世界で一番美しい死体

「現実世界って、いったいなんだろう?」

という疑問から始まり、やがて腐敗しない遺体に行きあたり、いろいろ調べていくなかで究極ともいえる「世界で一番美しい死体」を知ることとなりました。

知ってる人は知ってると思いますが、彼女の名は、ロザリア・ロンバルド(Rosalia Lombardo, ? - 1920年12月6日 享年2歳)といい、イタリアのパレルモのカップッチノ・フランシスコ修道会の地下納骨堂に安置されています。

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死後80年以上経過しているにも関わらず、その遺体はまったく腐敗しておらず、「生きている死少女」と呼ばれ、「世界一美しい死体」として有名です。

見ているだけで、なにか、目頭が熱くなってくるのを感じます。

TVドラマ「ツイン・ピークス」のパーマ・ローラーの印象的な死体写真は、ここからヒントを得たとも言われています。

彼女は、ロンバルド将軍の娘でしたが2歳で亡くなり、カップッチン会で埋葬することとなりました。カップッチン会とは、1525年にフランチェスコ会から枝分かれした托鉢(たくはつ)修道会のことで、非常に厳格であり、修道僧は皆、「カップッチョ」という先の尖った茶色のフード付コートを着ているので、「カップッチン会」と呼ばれるようになりました。

ちょうど、ロザリアが着ている服がそれです。

ちなみに、カップに注いだエスプレッソの上に、ホイップしたクリームを加えた「カプチーノ(Cappuccino)」は、このカップッチン会修道僧が着る「カップッチョ」の色に似ていることからの由来です。

また、彼らは独特の死体埋葬方法(ミイラ保存)をすることでも有名で、遺体から血を抜いた後、ある種の科学物質を注入して保存するのですが、その技術のレベルは低く、約8000体ある遺体のうち、ロザリアだけが眠っているかのような状態で生前の姿をとどめいるに過ぎず、他は全て白骨化してしまっています。

ロザリアが安置されている部屋では、ちょうど2人の幼子のミイラ間にはさまれた中央に位置していますが、両隣はミイラ化してしまっています。

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彼女は、サラフィアという医師の手によってミイラにされたのですが、どんな薬剤を使ったのかその処方箋は、未だ謎のままなのです。

彼女の場合も、「ベルナデッタ」「カタリナ・ラブレ」と同じく死蝋(しろう)で、湿潤かつ低温の環境において、腐敗菌が繁殖しない状態にし、外気と長期間遮断された結果、腐敗を免れ、死体内部の脂肪が変性し死体全体が蝋状・チーズ状になったのです。

辛追を含め、完全な形で残っているのは、全て女性である点が興味深いです。
男性とは皮下脂肪の質が違うのでしょうか?

ブログで紹介したのは、今回で5柱となるのですが、たとえそれが薬等を使ったものでも、有史以来誕生した人の数から考えると、圧倒的に少なく、奇跡にあることには相違ありません。

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辛追

今まで、腐敗しない遺体の記事を書いてきて、何故、ヨーロッパ、特にキリスト教関連だけに集中しているのか、という疑問をヤッズ★は持っていました。

「キリスト教が、真の神の宗教であるから、奇跡が起きる。」という理由付けには、今のところ、反論もできないし、賛同もできません。

同じキリスト教でも、正教会(オーソドクス)にはそのような事例はありませんし、今まで上げた事例もどちらかというとマリア崇拝というキリスト教の本流から外れたところで起きているからです。

では、仏教世界、特にアジアで腐敗しない事例はないのだろうか?

