大和出張所が飛鳥や吉野に置かれたのではないでしょうか。九州の筑紫大宰府が一時期「筑紫都督府」と名称が変わったのがその証です。その飛鳥から逃げるように都を大津に移したのが真相ではないかと睨んでいる。そうなると、この東三河隠匿のタブーの内容も段々と輪郭がハッキリハッギリしてくる、、、、

封印された三角地帯

お待ちかねの驚愕怒涛・空前絶後の照山周辺情報です。
ただ、あくまでヤッズ★の写輪眼で洞察(妄想?)した内容です(爆)。

前回、トランブレーみゆきさん主導の照山復興ボランティアで知った「気が読める整体師の先生」や「霊媒体質で悪波動を浄化する女性」を擁する名古屋のグループは、「石巻山-照山-豊川稲荷」を定期的に巡回していて、この3箇所で囲まれた三角地帯のエネルギーの浄化と強化をしているのだそうです。というのも、本来、この地が持っている筈のエネルギーが損なわれているからだというのです。

たまゆら
(小照山の盤座のたまゆら それにしても凄い数だ、、、画像はトランブレーさんブログから無断借用w)

■小照山(こでりやま)の磐座(東三河高天原ブログ)
http://plaza.rakuten.co.jp/tremblay/diary/201011200000/

ヤッズ★の場合、別情報からの洞察(妄想?)によってですが、同様にこの3箇所に注目していて、この地域の歴史をいろいろ調べていました。そして、照山、石巻山の復興に尽力されているトランブレーみゆきさんを知り、その行動に激しく賛同した為、前回、イベントに参加させてもらったという次第です。でも、このシンクロは自説が証明されたような感じがして非常に嬉しいです。

でも、何故、この3箇所なのでしょうか?

語り部情報では、紀元前3世紀、秦の始皇帝の圧政を逃れ、徐福一行が中国大陸から目指した東海三神山の1つ「エイ州山」であり、また、その地に憧れて大陸から渡って来た大和の邪馬台国の倭人(弥生人)の巡礼地でもあり、その後も熊野修験道の聖地であり続けた石巻山、、、、初期大王家がこの地での戦いの際には必ずこの地を本陣とし、また、壬申の乱の戦勝記念から神を祀った賀茂神社発祥の地である照山、、、、大岡越前も熱烈に信仰し江戸時代には伊勢講に次ぐ人気であった国内で唯一ダキニ天を祀る仏教の一拠点である豊川稲荷

道教、神道、仏教とこれら3箇所の持つ宗教的背景は全く異なっていますが、この三角地帯は何故か権現山を中心にが構成されているのです。

う~む、今までノーマークの権現山がポイントだな、、、

ここのエネルギーレベルが激低(げきひく)だと、まるでアリ地獄に引き込まれるかの如く周囲のエネルギーレベルも低下していくのではないでしょうか。名古屋のグループですら、その激低の波動によって踏み込めないのかもしれない、、、、だから、まず周囲のエネルギーレベルを活性化してから、、、という段取りなのかもしれません。

権現山(標高50m)には、きっと何かある!!!

今回、その辺の謎解きをしていこうと思います。

三角地帯00
(綺麗な二等辺三角形を描く)

確かに、権現山を中心にしたこの三角地帯及びその近辺には、不思議なことに謎が多く、歴史的にもエネルギー的にも何かしらの封印、あるいは何かしらネガティブなエネルギーが残っているような感じがします。以下、この三角地帯近辺の余り知られていない歴史を時系列順に列挙してみますと、、、、

■景行天皇の御所「高千(仙)穂宮」
紀元前3世紀~4世紀まで徐福末裔が住んだ東三河の大漢国(君子国・扶桑国)を初期大王家(騎馬民族スキタイ・カド族)が討伐した後に、本陣としていた照山(捕鳥山)の西側に、初期大王家の倭讃(景行天皇)が造成した「高千(仙)穂宮」があったと云われます。以上は語り部情報なのですが、この話は照山近くに住む古老の話とも一致しています。倭讃はここで徐福伝来の水銀鍛錬法、すなわち「不老不死」の仙薬の研究に励んでいたと云う。まぁ、最後には水銀中毒となってしまい大和へ帰京せざるを得なったのですが、帰路、そのまま猿投山で亡くなってしまったという。

■文武天皇の行宮(=仮の宮)
この三角地帯のスグ傍には豊川天女が舞い降りた地といわれる下条の「星野の里」(現・行明町)がありますが、ここには文武天皇(語り部によれば、高市皇子)の行宮があったと伝わっています。この地ならば、石巻に住んだ三輪氏族の三輪高市麻呂(大神高市麻呂、大神人神社初代神官、柿本人麻呂モデル)とも近く、親友であり得るのも納得いきます。

■南朝天皇の御所と城
権現山の南麓には「御所」という地名の場所がありますが、三河には「下佐脇の御所」「玉川御所」「十の宮尼御所」「三明寺の黒木御所」など十三ヶ所ほど御所があるといいます。現在、この権現山の御所には水平に移動する花火(綱火)奉納で有名な「椙本(すぎもと)八幡社」がありますが、かつてこの八幡社の地は南朝の寛成親王(長慶天皇)と正良親皇(松良天皇)が住んでいた「玉川御所」だったといいます。まぁ、南朝の天皇と云われる者は各地にあったので、この地に有っても不思議ではありません。また、この権現山の近くには南北朝の戦いの時には、曲輪、土塁、空堀で構成された和田城と嵯峨城があったといいますので、南朝方の高井主膳正の石巻山城が足利軍に侵攻されたことから、この地も一大激戦地となっただろうことは容易に想像できます。

こういった内容が一般的、いや東三河ですらあまり知られていないこと自体が、歴史の闇に埋没するように封印されていることの証ですが、この封印術によって、この三角地帯界隈のエネルギー発露が抑えられているのではないでしょうか?

い、いやそれ以上の秘密があるのではないか?

この三角地帯の中央にある権現山には、戦時中には豊川工廠を守備する高角砲陣地の砲台がありましたが、古墳時代には「権現山古墳群」という4世紀頃の前方後円墳が4基もあります。この時代、この形状からみて、徐福末裔の大漢国討伐後にこの地を治めた初期大王家と縁が深い氏族(中臣氏?)の古墳だと睨んでいますが、どうでしょうか?

この権現山の中腹には「緑野神社」があり、祭神として速玉男命・事解男命・伊邪那岐命・伊邪那美命が祀られています。創建は明らかでないのですが、鎮座している村名が「権現」となっていることから、相当古くより、この地に鎮座していたのではないかと考えられています。

緑野神社
(緑野神社)

ミドリの神社だすかぁ~

確かに、写真を見る限り境内には苔蒸したようにがいっぱいです。ただ、徐福末裔の大漢国、その後の初期大王家の壬生の地であった東三河の神社の名に「緑色」はあまり似つかわしくありません。本当に似合うのは「赤色」です。というのも、大漢国は国を挙げて戦いの神「蚩尤」(シユウ)を奉じていましたが、この「蚩尤」の目印は赤い旗なのです。また、東三河で起きた「壬申の乱」では、天武天皇はこの「蚩尤」の赤い旗を軍旗として使っていたというのもあります。
※註 壬生(みぶ)とは幼年期の養育係のこと。転じて養育地。

東三河には「赤」が似合うだす。
だって、赤味噌の国だから(爆)

しゆう
(戦いの神「蚩尤」 その後は祇園社の牛頭天王となりスサノウに習合)

それはさておき、祀られている事解男命(コトサカノオノミコト)とは余り聞かない神様の名ですが、この事解男命は日本書紀に登場する神であり、その誕生譚は以下のようになっています。

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イザナギが黄泉国にイザナミに逢いに来き、イザナギの願いに応え現世に帰る準備を始めたが、その間絶対に姿を見てはならぬと約束したにもかかわらず、イザナギは待ちきれずにイザナミの姿を覗き見てしまった。そこにはかつての美しい妻はおらず夫「伊邪那岐命」の願いに応えるべく現世に帰る準備をしますが、その間絶対に姿を見てはならぬと約束したにもかかわらず夫「伊邪那岐命」は待ちきれずに妻「伊邪那美命」の姿を覗き見てしまいました。

そこにはかつての美しい妻はおらず、黄泉の国の食べ物を食べ穢れて醜くなった妻がいた。これに怖れ慄き、慌ててその場から逃げ出したが、約束を破って姿を見られた妻は怒り狂いながら、醜女たちと一緒に逃げる夫を追いかけるが、夫は逃げ切り、とうとう2人は現世と黄泉の国との境で永遠の別れとなります。この後でイザナギが吐いた唾から生まれたのが「速玉男命」、掃き払ったところから生まれたのが「事解男命」の2柱の神様です。

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つまり、「事解男命」「速玉男命」も黄泉の国のモンスターなのです。

この事解男命を祀る神社には、文武天皇により同時に創建された掛川市の「三熊野神社」、御前崎市の「高松神社」、掛川市の「小笠神社」がありますが、いづれも祭神は伊邪那美命、速玉男命、事解男命の3柱だけであり、夫イザナギは含まれていません。これらの神社は熊野三山から勧請された逸話がある為に「遠州の熊野三山」とも称されていますが、これら神社には不思議なことに熊野三山の主神である「家津御子大神」「熊野速玉大神」「熊野夫須美大神」が一切祀られていないのです。

これはどう考えればいいのでしょうか? 

朝廷にとって遠州地方は「黄泉の国扱い」ということでしょうか?

しかし、この権現山の緑野神社には「遠州の熊野三山」より祭神が1人多く祀られています。「黄泉の国」から逃げ帰ったとされる夫イザナギが、この緑野神社では一緒に祀られているのですね。これだけ近隣なのに祀る神に微妙な差異があるのです。

この差異に何か意図的なものを感じます(ニヤリ)。

緑野神社に4柱が揃っていることが示すことのは、夫イザナギは未だ「黄泉の国」に居るということです。つまり、「黄泉返り(蘇り)」していないということ。このようにしてイザナギは「黄泉の国」の地に封印されてしまっているのです。ここに「蘇り(復活)阻止」の明白な意図を感じます。

まるで、アニメ『NARUTO』に出てくる屍鬼封尽(しきふうじん)を彷彿とさせるような封印ですw

屍鬼封尽
(九尾妖狐や大蛇丸を封じた「屍鬼封尽」)

更に謎解きは進みますw

元々、日本の古い神社がある地は神が降臨する地であるとして古くから瀬織津姫...等の縄文神を祀っていましたが、その神を持統天皇と藤原不比等がことごとく記紀の登場人物に変更していったのだと云われています。同様にこの権現山の中腹の緑野神社も祭神を変更させられた筈ですが、ここを「黄泉の国」のモンスターたちを当て嵌められている点が非常に意図的なのではないかと睨んでいます。別に天照大神でもいいのに、、、、、これは「何らかの基準」があって、当て嵌められたのではないでしょうか?

ポイントは、緑野神社では「黄泉の国」から脱出した筈のイザナギが、「黄泉の国」の住人と一緒に仲良くいるという点です。この4柱を祀る神社は他には、朝気熊野神社(山梨県甲府市)、阿須賀神社(和歌山県新宮市)の2社がありますが、いづれも熊野系の神社です。

やはり、熊野系は日本の裏(黄泉)を形成するネットワークなのか?

熊野川河口にある阿須賀(あすか)神社は古くは「飛鳥社」と称し、社殿裏にそびえる蓬莱山(標高48m)が御神体です。神社境内には「徐福宮」という徐福を祀る神社もあります。また、新宮市には「徐福の墓」がありますが、この墓の起源は元文元年(1736年)に江戸幕府紀州藩祖の徳川頼宣の命で設けられたものだといいますので、かなり意図的に、つまり、本来の徐福や蓬莱山を隠蔽する為にこの神社や墓が造営されたのではないかと睨んでいます。
※註 阿須賀神社の御神体の蓬莱山は、仙人が住むという蓬莱山にしては低過ぎるのです。多分、ここは徐福の上陸地の1つであると思われます。

阿須賀神社
(阿須賀(あすか)神社御神体の蓬莱山 右端の小さな社が徐福宮)

このように緑野神社と比べるとかなり大きな神社です。
しかも、この朝気熊野神社と阿須賀神社を一直線で引くと、なんとこの緑野神社の真上に来るのです。

熊野串刺し00
(緑野神社を串刺し 豊橋の「豊」のあたりが権現山)

これは緑野神社を串刺しにして磔刑に処したようなものです。

the-holy-lance.jpg
(イエスの脇腹を刺し生死を確認した聖槍「ロンギヌスの槍」)

この串刺しで緑野神社(権現山)のエネルギー発動を抑制し封印している。先住民族を象徴するのがイザナギやイザナミです。つまり、イザナギ・イザナミとは大国主系(出雲=縄文人=蝦夷=アイヌ=エブス人)のことを表しているのです。もう少し言えば、イザナギ=クナト大神、イザナミ=アラハバキ姫神ともいえるかもしれません。そのイザナギがこのラインによって刺されて「黄泉の国」に封印されているのです。

この封印術は誰が行なったのでしょうか?

それは多分、この地を管理した初期大王家の手によるものだと思います。語り部によると、初期大王家は景教(ネストリウス派キリスト教)を携えて渡来してきたといいますので、このロンギヌスの槍的なトドメ刺しの封印術は初期大王家に相応しい方法でしょうか(笑)。

この光景、ヤッズ★にはロンギヌスの槍で射抜かれた惣流アスカ・ラングレイが乗る「エヴァ弐号機」を彷彿とさせるのですが、どうでしょう?

ロンギヌスの槍
(背後に石巻山似のNERV本部もあるw)

弐号機は赤色の機体カラーが特徴ですが、これは徐福子孫が奉じた戦いの神「蚩尤」(シユウ)を表す赤色と同じですね。また前述しましたが、この赤い旗を使い大海人皇子(天武天皇)は「壬申の乱」を戦ったといいます。さらに、エヴァ弐号機の「弐」は「天武天皇」「文武天皇」「聖武天皇」らの初期大王家が贈名に使う「武」の文字と非常に似ています(笑)。

これは術を掛けた者の名でしょうか?
それとも、術を受けた者の名でしょうか?

緑野神社のある権現山一帯は高台の為、715年の三河大地震で三河湾が隆起する前にもこの地は陸地であったと思われます。多分、以前は715年以前は山の麓近くまで海が迫っていたと思われ、新宮の「阿須賀(あすか)神社」と同じような配置(海近くの山+神社)になっていたように思われます。また御神体の山の標高もほぼ同じです。

この地を「ロンギヌスの槍」で串刺しにして、活動エネルギーを停止封印化し、さらに徐福の目指した蓬莱山や徐福伝説諸々を徐福一行の三河到達前の出発地である新宮に矮小化して移すことで、漏れ伝わる伝承に対してもディスインフォメーションの情報操作で万全を期したようにもみえます。

そして、トドメにを補色(捕食)してにしてしまった(爆)。
※註 ロンギヌスの槍で射抜かれた後、エヴァ弐号機はエヴァシリーズに捕食(共食い)されてしまう。また、赤色の補色は緑色なのです!

