GOD派@団長@匿名党にロックオン!(爆wwwww  (その1)

最近、精読しているのが匿名党ブログ。

ここのブログ記事には、、、、サンカと海人族の関係、本山派修験道と長吏とエタヒニンの関係、尾張の隠れキリシタンの関係(→世界のT社と地祇系やタカタ財閥から東北の姫様まで芋ずる。あとKruppもかw)....等、オイラが日本の真の姿の洞察を進めるにあたり、他では伺い知れない非常に参考になる裏情報、、、、つまり、団長のうんこ投げが「てんこもり状態」の山になっている。

トンスルにして洞察の糧にしてるだす~。(m○m)

それ以外にも、ロス茶もロックも「王族のパシリ」であり、日本の最終ケツモチはイエズス会、ユダヤ陰謀論は王室ネットワークの煙幕、戦前の天皇家は英国王室とつるんで極東麻薬ビジネスを実効、 八咫烏の実行部隊「五龍会」の黄龍会総長の天忠党の中山忠英(京都明治天皇の生母・中山慶子の類者、南朝反目)を擁した大日本皇道立教会(北朝京都天皇守護)を出自とする創価は油狸がアメポチにイスカリオテした....等という史観もオイラと全く同じ。

また既得権益を壊すTPP賛成であり、将来の天皇は本家筋の愛子さまにして、男性限定継承の「ヴァチカン型継承」から女系容認の「英王室型継承」に路線変更を行い、英国植民地である米国追従という真のアメポチ路線しか日本の残された道はないという認識も同じである。

愛子さま
(最近痩せてスーメタル【中元すずか】に似てきた愛子さま、、、)

かつて、日本の渡来系支配者層のくびきを切り離し、貴族制・封建制度を終了させたのが米国の戦後政策ですが、またぞろ再び戦前体制に戻そうとする勢力(日本会議・神道政治連盟)や大陸侵攻してネオ満州国を樹立しようとする勢力(大本系列・旧帝国陸軍・卍党・イエズス会傀儡)が右翼保守面をして台頭してきている。

当然、石原チン太郎、インドネシア人のデビル夫人、維チンの会もこの類であろう。

これらの勢力が推すのが鯰亭で、この勢力は世界に稀有な皇位継承方式である「男系男子継承」に拘っているが、これは神格化が容易であるということと「ダビデの血胤」を広宣しやすいという理由からでしょう。

世の中が右巻き化する中、この大本色の濃い流れは断固阻止せねばならないわけだが、、、、今後は「要らない子」状態となった左翼は廃れ、「保守層の親米・反米の二極化」が次の展開となるであろうが、先の勢力の最終ケツモチは「借金王」となって既に弱体化している。

やはり、ここは二階幹事長が云うように、、、、

「愛子さまでGO!」だすな!

つまり、我々の上に「愛を頂戴」する方向性で決まりだす~!!!(爆)


(次の天帝を示す北斗七星&ダーキニを色濃く暗示するエロ天女AOA、、、、本来「北斗」は北朝=源氏を示す為「白」なのですが、以前AOAは「AOAブラック」「AOAブラック」でデビューしたが芽が出ず現在のエロカッコイイ路線にサイドチェンジして人気化した。AOAのシンボルカラーは赤色で平家=藤原式家=南朝、、、、やはり、次期天帝はメーソン寄りの南朝支持で英国ウィンザー家と懇意な本家の愛子さまラインで決まりということだすなw)

現在のところ、GOD派サマナの匿名党団長は限りなく国際秩序維持派(米国北軍派)の方向性や考えに近いのだが、、、、さてさて、どうでしょうか?

まぁ、今は呉越同舟状態としておこう(爆)。

で、匿名党記事で最近超絶気になっているのが「GOD派」という言葉。

言説を一部抜粋してみると、、、、

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日本とはほとんど無関係のGOD派が天下を取ってしまい、反GOD派はその配下となったわけですよ。(爆wwwwwwwwwwww

で、日本の場合、現本家ですら根本的には反GOD派

で、GOD派と反GOD派双方の血統の女王陛下は基本的にGOD派でGO!を不本意ながら選択。

最終的には英米露独仏などほぼ全ての白人エリアはGOD支配下に。
大多数のユダヤもGOD支配下に・・・
そして阿Qサマナのココロの拠り所たる宗主国様も実は既に・・・、、、(爆wwwwwwwwwwww

要するに日本との繋がりがある反GOD派のフロントたる英国王室は元祖本家じゃないんですよ。

中には英語すら話せない王様もいらっしゃったわけで・・・(爆wwwwww

でも元祖本家は表舞台から消えてから五百年以上もGOD派のご加護の下、滅ばず裏で生き残りそして繁栄し、最終的には現本家とその世界的ネットワークを内側からテークオーバーしてしまったわけです。で、実質的に欧州の王族も全てGOD派配下となり勿論、ヴァチカンも南北ダメリカなどなども・・・(爆wwwwwwww


※サマナ・・・・オウム真理教でいう「出家信者」のこと。転じて信仰者とか信仰勢力程度の意味合いだろう

■日本が反GOD派たる由縁とGOD派の復活
http://tokumei10.blogspot.jp/2015/07/godgod.html
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なにやら世界中がGOD派傘下になってしまい、残る強豪勢力は日本・イスラエル・韓国・北朝鮮ぐらいという感じ、、、、これらは緑のカラス(皇室始祖鳥)絡みの国ばかりですね(爆)。

このGODがどういう神で、どの宗派・宗教を意味しているかサッパリ分からない。ただ、「隠れキリシタン=イエズス会の手羽先=卍党」について知り過ぎな団長である故、これが今後の世界のあり方に大きく関与するものになるだろうことは直感的にオイラも感じている。

この「GOD派」に関しては、その他の記事にもいろいろと載っていますが、それらを挙げると、、、

■反GOD派の存在意義が消滅し 2千年近い歴史が否定されてしまった件
http://tokumei10.blogspot.jp/2015/08/god2.html

■God派  と ”God of the Bible"派
http://tokumei10.blogspot.jp/2015/07/god-god-of-bible.html

■反GOD派とは神の子を殺した連中の流れを受け継いでる連中
http://tokumei10.blogspot.jp/2015/07/god_24.html

記事中にロスリン・チャペル、ガラハッド、シンクレアが出て来ることから、聖杯伝説やテンプル騎士団に関係することであり、即ち聖書が本当に知らしめたい内容である新約の「イエス血胤」、旧約の「ダビデのひこばえ」「エッサイの根」に関する内容であろうことは分かる。
※San Grealが「聖杯」ですが、区切りを変えると「Sang Real」(王家の血・Royal Blood) となる。また続けて記すと「サングリアル」(Sangrea)となりますが、これはテンプル騎士団→シオン修道会が保護するマグダラのマリア遺体と共に存在するサングリアル文書を示すが、これがダビデ王から由来する神聖な血統について言及した文書。ダン・ブラウンの『ダヴィンチ・コード』ではマグダラのマリアの棺はフランス南部(サント・ボーム山の洞窟=サン・マキシマム教会)→ロスリン→レンヌ・ル・シャトーと移動しルーブル美術館地下にあると結び、これをフランスが初めて作った史上初の子午線「ローズライン」として表現。

ロスリン礼拝堂
(一時期、マグダラ石棺とサングリアル文書を隠したとされるロスリン礼拝堂)

記事タイトルを繋げながら、オイラの補足説明を加えながら簡単に要約すると、、、、

「最近の再調査でトレノ聖骸布はインドで1世紀に織られたものと判明。この布には40時間包まれてネガ転写された謎の影が映っていますが、そのメカニズムは未だ原因不明。ただし、包まれた人物は聖書記述とまったく同じ場所に記述通りの傷を持っており、「トレノ聖骸布」は神の子を磔刑後に包んだ本物であったことが判明した。

ただ、その布に包まれた神の子は当時のユダヤ人には有り得ない身長180cm超であり、またヘアポ(毛人)のユダヤ人でもなく、当時地中海で活躍していたケルト十字架を持つバイキング(海の民)である可能性が濃厚。この神の子を殺した勢力が、二千年の間、ユダヤ人&エッセネ派に属する人物としてイエス・キリストを仕立て上げてきた。

また、このユダヤ・エッセネ派の血筋を千年王国樹立時の王として迎える時の「玉」として保護してきたが、血筋的に有り得ないことが分かってきて、その血脈(薔薇ライン)やキリスト教の神の存在意義が喪失し「偽GOD派」認定されてしまった。逆に500年間、表舞台から消え潜んでいた血筋や神がGOD認定され、今、世界の支配者層はこちら方面にサイドチェンジしつつある。

さらに、この毒(ドイツ)ラインの反GOD派のバテレンによって、日本は明治維新でユダヤの血を入れられた人物を明治天皇として据えて大日本帝国は建国された為、今もGOD派とは全く繋がりがない。よって、次期メシアがGOD派で確定した今、日本は偽GOD派の米国がGOD派へ宗旨替えしていくのに合わせて、ユダポチから真性アメポチになるしかない。」


という内容になります。
この内容が本当なのかどうかを調べてみる。

ではでは、核心のGOD派とは一体何なのか?