という思いを持っていたのですが、最近、中国の親友から、まさにその事例を教えてもらいましたので、ここに紹介します。

1974年、中国の湖南省長沙市の東郊4キロ行った瀏陽河沿いの土盛りで出来た丘で、20世紀最大級の遺跡の発見がありました。

その遺跡の名を「馬王堆(まおうたい)」といいます。

墓には1000余りの副葬品が納められており、発掘調査で「長沙丞相」「大侯之印」「利蒼」の三つの印が発見されたことから、墓の住人が前漢時代(約2200年前)の長沙国丞相利蒼とその家族であることが判明しました。

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■復元した等身大シリコン人形

この遺跡の最大の謎は、長沙国丞相の妻が、推定50歳代で亡くなり葬られたのですが、その遺体が全く腐敗していなかったことなのです。

彼女の名を「辛追」といいます。

その遺体の肌は指で押しても元に戻る程柔らかく弾力があり、、間接を曲げることすら出来たそうです。また、髪の毛も全く抜け落ちておらず、当時そのままでした。

発掘後、ホルマリン漬けしてしまった為、現在の皮膚は白くなってしまいましたが、発掘した当時は、赤みを帯びた色をしていました。

今でも、中国の博物館でその姿を見ることができます。

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先の記事の腐敗しない遺体とは、明らかに異なります。

キリスト教関連のは、ロウ化する「死蝋(しろう)」というのに対し、こちらは生身であり「湿屍(しっし)」と呼ばれています。

この「湿屍」は、文献(「史記」、唐代「博異志」)上にも、いろいろ出てきます。

古代中国の墓からは、たびたび、このような信じられない保存状態の良い遺体が見つかっていますが、湿屍のメカニズムは、未だ不明だそうです。

キリスト教関連以外でも腐敗しない遺体があることで、ヤッズ★には「不腐敗の奇跡は、神の恩寵ではない。」という、ひとつの確信が生まれました。

不思議のメダイ

「不思議のメダイ」という、とってもミラクルなメダルがあるのを知っていますか?

このメダイは、フランス・パリ市内のバック通りにある聖ヴィンセンシオ・ア・パウロの愛徳姉妹修道会(1633年、聖ヴァンサン・ドゥ・ポルと聖ルイズ・ド・マリヤックが創立 地下鉄セーブルバビロン駅下車すぐ)で起きた聖母出現の幻視をもとに作成されたもので、世界中に驚くべき速度で普及しました。

その理由は、このメダイを持つ人には、あらゆる病気の治癒、多数の人の回心、戦争、事故などからの守護…等のたくさんの奇跡が起き、ロザリオに匹敵する「準秘蹟」として、普及に拍車が掛かったからです。

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■カタリナ・ラブレについて
この話の主役である聖母幻視者カタリナ・ラブレは、1806年5月2日、ディジョン近郊の小さな村ファン・レ・ムーティエで学校教育を受ける機会に恵まれない農家の娘として、11人兄弟の9番目として生まれました。

9歳の時に母親を亡くしたことから、父の仕事の手伝いから家事に至るまでよく働き、忙しいながらも信仰に篤く、毎朝に未だ日の昇らない前に家を出て5キロ先の教会に行き、祈りを捧げていました。

18歳の時、修道女になりたいと父親に申し出たのですが、逆に反対に合い、弟の経営するカフェにウェートレスとして働くようパリへ送られてしまったのです。しかし、この思いは断ちがたく、1830年1月22日、彼女が23歳の時、教育がないことから一度は断られた愛徳姉妹修道会に入会志願者として認められたのです。

そして、聖母の幻視はその6ヵ月後に起こったのです。


■1回目の聖母出現
1830年7月18日、夜中の11時半頃、建物の中に突然光が閃き、3度続けて自分の名前を呼ぶ声にカタリナが目を覚ましました。そこには、四、五歳くらいの真っ白の服を着たとても美しい男の子がろうそくを持って立っていて、「聖堂へ来てください。聖母が待っておられます。」と告げられたのです。