つまり、「緑野神社」は補色(捕食)される前は、「阿須賀(あすか)神社」のように「蚩尤」を表す赤い色を主体とした神社だったのではないでしょうか。それとも、ここが本来の「阿須賀(あすか)神社」だったのかもしれません。で、徐福伝説とともに新宮に移されたというわけです。そして、惣流アスカ・ラングレイが串刺しにされたように豊橋の権現山にあった「阿須賀(あすか)神社」も初期大王家に串刺しにされ、捕食(補色)されて「ミドリの神社」とされた、、、ただ、これはアニメを元にした洞察(妄想)ですが、、、あまりにも符号し過ぎている。(合掌)

以上のことから大胆に推測しますと、、、、

ここは大漢国の地神祭祀の聖地だった?!
※註 最初は天武天皇の三河隠棲時の宮ではないかと睨んでいたのですが、大海人皇子(天武)の名と同じ「大海」という地名が新城南部の長篠にあり、語り部情報によると、大海人皇子の名は「凡海(おおあま)」氏の女性が乳母だったところから付けられたという。確かに、籠神社に伝わる国宝「海部氏系図」には海部直と凡海連の系図が載っており、ここに丹波国造建振熊宿祢の子(弟)として凡海連真磯-凡海連小橋-凡海連磯住-凡海連磯嶋と四代続いて凡海連の姓が始まっています。凡海郷は10世紀の百科辞典『和名抄』には丹後国伽佐郡(現在の京都府舞鶴市及び加佐郡大江町あたり)にあったとされる郷名ですが、伝説によると、大宝元年(西暦701)3月、凡海郷は三日三晩続いた地震により郷内の峯ふたつを残して海没してしまったといいます。その2つの峯が日本海に浮かぶ絶海の孤島・冠島(別名・雄島)と沓島(別名・雌島)だといいます。この陥没で住処を失った凡海氏は丹波国から東三河にやって来たのかもしれません。そしてその地が「大海」と呼ばれ、大海人皇子の隠棲地だったのではないかと考え直したのです。

大国主(出雲=蝦夷=アイヌ=エブス人)は、日本へ渡来して来た者たちに対し、巫女を国のトップに立て地神を祀ることを条件に日本への定住を認可したといいます。これが「天女伝説」の元になったといい、出雲王がトユケ(豊受)大神と呼ばれた理由だと語り部はいいます。ですから、当然、徐福末裔が繁栄したこの東三河にも地神を祀る聖地があった筈で、それが権現山なのでなないでしょうか。

その後、その東三河を日本が漢人国家となるのを危惧し、大国主系が初期大王家を日本に招き、この徐福末裔の大漢国を撃たせて、その後数百年の間、この権現山近辺は初期大王家及び大国主系の共同管理地となったと推察しています。

さらに後の世は、この聖地は初期大王家から吉野熊野経由で南朝にまでつながる、吉野熊野の拠点となったのではないでしょうか。それ故、吉野熊野に繋がる南朝の宮や城があった。

天武天皇がペルシャ風の都として整備したのは大和の飛鳥ですが、アスカとはヘブル語で「住居」の意味を持つ「ハスカ」から来ているといいます。即位前の天武天皇は吉野に道教修行と称して密議に出向いたように吉野熊野とは密接な関係を持っていましたので、この東三河の権現山の地神を祀る聖地で后にした巫女の額田女王と一緒に住んでた可能性があるのです。よって、この地がアスカと呼ばれ、アスカ社と呼ばれてもおかしくはないのです。つまり、「緑野神社」はかつては「阿須賀(あすか)神社」であっただろうという大胆な推測です。

しかし、天武天皇は壬申の乱で勝利した後、負けた西国豪族に東国の封をしたりといろいろと東国西国のバランスを取る為に苦慮している。律令国家推進の大号令の下、今までの巫女前面に立て三王朝代表制の王君制を廃し、絶対君主制の中央集権化をした。これが天武天皇が史上初めて「大王」を改め「天皇」と名乗った理由ではないでしょうか。

王権の絶対化を推し進めるには、東三河が徐福末裔の大漢国だった過去を抹消し、地神を祀る巫女制自体の痕跡を物理的にも霊的にも完全に歴史の闇に葬る必要があったのではないのでしょうか。その一例として、奈良桜井市で地神を祀る御諸山(現・三輪山)は、壬申の乱で戦績を挙げた大物主系物部氏族三輪氏系の大神高市麻呂(三輪高市麻呂)に神官移行して、御諸山は三輪山へ、王邇波神社は大神神社へと名称変更させたのでしょう。

だから、緑野神社も徹底的に封印し捕食(補色)する必要があった。
※註 出雲の前身が毛野国(現・群馬県、武蔵国)ですが、壬申の乱に向けここに多くの軍馬を養成したと語り部はいいます。この毛野国には「緑野郡」という古墳の多い地帯がありますが、「緑野神社」の「緑野」は本当はここと関連が深いのだとも睨んでいます。日本書紀には大和朝廷の在地の豪族の土地接収と監視のため「緑野屯倉」が設置されたと記されている。

その結果が新宮への「阿須賀(あすか)神社」遷座や徐福の墓の創建、蓬莱伝説の紀伊半島への移行導入だったのかもしれません。元来、飛鳥と関連の無い新宮にアスカ社があること自体に疑問があります。ただ、この阿須賀の「須賀」は、砂洲、砂丘、砂浜など、砂がたまるところを意味する古語の「すか」から来ているといいますが、それならば「すか神社」とすべきところが、何故か「あすか」となっているのです。当然、この地は天皇の住居「ハスカ」とは全く関連の無い土地柄なのです。

これが天武と東三河を関連付けさせないダブーの全貌でしょうか。

このタブーによって、壬申の乱は東三河では無く琵琶湖周辺で起きたことにされたり、持統天皇の兵を連れた三河行幸の詳細が一切書かれていない理由だと睨んでいます。とにかく、東三河と天武を結び付けるものが一切あってはならないのです。真実が知れることによって封印術が解かれてしまうからです。

さらに、この封印術は全国展開していきます。

初期大王族(スキタイ・カド族)の天武天皇は、壬申の乱を起こす前、作戦協議の為に道教修行と称して吉野に行ったことは記紀に書かれた通り有名な話ですが、この日本の裏権力ともいうべき「初期大王家-吉野-熊野-道教-ヤタガラス(初期大王家に恭順した徐福末裔)-新羅-修験道-南朝」勢力の聖地や由縁の地、つまり、全国に3000社あると云われる熊野系神社に対して、自分が頼りにしたことでその真の力を知り、逆に、この存在が自らが進める中央集権化の律令国家の足かせとなることを悟り、高市皇子考案の「黄泉の国」のモンスターを祭神化させて弱体化させるよう仕掛けたのではないでしょうか。

熊野系神社(元来、縄文の神を祀り道教色の強いと睨んでいるが、、、、)、こういった神社には「速玉男命」「事解男命」の黄泉神をあてがうことで、その存続を許したのではないでしょうか。それが那智の熊野三山、遠州の熊野三山、その他の熊野系神社が黄泉の国のモンスターを祀っている理由ではないでしょうか。それとも、もともと影の勢力だったから、それにふさわしい神を当て嵌めたのか、、、、、

照山や石巻山のエネルギーレベルがダウンして荒廃していったのも、この権現山にあった初期大王家に連なる吉野-熊野系の拠点を上記の「ロンギヌスの槍」的結界封印術で封印したからではないでしょうか。その活動停止状態に追い込まれた封印術に引きずられる格好で、照山や石巻山がパワーダウンしていったのだと睨んでいますが、、、、どうでしょう。

東三河には何故か熊野系神社が多く存在しますが、愛知県豊川市牛久保の駅前の長山熊野神社の由縁にはこうあります。

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「牛窪密談紀」は、「崇神天皇の時代に紀州の牛間戸という湊から徐氏古座侍郎が舟を泛べ、三河国の御津(宝飯郡御津町)あるいは、澳の六本松(場所不明)というところに着き、本野ヶ原にある常寒(とこさぶ)長山の里(豊川市下長山町)に熊野権現を勧請した。徐氏は、常寒長山の里に住み、一粒の種で百倍もの作物をなして館を建てた。周囲の人は、徐氏を尊敬した。長山の神(熊野権現)は、霊験あらたかであり、『常に天地長久を護り給う』ゆえ、三河国宝飯郡牛窪郷を常寒と呼ぶようになった」と記す。

一般に、この地方に、熊野神が勧請されたのは、平安末頃といわれる。平安時代に国司が月次に国内の神々を巡拝する際に用いたリストに「国内神名帳」がある。「三河国内神名帳」には、長山熊野権現の名は見えない。縁起及び「牛窪密談記」は、欽明あるいは崇神の頃に勧請したというが、おそらく、鎌倉以降のことと考えられる。なお、牛久保八幡社(若宮殿)は、神名帳に三河一宮砥鹿神社より上位に記載されている。

しかし、当社の由来を記した『弁才天縁起』は、「その昔、熊野神社境内に弁財天の社宇があったが、いつのまにか社宇もなくなり、田地と化していたところ、子の病気平癒を弁財天に祈念していた母親の夢枕に弁財天が立ち、社宇を建立せよとのお告げがあった」と記す。また、牛久保、長山あたりは、『和名抄』の「宮島郷」とされる。安芸の宮島には、厳島神社が鎮座する。祭神は、弁天堂と同じく、市杵島姫である。「宮島郷」は、弁天堂にちなむものと思われる。となれば、長山熊野神社の地には、もともと、弁財天社が祭られており、その後、熊野権現が勧請されたと考えられるのである。


■長山熊野神社(全国熊野神社参詣記)
http://www.mikumano.net/zaiti/toyokawa.html
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以上より、睨んだ通り熊野系神社と徐福の縁が深いことが分かりますね。
※註 熊野は一般的には「くまの」と読んでいますが、しかし、和歌山県の御坊市の熊野神社の熊野は「くまの」ではなく「いや」と読ませています。「いや」といえば揖夜神社という出雲の最古社があります。主祭神はイザナミで、他にオオナムチ、スクナヒコナ、コトシロヌシといいます。つまり、「いや」=イザナミと考えられます、ここに奉納されるワラで出来た蛇は「アラハバキ」と呼ばれているのが面白いですね。出雲族の本当の最高神は大国主命ではなく熊野大神(クナト大神)であり、大国魂神社の鴉団扇と熊野三山の鴉のいずれも熊野大神に源を発するといいます。鴉は徐福末裔を示す暗喩だと語り部はいいますので、クナト大神と深いつながりがある?

からす扇
(祭りの日だけ販売される鴉団扇)

確かに、神武天皇を導いた3本足のヤタガラス(日本サッカー協会のシンボルマーク)は、熊野三山のトーテムとしても有名ですが、語り部は、このヤタガラスは初期大王家に恭順化した徐福末裔を表しているといい、元はスリーマンセル(3人1組)で行動する黒づくめの鵜飼匠の姿から「3本足(スリーマンセル)」「ヤタ(大きな)」「ガラス(海鵜)」という形で描かれるようになったといいますので、熊野系神社と徐福は関係が深いのは当然なのです。

ヤタガラス00
(熊野神社のヤタガラス)

安芸の宮島にも弁才天が祀られていますが、以前、煩フル記事でも指摘したように、この弁才天はアラハバキ神(女性原理)信仰を禁止された先住民族が替わりに祀っている神なのです。豊川という非常に水と縁の深い地にアラハバキ神が祀られていると考えるのは納得がいきます。

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大和朝廷に竜蛇信仰を禁じられた出雲族はそれまでの「アラハバキ姫神」と「クナト大神」を信仰する代わりに「弁才天」と「不動明王」を裏信仰としたが、これは弁才天は出雲系の宗像三神のイチキシマ姫と習合されていたからだといます。
※註 イチキシマ姫は宗像大社の中津宮という島に祀られる。厳島神社の祭神ともなっており、「イツクシマ」という社名も「イチキシマ」が転じたものとされている。後に仏教の弁才天と習合された。

■封印された神を解く(4)
http://aioi.blog6.fc2.com/blog-entry-1682.html
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語り部や「牛窪密談紀」がいうように、東三河こそが徐福末裔が住んだ地なのですが(笑)、大国主族(エブス人=アイヌ)に地神である男性原理のクナト神、女性原理のアラハバキ神を祀ることを条件に日本定住を許されたとなると、元来、緑野神社には「男性原理」を表す「クナト神=熊野大神=蔵王権現」が祀られていたと考えるのが正しいでしょう。

やはり、この地の封印解きエネルギーを活性化するには、緑野神社の祭神を元の蔵王権現に戻して祀る必要があるのでしょうか? それとも、前回記事のKaraでの洞察通り、「蔵王権現」は既に御世出づが決定しており、もはやそんなことをせずとも、この封印は破られる時が近づいているのだろうか?

いよいよ蔵王権現(クナト大神)現るか?

そんな緊迫状況の中、韓国のPOPアイドル「大国男児」が2011年2月に日本でメジャーデビューすると発表があったといいます。しかも、来年2月と云えば、欧州で人気のマヤンカレンダから導き出されたコルマン・インデックスの最終サイクル「第9サイクル」開始の時と同じなのです(爆)。
※註 第9サイクルは「覚醒」がテーマです。


(「大国男児」という名が凄いw まさに大国主の顕れ 蘇ったばかりでフラフラなのだなw)

大国と云えば、当然、大国主であり、日本の先住民の縄文人・蝦夷(アイヌ)です。つまり、大国主=出雲=クナト神=熊野大神=蔵王権現です。
※註 もう少し云えば、蔵王権現=艮の金神=日月の神=サナトクマラ=ミトラ神=弥勒=ヤマタノオロチ=ムルガン神(ガネーシャの弟)=ルシファーですw

や、やはり蔵王権現復活するのだな、、、(爆)

蔵王権現00
(シャイな笑顔のミスター蔵王権現)

■総本山金峯山寺蔵王堂(東三河高天原ブログ)
http://plaza.rakuten.co.jp/tremblay/diary/201006120000/
(蔵王堂の三体を元の御姿・真実の御本尊さま...の御姿であると言う時に、初めて世界の信仰の中心「国軸山」の総本山金峯寺蔵王堂となるという。ここではイザナギ・イザナミを封印したのは天武天皇となっていますが、これは奇しくもヤッズ★の妄想とは同じです。)

ゼーレのシナリオ

衝撃の照山近辺情報の前に焦らすようですが、少し前フリのネタを、、、

蔵王権現には、独特のポーズがあります。
このポーズの像を見たら、それは蔵王権現と見て間違いありません。

蔵王権現
(蔵王権現の「取ったぞ!」のポーズ)

ん? こ、このポーズ、どこかで見た事が、、、、、

こりゃ~、Karaじゃあーりませんか!!!

KARA.jpg

そ、そうか、、、、そうだったんだ!!!

カラとは、韓国語で「카라」で、「甘いメロディー」という意味を持つ言葉でリーダーのギュリが命名したといいますが、実は、それ以上にこの言葉は意味深な言葉なのです。

初期大王家の故地は半島の金官加羅であり、次男と五男をそこに残して、残り8名の王族が蝦夷(アイヌ)の招きで日本にやってきた為、日本は一時期、東加羅国と呼ばれたといいます。吉野-熊野ラインは、サンカ、修験道...等の裏日本のネットワークを構築しており、この滅亡した初期大王家と繫がりのある新羅(加羅の後継)-中国の道教ラインなのです。加羅国を体現するKaraが蔵王権現のポーズを取るのも充分納得がいきますね。

Karaが「今すぐに、抱き締めて、、、」「シャイな笑顔 優しい声も 独り占めさせてよ わたしに、、、」と唄う「ミスター」の正体とは、、、

間違いなく蔵王権現のことだな(爆)。

蔵王権現00
(シャイな笑顔の蔵王権現)

さらに、Karaは2010年8月11日に正式に日本デビューしましたが、これに呼応するかのように、平城京遷都1300年祭を記念して奈良県吉野郡の国宝・金峯山寺蔵王堂が、9月1日~12月9日までの100日間、長期開帳されることになったのです。この開帳は実に6年ぶりのことなのですが、この長期開帳の真の理由は、多分、蔵王権現がkaraの「尻振りダンス」が見たくなったからではないでしょうか(爆)。

そうなると、Karaは「初期大王家-熊野-吉野-ヤタガラス-修験道-南朝ライン」につながることになる。後期大王家が構築した「キリスト結界」にとっては異物。いわれてみれば、綾波レイ似のスンヨンや惣流アスカラングレ似のク・ハラがいる時点でKaraは「使徒」とは言えない、、、、

そ、そうか!!!

「Kara」はエヴァ零~4号機に相当するんだ!!!
Karaを使徒としていたのは、大きな間違いだった。

宮路山からポジトロンライフルで殲滅しなくてヨカッタw
※註 実際、宮路山からは山が邪魔してラグナシアは直接見えませんでしたw

ならば、「少女時代」は量産型のエヴァシリーズだな(爆)。

エヴァシリーズも9体、少女時代も9人でピッタリです。
しかも、一見、誰が誰だか識別出来ないくらい似ているのも同じだw

少女時代
量産エヴァ
(パーフェクトな少女時代は、S2機関搭載した完成型の量産型エヴァ)

本国(アダムの国=韓国)では、Karaの人気は少女時代に押され気味であり、活動の場を日本にシフトしてきているという話も聞きます。ですから、日本でKaraが少女時代と互角以上に戦っている点は凄いです。より日本人はKaraに波動が合うのでしょう。この点からもKaraは本国以上の人気が出ると睨んでいますが、、、多分、70年代を席巻した「100万ドルのヒップ」と称されたアグネッサを擁するABBA(アバ)激似の唄『ルパン』で人気は爆発するなw

Kara少女時代の戦い、、、

日本で起きるこの戦いは、1300年前、いずれも半島からの渡来系である初期大王家(騎馬民族スキタイ扶余系カド族)と後期大王家(烏垣百済系エフライム族)が、日本の覇権を掛けて戦った国内最大の内乱である「壬申の乱」を彷彿させるものであり、現代における代理戦争でもあることから「第二次壬申の乱」だともいえる。

この戦いは、エヴァ弐号機(赤)であるKaraのク・ハラと9体のエヴァシリーズ(白)である少女時代が、死力を尽くして「セクシー美」を競う筈と睨んでいるのですが、、、、、

そ、それは、、、、多分、、、

年末の紅白歌合戦じゃないかと思う(爆)。

■韓国の女性グループ少女時代、紅白出演が有力視―韓国メディア
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101105-00000018-scn-kr


(今年の紅白はこのぐらいの壮絶バトルとなるか?)