これ以外にも対立概念や反目勢力として「偽GOD派」「GOD of the Bible派」「反GOD派」「自称GOD派A」...等があり、これらから逆算してして洞察を重ねていくしかない。

まずは記事中の記述を抜粋すると、、、、

■「GOD派」
・GOD派と反GOD派の2つの流れを持つ今の英国王室は既にGOD派の手駒の一つ
  (SCG【ザクセン・コブール・ゴーダ】からもう1つの出自【グリュックスブルグ?】側に乗換え)
・GOD派は宣教をやらず、信者集めもしない
・イスラエルやパレスチナはGOD派の聖地ではない
・自称GOD派B(当時はまだGOD派未認定)
・ヴァチカンのみならず旧自称GOD派AもがGOD認定
・日本とはほぼ無縁

■「反GOD派=偽GOD派」
・神の子を殺した連中の流れを受け継ぐ連中=ヴァチカン、正統派ユダヤ教、神聖ローマ帝国
・エッセネ派を自称している連中(ヘッセン家?)
・トップケツモチ=ヴァチカン
・「GOD of the Bible(聖書の神)」派

■「自称GOD派A」
・薔薇ライン
・ヴァチカンが後ろ盾の最有力GOD派候補だった
・血統的にほぼ有り得ずに反GOD認定された

■トリノ聖骸布
・本物であり、ネガ転写はGODに因む奇跡
・ここに映る人物はヘアポなユダヤ人ではなくバイキング(?)
・聖書のイエスはユダヤ人の成りすまし


これでGOD派のが「聖書の神」であるヤハウェ(エホバ)やジーザスではないことは分かった。

「反GOD派」がカソリックならば、カソリック最大の敵であったカタリ派(アルビ派)等を輩出したグノーシス主義やイエスを裏切ったイスカリオテのユダが反目勢力となります。また、もう1つの「反GOD派」の正統ユダヤ教側から見れば、旧約教典でサタン・悪魔と散々非難したのが多神教のバアル神(黄金の子牛像)となります。

ただ、カタリ派が消滅したのは1321年で今から700年前であり、団長がいう「500年前に表舞台から消えた」とは一致しない。またユダはイエス磔刑後に自害していますし、バアル神信仰は紀元前ともっと古くなります。2017年には宗教改革を起こした「プロテスタント500年祭」が行われますが、団長はカソリックとプロテスタントという括りではないという、、、、

う~む、全くもってGOD派の片鱗すら予想が付かない(滝汗)。

まぁ、よく分からないながらも手に入る確からしい情報で洞察するしかないわけであるが、、、そこで手始めに「トリノ聖骸布」から洞察を始めよう。


■トリノ聖骸布

近年のトリノ聖骸布再調査では、死海近辺にしか自生しない植物の花粉を含んだ生地はインドで織られた一世紀のイエス当時のものであるという判定された。以前の調査は14世紀という判定結果が出ていた為、そこに映る人物はシオン修道会のジャック・モロー総長ではないかとも云われたが、それは後世の修復箇所の生地を切り取って炭素14法で測定していた誤りであったことも分かった。

聖骸布には小さな鉄球を付けた鞭で打たれた傷跡が無数に残り、また十字架を横棒を担いで痛めた肩、脇腹から流れ出た血と水が混じった跡も残っており、聖書が述べるイエスの磔刑時の記述通りの痕跡が見られる。

神の子01

さらに、ローマ法王庁(ヴァチカン)の歴史研究家バルバラ・フラーレ女史によると、聖骸布にはギリシア語とラテン語とアラマイ語とが書かれた文字が「書き散らされて」おり、イエズス・キリストの生きていた当時の中東の字体で書かれているとのこと。この文字は当時のローマ官僚によって誰の遺体かが区別できるように書かれた死亡証明書のようなものであり、文字からは「ナザレトのイエズス、(民衆を反乱に拐かした罪で断罪され、ティベリウス皇帝の第16年に死刑、午後三時におろされる」と読める。聖骸布にある理由として、紙に書かれたものを布に置いた際に布にインクが浸透して転写したのではないかとみている。

イエス002

以上により、聖骸布はイエスを包んだ100%本物であることが段々と分かってきた。

以前、オイラは聖徳太子同様、イエスにはモデルとなる人物はいるがイエス自体は「架空の人物」であるという立場に立っていたが、この架空人物説も少し雲行きが怪しくなってきた(あはは)。

問題はそのイエスとされる人物が本当にイエスその人であり、またユダヤ人(ヘブライ人)であったのか?という点。

聖骸布にネガ転写された尊像はイエス・キリストだとされていますが、何故、このように布に焼き付いた(布の厚さ3/500にまで浸透)のかは未だ不明。しかも、この顔も当時の一般的なユダヤ人のヘアポ(毛人系)な顔とはかけ離れているのです。そして、当時のユダヤ人男性の平均身長が152cm、体重が45kgと小柄な女性並のサイズなのに対し、聖骸布に包まれた男の身長は180cm以上もあり、当時のユダヤ人では有り得ない大きさ。聖骸布の本物認定とは即ち「イエス=ユダヤ人」という定説をも根底から覆すものとなる。

torino.jpg

聖書には、群衆に囲まれ説教をしているイエスの姿を見ようとして木に登った男(ザアカイ)の話が出てきますが、150cmの群集が取り囲む中、180cm超のイエスの姿が見えないはずがないので木に登る必要性はない。つまり、これは「イエスの背が低かったので群衆に隠れて姿がみえなかった」のであり、聖骸布に包まれた人物と群集に説教していたイエスは別人である可能性がある。

さらに、イエスは「子供として現れた」という記述がユダの福音書や他の福音書にも見られますが、それは背が低く子供のようであったからかもしれません。

ということは、イエス=背が低い=子供のよう=聖骸布の人物ではないとなるが、、、、(爆)

イエス
(左:聖骸布からの復元 右:BBC製作した当時のユダ族の風貌)

実は、このイエス別人説は「バルナバスの福音書」の内容とも大きく関連してくる。


■バルナバスの福音書

「バルナバスの福音書」は325年にコンスタンティヌス一世が召集したニカイア公会議で「正典」に採用されず偽書として葬られたものですが、この福音書のうち一部は教皇直属の特別収蔵庫の金庫に納められていたが、16世紀に教皇が居眠りの最中、修道士により収蔵庫から盗まれたものが18世紀にイタリア語訳されたもの。その盗んだ修道士は内容を読んでイスラム教に改宗したとか、、、、1907年には英語訳も出版されたがヴァチカンが買占めして世に出回らず、大英博物館とアメリカ議会図書館に一冊ずつ残るのみとなった。しかし、そのマイクロフィルムを入手したパキスタンのイスラム教徒が初版から72年ぶりの1999年に再版化。また、この福音書に関わった翻訳者や所有者が不審な死を遂げていることも特筆すべき点です。

このヴァチカンにとって禁断の書ともいえる「バルナバスの福音書」が掲載された1500年前の古代聖書が最近(2000年)トルコで発見され、現在、アンカラの民俗学博物館に保管されている。この古代聖書は炭素による年代測定ではパピルスが紀元前、使用されていたインクは西暦80年頃のものであり、イエスが使っていたアラム語で書かれた現有する最も古い聖書でもあり、キリスト教の古い伝承が残る文書として全世界が注目している。

■バチカン、トルコでの1500年前の聖書発見に懸念
http://japanese.irib.ir/news/latest-news/item/46821

この「バルナバスの福音書」には、パウロを「騙された者」と呼び、三位一体を完全否定、イエスは神がアブラハムやモーゼ同様に「預言者」として遣わした「人の子」であるとし、「イエスは十字架で磔刑にされず、さらに彼は神の子ではなかった。イエスは神の預言者だった。イエスは生存しており、彼の代わりにイエスの弟子の一人が磔にされた。」と記されているのです。