カタリナが彼に付き添われて聖堂に行くと、祭壇の前には非常に美しい婦人が座っていて、これから起こるフランス王の艱難について予言されました。

そして、1週間後の1830年7月27日、あの有名な七月革命が勃発したのです。
予言は当たったのです。


■2回目の聖母出現
1回目の出現から四ヶ月後の1830年11月27日、夕方五時半頃の黙想の時間に、カタリナは再び聖母のご出現を受けました。

今回は、聖母の周囲に楕円形のしるしが示され、
「無原罪の聖マリア、あなたにより頼むわたしたちのために祈って下さい」
という祈りの言葉がそのまわりに現れた。

「この姿通りにメダイを作ってもらいなさい。このメダイを身につける人は残らず大きなお恵みを受けるでしょう。特に信頼をもってそれを身につける者には豊かなお恵みが与えられるでしょう。」 

その声が消えると、その絵が反転してメダイの裏側が現れた。

・大きなM字の上に横棒があり、その上に十字架がある
・Mの下に2つの心臓(茨に囲まれたイエスの聖心、剣で貫かれたマリアの御心)
・ 十二の星が全体を取り巻く

そして、この幻視は終わったのです。

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この裏面マークでヤッズ★が興味深く思うのは、イエスとマリアがMの字に横並びになっていることですね。普通、カトリック教会は神であるイエスを最上に持ってくるはずなので、この刻印マークは、ありえないと思う。逆にこのことが、教会の創作物ではないことを示しています。邪推するに、剣の刺さった方の心臓は、実はマグダラのマリアなのかもしれません(笑)。ええっ、ダヴィンチ・コードの影響され過ぎ?


■驚くべき普及速度
出現2年後の1832年6月30日、この幻視を基にした「無原罪の御宿りのメダイ」が、パリ大司教の認可のもと、200個作成されました。(うちの10個は、現在も愛徳姉妹修道会に保管)

その後、メダイは全世界に驚くべき勢いで普及し、4年後の1836年までに200万個のメダイが作られたのです。

またこのメダイには不思議な現象が続出した為、初期の正式名称である「無原罪の御宿りのメダイ」と呼ばれず、「不思議のメダイ」と呼ばれるようになっていったのです。


■腐敗しない遺体
カナリナは、以後40年この修道会で奉仕に励み、1876年12月31日、70歳で亡くなりました。

彼女の死から57年後の1933年(ピオ十一世教皇の治世)、列福調査ための遺体発掘をしたのですが、カタリナの遺体は腐敗していないことが確認されたのです。

普通、眼は死後急速に暗黒色に変化し陥没して腐敗するのですが、カタリナの眼は、まだ青い色を保った状態であったといいます。

現在、遺体はガラス製の棺に納められ、聖母が御出現になった祭壇の下に安置されています。120年経った今でも遺体は腐敗せず、毎日数千人の人々が巡礼に訪れています。

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もっと詳しく知りたい人は↓↓↓(メダイの無料プレゼントあり)
■Holy Ring(カトリック教会と福音的な情報への日本語ポータルサイト)

尚、教会の不思議のメダイは、カトリック法において販売してはいけない事になっているそうです。

聖フランシスコ・ザビエル

フランシスコ・ザビエルって聞いたことありますよね?

日本に初めてキリスト教を伝えた宣教師ですが、彼もまた遺体が腐敗しなかったということです。

ヤッズ★は、今の今まで知らなかった(汗)。

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日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエル(Dominus Franciscus de Xabier 1506~1552)は、1549年からの2年間の日本宣教の後、次の布教の地、中国へ向かったが、当時の中国は厳しい鎖国政策の為、広東に入ることが出来ず、その入国交渉途中に肺炎を患い、1552年12月3日に死去しました。

彼の遺体は、すぐさま石灰を入れた棺に入れられ、インドのゴアに運ばれたが、彼の遺体は腐敗せず、まるで生きているかのようであった。

これが評判となり、拝観者が絶えなかったと言われています。

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そんな時、ある一人の熱狂的な女性信者が、彼の足の小指と薬指を噛み千切って持ち去るという事件が起こり、この時から常時公開されていた彼の遺体の公開が10年に1回に変更されました。(2004年に公開、次回は2014年の予定)