しかし、これこそがこの国にサードインパクトを引き起こす儀式となるのです。

この戦いにおいて、Karaには少女時代をぶつけてくる筈です。つまり、視聴者の日本人は必ずどちらか側の応援に回らざるを得なくなるわけですが、実は、それが狙いなのです。つまり、そのどちらもが日本人では無く、アダムの国から来た使徒から造られたエヴァ(人造人間)だというのに、、、、

この時、日本人のアイデンティティが消失する。同様に韓国からもこの紅白の様子はTV中継されている筈で、まるで自国のTV放送を見ているが如き錯覚に陥り、韓国からも同様な現象が起きる。そして、互いの民族の集合意識が希薄化し融合する。ここにおいて、アダムの国とエヴァの国の集合意識は不二の関係になるのです。
※註 愛憎は表裏一体であり、憎んでいる程その愛情は強いのですw 韓国は男尊女卑の儒教的な思想が強い男性原理優勢のの「アダムの国」ですが、日本は今まで1300年間、渡来系貴族に牛耳られアダム的な思想の元で国家運営されてきましたが、本来は巫女性の宗教国家の「エヴァの国」なのです。

これがゼーレ(電通)が考える人類補完計画のシナリオですw

岡崎で牛肉ビンゴ

今日18日は、スーパーの懸賞に当たった為、休みを取ってオージー・ビーフ主催のランチパーティにカミサンと岡崎まで行ってきました。相変わらずよく当たります。まぁ、なんで平日なんだろう、、、と若干訝しく想ったのは事実ですが、、、、(笑)。

最近、洞察の末、照山近辺に関する超絶怒涛の事実を知ってしまった為に、前日、夜遅くまでそのブログ記事の推敲をアレコレ一生懸命やっていたので、朝は眠過ごし気味になってしまっていた。まぁ、この記事のうっぷは後日に御期待下さいw

岡崎出発の当日、朝、会社から分からないところがあるとの電話があった為、眠い目を擦りながらゾンビのように2Fから降りて来て電話に出たのですが、「前日無かったものの指示がある、、、これで正しい?」との内容。そういえば今日から新しいものが始まるんだった。。。。ランチ当選に舞い上がっていてスッカリ忘れていたw で、簡単に電話を終えると「おおっ、もうこんな時間だったかぁ!!!」 危うく大幅に寝過ごすところだった。。。。電話の主に感謝ですw

食事内容は、どうも牛肉尽くしのようで、いやが上にも期待は盛り上がります。しかも、食事にはワインが付くとのことで、今回は運転はカミサンに任せてヤッズ★は今日一日は助手席です。行きしながらKaraの音楽を聴きながら、車中でカミサンと一緒に歌っていましたが、Karaの曲は3曲しか持っていない為、この3曲のみを延々とリピートで聴いていた。到着まで1曲あたり10回は聴いたでしょうか(爆)。

岡崎城に到着して、スグ横のホテルの3Fの宴会場に入ると、そこには円形テーブルがあり、殆ど結婚式の披露宴のような感じ。最初はプロジェクタを使っての会社や豪州の説明でしたが、今まであまり豪州に興味がなかったので、これで豪州のことの概略が分かりました。マック等のハンバーグパティは殆どがオージービーフだったわけで、かなり日本に浸透していたんですね。

で、食事開始前に出てきたワインがこれです。
広報部長が「とっても旨いワインですよ!」というので、ありがたく頂戴しました。
一口、口に含むと、、、、

うっ、旨いっ、、、!!!

豪州ワイン

ネット上の説明にはこうありました。

■ドッグ・リッジ ザ・パップ シラーズ 2007(スクリューキャップ)
自身の愛するレトリバーの仔犬(パップ)を想い、ワインメーカーが愛情を注いで造り上げたブランド。色合いは輝かしいルビー色。上品なラズベリーやアメリカンチェリー...価格:1,659円(税込)


まぁまぁリーズナブルなワインなのですが、とても美味しいかったです。チリワインが専門のヤッズ★ですが、豪州のは飲んだことがありません。しかも、これはシラー種です。ヤッズ★は赤ワインの場合、カルビネ・ソービニヨン種の濃ゆいのが好きなのですが、この値段のシラーでこれだけ旨いのがあったとは、、、、で、ビールには一切目も暮れずガンガン飲んでしまった。多分、1人で1本は飲んでしまったのではないでしょうかw

料理もランチとはいえ、結構なボリュームです。
下記にそのメニューを載せますと、、、、

・虹鱒のマリネライムレモン風味
・かじき鮪のカルパッチョ柚子胡麻ドレッシング
・シーフードマリネニース風
・サンドイッチの盛り合わせ
・本日のスープ(カボチャスープ)
・サーモンのムニエル卵とおマヨネーズソース
・鮮魚のクネルのグラタン
・サーロインステーキ
・ローストビーフグレービーソース
・ビーフシチューのつぼ焼ロシア風
・チリコンカルネとガーリックトースト
・本日のパスタ
・デザート(ティラミス)
・デミコーヒー


きのこビーフシチュー鮮魚のクネル
ローストビーフガーリックトースト

にこれだけ食べるとは、、、、帰宅してからの夕食は、すがきやのインスタントカップラーメン「台湾ラーメン」ぐらいしか食えなかった程です。酔った後の台湾ラーメンほど最高なものはありません(ニタリ)

台湾ラーメン
(このギャップが良いのですw)

食事終了頃に、今度はビンゴゲームが始まりました。
参加70名中40名は当たるという程、結構、確率がよい内容です。

ただ、1等は3名だけで、このホテルの和食ランチ券だといいます。
この時、ピーーーンと閃いたので、多分、1等だろうなと思った(爆)。

ビンゴゲームが始まると、暫くして1人、また1人と1等をゲットするではありませんか! 1等はあと1名です。ヤッズ★はワインをガンガン飲んでいましたので、ビンゴシートはカミサンまかせだったのですが、シートをみるとリーチもしていない。。。。う~む、あの感覚はハズレだったのかな~と思ったのですが、その後、立て続けにシートに穴が空き、いきなりリーチからビンゴへ、、、、その時ビンゴになったのは2名いたのでジャンケンになったのですが、もうここまでいけば「勝ったな、、、」と思った。結果はカミサンの勝ちで見事、予測通りの1等食事権をゲットだす。

また、岡崎に来ないとならね~ずら、、、(汗)

今度は違うパワースポットを探しておかねば、、、、
※註 岡崎のパワースポットは岡崎城の他には、①岩津天満宮の参道の階段、②山中八幡宮の中の鳩ヶ窟(はとがくつ)、③大樹寺の歴代将軍の等身大位牌のある位牌堂とありますが、石巻山近郊と比べ少ない感じがします。

食事も終わり、ランチパーティは終了しました。
で、酔いを覚ます為に隣接する岡崎城公園の方に移動しました。

「岡崎城」(鉄筋コンクリ製w)と「三河武士のやかた家康館」を酔いながら見学したのですが、あんまり良く覚えていません。酔った時に字を読んでも全く記憶に残りませんね。ただ、特別公開中の本多勝家の甲冑(重要文化財)は凄みがありましたのでよく覚えています。本多忠勝は生涯50戦以上の戦をしたが、怪我1つ負ったことがないといいいます。これは戦国時代にあって、異常ともいえることで、まさに奇跡的なことです。この辺の原因もおいおい調べていきたいと思っています。

本多忠勝
(本多勝家)

あと、公園内の紅葉がとてもきれいでした。先週、三河御津の宮路山にエライ目をして登って大した紅葉が見れなかったのに比べ、ここの紅葉はきれいです。

紅葉

以前から、岡崎城はパワースポットだという話を聞いていたのですが、どこか気が出る場所あったでしょうか? 時間がタップリあったので隈なく探してみました。

パワースポットはどこじゃ~

多分、井戸じゃないかと思い、天守閣横の「龍の井」という井戸に行きましたが、なんと井戸にはフタがしてあるではないですか! 仕方ないのでそのフタに座り、気が出ているか感じてみることにしました。どうも分杭峠ほど明確な気は出ていないようです(爆)。

この井戸のある龍城神社は、あの「V字谷のナウシカ」ことトランブレーみゆきさんが結婚式を挙げた場所です。う~む、ここがやはりパワースポット中のパワースポットではないのだろうか、、、、御幸(みゆき)神社の氏子でもあるヤッズ★は、ここを聖地とせねばなりません(爆)。

龍井戸
(龍の井 フタがしてある)

帰ってネットで調べたところ、岡崎城跡は徳川家康が生まれた城であり、この城は龍脈が走り止った低い丘陵に建てられています。つまり「地の龍」と水の流れの「水龍」が 相まみえる場所となっているのです。

つまり、岡崎城跡全体がパワースポットだったのです。

石巻山で啓示を受けた刑部恵都子女史によれば、この岡崎城というのは日本を龍体とみた場合、龍体を貫く背骨にある巨大な七つのポイントの1つであり、それは仙骨(人間で言うと身体のちょうど真ん中骨盤の中央にあり、背骨の基底に位置する骨)にあたり、かなり重要なポイントだといいます。その7つの巨大なポイントが日本を護っていて、江戸時代の天海も護ってきたという。しかしそのポイントの殆どが愚かな人々の所為で力を失ってきているといいます。この岡崎城の龍城神社でそう啓示があった後、神が巨大な杭を与え、その杭を以ってこの重要なポイントに打ち込めとの啓示があったといいます。それが打ち込まれなければ、この日本本体、国土そのものが大難を受けるであろうというのです。

■神行2008 真の太陽の道(刑部恵都子の生きる道)

なかなか信じ難い話なのですが、見える人には見えるようです。

最近は、こういった話に端から拒否せず、積極的に肯定するスタンスを採っていますので、これはこれで認めるようにしています。そういえば、照山で合った田原の人も光の柱を立てなさいと神様から云われたといいますので、日本の神様は余程、光の柱が好きだとみえます。

そういえば、Karaのスンヨンは尾てい骨(仙骨)骨折で4週間絶対安静だったそうですが、この岡崎城が日本龍体の仙骨である話と妙にタイミングよくシンクロしているので、これは何かしら重大なことが関連している感じがプンプン臭うのですが、、、、、この辺の洞察はまた後日することにしますねw

また、ある気功師によれば、岡崎公園の国道1号側の入口側にある家康公の像は真向かうと跳ね飛ばされそうなくらいエネルギーがかえって来るといいます。これではパワースポットというよりは、投げかけた分を跳ね返す感じなのですが、、、、(笑)

岡崎家康像

しまった、、、
家康像の対面側に立たずに横を歩いてしまっていた(汗)。

今度、岡崎にランチ券を使う時に対面してカメハメ波を家康像にお見舞いすることにしようw

白鳥
(岡崎城のお堀の池の白鳥)

スンヨン命

Karaでイチオシなのは、やっぱスンヨンだな。(うんうん)

う~む、ハラもいいのだが、、、、
「あんたバカぁ?」って言われそうで怖いです。
ヤッズ★はスンヨン派でいくだす。

「アダムの国」から襲来してきた使徒が放つ悩殺ビームに、ヤッズ★は完全にやられました(爆)。綾波レイのタルパが間に合わなかったというのも理由の1つではありますが、、、



ハン・スンヨンは、2010年9月7日に体力トレーニング中に脊椎骨(尾骶骨)にひびが入る怪我を負い、そのまま病院行きとなり、診断結果は「全治4週間」の絶対安静の重症だったそうです。ですから、ラグナシアに来るのかどうか危ぶまれましたが、ギリギリ復帰でしたので嬉しい限りです。

http://long.2chan.tv/jlab-long/s/long1289780978316.jpg

ミニライブに出演しないんじゃないかという噂も出ていましたが、

「スンヨンが出演しないなどと、、、、
KARAを揶(からか)わないで!」(爆)


と竹言葉でユーモアタップリに回答したスンヨンに改めて惚れ直しました(爆)。

以前にも、右腕を骨折しながらも収録に臨んでいましたが、あの柔和な顔からは想像出来ないほどの努力家なのです。メンバーが欠けた時も頑張る姿が印象的でしたね。童顔なので若く見られがちなのですが、実はリーダーのギュリと同い年でメンバーでは最古参です。3歳年下のキ・ハラの方がお姉さんにみえるほどで、ハラが怒っていたという(爆)。


(他グループとのユニット「4Tomorrow」時のスンヨン)

スンヨンのこの頑張る姿は、、、、

怪我をおしてもエヴァ初号機に搭乗する綾波レイとオーバーラップしてしまった、、、
しかも、最近、ショートカットなので、益々、綾波レイ似になってきたw

スンヨン
(スンヨンさま)

多分、意識してるな、、、、、、俺が(爆)

綾波ケガ

これで綾波レイのタルパを作る手間が省けたw
ん? 待てよ、、、、スンヨンが綾波なら、、、、、

ク・ハラは惣流アスカ・ラングレイではないか!!!

スンヨン&ハラ00
綾波アスカ00
(髪型といい、この2人はソックリですw)

実写版エヴァはこの2人で、是非、お願いします。

それはそうと、11日に日本テレビ系の朝の情報番組「スッキリ!!」に出演したKARAですが、このコーナーはハリウッド・スターの日常やファッションに対する情報提供コーナーですが、これまでに登場したゲストは、レディー・ガガ、ジャスティン・ビーバー、バックストリート・ポーイズなど、世界を代表する大物スターばかりだったといいます。このレディー・ガガはカレイドスコープによれば、NWOの世界尖兵(イルミナティ・シンボリズムの伝道師)だといいますので、この破格の扱いは「ルパン」の冒頭に「2010年 新しいドアを開け、新しい支配を受け入れよ、、、」とあるように、やはりKARAも同じ類なのでしょうか?

ガガが欧米担当だったのに対し、YouTubeで脚光を浴びた「アジアの歌姫」ことシャリース・ペンペンコは、『ピラミッド』という曲名からもイルミナティ・シンボルのピラミッドをスンナリと受け入れさせる為のアジア担当としてスカウトされたようです。TV放映後も大した反響がなかったことを考えると、ど~も日本での侵攻は失敗に終わったようですね。何せ売れるアイドルの見極めには絶対の自信も持つヤッズ★がピクリとも動かなかったので、これは当然といえば当然です(爆)。

タヴィストック研究所の音楽でピラミッドを受け入れさせるマインド・コントロール作戦は、どうもこの日本では失敗だったようです。

石巻山ss
(ネルフ本部こと石巻山、このピラミッドは既に受け入れているが、、、w)

その代案がKARAなのかもしれません。

ペンペンコの来日が5月半ばでしたが、この時点で見切りをつけ、KARAにシフトでもしたのでしょうか? KARAの日本デビューは8月とタイミングもバッチリなのです。

しかも、関東圏以外では蒲郡が初のお目見えであり、今回、初めて新幹線に乗ったと言っていたので、KARAは豊橋に降り立ったことは間違いなさそうです(フフフ)。「何故、蒲郡なのか?」という洞察は前回の記事で痛い程書きましたので、ここでは簡単に述べますが、東三河に真っ先にNWOの尖兵を派遣するのは、今、蘇りつつある石巻山のエネルギーの封鎖にNWOが躍起になっているからだと睨んでいる。(ニタリ)

ズバリ、「ナルトの仕組」「不二子ちゃ~んの仕組」が狙いなのですw
これ以外にに説明できるものは無いw

『ルパン』の曲は今までのKARAの曲とは明らかに違います。また、最初の黒づくめの衣装から、一転、白い衣装に変わるのもバフォメットで象徴される闇の中の光を求め、そこから一転して光の世界に反転することを象徴しているようにもみえます。ガガの映像に関して「この深く暗い映像に魅力を持ったとしたら、その時点で要注意かもしれません。」というカレイドスコープの忠告そのままの映像です(爆)。

「急いで! 上に駆け上る、、、」という歌詞、また、その仕草が振り付けにもありますが、キ・ハラがするこの振り付け(スローモーから速く腕を振る)がまたカッコイイのなんのって、、、、これは、NWO、世界政府へ皆で一気に駆け込みましょうと言っているわけですね(爆)。

この怒涛の韓流ブームの背後には、「アダムの国」の韓国政府がいるとも睨んでいます。国策としての韓国ブランド向上を電痛が請け負っていて、そのイメージ向上の尖兵がK-POPという風な企画を持ち込んでお金をせしめているのかもしれません。で、KARAはフジ系列、少女時代は朝日、というように割り振っているのでしょうか。でも、それは表向きの小遣い稼ぎ程度なのでしょう。
※註 TV局の放送枠を買い取り、そこにある番組企画を立ち上げて、それにスポンサーに付いてもらう。例えば、それが情報番組であった場合、その番組内で宣伝するからと、地方の店舗からも広告費を貰う、、、、というように「1粒で2度美味しい」を狙うのが広告代理店の正しい手口ですw エヴァンゲリオンの作画中に登場するエビスビールやUCCやローソンなどもこの手口と同じですね。

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はっきり言っておきたい。あの韓流ブームとやらは、明らかに、意図的に計画され、実行されたものである。多分、電通が仕掛けたものだと思われるが、その背後に何が存在するのか、何が目的なのか、私には断定する材料がない。しかし、テレビに長年関わってきた経験から分かっていることがある。テレビ番組は、ドラマを含め、ほぼ一年前には番組編成が企画され決定される。昨年韓流ドラマ番組が、NHKから民放キー局全てにわたって一斉に横並びで放送され始めた。この状況は明らかに、一昨年以上前から計画され、昨年の秋にピークを迎えるように、仕組まれ、実行されたものと断言してよいと思う。

また、普通、各テレビ局は番組の視聴率を争うわけであるから、全く同種類の韓国のテレビ番組を一斉に横並び放映するなど、考えられない。この「異常事態」は、直接的には、テレビ局全てに影響力を持つ大手広告代理店「電通」によって仕掛けられたものだろうが、誰かが、または何らかの集団が、意図的、計画的に、電通にこのプランを依頼したはずなのである。

特定は出来ないが、韓流ブーム最盛期の頃、つまり昨年秋から年末頃だろうが、国会に提出されようとした法案が「在日外国人地方参政権」法案と、「人権擁護法案」であった。無論、私の立場はこれらの法案に反対である。だからこそ、この法案を成立させるため、日本国民の間に、法案を受け入れる環境作りを狙った計画が、極めて戦略的に、巧妙な計画性をもって実行されているという事実、これを見逃してはならないと思う。


■韓流ブームの仕掛人は電通
http://d.hatena.ne.jp/nay/20051025
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やはり、背後には大きな陰謀(NWO)があるようです。

たとえKARAがそうであっても、スンヨン命ですから、、、
スンヨンの可愛さには、ヤッズ★はNWOを受け入れる覚悟が、、、!?(爆)