その身代わりとなった弟子とはユダ。確かに金貨30枚で売った後に自殺しているのも非常に怪しい点ですね。
※ジェーン・ロバーツ 著の『セスは語る』でも、ユダに薬を飲ませて朦朧とさせ、イエスと入れ替えたという説を述べている。また、ユダとイエスは背格好、顔もよく似ているという話もある。

実は、イスラム教でも磔刑されたのはユダであることが公然の秘密とされている。イエスが磔刑時に「父よ、なぜ私を見捨てたのですか?」と救世主らしからぬことを叫ぶのも、身代わりにされたユダなら納得がいく。

このようにヴァチカンの神学教義とは真っ向から対立する内容を持っているのが「バルナバスの福音書」ですが、ヴァチカンの教義はイエスを神に祀り挙げる為に福音書改竄を繰り返したものであるという認識をオイラは持っていますが、それを補強し示唆するのがマンダ教。


■マンダ教

キリスト教の中にはヨハネ派のマンダ教という非常にマイノリティな宗教派閥がイラクにあり、これは現存する唯一のグノーシス派の宗派でエッセネ派から分かれたドシテウス派由来のものだと考えられている。

マンダ教は洗礼者ヨハネをキリスト認定していて、逆にイエス、モーゼ、ムハマンドを悪の預言者としている点で既存のキリスト教とは大きく異なる。

マンダ教の伝承には非常に興味深いものがある。

・マグダラのマリアは洗礼者ヨセフの妻
・愛人(イエス)の元に駆け落ちしたので家族で捜索
・イエスはエジプト魔術を駆使する簒奪者であり、偽預言者


ちなみに、タルムードにはイエスのエジプトにいてエジプト魔術で捕まった旨が記されている。またイスラム教にはイエスは偽預言者という内容もあるが、それはマンダ教からの引用であろう。

■イエスは偽預言者、キリスト教は弟子の妄想!? 「マンダ人」とフリーメーソンが知る“真実”
http://tocana.jp/2015/06/post_6524_entry.html

ヨハネが属していたと考えられるエッセネ派(クムラン教団)にはシモン・マグスのようなサマリヤ人(北イスラエル族とギリシャ系の混血)がいたり、インドのマガタ国出身とされるマグダラのマリアがいたように、エッセネ派はユダ族だけで構成されていたわけではなく、多くの異国人が混じっていたと思われる。

ただし、死海文書からはエッセネ派とキリスト教の関連性を見出すことが出来ていない為、イエスはエッセネ派には属していなかったであろう。逆に、イエスの述べるクムラン教団とは異なる内容に感化されたマグダラのマリアはヨハネを捨てイエスの元に走ったのだろうと睨んでいる。

グノーシス派としては、古くはフランスのランドドックの「カタリ派」、エジプト~中東全域の「マニ教」、ブルガリアの「ボゴミル派」、トルコの「マルキオン派」...等が知られていますが、このようにかつてグノーシス主義を掲げる派閥は欧州でも一大勢力を築いていたが、これを敵視するヴァチカンに徹底的に弾圧を受けて壊滅した。

その残る唯一のものがマンダ教というわけですが、同じくグノーシス主義の文書に「ユダの福音書」がある。


■ユダの福音書

「ユダの福音書」は、エジプトのある墓の中から見つかった古文書。ユダが書いたわけではないが、ユダを賛美している点が他の福音書とは異なる。

ここにはイエスの信頼厚いイスカリオテのユダに対し、イエスが自らをローマ官憲に差し出すよう指示したと書かれている。BC180年、教皇がこの「ユダの福音書」の内容に触れていることから、偽典ではないが正真正銘の福音書(外典(であることは間違いない。ただ、福音書も40個はあるらしく、様々な視点で語られており、肉体を悪とし、その檻から解き放ったユダを賛美している点が共観福音書とは大きく異なる。

本当にイエスが指示したのならば、、、、ユダヤ教典には救世主は磔刑されるという伝承があり、イエスがこの預言成就を狙って自らのカリスマ化を図ったと考えられる。

つまり、自分を官憲に売り渡すようイスカリオテのユダに命令し、最後の晩餐で「この中に私を裏切る者がいる!」と衝撃の予言を披露。そして、身代わりと入れ替わり、自分は一目に付かないように潜み、身代わりの磔刑3日後、皆の前に颯爽と登場して「復活した!」という自作自演のエジプト魔術を披露したというわけです。イエス磔刑後、遺体引取をアリマタヤのヨセフがピラトに申し入れし、遺体を引き取って自分の墓所に安置した。この時の目撃者は少人数であり皆グルなのであろう。

こういうイエスの自作自演の裏を熟知しているヨハネ派(エッセネ派)なので、マンダ教伝承で「偽預言者」と語り継いできたのかもしれません。

キリスト教はユダヤ教からの分派的派生したエッセネ派が原始キリスト教団に発展していったという風に捉えられていますが、キリスト教とエッセネ派の間には何の関連性も見出されておらず、聖書にエッセネ派のことが一言も記されていないのは、エッセネ派とは無関係であり、また僻地に住み修行していたエッセネ派のことを福音書記述者はよく知らなかったからだと思われる。

ユダヤ教が非常に現世利益的な宗教なのに対し、キリスト教は終末思想や救世主待望を持ち、永遠の命という言葉に代表されるように非常に来世的という大きな違いがある。よって救世主(メシア=油をかけられた者)という概念もこの二宗教の間では全く異なり、ユダヤ教がローマ支配から開放される「民族の王」というものに対し、キリスト教が持つ終末観や救世主待望はミトラ教やゾロアスター教の方に近いといえる。

元々、イスラエル民族自体、内部に分裂の火種を抱える12部族の集まりであり、中東の土着宗教に流れがちな民衆をイスラエル民族として留めて置く為に、近隣の宗教や神話を寄せ集めて作られた人工的な民族宗。よって民衆を引き止めておく為に非常に現世利益的にならざるを得なかったのである。

実は、エッセネ派も同じような終末思想や救世主待望を持つミトラ教の分派であった。

しかし、キリスト教は違う。

イエスの使徒には政治結社の熱心党(ゼロデ党)のメンバーが2人いたり、「平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ」とイエスが云うように、本当はローマ属国状態から民族開放を煽動する政治的な革命家集団であった。「左の頬を打たれたら右の頬を出せ」「汝の敵を愛せよ」...等で信者を根っこから恭順化し、死を恐れぬ戦闘集団に仕立て上げる魔力を備えている。それであるが故に、政治犯としてローマの法律で磔刑に処せられたわけです。

その為にローマ国教のミトラ教を研究し取り入れながら、ユダヤ教と接続可能なようにしてミトラ教と似たような宗教を生み出したが、それを生み出した背景はローマに敵対していたドルイド(ブリテン系デーン人)に操られたガリア人勢力側からの宗教によるローマ帝国の内部破壊工作とみている。その為にイエスはドルイド教団から派遣されたのだろう。
※バイキング=海の民であり、当時は欧州各地に出没していた。この海の民がドルイド教団を内含しており、世界各地に宗教を撒いていった。巨石信仰、樹木信仰、洞窟信仰...等、あらゆる事物を信仰の対象としたドルイド教団にとって、ユダヤ教もキリスト教も枝葉の1つにしか過ぎない。

しかし、この試みは上手くいかなかった。

その証拠に、使徒を中心とした原始キリスト教団(エルサレム教団)は国を去っている。
※その流れていった先が、1つはフランス南部でメロヴィング朝であり、日本の秦氏である。秦氏もまたマグダラのマリアの血を引く人物がヤタガラスに含まれている。

この極めて政治的だった革命指導者の教導内容にパウロが人民恭順化の有効性を認め、その限りない可能性に気づいて宗教に衣替えして布教が為された。それ故にパウロは史的イエスには冷淡であり、磔刑・復活という事象にだけ大きく観点を置いている。その根底にはやはりローマ属国からの脱却であったであろう。この「ドルイドが生み出した対ローマ兵器であるキリスト教を簒奪して用い、ローマを宗教的に陥落・支配して属国状態から抜け出る」という政策には、当然、サヘンドリンの賛意と強力があっただろうとオイラはみている。そして、この政策の下、イエスはユダヤ人にされた。
※パウロはイエスの復活が本当であると騙されている状態ではったが、、、、