また、列聖に加えるための証拠として、ローマのイエズス会本部より、彼の右腕を送れという指示が出て、彼の右腕は切断されローマに送付されました。

さらには内臓を送れという指示が続いて出され、遺体の腹は割かれ内臓はすべて摘出された。しかし、こちらは、その後いづこへか消え去ってしまった。

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この切り取られたザビエルの右腕は、1614年にローマのイエズス会ジェズ教会(Chiesa del Gesu)に安置され、現在に至ります。

また、ザビエル渡来400周年(1949年)と450周年(1999年)には、この奇跡の右腕が日本に来て、各地を巡回しました。

そういえば、ヤッズ★はジェズ教会に行ったとき、何か腕が飾られててキモイと思ったことを思い出した。

そーか、あれがザビエルの腕だったんだ(感動)。

ザビエルの見た日本 ザビエルの見た日本
ピーター・ミルワード (1998/11)
講談社

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聖ベルナデッタ

ルルドの泉で有名なベルナデッタを知っていますか?

ルルド(Lourdes) は、ピレネー山麓のフランス側の人口15000人ほどの小さな町ですが、ここに有名なルルドの泉があり、気候のよい春から秋にかけて世界中から巡礼者がやってきます。

そのルルドの泉の発見者(?)というのがベルネデッタなのです。

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1858年2月、村の14歳の少女ベルナデッタ・スビルーが郊外の洞窟のそばで薪拾いをしているとき、「無原罪の御宿り」と名乗る白い輝く婦人が出現した。

お告げに従って地面を掘ったら、泉が湧いた。これが「ルルドの泉」です。

村の人々は最初は嘘だと相手にしなかったが、婦人はこの少女の前に18回も姿を現し、やがて、村では「聖母」が現れたと評判になったのです。

その事件があった後、そこには大聖堂が建てられてました。

1866年、彼女はヌヴェール愛徳修道会の修道院に入り、静かな一生を送ったのですが、死後、彼女の遺体はまったく腐敗しなかったのです。遺体は1909年、1919年、1925年の3度の公式調査でも、全く防腐処理されていないことが確認されています。

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現在では、過去の調査の影響で皮膚の黒ずみと鼻梁と眼窩が落ち窪みなどのため、顔と両手に精巧な蝋製マスクが被せられています。

今も、当時の服装のまま、眠るようにヌヴェール修道院に安置されています。

先の「聖ヤヌアリウスの血の奇跡」でも、遺体が腐敗しなかったという話をしましたが、キリスト教関係には、この手の奇跡譚が多いですね。

ヤッズ★もローマ市内の教会で、腐敗しない遺体が安置されているのを見たことあります。

そこは、別段、大げさに飾っておらず、ふと足元の壁に嵌め込まれたガラスを覗いたら遺体があったので、ギョエーッって叫びました(笑)。

心の準備なしに、いきなり、そんなもの見せるなっちゅうの!

何故、遺体が腐敗しないか?

ヤッズ★は、物質は精神エネルギーが現実に現れたものであるとういう立場をとっており、この立場から説明してみます。

キリスト教の教義には、信仰により不死すなわち永遠の命を得るとあるので、この信仰、信念、想念がこのような遺体が腐敗しない事象を起こしているのではと考えます。

つまり、信仰により原型世界にベルナデッタの思念が強く刻まれているから、起きていると思うのです。


奇蹟の聖地ルルド 奇蹟の聖地ルルド
菅井 日人、田中 澄江 他 (2000/10)
講談社

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ベルナデッタ ベルナデッタ
ルネ・ローランタン (2004/04)
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痙攣派(Convulsionaires)

18世紀初頭(1727年~1732年)、パリのサン・メダール教会とその隣接する墓地で、歴史上、特筆すべき最大規模のオカルト現象がありました。

その事件とは、このような驚嘆すべきものでした。

ジャンセニストとして禁欲的な修行に励み、不治の病への奇跡的治癒力と貧困層への慈悲心で、「聖者」として敬愛されていた若い助祭フランソワ・ド・パリ(Francois de Paris)は、疲労と栄養失調が原因で1727年5月に他界しました。そして、彼の葬儀がサン・メダール教会で行われ、多くの参列者が順番に最後の別れの挨拶をしている最中に、一連の驚くべき治癒現象が起こったのです。