「外界=内面」という変換人型ゲシュタルトやカバラ的な解釈からは、韓国と日本の音楽マーケットが一体化する流れが象徴していることは、「アダムの国」と「エヴァの国」の2つの融合であり、これは「不二の仕組」の発動が近い証拠でもあると睨んでいます。決して、どこかの宗教団体が言うような「エヴァの国」が「アダムの国」に貢ぐようなものではないのです。
※註 韓国は儒教の影響からか男尊女卑が著しく、日本の渡来系支配階級層の思想バックボーンの根はここにあります。韓国が男性原理が優勢な「アダムの国」と云われる所以です。韓国女性が韓国に帰りたくないと言い出すのはこういったことが背景にあるのですね(笑)。日本の神社の神官が男限定であり、逆に巫女が補助的な役割しか与えられていないのも、この支配階級の思想が原因なのです。本来、日本は女性原理が優勢な「エヴァの国」であり、霊的な巫女体質の女性が神の言葉を介在する「神の国」だったのですが、渡来系の支配者がこれを180度転換してしまったわけです。このように日本と韓国は、対極的な国なのです。

KARA IN ラグナシア感想

当日、至近距離(20m)で鑑賞ですた。

ああ~ スンヨン可愛がったす

ハラもえがったす

タルパと使徒

随分前に書いた人工生命体タルパ記事では、シャラポエル、アヤエル、イーイェンエル...等が我がタルパエンジェルだと書きましたが、この名は、なんかエヴァンゲリオンの使徒のような名称です(爆)。一応、作ったつもりでいたのですが、実際には、実体化までは到っていない感じです(汗)。

そんなことよりも最近は、秘密結社電通により韓国から襲来した9人の使徒の方に俄然悩殺されてる為か、身近にヤッズ★が作った「生身の人間タイプ」のタルパが現れていても、全然、気が付いていないだけかもしれません。

只今、韓流の濁流、真っ只中ですw


(最強の電通使徒 99.89%日本人と同じDNA)

やはり、もっと識別し易く、使徒「少女時代」にも負けない程の魅力を持ったタルパを作らなければ、、、、

タルパを作る場合の問題点として、生身の人間ではイメージがし難いという問題があります。いまいち性格や挙動のリアルなイメージング描写が苦手なのです。で、最近、考えていた解決策が二次元アニメの登場人物を流用したタルパ化です。アニメキャラならば、既にしっかりと性格付けや描写も比較的簡素化されているので、後はそれをなぞればいいだけです。

そんなことを考えながら、記事化の構想を練っているときに、深納さんさんからタルパに関するコメントを頂きました。もう、トヨタのジャスト・イン・タイムも真っ青のシンクロ振りです。このシンクロぶりはヤッズ★に「タルパを作れ!」という天上界からの超重大緊急メッセージなのかもしれません(爆)。
※註 深納さんはモデル雑誌の切り抜きを使い、マジにタルパ作成が出来たという。で、今、そのタルパ「いたみ」さんと暮らしているそうです。ヤッズ★の場合、なかなか理想のタルパが出来ないので断念してましたが、、、これでタルパ生成に励みが付くってもんです(がはは)。

さてさて、どのキャラをタルパにするかといえば、当然、この2人です(爆)。

綾波アスカSS

名前もそのまま流用ですw
服はプラグスーツがメインで、まぁ、時々、制服姿でしょうか。

このタルパ作成を名付けて、、、、

「綾波レイ/惣流アスカ生成計画」

ヤッズ★はリアル・エヴァンゲリオンの世界を行くだすw

ブログタイトルにも採用してる程に、涼宮ハルヒ、長門ユキ、朝比奈ミクルは好きなキャラなのですが、実は、これらのキャラにはそれ程感情的に深く入り込めていないのが現状です。「まだ何かが足りない、、、、」 多分、それは恋するような感覚でしょうか(爆)。ローソンでタイアップ商品が出ても、多分、買わないだろうと思います(長門ユキ商品は少しだけ買うかもしれんw)。ヤッズ★の場合、この感覚がないとタルパ作成の長い思念の熟成期間を乗り切れないと思われ、、、、

では、ここでもう一度「タルパの作り方」を復習してみましょう。

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タルパ・・・・チベット密教の秘奥義で、修行を極めた者のみに伝えられる秘奥義・・・・・・日本語訳で「人工未知霊体」つまり、人間が「無」から霊体を作り出してしまう方法です。

* 貴方が理想とする人間を想像
* イメージに揺らぎが出ないよう全体のバランスを取り細部も詳しく想像
* 人格も同じく、細部まで想像

この術のポイントは「頭の中の世界」で想像しないで、現実世界に重ねて想像するのです。いま、自分の目の前に彼女がいると想像します・・・・・それが「奥義」です。何か、とても簡単で、どこも特別じゃないような気がしますが「現実世界の上に重ねて想像する」ってのは、簡単なようでいて、意外と誰もしないのです。

実際やってみると、えらく難しいのが判ります。細部まで想像出来るようになるには慣れが必要ですし、全体を捕らえながらやろうとするとまた難しいのです。そして、彼女をただ想像するだけでなく、「人格の形成」も同時に行っていきます。彼女を「動かす」のです。

例えば、彼女と「会話」をしてみます。もちろん最初は、貴方が「彼女のセリフ」を考えて、一人で二人分の会話をスムーズに頭の中に流さなければなりません。もちろん、慣れたら細部にこだわります。会話するとき、例え自分が考えたとしても、「彼女に喋らせる」事を忘れないでください。彼女のセリフも、「彼女ならこう答えるに違いない」とか、「彼女は頭がいいのだから、ここまで考えて喋るはずだ」とか、考えて下さい。そのうち慣れて来ると自分が考えて喋っているのか、彼女が考えて喋っているのか判らなくなってきます・・・・そのうち、完璧に彼女自身が喋り出してきます。


■幽体離脱にはまった
http://www13.atwiki.jp/ridatu/pages/329.html
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超重要箇所には下線部を引きました。

つまり、タルパとは人間のイマジネーションで作り出す霊体みたいなもんです。最近、若い人の間で話題になっている「小さいおじさん」がありますが、実は、精霊やタルパの外観はアクティブ・イマジネーションの産物なのですね。

安部清明が使役した式神もそうでしょう。

■アクティブ・イマジネーションとは(最近幽体離脱にはまった まとめ)
http://www13.atwiki.jp/ridatu/pages/392.html
■アクティブ・イマジネーション(煩フル記事)
http://aioi.blog6.fc2.com/blog-entry-591.html

タルパ精霊の違いは、コアとなる部分が自分から発せられているか、自然エネルギーかの違いです。釈由美子ちゃんがよく見るというジャージを履いた小さいおじさんは、彼女固有のアクティブ・イマジネーションによるものでしょう。彼女が何かしらジャージに思い入れがあるからこそ、その強い思いが、エネルギー波動の欠けた部分を補完しながら視野意識に投影されて、そう見えるのでしょう。

コノシロの池が復活する頃、石巻山の上空に龍を見たという子供の証言もこの原理で説明が出来ます。多分、何らかの巨大なエネルギーの流れを感じとったのでしょう。同じ現象をヤッズ★見れば、石巻山上空を舞う9人の使徒(天女)と見えていたかもしれません(爆)。

タルパにしろ原理はこれ同じです。ただ、核となるものが自然エネルギーではないだけですね。幽体離脱の名倉世界におけるガイドとは、正にこのタルパですね。

人間は外界世界を眼という孔を通して直接覗いているわけではなく、眼というCCDのような受光器官を通じて、電子パルスに変換された情報を脳内で意識というスクリーンに投影した再生映像を見ているわけですが、この意識のスクリーンには潜在的な思考も当然投影されているわけであり、薄暗がりではそれが見える場合があります。これが神様や幽霊やタルパや「小さいおじさん」と云われる正体ではないかと睨んでいます。

この視覚化メカニズムは、人間の視野には視神経が束になった部分は視細胞が存在しない為に死角がありますが、その欠けた情報を自動的に補完しているのと同様で、何らかの自然エネルギーの蠢(うごめき)、例えば、ローソクの炎とか、、、をキャッチした際に、イメージが自動的に働き出して補完し始め、例えば、小さな人間の姿として意識下に浮かぶのでしょう。それが目の前の風景と重なる為に見えるのではないでしょうか。つまり、脳内のプログラムによって起きることであり、そのプログラムを書換しさえすれば、誰にでも生成可能でしょう。

普通、そこまでのイメージングをしないから、見えないだけです。

つまり、自己の深い意識領域で感知されたエネルギーや波動をある一定の姿形に形態化させ、無意識的にアクティブ・イマジネーションをしたが故にこのような存在が見えるのではないでしょうか。

ですから、普通、同じ内容が他人には見えないのです。見えても、その詳細なディーテルや形態は若干異なっている筈です。子供のように、まだ意識が事物認識がはっきり出来ない場合、特にこの傾向が顕著だと思います。子供が集団で見た場合も同様でしょう。

ただ、こう書いてしまうと「なんだぁ~ 単なる妄想か!」で終わってしまうのですが、アセンションしてしまった「シリウス文明がやって来る」の管理人kagari氏によれば、彼(精霊)は実はエネルギー体であり、さまざまな形態に変化することが出来るのだといいます。そして、彼を見掛けた人は光のネットワークに繋がっているから見えるのだとか、、、、「小さいおじさん」の役目は光のネットワークへの「お誘い」で多次元世界へ誘う道だとのことです。
※註 話がややこしいですが、一見、そのように物質世界を物質の目を通じて間接的に観ているようにみえますが、実は、意識が直接的に観ているのですw 眼を通して外界を見ているというのも、実は物質的な幻想なのです。

先日、ヤッズ★はNTT西日本の光コミュファへの変更の執拗な勧誘電話を断ったばかりですが、それは「小さいおじさん」からだったかもしれません(超爆)。

これは、ある意味、本当のことだと思います。
あっ、NTTのことではなく、光のネットワークの話ですが、、、

つまり、「外界=自己内面」という変換人型ゲシュタルトから考えても、意識の精妙な深いところからくる変化がシグナルが映像として見えるようになるということは、実は、その精妙な世界と繋がり、その高次元世界の淵を含めた領域が自己の新たな生活領域となってきたとも言えるのです。これは新たな感覚器官が生成したともいえます。後は、その挙動をパターン化して予測に使用することが可能かもしれません。

上記のように、タルパにしろ精霊にしろ、脳内意識に自然生成するイメージという観点から説明をしましたが、人間を取り巻く世界が本当は客観的に存在する物質的な世界ではなく、実は、大きさも空間もない波動のような世界が広がっているのであり、自分もその波動の一部であるからこそ、自らの思念波動を強く刻みこむことが出来、そういった存在を生む出すことが出来るのです。

実は、これが脳内プログラムの正体です(笑)。

他の人も共通して見える場合は、その思念が場に相当強く刻まれているからであり、その強い波動が共有化されるからこそ見えるのでしょう。幽霊現象の多くは人に起因していると睨んでいます。人がいないところに幽霊は現れないとまで考えています。ある特定の波動が人を介してイメージング生成されて強化され、それを他の人が見るという感じでしょうか。UFOについても同様でしょう。

ですから、幽霊現象は否定もしなければ、肯定もしません。

「外界=客観的実在空間」という人間型ゲシュタルト(認識)を正とするならば、それは妄想・幻覚の類に分類されますが、変換人型ゲシュタルトを正とするならば、それは現実であり本当となります。これが否定も肯定も出来ない理由です。

しかも、見えたものイコールではないと考えています。
そこには、何らかの意図しない固有の脚色が掛かっている筈です。
つまり、同じ波動を龍と見るか、天女とみるか、UFOと見るかの違いというわけです。

一見、このような理知的態度で考察してみましたが、実は、これは同義反復(トートロジー)に過ぎないのかもしれません。単に起きる現象に対して用語を変えて説明し直したに過ぎないのです。まぁ、思考停止よりマシな程度なのですね(爆)。ただ、1つだけ言えることは、そのような認識体験は、誰が何と言おうがその体験者にとっての本当の真実であり、事実だという点です。

で、肝心なのはここからです(超マジ顔)。
これは、この世の認識が変わってしまう話かもしれんません、、、、

実は、アダムの国(韓国)から日本へ来襲する「少女時代」「KARA」...等の使徒は、NWOが放ったタルパかもしれないのです(爆)。

「外界=自己内面」とする変換人型ゲシュタルトから考えれば、この世の全てのものは自己の内面世界内での出来事であり、「本当の自己」(ハイアーセルフ)がイメージング形成して作られた世界であり、そこに蠢くものは、ある意味、タルパといえなくもないので、このトンデモな内容にも全く違和感なく同意できると思います(笑)。

一方、応戦するエヴァの国(日本)はどうでしょうか? 今のところ、AKB48、SKE48やアイドリング!!!だけでは心もとない限りです。
※註 元来、日本は御嶽(うたき)神事という巫女制を根本とした母性国家だったのです。一方、渡来系の支配者が導入したのが男性神官を頭に据える現在の神道です。韓国が儒教の影響からか男尊女卑が激しい国なのはよく知られるところです。1万年の長き間、戦いをせず平和的に暮らしていた縄文人が採用していたのがこの巫女制なのですが、渡来系に支配された日本は同様に男尊女卑の風潮を持つようになってしまったのです。渡来系末裔である華族の娘は今でも財閥または高級官僚のところへしか嫁に行けないという閨閥の道具になっているのでが、一方、日本の農村は「カカア天下」の言葉があるように女卑という風潮はあまり強くないのです。統○教会がいうように「韓国はアダムの国、日本はエヴァの国」というのは、ある意味、事実なのですね。

ちなみに、10月13日(土曜)には「蒲郡ラグナシア」でイルミネーション点灯式があり、そこには「少女時代」の前座ともいえる「KARA」のミニライブがあるといます。こちらも電通が放つ使徒です。

つまり、10.13東三河に使徒襲来があるのです。

■ラグナシア イルミネーション・アート
http://www.laguna-gamagori.co.jp/laguna/winter/index.html

こ、これで、憧れのスンヨンちゃんに遭える~~~ぅ(照)。
思った以上に早く、ヤッズ★の願望が叶いそうです。


(KARAの最新曲「ルパン」)

でも、何故、この時期、蒲郡なんぞへ来るのか?
い、いや待て、この曲名は、、、、

ルパン。。。。

そ、そうか!!!
分かったぞ!!!

NWOの意を受けて使徒KARAを送り込んだ秘密結社・電通は、1300年も続く百済半島系の藤原北家支配の道具として日本の隅々にまで張り巡らした真の国体である「キリスト結界」を一瞬にして崩壊させ、「人類補完計画」を実現させてしまう日本唯一の火と水のエネルギー交差点である石巻山発動の「不二子ちゃ~ん♪仕組」(不二の仕組)の瓦解を狙っているのだ。
※註 「不二の仕組」とは、男と女、熱・冷、乾・湿のように二元化する物質世界において、その対立概念を融合統一化し「原初の人間」とも「神的人間存在」とも呼ばれるアダムカドモンに帰すことです。人間はこのアダムカドモンから分裂して512個の自我に分裂しこの物質世界に舞い降りて、この世界に五感をフォーカスしているのだという。この過程が「デミウルゴスの創造行為」と呼ばれますが、今後、2010~3年からはこの逆過程を辿るといわれています。これが「不二の仕組」です。

しかも、今回、KARAは「Jumping」動画)という西川のりおの「つくつくほーし」並の腰振りダンスを取り入れた超強力な新曲(11/10発売)を引っ提げての襲来なのです。

ルパン+ジャンプで「ルパンダイブ」
つまり、使徒が不二子ちゃ~ん♪を狙っていることは明白なのです(滝汗)。

lupin-dive.jpg
(ルパンダイブ)

不二子ちゃん
(石巻山の仕組発動の「ポチッとなボタン」を押すのは、このヤッズ★なのだぁ~)

ヤッターマン ポチッとなボタン ドクロベエヤッターマン ポチッとなボタン ドクロベエ
(2008/06/26)
タカラトミー

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「やらせはせん!やらせはせん!」

使徒が蒲郡に上陸する理由も、このラグナシアは徐福一行が上陸した三河御津(東大湊)のスグ横だからでしょう。この三河御津は、壬申の乱の折には倭建(=大海人皇子)軍総大将洩矢宮麻呂、倭建の妃広野(持統天皇)の息子建韓(草壁皇子)と中臣大嶋が配置された本陣とも言える場所であり、また、この三河御津は「天武天皇の御落胤狩り」が真の目的だった持統天皇の三河行幸での上陸地でもあります。このように、この地が東三河攻略の最重要地点であることを熟知した上での上陸作戦なのでしょう。

1300年間、日本を支配して来た烏垣系百済の藤原北家、また、その手下の秘密結社・電通が過去の経験則や故事を踏まえてのシナリオでしょうか。

で、石巻山が使徒に触れられるとサードインパクトが起きると云われている、、、、何故ならば、三河は「3」の付く地であり、石巻山にはダイダラボッチとも、巨神兵とも称された「第一使徒アダム」(光の巨人)が隠されているからです(爆)。
※註 東三河を壊滅状態にしたインパクトは過去に2回あります。最初は、徐福末裔の栄えた「大漢国」を滅亡した蝦夷(アイヌ)の招聘で渡来してきた初期大王家(スキタイ・カド族)の侵攻。これがファーストインパクト。次ぎは大友皇子と大海人皇子が天皇の地位を巡って起きた東三河が主戦場となった「壬申の乱」。これがセカンドインパクトです。そして、今回の侵攻が3度目の壊滅(サードインパクト)となるか?