いづれにしろ、トリノ聖骸布に映る人物がユダヤ人ではなく、磔刑されたのは弟子のユダであり、このネガ転写の奇跡を起こした「神の子」でもある。しかし、イエス周囲の人物がグルであったのなら、このピンホールカメラと全く同じネガ転写技術も「アトランティスの失われた技術」をエジプトで仕入れて行ったものかもしれない。

いづれにしろ、ヴァチカンはじめキリスト教がイエスという「偽物」を崇拝していた「反GOD派」であることはガチである。



I’m in love with Judas Judaas
私はユダを愛している

I’ll bring him down, bring him down, down
私は亡骸を十字架から降ろすつもり
A king with no crown, king with no crown
無冠の王、無冠の王


カソリック教会を辞めてと上の歌詞を唄ったレディ・ガガはキリスト教関係者には非常に評判が悪いが、ネットでもキリスト教系工作員の陰謀論者にはガガは「悪魔崇拝」として非常に毛嫌いされていますね(笑)。ただ、上の歌詞内容「亡骸を十字架から降ろす」「無冠の王」という内容からはユダが身代わりで磔刑されたことを知っているフシがある。

つまり、彼女もGOD派!!!
少なくとも「GOD派の広告塔」であることは間違いない。
※今まで裏切り者と蔑んできたユダ=磔刑=トリノ聖骸布の本人という事実が、団長が言う「無慈悲な事実」というものでしょうか!

(長くなったので続く)
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京都狐憑きツアー(その3)

さて記事は今回のツアーの主題である伏見稲荷についてです。

近くの宿坊に宿泊して、午後、夜中、朝早くの3回参拝しました。最初の参拝時に奥の院の山頂まで登っていったのですが、1周3時間ぐらい掛かった(あはは)。

最初に目に入るのが楼門ですが、この楼門も豊臣秀吉が寄進建立で既に500年以上も経っていることに驚きを禁じえない。一般的に仏閣でも防腐の為に朱色に塗りますが、一度塗った後は塗り直しせずにそのまま放置状態が基本。まぁ、それが得も云われぬ古びた感じが出ていい味を醸しだしていますが、この伏見稲荷はそれに相反するかのように創建当時のままの煌びやかな雰囲気を今に伝えている。

絵札記入するテーブルすら朱色に塗られており、朱色に対する病的とも云える統一感には感心させられます。

伏見稲荷01
(狐像が咥える鍵付きの巻物、、、、これはバチカン教皇と同じく天国への鍵を持つという暗示なのか?)

稲荷社は赤色という印象をもっていましたが、その思いも最初で打ちのめされました。

伏見の朱色は濃いオレンジ色という感じの方が近い。

どうりでアニメNARUTIOでは、ナルトがオレンジ色の服を着ていますが、あれはオレンジ色ではなく朱色だったのですね。つまりNARUTOHは伏見稲荷系の稲荷を暗示。サブミナル効果かもしれませんが、NARUTOの世界人気とともに伏見稲荷の人気上昇しているのも納得です。

NARUTOP.png

この稲荷社の朱色(オレンジ色)に関しては、名無し先生の下記の言葉がずっと気になっていた。

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EP3のM資金の洞察については簿外資金に触れる事の出来ぬ存在の策謀一端との混同(※1)がみられる。
詐欺事件はその余波と考えるのが妥当だろう。

EP4の洞察中には総主教の画像があり、何を羽織っているのか? ここにロシア、日本、ドイツを繋ぐトライアングルの更にその先と世界の未来に於ける重要な鍵が存在する。日本に溶け込んだ樹木信仰とナチス、更に総主教が羽織るものの色には根幹の教理的な何かが存在し、神社仏閣の朱にも同様の象徴があり存在している。

オカルトでは一部脚色されトンデモ情報として存在するが、太古の実在が元になっている。


■2015年 宇宙人への旅立ち EP5 ポッポの覚醒 (煩フル記事)
http://aioi.blog6.fc2.com/blog-entry-2905.html
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ロシア、日本、ドイツを繋ぐ緑色は緑龍会ですが、朱色の方はどうでしょうか?

朱色=濃いオレンジ色=オレンジ結社=オレンジ公ウィリアム=メーソン

オレンジ結社

これがオイラのファイナルアンサーです。

九条閥はメーソン傀儡で藤原式家=平家=南朝、近衛閥は藤原北家=源氏=北朝でイエズス会傀儡ですが、伏見稲荷の朱色がオレンジ色=メーソン色であるのは、伏見稲荷が秦氏祖廟を守護する「カバラ落ちこぼれ」勢力で九条閥の使いパシリである「九条走り」であるからなのでしょう。
※江戸幕府は欧州に関する貿易相手国を、それまでのイエズス会の仕切るスペインからメーソンの仕切るオランダに乗り換えた。徳川幕府の将軍家には九条家から4人の嫁が入っている。(近衛門流からは鷹司家の1人のみ)

そういえば、楼門を寄進した秀吉も信長継承者で南朝方(メーソン傀儡)になりますね。

伏見稲荷は西向きに建てられ背後に稲荷山というカンナビ山を配し信仰の対象にしていますが、これは三輪山というカンナビ山を信仰の対象にする奈良の大神神社と同じ構成をしている。場所的にも御所の南東に位置しており、伏見稲荷が大神神社と同じ役割を持っているのだと睨む。

伏見稲荷は、応仁の乱で稲荷社も山上の建物を含めて一度すべて焼失してしまっている。

伏見稲荷は明治期の神仏分離で境内は接収され、下社にはウガノミタマを祀るようになり、山上にある仏像等は全て棄却された。この時、それまで郷社扱いであったが官幣社に格上げしてもらい国家神道的な神社へと向かっていった。この明治政府の神仏分離策を今までのシ滝行を場としての修験道的特色を持った稲荷信仰とは相容れないと考えた信仰者が中心となって始められたのが「お塚信仰」。これは稲荷山のあちこちに「○○大神」と記された墓標のようなものを設置していますが、明治以降に始まった新しい形態で7000基は下らないという。このお塚も最初は土で盛ったマウント状のものであったが、祭壇を石作りにして自然石平板に個人の崇める稲荷神を「○○大神」と刻印し、稲荷山に寄り添うようにして祀っている。

このお塚信仰が稲荷信仰の肝であり、豊川ダキニ天の奥の院の狐塚に匹敵するもの。ただし狐塚よりも不気味であり、完全に凌駕して圧倒的ではある。伏見稲荷大社の祀るウガノミタマなどは稲荷信仰の本質的な部分ではないことは、講を通じて作られたお塚を見れば一目判然。仏教色排除・修験色排除の中、苦肉の策として生まれたのが「お塚信仰」であり、これが稲荷信仰の本質部分である。
※実際には1万基以上もある有名な「千本鳥居」を形成する「鳥居奉納」も江戸時代から始まったものです。


(パナの松下幸之助氏は稲荷信仰で滝場修行者だったという)

稲荷山の信仰方法について、ネットの中で記された内容では、、、

1)門前町で稲荷やすずめを飲食
2)御祈祷申し込み
3)稲荷山登山
4)池の前の「熊鷹社」でロウソクを灯す
5)稲荷山の中でも飲食
6)眼力社コースで末広社まで来て鳥居を奉納
7)目より高いか、目立つところに木札を安置

これが一番よく効き、御利益を引っ張り出す引き金だという話もあるが、、、オイラは後で知ったので何もしなかった(汗)。まぁ、今回は何も祈祷もお守りもお札も貰わず、単に洞察の為の知見を得に参拝しただけであるが、。、、、惜しいことをした(爆)。
※熊鷹社は一発逆転の祈祷所で、ロウソク1本が5000円~1万円という強気の祈祷所。祈りも通は「」と仏教呪文で行うが、この熊鷹大神の正体が何であるか分かる内容でもある。

伏見稲荷大社では境内下社にはウガノミタマを祀っていますが、これは明治期の神仏分離で祭神が変更されたものであり、奥宮には「稲荷大神」とその横に眷族の「命婦専女神」を祀った白狐社が大小2つの社がありますが、こちらが本来の祭神であろう。。

伏見稲荷05
(奥宮 向かって左側の小さい社が白狐社)