ジャンセニスト(=ヤンセン派)とは、フランスのポール・ロワイヤル修道院関係者を中心とする、ローマ法王の勅書「信仰宣誓書」に署名しない人たちを指します。彼らは、神の恩寵を重視し、腐敗した人間本性の罪深さを強調し、人間の自由意志の役割を低く見ています。彼らの特徴として、剛毛で裏打ちした苦行用シャツを身につけ、両腕を開かず、胸の前で交叉させているキリスト像を崇めます。

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フランソワ・ド・パリ

【事象1】
葬儀の時、父親に付き添われた不自由な足を引きずったひとりの少年は、棺桶の上に花束を捧げた時、突然、倒れて足をバタつかせ、あえぎはじめた。発作は数分で収まったが、生まれつき捻じれていた足が真っ直ぐに伸び、「使えるようになった!」と喜びのあまり踊り出した。

【事象2】
今度は、老婆に痙攣が襲い、彼女は叫び声を上げた。が、25年も麻痺していた腕が自由に動かせれるようになった。

聖者の死を嘆く弔問者たちは、あらゆる病人が棺桶に触れ、自分でもコントロールできない痙攣やひきつけを起こし、その発作にひたすら身を委ねたが、発作が収まると、癌性の腫瘍、視覚障害、聴覚障害、関節炎、リウマチ、肢体不具、長期にわたる熱、腫瘍性のできもの・・・等が奇跡的に治癒していた。

その現象はその後も続出したため、彼ら信徒(ほとんどが女性)は、ジャンセニスト「痙攣派(Convulsionaires)」と呼ばれるようになった。

ただ、奇跡は葬儀の時だけに留まらず、隣接の教区墓地に遺体を埋葬してからも起き続け、そしてさらにエスカレートしていった。

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サン・メダール教会

どのようにエスカレートしていったかというと、彼らは痙攣発作時のトランス状態の意識下で、驚くべき事に、他人への治癒能力や超常能力も発現しだしていったのです。

【事象3】
ある人は、病気で完全に腐って異臭を発する足から膿を口で吸い出し、瞬時にして治癒させてしてしまった。

【事象4】
驚異的としか言いようのない形で手足を屈曲し、体中をくねらせ、もだえながら歩き回っていた。

【事象5】
潔癖症のノイローゼの少女が人間の糞尿を嬉嬉として食べ、またその口から牛乳を吐きだした。

【事象6】
空中浮遊しだし、数人の男が飛んでいかないように取り押さえるが、ぶら下げてたまま空中に漂っていた。

【事象7】
少女が燃え盛る炎の中に頭を突っ込むが、火傷一つ無い。さらに赤く灼熱した石炭を喜んで食べだした。

当時、この奇蹟はヨーロッパ中で話題になり、何千人という人たちがこれを見るために押しかけてきて目撃をした。そこには懐疑的な 科学者、哲学者、神父、その他社会的に信頼できる人物も多数訪れたが、誰もインチキであると指摘もできなかった。

見学した人により、その時の様子がおびただしい数の文書として現在に残っています。そのひとり、パリ市議会議員のルイ・バシール・カレ・ド・モンジェロン (Louis Basile Carre de Montgeron )は、『La Verite des Miracles(奇跡の真実)』という4巻にもなる大著を1737年に発行しました。

そこにはこう記載されています。

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La Verite des Miracles(奇跡の真実)1737刊

【事象8】
ジャンヌ・モーレという20歳になる若い女性は、痙攣の発作が始まると石壁を背に寄りかかり、自分を棒で強く打ってほしいと周りの群集に懇願した。そして、選ばれた「とても屈強そうな男」が重さ14キロもあるハンマーで彼女の腹部を100回にわたり叩き続けた。しかし、彼女は痛んでいる様子はおろか、打撲や傷の跡さえつかなかったという。ハンマーの衝撃を試すため石壁を叩いてみたら25回目に大きな穴が石壁にあいてしまった。