第一使徒アダムは南極で胎児までに還元中、不慮の爆発が起きてセカンドインパクトが発生したことになっていますが、あれはアニメでの話であり、実際は、アダムは石巻山に太古の昔から隠匿されていたのです(超爆)。それが証拠に、石巻山はこの世のものではないエネルギーを感じるが故に、邪馬台国の倭人(弥生人)が聖なる地として崇め巡礼地としていたのです(がはは)。

聖書『創世記』では天地創造の初めに神が「光あれ!」と叫んだように原初は光の状態だったのですが、だんだん枝分かれして多様化し物質化したのがこの物質世界です。しかし、このデミウルゴスの創造行為とは逆の過程で、今度は、石巻山で交差する火と水のエネルギーが「不二の関係」になって融合し、火(5)+水(6)→光(7)となって「一なるもの」に還元していくのが、人類意識のネットワーク化を実現する「不二の仕組」(不二子ちゃ~ん♪の仕組)なのですね。

この光のネットワークの大元となるのが、石巻山中に隠された「光の巨人」と呼ばれる第一使徒アダム(ダイダラボッチ)なのです。

時には、石巻山の天空を飛ぶ白龍のように見えることもあります。

光の巨人
(「光の巨人」とはダイダラボッチのこと)

結社の目的は、この光の巨人第一使徒アダムの簒奪でしょうか。
それともアダムをこの地上から抹殺するのが目的なのでしょうか。

今のところ、それは分かりません。

2009年の石巻山の復活、つまり「光の巨人(ダイダラボッチ)」復活に合わせ、何故か日本は使徒侵攻の激しさを増しています。近々、浜名湖~豊橋でロケが開始される韓国ドラマ「シンデレラ」についても同様の侵攻作戦ではないのでしょうか? 何故、日本に数ある候補地から東三河が選ばれたのかよく分からないのです。そこにはきっと秘密結社・電通の隠された意図やシナリオがあると睨んでいるのですが、、、、

ヤッズ★の洞察では、浜名湖の奥・三ケ日の地は徐福子孫の君子国が初期大王家に攻められた際、山を越えて逃げた最終戦争のあった地なのですが、予めその地元を感化隷属化させ、逃げ場を押さえておくという作戦だと睨んでいますが、、、(ニタリ)
※註 電通の表の狙いは、アジア各国に放送されるこのドラマによって、富士山静岡空港→浜名湖→豊橋→渥美半島→(フェリー)→伊勢→中部国際空港という人気の旅行ルートを構築しようという腹積りなのもしれない。そして開発した利権は全て電通の元へ、、、(笑)。東三河はかつて東海三神山(蓬莱・方丈・エイ州)があった故に大陸や邪馬台国からの巡礼地であったが、これを復活させる出来事となる筈です。これは是非とも、その目玉として「大魔神像」を古城公園に建立すべきだなw

KARAは西の「始まりの地点」から、、、
シンデレラのソン・ヘギョは東側の「終末の地点」から攻めてくる!!!

恐るべし、秘密結社・電通

恐るべし、烏垣百済系藤原北家

恐るべし、NWO(新世界秩序)

※註 そもそも烏垣百済系藤原北家と米国NWOの結び付きは、第二次世界大戦後のことです。明治以降の日本は欧州ロスチャイルド系の国家でしたが、大戦後、ジョン・ロックフェラー&スカルボーン&ナチス(ネオコン)の米国石油戦争屋が割って入って簒奪していった経緯があります。マッカーサー率いるGHQが戦後の日本統治をアメリカの尾を踏む契機となった大陸侵攻に到る真の原因を「富の偏在」と考え、農地解放と財閥解体を中心として進めていった。農地解放は完遂したが、財閥解体は途中まで進んでいたが、共産勢力の脅威が発生し、日本を米国の橋頭堡及び供給工場へと方向転換し、財閥は資本集中のないグループとして存続が許され、中途半端に終わった。その際、日本の真の権力中枢は何かと調べたところ、それは紛れもなく1300年間支配階級に君臨し続け磐石な権力体制を敷いていた藤原北家であったのです。所謂、公家です。ここに米国NWOと烏垣百済系藤原北家が手を結んだわけです。閨閥として新たな支配階級を構成していったのです。この両者が今目指しているのが米国を世界盟主としたNWOであり、戦前以上のな富の集中と階級社会の到来です。その一貫として工場派遣労働解禁だったのでしょう。米国大使館の日本委員会経由のシナリオを実行するのが司令塔の電通であり、その傘下(影響下)にマスコミ各社がいるという構造です。それに対抗するのが原子力金融屋の欧州NWOですが、コチラは国連を中心とする世界政府構想であり、日本での切込み隊長役が小沢氏や鳩山氏でしょうか。小沢氏への検察告発の真意が見えてきませんか?

そして、最強の使徒「少女時代」が来る前になんとかしなければ、、、このままでは「光の巨人(ダイダラボッチ)」は簒奪され、その際、サードインパクトが発生して、アニメのテロップ通り豊橋市が「豊橋市跡」となってしまう。。。。これで人類が光のネットワークに繋がって一体化し、神の如く「不老不死」の存在になる「真の人類補完計画」もオジャンだぁ~。その代わりに電通が意図するツイーターでの「偽の人類補完計画」が主流となってしまうだす(滝汗)。
※註 ドクタ~も指摘しているように、ブログと異なりツイーターは本当の感情や気持ちをポロリと出しやすい媒体であります。これは人類意識が一体化する「人類補完計画」のツール足りえるものです。また、ここで発せられえる情報を分析することで、非常に正確なマーケティング情報を得られるともいいますが、近年、ツイーターでの検索ワードでは政府にとって都合の悪い言葉は出てこないようになってしまったといいます。例えば、「尖閣諸島」とか、、、「尖・閣・諸・島」と入力すれば大丈夫だとか(爆)。こういった水面下で思想をもコントロール下に置こういうのがNWOの手下である秘密結社・電通が進める「偽の人類補完計画」なのですw

「やらせはせん!やらせはせん!」

エヴァ豊橋01エヴァ豊橋02
(エヴァの1シーン)

10月13日はスンヨンちゃんに遭いたいという想いもあるが、曲の冒頭で「2010年、新しい支配(NWO)を受け入れ、ニューワールドの扉を開けよ!」とNWOのスローガンそのままのメッセージを発し、闇の世界権力のシナリオに沿って秘密結社・電通が放つ使徒「KARA」を迎撃しに蒲郡に行かねばなるまい。

行ってDVDを買ってサインを貰わねば、、、、。

葛城:「一撃で殲滅せよ!」

この作戦発令は葛城ミサト一尉からではなく、葛城大臣(葛城毛人=蘇我入鹿)からの指令だす。大和の葛城を領地としていた大国主(蝦夷)系の葛城氏(=蘇我氏)は、渡来系天皇である崇峻天皇によって葛城領を取り上げられ、名を「葛城」から「鞍作」に変えざるを得なくなったのですが、さらに、百済皇子・豊(中臣鎌足)によって飛鳥板蓋宮ではなく本当は元興寺(現・飛鳥寺)西側で待ち伏せ暗殺された蘇我入鹿には、未だその禍根が残っていて、渡来系嫌いから「カラ国の使徒を撃て!」と指令しているのだす。
※註 平城京遷都時、「元興寺」は飛鳥から奈良に移動しましたが、その後身「法興寺」は通称・飛鳥寺と呼ばれ、蘇我馬子建立の日本発の本格寺院だといいます。この寺の西門から100メートルにある五輪塔が「入鹿の首塚」と呼ばれ、板蓋宮で暗殺された入鹿の首がここまで飛んできたという伝承がありますが、本当はここで入鹿は暗殺されたのです。さらに、大国主系末裔の蘇我氏は崇仏派ではないのに、記紀でそう歪曲され記述されてしまったのです。ですから、「元興寺」は蘇我馬子建立というのも嘘でしょう。どちらかといえば、蘇我氏(葛城氏)は聖徳太子(倭聖=高向王がモデル)が奉じた景教に近かったのではないでしょうか。ちなみに、語り部のよると、記紀記述の蘇我は「我は宗家」という意味の「宗我」を蔑字化、入鹿の名は「そんな者いるか!」から来ているそうですw このことから類推するに「蘇我」とは「我は蘇りである」というイエスの言葉をもじったのではないでしょうか。

それにしても、今回の使徒KARAは超強力です。

何ものをも貫くという「KARA」の悩殺ビームは厄介です。これを盾となって守ってくれる綾波レイのタルパを一刻も早く作らねば、、、、ヤッズ★のポジトロンライフルは、ドクタ~のようにシリウス海綿体で出来ていないのでエネルギー充填に時間が掛かるのです。その間を狙われたら、全ては終わりなのです。

「ヤアタマ(八頭)作戦」の発動です(爆)。

yasima.jpg
(箱根二子山のヤシマ作戦 盾となって防ぐは綾波レイのエヴァ零号機)

では、どこから狙えばいいのでしょう?
エヴァの「ヤシマ作戦」では箱根の二子山からでしたが、、、、、

東三河の場合は宮路山でしょうか!?

ネルフ温泉まんじゅう

宮路山はフタコブラクダのような山で、高い方の山頂に持統上皇の石碑、低い方の山頂に宮道天神社(本宮)があります。「宮路山」の語源は三河行幸時に持統上皇が登ったことから名付けられたといいます。また、宮路山の山麓には宮道天神社(里宮)がありますが、ここは壬申の乱で統天皇の子の草壁皇子が城を構えた場所とされ、祭神に草壁皇子が加えられています。持統天皇は熊野経由で伊勢から三河御津(現・愛知御津)まで船でやってきて、暫くこの地に滞在後、陸路で尾張の方へ巡っていったといいます。行宮(=長期滞在の仮の宮)は、蒲郡市の三谷(語源は「宮」)町、音羽川河口、宮道天神社(里宮)等に建てられたといいます。
※註 語り部情報によると、草壁皇子はこの宮路山で友軍の中臣大嶋に葬られたというが、、、、その褒美に天武天皇から「藤原」姓と衣と額田女王を賜り、その後、その咎を認めて「藤原」姓を天武の御落胤(宮子)を匿った不比等に譲り、自らは「日下部」姓を名のり三河一宮・砥鹿(咎)神社の宮司になったというが、、、、この厚遇ぶりは、後期大王家・天智天皇の娘である持統天皇との間に出来た草壁皇子を天武天皇は嫌っていたのだろうか? 六皇子を互いに闘わず協力し合うと約束させた「吉野の盟約」の美談は嘘なのだるか? また友軍が皇太子(草壁)に刃を剥くのも信じがたいし、咎っていったい何の咎なのか?、、、、内容的にイマイチ理解し難いのではあるのだが、、、、

フタコブラクダ、、、う~む、やはり宮路山で決まりだなw
当日、蒲郡に行って作戦決行ですw

宮路山01
(宮路山からラグナシアの距離)

10.13宮路山決戦の日は、スグそこだすw

イエシュア(救い)の地

とうとう語り部が、伊勢の本当の姿を語りだした、、、、

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伊勢【イヒャ(縄文人語神拝所)からイヘヤへ、然してイエシュア(ヘブル語神の救い)】神宮の天照、豊受、はそれぞれイエスキリスト、ヤハウェで、各々の神に様々な神が習合されている。【但し天照には広野(持統、仁賢)の立場を歪曲して表現されている。従いスサノオは、部分倭建天皇と倭武大王で混成。倭稚建天皇(文武、高市皇子)がスサ(ペルシャ)ノオ(の王)を外国神話より創作。ペルシャ方式宮殿を倭建天皇が建立した為。晩年広野は、建の隠棲地の後落胤達を其の妃達等と共に根絶やしに】
※註 女帝・持統天皇(広野)の数度に渡る謎の三河行幸の真の狙いは、夫・天武天皇(倭建)が青年期に東三河に隠棲した時、その地に残した妃と御落胤の抹殺にあったと語り部はいうが、これが本当なら、持統はまさに鬼畜です。

ユダヤ人の祖父、アブラハムはトガルマ人(トガルマ発音を、ターガマから高天)の地のハラン(原)に逗留した。当地(当時は交易路の要衝)に存在した要塞都市アマスラ(天照)から使用。又、天照の意味には、イエス・キリストの「私は世の光です」が大いに関係している。元々男神(天岩戸で鏡に写るで表現される。つまり逆さ)【高天原は、ユダヤ人の祖の逗留地】

ユダヤ人系百済人の祖は、南方経由チベット南下インド経由【小乗仏教信仰開始】タイ(シャム、シャモ。アイヌ=蝦夷=北方経由大国主系は、内地の支配者をシャモと言う)経由中国南部から中国入りし烏桓騎馬民族として勢力を伸ばすが、国は滅ぼされ同化。直系は、高句麗の扶余人系ユダヤ人の助けを得て、朝鮮半島で建国した経緯存在。百済王族は、小乗仏教故に、口達者で、残虐性大きかった。【魏書百済伝参照下さい。邇波氏族の葛城摩理勢(稲目、馬子)も影響を受けた】

百済男弟王は、倭名を倭継(継体)と言うが、彼の異母兄倭武の遺族が、自分を武と見間違えた際に武の喪屋を破壊する程の人物。穏やかさえ無い。画像は、初代大王倭武と考えて差し支えないだろう。【表面上波斯ペルシャ(古代東方キリスト教徒。政治無関与が其の教えで後世景教とも)教徒で、内面的には為政者として、非情に為れる小乗仏教徒】立倭武多(ネプタ)も倭武大王(建国記念日も)である。【各経由地で逗留在り】

藤原氏祖は烏垣直系の倭友(天智)大王息子不人(不比等)で、烏垣直系天皇族を守る為暗躍し続けた。幾度も手足と為り二極体制で存続を強化した。
※註 他の語り部情報から補足説明しますと、、、、烏垣直系天皇族とは半島で百済勃興しその半島情勢とバランスを取る安全保障の為に初期大王家(扶余系騎馬民族スキタイ)に婿入りしてきた後期大王族(百済系エフライム族)のこと。初期大王家は古代伊勢湾の岐阜羽島から上陸。後年、後期大王家は九州から上陸した。初期大王家滅亡後、天孫降臨の地が九州に移された理由がこれです。天智天皇の子を身篭った妃を中臣鎌足に賜って生まれたのが不比等、後に臣下では唯一「大錦冠位」を授かり公家の筆頭となるが、この出来事こそ日本が天皇と藤原氏の二極体制で運営されていた証拠です。未だ藤原氏は閨閥という形で日本を影から支配しており、それは1300年間も続く真の日本国体なのです。

伊勢神宮の警備方式はエルサレム神殿警備方式と同じ。式年遷宮は、モーセが率いたイスラエル人が、ヤハウェ(ヤハ、エホバ、ジェホバとも)の指示で、狭い荒野を40年間(聖書の民数記を参照下さい)転々(排泄物を土で覆い其の為の土地が無くなると移動)とした事から教訓を得る為になされている。(聖書の出エジプト記、申命記を参照下さい)伊勢神宮の神職の普段着白服(聖書の歴代第一を参照下さい)
※註 古代イスラエル人はモーゼに率いられ、エジプト脱出後、荒野放浪時には「幕屋」と呼ばれる移動式の神殿で祀っていました。幕屋内には「契約の箱」(アーク)があり、約束の地カナンに入ってからも契約の箱は適時移動していました。聖書には「その箱がキルヤテ・エアリムにとどまった日から長い年月がたって20年になった。」(第一サムエル記 第7章2節)と記されていることから、契約の箱が一ケ所に留まる最大期間は20年であるとされ、ここから式年遷宮の20年毎は来ているわけです。

祇園祭りはシオン祭りで、祇園の側に八坂神社在り(ヤサカとは、ヘブル語でヤハへの崇拝の意味)

剣山の伝説は、イスラエル人が来た事の確たる証拠で、ある程度手を掛けましたが、イザヤの一団の来訪は架空の伝承です。伊雑(イザヤ)宮もでっち上げです。モーセの石版現物は存在しません。


■世間話の掲示板
http://8305.teacup.com/kasaburanka15/bbs?&OF=0
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やはり、内宮はイエスで、外宮はヤハウェだったか、、、、

外宮を先に参拝や祭を行いなさいという「外宮先祭」の理由もこれで明確になりましたね。旧約の神の方を先に祀らないといけないというわけです。しかも、内宮外宮共にいろいろな神が混ぜられて祀られているという。

ヤッズ★も伊勢内宮の地は五十鈴川沿ということから、元来、水の女神「瀬織津姫」が祀られたところであり、その後、三輪山の神様(蛇)とか、邪馬台国の鬼道(初期道教)で使用した御神体(八咫鏡)までを習合し、さらに初期大王家が奉じた景教のイエスキリストを習合した複合的な神の祭殿だと睨んでいましたが、ほぼ洞察通りの結果で嬉しいですw
※註 日本古来の神道、つまり古神道は神奈備(かむなび)と呼ばれる山や盤座を御神体として祀っていた為、古い神社には必ず御神体の山や岩が存在しますが、伊勢内宮の場合、そういったものが一切存在しません。逆に、川の神を祀って正殿の無い「滝祭宮」が川沿いにひっそり存在しますが、ここが、本来、瀬織津姫が祀られていた場所ではないかと睨んでいます。また、三輪山縁起書には「当社と伊勢と一体異名炳然なり」とあるように、伊勢と三輪は同じ神を祀っているという記述があるのです。