掲げられた立札の説明によると、、、、



■奥宮  (重要文化財)
御祭神 稲荷大神
例祭日 一月四日 午後十時
構造 三間社流造 桧皮葺
建立 天正年間(一五七三~一五九二)

この社殿は、本殿と同様の流造で建てられ、摂社でも末社でもなく稲荷大神を祀ることから、他の境内社とは別格の社である。『長禄三年(一四五九)指図』には「命婦」として記され、存在が確認できる。『明応遷宮記録』(一四九九)には西側に八間の回廊があったことが記されているが、この回廊は現存していない。現在の社殿は天正年間に建立されたもので、元禄七年(一六九四)に修復された。



■末社 白狐社 (重要文化財)
御祭神 命婦専女神
例祭日 一月四日 午前十時三十分
構造 一間社春日造 桧皮葺
建立 寛永年間(一六二四~一六四四)

この社殿は、稲荷大神の眷族を祀る唯一の社で、古くは「奥之命婦」「命婦社」とも称された。元禄七年(一六九四)までは現在の玉山稲荷社あたりに祀られていた。




命婦(みょうぶ)とは、もともと宮中に仕える女性官人を指す言葉であり、稲荷狐には朝廷に出入りすることが可能な「命婦」の格が授けられたという経緯から付けられた。一説には稲荷大神=イエス・キリストとの神仏混淆を避けたかった秦氏が命婦神を差し出したともいわれる。神仏混淆時代には仏教傘下に置かれた当時の神道祭祀が宮中に取り入ることは不可能。何からの形で仏教的なものでなければならないが、朝廷に出入り可能な狐は2つあるが、天皇即位時に行われる「ダキニ天法」のダーキニー、あるいは藤原得子(美福門院)の正体とされた白面金毛九尾狐のことだと睨む。

命婦専女神の「専女」とは「年老いた女性」を意味する言葉であり、命婦神の眷族を表しているいる。であろう。


伏見稲荷の創建は710頃にまで遡るが、元々、稲荷は「伊奈利」と書かれ、「穀物神」のイメージはない。白餅が白鳥となって「稲生り」とされた縁起などは後付け創作であろう。

朝鮮半島の新羅地方(秦韓)から北から押し寄せる騎馬民族の圧迫を受け辰王に呼ばれて九州に渡り、秦王国を経由して山城の地(京都盆地)やってきた秦氏ですが、その末裔である秦伊呂具(賀茂県主久治良の末子)によって創建されたのが伏見稲荷。

ここで祀られる主祭神の稲荷大神とはINRI大神であり、即ちイエス・キリストであるという説もある(ふふふふ)。

秦氏の稲荷信仰は、欽明天皇の御世、秦大津父(おおつち)が稲荷山南麓で二匹の“おおかみ”が血を出しながら争うのを見つけ、争うのを止めるよう諭したことに起因する。この内容を天皇が夢に観て、秦大津父を大蔵省重役に採用したことの記念か? これが秦氏と「おおかみ」との縁起。

つまり、最初は狐ではなくだったのですね。
伏見稲荷のお塚信仰では各々が自分の神を定め「○○大神」と碑に書かれていますが、これは「大神=狼」から来ているのでしょう。

伏見稲荷の元宮は船岡山の命婦稲荷神社ですが、この船岡山に棲む狐の老夫婦と五匹の子狐が稲荷山に出向き、稲荷神の眷属になりたい旨を願い出たというのが伏見稲荷の始まりだと云われるが、これは船岡山の秦氏が稲荷山の秦氏の軍門に下った事跡を書いたに過ぎない。

秦氏が新しいエルサレムとして作ったのが京都。御所を中心に左右と南に奴型に町が広がるが、このタウ型十字架の罪状版にあたるのが船岡山。通称「首」でもある。そして、ここにイナリ(伊奈利)を祀ったのですが、イナリとは「旗」であり、それを作ったのがカバラに通じた秦氏の漢波羅。

その経緯を知る秦氏祖霊をINRI山で祀る秦氏が、それを上手く導入し710年に伏見稲荷を建立。「伏見=不死身」であり、イエス・キリストの復活を彷彿とさせる言葉でもある。

名無し先生の言葉からは、、、、

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俗に一般の方々がヤタガラスと呼ぶ形になるのが、この室町の頃と認識しております。それ以前は所謂 2流の陰陽師、五字切、九字切の裏道、つまりは六字切、十字切のカンバラが、これらに当たる者であったという事です。

この内の裏ドーマンに当たる十字切の衆の落ちこぼれが、ある国際機構と日本国の中枢の連絡役、使い走りとして起用されました。俗に、この衆を九条走りと呼び獣道にあたります。犬、狐、狼等で表される事が多いようです。伏見稲荷等はまさにこれに当たるわけです。

神社の境内で玉や巻物を噛んだ犬を見かける事がおありかと思いますが、この所以による処です。時代によっては事変があり、一時的に時のトップを名乗らせた事もありましたが、決して本流では御座いません。こうした経緯から、これらの衆の行いは、国士としての位置よりも、自己の利益を基準に動くのが常となって参りました。

前述の国際機構とは、古くより各国の中枢に文明、文化を齎してきた位置にありますが、決して前面で王位を乗っ取る行いはしてきておりません。これに比して、オランダ東インド会社に代表される御指摘の一族は、世界を一つの国家とするという千年王国の復活を理想としております。この勢力と獣道の衆が合同していったのは、ある意味一つの必然と言えるのでは、と考えます。この獣道の衆は、その後も時代の変遷に伴い、その都度利益本位の行動をとり続けておるとの認識です。


■西様、何故かコメントができないので記事にします (高度自給自足ブログ)
http://jfcoach.blog49.fc2.com/blog-entry-287.html
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ある国際機構とは客家(ペリシテ人)組織であると思いますが、洪門(ホンメン)は明朝末期(17世紀~)に起こった「反清復明”(清を倒し明を復活させる)」を主旨とする秘密結社であり、室町時代(1336年 – 1573年)とは時代的に少し合わない気がする。多分、洪門(ホンメン)も緑龍会もその一部である、より古いペリシテ人組織があったのだろう。なにせシルクロードをネットワークで覆っていたのですから、、、、

陰陽道の裏であるカバラだけでなくキリスト教のINRI、また仏教・修験道の要素もが混在した混沌状態にあるからこそ、彼らをして「カバラ落ちこぼれ組」と称するのであろうか?

そういえば、ナルトも落ちこぼれではあったなwww

空海(774-835年)が中国から持ち帰ってきた天部衆のダキニ天と稲荷大神が習合され、東寺の末寺の愛染寺を神宮寺として配され伏見稲荷の全てを管理したが、そこでは三面十二臂の「三天和合尊」である「三面ダキニ天」として聖天、弁財天と共にダキニ天も祀られた。「三面ダキニ天」は「三面摩多羅神」でもある。伏見のある京都東山辺りは昔は死体の投棄場であり、稲荷山は秦氏の祖霊を祀る場所であったらしい。よって「尸林(しりん)の巫女」であるダーキニーを当て嵌めるのが相応しかったのだろう。

伏見稲荷の躍進は、827年、淳和天皇の健康が優れない理由として東寺(教王護国寺)の五重塔建造(796年)時の稲荷山から木材調達において、それが伏見稲荷神域の木であったことから稲荷大神の障りが出たと占断され、伏見稲荷は従五位下の神階奉授を受け「二十二社」に認定されたところから始まる。だが、この霊障も「狐憑き→加持祈祷」という伏見稲荷と真言宗で行われたマッチポンプのWIN-WINの策略であろう(爆)。
※豊川稲荷もも元を正せば、一時期、真言宗系寺院にいた住職が得たものという説あり。

平安期には隆盛したが、鎌倉期には衰退、一般受けを狙って白狐を稲荷神の眷族とした姿にリニューアル。これが受け、関東では江戸期に大流行。

これが奥宮の大小社殿の配置に暗喩的に現れているが、それはスバリ、、、、

九尾仙狐

■稲荷大神・・・命婦神=貴狐天皇(ダキニ天)=九尾狐仙
■命婦専女神・・・眷族=白狐


鎌倉期の稲荷は「九尾狐仙」をモチーフにしたのだろうとオイラは睨んでいるが、これは九尾狐を極度に畏れる客家(ペリシテ人)であるからこそであり、「九尾狐仙」を祀っている主体が客家であろう。この一変形が航海神の媽祖(まそ)ですね