【事象9】
ある女性は、痙攣の発作が始まると、自分の上着を脱ぎ捨て、乳首をヤットコでねじるよう求めた。拷問の最中、彼女は歓喜の表情を浮かべていた。

【事象10】
また、ある女性は仰向けになって体を反らせ、腰の部分に何本もの鉄の槍をあて体を支えた。そして20キロ以上ある石を彼女の腹部に落として欲しいと懇願し、そのように何回も石を落としている時でもが彼女は「もっと強く打て、もっと強く!」と叫び続けていた。しかし、背中の皮膚には何ひとつ傷が付かなかった。

【事象11】
先端を研いだ鉄製ドリルを腹部に当てられ、ハンマーで目一杯の力で叩かれたが、ドリルは背骨も貫通せず腹部も破裂せず、彼女は歓喜の表情を浮かべ「ああ、これは体にいい、兄弟よ、できれば倍の力で打ってくれ!」と叫んでいた。

実際、この教会内で奇蹟を行っている人を、鉄の棒、やり 斧、どんな武器だろうと傷一つ付ける事も出来なかった。

彼女たちが、このような拷問を要請するのは、痙攣の痛みが和らぐからであり、このプロセスにより彼女達は、長年の不虞や腫瘍などが治癒したのであった。

この熱狂的集会は短期間に終わってしまったのではなく数年に渡り続き、墓地とその周りの通りには、昼夜を問わず連日、見学人があふれ、その世話をするためだけにボランティアが3000人もいたという事実から、その規模の大きさわかると思います。

何故、痙攣(けいれん)発生後に病気治癒の奇跡が起きるのでしょうか?

ヤッズ★は、「痙攣は人体波動の強制的な初期化」であると考えます。

物には、固有振動数または共振振動数と言うのがあります。ある一定の周波数を物に照射すると、その物が共鳴して共振する現象です。人体も同様に固有の振動数があります。

つまり、人体も一種の波動というわけです。

パソコンでハードディスクを初期化するように、この人体の波動を初期化し、エラー波動(=病気)を消去させているのではないかと考えます。その時の感覚が痙攣となって表現されるのです。

次に痙攣中に各種の刃物や武器による攻撃に耐えられことについては、痙攣中はその部位には全く感覚がない点がポイントと思われます。脳内で自己感覚を統合化し、次の現実を創造していると考えると、一部の感覚がない場合、その箇所の創造がされないので、体が傷つかないのではと考えます。(ここは少し自信がありませんw)

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空中浮遊

ヤッズ★が空中浮遊できるっていう話じゃないです(笑)。

「空中浮遊」は有名なところでは、インドやヒマラヤの行者、キリスト教の聖者、中国の「久米仙人」、日本の修験道の祖「役小角」や密教行者等がありますが、古今東西で発現している不思議な物理現象です。イエスが水の上を歩いたという聖書の記述も、これとまったく同じ現象ですね。

この空中浮遊で歴史上、最も有名なのは19世紀後半に活躍したスコットランド・エディンバラ生まれの米国人ダニエル・ダングラス・ホーム (Daniel Douglas Home 1833-1886)です。

ホーム1

彼は本当に高潔の紳士で、生涯を通し一切の報酬を受け取りませんでした。

また、要請のあったあらゆるテストに事前準備なしで応じ、また明るい照明のもとで各種現象を発現したのです。時には、時の権力者であるナポレオン3世、ドイツ皇帝、オランダ女王などの前でも実演することありました。そして何度も科学的に徹底的に検証されましたが、トリックなど一切見つからなかったのです。

では、ホームが発現した物理現象を列挙してみると、

   ・家全体を振動
   ・食堂テーブルの空中浮遊
   ・音、光、匂い、冷気の発生
   ・物体の瞬間移動
   ・物質化現象(不思議な手首)
   ・アコーディオンの無人演奏
   ・耐火現象
   ・身長長身化(+30センチ)
   ・ホーム自身の空中浮遊