伊勢神宮
(伊勢内宮 またの名をイエシュア神宮)

天の岩戸開きの話も、イエスの墓所での復活がベースになっているようですし、、、極めつけは、実際の内宮創建は697年頃だといいますが、内宮の由緒は伝垂仁天皇26年(紀元前4年)だと謳っていますが、これは太陽とも称されるイエスキリストの誕生年と同じなのです。目の前を流れる「五十鈴川」もイエスズっぽいですしね(爆)。

内宮=イエスというのは、ガチなのです。

伊勢神宮の警備方式の話の経緯はこうです。イスラエルの主席ラビ(シュロモ・ゴレン)が日本にやってきたとき、大学で日本神道の先生に伊勢神宮の警備について質問の答が返ってきた際、あまりの驚きに顔が青ざめ、ペンの動きが止まってしまったという。その警備の仕方がミシュナ(タルムード)に記された、2000年前のエルサレム神殿で行なわれていた、警備員のパトロールの仕方、交代の仕方、交代の儀式、人数などの詳細が伊勢神宮伝統の警備と全く同じであったのです。エルサレム神殿の警備に熟知した者の関与が伺える。
※註 語り部情報も全てが口伝というわけでないのがこの件で判明。まぁ、核たるベースが有って、それに沿うような事実をいろいろと情報収集しているわけなのでしょう。

一方、外宮は丹波国や出雲王朝の盟主・大国主(トユケ=豊受)を祀ったものですが、丹波国の蝦夷(アイヌ=エドム人)が奉じたヤハウェが一緒に祀られていても可笑しくはありません。逆に影から仕掛けて邪馬台国を滅ぼした丹波出雲は内宮とは絶対反りが合わないでしょう。だから、それぞれ別の地で祀っているのでしょうか?
※註 大和の邪馬台国や東三川の大漢国(君子国・扶桑国)は、日本が道教化(中国化)され神の国でなくなるのを危惧し、丹波出雲の蝦夷の招きによって招聘来日した騎馬民族スキタイ化した弟部族カド族(初期大王家)によって滅亡させられたという。

京都の賀茂神社は、平安京のド真ん中にあって国体中枢そのものであるといっても過言ではありません。賀茂神社を筆頭とする神社の系列ネットワークを裏とすれば、伊勢は神道の表の顔といえるのですが、それは造られた仮面に過ぎなかったというわけです。ある意味、伊勢は日本の古代宗教のゴミ捨て場だともいえます。だからこそ、災いを起こさぬよう厳重に伊勢の地に封印し、国家護持の為に祀り続けているのでしょう。その証拠に、江戸時代まで天皇は伊勢に親拝に行かなかったといいますからね。

語り部は賀茂神社の発祥地は豊橋の賀茂神社だといいます。(本当は東三河で起きた)壬申の乱の際、随行した大国主系の蘇我入鹿の孫・神(カムイ)虫麻呂が内乱勝利の後、照山(鳥捕山)に神神社を創建したのが賀茂神社の始まりだというのです。その後、神神社は今の位置に移り名を賀茂神社とした。ここが賀茂氏の発祥地でもあるのです。奈良には賀茂氏の高鴨神社がありますが、ここに展開されていったのでしょうか? その後、高鴨神社は京都へ展開していったといいます。即位した大海人皇子(天武天皇)が新城(ニイキ 現・新城市)に新しい都を造ろうと計画したのですが、この東三河の土地の譲渡を神虫麻呂に拒まれ、新都建設の計画は潰えたという。

ちなみに、照山の古名「鳥捕山」とは、旧約聖書の「鳥を捕らえる者」から来ているそうですが、この地は烏(=海鵜)を捕まえて鵜飼をしていた弥生人(中国系の大陸人)が畔の村に住んでいたということからも付けられた名称です(江島に鵜飼島あり)。ちなみに烏は徐福子孫の弥生人(倭人)のトレードマークであり、三本足のヤタガラスはスリーマンセル(三人一組)で行動した鵜飼匠の姿だという。
※註 そういえば、ヤッズ★が高校時代のクラスメートに「鵜飼」という名前の男がいたが、顔が何故か中国人に似ていた為、皆から中国人と云われていた、、、、しかし、これは冗談ではなくマジ本当のことだったとなる(汗)。

ここで出てくる聖書の「鳥を捕らえる者」とは「エゼキエル書13章19~23」の以下の文です。

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わたしは、壁とそれに漆喰を塗った者たちに対し怒りを注ぎ尽くし、『壁もなくなり、それに上塗りをした者たちもいなくなった』とお前たちに言う。エルサレムに預言するイスラエルの預言者たちよ。平和がないのに、都のために平和の幻を見る者たちよ、と主なる神は言われる。

人の子よ、自分の心のままに預言するあなたの民の娘たちに顔を向け、彼女らに預言しなさい。あなたは言わねばならない。主なる神はこう言われる。災いだ、人々の魂を捕らえようとして、どの手首にも呪術のひもを縫い付け、どんな大きさの頭にも合わせて呪術の頭巾を作る女たちよ。お前たちはわたしの民の魂を捕らえ、自分たちの仲間の魂を生かしておこうとする。

お前たちは、ひと握りの大麦とひとかけらのパンのゆえに、わが民の前でわたしを汚し、欺きの言葉に聞き入るわが民を欺くことによって、死ぬべきではない者を殺し、生きるべきではない者を生かしている。それゆえ、主なる神はこう言われる。わたしは、お前たちが、人々の魂を鳥を捕らえるように捕らえるために、使っている呪術のひもに立ち向かい、それをお前たちの腕から引きちぎり、お前たちが鳥を捕らえるように捕らえた魂を解き放つ。

また、わたしはお前たちの頭巾を引き裂き、わが民をお前たちの手から救い出す。二度と、彼らがお前たちの手に捕らえられることはない。そのときお前たちは、わたしが主であることを知るようになる。

***********************************************

これは恐怖でもって人心掌握してコントロールしようとすることに対して警告を発しているのか? それとも、偽預言者に対する警告なのか? いづれにしろ、偽りの恐怖が人を捕らえ、鵜飼の鵜のようにヒモが付けられてしまうのです。これが魂(烏)が恐怖という「五感の檻(籠)」に捕らえられた状態です。

恐怖が捕らえた鳥(魂)を解き放つ、、、
捕らえられた烏(魂)はいついつ出やる、、、

う~む、基本的にはカゴメの唄の内容と同じですね。
※註 カゴメの唄も実は聖書起源なのかもしれないw

鵜飼
(気多大社の鵜の神事 烏とは日本では海鵜のこと)

照山(烏捕山)復興が、この名称ゆえ、実は、魂を解き放つことに結び付きそうな感じがしてワクワクします。まぁ、実際、トランブレーみゆきさんは、神様の命を受け、天と地の絆を復活させて人々の魂を解放する(不二の仕組=人類補完計画)為に石巻山、照山復興の行動をしているわけですが、、、、この名称のシンクロ振りには正直驚きました。

それにしても、伊雑宮がでっち上げだったとはねぇ、、、、

これでは飛○昭雄先生も伊勢○山○も面目丸つぶれです(爆)。

大体、もしそれ程に重要な宮であったならば、神領を取られたままで放置プレイされる筈はないですよね。そうなる前に権力側が必ず何らかの保護政策をする筈です。そうなっていないのは、それなりの神社だったということでしょうか。あの書物(先代旧事本紀大成経)は、神領復活の目的の為だけに作られた詭弁・嘘・捏造・創作の内容だった?

そういえば、前回の照山ボランティアの時にトランブレーみゆきさんが伊雑宮について聞かれていたのを耳をダンボにして聞いていましたが、「伊雑宮は何かくすんだような感じがする、、、」とのことで、云われる程の聖地ではない感じで話していましたが、そーゆうことだったのですね(爆)。
※註 伊勢三宮説は、ヤッズ★が支持する「伊勢三正殿説」とは真っ向から対立する内容だったので、コレで溜飲が下がりましたねw 実は、伊雑宮の祭神は内宮・滝祭宮と同じ滝祭大神(多分、瀬織津姫のこと)であるといいます。伊雑宮が内宮の元宮であるという言い伝えも、この逸話が源なのです。

照山>>>(超えられない壁)>>>伊雑宮 でしょうか!(爆)

外宮も内宮も前宗教の封印の地であるし、ローマ帝国がそうであったように、人民の人心掌握の為にイエスを祀り上げたに過ぎず、似非キリスト教といえなくもない。これをヤッズ★は桓武天皇&藤原氏が考案した「キリスト結界」と呼んでいるのですが、、、、
※註 飛○昭雄先生は「伊雑宮」はイエスの首、即ち、罪状版「INRI」が奉納されていて、最終的に伊勢三宮になるのだという。その裏の動きが京都賀茂神社の河合神社であるというが、、、、未だ動きはないw

確かに、伊勢神宮は強力なパワースポットであることは認めるが、、、、
これだけで本当に救い(イエシュア)となるのかな?

それよりも、聖書由来の「魂(烏)を捕らえられた」を名に持ち、今の惨状が人の精神の荒廃振りを的確に象徴していることや、また、日本の「真の国体」である賀茂神社ネットワークの本当の発祥地である照山こそが、、、

真の「イエシュア(救い)の地」なのかもしれませんw

最後にボソリと書いてありますが、、、、、

十戒石(モーセの石版)も日本に無いんだぁ~
ということは、聖櫃(アーク)も日本に無いということになりそうです。

こちらはチト残念な気がしますが、熱田神宮に本物の海薙ぎの剣(モーゼの杖)があるから、まぁ良しとしようか(笑)。語り部は「マナの壷」の存在には触れていませんが、前方後円墳は「マナの壷」を模っていることは明言していました。「マナの壷」は初期大王家が古代伊勢湾の一宮の尾張御霊神社yに持ち込んだもので、その後、丹波国の籠神社の真名井に移動し、更に籠神社から外宮に移動したという話がありますので、こちらの方は、多分、外宮の方に安置されているでしょう。

■V字谷のナウシカ(記事後半に草薙剣)
http://aioi.blog6.fc2.com/blog-entry-1713.html

古墳マナの壷
(古墳は「マナの壷」を模ったのは有名な話)

世界一の超能力者と誉高いブルガリアのべラ・コチェフスカさんが来日して外宮に参拝した時、敷地内にある多賀宮で感動して泣き崩れ、ひれ伏して「ここは唯一無二の聖地、根源神の地」と評したという話は、この「マナの壷」の存在と関係しているのではないでしょうか? そう思えてならないです。実際、多賀宮のあの高さは犠牲の燔祭をするには丁度いい感じですね~。

それにしても、剣山に関する情報は少なすぎます。
もっと詳細に知りたいところです。

以上のことからも、失われたアーク(聖櫃)を偲ぶというのが、剣山の神輿上げ神事や伊勢神宮の式年遷宮の本質なのかもしれません。

トランブレーみゆきさんが感得した照山にあるというの話ですが、前回、ヤッズ★の洞察内容の最後に「道教の銅鏡でどうでしょう?」というオチを書くのをすっかり忘れてしまった(がはは)。よく考えれば、今、みゆきさんに降りてきている神はどうみても日本の神、特に縄文系の自然神や国津神のようですし、中国系の銅鏡を「大切なもの」と云う筈はないのです。

ここでもう一度、鏡について洞察してみます。
下記がみゆきさんの鏡に関する内容なのですが、、、

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あの山には(照山)大切なものが隠されている。
それは天の神々とまた、石巻山を繋げる媒体、役目をしていたものなり。
照山は復活する。
そなたの光を照山に送って欲しい。
光が照山を包み込み、照山が復活した姿を強くイメージするのじゃ・・・

****************************************************************

実は、この内容は照山頂上でみゆきさんから携帯で見せてもらっていました。もっと長い内容だった気がするのですが、何故だかわからないけれど、内容を余り詳細に覚えてないのです(汗)。前回の日記を読んで貰えば分かるように、後からでも、その時の状況をかなり明確に記述できる自信があるのですが、あのメール読んでる時には、揺らぐような目眩が、、、、で、内容をはっきり覚えていないw

で、解読のポイントはズバリここです。

「天の神々と石巻山を繋げる媒体、役目」

さらに、ここに盤坐...等の「縄文巨石文明」を加味した場合、
浮かんでくる答は、、、、

ズバリ、鏡石です。

で、その役目は縄文灯台(縄文光通信)でしょうか!?

これが「天(太陽)と地を結ぶこと」ではないでしょうか!!!
宮司さんの推測は全くもって正しかったと思います。

火と水のエネルギーが融合するのが「不二の仕組」であるといわれますが、漢字の外形からも火(5)と水(6)の次ぎは光(7)になっています。この光の発動がみゆきさんに課せられているのではないでしょうか。石巻山で発した光を「右から来たものを左へ流す」ように、照山経由で本宮山に流すのです。

石巻神社の「奥の院」はコノシロ池の手前にありますが、この社には六芒星が刻まれた金属板が祀られています。六芒星は6角形であり、水エネルギーを象徴してるように思えます。ということは、火と水のエネルギーが交差する石巻山の場合、どこかに火のエネルギーを象徴する五芒星が存在するのではないでしょうか!

ヤッズ★が睨んでいる場所は、かつて頂上にあったというです。強風で吹き飛んでしまい現在は無くなってしまったのですが、かつて石巻山頂上にあったといいます。波動に敏感な方の話では、石巻山は山の中腹から急に波動が変わるそうですが、それは山の中腹から石灰岩が多くなり急激にゴツゴツさ増すからであり、石巻山の場合、この下層の石灰岩が地層を突き破って表層にまで露出している為に、途中から急勾配が始まるあの独特な形態となっているのです。エジプトのダハシュールの屈折ピラミッドとは逆なのです。
※註 ダハシュールには「赤ピラミッド」と「屈折ピラミッド」がありますが、これらは木星と土星の体積や比重を表しているそうです。ギザの三大ピラミッドも同様に星との対応があり、実はこれらのピラミッドは同時に作られたともいう。

屈折ピラミッド
(ダハシュールの屈折ピラミッド この角度は意図的です)

まぁ、石巻の地は下の岩盤が上の岩盤を突き破って露出してしまうぐらい「地のエネルギー」が強い場所なのでしょう。ちなみに、コノシロ池の湧水はこの異なる岩盤の境目から湧出しています。

「縄文夢通信」の渡辺豊和氏によると、日本の古くから聖地と知られる山々には人工石としか思えない巨大な岩がゴロゴロしていているといいます。これが「鏡石」と呼ばれる石です。この「鏡石」は研磨して製作されたものなのですが、何故こんな山頂に人工石があるのでしょうか?それは単なる信仰のためではなく、この「鏡石」こそが縄文人が日本全土に張り巡らした光通信用の設備だったという推察です。

古代日本のフリーメーソン (ムー・スーパーミステリー・ブックス)古代日本のフリーメーソン (ムー・スーパーミステリー・ブックス)
(2010/08/11)
渡辺 豊和

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この推察の元となったのは、富士山、白山、三輪山、大和三山、京都御所などの霊山を結ぶ線が上手い具合に繋がることを不思議に思った渡辺氏は、一縄文里は1620mですが、富士山を基点として、十縄文里(16.2㎞)で日本地図に菱線で構成する正三角形の網目を描くと、三輪山、大和三山、白山、木曾駒ケ岳、那智山、太郎坊などメジャーな山がすべて、その格子状の菱線上に乗っかるのです。しかも、そのラインは東西軸から南北それぞれに30度傾いていて、これは山の頂上からは見た場合の冬至・夏至の日の出と日没の線上になるのです。

狩猟採集が生活の糧である縄文人たちは、夏至と冬至の日を知る為に各地の山上に鏡石を置き、この山々に光を反射する鏡石を東西軸に平行に置き、日の出と共にその光を遥か彼方のまだ日の昇らない山々へ伝えたのだろうと推測しています。つまり、これらの山々は年に二度、冬至と夏至の日になると不思議な光に包まれるわけなのです。その証拠に、各地に暗闇のなかで山頂が光ったという伝承があるといい、光通信の一大拠点と目される奈良の三輪山は山頂がよく光ったので光明山の別名があると言います。

■縄文人国家と現在文明 縄文人が解れば現在が解る(引用元)
http://tonko.photo-web.cc/bunarintokodaisi/jiyomontoasuka/4/jiyomontogenzai.html

奈良にある大和三山(畝傍山、香具山、耳成山)は、縄文人が築き上げた人工の山であるとも云われていますが、その理由は、畝傍山、香具山、耳成山は丁度、二等辺三角形を為すように位置し、その二等辺三角形の中線は、縄文時代の神の中心の山とされる三輪山を正確に通過しているのです。この人工造成説の真偽は分かりませんが、多くの古墳を作った古代人にとっては普通の技術だったのかもしれませんね。

つまり、縄文人は日本列島全体に無数の小ピラミッド型の山を作り上げるほどの土木技術を持ち、それによって作られた光通信設備を運用していたということになるのでしょうか。あの質素な家を見る限り、そこまでんも土木技術はなかったのかもしれません。

ただ云えることは、丁度いい位置に聖地や山が存在しているという事実です。この幾何学的不思議さが物語るのは、縄文人が光を使って次々と位置を定め、各地の聖地を造成をしていったということです。光の反射によってその進路は必ず一直線になりますが、どうやってその鏡の角度を正確に東西線に対して30度傾けて設置できたのか謎は深まります。