その後、応仁の乱で全山全焼して存続の危機に陥ったが、豊臣秀吉の寄進で復活を遂げた。江戸時代には鳥居奉納がブームとなり、千本鳥居の形が出来上がる。鳥居奉納は功徳のお礼だというが、これは伏見稲荷→客家を通じて信仰者が仕事を貰ったのではないだろうか?(笑)

さらに明治での神仏分離で愛染寺、ダキニ天は廃され、仏教色、修験道色は排除されたが、それを不服とする稲荷信仰者が四つ辻以降の奥の院(民有地)で「お塚信仰」を開始。その数、1万基を超えるが、これが現在の伏見稲荷の全容である。

伏見稲荷02

今後の洞察に役立つこと満載の京都旅行でした。

京都狐憑きツアー(その2)

平等院を後にした我々一行の次の目的地は嵐山と松尾大社。

嵐山では話題の竹林の道を散策。
確かに、あの道は凄い。外国人観光客ばかりであった。

竹林の道

竹林を出た後の嵐山の賑わいは、かつての清里を和風にしたといった感じか(爆)。

この竹林の道の途中に野宮神社がある。ここは賀茂斎院や伊勢斎宮に奉仕する斎王が身を清めるために住まう住居後を祀った場所ですが、確かに家の基礎となる囲いが残されている。

斎王と卜定された皇女は、御所内の初斎院(伊勢神宮斎宮は1年間、賀茂神社の斎院は3年間)にて潔斎を行い、その後、この野宮で1年過ごした後に斎王として現地に赴く。野宮自体は斎王一代限りのもので都度取り壊し新造される。

斎王の身分は非常に高く、皇后と同じである。

野宮

というのも、斎王は渡来時期の異なる他氏族の天皇との婚姻であるからであり、それ故に天皇の代替わりで斎王も交替する。斎王は3人の天皇族の間の血縁関係が乖離しないよう留めておくシステムでもあった。

天智天皇と天武天皇、明治天皇と世襲親王家(伏見宮)との間には二重三重の婚姻関係が結ばれており、これは両者の関係を緊密なものとしようとしたものですが、斎宮斎院も同じでしょう。

国内最大の内戦である「壬申の乱」の後に伊勢斎宮が出来、また、城京派(平城天皇&藤原式家)と平安京派(嵯峨天皇&藤原北家)が二分して戦った「藤原薬子の変」の後に賀茂斎院が出来ているように、必ず大きな争いの後に出来ているのです。

伊勢斎宮が1)地祇系(北イスラエル族)と2)天孫系(南ユダ族)の二者仲裁案であり、賀茂斎院が前2者と3)天神系(海の民、レビ族、ペリシテ人)との三者仲裁案であると睨んでいる。それ故に木嶋神社(蚕の社)の秦氏神事が天神系の賀茂県主との婚約と通じて下鴨神社に移され糾の森となった。下鴨神社で土用の丑の日に行われる水に足を入れロウソクを灯す暑気払いの「みたらし祭」は元糾の池で行われていた神事が発祥元であろう。

次に向かったのが、701年に秦忌寸都理の創建の松尾大社

松尾大社に祀られるのは、大山咋神(おおやまくいのかみ)と中津島姫命(宗像三女神の市杵島姫命の別名)の二神。大山咋神は大きな山の所有者の神を意味する山の地主神や農耕(治水)を司る神ですが、出雲の神とされている。「日枝山」も日吉大社で大山咋神が祀られているが、ともに巨大な磐座と古墳群が存在する。

松尾大社

しかも、この神社に溢れるシンボルは

松尾亀

亀は六芒星を示し、出雲族や地祇系のトーテムでもありますが、秦氏とは本当は地祇系なのか?(爆)
※秦氏=原始キリスト教徒(エルサレム教団)=南ユダ族ならば、トーテムはソロモン王(ユダ族出身)を示す五芒星で「鶴」となる筈なのだが、、、、

大山咋神を祀るのは「後漢の孝献帝子孫」を自称する「三津首氏」ですが、三津首氏は漢人系の渡来氏族。伝教大師(最澄)もこの氏族出身だという。

嵐山(葛野・嵯峨野)居住の秦氏は、松尾大社で大山咋神を祀っているので、この「三津首氏」の流れを汲むのだろうか?

秦氏は最初、秦氏は奈良県の葛城に住んだと云われ、その後、紀伊郡深草と葛野郡嵯峨野に分かれていったという。出雲から葛城に移住したのは地祇系賀茂氏(高鴨氏)も同じですね。深草で信仰されたのが伏見稲荷であり、葛野で信仰されたのが太秦の広隆寺、木嶋神社、松尾大社。このように秦氏にも2つの流れがあるらしいが、船岡山の帰命稲荷が伏見稲荷に吸収されたように、最終的に深草側の秦氏傘下になったという。語り部は徐福末裔と原始キリスト教徒を一緒にして徐福を歴史の闇に葬ったと述べるが、もしそうならば葛野・嵯峨野の秦氏は徐福末裔だったということにもなるのだが、、、、果たして、、、、
※太秦の方は三位一体の手の形をした弥勒菩薩、木嶋神社の沐浴場がらい、また伏見稲荷の方は「INRI」で原始キリスト教由来なのは間違いない。問題は松尾大社だけなのだ!!! 語り部は東三河の徐福国滅亡後、ここから酒造・機織・製鉄・養蚕の技術を継承したと述べている。確かにそうならば「徐福=スサノオ」で地祇系になり、徐福=大山咋神を祀るということで納得がいくが、、、

この辺の謎解きは松尾大社元氏子で亀絶倫のミル☆ヤタガラス氏が詳しいだろう。

京都狐憑きツアー(その1)

最近、ダキニ天のことばかり書いていますが、伏見稲荷に関しても洞察をしなければならない場面もしばしば出てきた。しかし、行ったこともない場所なので漠然としたアヤフヤなイメージしかない。昨今、外国人が選ぶ観光地2年連続で1位になったこともあり、ベビーメタル同様、きつね様のパワー全開感のある伏見稲荷に行って来ました。

ただ、伏見稲荷拝観だけではなく、同時に松尾大社(酒造の神)・広隆寺(キリスト教仏閣)・大酒神社(ダビデ神社)・木嶋神社(三柱鳥居)...等の秦氏関連神社仏閣、嵐山の竹林の道・天龍寺・野宮、嵯峨野の龍安寺、仁和寺、宇治平等院を気温39度の猛暑の中、回ってきた。

思えば、ブログ執筆開始以来、語り部説に感化されて藤ノ木古墳(倭聖・倭明親子を埋葬)、法隆寺(夢殿は倭聖大王怨霊封じ)、大神神社(三輪の御嶽地、石巻山が奥宮)、石上神宮(物部兵器庫、御神体:布都御魂剣)、石舞台(ホントは天智天皇稜)、蘇我入鹿の首塚(ホントは入鹿殺害現場)、談山神社(中大兄皇子と鎌足密談場所)、吉野蔵王堂(秘仏・蔵王権現御開帳)...等の飛鳥吉野を巡った第1回目のツアー。

その数年後、NHK大河ドラマ「平清盛」を見て感化され、北野天満宮、六波羅密、崇徳天皇墓、下鴨神社、京都御所を巡った第2回目(通称・京都怨霊ツアー)。

そして、今回が「第3次壁外調査」です(爆)。

まぁ、オイラにとって巨人とは藤原氏のことになりますが、「藤原氏が生まれたわけは?」「藤原氏の弱点とは?」「藤原氏はどこに行こう(最終目標)としているのか?」を知りたい。で、藤原氏の洞察には原始キリスト教(エルサレム教団)で漢波羅を持ち込んだ秦氏との関係性を含めた洞察が必要不可欠。その為の知見を得る京都ツアーでもある。

元々、一度は伏見稲荷に行かないといけないなぁ....と常々思っていたが、「盆休み中は暑い」「正月休みは寒い」と京都行きを極度に渋るカミサンとの戦いでもあった。

「今、行かないでいつ行くのだ?」

と吼え、今夏激暑の中、京都行きを渋るカミサンの重いケツを叩きながら出向いた次第。まぁ、非常に暑かったのですが、やはり行ってよかったと思います。


さてさて、旅行で気づいた点...等、忘れないうちに記しておこう。

■宇治上神社
ツアーの最初の訪問地は宇治平等院でしたが、拝観時間前に到着したので、近くにある世界文化遺産の宇治上神社を観てきた。こじんまりとした神社ですが、ここの特徴は本殿・拝殿が「寝殿作り」になっており、現存最古(平安後期建立)であることから世界文化遺産に登録された。