なかでも彼の空中浮遊は、白昼堂々と何百人もの人々が見ている前で行われています。

彼はトランス状態に入り、地上85フィートのビル三階の窓から出て、しばらく空中で滞在し、また窓から戻ってくるという驚愕怒涛のものまでありました。そして、空中浮遊は百回以上も成功させているのです。

ホーム2

その場にいた全員が集団催眠にかけられ、単に幻を見せられただけだろうという人もいました。

そこで、この騒ぎに終止符を打つべく、こういった現象に非常に懐疑的なクルックス博士が調査依頼を受け、ホームの研究を開始したのです。クルックス博士は、タリウム元素の発見、クルックス放電管の発明などで既に世界的に有名な当時の第一級の科学者で、また英国学術協会会長などを歴任した人でこの調査には、まさに打ってつけの人物でした。

しかし、実験結果から、これら物理現象が全く否定しようのない事実だったと報告されたのです。


では、空中浮遊はどんな原理で浮かぶのでしょうか?

ヨガが教えるところでは、蓮華座のままジャンプする空中浮揚は二段階あるそうです。

第一段階の空中浮揚は、
尾てい骨には、ヘビのようにとぐろを巻いて休んでいると表現される「クンダリニー」という神秘エネルギーがあり、これが覚醒するとき、尾てい骨から頭頂に向かうスシュムナー管という気の通り道に非常な高熱が駆け上がって行くのです。その途上で「チャクラ」という7つある霊的中枢が順次開発されていきます。

普通、スシュムナー管にはさまざまな悪感情や欲望である「煩悩」という汚れが詰まっているので、クンダリニーがそれらの詰まりにぶつかった時、体が振動しピョンピョンと跳ね上がる。

次に第二段階の空中浮揚であるが、
クンダリニーの上昇後、「アナハタ・チャクラ」(胸)が充分開発された時、体内循環する気を自由にコントロールすることが出来るようになる。体内を駆け巡る気を上昇傾向にし「上昇→停止→下降」という空中浮揚が初めて可能となる。

しかし、これはまだ初歩段階に過ぎず、更に強化していけば、完璧な「空中浮揚」ができるようになるとのことです。今でもインド、チベットの山奥に、このような高度な空中浮揚ができる聖者が何人もいるといいます。

他に身近なところでは、大正から昭和の人で肥田式強健術の創始者・肥田春充。また最近ではヨガの成瀬雅春(今はやっていない)です。彼らもクンダリニーの覚醒を修行中に経験しているのです。

成瀬雅春

どうやら、空中浮遊には「クンダリニーの覚醒」が重要な鍵のようです。

最後に、あるインドのリシ(聖仙)の言葉を紹介します。

「人間は引力を支配する力がある。人間は地球の磁力(現代人のいわゆる引力)以上にヴァイブレーションを上げ(言い換えれば力を出し)て、引力効果を無に帰してしまうことができるものだ。引力が無効になれば人間の身体は上にあがり、空中に浮かぶことができる。したがって水の上でも、地上と同様に歩くことができる」(成瀬雅春・著『空中浮遊』より)

聖ヤヌアリウスの血の奇跡

イタリアのナポリ中心部にドゥオーモ・サン・ジェンナーロという教会の大聖堂があります。

ここはキリスト教の奇跡で非常に有名な場所です。
では、その奇跡とは、いったいどのなものだと思いますか?

それは「昔の聖人の黒く固まった血が、瞬間的に泡立ちながら真っ赤な鮮血に変わる」という奇跡です。

どうです、驚いたでしょう。腰が抜けましたか(笑)?