しかし、単に夏至・冬至を知るだけならば、ここまで大規模な設備を作らずとも平地に設置した精密に作った測定器でこと足ります。そこには、何かもっと大きな秘密があると思うのです。

実は、この関係、石巻山-本宮山-御津山についても言えるのです。

「ほっとい亭」で買い求めた『石巻山の神秘と自然』によれば、この3つの山が構成する二等辺三角形のほぼ中線にあたる照山から御津山に一直線のラインを引くと、正しく三輪山の方向を向いています。また石巻山頂と第一の鳥居を結んだラインも同様に三輪山を指しているのです。

石巻山には、夏至の遥拝所である八名東頭神社と、冬至の遥拝所である石巻神社(下社)、春分秋分の遥拝所の箆矢神社社がありますが、石巻山を中心にこのような三重円構造を為しているのです。この三つの輪が「三輪」の名の発祥かもしれません。近くには三輪川もありますし、大池を挟んで遥か彼方に石巻山を望む地は三ノ輪町と呼ばれ、ここにも石巻神社があります。

ここで少し話が脱線しますが、三輪について書き記します。

この石巻山一帯を治めたのが三輪氏であり、石巻山はかつては「神山」と書き「みわやま」と呼ばれたのです。奈良県桜井市の三輪山の麓にある大神神社は「おおみわじんじゃ」と読みますが、ここに深い繋がりを感じさせ、石巻山が三輪山の元宮と云われるのは、こういう証拠からも云えるのです。

また、語り部によれば、天武天皇が青年期を過ごした壬生の地である東国(東三河の石巻山麓)を治めていた大物主系物部系の三輪氏族の三輪高市麻呂(大神高市麿)が、蘇我の後を継いで大神神社神官になったのだという。石巻山麓の「神」(みわ)から政権を奪った天武天皇に呼ばれ、奈良に移動し「大神」(おおみわ)と称したのではないでしょうか。
※註 三輪氏系図・・・三輪文屋-三輪利金-三輪高市麻呂

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三輪山は、御嶽を行う地神を祭る場所で、三王朝時代に出雲・大倭・小治王朝が各1箇所ずつの場所で男子禁制で行いました。入鹿暗殺後、天智天皇(倭智)に対する民衆や豪族の反抗を抑える為に、蘇我入鹿(鞍作毛人)の息子の太田田禰子(鞍作田根子)を王邇波神社(後の大神神社。王邇波=鬼は・・外)神官に迎えさせ反抗を鎮めた。天武天皇の支配が始まると、壬申の乱で功績のある大物主系物部氏族三輪氏系の大神高市麻呂(柿本人麻呂モデル)に移行し「大神神社」に社名変更。
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記紀では三輪氏の祖は太田田根子となっていますが、完全にスリ替が行なわれていますね(爆)。鞍作毛人(=蘇我入鹿)の次男が太田田禰子であり、その子が賀茂氏の祖・神(カムイ)虫麻呂【役小角モデル】です。ここに初期大王族の分家・尾張氏に繋がる物部氏系の三輪氏が入リ込む余地はありません。そうまでして蘇我の痕跡を消したかったのでしょう。
※註 語り部によると、「大物主」とはスクナビコナ(少彦名)のことであり、これは初期大王家に繋がる扶余王族八名のことであるという。ちなみに「大国主」とはオホナムチ(大己貴神)のことであり、出雲王朝を興した先住民族の蝦夷(アイヌ=エブス人)のことである。

前世が役小角だったというみゆきさんが、大神神社、葛城や豊橋の賀茂神社に縁があるのは、きっとこういった縁起からでしょう。また、現在の三輪山の大神神社の奥宮が石巻山であるという縁起もこの大神高市麻呂の逸話からきたものでしょう。

大神高市麻呂は、別名、三輪高市麻呂ともいい、壬申の乱では天武方につき南大和での「箸陵の戦い」で大いに手柄を立てたといいます。持統天皇が伊勢へ行幸時には、農繁期の妨げになることを説いて行幸の中止を諫言しているが、女帝に聞き入れられず、再度諫言して中納言の重職を辞した。その後10年間は消息不明であるが、のちに長門守になり、慶雲3年(706)左京大夫従四位上にて亡くなったというが、石神の海での水刑死であったともいう。壬申の年の功により従三位を追贈された。

一方、柿本人麻呂は『万葉集』第一の歌人と呼ばれ、万葉集にのみ名が見られる人物で持統天皇の即位から崩御の頃まで活躍した宮廷歌人であったとされていますが、実は宮廷歌人という職掌が持統朝にあったわけではなく、結局、人物不明なのだという。持統6年3月3日に伊勢行幸を諌め、中納言の位を辞した三輪高市麻呂の行動と柿本人麻呂がこの年以後、天皇の行幸に同行していない時期が一致する根拠から、同一人物説があります。また、「いろは歌」の「咎無くて死す」とは、藤原不比等に邪視され水刑死した柿本人麻呂=三輪高市麻呂のことが暗号として隠されているともいう。

■人麻呂=高市麻呂の証拠
http://www.geocities.jp/yasuko8787/z223.htm

石巻周辺は日本一の柿の生産地ですが、この地出身の三輪高市麻呂が柿本人麻呂という「柿」の名が付く仮の名で万葉集に載せられたことは、時空を超えたシンクロさを感じます。

ただ、この神官交代も天武朝の頃(700年頃)の話であり、それ以前の縄文時代から、三輪山は聖山として祀られていたようなのです。ということは、その間の期間である邪馬台国の頃も、当然、三輪山は聖地となっていた筈です。というのも、この国に帰化する条件として課されたのが、御嶽神事(古神道)を受入れ実施することだったからです。三輪山の変遷はこのような二重三重の聖地化の上塗りで非常に分かり難くなってしまっています。ただ、未だ社殿を持たぬことから、当時の方法を継承し遵守しているのか? そうならば、巫女制でなければならないのだが、、、、
※註 語り部によると、邪馬台国は東三河の君子国や扶桑国に憧れ、遥々、中国大陸から日本に渡ってきた長江出身の中国系渡来人=「弥生人(倭人)」の国です。初め九州にあり、もっと近いところへと移動して大和の地に来た。当時の奈良盆地は大きな湖があり、邪馬台国は「水の都」と称された。

それ程までに、この国が御嶽神事を必要とする理由は何なのでしょうか?

それが縄文灯台、つまり、縄文時代から続く光ネットワークなのでしょう。
つまり、どこかの山頂で祭祀が行なわれなくなると、このネットワークは機能しなくなるのです。

東三河の鏡岩だと云われるのが、「額岩」です。周囲を高い山に囲まれていますが、不思議とこの大岩からのみ浜名湖を望むことができます。この「額岩」と呼ばれる鏡石は、石座神社の奥の院とも言われ、石座神社と石座石のほぼ延長線上にあります。しかし、この岩のある場所は急傾斜であり祭祀には不向き、っていうか出来るような場所ではないという。その昔、鏡状の岩に太陽の光が浜名湖に反射してシラス漁ができなくなったと漁民が来て苦情を呈した為、明治年間に岩の表面を削り取ったといいます。

この山上間光通信施設、単に研磨した石だけで機能していたとは思えないのです。

瀬戸内海の尾道には「玉の岩の伝説」がありますが、この玉の岩とは千光寺境内にある巨岩です。この岩の上部には「光る石」(直径19センチ程の玉)が填められていた痕跡があるといいます。そして、この穴に填められた岩の光が夜も自ら明るい光を放ち、近くにあるという鏡岩に反射して海を照らし、島を行き交う船の安全を見守っていたというのです。

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■玉の岩伝説
中国皇帝の命令で、光る玉を探しに、日本にきた2人の男が瀬戸の海を小舟で進んでいた。月明かりの中、山腹に青く光る物を見つけた。登ってみると大岩で、全体が光を放ち、岩の先端は不思議なほど青かった。イメージ絵 あくる日、そばの寺の和尚に岩を売ってくれと頼んだ。和尚は、こんな大きいもの持ち帰れまいと笑ったが金貨を見せられて承知した。2人はツチとノミで一番光る部分を切り取った。船の道しるべだった岩は光らなくなった。イメージ絵 男たちは天にも昇る気持ちで、光る玉をかついで山を下りた。小舟から本船に移ろうとした時、船が傾き玉は転がって海に落ちた。今でも、尾道水道の底に眠っているという。尾道を玉の浦、千光寺を大宝山というのはこの伝説に由来している。

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また、冬至の日の昇る太陽の光が鏡岩に当たって西国寺のタンク岩を照らすとも言い伝えられてきたのですが、その鏡岩がどこなのか全く分からなかったのです。ところが2000年、千光寺客殿裏の岩山にある松が枯れたため、それを取り除いてみると、そこに円く磨かれた岩を発見。これが鏡岩だったのです。この岩は麓からでも浄土寺山や西国寺山からでもよく見える位置にあります。

■尾道に関する考察3 鏡岩と玉の岩 (1)千光寺山の玉の岩と鏡岩
http://www.geocities.jp/celeste4851/onomichi/tamanoura/tama1.htm

鏡岩
(高さ7mの位置に直径2mの円形の鏡岩)

この鏡石の形態は、ヤッズ★が石巻山を霊視(妄想)した1つ目と似ています(爆)。
もしかしたら、石巻山にも1つ目(鏡石+光の玉)が隠されているのかもしれませんね。

石巻山ss
(石巻山)

その他にも、古代ピラミッドとして有名な広島県庄原市の葦獄山には、大正初期には屏風のように並んでいたという石柱がありますが、その中の「獅子岩」は冬至のときの日没方向を向いていて、かつては「神武岩」の上の穴に光る玉がはめ込まれており、その光る玉の光が鏡岩に反射していたという。

■日本ピラミッド・葦嶽山(鬼叫山の巨石群)
http://homepage.mac.com/motoiaraki/hiba2/pira2.html

このように鏡岩には、それに光を供給する光の玉とセットで設置されています。

しかも、その光の色は青いのです。
このことから、光の玉とは「黒曜石」製じゃないかと睨んでいます。

古代、縄文人が情熱を注いで探していたのが黒曜石ですが、黒曜石は鋭利な為、矢ジリとして使用されていたことはよく知られています。現在でも手術用のメスとして使われている程に鋭利であり、こういった実用的なもの故、情熱を持って捜し求めたのでしょうか?

日本の場合、良質な黒曜石は、伊豆諸島神津島、和田峠、十勝の3箇所程度ですが、全国には70箇所の産出地があるといいます。後期旧石器時代(紀元前2万年)の南関東の遺跡で伊豆諸島神津島の黒曜石が発見されましたが、それは、なんと200kmもの距離も離れた野辺山の地から運ばれた黒曜石だったのです。

高原山黒曜石原産地遺跡群は日本最古の黒曜石採掘坑遺跡だと云われ、氷河期の寒冷な時期に人が近付き難い当時の北関東の森林限界を400mも超える標高1,500m近い高地で黒曜石あが採掘されていたのです。縄文人の執念を感じさせる話です。さらに不思議なのは、黒曜石分析の結果、和田峠でも麦草峠でも神津島でもなく、日本中どこの黒曜石産地とも成分が一致しない謎の原産地の黒曜石がたくさんみつかっているのです。縄文人は海を丸太船で南米の今のペルーに渡ったとも言われ、ペルーでは今から6000年前縄文土器が見つかったとか、ペルー古代人と縄文人が同じDNAだという話もありますので、縄文時代は従来の石器時代の概念を覆すような活動・交易範囲の広さ、効率的な作業...等が判明してきて、俄然、注目が集まっているのです。

この黒曜石はサウジアラビアのメッカにある「カーバ神殿」の黒石としても有名です。カーバは多神教の祠のようなもので、ここに設置されている黒曜石はアラビアの歴史の中ではアニミズム時代に取り入れられたものです。縄文人も古代アラビア人も黒曜石に心惹かれ、何らかの神秘性を感じていた不思議な鉱物なのです。

カーバ神殿kaaba_art.jpg
(カーバ神殿の東南角にはめ込まれた大きな石が黒曜石)

実際、オブシディアン(黒曜石)には不思議な力があるといいます。

古代マヤではオブシディアン(黒曜石)には、持ち主を強い守護の力でネガティブなエネルギーから守り、他者からの邪念や悪意を撥ね退けたり、悪いエネルギーを浄化する力があると信じられていたのです。また、全ての本質を見通す力を与えてくれ、未来を切り開き、強いエネルギーを与えてくれるパワーストーンとして広くマヤの家庭に浸透しています。

黒曜石で有名な和田峠から近い上田市にある深井総研という会社が、水の改良に黒曜石を使ってみたら、とてもふしぎな現象を起したという。マイナス電荷を帯びた黒曜石に勢いよく水分子がぶつかると、水は細かくなると同時に高エネルギー状態になります。水道圧を使って黒曜石に摩擦させることにより、より還元した水しているといい、細かく元気になった水分子が塩素などを包み込み、カルキ臭などもなくなるという。また、この「創生水」はエマルジョン燃料の乳化剤として使用されている化学物質(界面活性剤)に負けない界面活性力を持った水であり、そのままで簡単に油と混ざり合い(エマルジョン)し、燃料代を削減しつつ、CO2も削減するというのです。

■深井環境総合研究所株式会社
http://www.fukaisouken.jp/

また、この黒曜石を磨き、鏡のように用いることで魔除けや占いにも使われます。黒曜石の鏡は紀元前6000年の遺跡(チャタルホユック遺跡)からも出土していて意外とその歴史は古いのです。この黒曜石の鏡は「姿の代わりに影を映す」奇跡の石だとも云われ、魔術では真っ暗な部屋でキャンドルを灯した状態でスクライング(透視)ミラーとして「黒鏡」が使われます。「黒鏡」は通常の鏡と異なり、映し出した人間の無意識や潜在意識などの意識深層を映し出すからだとの話です。水晶は人を選ぶと云われるように相性がありますが、「黒鏡」にはそのような癖は無いことから、初心者向きだとも言われています。

黒曜石の鏡黒鏡
(左:黒曜石の鏡 右:魔術の黒鏡)

現在、わが国で黒曜石の鏡は出土していませんが、秋田県のある村の古い神社には非公開の石の玉や鏡が存在するらしく、そこには「鏡は黒曜石製」であると書かれているという。(「黒曜石資料室」より引用)

■天然ガラス・黒曜石の崖と鏡と水和速度
http://www.tic-mi.com/publ/essay/terai/0211terai.pdf

※註 この情報の出元は、「秋田県仙北郡協和町の唐松神社(天日宮)に古代史に関する文献があるという噂はすでに戦前からあり、同社に伝わる神代文字の祝詞が公表されたこともあった(小保内樺之介『天津祝詞の太祝詞の解説』)。しかし、その歴史関係の文書はなかなか公開されることがなく、ついに一九八四年、物部長照名誉宮司の英断で、その内容の一部が示されることになったのである(新藤孝一『秋田「物部文書」伝承』)。... ニギハヤヒは天より降りる際、十種の神宝を持ってきたという。『先代旧辞本紀』は、十種の神宝について、死者をも蘇生させる霊力があると伝える。現在、唐松神社にはその内の五種、奥津鏡・辺津鏡・十握剣・生玉・足玉が残されているという。進藤孝一はそれを実見した印象として、次のように述べる。「十握の剣は鎌倉時代になって作られた物のようである。鏡は黒曜石製、玉は玄武岩のような固い、黒い色をした石でできている」(『秋田「物部文書」伝承』)」ですね。(「物部文献が語るニギハヤヒの東北降臨」より引用)

以上のことから、照山の鏡は黒曜石の鏡(レンズ状の玉)であると推測しています。

ドクタ~情報では、日の出の何分間の間は、山頂に設置した黒曜石に太陽光が当たると、そこに励起電流が発生し、黒曜石のネックレスを身に付けた縄文人が空間を介して、そこからエネルギーを伝播して受け取っていたとか、、、、ちょっと信じがたい話ですが、縄文人のテクノロジーは侮り難いのです。

縄文時代の遺跡には何故か武器や兵装が出土しない為、数千年間、全く戦争がなかったと推測されていますが、これは世界の歴史上、稀有のことなのです。山上間の光通信による光パルスは脳幹を刺激し、住民を集団的に刺激して集団的な意識改革を図っていたといいますが、この脳間パルスによる意識レベル向上によって、エゴの発露を抑え、争いを起さない社会を作り出していたのでしょうか!

とすれば、これはマインドコントロール装置ですね。
しかも、エネルギー伝達もするという、、、、

縄文灯台とは、まさに縄文版HARRPだったのです。

HARRP
(気候操作も洗脳もエネルギー伝達も可能なHARRP)

縄文時代は世界で一番古く、この太古の時代に文明を保ちえた唯一の文明として知られています。逆に他の地域では、文明を持ち得ないことから、人類の意識状態は蒙昧だったのではないでしょうか。つまり、これがロボット人間や家畜人ヤプーでしょうか。この時代、地球に何か起きていたのかもしれませんね。ただ、縄文時代の日本だけは「縄文版HARRP」によって、国土がバリア保護されていたからこそ、蒙昧の意識に落ち込まず、高い文明を保ち得ていたのかもしれません。
※註 オコツトによれば、太陽は現人類の意識の進化方向だといい、2013年以降、その意識進化の方向性変わる為、太陽は不要となり、従って輝くのを止めるのだという。そして新しく登場するのがニビルです。このニビル登場に対して、意識が蒙昧化してしまわないよう縄文版HARRPを「早よ~、準備せんかワレ」と蹴りを入れているのが、みゆきさんに降りた神のメッセージなのでしょうか?