オイラが見たところ、確かに寝殿造りの本殿・拝殿は珍しいのですが、「ふ~ん」という程度の感想。京都だけで19箇所の世界遺産登録があるといいますが、ユネスコの世界文化遺産に選定されることは長年に渡る観光ブランドの安泰化を意味し、これは京都寺社勢力=ベルファシ勢力を援護し利するものと感じ、選定過程に我田引水的に関与しているのでは?と睨む(爆)。

宇治上神社


■宇治平等院鳳凰堂
30年も前に見たことがあるが、当時は周囲が土だらけの中に色褪せた本堂がポツンと立っていただけ。当時とは雲泥の差である。朱色も塗りな直しされており「ここまで洪水が来た」とガイドが示した洪水跡は見えなくなっていた。国宝の雲に乗った仏を展示する展示館が地下に設営され、観光地としての気合の入り方にビックリでした。これは国の所有物ではなく天台宗系「最勝院」と浄土宗系「浄土院」という浄土天台両宗によって共同管理(宗教法人・平等院)され、所有されている。

平等院鳳凰堂

この新しく蘇り、金色に輝く鳳凰を戴く平等院を見たカミサンの第一声は、、、、

「アーク(聖櫃)だ!!!」

確かに、そう見えなくもありません(滝汗)。

鳳凰堂アーク

鳳凰堂では、この中央部から阿弥陀仏如来がヌーっと顔を出す仕様になっています。

10円には鳳凰堂が刻印され、一万円札裏側には平等院の鳳凰が見られますが、お金はメーソンシンボルが散りばめられており、これはメーソン傀儡の九条閥=南朝=藤原式家=平家のアンダーコントロールにあるということを言外に示しているのだろう。

1万円札を2つに折り、鏡反転させると、、、、

鳳凰

中央の透かし部からは1つ目が出てくる。

一目人
(右:『山海経』に登場する一目国の一目人)

一目人、、、、いえ、いえ、プロビデンスの目です。

アーク(聖櫃)は、2体のケルビムの翼で囲まれ形成される三角形の内側には、「栄光」(グローリー)が眩く輝き、その中に目が存在するとされている。

つまり、平等院鳳凰堂とは、、、

藤原氏のサウロンの塔!!!
※2012年~2014年にかけて大修理を行い平等院は在りし日の姿で既に復活してしまっている。<既に時遅しとなってしまったのか?

さてさて、西方極楽浄土を表現した平等院鳳凰堂は、源融→宇多天皇→源重信→藤原道長と次々と所有者が移り、宇治殿として道長別荘として使われていたが、道長死去に伴い別荘から寺院へ変更して現在に移る。

宇治の地は摂関家領であり、「宇治の経蔵(宝蔵)」という藤原氏代々の重宝が納められた蔵があるらしいが、この蔵の正確な位置は一般には明かされていない。蔵の重宝の中には「酒天童子の首」があるともいうが、この蔵の中に藤氏長者の証である「殿下渡領」や行方不明の「朱器盤座」も存在するだろうとオイラは睨んでいる(ふふふふ)。

藤氏長者には「殿下渡領」とは別に「氏院寺領」(勧学院領34箇所・法成寺領18箇所及び19末寺・東北院領34箇所・平等院領18箇所11末寺の寺領)」が継承譲渡されますが、現在は公式的に氏長者は無くなっている。しかし、実際には存続し、現在の藤氏長者は九条家とのこと。平等院領18箇所11末寺の寺領を持つ藤氏長者が宇治平等院の真のオーナーでもある。

その他の摂関家領は九条・近衛で分離され、それぞれ家伝されているが、九条閥と近衛閥の勢力範囲の線引きは現在でもこの家伝家領に基づいて行われている筈でしょう。

この「殿下渡領」「氏院寺領」が表沙汰に出来ない日本の仕組みの表れであり、「日本の真のオーナー」が九条当主である真の理由であると睨んでいるのだが、、、、果たして、、、、
※荘園制度は重複寄進により重層的な所有権を形成するものでした。摂関家荘園も整理令対象とされた後三条天皇の「延久の荘園整理令」(1068年)では、後冷泉天皇崩御直前に駆け込みで得た平等院領の「不輸の権・不入の権」を認める太政官符によって平等院領(12か国に18か所)は公認荘園となり整理を免れている。この外部権力の排除を謳う「不輸の権・不入の権」を持つ荘園制度が未だに有効となる場合、日本とは切り離されることになり、太閤検地やGHQの農地解放でも対象外となった?

また宇治といえば、日本最大の朝鮮人部落であるウトロ地区(自衛隊大久保駐屯地の北隣 平等院からも近い)がありますが、元々は航空機工場建設の飯場であり、徴用で来たものばかりではなく、またGHQの帰国事業から漏れていた...等、そのまま残留している。土地所有者は日産車体工機(現・日産車体)ですが不法占拠故に水道施設を許可しないと知られる場所です。
※既に土地は許昌九が一括買取し住民へ分譲販売という「土地ころがし」失敗が露呈。在日の内輪揉めを日産車体に対し責めていたという。

オイラが感心を示す点は、日産=九条閥であること。つまり、ここに先の「氏院寺領」との関係の片鱗が臭ってくるわけですが、未だ有効(?)な「氏院寺領」の荘園という観点から考えれば、藤原摂関家(その後の五摂家)にとって、日本国民とはウトロ地区の残留朝鮮人同様、「不法占拠」している者のように映っているのかもしれない(爆)。

長くなりましたので、記事はその2に続く。

Dakini

さてさて、今回も荼枳尼天に関する洞察(妄想とも云う)です。

う~む、オイラは完全に狐憑き状態になってしまったのかもしれん(滝汗)。

下図は豊川稲荷のダキニ真天ですが、宝珠と剣を持った妙齢の女神が眷族の白狐の上に跨っています。また、中国やチベットにもダキニは存在しますが、ダキニ天と「天」を付けた天部衆表記にはなってはいません。

この2つの内容が日本にだけ見られるダキニの特徴です。

豊川稲荷01

実は、「火伏せの神」で知られる秋葉神社の秋葉大権現も神仏混淆時代には元々はダキニ天だったものが、明治期の神仏分離の際に神社系になることを選び、妙齢の女神は修験道の秋葉三尺坊に倣って烏天狗に変更されたという経緯があります。

髭面のおっさんが狐に乗る飯綱大権現も経緯は同じです。

AKB_20160816070502b6d.jpg 飯綱大権現
(秋葉大権権 飯綱大権現)

ダーキニーが日本に渡ってきたのは平安初期806年で、空海が唐から持ち帰ったという。ただし、この当時のダーキニーは閻魔の眷族であり、胎臓界曼荼羅の中では骨をポリポリと食べて血肉をすする夜叉女として描かれており、白狐に乗った姿に変わるのは平安時代末期の頃になります。

ダーキニー02

さらに遡って、チベット仏教でのダーキニーは髑髏の首飾りをして獣狩りに使うカルタリ(曲刀)と髑髏杯を手に持ち、人を踏みつけているオドロオドロしい姿をした女神。愛欲と踊りで知られるが、全く異なる構成になっている。中には秘所を全開にする怪しげなものまで存在する。

ダーキニー01
(ダーキニー)

ただ、日本にはこのような形態の仏像が全く存在していないことから、チベット仏教の要素は中国には入っておらず、従って日本にも入ってこなかった。

チベット導入前のインドのダーキニーは日本渡来時と同じく人の死肉を喰らう夜叉女とか羅刹(らせつ)とされていて、ダーキニーという名はダキニ衆という種族名から来ているという。死肉を喰らうことから動物の死肉を喰らう狐に激似のジャッカル(野干)の化身とされていたが、それほど知られる神ではなく、文献にも多く登場しない。

このダキニ衆と同じく閻魔の眷族として七母天(あるいは八母天、別名・摩怛哩神)が属していたが、両者は混淆され「ダーキニー=七母天」となっていった。これが北斗七星のシンボルを額に付け牛に乗った「摩多羅神」として日本の太秦に登場していますが、天部衆化(密教化)されていないことから仏教とは別ルートでインド→中国→日本へと渡来してきたと思われる。牛に乗っていること自体が牛を神聖視するインド色が濃い証ですね。