その奇跡を実際に目にした人の話では、
「あるミサの最中、当日その奇跡を目にするために集まった大群集の歓声のなか、ある1人の高位聖職者が現れます。彼が持つ銀製の杖の先の輪にはガラス製の小さな瓶が2つ嵌め込まれています。そのガラスの中には黒茶色の粉末固体状のものが見えます。聖職者が杖を揺するように回転し始めると、不思議なことに、黒茶色の凝固していた粉末が泡立つように真紅の血液に変化しだしたのです。」

この奇跡は、620年前の1389年から現在までずっと続いています。

ただ、いつ行っても見れるわけではなく、9月19日(一番有名)、5月の第一土曜、12月16日の年3回だけ奇跡は公開されています。
(奇跡自体は年18回あるミサで起きるのですが、一般公開されるのはこの3回のみ)

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ところで、この血はいったい誰の血?

これは、ナポリの守護聖人「聖ヤヌアリウス」、別名サン・ジェンナーロのものであると言われています。(サン・ジェンナーロ San Gennaroは、聖ヤヌアリウスのイタリア語読み)

ヤヌアリウスは、1700年前のナポリの司祭でした。
炉に投げ込まれても火傷しなかったとか、闘技場では猛獣が彼に頭を下げたとかの伝説もあります。

そんな不死身な彼も、キリスト教迫害で有名なローマ皇帝ディオクレティアヌスの手により、西暦305年5月19日にナポリ郊外ポッツォーリの街で首を切られて処刑されてしまいました。

不思議なことに、処刑後に遺体は行方不明となりました。
いろんな人が探しても見つからなかったのですが、斬首から100年後のある日、ボッツォーリで埋葬遺骨が発見されたです。

そして遺骨は相談の結果、ナポリに運ばれることに決まりましたが、その搬送途上の12月16日、丁重に遺骨を収めた棺から血がポタリポタリと滴り落ち始めたのです。

これにはみんな驚き、慌てふためきました。
なにせ、骨から染み出すように鮮血が流れだしたんですからね。

その滴り落ちる血を集めたのが、先ほどの「奇跡の血」というわけなのです。

またこのとき、度重なる噴火をしていたヴェスビオ火山の噴火が急に止まったのですから、ナポリの人々はヤヌアリウスが火山の噴火を止めたと信じ込んだのです。

そして後に、彼はナポリの守護聖人となったのです。
大聖堂には、金色の衣装を纏った絵画が彫像がたくさんありますが、それが聖ヤヌアリウスその人なのです。

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ただ、これまでに血液が液化しない時が幾度かありました。
そんな液化しなかった年には、ヴェスビオ火山の噴火、ナポレオンのナポリ侵攻、1976年のイタリア史上最大の地震があったのです。

「液化しない時は、ナポリは災難に見舞われる。」
今なお、ナポリ住民の間では、この奇跡現象をもって吉凶判断がされています。

そして近年、この聖なる液体の科学的な分析がナポリ大学の科学者達によって行われました。

壊れやすく貴重な聖遺物のため、教会側は瓶を割った検査を断固として許可せず、分光器を使った瓶の外側からだけのスペクトル分析だったのですが、そこにはへモグロビンと同じスペクトル分光結果が検出されたのです。

本当の血液である可能性が、俄然、高まりました。

しかし、ある英国の学者は、中に入っているのは中世に作られた水酸化鉄を使ったコロイド溶液ではないかという異論を提出しました。

コロイド溶液は、普段はゲル状の固体なのですが、急に衝撃を与えると液状化する性質があります。また、水酸化鉄はヘモグロビンと同じようなスペクトル分光結果がでるので、これを混ぜ込んだのではないかという主張です。

ヤッズ★はこの説に対して、下記3つの点から懐疑的です。
・中世に、ヘモグロビンと同じ分光結果が出るよう予め水酸化鉄を混ぜ込んだとは考えにくい。
・奇跡の血は、ゲル状ではなく固体粉末状であること。
・何度も固体→液体→固体に変化する物質をいまだ作り出せていないこと。

直接液体を分析出来ない現状では、この論争も科学的に完全に決着つかない状態です。

将来的に革新的な分析手法が出現するか、あるいは保管されているガラス瓶が補修される時まで、結論は待たねばならないでしょう。それまでは「奇跡の血」の正体は謎のままなのです。




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