オコツトは2013年以降始まるという、自我意識の変容、例えば、左脳偏重から右脳偏重へシフトするように、自我が外界の事物と溶け合った状態で認識されてしまい、個として確立できない状態になるといいますが、今、HARRPがこうして存在するのも何か因縁めいたものを感じます。

111

11月1日は111の日ですw

そんな「めでてぇ日」に、V字谷のナウシカことトランブレーみゆきさんが、石巻山で恒例の掃除をするというではないですか!(毎月1日の日に掃除されているそうです。) しかも、その後、賀茂神社に行って照山で行なう「石上げまつり」の下準備を宮司さん達とするのだという。

う~ん、未だヤッズ★は照山頂上に辿りつけていないので、、、、

こいつはチャーーーーーンスですw

チャンス

で、エンジェルナンバーによると「111」には下記の意味があるといいます。

「スピリチュアルなエネルギーの通り道が開きました。
あなたの思考はすばやく現実となります。
この時期、思考を賢く選ぶこと。
思考が願望と確実に一致したものであるようにしてください。
恐れには一切エネルギーを費やさないように。
そうしないと、それが現実化してしまいます。」


良いこと書いてあるではないですか!

ヤッズ★の望みは、石巻山発の「不二の仕組」発動なのです(爆)。

まぁ、実際にこの地で起きるのかどうかは分かりませんが、これは「変換人型ゲシュタルト」の確認実験でもあるのです。

「不二の仕組」発動後の全国展開には、石巻山から出た光のエネルギーラインを照山経由で本宮山にまで流す必要があります。これは石巻山-照山-本宮山が一直線に並んでいるからです。しかも、照山は石巻山をエンドとする弓張山脈が地面に一度潜った後に浮上した山でもあり、石巻山の仲間みたいなものなのです。

みゆきさんが日本全国を駈けずり回って、日本の気の通り道を浄化強化して来ましたので、これで「地の行」は一応終了です。そして、今度は天の気を地に流すことを始めるわけですね。これが「天の行」でしょうか。その為には、石巻山、秋葉山、富士山を貫く天のエネルギーである「火のエネルギー」と諏訪、石巻、伊勢を貫通する地のエネルギーである「水のエネルギー」の大活性化が、今後の課題となってきますが、それが石巻山復興、秋葉神社奥の院復興という流れになるのでしょう。神界はかなり緻密なスケジュール立てをしています。

ヤッズ★の願望成就には、今回の集い参加は必要不可欠ですね。

それ以外にも、コノシロ池の超絶甘い「御乳水」を再び飲みたくなった頃だし、また、この池の効能を聞くに及び、どうしてもペットボトルで大量に水を家に持ち帰りたくなってもいます。さらにさらに、この2010年11月1日の翌日11月2日からは、コルマンサイクルの「第8サイクル」の最終区間「Day7」が始まるという「特別な日」でもあるのです。ですから、この日の参加は非常に意義深く「待ってましたぁ~!」なのです。

そういえば、前回、記事中で豊川市章に触れたのですが、この市章の中央部にも「111」がありましたね(笑)。

豊川市
(豊川市章)

この三柱が真に意味するところはカバラの「生命の木」の柱(慈悲・均衡・峻厳)であり、日本神道の造化三神(天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神)でもあり、道教の最高神格である三清(元始天尊、霊宝天尊、道徳天尊)でもあると睨んでいますが、まぁ、何はともあれこの世界の背後にある根源的な「聖なる3つの極み」を指しているわけですね。また、その三柱の周囲は火・水・風・土の「四大エレメント」にぐるりと囲まれています。このように豊川市章は非常に恣意的なシンボルなのです。

バシャールが語るところでは、物質世界は「ここ」と「あそこ」の2つに分離した状態なのだが、「聖なるもの」、つまり、上層世界(元型世界、プレローマ)では、「ここ」と「あそこ」と「その間」と3つの存在になるのだという。太古から続く根源的なものに対して使われる「3」という聖数に秘められていたのは、この上層世界の特性だったのです。

このシンクロは「この日に○○○せよ!」と迫られているみたいです。
こういう理由もあって、有休取って今回のトランブレーさんの集いに参加してきました(ニタリ)。

まずは石巻山の報告からです。

■1 石巻山掃除編
9時頃に到着したのですが、既に掃除を終了する直前でした。いったい掃除って何をするのだろう、、、、も、もしや石段の雑巾掛けかとも想像していましたが、実際は、普通の掃除のように参道の落ち葉拾いでした(爆)。ヤッズ★は、数回、落ち葉を捨てに崖まで行った程度で申し訳なっかたです。

その後、みゆきさんは浄化用の水をコノシロの池に汲みに行くというので、ヤッズ★は家庭飲料用にペットボトル持参してきたので一緒に汲みに行きましたが、やはりこの坂は何度来てもキツイです。コノシロの池に到着する頃には、汗や息切れが、、、、日頃の運動不足が祟っています。

全てのペットボトルに水を詰め終わる頃には、ゾクゾクと人がコノシロの池にやってきました。どうも今回照山の下準備に一緒に参加する人たちのようです。遠くは東京、滋賀、名古屋から来ているとのことで、この辺鄙な東三河の石巻山にそんな遠くから来ることに唖然としていると、、、、、

「うぉ~、うぉ~~~~~ん」

遠くから空気を切り裂くような女性の大きな泣き声が聞こえるのです。どうも池の奥側にある廃屋同然の社の前で泣いている女性がいるのです。一体、何が起きたのか分からないでいると、みゆきさんの説明では、彼女は憑依体質、霊媒体質、巫女体質であるといい、波動が感じられる特定の場所では良い霊も悪い霊も急にスッと体に入ってしまい、あのように泣いてしまうのだという。その後、泣き止んだ時には入った霊は浄化されてスッと天に昇っていくのだそうです。彼女には強力な観音様が守護していて、彼女たちのグループはそうやって日本全国を浄化して回っているという。

あっ、九州で急に泣きだした女性とは彼女のことであったかと、その時、初めて合点がいった。

それにしても、ヤッズ★は霊関係にはトコトン疎く、霊体験はアクティブイマジネーションという観点から考察を進めているのですが、まさか目の前でこういうことを目撃するとは思ってもいなかったです。アクティブイマジネーションだけでは語り切れない何かがあると思いますので、この辺は今後の洞察課題としておきます。

で、皆が準備完了となったので、次なる場所へ車で移動となった。


■2 賀茂神社編
賀茂神社へは石巻山から車で20分ぐらいで到着しましたが、駐車場には石巻山には居なかった人も来ていました。その後、全員で社務所へ行きましたが、そこには修験道のK氏が、、、これで早勢14~15名(ウロ覚えw)と結構な人数です。で、今回、参加した人たちはノコギリやナタ、シャベル...等を持参した方たちがいたのですが、「えっ、下準備ってこういうことだったの、、、」 ヤッズ★は単に登山ルートの確認程度かと安易に考えていたのです。その後、宮司さんの話を聞くに及び、どうも照山の山頂に行く道は「ケモノ道」になっている感じなのです(滝汗)。

前回、もし、みゆきさんに一緒に照山に行っていたら、そんなケモノ道を登る嵌めになっていた、、、(汗)。心の準備が出来てなかったので、前回、行かなかったことに何故か心が安堵(爆)。それにしても、みゆきさんはケモノ道を何とも思わないで登っていくのだなぁ~と妙に感心し、頼もしくさえ思えた。さすが「V字谷のナウシカ」と云われるだけの方ですw (って、ヤッズ★だけが言っているだけなのだが、、、爆)

宮司さんから一通りの説明を受け、イザ、照山に出発ですw

神社奥の神域を通り抜け、裏の柿畑に出るのですが、賀茂神社の裏側ってこんなになっていたんだ、、、地元に住んでいながら、なかなかこういうところまで見たことがなかったので、これは大変貴重な経験となった。

その道すがら、田原で米ぬか酵素風呂を営んでいる方とお話する機会がありましたが、この方もみゆきさんと同じく神様の声が聞こえるのだそうです。こうなったのは3年前で、津島神社の末社50社を全て参拝し終えた時に「汝に神剣を授ける」という声が聞こえ、物質ではないのですが目に見える形で神剣を受取ったのだといいます。それから神様の声が聞こえるようになったといいます。どうもこの神剣とはテレパシックなアンテナのことではないかという推察をしていました。神社に行った際には「よう来た」とか神様から声を掛けられるそうで、神様から神社のエネルギーを高めて「光の柱」を立てるよう言われているとのことです。

ヤッズ★的には、なかなか理解し難い内容なのですが、かつてヤッズ★は後頭部から過去の記憶が怒涛のように流れ込む体験が1週間ばかり続いたことがあり困った状態になったことがありますが、みゆきさんも言っているように、神様の声が聞こえるとは言葉ではなく想念がドーンと入ってくるというのは、そんな流れ込み方をする感じなのでしょうか? この辺は自分が体験しないことにはねぇ~(涙)。

東名高速の下をくぐるトンネル中央に差し掛かると、先の霊媒体質の女性が再び「うぉ~、うぉ~~~~~ん」と泣き始めたのです。ヤッズ★には何も感じられなかったのですが、同行した気に敏感な方の話では確かに少しイヤ~な陰気を感じたという。言われてみれば、ちとヒンヤリした感じはあったようななかったような、、、、で、何故ここで泣き出したのかといえば、この照山の前の高速道路では何故か事故が多い所で、その際に亡くなった方の霊が徘徊しているようなのです。う~む、これをどう考えたらいいのか、、、、とりあえず霊関係は保留ですw

東名の下を潜り抜け、少し山の中の舗装道を行くと、宮司さんが道路脇を指差して「ここから登ります!」と言うのです。

「えっ、ここから? どこにも道はないが、、、」

どうも、ケモノ道はケモノ道でも正真正銘のケモノ道のようです。
要するに、殆ど道らしきものがないわけです(滝汗)。

しかも、そこは2mぐらいの高さになっていて、石上げまつりまでには土留めで階段を作るということになりそうなぐらいな高所なのです。足が滑るのを気をつけながら上がり、その後、薮の中を「川口ひろし探検隊」の如く進むのですが、枯れて倒れた木やツルでコケそうになったり、ツルで首を吊りそうになったりして、なんとか頂上に到着です。

「えっ、ここが頂上? 周囲は何も見えないが、、、」

小照山頂上
(少し片付いた状態の小照山の頂上 約60mの標高)

かなり木が鬱蒼と繁っているためか、全く視界が通らないのです。ただ、21日の石上げまつり当日までには、石巻山と本宮山だけは見えるように木の上の部分を刈るそうなので、その時の風景に期待ですね。

そんな中で、石上げまつりの石を置くスペースと参道を作るために、枯れ木の撤去作業を皆で開始。こういう作業はあまりやったことがなかったのですが、意外とストレス解消にはいいw

ひとしきりスペースが出来ると、中央と四隅に結界の為の石を設置。
この結界中に麓から持ってきた石を置いていくのが石上げまつりなのです。
石を上げるのは、地元の小学生をメインにしているそうで、既に小学校にも話をしているとのこと。

この結界という言葉に敏感に反応してしまうヤッズ★ですが、特にここで封印術の儀式をするわけでもなく落胆してしまいましたが、後で調べたら、この「結界」という言葉は神道では「境」というマーキング程度の意味合いで使われているようなのです。アニメ『NARUTO』の見過ぎです(爆)。

修験道の方が、この結界の四隅に諏訪神社の御柱みたいに高さの違う柱を立てたら面白いと言っていましたが、それはとても面白いアイデアです。今回は時間的に難しいのですが、今後、そういった方向に行けたらいいなぁと思います。

で、一番苦労をしたのが立ち木に引っかかった枯れ木の撤去作業です。
何度もトライしてやっと撤去完了。

その後、結界に到る参道を作るとのことでルートを決めることになったのですが、その時、名古屋の整体師の先生の土壇場なのです。どうもこの先生、気がビジュアル的に見えたり感じることが出来るそうで、結界に到る参道の気の流れを的確に指示するのです。まるで見えてるように、、、、って、見えてるわけだから、そのように指示できるのですが(爆)。日本全国を先の霊媒体質の女性と回っているのですが、地図も持たずにピタリとその場所に行けるのだといいます。そのくらい気に敏感で、まるで鳥、、い、いや人間GPSのような高性能な感覚器官を持っているのです。各地にパワースポットがありますが、そこは大抵古くから神社があることから、古代人はこのくらい気に敏感だったのかもしれませんね。つくづく人間の感覚器官の不思議さを実感した次第。

それにしても、名古屋のグループの気が見える先生や憑依体質の女性、念の籠り具合が分かる修験道のK氏、神様の声が聞ける酵素風呂経営者、当然、トランブレーみゆきさんも神様の声が聞こえるわけだし、、、、

いったい、この人たち 何者なんら?

これじゃ、まるでX-メンじゃないか!!!

Xmen

何故、ヤッズ★がこの場にいるのか不思議で仕方がない。
まぁ、アブノーマルという点では共通しているのかもしれないが、、、、(爆)


■3 食事編
気の先生の名古屋グループはどうも完全にし終えないと気が済まない感じで、その後も残って頂上でずっと作業をして、この後、スグに岡崎の方に行くのだという。先に麓に下りてきた者たちだけで食事になったわけですが、その席で宮司さんから賀茂神社にまつわる話をいろいろ聞けた。どうも宮司さんは賀茂神社の起源は記録として書かれているよりも遥かに古いと睨んでいて、弥生、縄文の頃からカンナビ山として祀られていたと睨んでいる様子。しかも、石巻山とは山の形態が違い、石巻山は神道的な山の形態ではないという。神道の場合、もっとこんもりとした形態を好むが、石巻山は尖った形態をしていて馴染まないとの意見でした。

この意見、非常に示唆に富んでいます。

語り部のいうように、石巻山は徐福末裔が奉じる道教の神仙思想の元で聖地となったのに対し、賀茂神社の照山は、最古は初期大王家が大漢国を撃った際の陣地であり、その勝利を祝って副官の王伴氏が創建した王伴神社が祀られていた場所です。その後、数百年の後、壬申の乱で勝利した倭建(天武天皇)に付き添った賀茂虫麻呂が、その故事に倣って創建したのが、照山の創建された神(カムイ)神社です。その後、今の賀茂神社に移されるわけですが、、、、この山の好みの違いは、中国人である倭人(弥生人)とスキタイ系渡来人の差が明確に出たのでしょうね。


■4 その後
実は、未だ「天地主大神の璽」の碑を見ていないので、みゆきさんにその行き方を教えて貰い、一人で再び照山に戻ったのです。墓場の横を目印に行くと、階段を登った先にその碑はありました。

天地碑

碑の後ろ側には明治4年と刻まれていて、この碑が比較的新しいことを再確認しました。
どう考えても、あの文字のクッキリ感は近年のものですね(爆)。

元々は、ある民家の庭に設置されていたものが、その当主が亡くなった為、その後、大照山へ移設され、さらに祀る人が居なくなって荒廃して埋もれたのだといいます。ちょっとガッカリな内容なのですが、あの碑の文字は、照山に関して何らかのビジョンを感じたからこそ刻んだのかもしれませんね。

実は、みゆきさんも照山にはが埋まっていると神様から聞かされ、他の数人の霊能者の方にも聞いたところ、同様に照山は鏡だと回答が寄せられ、その言葉を信じて4時間も山中を探し歩いたのだといいます。ただ、未だに鏡は見つかっていないとのこと。「天地主大神の璽」イコール鏡かどうかは分かりませんが、とても気になる話です。

もしかしたら、世界史がひっくり返るような発見があるかもw

この件を食事中に宮司さんに聞いてみたところ、賀茂神社に伝わるような明確な伝承は聞けなかったのですが、宮司さんの見解では、照山の側面が三角形に削られた時があって、そこを鏡と見立てる風にして祀ることを考えたことがあって、鏡とはそういう山肌を鏡に見立てたことではないかという見解でした。

この件に関して、語り部情報を駆使したヤッズ★の推察を述べたいところですが、鏡については語り部も何も述べてませんので、あまり深い洞察が出来ませんが、古代の神器、つまり三王朝時代(丹波、邪馬台国、君子国)の神器は「銅鐸」「硯」「水晶玉」の3つでしたが、何故かここに鏡は入っていません。

鏡は中国系神器であり、道教に必要なアイテムだと睨んでいます。
※註 道教の神学において、最高神である天皇大帝は、その宗教的神聖性の象徴として二種の神器を持つとされる。鏡と剣とがそれであり、神器という言葉も道教の経典でなどにその用例が見える。道教の神学における鏡と剣を二種の神器とする思想信仰は、中国の六朝時代、『抱朴子』の著者・葛洪や『真誥』編著者・陶弘景らによってその理論的基礎が確立される。

よって、徐福末裔が住んだ東三河は道教が盛んな地であった為、同地には大量の銅鏡が存在して、初期大王家が照山(烏捕山)を本陣として戦って勝利したのですが、その後、滅亡した君子国で使われていた大量の銅鏡を回収して照山に埋めたのではないでしょうか! これはあくまで推測ですw
※註 伊勢神宮のヤタの鏡は、中国大陸渡来系の倭人(弥生人)の国・邪馬台国によって三輪山で祀られていた鏡ではないかと睨んでいます。卑弥呼は鬼道をよくしたとあるように、鬼道は道教の初期形態であり、邪馬台国は鏡を重要視して神器としていたと思われます。

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