さらに遡れば、ダーキニーはインドのトラヴィダ人の豊穣の女神であり福徳神であった。この変遷は、BC(紀元前)1500年頃に起こったイラン高原からのアーリア人侵入によって、トラヴィダ人は被支配階級となったが、アーリア人が支配の為に作ったバラモン教の元、豊穣の女神は「尸林(しりん・シュマシャーナ)の巫女」にまで貶められのです。

ここから分かるのは、インドではヒンズー教の神は天部衆として取り込まれ密教が成立。この時、ダーキニーもダキニ天となったが、インドでは密教自体あまり重要視されず、従ってダキニ天も知られず造形化されなかった。しかし、チベットでは逆に密教は人気化し、ダキニ天も空行母(=天女)と呼ばれて多く仏像が壁画が作られるた。よほどチベット人気質に合ったのだろう。

中国ではインド密教を漢訳して教典化しているだけであり、殆ど省みられなかった。その漢訳化教典を日本は輸入していた為、日本のダキニ天はチベットの空行母のような姿ではなく、インド初期と同じ夜叉神として描かれたのです。

しかし、平安末期に突如、夜叉女が狐に跨った天女に姿に変わった。この姿になってからダキニ天は人気化し、天皇即位式にも採用され、江戸時代には大岡越前が信仰していたことから大流行。「伊勢や 稲荷に犬の糞」と呼ばれる程ポピュラー化した。

この形態変化には何かあると睨む(キラリ)。

仏教ではインドから中国に渡った大乗仏教を北伝仏教といい、一方、タイ方面に向かった上座部仏教を南伝仏教と呼ぶが、日本は中国経由で仏教を導入した為、大乗仏教が主流になっている。

タイの仏教には九尾狐仙と称される下記のような仏像がありますが、九尾狐仙は元々は中国からきたもの。現在ではタイの仏具店で多く売られている。

九尾仙狐

ほとんどダキニ天と構図が同じですね。
中には大きな狐の上に乗った像もあります。

仏像には様々な形態があり、立像タイプもありますが、どことなくバービー人形に似ている(爆)。

九尾狐仙03
(こちらは宝珠を手に持つ)

仏像周囲に金貨が散りばめられていることから、財運を運ぶ福徳神であることが分かります。

また、仏牌形式のものも売られていますが、画が非常に艶かしいですね。日本的な宗教感覚というか、崇拝対象としての画風とは幾分掛け離れています。

これがタイ人の宗教的嗜好でしょうか。

九尾狐仙子01
(仏牌・・・子供の手のひらサイズでペンダントにして首に掛ける)

タイの仏像は日本人的な感覚ではおもちゃのようにも見えますが、これら全てが実際の礼拝の対象であり、家庭で祭壇を作って祀る実用的な仏像・仏牌となっている。「同じ仏教でここまで違うか!」と正直驚かされますが、日本の仏教は中国風に置き換えられたものの発展形。

南伝の上座部仏教と北伝の大乗仏教という違いもありますが、ここまで異なるのも凄い。宗教の外側に現れる造形とか様式とかは国民性に大きく左右される一例です。

この造形は昨今流行の萌えフィギュアにも共通する感覚ですね(笑)。

フィギュア九尾

ただ、タイ仏教ではヒンドゥ教の神など仏教以外の神は「装飾扱い」なので、このような俗な感じとなるのでしょう。
※インドでは仏教が飽きられつつある時、ヒンズー教の神々を天部として取り込んだ。これが密教なのですが、これがチベットに渡っていった。タイが飾りとして取り込むのとは異なる点に民族性の違いを感じます。

ここで注目なのは妙齢の女神から9本の尾が出ていること。つまり、「妙齢の女神=九尾妖狐」であることがここから分かります。このことから豊川稲荷の「ダキニ真天」とされる妙齢の女性も「九尾妖狐」であることが即座に判りますね。

オイラがダキニ天は「九尾妖狐」だと看破したのは、全くもって正しかったわけです(ふふふふ)。

日本の荼枳尼天は狐に乗った姿が描かれていますが、チベット仏教のダーキニーには全く描かれておらず、これは日本独自仕様なのだと冒頭に書きました。

グロいチベット仏教のダーキニーは日本には入ってこずに、最初はインド密教の天部衆として渡来。ただダキニ天の一部は愛染明王としてさらに上位の神に格上げ。一方、チベット仏教のダーキニーは天女化(空行母)された後、中国で「九尾狐仙」となり、その姿が日本に導入されて夜叉神のダキニ天が九尾狐仙然としたマイルドな姿に置き換えられていったのであろう。

つまり、、、

ダーキニー(空行母) = 九尾狐仙 = 荼枳尼天

空海のダキニ天招聘後に変質したのですが、これを実施したのは、、、多分、平家。

平清盛がダキニ天法を修する話が『源平盛衰記』に出ていますが、宋との貿易をしていた平家が一番的確でしょう。ダキニ天法は「聖天式法」「頓成悉地法」と同様に、式盤を用いる中国道教の伝統的な手法なのです。

式盤
(六壬式盤 中央の北斗七星=ダーキニー「空行母」と看做せる)

さてさて、オイラは社に存在して金品を要求する創造神などは全く認めていませんが、人類の無意識層を蓄積した集合無意識的な人工的な神=デミウルゴスは認めています。何千年もの間にインド・タイ・チベット・中国・日本に跨って構築された集合的無意識的な神がダーキニーであり、荼枳尼天はこの膨大な精神領域をカバーし上手く取り込んでいるからこそ、験が素早く現れ、功徳が大きいのではないかと睨んでいる。

ダキニ天として祀る為に購入も考えましたが萌え要素がないので、最初に提示した中国風の顔をした仏像はパスです(笑)。ただ、タイ向けに作られたものは欲しいと思わせる。

特に下記の物はいいなぁ~と思う造形をしている。

九尾狐仙02

これ以外のも実に魅力的な造形をした仏像が販売されている。

九尾狐仙04

九尾狐仙08

これはもはや仏像というより萌えフィギュアwww

以上の洞察で荼枳尼天がチベット仏教のダーキニー(空行母)から変化した「九尾狐仙」を取り入れたものであることが分かりましたが、この九尾狐には白狐、銀狐、金狐....等、いろいろと種類があります。

ここで妖狐について、おさらいしておくと、、、、(Wikipediaより)

■九尾の狐
妖狐は、初め尻尾が1本しかないが、長い年月(中国では50~100年ともいわれる)を掛けて妖力を増やし、1000年近くになると9本の尻尾を持つ。玉藻前の物語で有名であり、それゆえ九尾の狐を悪狐と呼ぶ場合もあるが、善狐でも尻尾が9本あれば九尾の狐である。

■仙狐(せんこ)
善狐のなかで、1000年以上生きた狐。中国における狐の分類。

■天狐(てんこ)
1000歳を超え強力な神通力を持ち神格化した善狐。尾は4つである。御先稲荷のトップ。千里眼を持ちさまざまな出来事を見透かす力がある。長崎県の小値賀島では憑き物の一種とされ、これに憑かれた者には占いで何でも言い当てるなどの神通力が備わるという。

■空狐(くうこ)
3000歳を超え神通力を自在に操れる大神狐。尾はない。天狐からさらに2000年生き、御先稲荷を引退した善狐が成るとされている。


つまり、「九尾狐」は「空狐」になる直前の段階の「天狐」(4本以上)であり、エリート中のエリートであるということ。

この九尾中最強なのが白面金毛九尾狐ですが、「国を傾ける」程の能力をもつ禍々しさから野狐(やっこ)あるいは悪狐(あっこ)とされていますが、これは国を傾けられた為政者側からみた見方。白面金毛九尾狐自体、為政者に徳が無くなった際に現れる点で、庶民にとっては云われているほどの悪狐ではない。

日本では玉藻前のモデルである美福門院(藤原得子)が白面金毛九尾であるとして有名ですが、確かに、保元の乱、平治の乱の事件で広大な摂関家領が分割され、後に五摂家へと繋がっていき、藤原氏の勢力が大幅に削がれた。

あのまま摂関家領が一子相続されていたら武家の台頭も無く、よって現代日本文化のベースである江戸の町人文化も起きず、日本も随分変わっていただろうと思う。

その意味では、庶民にとって藤原得子の登場は僥倖以外の何ものでもない。